箕輪初心:生方▲山梨県甲州市大和町『景徳院』甲斐武田家終焉の地

天正10年(1582)武田勝頼は岩殿城を目指したが、小山田信成が 裏切らざるを得なくなり、勝頼は最後に栖雲寺を目指したが、 この地で織田軍に追い詰められて自害?をした。徳川家康は 武田勝頼の死を弔うため景徳院を建立した。山門から長い階段 を上っていくと境内に勝頼親子が自刃した生害石や墓・本堂等 がある。こじんまりとした寺であったが、武田一族の歴史を偲 んで来た。天正4年(1576)武田勝頼は上野国の東毛に侵攻し、 真田昌幸に伊香保温泉の宿屋の建設を命じた。真田昌幸は、 現在の石段街の元を造った。 ●駐車場 ●山門 ★勝頼とヤマユリかあ? 出迎えてくれている  ようだった。 勝頼、北条夫人、信勝の墓 ★ここが自害した場所なのかな? 戻って、登った。 境内 ●▲■山梨県のブログ一覧******************** 【1】山梨県の旅行~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 箕輪初心:生方▲山梨の旅行33回(観光・登山・歴史散策) http://53922401.at.webry.info/201504/article_21.html 箕輪初心:生方◆甲州街道甲州編「甲府宿・台ヶ原宿」等 http://53922401.at.webry.info/201504/article_22.html 【2】2050412現在の山梨の旅~~~…

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箕輪初心:生方▲山梨県甲州市勝沼町【柏尾山大善寺】

大永元年(1521) 武田信虎が天桂禅長を開山として大泉寺を 建造した。天正2年(1574)3月、3月5日に信濃高遠(現長野 県伊那市高遠町)で死去した。葬儀は大泉寺で行われ、 埋葬された。現在、大泉寺本堂の奥に霊廟裏に「武田信 虎の墓」がある。 天正10年(1582)3月、織田・徳川連合軍の武田領に侵攻した。 3月3日、武田勝頼は本拠である新府城(韮崎市中田町中條) を捨て、小山田信茂を頼って都留郡の岩殿城(大月市賑岡町) に向かうことにした。勝頼は途中で大善寺に泊まり、戦勝を 祈願している。その後、勝頼は小山田領へ入る前に信茂の離 反に遭い、日川を遡上した。3月11日、山梨郡田野(甲州 市大和町)において一族とともに自害した。(天目山の戦い)。 大善寺にいた理慶尼が、勝頼らの最期を『理慶尼記』(「武田 滅亡記」)に書き残している。理慶尼は武田一族の勝沼信友の 娘で雨宮氏に嫁していたが、勝沼氏の処断により離縁されて 大善寺で尼になっていた(『甲斐国志』)。 ●駐車場から・・・ 下ってきて・・・・・ 【34】平成27年(2015)7月21日~22日『山梨の城巡り』 ①大善寺 ②近藤勇「柏宿の戦い」 ③鶴瀬宿 ④甲斐大和駅 ⑤四郎作~鳥居坂古戦場 ⑥景徳院:武田勝頼の墓 ⑦土屋惣蔵昌恒「片手切り(伝)」 ⑧栖雲寺&武田信満 ⑨勝沼氏館跡5回目 ⑩浅間…

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