箕輪初心★新島八重の周辺①「徳冨蘆花」
★徳富蘆花は、同志社大学に2回学んでいる。つまり、新島襄の弟
子である。山本覚馬の次女:山本久栄と熱烈な恋愛をする。
新島襄の妻:新島八重=山本八重から見れば、山本久栄は姪に
当たる。二人の恋を父:山本覚馬や新島襄や新島八重は反対し
た。ここで、徳富蘆花は同志社大学を中退した。『黒い目と茶
色の目』は、山本久栄をモデルにしたいる。この徳富蘆花は
伊香保が大好きで、『千明仁泉亭』を常宿にして、10回訪れて
いる。伊香保で徳富蘆花の出世作「不如帰(ほととぎす)」が書
かれたのだ。・・・新島八重との関係で見れば、兄:徳富蘇峰の方
が関係が深い。新島襄の=臨終に、新島八重と徳富蘇峰が見守っ
たのだ。★伊香保の「徳富蘆花記念文学館」で、たくさん
の情報を得た。ありがとうございました。
★私の腹痛の原因は、出血性胃潰瘍であった。
検査に3時間もかかった。原因は、酒かストレスであろう。
明日も、点滴に行かなくちゃならないのだ。
健康っていいよね。もう年だね。少しは気をつけなくちゃあね。
◆◆ 箕輪初心◎伊香保の歴史&文人墨客 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_5.html
◆◆ 箕輪初心★新島襄① ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201110/article_27.html
◆◆ 箕輪初心★新島襄② ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201301/article_1.html
★平成25年(2013)1月27日、徳富蘆花記念文学館では、ス
タッフの方が大変親切に案内して下さった。楽しかった。
◎300円
①喫茶室・・・この外には、野鳥がたくさんくる。
スタッフの女性は「ひまわりの種を手のひらにおくと
シジュウカラがとまるんですよ。」と必死で口笛を吹いて
くれた。鳥の写真もあった。
②ホトトギスの花の写真
ヤマホトトギス・ヤマジノホトトギス・タマガワホトトギス
④黒田清輝の大きな絵・・・パンフレットより
⑤特別展「伊香保の歴史・鉄道など」
⑥移転した蘆花の離れ
亡くなった時のベッド
蘆花のマント
【1】徳富蘆花の出世作「不如帰(ほととぎす)」
★伊香保温泉「千明仁泉亭」で執筆された作品である。
1)きっかけ
明治31年(1898)徳富蘆花&愛子夫人は、神奈川県の逗子の
「柳屋」で、大山巌陸軍大将の副官:福家安定(ふくけ)の
未亡人:福家安子が、大山巌一家のことを語ってくれたこと
に始まる。
■福家安定・・・土佐藩士。維新後に陸軍中佐。日清戦争で第
二軍参謀副官をつとめた。
「父は薩摩出身の元帥&陸軍大将:大山巌&
母は会津藩家老:山川重固の娘:山川捨松・・・
長女は「信子」である。
明治26年(1893)1月、海軍大臣:西郷従道の媒酌で、大山
信子&子爵:三島通庸の長男「弥太郎」が結婚した。しかし、
程なく、信子は肺結核にを患った。その年の6月に離縁され
た。明治29年(1896)5月、信子は病死した。
★新島襄は山川捨松とも面識があったかもしれない。ともに、岩倉
使節団にいたからである。新島襄はアメリカから通詞になった。
山川捨松は津田梅子らとともにアメリカねの子ども語学留学生で
あった。
■三島通庸・・・薩摩藩士・・福島県令で事件・・内務官僚。
2女峰子は大久保利通の次男:牧野伸顕に嫁いだ。
→牧野伸顕の娘:雪子は吉田茂に嫁いだ。
→麻生太郎と続く。
2)あらすじ
①川島武男の妻:浪子=大山信子がモデルになっているのだ。
②川島武男=子爵:三島通庸の長男「弥太郎」
③片岡中将=大山信子の父:大山巌
明治31年(1898)に、徳富蘆花の代表作「不如帰(ほととぎす)」
が、国民新聞に連載された。
「日清戦争の時代、封建的家族制度の中で繰り広げられる夫婦(武男
と浪子)の物語である。伊香保温泉の一室から物語が始まっている。
「 上州伊香保千明の3階の障子を開きて、夕景色をながむる夫人。
年は18~9。品よき丸髷に結いて、草色の紐つけし小紋縮緬の
被布を着たり。
・・・・(★後は読んでのお楽しみ)・・・・・」
3)口絵・・・黒田清輝
★黒田清輝の弟子に「湯浅一郎」がいる。
湯浅一郎は新島襄から洗礼を受けた安中の湯浅治郎の長男である。
3代目:湯浅治郎宅に、新島襄&新島八重が泊まっているのだ。
【2】徳富蘆花の歴史展示
・明治元年(1868)10月25日(=12月8日)
横井小楠門下の徳富一敬の次男として熊本県水俣に生まれた。
熊本バンドの1人として同志社英学校に学んだ。
同志社英学校で新島襄に学んだ。新島八重にも世話になった。
山本覚馬の次女:山本久栄に恋をした。
キリスト教の影響を受け、トルストイに傾倒する。
明治23年(1890)1月23日 新島襄死亡。
小田原での新島襄の=臨終に、新島八重と徳富蘇峰が見守っ
たのだ。徳富蘆花はいなかった。
兄の思想家・ジャーナリストである徳富蘇峰の下で
「民友社」で翻訳の仕事をした。※つまらなかったようだ。
自然詩人として出発した。
・明治32年(1899)小説『不如帰』・・・ベストセラーになった。
・明治33年(1900) 『自然と人生』(随筆)
随筆『自然と人生』は文章が賞賛され、一気に人気
作家となった。
・明治34年(1901)『思出の記』
・明治35年(1902) 『黒潮』
しかし、国家主義的傾向を強める兄とは次第に不仲となった。
・明治36年(1903)徳富蘇峰への「告別の辞」を発表。
→絶縁状態となる。
・明治39年(1906)
夫人とともに外遊の際、トルストイの住む村を訪れ、
トルストイと会見した。
『順礼紀行』・・・オスマン帝国治下のエルサレム訪問記
を書いた。
12月10日、旧制・第一高等学校の弁論部
大会にて最初の講演を行う。
『勝の哀(かなしみ)』の演題で、ナポレオンや児玉将軍を例に
引き、勝者の胸に去来する悲哀を説き、一時の栄を求めず永遠の
生命を求める事こそ一日の猶予もできない厳粛な問題であると
説いた。
・明治40年(1907年)、北多摩郡千歳村字粕谷
(現・東京都世田谷区粕谷)に転居、死去するまでの
20年間をこの地で過ごした。
・明治43年(1910)大逆事件
幸徳秋水らの死刑を阻止するため、徳富蘇峰を通じて
首相:桂太郎へ嘆願しようとするが間に合わず処刑されてしま
った。
・明治44年(1911)2月1日、『謀叛論』の題で論じた。
・昭和2年(1927)病に倒れる。
伊香保温泉で蘇峰と再会和解し「後のことは頼む」と遺言し死去
した。58歳だった。
新島襄の死に新島八重と徳富蘇峰は立ち会ったが、・・・。
代表作『灰燼』『自然と人生』などがある。
享年60歳。
(★ウキペディア等を参考に編集)
【3】徳冨蘆花の号
①「徳冨」の表記は「冨」の字を採用している。つまり、'
「、」がない。本名は徳富健次郎。
②号の由来は、自ら述べた「『蘆の花は見所とてもなく』と清少納言
は書きぬ。然もその見所なきを余は却って愛するなり」からきている。
【4】徳富蘆花の伊香保訪問10回
徳冨蘆花は伊香保温泉地をこよなく愛した。『不如帰』(ほととぎす)
の舞台として登場させたことで知られる。
1)1回目・・明治31年5月~2週間
その頃に住んでいた逗子から高崎・・・アメリカで死んだ姉婿の0
が・・高崎で牧師をしていたので、そこで一泊して、渋川を経由し、
鉄道・馬車・人力車で伊香保へ入がりました。・・・(略)・・・
『千明仁泉亭』(現存)に2週間ほど滞在した。
「湯良し、宿良し、眺望良し。私はすっかり伊香保に惚れた」
と書いている。
徳富蘆花は「何かと云えば、私共の心はすぐ伊香保へ向かいます」
と書き残しているとおり、以後、たびたび夫人を伴って伊香保を
訪れた。宿は決まって知人に紹介してもらった縁で『千明仁泉亭』
だった。
2)2回目・・明治33年4月末~6月上旬
多くは山歩きをして過ごした。
3)3回目・・明治39年1月~3月中旬
千明は『不如帰』の人気で喜んだ。
トルストイに手紙を書いた。
※エルサレム&ロシア旅行に単独4週間の旅行にいった。
4)4回目・・大正3年11月2日~11月末
『黒い眼と茶色の目』・・・モデルは山本覚馬の次女:
山本久栄である。
夫婦げんかのもとになった。
5)5回目・・大正4年6月下旬~7月下旬
妻が病気で、痩せたので療養に出かけた。
6)6回目・・大正6年4月末~6月2日
※大正9年8月 伊香保全焼。
7)7回目・・大正10年3月~6月上旬
8)8回目・・大正12年4月末~6月上旬
9)9回目・・大正14年5月~10日間
10)10回目・・昭和2年7月6日~
最後の訪問。自伝小説『富士』の執筆で疲労困憊して病床にあっ
た蘆花は、伊香保行きを強く希望する。周囲の者は反対したが、
ついに湯治を許可する。すでに歩くのも困難になっていた蘆花
には、主治医、看護婦らが車2台を連ねて同行した。
伊香保に到着すると病状はやや落ちつき、数日後には榛名湖
を見たいといい、総勢31人が同行した。宿では車椅子で入浴
するなどして療養に努めた。
しかし病状は次第に悪化していった。見舞いに来た兄:徳富
蘇峰と15年ぶりに再会を果たした9月18日の夜、蘆花は息を
引き取った。・・・徳富蘆花が死亡。
・平成元年・・『徳富蘆花記念文学館』設立。
隣には盧花が最期を迎えた『千明仁泉亭』の離れが移築され、
公開されている。
【6】関係する人物
L・L・ジェーンズ
・宮川経輝
・金森通倫
・海老名弾正
・下村孝太郎
・浮田和民
・小崎弘道
・山崎為徳
・横井時雄
★参考文献
徳富蘆花記念文学館の資料
「伊香保みやげ」
土屋文明記念文学館の本など
★明日の新島八重関係かな?
子である。山本覚馬の次女:山本久栄と熱烈な恋愛をする。
新島襄の妻:新島八重=山本八重から見れば、山本久栄は姪に
当たる。二人の恋を父:山本覚馬や新島襄や新島八重は反対し
た。ここで、徳富蘆花は同志社大学を中退した。『黒い目と茶
色の目』は、山本久栄をモデルにしたいる。この徳富蘆花は
伊香保が大好きで、『千明仁泉亭』を常宿にして、10回訪れて
いる。伊香保で徳富蘆花の出世作「不如帰(ほととぎす)」が書
かれたのだ。・・・新島八重との関係で見れば、兄:徳富蘇峰の方
が関係が深い。新島襄の=臨終に、新島八重と徳富蘇峰が見守っ
たのだ。★伊香保の「徳富蘆花記念文学館」で、たくさん
の情報を得た。ありがとうございました。
★私の腹痛の原因は、出血性胃潰瘍であった。
検査に3時間もかかった。原因は、酒かストレスであろう。
明日も、点滴に行かなくちゃならないのだ。
健康っていいよね。もう年だね。少しは気をつけなくちゃあね。
◆◆ 箕輪初心◎伊香保の歴史&文人墨客 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_5.html
◆◆ 箕輪初心★新島襄① ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201110/article_27.html
◆◆ 箕輪初心★新島襄② ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201301/article_1.html
★平成25年(2013)1月27日、徳富蘆花記念文学館では、ス
タッフの方が大変親切に案内して下さった。楽しかった。
◎300円
①喫茶室・・・この外には、野鳥がたくさんくる。
スタッフの女性は「ひまわりの種を手のひらにおくと
シジュウカラがとまるんですよ。」と必死で口笛を吹いて
くれた。鳥の写真もあった。
②ホトトギスの花の写真
ヤマホトトギス・ヤマジノホトトギス・タマガワホトトギス
④黒田清輝の大きな絵・・・パンフレットより
⑤特別展「伊香保の歴史・鉄道など」
⑥移転した蘆花の離れ
亡くなった時のベッド
蘆花のマント
【1】徳富蘆花の出世作「不如帰(ほととぎす)」
★伊香保温泉「千明仁泉亭」で執筆された作品である。
1)きっかけ
明治31年(1898)徳富蘆花&愛子夫人は、神奈川県の逗子の
「柳屋」で、大山巌陸軍大将の副官:福家安定(ふくけ)の
未亡人:福家安子が、大山巌一家のことを語ってくれたこと
に始まる。
■福家安定・・・土佐藩士。維新後に陸軍中佐。日清戦争で第
二軍参謀副官をつとめた。
「父は薩摩出身の元帥&陸軍大将:大山巌&
母は会津藩家老:山川重固の娘:山川捨松・・・
長女は「信子」である。
明治26年(1893)1月、海軍大臣:西郷従道の媒酌で、大山
信子&子爵:三島通庸の長男「弥太郎」が結婚した。しかし、
程なく、信子は肺結核にを患った。その年の6月に離縁され
た。明治29年(1896)5月、信子は病死した。
★新島襄は山川捨松とも面識があったかもしれない。ともに、岩倉
使節団にいたからである。新島襄はアメリカから通詞になった。
山川捨松は津田梅子らとともにアメリカねの子ども語学留学生で
あった。
■三島通庸・・・薩摩藩士・・福島県令で事件・・内務官僚。
2女峰子は大久保利通の次男:牧野伸顕に嫁いだ。
→牧野伸顕の娘:雪子は吉田茂に嫁いだ。
→麻生太郎と続く。
2)あらすじ
①川島武男の妻:浪子=大山信子がモデルになっているのだ。
②川島武男=子爵:三島通庸の長男「弥太郎」
③片岡中将=大山信子の父:大山巌
明治31年(1898)に、徳富蘆花の代表作「不如帰(ほととぎす)」
が、国民新聞に連載された。
「日清戦争の時代、封建的家族制度の中で繰り広げられる夫婦(武男
と浪子)の物語である。伊香保温泉の一室から物語が始まっている。
「 上州伊香保千明の3階の障子を開きて、夕景色をながむる夫人。
年は18~9。品よき丸髷に結いて、草色の紐つけし小紋縮緬の
被布を着たり。
・・・・(★後は読んでのお楽しみ)・・・・・」
3)口絵・・・黒田清輝
★黒田清輝の弟子に「湯浅一郎」がいる。
湯浅一郎は新島襄から洗礼を受けた安中の湯浅治郎の長男である。
3代目:湯浅治郎宅に、新島襄&新島八重が泊まっているのだ。
【2】徳富蘆花の歴史展示
・明治元年(1868)10月25日(=12月8日)
横井小楠門下の徳富一敬の次男として熊本県水俣に生まれた。
熊本バンドの1人として同志社英学校に学んだ。
同志社英学校で新島襄に学んだ。新島八重にも世話になった。
山本覚馬の次女:山本久栄に恋をした。
キリスト教の影響を受け、トルストイに傾倒する。
明治23年(1890)1月23日 新島襄死亡。
小田原での新島襄の=臨終に、新島八重と徳富蘇峰が見守っ
たのだ。徳富蘆花はいなかった。
兄の思想家・ジャーナリストである徳富蘇峰の下で
「民友社」で翻訳の仕事をした。※つまらなかったようだ。
自然詩人として出発した。
・明治32年(1899)小説『不如帰』・・・ベストセラーになった。
・明治33年(1900) 『自然と人生』(随筆)
随筆『自然と人生』は文章が賞賛され、一気に人気
作家となった。
・明治34年(1901)『思出の記』
・明治35年(1902) 『黒潮』
しかし、国家主義的傾向を強める兄とは次第に不仲となった。
・明治36年(1903)徳富蘇峰への「告別の辞」を発表。
→絶縁状態となる。
・明治39年(1906)
夫人とともに外遊の際、トルストイの住む村を訪れ、
トルストイと会見した。
『順礼紀行』・・・オスマン帝国治下のエルサレム訪問記
を書いた。
12月10日、旧制・第一高等学校の弁論部
大会にて最初の講演を行う。
『勝の哀(かなしみ)』の演題で、ナポレオンや児玉将軍を例に
引き、勝者の胸に去来する悲哀を説き、一時の栄を求めず永遠の
生命を求める事こそ一日の猶予もできない厳粛な問題であると
説いた。
・明治40年(1907年)、北多摩郡千歳村字粕谷
(現・東京都世田谷区粕谷)に転居、死去するまでの
20年間をこの地で過ごした。
・明治43年(1910)大逆事件
幸徳秋水らの死刑を阻止するため、徳富蘇峰を通じて
首相:桂太郎へ嘆願しようとするが間に合わず処刑されてしま
った。
・明治44年(1911)2月1日、『謀叛論』の題で論じた。
・昭和2年(1927)病に倒れる。
伊香保温泉で蘇峰と再会和解し「後のことは頼む」と遺言し死去
した。58歳だった。
新島襄の死に新島八重と徳富蘇峰は立ち会ったが、・・・。
代表作『灰燼』『自然と人生』などがある。
享年60歳。
(★ウキペディア等を参考に編集)
【3】徳冨蘆花の号
①「徳冨」の表記は「冨」の字を採用している。つまり、'
「、」がない。本名は徳富健次郎。
②号の由来は、自ら述べた「『蘆の花は見所とてもなく』と清少納言
は書きぬ。然もその見所なきを余は却って愛するなり」からきている。
【4】徳富蘆花の伊香保訪問10回
徳冨蘆花は伊香保温泉地をこよなく愛した。『不如帰』(ほととぎす)
の舞台として登場させたことで知られる。
1)1回目・・明治31年5月~2週間
その頃に住んでいた逗子から高崎・・・アメリカで死んだ姉婿の0
が・・高崎で牧師をしていたので、そこで一泊して、渋川を経由し、
鉄道・馬車・人力車で伊香保へ入がりました。・・・(略)・・・
『千明仁泉亭』(現存)に2週間ほど滞在した。
「湯良し、宿良し、眺望良し。私はすっかり伊香保に惚れた」
と書いている。
徳富蘆花は「何かと云えば、私共の心はすぐ伊香保へ向かいます」
と書き残しているとおり、以後、たびたび夫人を伴って伊香保を
訪れた。宿は決まって知人に紹介してもらった縁で『千明仁泉亭』
だった。
2)2回目・・明治33年4月末~6月上旬
多くは山歩きをして過ごした。
3)3回目・・明治39年1月~3月中旬
千明は『不如帰』の人気で喜んだ。
トルストイに手紙を書いた。
※エルサレム&ロシア旅行に単独4週間の旅行にいった。
4)4回目・・大正3年11月2日~11月末
『黒い眼と茶色の目』・・・モデルは山本覚馬の次女:
山本久栄である。
夫婦げんかのもとになった。
5)5回目・・大正4年6月下旬~7月下旬
妻が病気で、痩せたので療養に出かけた。
6)6回目・・大正6年4月末~6月2日
※大正9年8月 伊香保全焼。
7)7回目・・大正10年3月~6月上旬
8)8回目・・大正12年4月末~6月上旬
9)9回目・・大正14年5月~10日間
10)10回目・・昭和2年7月6日~
最後の訪問。自伝小説『富士』の執筆で疲労困憊して病床にあっ
た蘆花は、伊香保行きを強く希望する。周囲の者は反対したが、
ついに湯治を許可する。すでに歩くのも困難になっていた蘆花
には、主治医、看護婦らが車2台を連ねて同行した。
伊香保に到着すると病状はやや落ちつき、数日後には榛名湖
を見たいといい、総勢31人が同行した。宿では車椅子で入浴
するなどして療養に努めた。
しかし病状は次第に悪化していった。見舞いに来た兄:徳富
蘇峰と15年ぶりに再会を果たした9月18日の夜、蘆花は息を
引き取った。・・・徳富蘆花が死亡。
・平成元年・・『徳富蘆花記念文学館』設立。
隣には盧花が最期を迎えた『千明仁泉亭』の離れが移築され、
公開されている。
【6】関係する人物
L・L・ジェーンズ
・宮川経輝
・金森通倫
・海老名弾正
・下村孝太郎
・浮田和民
・小崎弘道
・山崎為徳
・横井時雄
★参考文献
徳富蘆花記念文学館の資料
「伊香保みやげ」
土屋文明記念文学館の本など
★明日の新島八重関係かな?
明治思想史の一断面-新島襄・徳富蘆花そし (単行本・ムック) / 伊藤 彌彦 著
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