箕輪初心:生方▲草津100ー48【大槻文彦:M12】&『言海』編集の困難さ

草津温泉観光協会のHpには、「34.大槻文彦:『言海』を編集。大正、
昭和の国語辞典の基礎に。」「明治12 年(1879)大槻文彦は草津温泉
に来た。「復軒旅日記」を書いた。」ともあった。
①「大槻」と言えば、杉田玄白と前野良沢の弟子『大槻玄沢』を
思い出す。高崎藩の『嶺春泰』と同じ弟子仲間である。②『大槻
磐渓』は儒学者。そして、③そして、『言海』を書いた国語学者
『大槻文彦』。大槻文彦は蘭学・儒学・英語・日本語に精通して
いたので、『言海』(国語辞典)を作ることになった。
『言海』はO先生の愛読書の一つだ。O先生は『大言海』、後に
『国語学大辞典』も作りました。」と教えてくださった。O先生は
『広辞林』・『広辞苑』・『国語辞典』に訂正を??回も訴えた国語
の大先生である。私は「言葉の海」の魅力を探ろうと、図書館で
通読を試みたが、直ぐに挫折した。Hp
には、「大槻文彦が17年かけて編んだ日本初の近代的国語辞典
『言海(げんかい)』を編集した。」とあった。
画像




【0】杉田玄白と前野良沢
・明和8年(1771) 蘭方医の杉田玄白・前野良沢・中川淳庵らは、
小塚原の刑場において罪人の腑分け(解剖)を見学した。
 実際の解剖は「えた」身分の方がした。牛や馬の腑分けをし
 ていたからである。
 杉田玄白と前野良沢の2人はオランダ語の解剖学書『ターヘル
 ・アナトミア』と実際の解剖と見比べて『ターヘル・アナトミ
 ア』の正確さに驚嘆した。
 杉田玄白は翻訳しようと前野良沢に提案した。
 前野良沢が賛同し、中川淳庵も加えて翻訳を開始した。

当初、杉田玄白と中川淳庵はオランダ語を読めなかった。
 前野良沢も翻訳を行うには不十分な語彙しかなかった。
 高崎藩:嶺春泰も翻訳に加わっていた。

箕輪初心★「高崎の文化人19+α」江戸時代編
http://53922401.at.webry.info/201310/article_19.html
●嶺 春泰(1746~1793)蘭学:「解体新書」の翻訳
   高崎の蘭学医。
   父は高崎藩大河内輝規の侍医。
   前野良沢の弟子である。
「蘭学事始」に嶺春泰の・・・という人々は熱心であったが、
もういない。」とあるそうである。
 (★高崎市史p652)

 (★角館の石黒家のターヘルアナトミア)
 ★嶺春泰と大槻玄沢は交流があった。

・安永2年(1773) 翻訳のめどがついたので、世間の反応を確かめる
  ために『解体約図』を刊行する。

・安永3年(1774) 『解体新書』刊行した。
 杉田玄白の友人で奥医師:桂川甫三(桂川甫周の父)が『解体新書』
 を将軍に献上した。

【1】大槻玄沢
・安永7年(1778) 22歳の時、江戸への遊学を許された。
 杉田玄白の私塾・天真楼に学び、医術を学んだ。
 前野良沢にオランダ語を学んだ。
★前野良沢の弟子:嶺春泰と大槻玄沢は交流があった。

・天明8年(1788) 蘭学の入門書『蘭学階梯』を記したことで、
 蘭学界での地位を確立した。。
杉田玄白の「玄」・前野良沢の「沢」⇒「玄沢」
  ★凄いこっちゃなあ。

・寛政2年(1790) 師:杉田玄白から『解体新書』の改訂を命ぜられ
た。改訂に着手した。

・寛政10年(1798)『重訂解体新書』として改訂作業が進められた。

・文化元年(1804) 『重訂解体新書』 に完了した.

・文政9年(1826) 『重訂解体新書』が刊行された。



【2】大槻磐渓
蘭学者の大槻玄沢の子。
 仙台藩西洋砲術指南取扱
  藩校養賢堂学頭
 藩主の学問相手近習格 等

 子には長男:大槻如電と3男:大槻文彦がいる。


【3】大槻文彦
・弘化4年(1847) 11月15日(冬至)、儒学者:大槻磐渓の3男
 として江戸木挽町4丁目で生まれた。
 大槻磐渓の子は幼没した長男と次男:修次郎(如電)、3男大槻文彦、
 姉が2人、妹2人いる。

・嘉永4年(1851) 5歳の時、家学として漢学詩文を学び始めた。

・文久元年( 1861) 林大学頭の門に入る。

・文久2年(1862)9月、江戸開成所(洋書調所)に入学し、
  英学・数学を学ぶ。

・文久3年(1863) 5月、仙台藩校養賢堂に入った。

・慶応2年(1866)
 閏4月15日、仙台藩から洋学稽古人を命じられて、
養賢堂にて英学を学んだ。
 10月27日、江戸開成所に再入学した。

・慶応3年(1867
10月、米国人:ダビット・タムソンについて50日程、
   英学を学んだ。

・慶長3年(1867)
仙台藩の密偵として鳥羽・伏見の戦いに参戦した。
 戊辰戦争後に旧幕府側に付き奥羽越列藩同盟を提唱した。
 父:大槻磐渓が戦犯となった際には、兄の如電とともに助命運動
 に奔走した。

・明治3年(1870) 5月、東京大学南校に入り、英学・数学を学んだ。

・明治4年(1871)
 3月、箕作秋坪の英学私塾:三叉学舎に入った。
 9月、塾長となった。
・明治4年(1872) 文部省に入省した。

・明治5年(1872)
 6月1日 26歳の時、名を「文彦」に改めた。
 10月、文部省八等出仕となり、英和対訳辞書の編纂を命ぜられる。

・明治7年(1875)
11月 宮城師範学校長となった。

明治8年(1876)2月
  文部省報告課長:西村茂樹から国語辞書の編纂を命じられた。
「大槻文彦は祖父:玄沢は蘭学者、父:磐渓は儒学者、文彦は
   漢学・英学を学び、和漢洋の才能があったので選ばれた。

江戸時代、「国語」は「おくにことば」であり、藩ごとの方言を指した。
日本全土で共通する話し言葉は存在しなかった。「話し言葉」は士と農
工商の身分ごとに、また、国、地域ごとに大きく異なる言葉が話されて
いた。さらに「書き言葉」としては、候体、純粋漢文体、漢文訓読体、
雅文体等が用途ごとに使い分けられていて、日常の文章は基本的に行
書で記され、変体仮名・異体字が普通に使われていた。
 (★『くずし字用例辞典』・『くずし字解読辞典』児玉幸多編)
 明治期を迎えて、漢字廃止を説く人々、ローマ字を国字とすべきと
いう集団、仮名文字を国字として使用すると主張する集団など、明
治期は庶民の間でも、国語に関心がました時代であった。
 明治政府は日本が近代的な「国民国家」建設に向け、欧米諸国の状
況を鑑み、政府要人や知識人(旧武士階級の士族層)たちは国語の統
一化=標準化の急務であると認識されたのである。国語の標準化は行
政・司法などの法制、産業、軍備、医学、一般用語や外来語についても
同様であった。そして、根幹をなす教育・学校の教育内容においてで
あった。

●▲■大槻文彦の課題と困難さ?????????????????
困難①…課題は国語を標準化=構築するための「国語問題」は、「文字
 ・表記の改革」、「文法と文体(文語文)の整備」、「言文一致」、「話し
 言葉としての標準語の確立」であった。

困難②…大槻文彦は1人でしなければ、ならなかった。
和・漢・洋の3拍子揃った人材はいなかったからである。

困難③…アメリカの辞書には、日本語にない言葉がたくさんあった。
医学書・動植物事典などの専門書が必要になった。

困難④…文明開化で外来語が増大し、訳語はいろいろあった。
    外来語を統一化=標準化しなければならなかった。
 例1、「ガラス」
  既にオランダ語の訳語があった。
   オランダ語[glas]⇒「ギヤマン」・「ガラス」・「硝子」
    ガラスはオランダ製の酒器などの細工物を意味した。
   オランダ diamant 原語は金剛石(=ダイヤモンド)の意味
   であったが、ガラス細工でガラス切りに使ったことから。
オランダ語glasの発音「フラス」、英語のglassは「グラス」
   オランダ語は日本語化した時期が古いため、転訛して、
  「ガラス」となった。
   現在、日本語での「グラス」は多くの場合は「コップ」の
   意味になる。
 
例2「カルタ」…同じ語源の字
  ・ポルトガル語[carta](16C)は「紙」や「トランプ」の意味
として日本に入ってきた。
  ・ポルトガル語⇒オランダ語[carta]として伝わった。
   (17C~19C)は日本では「トランプ」の意味として使わ
    れた。
   ⇒「カルタ」⇒当て字「歌留多」・「かるた」
      
  ・スペイン語「carta」:「手紙」や「カード」という意味であった。
    (明治期には入ってきていない?) 
  ・ドイツ語[Karte]⇒ カルテ(ドイツ語の医学用語)
    明治初年頃から相良などによりドイツ医学採用
       (⇒現在も使用)
  ※英語[Magna Carta]ラテン語で、13Cに制定されたイングランド
   の憲章で、「紙」が語源になっている。
・英語[card]:切り札の意味⇒「カードを切る=切り札を出す」
  ・フランス語[a la carte]「ア・ラ・カルト」一品料理表=「紙」が語源
     ⇒献立表・メニュー
 
 英語として
 [Freedam]は「自由」
[liberty]は「自由」、
 [social]は「人間交際」 
 [society]は「仲間連中」・「人間交際(福沢諭吉)」・「社会」
 [individual]は「個人」
 [nature]は「天然」・「自然」
 [government]は「政府」・「行政府」・「統治者」
[Parliament] はイギリスでは「議会」 →「国会」
[camera] は「写真機」⇒現在は「カメラ」
[neuspaper]は 「かわら版」・「新聞」
 
 等といろいろと訳されたが、徐々に社会の中で訳語が定着してくる。
 しかし、訳語が表す意味・概念が、そのまま理解されるようになっ
 とは言えない状況であった。
  従って、訳語にも解釈の相違・変化があった。
 結果、明治初期に厳然と現れた大翻訳時代の後に、原語と訳語
 の一対一対応を追求する時代、つまり訳語の一貫性が求められる
 時代が到来したのである。

従って、大槻文彦は苦労した点がここにもあった。
 A、「英語⇒カタカナ」そのまま、使用されている。
   大槻文彦の例、
   英語[poket]⇒「ポケット」
   英語[ Pistol]⇒「ピストル」
      ★回転式拳銃が幕末期に輸入された。
       群馬嬬恋村の中居屋重兵衛も拳銃を20丁程
       井伊直弼暗殺の計画を知り、水戸勤王浪士に
       渡した。暗殺に使われた。
   オランダ語[gas]⇒「ガス」
  ★「ガス」参考 
  ・明治4年(1871)大阪府大阪市の造幣局周辺で、機械の燃料として
   用いていたガスを流用する形で工場内および近隣の街路にてガス灯
  ・明治5年(1872) 実業家高島嘉右衛門とフランス人の技師プレグラン
の尽力により、神奈川県横浜市に最初のガス灯が造られた。
   横浜瓦斯会社が造られ、ガス灯が横浜の大江橋から馬車道・本町通
   界隈に設置された。
B、日本語⇒外国人の訳語⇒大槻文彦の「言海」
   ・日本語「馬鹿」⇒オランダ語[baka]⇒英語[peke]⇒
    大槻文彦「「ペケ」と辞書においた。
C、英語 ⇒漢学⇒日本語の漢字熟語。
  (★擬:もどき文化:千葉貢先生説)
上記のような訳語を同一=標準化することに苦心があった。

困難⑤…文部省に2年間のお蔵入りだった。
  ⇒結果、自費出版となった。=金がかかる。
    スポンサー探し等・出版社探し等が必要になった。

困難⑥…更正の赤字入れ・・・。
    刻々と変化する外来語の解釈・・・・
    ⇒統一化=標準化への考察の繰り返しが必要であった。

困難⑦…娘の病死、妻:いよの死がショックだった。
悲しみを乗り越えて、・・・



明治12 年(1879)大槻文彦は草津温泉に来た。
 「復軒旅日記」を書いた。
(★『草津温泉誌』)

大槻文彦は9月に草津を訪れた。
 その時の紀行文が「上毛温泉遊記」である。
大槻文彦は、
8月初旬より 伊香保に約1ヶ月滞在した。
9月6日午前5時、博物学者:田中芳男とともに伊香保を発ち、榛
 名湖を経由して中之条から四万に向かいそこで宿泊した。
9月7日、日向見薬師堂へ散策、
  昼頃、牛飼いに荷物を負わせて出立、新道を行き、和光原、
 引沼、京塚を経由して、夜11時に草津到着した。
 山本十一郎の宿(現山本館)に泊まった。
9月8日は草津に滞在した。
「熱の湯は市街の中央湯垣の西北路旁にあり。…(中略)…
 早朝浴場を開かんとする時、隊長先出でて湯の差口を塞ぎ柝を撃
 ちて人を呼べば、市中遠近の旅店より浴者皆来り集る。其体を見
 るに身の内皆爛れて陰部殊に甚しく、皆綿などあててあり。
 …(中略)…皆よろ/\と歩む。男女裸体となり打交り騒がしく
 入り立つ。初め各一枚の板をとり湯槽の四辺に立ち、声立てて湯
 をかきまぜて熱を殺ぐ。これを湯を揉むといひ板を揉板といふ。
 揉む事凡十分間許にして隊長掌を鳴らして止むれば、長き板を数枚
 槽の上に亘し皆板の上に蹲まり、柄の短き柄□にて皆俯して頭部に
 熱湯を汲み上げ/\注ぐ。初めに斯くして後に入らざれば、体のみ
 熱して眩迷すと云。頭に注ぐ事凡三百盃程なるべし、皆頭も面も真
 赤になりて煠(ゆ)であげたるが如し。隊長又柄□にて槽の舷を叩
 けば皆湯に入るの装を為す。
  弱き者、新参の者は足袋をはき、又は肩身に布など纏ひ皆揃ひて、
 板に両手を突き張り足よりそろ/\と入るなり。入る時に隊長声を
 あげて「三国一の名湯――」といへば皆異口同音に「有り難い」と
 和す。隊長を首として…(中略)…一同身動きもせずして沈む。
 …(略)…沈み居る間は凡二三分間許にして隊長、「暖つたらそろ
 /\出やう」
 ――余は煠(ゆ)だつたらの誤りなるべしと思へり――といふを合
 図に一同我先にと跳ね出づ。其熱き事如何ぞやと思ふばかりなり。
 余が見たる時は、此一度に入りたる者凡五六十人許なり。…(中略)
 …盛なる時は此浴場の四辺に三百人も集ると云。最初に入るを一番と
 云、次なるを二番、三番と云。二番の群よりは湯を揉まず直に頭に注
 ぎ入るなり。四番程にして止ぬ。婦人は多く二番三番に入る。
 …(中略)…斯くすること一日に五六度なりと云。…(略)…熱湯に
 沈む間に堪へず、又一人先出づる事能はずして遂に眩して斃るる者あ
 り。斃るれば「アガツタ」といひ一同に板の間の上へ引き上げ、水注
 ぐ。蘇する者は蘇し、体弱き者は遂に死ぬるもあり。実に此の熱の湯
 の現状を見て、余、田中君と且驚き且呆れ醜臭野蛮残酷、亦これに超
 ゆるもの無かるべし。」
 ★大槻文彦は熱の湯見物の感想を
  「焦熱叫喚大叫喚の地獄も今ま初めて目撃せり」と記している。

9月9日早朝、山駕籠を雇って出立し、暮坂峠を経て、沢渡より馬
 を雇い、中之条に宿泊した。
9月10日、人力車で出発し、五町田より山駕籠を使い、午後2時に
 伊香保に到着した。

 大槻文彦はこの紀行の抄録を伊香保で岸田国士の長女:岸田吟香
 に渡した。
9月22日~29日、「上野四万草津沢渡遊浴記抄」として『東京
 日日新聞』に掲載された。
 『東京日日新聞』には広く読者に時間湯の実情が伝わった。
  (★「紀行文に描かれた近代の草津温泉」
   群馬大学教育学部社会科教育講座:関戸明子氏の論文より引用)
   ちなみに、関戸明子氏の卒論は「高崎城下町の変遷」の研究で
   ある。

 
これがきっかけで、岸田吟香の父:岸田国士も草津に来たのかも
 しれない。次女:岸田今日子もきたのかなあ?



▲明治15年(1881)大槻文彦は伊香保温泉に来た。
  「伊香保志」を書いた。

・明治17年(1883) 12月1日、内藤いよと結婚した。
  36歳だった。

・明治19年(1886)『言海』が完成した。
  その後校正を加えた。

・明治22年(1889) ~明治24年(1891) 自費出版した。
  その後、増補改訂版である『大言海』の執筆に移った。
 (「言海」校正完了)

・明治23年(1890 43歳
  11月16日、次女「ゑみ」が病没した。
  11月21日、妻「いよ」も没した。

・明治30年(1897) 東京帝国大学文科大学内に、国語学研究室
が設置された。大槻文彦が室長になった。

・昭和3年(1928) 2月17日に自宅で肺炎のため死去した。


・昭和13年(1938)
 「復軒旅日記」:冨山房百科文庫:大槻茂雄校訂1938) 

O先生
「わが国における近代の国語辞典としては、明治期における大槻
文彦の『言海』が基本的な型をつくったとされているそうである。
その後の国語辞典は『言海』を土台として発展してきている。」

『草津に歩みし100人』のブログ一覧**************

◆1)草津温泉・・・・20回以上?
◆◆ 箕輪初心▲草津白根山&蟷螂の湯 ◆◆
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 ★蟷螂の湯は無料

箕輪初心◆2014スキー№9【草津】& 『草津温泉:望雲』
http://53922401.at.webry.info/201402/article_13.html
 ★望雲10回以上

箕輪初心▲群馬:日本百名山:草津白根山&草津温泉
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箕輪初心▲群馬百名山②№26~50草津白根山・皇海山など
http://53922401.at.webry.info/201206/article_29.html

箕輪初心■群馬草津の松尾芭蕉句碑:ゴリラ50ccでGo
http://53922401.at.webry.info/201209/article_4.html

箕輪初心■プラドでGo【群馬の4湯巡り】 
http://53922401.at.webry.info/201206/article_26.html
★大滝の湯

箕輪初心:生方▲群馬:吾妻2-2『八ッ場ダム→浅間酒造
→草津温泉風呂巡り』
http://53922401.at.webry.info/201709/article_7.html
 ★2017年9月6日無料の公共の湯:3ヶ所めぐり

箕輪初心:生方▲2018スキー№7『草津コース動画&昼食:月乃井
&温泉:山本館』
http://53922401.at.webry.info/201803/article_7.html

箕輪初心:生方▲2018スキー№17【渋峠・横手山】&草津「ランチ:飛龍」
・「温泉:益成屋」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_28.html

箕輪初心:生方▲2018草津今年2回目①「湯畑付近の散策」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_29.html

箕輪初心:生方▲草津:今年2回目②「西の河原通り」2回の風景」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_30.html

箕輪初心:生方▲2018草津今年2回目③「西の河原公園散策」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_31.html

箕輪初心:生方▲2018草津今年2回目④「草津に来たりし100人情報:前半」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_32.html

箕輪初心:生方▲草津今年2回目⑤「草津に来たりし100人情報:後半」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_34.html





【6】私の入った草津温泉で入った湯
①公共の無料の湯…共同湯は19箇所全て無料
 6ヶ所20回以上であろうが、30年以上前からなので、不明
●千代乃湯1回 日新館隣
●鷲乃湯1回
●煮川乃湯3回 ホテル高松の駐車場前・五郎次宿泊
 長寿乃湯
 地蔵の湯
関乃湯   西の河原通り
凪乃湯 西の河原通り 無料まんじゅう配布奧
●翁乃湯10回以上 望雲の上側  Y先輩宅から30秒以内
●喜美乃湯5回位 セブンイレブン裏 Y先輩母が殆ど毎日
千歳の湯 スーパー大津の向かい Y先輩母時々
瑠璃乃湯 バスターミナル
白嶺の湯 すずらん通り M先輩近く
 巽の湯 セーブオン近く M先輩近く
睦乃湯 つつじ亭の交差点
恵乃湯 つつじ亭の交差点先
長栄乃湯
●蟷螂の湯1回 草津小・道の駅近く。
 碧乃湯
②公共の有料
 ・大滝の湯…2回
 ・西の河原の湯…1回
③「櫻井」…皮膚病の治しのため…5回以上
④望雲:万代の湯+露天風呂…5回以上いや10回以上かな。
  ★強酸性泉&弱酸性泉の両方ある。Y先輩宅近く
⑤大東館…1回
⑥遠州屋…1回
⑦中沢ビレッジ…2回
⑧宿泊は先輩宅・富士見館と言ったかな(翁乃湯近く)など5回程か?
⑨山本館…1回
⑩益成屋…1回

●草津温泉に来た有名人シリーズ*****************
★説明がちがっているかもしれません。
 巴御前と静御前を勘違いしています。










箕輪初心:生方▲『草津温泉に歩みし百人』①「日本武尊:開湯伝説」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_23.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』②「行基:開湯伝説」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_24.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』③「源頼朝:開湯伝説」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_25.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』④木曾義仲・⑤巴御前
http://53922401.at.webry.info/201709/article_26.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』⑥蓮如と番外編「孫:顕如」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_27.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』「番外編:堯恵」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_28.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』⑦「長野業尚:榛名鷹留城主」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_30.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人⑧長尾為景:上杉謙信の父
http://53922401.at.webry.info/201710/article_1.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人⑨大光宗猷禅師=曇英恵応:林泉寺創建
http://53922401.at.webry.info/201710/article_2.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』番外編:万里集九『梅花無尽蔵』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_3.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』№10『横瀬成繁』太田金山城主
http://53922401.at.webry.info/201710/article_8.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人:連歌師『⑪宗祇』&番外編『宗長』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_9.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人『草津管理人:湯本善太夫』
と『真田ブログ一覧』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_10.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人ー№12『甘楽国峰城主:小幡信貞』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_11.html

箕輪初心:生方:▲草津に歩みし100人:『戦国時代の草津温泉ブーム創作編』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_12.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人【織田信長家臣→豊臣秀吉家臣⑬丹羽長秀】
http://53922401.at.webry.info/201710/article_13.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人【織田信長家臣→豊臣秀吉家臣⑭堀秀政】
http://53922401.at.webry.info/201710/article_14.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人【織田信長家臣→豊臣秀吉家臣⑮多賀常則】
http://53922401.at.webry.info/201710/article_15.html

箕輪初心:生方▲草津100人『№16(近衛晴嗣→前嗣→前久→)近衛龍山
http://53922401.at.webry.info/201803/article_9.html

箕輪初心:生方▲草津100人『№17朝日姫・№18豊臣秀次・
幻の豊臣秀吉&井伊直政』
http://53922401.at.webry.info/201803/article_10.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人№19『依田(松平)康国』
:豊臣秀次の饗応役
http://53922401.at.webry.info/201803/article_11.html

箕輪初心:生方▲草津温泉100人№20『真田幸繁親戚:大谷吉継
とハンセン氏病療養』
http://53922401.at.webry.info/201803/article_12.html

箕輪初心:生方▲草津100人『№21:前田利家』死の予感?
http://53922401.at.webry.info/201803/article_13.html

箕輪初心:生方▲草津100人『№22真田支配116年』&真田ブログ一覧
http://53922401.at.webry.info/201803/article_14.html

箕輪初心:生方▲草津100人№23『徳川将軍への「御汲湯」の歴史』
http://53922401.at.webry.info/201803/article_15.html

箕輪初心:生方▲『草津100人№24林羅山』三名泉
http://53922401.at.webry.info/201803/article_18.html

箕輪初心:生方▲草津100ー25『小林一茶』と「草津:望雲」と「上州」
http://53922401.at.webry.info/201803/article_19.html

箕輪初心:生方▲草津100-№26『十返舎一九と草津温泉:望雲』
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箕輪初心:生方▲草津100--№27『清水浜臣』:高崎に移住した国学者
http://53922401.at.webry.info/201803/article_31.html

箕輪初心:生方▲草津100人-28『良寛』:
http://53922401.at.webry.info/201803/article_32.html

箕輪初心:生方▲草津100ー29『高野長英と上州の弟子たち』
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箕輪初心:生方▲草津100ー30【田川鳳朗・一夏庵坂上竹烟&松尾芭蕉句碑】
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箕輪初心:生方▲草津100人ー31『安積艮斎(ごんさい)』
&小栗上野介のブログ一覧
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箕輪初心:生方▲草津100人ー32『佐久間象山』:目的は火薬づくり?
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箕輪初心:生方▲草津100人ー33『藤田東湖』:『西郷どんに登場しなかった。』
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箕輪初心:生方▲草津100人ー34『堀秀成』:草津繁昌記著者
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箕輪初心:生方▲草津温泉の日帰り温泉の割引き券の話
http://53922401.at.webry.info/201804/article_15.html

箕輪初心:生方▲草津100人ー35『清河八郎』:将軍を守る浪士隊⇒尊皇攘夷論者
http://53922401.at.webry.info/201804/article_17.html

箕輪初心:生方▲草津100-36『平沢旭山』:漢学者・国学者
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箕輪初心:生方▲草津100ー40番外編『鈴木牧之』:「北越雪譜」著者
http://53922401.at.webry.info/201804/article_19.html


●明治時代****************************
箕輪初心:生方▲草津100ー41『尾崎行雄:咢堂(がくどう)』:憲政の神様
M5、S15

箕輪初心:生方▲草津100ー42番外編『デシャルム大尉』フランス軍人:M6
http://53922401.at.webry.info/201804/article_21.html

箕輪初心:生方▲草津100ー番外編『43マーシャル教授』
『44ディヴァバーズ教授』 M8
http://53922401.at.webry.info/201804/article_23.html

箕輪初心:生方▲草津100ー44番外編『テオドール・ホフマン』
:ドイツ人医師M8?
http://53922401.at.webry.info/201804/article_24.html


箕輪初心:生方▲草津100ー46:アーネストサトウ:イギリスM10,M15
http://53922401.at.webry.info/201804/article_26.html

箕輪初心:生方▲草津100ー番外編45ウォルトン教授:米人医師M12
と「草津温泉図書館」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_25.html

箕輪初心:生方▲草津100ー46「小野湖山」M10:尊皇攘夷論者
http://53922401.at.webry.info/201804/article_36.html

箕輪初心:生方▲草津100ー『37ベルツ博士と38ベルツ花』M12~度々
と群馬の温泉
http://53922401.at.webry.info/201804/article_16.html

箕輪初心:生方▲草津100ー37「ベルツ博士」復刻版「5ヶ所のベルツ」M12
http://53922401.at.webry.info/201804/article_27.html

箕輪初心:生方▲草津100ー41『スクリバ』:ベルツと共同研究:M24
http://53922401.at.webry.info/201804/article_20.html

 

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