箕輪初心:生方▲草津100-50『松浦武四郎』M19&「蝦夷地探検とロシアとの外交史」

草津の湯畑の「草津に 来たりし100人」も標柱に『松浦武四郎 
明治19年(1986)来草』とあった。蝦夷地を探査し、北海道という
名前を考案した人物で、アイヌ人庇護のため、尽力した方である。
平成30年(2018)3月、私は染井公園には草津に来た松浦武四郎の墓
・高村光太郎の墓にお参りしてきた。一般に近藤重蔵や間宮林蔵の
探検が有名であるが、実際は①最上徳内→②近藤重蔵→③伊能忠敬→
④間宮林蔵→⑤松浦武四郎の順で主に蝦夷地探検は行われた。
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【1】蝦夷地探検とロシアとの外交
※16C アイヌ人と和人(倭人)の交易の拠点は松前へと移った。
 アイヌの民は本州で自由に交易を行うなど対等な交易を行っていた。
 中国の陶磁器や銅銭が北海道へ、蝦夷地(北海道)のコンブやサケ
 が本州へと運ばれた。
※16C後半、 ロシアは南下政策とシベリア進出をすすめていた。
 17C中頃からロシアはオホーツク海沿岸に達し、南下して
   日本に迫った。
  の治世となり、
・明和元年(1764)エカチェリーナⅡ世は東方のイルクーツクに日本
 航海学校を設立させた。
・明和5年(1768) 日本語学校を設置した。
  日本付近への航海を積極的に行うようになった。

・安永7年(1778)イワン・アンチーピンがエカチェリーナⅡ世の
 ロシアの勅書を携え、蝦夷地を訪れて直に通商を求めた。

・安永8年(1779) 松前藩は通商を拒否した。

・天明元年(1781) 仙台藩の藩医:工藤平助はロシア研究書:
 『赤蝦夷風説考』を著述
し、北方海防の重要性を解いた。
 老中:田沼意次も北方に関心を抱き、 ロシアの蝦夷地進出に対
 する備えや蝦夷地交易などを目的に蝦夷地調査・開発を企画した。

・天明2年(1782) 大黒屋光太夫が伊勢白子浦から江戸へ向かう
 航海の途上に嵐のため、回船が漂流した。
・天明3年(1783)アリューシャン列島(当時はロシア領アラスカ
の一部)のアムチトカ島に漂着した。
一行はロシア人によって保護された。

・天明5年(1785) 最上徳内は病気の師:本多利明に代わって蝦夷地
   調査団の東蝦夷地検分隊への随行を許された。
 最上徳内は山口鉄五郎隊に人夫として蝦夷地では青島俊蔵らととも
 に釧路から厚岸、根室まで探索した。
  地理やアイヌの生活や風俗などを調査した。
  千島、樺太あたりまで探検した。
  アイヌに案内されてクナシリへも渡った。
  最上徳内は蝦夷地で越冬した。

・天明6年(1786) 最上徳内は単身で再びクナシリ(国後)へ渡り、
  エトロフ(択捉)、ウルップへも渡った。
 択捉島では交易のため滞在していたロシア人とも接触した。
 エトロフ在住のロシア人からアイヌを仲介にロシア事情を学
 んだ。
 最上徳内は北方探索の功労者として賞賛された。しかし、松前藩から
 疎まれた。

 10代将軍:徳川家治が死去し、田沼意次は失脚した。
  松平定信が老中となり、蝦夷地開発は中止となった。
  最上徳内と青島は江戸へ帰還した。

・天明7年(1787) 最上徳内は再び蝦夷へ渡ったが、松前藩に蝦夷地を
 追放された。
 最上徳内は野辺地で知り合った船頭:新七に招かれて野辺地に住んだ。


・寛政3年(1791)大黒屋光太夫はロシア帝国の帝都サンクトペテル
ブルクで女帝エカチェリーナⅡ世に謁見して帰国を願い出た。

・寛政4年(1792) ロシアの特使アダム・ラクスマンが根室に入
  港して通商を求めた。
  大黒屋光太夫も9年半ぶりに帰国となった。 
  幕府は交易を断った。
 

・寛政10年(1798) 近藤重蔵は幕府に北方調査の意見書を提出
  して松前蝦夷地御用取扱の役職となった。
  近藤重蔵と配下:最上徳内は蝦夷地(北海道)へ赴き、と千島列島、
 択捉島を探検し、「大日本恵土呂府」の木柱を立てた。
 日本の領土であることを示した。
近藤重蔵は松前奉行設置にも貢献した。

・寛政11年(1799) 松前藩にかわって幕府が蝦夷地の直轄統治を開始
し、最上徳内や近藤重蔵にさらに蝦夷地探検を行わせた。
択捉島以南の島々に番所を設け役人を常駐させた。
また、津軽、南部、仙台、会津などの東北諸藩に蝦夷地の警備を担わせた。
 
・寛政11年(1799) 堀田仁助は幕府天文方として東蝦夷への直通航路
を開拓するため測量を命じられ、「蝦夷地の地図」を作成し完成させる。

・寛政11年(1799) 間宮林蔵は村上島之允の家来として蝦夷地に
 渡った。
 間宮林蔵19歳は、国後に来ていた伊能忠敬から測量技術を学んだ。

★①間宮林蔵は深川?浅草に住んでいた。
箕輪初心★松尾芭蕉⑦【新芭蕉庵】&『深川紀行』
http://53922401.at.webry.info/201207/article_21.html
 深川の円珠院…間宮林蔵の墓・富岡八幡宮…伊能忠敬の像

★②間宮林蔵の祖先は北条氏直の筆頭家老:間宮康俊と言われている。
箕輪初心■箕輪城シリーズ25「箕輪城&北条氏滅亡」
http://53922401.at.webry.info/201010/article_39.html
 
箕輪初心●静岡:山中城=堀障子の残る百名城
http://53922401.at.webry.info/201106/article_16.html
★間宮康俊は山中城3の丸で討ち死に。宗閑寺に墓がある。
 


・寛政12年(1800) 伊能忠敬堀田仁助の助けで蝦夷地へ測量を行った。

・享和3年(1803) 間宮林蔵は西蝦夷地(日本海岸およびオホーツク
  海岸)を測量し、ウルップ島までの地図を作製した。


・文化元年(1804) レザノフが日本人漂流者の仙台藩の津太夫らを
   伴って、長崎に来航した。

・文化2年(1806)
  1月26日、江戸幕府は「異国船打払令」を廃止
  し薪水給与令(文化の撫恤令)を発布した。

  9月 レザノフの部下ニコライ・フヴォストフが蝦夷地の日本の
   幕府の拠点である樺太の松前藩の番所を襲撃した
   (フヴォストフ事件)。

・文化4年(1807)
 4月 ロシア人のさらなる北方侵入が起こった。
   択捉島駐留の幕府軍を攻撃した(文化露寇)。
 
   間宮林蔵は択捉に勤務していて、事件に巻き込まれた。

 12月 江戸幕府は薪水給与令を撤回し、ロシア船打払令を
   発布した。
  幕府はロシアの侵入を「露寇」と捉え、近藤重蔵を再び松前奉行
  出役として5度目の蝦夷入りをさせた。
  利尻島や現在の札幌市周辺を探索した。


・文化5年(1808) 松田伝十郎と間宮林蔵がロシア帝国の動向につい
て調査する為に樺太へ渡った。

・文化6年(1809) 間宮海峡を沿海州へ渡って黒竜江下流を調査した
記録が『東韃地方紀行』にまとめられた。

・文化8年(1811)ロシアの軍艦ディアナ号艦長:ゴローニンらが
 千島列島を測量中、国後島で松前奉行配下の役人に捕縛された。
 ゴローニンは約2年3か月間、日本に抑留された。
 ディアナ号副艦長:リコルドは高田屋嘉兵衛が拿捕された。
 カムチャツカへ連行された高田屋嘉兵衛の尽力により、事件解決
 が図られた。   
 
 日ロ間の緊張は高まった。
 アメリカより早い「北の黒船」といえるロシアの南下であった。
 ロシア来航により、国防の点から蝦夷地の重要性が急速に増した。

・文政4年(1821)までにゴローニン事件が落ち着き、蝦夷地は再び
  松前藩に返還された。

・文政11年(1828) シーボルトから最上徳内と高橋景保とへ北方
の地図や日本の地図と引き換えにクルーゼンシュテルンの『世界
 周航記』が与えられた。シーボルトからの手紙を間宮林蔵が上司
 に提出したことにより発覚し、シーボルト事件が起こった。


・嘉永5年(1852)
 エフィム・プチャーチンは皇帝ニコライ1世から海軍中将&
 侍従武官長を命じられた。
 皇帝ニコライ1世により日本との条約締結のために遣日全権使節
 に任じられた。日本と平和的に交渉することを命令された。

・嘉永6年(1853) アメリカ合衆国のペリー提督の浦賀来航
(黒船来航)に続くように
 ロシア使節:プチャーチンが3隻からなる艦隊を率いて長崎に
  来航した。

  また、ニコライ・ブッセが樺太を占領したが、クリミア戦争
  の勃発を受けて撤退した。

※安政元年(1854)3月(4月18日)ペリーは下田に入港した。

9月 ロシア沿海州(極東ロシア)のインペラトール湾
(ハバロフスク)で、プチャーチンはディアナ号に乗り換えた。
 フリゲート艦「ディアナ号」は200t級であった。

 旗艦以外の3隻の船は、イギリス艦隊との戦闘に備えるため
 沿海州に残った。
 プチャーチンはディアナ号単艦で再び日本に向かった。

8月30日(10月21日) プチャーチンは函館に入港した。
  交渉を拒否されたため大阪へ向かった。

9月 プチャーチンは大坂の天保山沖に到着した。
  大阪奉行から下田へ回航するよう要請を受けた。

10月14日(12月3日) プチャーチンは下田に入港した。
ロシアの海軍中将:エフィム・プチャーチンは日本との
  国交樹立交渉のため、フリゲート艦「ディアナ号」
  (200t級)で下田港に停泊していた。

 江戸幕府は再び川路聖謨、筒井政憲らを下田へ派遣した。
 プチャーチンとの交渉を行わせた。

11月4日(12月23日) 安政東海地震が発生。
  推定マグニチュード8クラスの大地震であった。
  太平洋沿岸地域には津波による甚大な被害がでた。地震による
  死者は数千人にものぼったと推定されている。
★3・11東日本大地震クラスだったのであろう
  伊豆の津波の被害にあった。下田一帯も大きな被害を受けた。
  下田は壊滅的な打撃を受け、全戸数の90%以上を流失した。
  85人もの死者を出した。
  
 ディアナ号は半日もの間、湾内を旋回した後、大破した。
  ディアナ号は船底を破損してしまった。
  ディアナ号の乗組員にも死傷者が出た。
 プチャーチン一行は、津波の混乱の中、波にさらわれた日本人数名を
 救助し、船医が看護した。
 ★幕府関係者らにも好印象を与えた。

 伊豆代官:江川英龍は伊豆管轄各地の被害状況を把握して対応を指揮
 とった。
 プチャーチンが日露通好条約締結に向けて交渉をしている最中で
  あったが、交渉を中断せざるを得なかった。
  
 プチャーチンはディアナ号の修理を幕府に要請した。
 
 伊豆代官:江川英龍は勘定奉行:川路聖謨と協議し、座礁したディアナ
 号を西伊豆の戸田(現沼津市)に回航して修理させるころにした。
 
 交渉の結果・・・伊豆の戸田村(現沼津市)が修理地と決定した。
 ディアナ号は応急修理をすると戸田港へ向かった。

 11月27日(1855年1月15日)
  ところが、下田から戸田に向かったディアナ号は、
  予想外の悪天候で強い風波により浸水し、航行不能となった。
  戸田に入港することができず、田子の浦沖から駿河国富士郡宮島
  村(現富士市)沖まで流されて座礁してしまった。
  ロシア人乗組員約400人は救助された。
   乗組員は周囲の村人の救助で無事であった。
  プチャーチンと乗組員は、地元の人々により、宮島村(静岡県富士市)
  に上陸した。
  ロシア人一行は地元の人々に対し大いに感謝した(伝)。

  ディアナ号は漁船数十艘により曳航されたが、沈没してしまった。
   
 プチャーチン一行は戸田に滞在した。
  宝泉寺がチャーチン等の宿だった。

  11月13日 (1855年1月1日)
  中断されていた外交交渉が再開された。
 

・安政元年(1855)12月21日(1855年2月7日)
 プチャーチンは遂に日露和親条約の締結に成功させた。
箕輪初心:生方▲西伊豆⑯【戸田&プチャーチン】
http://53922401.at.webry.info/201609/article_16.html


19C半ばに入ると、ロシアは農奴解放を求める国内の改革への圧力
 と、クリミア戦争などのヨーロッパ方面での南下の試みの挫折を
 受けて、再び極東への進出を重視してきた。
 さらにプチャーチンは間をおいて再び長崎に来航した。

・安政4年(1858) 日露修好通商条約を結んだ。
下田・箱館・長崎の3港が開かれ、日露の国境は千島列島の択捉
島と得撫島の間にひかれて、樺太は両国これまで通り(雑居地)
として日露の正式な国交が開始した。
 
 これが「北方領土の帰属問題」の起点ともなった。


箕輪初心:生方▲北海道№5-5【世界遺産:知床③:知床5湖&知床峠】
http://53922401.at.webry.info/201506/article_11.html
★知床峠から見える北方領土

箕輪初心:生方▲北海道№5-7「納沙布岬:日本最東端」
http://53922401.at.webry.info/201506/article_14.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201506/article_14.html
   ★お土産はロシア領域でとれた昆布である。



【2】松浦武四郎の生涯
◆松浦一族
・戦国時代
 松浦家は肥前国平戸の松浦氏の一族で中世に伊勢国へ移住してきたと
 いわれている。

箕輪初心●長崎【梶谷城】=松浦党の城
http://53922401.at.webry.info/201112/article_12.html

箕輪初心●長崎【平戸城】=昭和37年に完成した復興天守閣
http://53922401.at.webry.info/201112/article_10.html

箕輪初心■長崎:平戸=異国情緒が残る街&グルメ
http://53922401.at.webry.info/201112/article_11.html
★松浦静山・オランダ商館など


◆松浦武四郎
・文化15年(1818) 伊勢国一志郡須川村(現在の三重県松阪市小野江町)
 にて郷士:松浦桂介ととく子の4男として生まれる。
 父:松浦桂祐の次男として生まれたとしている(別系図)。

  父親は庄屋を営んでおり、比較的恵まれた家庭に育った。

箕輪初心●松阪城=蒲生氏郷の城
http://53922401.at.webry.info/201101/article_30.html

・文政13年・天保元年(1831) 13歳から3年間、平松楽斎
 (漢学者・伊勢津藩士)のもとで学び、猪飼敬所、梁川星巌らと
  知己となった。
  山本亡羊に本草学を学んだ。

・天保5年(1834) 16歳で突然一通の手紙を残して
  旅に出たが、家出同然だったため、すぐに家人に連れ戻された。、
生家は、江戸時代に伊勢神宮を訪れる旅人たちが行き交った
  伊勢参宮街道沿いにある。地理的環境・学問的環境下でで育った
  ★松浦武四郎は、幼いころから旅へ強い憧れを抱くようになった
  のかもしれない。

・天保6年(1835)17歳で日本国内の諸国をめぐった。

・天保7年(1836) 四国八十八ヶ所霊場をまわった。
~弘化元年(1844)『四国遍路道中雑誌』
  19歳の時から紀行文をまとめ、3巻からなる草稿を始めた


・天保9年(1838)長崎の平戸で僧となり「文桂」と名乗った。
21~26歳までは長崎で僧侶になっていた。
 ★おそらく先祖の地に興味を持ったのであろう。
  松浦静山も平戸城主であった。「静山夜話」は有名だった。

 故郷を離れている間に親兄弟が亡くなり天涯孤独になった
  
松浦武四郎は長崎でロシアが勢力を広げるために蝦夷地を狙って
 いることを知り、日本の危機を感じた。
 松浦武四郎は、蝦夷地を調べ、様子を多くの人に伝えようと決意
 した。

・弘化元年(1844) 28歳の松浦武四郎は還俗して蝦夷地探検に出発
 する。

・弘化3年(1846) 樺太詰となった松前藩医・西川春庵の下僕として
同行した。探査は北海道だけでは無く択捉島や樺太にまで及んだ。

  蝦夷では詩人の頼三樹三郎と旅することもあった。

・嘉永3年(1850) 「蝦夷大概之図」
   (★「松浦武四郎記念館所蔵」)

・嘉永4年(1851) 「蝦夷変革図」
 ★3回目までは一探検家として蝦夷地を探査し、多くの報告書や地図
   をまとめた。

 水戸の徳川斉昭(なりあき)や藤田東湖、長州の吉田松陰ら勤皇派
 とも交わりをもち、日本の北辺の安全保障を訴えた。

・安政2年(1855) 江戸幕府から蝦夷御用御雇に抜擢された。
再び蝦夷地を踏査し、「東西蝦夷山川地理取調図」を出版した。

・幕末には、大久保一蔵(利通)、西郷吉之助(隆盛)、桂小五郎
 (木戸孝允)らは蝦夷地情報を知るために、松浦の家を訪れていた。

・明治元年(1968) 明治新政府が成立した。
  大久保利通は松浦武四郎を高く評価していた。
 大久保は政府に登用させ、「蝦夷地開拓御用掛(ごようがかり)」に
 任じた。
※4回目以降は幕府の命を受け、探査の任務にあたった。

・明治2年(1869) 開拓判官となり、蝦夷地に「北海道」の名
(当初は「北加伊道」)を命名した。
 更にアイヌ語の地名を参考にして国名・郡名を選定した。
松浦武四郎は蝦夷地で暮らすアイヌの人々の協力を得て、寝食を
 ともにする中でアイヌ文化に触れ、文化や生活を紹介すること
 にも力を注いだ。
 松浦武四郎は、江戸時代にアイヌの人々を苦しめていた
「場所請負制度」(特権的な商人が松前藩や幕府から蝦夷地各場所の
 経営を請け負った制度)の廃止を強く訴えていたが、実現しなか
 った。

・明治3年(1870) 北海道の開拓の方針を巡って対立し、開拓使を
  批判した松浦武四郎は従五位の官位を返上し退官した。
北海道へは6度赴き、150冊の調査記録書を遺した。
北海道人と号して、「千島一覧」という錦絵を描いた。
「千島一覧」 大判 錦絵3枚続 」
  (★「松浦武四郎記念館所蔵」)


余生を著述に過ごしたが、死の前年まで全国歴遊はやめなかったと
言われている。


・明治18年(1885) 68歳より富岡鉄斎からの影響で奈良県大台ケ原に
登り始め、自費で登山道の整備、小屋の建設などを行った。
大台ヶ原に3年連続で登って調査を行った。

箕輪初心▲奈良№6-②「大台ヶ原(百名山№70)」
http://53922401.at.webry.info/201012/article_27.html

箕輪初心:生方▲奈良:大台が原2回目&温泉&グルメ一覧
http://53922401.at.webry.info/201505/article_28.html

●明治19年(1986)松浦武四郎は草津にやって来た。


・明治20年(1887) 70歳で富士山へ登頂した。
旅への情熱は衰えることはなかった。

箕輪初心:生方▲山梨の旅行33回(観光・登山・歴史散策)
http://53922401.at.webry.info/201504/article_21.html
 ★富士山に4回登頂した

・明治21年(1888) 東京神田五軒町の自宅で脳溢血により
  死亡した。71歳で亡くなった。
 遺骨は染井霊園の1種ロ10号2側に埋葬されている。
  
 ★染井公園には草津に来た松浦武四郎の墓のほか、高村光太郎の
   墓もある。
  平成30年(2018)3月にお参りしてきた。

・明治22年(1889) 松浦武四郎が最も好きだったという西大台
  ・ナゴヤ谷にに建てられた「松浦武四郎碑」に分骨された。

・平成6年(1994) 「松浦武四郎記念館」が開館した。
 三重県松阪市小野江町で武四郎の遺した資料を保管されている。
 ★「松阪城」に行ったが、寄っている暇はなかった。 
 また、公益財団法人静嘉堂文庫には、武四郎が収集した古物資料
 約900点が保存されている。

『草津に歩みし100人』のブログ一覧**************

◆1)草津温泉・・・・20回以上?
◆◆ 箕輪初心▲草津白根山&蟷螂の湯 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201107/article_4.html
 ★蟷螂の湯は無料

箕輪初心◆2014スキー№9【草津】& 『草津温泉:望雲』
http://53922401.at.webry.info/201402/article_13.html
 ★望雲10回以上

箕輪初心▲群馬:日本百名山:草津白根山&草津温泉
http://53922401.at.webry.info/201107/article_4.html

箕輪初心▲群馬百名山②№26~50草津白根山・皇海山など
http://53922401.at.webry.info/201206/article_29.html

箕輪初心■群馬草津の松尾芭蕉句碑:ゴリラ50ccでGo
http://53922401.at.webry.info/201209/article_4.html

箕輪初心■プラドでGo【群馬の4湯巡り】 
http://53922401.at.webry.info/201206/article_26.html
★大滝の湯

箕輪初心:生方▲群馬:吾妻2-2『八ッ場ダム→浅間酒造
→草津温泉風呂巡り』
http://53922401.at.webry.info/201709/article_7.html
 ★2017年9月6日無料の公共の湯:3ヶ所めぐり

箕輪初心:生方▲2018スキー№7『草津コース動画&昼食:月乃井
&温泉:山本館』
http://53922401.at.webry.info/201803/article_7.html

箕輪初心:生方▲2018スキー№17【渋峠・横手山】&草津「ランチ:飛龍」
・「温泉:益成屋」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_28.html

箕輪初心:生方▲2018草津今年2回目①「湯畑付近の散策」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_29.html

箕輪初心:生方▲草津:今年2回目②「西の河原通り」2回の風景」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_30.html

箕輪初心:生方▲2018草津今年2回目③「西の河原公園散策」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_31.html

箕輪初心:生方▲2018草津今年2回目④「草津に来たりし100人情報:前半」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_32.html

箕輪初心:生方▲草津今年2回目⑤「草津に来たりし100人情報:後半」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_34.html





【6】私の入った草津温泉で入った湯
①公共の無料の湯…共同湯は19箇所全て無料
 6ヶ所20回以上であろうが、30年以上前からなので、不明
●千代乃湯1回 日新館隣
●鷲乃湯1回
●煮川乃湯3回 ホテル高松の駐車場前・五郎次宿泊
 長寿乃湯
 地蔵の湯
関乃湯   西の河原通り
凪乃湯 西の河原通り 無料まんじゅう配布奧
●翁乃湯10回以上 望雲の上側  Y先輩宅から30秒以内
●喜美乃湯5回位 セブンイレブン裏 Y先輩母が殆ど毎日
千歳の湯 スーパー大津の向かい Y先輩母時々
瑠璃乃湯 バスターミナル
白嶺の湯 すずらん通り M先輩近く
 巽の湯 セーブオン近く M先輩近く
睦乃湯 つつじ亭の交差点
恵乃湯 つつじ亭の交差点先
長栄乃湯
●蟷螂の湯1回 草津小・道の駅近く。
 碧乃湯
②公共の有料
 ・大滝の湯…2回
 ・西の河原の湯…1回
③「櫻井」…皮膚病の治しのため…5回以上
④望雲:万代の湯+露天風呂…5回以上いや10回以上かな。
  ★強酸性泉&弱酸性泉の両方ある。Y先輩宅近く
⑤大東館…1回
⑥遠州屋…1回
⑦中沢ビレッジ…2回
⑧宿泊は先輩宅・富士見館と言ったかな(翁乃湯近く)など5回程か?
⑨山本館…1回
⑩益成屋…1回

●草津温泉に来た有名人シリーズ*****************
★説明がちがっているかもしれません。
 巴御前と静御前を勘違いしています。










箕輪初心:生方▲『草津温泉に歩みし百人』①「日本武尊:開湯伝説」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_23.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』②「行基:開湯伝説」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_24.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』③「源頼朝:開湯伝説」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_25.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』④木曾義仲・⑤巴御前
http://53922401.at.webry.info/201709/article_26.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』⑥蓮如と番外編「孫:顕如」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_27.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』「番外編:堯恵」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_28.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』⑦「長野業尚:榛名鷹留城主」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_30.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人⑧長尾為景:上杉謙信の父
http://53922401.at.webry.info/201710/article_1.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人⑨大光宗猷禅師=曇英恵応:林泉寺創建
http://53922401.at.webry.info/201710/article_2.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』番外編:万里集九『梅花無尽蔵』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_3.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』№10『横瀬成繁』太田金山城主
http://53922401.at.webry.info/201710/article_8.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人:連歌師『⑪宗祇』&番外編『宗長』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_9.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人『草津管理人:湯本善太夫』
と『真田ブログ一覧』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_10.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人ー№12『甘楽国峰城主:小幡信貞』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_11.html

箕輪初心:生方:▲草津に歩みし100人:『戦国時代の草津温泉ブーム創作編』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_12.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人【織田信長家臣→豊臣秀吉家臣⑬丹羽長秀】
http://53922401.at.webry.info/201710/article_13.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人【織田信長家臣→豊臣秀吉家臣⑭堀秀政】
http://53922401.at.webry.info/201710/article_14.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人【織田信長家臣→豊臣秀吉家臣⑮多賀常則】
http://53922401.at.webry.info/201710/article_15.html

箕輪初心:生方▲草津100人『№16(近衛晴嗣→前嗣→前久→)近衛龍山
http://53922401.at.webry.info/201803/article_9.html

箕輪初心:生方▲草津100人『№17朝日姫・№18豊臣秀次・
幻の豊臣秀吉&井伊直政』
http://53922401.at.webry.info/201803/article_10.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人№19『依田(松平)康国』
:豊臣秀次の饗応役
http://53922401.at.webry.info/201803/article_11.html

箕輪初心:生方▲草津温泉100人№20『真田幸繁親戚:大谷吉継
とハンセン氏病療養』
http://53922401.at.webry.info/201803/article_12.html

箕輪初心:生方▲草津100人『№21:前田利家』死の予感?
http://53922401.at.webry.info/201803/article_13.html

箕輪初心:生方▲草津100人『№22真田支配116年』&真田ブログ一覧
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箕輪初心:生方▲草津100人№23『徳川将軍への「御汲湯」の歴史』
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箕輪初心:生方▲『草津100人№24林羅山』三名泉
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箕輪初心:生方▲草津100ー25『小林一茶』と「草津:望雲」と「上州」
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箕輪初心:生方▲草津100-№26『十返舎一九と草津温泉:望雲』
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箕輪初心:生方▲草津100--№27『清水浜臣』:高崎に移住した国学者
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箕輪初心:生方▲草津100人-28『良寛』:
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箕輪初心:生方▲草津100ー29『高野長英と上州の弟子たち』
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箕輪初心:生方▲草津100ー30【田川鳳朗・一夏庵坂上竹烟&松尾芭蕉句碑】
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箕輪初心:生方▲草津100人ー31『安積艮斎(ごんさい)』
&小栗上野介のブログ一覧
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箕輪初心:生方▲草津100人ー32『佐久間象山』:目的は火薬づくり?
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箕輪初心:生方▲草津100人ー33『藤田東湖』:『西郷どんに登場しなかった。』
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箕輪初心:生方▲草津100人ー34『堀秀成』:草津繁昌記著者
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箕輪初心:生方▲草津温泉の日帰り温泉の割引き券の話
http://53922401.at.webry.info/201804/article_15.html

箕輪初心:生方▲草津100人ー35『清河八郎』:将軍を守る浪士隊⇒尊皇攘夷論者
http://53922401.at.webry.info/201804/article_17.html

箕輪初心:生方▲草津100-36『平沢旭山』:漢学者・国学者
http://53922401.at.webry.info/201804/article_18.html

箕輪初心:生方▲草津100ー40番外編『鈴木牧之』:「北越雪譜」著者
http://53922401.at.webry.info/201804/article_19.html


●明治時代****************************
箕輪初心:生方▲草津100ー41『尾崎行雄:咢堂(がくどう)』:憲政の神様
M5、S15

箕輪初心:生方▲草津100ー42番外編『デシャルム大尉』フランス軍人:M6
http://53922401.at.webry.info/201804/article_21.html

箕輪初心:生方▲草津100ー番外編『43マーシャル教授』
『44ディヴァバーズ教授』 M8
http://53922401.at.webry.info/201804/article_23.html

箕輪初心:生方▲草津100ー44番外編『テオドール・ホフマン』
:ドイツ人医師M8?
http://53922401.at.webry.info/201804/article_24.html

箕輪初心:生方▲草津100ー46:アーネストサトウ:イギリスM10,M15
http://53922401.at.webry.info/201804/article_26.html

箕輪初心:生方▲草津100ー47「大槻文彦」M12&『言海』の編集の困難さ
http://53922401.at.webry.info/201804/article_37.html

箕輪初心:生方▲草津100ー番外編45ウォルトン教授:米人医師M12
と「草津温泉図書館」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_25.html

箕輪初心:生方▲草津100ー46「小野湖山」M10:尊皇攘夷論者
http://53922401.at.webry.info/201804/article_36.html

箕輪初心:生方▲草津100ー『37ベルツ博士と38ベルツ花』M12~度々
と群馬の温泉
http://53922401.at.webry.info/201804/article_16.html

箕輪初心:生方▲草津100ー37「ベルツ博士」復刻版「5ヶ所のベルツ」M12
http://53922401.at.webry.info/201804/article_27.html

箕輪初心:生方▲草津100ー41『スクリバ』:ベルツと共同研究:M24
http://53922401.at.webry.info/201804/article_20.html

箕輪初心:生方▲草津100-48ノルデンショルド:北極圏⇒横浜⇒草津M12
http://53922401.at.webry.info/201805/article_1.html

箕輪初心:生方▲草津100-49『E・ナウマン』地質学者M15
&「フォッサマグナ」
http://53922401.at.webry.info/201805/article_2.html







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