箕輪初心:生方▲『白井宿』:正しくは『市場町白井』とすべきか?

現渋川市(旧子持村)白井には、戦国時代、白井長尾氏の居城白井城 があった。ウィキペディアでは、「天正18年(1590年)の小田原征 伐で白井城は前田利家・上杉景勝の攻撃の前に落城し、長尾氏は没 落した。その後、関東に入部した徳川家康は、白井に本多康重を2 万石で入れた。これが白井藩の立藩である。康重は慶長5年(1600 年)の関ヶ原の戦いで徳川秀忠軍に属して上田城の真田昌幸と戦い、 殿軍を務めた武功を賞されて翌年、三河国岡崎藩に5万石で加増移 封された。」というのは、歴史学の上からはいくつか間違いはある。 正しくは「天正18年(1590)、徳川家康の関東入封に伴い、本多康 重は白井に分封された。その後、戸田氏・井伊氏が分封された。関 ヶ原の戦いに勝った東軍の徳川家康は慶長8年(1603)、征夷大将軍 の宣下を受け、江戸に幕府を開いた。幕藩体制が確立し、井伊直孝 の時、白井藩が立藩となった。その後、西尾氏・本多氏が白井藩 の藩主となった。」が歴史学上の書き方となる。 寛永元年(1624)、本多氏は跡継ぎがないままなくなったので廃藩と なり、以後、幕府領(天領)に組み込まれ、代官が置がれた。また、 旗本領にも組み込まれた。江戸時代、子持村の南西部に三国街道が 通り、北牧宿・横堀宿が造られた。白井は六斎市の立つ市場町とし て栄えていった。「白井宿」と看板があるが、正しくは、5日・10 日・15日・20日・25日・30日を市日とする六斎市が立つ 「市場町」である。白…

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箕輪初心:生方▲伊香保№111与謝野鉄幹と与謝野晶子T8:千明旅館

明治25年には与謝野鉄幹が正岡子規・大町桂月・落合直文らと 浅香社で新派和歌運動をおこし、30年代にはこれに佐佐木信綱 ・土井晩翠・外山正一・矢田部良吉が加わって新体詩会をかまえ て、第一歌集『東西南北』では虎剣調とよばれた男性的謳歌を、 第二歌集『天地玄黄』では万葉調の浪漫主義を標榜、その牽引力 は絶頂期に達していた。そこへ晶子が飛びこんできた。『明星』 は新たな星菫調をもって女だてらのソフィスティケーションをお こしつつあったところだった。鉄幹の「明星」全盛期~~~~~。 「やは肌の あつき血汐に ふれも見で      さびしからずや 道を説く君 」 歌は、妻子のあった与謝野鉄幹に対する情熱的なエロい歌・・・。 箕輪初心:生方▲草津100ー86続編『与謝野晶子と群馬の温泉』 https://53922401.at.webry.info/201806/article_12.html 大正8年 ▲伊香保温泉:千明旅館(千明仁泉亭)(★私は2回宿泊) 「いかづちの 生るる熱き 湯の音を    かたへにしたる 朝のくろ髪」  「やは肌の あつき血汐に ふれも見で        さびしからずや 道を説く君 」   妻子のあった与謝野鉄幹に対する晶子の情熱的な歌であるが・・・。 「伊香保にて 昔を少し 思ふとき   赤城の山の 動き来るかな 」   ★意味…昔の事と思うと、自分の動揺を写すかのように    赤城の山を動くようだ。 …

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