箕輪初心:生方▲2018今年3回目の草津『草津の歴史』

 


・鎌倉時代
  湯本家先祖が草津に来た(伝)。

・戦国時代
  第2次岩櫃城攻撃・・・横谷氏の居城より出陣。
  斎藤憲広(憲弘)500+沼田勢500+白井長尾氏200
                VS
 真田軍は岩櫃城には500?雁ヶ沢の800大戸へ1000以上
 湯本善太夫は岩櫃城攻めに200余りの小隊を率いて先陣を務めた。
 
・永禄7年 (1564)
●正月  湯本善太夫は武田信玄に硫黄5箱を献上した。 
 
真田幸綱(真田昌幸父・真田幸村の祖父)は湯本氏を配下とし
  長野原城主とした。
  さらに草津温泉を管理させた。
・永禄10年(1567)
2月~折田将監・蜂巣賀・村上・鎌原重澄・湯本善太夫などが
   本領安堵&新領地獲得した。

・天正3年(1575) 5月 長篠の戦い
  湯本善太夫幸運が討ち死にした。

 湯本善太夫幸運→養子:湯本三郎右衛門幸運が跡を継いだ。
湯本三郎右衛門幸運は矢沢但馬守頼康の娘:松を正室にした。
 (★中之条町誌等)
画像


・江戸時代初期
  沼田藩5代の時代には湯本三郎右衛門幸運が草津を管理した。
湯本氏は沼田藩の家老として重用されていたが、後に、
  湯本本家は改易処分となる。
  しかし、いつか不明であるが、町人になった。
  松代に行かなかった。
天領時代は江戸幕府の直轄支配を受けていた。

 湯治客で賑わいは年間1万人を超える数を記録している。
 江戸時代を通じて60軒の湯宿があった。


・寛文2年(1662) 儒学者・林羅山の死後5年後、漢詩文集
  『羅山林先生文集』(現代通称:羅山文集)が刊行された。
  日本の最たる名泉について
 「諸州多有温泉 其最著者 摂津之有馬 下野之草津 飛騨之湯島
  是三処也」
 (口語訳例:諸州は温泉を多く有す。その最も著しいものは、
 摂津の有馬、下野(※上野国の誤り)の草津、飛騨の湯島
 (※下呂温泉)、この三箇所である)」と書かれている。
 こ現在「林羅山の日本三名泉」と呼ばれる。
  しかし、1502年 万里集九の三名泉との比較で、誤記と
  思われる箇所まで一致していることから、林羅山の三名泉は
  万里集九の三名泉を追認・焼き直ししたものと考えられる。
★但し、万里集九は草津温泉には来なかった。


・元禄年間(1688~1704) 外湯(共同湯)5カ所であった。

・正徳3年(1713) 湯樋事件
村で共有されるべき湯水を湯本氏3家が自営の湯屋に引湯し
 て内湯を設けたことに、全村民が怒り、3家の専横を公儀に訴
 えた。
 結果、3家は内湯へ引湯するための湯樋(湯を流す樋)の撤去
 こそ免れたものの、湯屋の客用には外湯のみを当てるよう、制限
 を受けることとなった。
 しかし、事件をきっかけとして湯屋に内湯を設ける傾向が急速に
 強くなった。

・享保2年(1717) 第8代将軍・徳川吉宗が汲み上げさせた草津の
   湯を江戸城まで運ばせて入浴した。

・寛政2年(1790) この頃から、湯畑にて湯の花の採集が始まった。

・文化13年(1816) 湯畑に「湯滝の灯籠」が設置される
草津温泉に寄贈された常夜灯は湯畑に設置され、現存している。

・文化14(1817) 現存最古の温泉番付である墨屋小兵衛板
『諸国温泉功能鑑』が刊行された。
  「上州草津の湯」名義の草津温泉の格付は東大関となった。
  (★この時代、横綱はいない。)

・文政8年(1825) 殺生河原で硫黄の採掘が始まった。

江戸の中期頃から内湯を設ける湯屋も多くなってきていた。
 しかし、湯治の主役は外湯(共同湯)であった。
 浴客の増加とともに、外湯を増やす必要があった。

・安政2年(1855) 外湯(共同湯)は15箇所を数える
御座の湯、熱の湯、脚気の湯、綿の湯、松の湯、千代の湯、地蔵の湯、
鷲の湯、とみの湯、熱川の湯(煮川の湯)、白寿の湯、玉の湯、
瑠璃の湯、凪の湯。

・慶応2年(1866) 外湯(共同湯)は20箇所を数える。
 15箇所に、笠の湯、ふちの湯、金比羅の湯、君子の湯、百里の湯が
 新たに加わっている。

 湯屋(温泉宿)は部屋(多くは雑居)を貸すだけで、世話は何も
 しない。
(★「金の草鞋」など十返舎一九著)
 江戸っ子は身軽な格好で湯治に出かけてきた。
 江戸っ子は「宵越しの金を持てなかった者も多く、家財道具を質
 に入れた。旅行費用・空き巣から守るためであった。
  (★「こんなに面白い江戸の旅」大和田守など著)
 
 温泉場に着いて湯屋に入ると、番頭が「通い帳=宿帳」を持ってやって
 くる。客はこれに滞在中に必要なもの、布団や着物、鍋釜・食器、燃料
 の薪炭、米・味噌、火鉢やたんすなどまで細かく書いて渡した。
 レンタル料が分かる。
 交渉が成立すると、客が外湯に行っている間に出入りの業者が全て
 整えて湯屋に搬入してくる。
湯治客はどこの外湯に何回入っても、湯銭(入浴料)は無料だった。
 富裕な商人や上級武士は、特別に料金を払って大滝の湯の一部を貸し
 切ることもあった。(「幕湯」・「囲い湯」)。
 武士の大身は料理人を連れてくる者もいった。
 ちょっと お金持ちは湯屋専属の料理人や身の回りの世話をする女中
 を雇うこともできた。
 金持ちでなくても、湯屋内には野菜や魚、惣菜や菓子の担い売りが
 部屋ごとにやってきた。
(★江戸時代に書かれた『旅行用心集』)
(★「草津繁昌記」堀秀政著)

  湯治客は在所や宗旨(檀那寺)を書いたり、話したりし、
 「死亡の場合には草津で埋葬してくださってかまいません。」
  という誓約書を書かされた。


 ★ダイビングの三種の神器のようなものである。
 湯治場に来る客はライ病患者・梅毒患者や衰弱した病人も多か
 った。また、熱湯に入る合理的な入浴法が確立していなかった
 ので草津の強い熱い湯にあたって死亡する浴客も多かった。
 文学者・外国人などが死亡した人も
明治26年、田山花袋も源泉に落ちて死んだ女性を目撃した。
 
江戸後期 大きな湯屋(木造3階)がたくさん建ち並び、大勢の
 湯治客が草津に訪れた。
 
幕末には「草津千軒江戸構え」といわれるほど栄えていた。
 草津の温泉の効能にあった。

戦国時代~江戸時代でも、ちょっとした刀傷・外傷からの感染症が多く、
 出来物(腫瘍)が悪化して死に至ることがあった。
 抗生物質が発見されていない時代には、草津の強力な酸性泉の殺菌力
 が唯一の効果的治療法とみなされていた。
 武田信玄家臣:真田幸綱(幸隆)が湯元善太夫に草津温泉させたように、
 武田勝頼が長篠の戦い後、真田昌幸に命じて、千明・木暮などに、伊香保
 温泉に階段街を造らせたように、・・・
 草津には戦国時代から全国の湯治客が押し掛けていた。
 戦国大名:丹羽長秀・多賀常則・堀秀政・・・朝日姫・豊臣秀次・
 大谷吉継(ハンセン氏病)・前田利家なども来ている。
 
 江戸期に各街道につくられた道標には、かなり遠くからでも草津への
 道程を記した表示がある。
 例えば、高崎の豊岡には、
 「左 安中? 右 草津・榛名」だっけかな?


・江戸時代を通じて湯本三家と山本十右衛門(明治初年の改名)が
 草津村を支配していた。
 山本十右衛門(山本十一部と明治初年の改名:山本館))
 湯本安兵衛(日新館)
 湯本平兵衛(大東館の場所?)
湯本相三郎(呂新館?)
(★『草津温泉誌』)




 江戸時代~明治の草津温泉では、冬季の生活が困難だったので、
 毎年10月8日に住民全員が山を降りて近くの村々に移住し、
 翌春4月8日に再び戻って営業を始めるという「冬住み」が行
 われていた。
 冬の間、湯屋の主人は各地を廻って草津の湯の効能を宣伝して
 歩いていた。
 名湯草津が全国に知れ渡る一因になっていた。


・明治2年(1869)4月 7日、明日から冬住みが空けて営業開始と
 いう日の未明出火し、一夜にして全村を焼失した。
 岩鼻権知事は民部省に宛てて、緊急援助を申し入れた。
 当時は、村高50 石、家数167 軒、人数714 人であった。
 有力者は山本十一部(山本館)を筆頭に湯本安兵衛(日新館)
 ・湯本平兵衛(大東館の場所)・中沢善平衛(現一井の場所)
 ・湯本角右衛門(現奈良屋の場所)・宮崎文右衛門
 ・坂上治右衛門(白山神社通り両脇)・坂上七兵衛などであった。
 江戸時代を通じて山本十右衛門(明治初年の改名)と湯本三家が
 草津村を支配していた。
 大災を契機に借金により経営者交代をせざるをえなくなった。
 代って市川善三郎(一井) ・黒岩忠四郎(望雲館)・中沢市郎次(大阪屋)
 ・山本与平次(大東館)などが新興勢力として勃興した。
草津における旅館業界の世代交代が一気に進むことになった。
 
 草津温泉では湯治場でのハンセン病患者と一般客の混在
 (混浴・混宿)を廃した。
ライ病(ハンセン氏病)患者は湯の沢に移動となった。

・明治10年(1877)頃から冬季でも温泉街に住む人が増えた。
   この頃、時間湯の入浴法が完成し、湯揉みが始まった。

・明治11年(1878)ドイツから帝国大学医科大学に招かれた
エルヴィン・フォン・ベルツが、初めて来草・入湯した。
 その後。度々訪れた。
 ベルツ博士は、草津温泉の温泉治療効果の高さを医学論文
  として発表し、草津高原の景観の素晴らしさや草津温泉の
  観光地としての魅力も合わせて、世界に知らしめた。

明治20年(1887) 湯之沢集落(湯之沢部落)の開村
草津温泉街からハンセン病患者を排除する気運が高まりを見
せる中、ハンセン病患者は草津温泉改良会がそれと定めた
草津温泉街の東はずれにある谷地に自治集落「湯之沢」を
開村し、世間から隔離させた「もう一つの草津温泉」が生
まれることとなった。
湯之沢というのは、「投げ捨て谷」とか「骨ヶ原」などと
呼ばれて草津で最も忌み嫌われる地域であった。
(★現大滝の湯付近一帯)

・明治23年(1890) ベルツ博士が、草津に約6000坪の土地と温泉
を購入し、世界最高水準の理想的な温泉保養地づくりを目指す。
しかしこの計画は、地元住民の反対もあって挫折している。

※草津にも、近代化の波が徐々に訪れてきた。

・明治26年(1883) 信越線が開通した。

※明治の中頃、草津温泉の旅館は1等、2等、3等、4等、5等と
 ランク付けされていたようである。
1等旅館は6軒のようである。
 日新館(湯本宗家)
大東館(湯本平兵衛?)
 山本館(山本十一郎)
 一井旅館(市川善三郎:現一井ホテル)
 望雲館(黒岩忠四郎:現ホテル望雲)
 長善館(現大阪屋)
(★現在、一井、日新館、大東館、山本館は今も同じ名で残っている。)
2等旅館は福栄館、昇英館、松盛館
  (現在は1つも残っていない。)
3等以下は松村屋、山幸、一田屋、大津屋、遠州屋(現在平野屋)
  月の井館(洋食屋)、新納屋(土産屋)、民屋、松の屋、七ツ星、
  林屋、穀屋、旭屋、、万屋、改良館、郭公館、対瀧舎、山木屋、
  綿屋とある。

・明治30年(1897 )頃 冬住みは一部の旅館を残すだけとなった。
神山復生病院第3代院長ベルトランが、湯之沢集落を視察した。
  その後、病院を作ろうとしたが住民の妨害に遭って頓挫する。

・明治36年(1903 )12 月 仲町・泉水が大火に克舞われた。
  草津の旅館主:山本十一郎は壊滅した。
土地を多く手放しざるを得なかったようである。

・明治37年(1904)
草津温泉は、宿屋40軒、料理屋8軒、食堂4軒、酒屋5軒、肉屋2軒、
八百屋4軒、菓子屋3軒、雑貨屋7軒、湯の花の販売店2軒、貸本屋1軒、
写真屋1軒、理髪屋4軒、医院3軒、運送業2軒、その他の商店が32軒
あった。
(★『草津温泉誌』)

・明治40年(1907) 3月18日 -国が癩予防法を制定し、明治を迎えて
以降すでにあったハンセン病患者という存在を「先進国にありま
じき国辱」と考える世論を強力に補完する。

・明治40年(1907) 高崎~渋川に電車が走るようになった。
  草津までの道程はぐっと短縮されるようになった。

・明治41年(1908 ) 5月 仲町・立町32 戸が焼失した.

・明治43年(1910) 電話が架設された。
・明治44年(1911) 自動車も入った。
 草津へは①中之条、または、②軽井沢からいずれも40kmを人力車か
 馬で 1日かかりでやって来ていた

・大正2年(1913 ) 11 月
  望雲の黒岩忠四郎は新軽井沢~小瀬温泉問9.9km を着工した.。
 
・大正8年(1919 )には電気が入った.。
(草津温泉誌第2巻)

・大正末期 後に高崎・渋川などからバスも乗り入れるようになった。

・昭和元年(1926) 草津軽便鉄道株式会社が全民の念願であった
草軽電鉄55.5km を開通させた。
  来客が増えていった。
  軽井沢ルートの方が客が多くなった。
  客引合戦もすさまじくなった。
 ※昭和元年(1926)~昭和37年(1962) に廃止されるまで、多くの
客を運んだ。

・昭和10年代後半
第2次大戦期になると、草津の浴客はぐんと減少した。

・第2次大戦末期 全旅館が東京近辺の3000 人の学童疎開や数百名
  の傷病兵の受け入れを行ない、町内の旅館は宿泊所となっていた。
  一井旅館、大東館、七星館など多くの旅館が海軍病院の病室と
  して使われた。

  草津周辺にも軍需産業のために群馬鉄山や白根硫黄鉱山などが
  開発され、旅館の経営者も資金を提供するなどして協力した。
  朝鮮人の方が鉄山で強制労働させられていた。

・昭和20年(1945)終戦。

・昭和21年(1946) 長野原線(現吾妻線)が長野原駅(現長野原
草津口駅)まで開業した.
長野原まで鉄道が延伸されたのは、釜石に次ぐ産出量の群馬鉄山
 の鉱石を運搬するためであった。

 しかし、第2次大戦後は草津は苦しい時期もあった。
戦後の草津は、資材不足などのため源泉や旅館施設の荒廃が著しく、
 客数が非常に減少した。

・昭和23年(1948) 天狗山に日本初のスキーリフトが誕生した

・昭和35年(1960) 白根山ロープウェイができてスキー客が増加
した。
  長期湯治の温泉場から観光型の温泉に変貌していった。


・昭和45年(1970)、硫黄鉱山より大量の温泉が湧出した。
  温泉湧出により硫黄鉱山は使えなくなり閉鎖された。
鉱山は放棄され。温泉は垂れ流しのまま放置されていた。
草津の源泉は、湯畑、白旗、西の河原の主力のほか、町内
  の小規模源泉を含めて最大平均13,300L/minであった。

・昭和50年(1975)湧出量4700L/毎分の万代鉱源泉の利用が
  始まった。
  万代鉱源泉の利用量4,700L/minが新たに加わって、温泉
  の規模は一気に拡大した。

 草津町は集中管理給湯システムを整えた。
 旅館が各個に設けていた引湯樋を統合し、温泉の合理的な配分を
 するようにした。
 給湯量に余裕ができ、温泉街から離れた温泉施設の無かった高台
 にも給湯が可能大型のホテルが続々と建設されていった。

 湯畑も改造した。

・昭和55年(1980)草津国際音楽アカデミー&フェスティバルが
  始まった。
 毎年夏に開催される音楽祭である。
 湯畑のコンサートもある。
  夏場の観光客がさらに増えた。
  天皇様もやって来ている。
  ★私の先輩は毎年、天皇様奥様の演奏を聴いている。

・昭和58年(1983) 大滝乃湯を造った。

・昭和62年(1987)v西の河原露天風呂が完成した。
    日帰り観光客への対応も進めていった。

・平成7年(1995) 湯畑を改造した。
  しかし、30年間に、30カ所以上もあった町内の小規模源泉
  は利用されなくなって閉止され、現在も湧出しているものは
  17カ所あまりに減ってしまった。

・現在、草津には6つの源泉がある。
  素人には泉質に大きな違いはないので、よく分からない
  が、地元民は「荒い」とか、「柔らかい」などと表現し
  ている。私も少し、感じられるようになった。
 
****************
『草津に歩みし100人』のブログ一覧**************



【1】草津温泉・・・・20回以上入湯?
◆◆ 箕輪初心▲草津白根山&蟷螂の湯 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201107/article_4.html
 ★蟷螂の湯は無料

箕輪初心◆2014スキー№9【草津】& 『草津温泉:望雲』
http://53922401.at.webry.info/201402/article_13.html
 ★望雲10回以上

箕輪初心▲群馬:日本百名山:草津白根山&草津温泉
http://53922401.at.webry.info/201107/article_4.html

箕輪初心▲群馬百名山②№26~50草津白根山・皇海山など
http://53922401.at.webry.info/201206/article_29.html

箕輪初心■群馬草津の松尾芭蕉句碑:ゴリラ50ccでGo
http://53922401.at.webry.info/201209/article_4.html

箕輪初心■プラドでGo【群馬の4湯巡り】 
http://53922401.at.webry.info/201206/article_26.html
★大滝の湯

箕輪初心:生方▲群馬:吾妻2-2『八ッ場ダム→浅間酒造
→草津温泉風呂巡り』
http://53922401.at.webry.info/201709/article_7.html
 ★2017年9月6日無料の公共の湯:3ヶ所めぐり

箕輪初心:生方▲2018スキー№7『草津コース動画&昼食:月乃井
&温泉:山本館』
http://53922401.at.webry.info/201803/article_7.html

箕輪初心:生方▲2018スキー№17【渋峠・横手山】&草津「ランチ:飛龍」
・「温泉:益成屋」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_28.html

箕輪初心:生方▲2018草津今年2回目①「湯畑付近の散策」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_29.html

箕輪初心:生方▲草津:今年2回目②「西の河原通り」2回の風景」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_30.html

箕輪初心:生方▲2018草津今年2回目③「西の河原公園散策」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_31.html

箕輪初心:生方▲2018草津今年2回目④「草津に来たりし100人情報:前半」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_32.html

箕輪初心:生方▲2018草津今年2回目⑤「草津に来たりし100人情報:後半」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_34.html

箕輪初心:生方▲2018GW今年3回目の草津『旧遠州屋(現平野屋)で昼食・風呂』
http://53922401.at.webry.info/201805/article_7.html

箕輪初心:生方▲2018GW今年3回目の草津『草津に歩みし100人の動画』
http://53922401.at.webry.info/201805/article_8.html

【6】私の入った草津温泉で入った湯
①公共の無料の湯…共同湯は19箇所全て無料
 6ヶ所20回以上であろうが、30年以上前からなので、不明
●千代乃湯1回 日新館隣
●鷲乃湯1回
●煮川乃湯3回 ホテル高松の駐車場前・五郎次宿泊
 長寿乃湯
 地蔵の湯
関乃湯   西の河原通り
凪乃湯 西の河原通り 無料まんじゅう配布奧
●翁乃湯10回以上 望雲の上側  Y先輩宅から30秒以内
●喜美乃湯5回位 セブンイレブン裏 Y先輩母が殆ど毎日
千歳の湯 スーパー大津の向かい Y先輩母時々
瑠璃乃湯 バスターミナル
白嶺の湯 すずらん通り M先輩近く
 巽の湯 セーブオン近く M先輩近く
睦乃湯 つつじ亭の交差点
恵乃湯 つつじ亭の交差点先
長栄乃湯
●蟷螂の湯1回 草津小・道の駅近く。
 碧乃湯
②公共の有料
 ・大滝の湯…2回
 ・西の河原の湯…1回
③「櫻井」…皮膚病の治しのため…5回以上
④望雲:万代の湯+露天風呂…5回以上いや10回以上かな。
  ★強酸性泉&弱酸性泉の両方ある。Y先輩宅近く
⑤大東館…1回
⑥遠州屋…1回
⑦中沢ビレッジ…2回
⑧宿泊は先輩宅・富士見館と言ったかな(翁乃湯近く)など5回程か?
⑨山本館…1回
⑩益成屋…1回

●草津温泉に来た有名人シリーズ*****************
★説明がちがっているかもしれません。
 巴御前と静御前を勘違いしています。










●『草津に来たりし100人を動画で説明』




箕輪初心:生方▲『草津温泉に歩みし百人』①「日本武尊:開湯伝説」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_23.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』②「行基:開湯伝説」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_24.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』③「源頼朝:開湯伝説」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_25.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』④木曾義仲・⑤巴御前
http://53922401.at.webry.info/201709/article_26.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』⑥蓮如と番外編「孫:顕如」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_27.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』「番外編:堯恵」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_28.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』⑦「長野業尚:榛名鷹留城主」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_30.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人⑧長尾為景:上杉謙信の父
http://53922401.at.webry.info/201710/article_1.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人⑨大光宗猷禅師=曇英恵応:林泉寺創建
http://53922401.at.webry.info/201710/article_2.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』番外編:万里集九『梅花無尽蔵』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_3.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』№10『横瀬成繁』太田金山城主
http://53922401.at.webry.info/201710/article_8.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人:連歌師『⑪宗祇』&番外編『宗長』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_9.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人『草津管理人:湯本善太夫』
と『真田ブログ一覧』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_10.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人ー№12『甘楽国峰城主:小幡信貞』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_11.html

箕輪初心:生方:▲草津に歩みし100人:『戦国時代の草津温泉ブーム創作編』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_12.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人【織田信長家臣→豊臣秀吉家臣⑬丹羽長秀】
http://53922401.at.webry.info/201710/article_13.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人【織田信長家臣→豊臣秀吉家臣⑭堀秀政】
http://53922401.at.webry.info/201710/article_14.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人【織田信長家臣→豊臣秀吉家臣⑮多賀常則】
http://53922401.at.webry.info/201710/article_15.html

箕輪初心:生方▲草津100人『№16(近衛晴嗣→前嗣→前久→)近衛龍山
http://53922401.at.webry.info/201803/article_9.html

箕輪初心:生方▲草津100人『№17朝日姫・№18豊臣秀次・
幻の豊臣秀吉&井伊直政』
http://53922401.at.webry.info/201803/article_10.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人№19『依田(松平)康国』
:豊臣秀次の饗応役
http://53922401.at.webry.info/201803/article_11.html

箕輪初心:生方▲草津温泉100人№20『真田幸繁親戚:大谷吉継
とハンセン氏病療養』
http://53922401.at.webry.info/201803/article_12.html

箕輪初心:生方▲草津100人『№21:前田利家』死の予感?
http://53922401.at.webry.info/201803/article_13.html

箕輪初心:生方▲草津100人『№22真田支配116年』&真田ブログ一覧
http://53922401.at.webry.info/201803/article_14.html

箕輪初心:生方▲草津100人№23『徳川将軍への「御汲湯」の歴史』
http://53922401.at.webry.info/201803/article_15.html

箕輪初心:生方▲『草津100人№24林羅山』三名泉
http://53922401.at.webry.info/201803/article_18.html

箕輪初心:生方▲草津100ー25『小林一茶』と「草津:望雲」と「上州」
http://53922401.at.webry.info/201803/article_19.html

箕輪初心:生方▲草津100-№26『十返舎一九と草津温泉:望雲』
http://53922401.at.webry.info/201803/article_23.html

箕輪初心:生方▲草津100--№27『清水浜臣』:高崎に移住した国学者
http://53922401.at.webry.info/201803/article_31.html

箕輪初心:生方▲草津100人-28『良寛』:
http://53922401.at.webry.info/201803/article_32.html

箕輪初心:生方▲草津100ー29『高野長英と上州の弟子たち』
http://53922401.at.webry.info/201804/article_1.html

箕輪初心:生方▲草津100ー30【田川鳳朗・一夏庵坂上竹烟&松尾芭蕉句碑】
http://53922401.at.webry.info/201804/article_2.html

箕輪初心:生方▲草津100人ー31『安積艮斎(ごんさい)』
&小栗上野介のブログ一覧
http://53922401.at.webry.info/201804/article_8.html

箕輪初心:生方▲草津100人ー32『佐久間象山』:目的は火薬づくり?
http://53922401.at.webry.info/201804/article_9.html

箕輪初心:生方▲草津100人ー33『藤田東湖』:『西郷どんに登場しなかった。』
http://53922401.at.webry.info/201804/article_10.html

箕輪初心:生方▲草津100人ー34『堀秀成』:草津繁昌記著者
http://53922401.at.webry.info/201804/article_11.html

箕輪初心:生方▲草津温泉の日帰り温泉の割引き券の話
http://53922401.at.webry.info/201804/article_15.html

箕輪初心:生方▲草津100人ー35『清河八郎』:将軍を守る浪士隊⇒尊皇攘夷論者
http://53922401.at.webry.info/201804/article_17.html

箕輪初心:生方▲草津100-36『平沢旭山』:漢学者・国学者
http://53922401.at.webry.info/201804/article_18.html

箕輪初心:生方▲草津100ー40番外編『鈴木牧之』:「北越雪譜」著者
http://53922401.at.webry.info/201804/article_19.html


●明治時代****************************
箕輪初心:生方▲草津100ー41『尾崎行雄:咢堂(がくどう)』:憲政の神様
M5、S15

箕輪初心:生方▲草津100ー42番外編『デシャルム大尉』フランス軍人:M6
http://53922401.at.webry.info/201804/article_21.html

箕輪初心:生方▲草津100ー番外編『43マーシャル教授』
『44ディヴァバーズ教授』 M8
http://53922401.at.webry.info/201804/article_23.html

箕輪初心:生方▲草津100ー44番外編『テオドール・ホフマン』
:ドイツ人医師M8?
http://53922401.at.webry.info/201804/article_24.html

箕輪初心:生方▲草津100ー46:アーネストサトウ:イギリスM10,M15
http://53922401.at.webry.info/201804/article_26.html

箕輪初心:生方▲草津100ー47「大槻文彦」M12&『言海』の編集の困難さ
http://53922401.at.webry.info/201804/article_37.html

箕輪初心:生方▲草津100ー番外編45ウォルトン教授:米人医師M12
と「草津温泉図書館」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_25.html

箕輪初心:生方▲草津100ー46「小野湖山」M10:尊皇攘夷論者
http://53922401.at.webry.info/201804/article_36.html

箕輪初心:生方▲草津100ー『37ベルツ博士と38ベルツ花』M12~度々
と群馬の温泉
http://53922401.at.webry.info/201804/article_16.html

箕輪初心:生方▲草津100ー37「ベルツ博士」復刻版「5ヶ所のベルツ」M12
http://53922401.at.webry.info/201804/article_27.html

箕輪初心:生方▲草津100ー41『スクリバ』:ベルツと共同研究:M24
http://53922401.at.webry.info/201804/article_20.html

箕輪初心:生方▲草津100-49ノルデンショルド:北極圏⇒横浜⇒草津M12
http://53922401.at.webry.info/201805/article_1.html

箕輪初心:生方▲草津100-50『E・ナウマン』地質学者M15
&「フォッサマグナ」
http://53922401.at.webry.info/201805/article_2.html

箕輪初心:生方▲草津100-51『松浦武四郎』M19
&「蝦夷地探検とロシアとの外交史」
http://53922401.at.webry.info/201805/article_3.html

箕輪初心:生方▲草津100ー52番外編「H・S・パーマーM19」英国人将校
&水道工事
http://53922401.at.webry.info/201805/article_4.html




箕輪初心:生方▲草津100ー54「長塚節(たかし)M30」&短命の中での業績
http://53922401.at.webry.info/201805/article_9.html





★明日も「草津関係」かな?

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック