箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№134浜松「曳馬城」と「椿姫観音」

平成29年(2017)11月3日、友達「祐太郎君」の車で「曳馬城」
と「椿姫観音」に行った。浜松城に去年行った時、『浜松城と城
下をめぐる』(浜松市市民部文化財課編集浜松部会記念誌・2015年
3月25日発行400円)を購入した。浜松城の見どころ・曳馬城
(引間城)の絵図や歴史、出土品などが掲載されている。
曳馬城を浜松城と浜松市役所屋上から眺めた。「曳馬城」には近く
を通っただけだった。今回はので、丁寧に見た。そして、「椿姫観
音」にも田鶴様を拝みに行った。祐太郎君も「椿姫観音」は初めて
だった。
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箕輪初心:生方▲遠江『曳馬城=引馬城(浜松城の前身)』&歴史    
http://53922401.at.webry.info/201610/article_6.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№63番外編『おんな曳馬城主:
椿姫=お田鶴の方』
http://53922401.at.webry.info/201704/article_10.html


【1】平成29年(2017)11月1日***************

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№113『井伊谷遺産センター』
井伊谷の歴史
http://53922401.at.webry.info/201711/article_15.html
★井伊谷の古墳出土品展示

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№114『井伊谷妙雲寺』直虎と南渓
の位牌・南渓肖像画
http://53922401.at.webry.info/201711/article_16.html

箕輪初心:生方▲井伊谷『謂伊神社』&モロード様
=客人神のうんこ神様?
http://53922401.at.webry.info/201711/article_18.html

箕輪初心:生方▲『井伊谷宮』と宗良親王復刻版
http://53922401.at.webry.info/201711/article_19.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№117『龍潭寺』:昊天が彦根清涼寺開山
http://53922401.at.webry.info/201711/article_20.html



【2】平成29年(2017)11月2日***********
○06:00 気賀の町中に・・・
箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№119気賀②展望台からの気賀と『堀川城』
http://53922401.at.webry.info/201711/article_22.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№117気賀③「長楽寺」・『井伊直親の墓』
http://53922401.at.webry.info/201711/article_23.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№120祝田【蜂前神社】と『徳政文書』
http://53922401.at.webry.info/201711/article_24.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№121気賀⑤『刑部城』
http://53922401.at.webry.info/201711/article_25.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№122気賀⑥『本陣・復元関所』と【近藤家】
http://53922401.at.webry.info/201711/article_26.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№123三ヶ日町『佐久城』
&【浜名氏と上野国長谷寺】
http://53922401.at.webry.info/201711/article_29.html

箕輪初心:生方▲浜松市三ヶ日町『千頭峯城遠望』&【井伊谷・三ヶ日の歴史】
http://53922401.at.webry.info/201712/article_1.html


===宇利峠(静岡県⇒愛知県へ)==========
箕輪初心:生方▲愛知県①『比丘尼城』:【足利直冬→・熊谷重実→近藤満氏】
http://53922401.at.webry.info/201712/article_3.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№125愛知県②『宇利城』と【近藤康用・秀用】
http://53922401.at.webry.info/201712/article_4.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№ 126『柿本城』&【鈴木重時→鈴木重好】
http://53922401.at.webry.info/201712/article_5.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№127愛知県③『野田城』:菅沼定盈
http://53922401.at.webry.info/201712/article_6.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№128愛知県⑤『長篠城2回目』
http://53922401.at.webry.info/201712/article_7.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№129愛知県⑥『武田勝頼の長篠の陣所』
http://53922401.at.webry.info/201712/article_8.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№130愛知県④『設楽ガ原』と「山県昌景の墓」
http://53922401.at.webry.info/201712/article_9.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№131愛知県⑦『鳳来寺』の井伊虎松
http://53922401.at.webry.info/201712/article_10.html

===??峠(静岡県⇒愛知県へ)==============
25▲奥山方広寺…★臨済宗方広寺派大本山。井伊氏分家の奥山氏が
 南北朝時代に建て奥山氏が庇護した。
井伊直虎の許婚::井伊直親の妻「ひな」の菩提寺

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№132『奥山方広寺』:井伊一族:奥山家菩提寺
http://53922401.at.webry.info/201712/article_11.html


※奥山館・奥山城・竜ヶ岩洞(2億5千万年前)には行けなかった。

○井伊谷の石原先生宅
26◆北岡大塚古墳(私有地)
★バッテリーは石原家で充電中・・・・。
○井伊谷の石原先生宅
○GS…1900円…2日で190km走ったのか?
○トヨタレンタカー 約15000円
○ホテルセレクトイン浜松駅前素泊まり4200円
○夕食「藤田」…鰻&酒で3480円
○ホテルセレクトイン浜松駅

箕輪初心:生方▲井伊谷「北大岡古墳」と浜松鰻屋「藤田」
http://53922401.at.webry.info/201712/article_12.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№132『二俣城』松井→依田→大久保
http://53922401.at.webry.info/201712/article_13.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№132『鳥羽山城』:二俣城攻略の城
http://53922401.at.webry.info/201712/article_14.html

【3】11月3日、
○07:00 駅前散策
○朝食…パン屋
○08:30 祐太郎君
28▲城№897二俣城
29▲城№898鳥羽山城
30▲城№899大平城(おいだいら城)

箕輪初心:生方▲浜松市『大平(おいだいら)城遠望』
&【井伊道政・宗良親王】
http://53922401.at.webry.info/201712/article_2.html

31▲城№900引間城(曳馬城)


○曳馬城
現地には、石碑横に「引間城本丸跡」解説板が設置されている
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32 椿姫観音
観音堂前には、「元曳馬城主、飯尾豊前守乗竜 奥方 お田鶴の方」
と書かれた石碑がある。
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○昼食「うなぎの佳川」…???円+α。
 祐太郎君のおごり。ありがとう。
 ご馳走様でした。
  本当は私が奢らなければならなかったのに。
  
13:40浜松駅…祐太郎君と別れた。
 (鰻が入っている。)
「ひつまぶし」も買った。

14:11発 15:40着 (89分)ひかり468号 東京行
16:11 東京→高崎
18:00 家


◆ 曳馬城=引馬城(浜松城の前身)&歴史

・平安時代
「浜松荘」があった。
古東海道の宿が発達した

・鎌倉時代
 浜松は、曳馬(引馬、引間)「ひきま(ひくま)」と呼ばれる
 町に発展した。
 現在の馬込川が天竜川の本流にあたり、西岸に町屋が発達しま
した。「船越」や「早馬」は鎌倉時代の地名である。

・南北朝時代 
 大河内氏は、吉良氏の領地であった引馬荘の代官として派遣され、
 徐々に勢力を伸ばしていった。

・室町時代
・応永2年(1395)8月 今川貞世(了俊)は九州探題を罷免された後、遠江と
駿河の半国守護を命じられた。
  弟の今川仲秋が遠江、甥:今川泰範と駿河を分割統治する
  こととなった。

・応永7年(1400) 、応永の乱
今川貞世と甥:今川泰範が守護の権力をめぐってトラブった。
  足利義満は関東管領上杉憲定に今川了俊追討令が出した。
  しかし、今川了俊は今川一族の助命嘆願の結果許された。
 応永9年(1402) 政界に関与しないことを条件に赦免された。

  大河内兵庫助真家や大河内備中守入道道光らの名前が古文書に
  見られる。
今川了俊の失脚に伴い、守護職は斯波氏へと交替した。
斯波氏は守護代に甲斐氏を任じて領国経営を行った。
  しかし、今川了俊の子孫:遠江今川氏や、横地氏、勝間田氏と
   いった奉公衆、吉良氏の家臣:大河内氏などの勢力などが
  障害となり、支配は徹底できなかった。

  やがて斯波氏当主が相次いで夭折した。

・長禄2年(1458)7月~長禄3年(1459) 8月11日 長禄合戦
  越前守護斯波義敏と越前守護代甲斐常治の間に越前で勃発した。
  尾張の斯波氏に対し、遠江家臣団も内訌を起こし、斯波氏の支配力は
  さらに低下した。
8月11日、足羽郡和田荘の決戦
   朝倉孝景の活躍により守護代:甲斐氏の勝利となった。

・応仁元年(1467)~文明9年(1477)までの約10年間。応仁の乱
   駿河の今川義忠が遠江に侵攻を開始し、以後、遠江を巡り、
  斯波氏と今川氏が直接戦闘を交えるようになる。

・戦国時代
 曳馬の町を見下ろす丘の上に曳馬城(引馬城、引間城)引間城が
 築かれた。
 遠江今川氏4代:今川貞相が初めて築城したという。
 軍事・交易の流通を整備した。
(築城者については諸説ある)
 ※浜松城以前は曳馬城(引馬城、引間城)が浜松の拠点だった。


・永正年間(1504~20)三善為連の築城説もある。

????年 三河:吉良氏の家臣:大河内貞綱は遠江引馬荘の
 代官となり、引馬城主となっていた。

 斯波氏と今川氏が抗争すると、引馬の地を支配していた大河内貞綱
 弟:巨海道綱が尾張の斯波氏に味方した。
 
 曳馬は戦略上の拠点となった。

  斯波氏が今川氏の抗争の中で、今川氏に敗れた。 

 
 今川氏親の配下:飯尾賢連?乗連 が曳馬を支配することになる。
・永正11年(1514)、飯尾賢連・子:飯尾乗連が城主になった。
今川義元の家臣・飯尾乗連が曳馬城主となりましたが、

・永正14年(1517) 大河内備中守貞綱は亡くなった。

****************************   
・文明年間(1469~86) 駿河守護大名今川義忠が遠江支配の拠点
  として、重臣:朝比奈泰煕に築城命令?
   朝比奈泰煕(今川氏筆頭家老)が掛川古城(掛川城の子角山)
   を築いた。

・永正9年(1513) から10年(1514) 頃
掛川古城では手狭となり、現在地に掛川新城(龍頭山)を築いた。

・永正年間(1504~1520)今川氏親の重臣:福島正成が城将とし
て高天神城に入城した。

・浜松には、今川方で、頭陀寺城城主:松下加兵衛がいた。
 豊臣秀吉が少年時代:木下藤吉郎時代に3年間、松下加兵衛
 に仕えた。松下加兵衛に連れられて、豊臣秀吉は引間城を
 訪れていた。

飯尾乗連は今川氏に引き続き仕えた。


*******************************

・永禄3年(1560)桶狭間の戦い
  飯尾乗連・子:飯尾連竜も参加した。
  桶狭間の戦いにおいて今川義元が戦死した。
今川義元が織田信長に敗北した。
今川義元が戦死した。
▲井伊直盛も戦死した。井伊直親があとを継いだ。
   井伊家は中野直由が形式上、井伊谷城主になった。
   遠江国は「遠州錯乱」と呼ばれる混乱状態に陥った。


  今川氏の衰退が始まった。

 松平元康(徳川家康)は今川家を離反し、岡崎城に戻り独立した。
後、今川義元の「元」の字から家康にした。

・永禄5年(1663)
井伊直親は小野政直の息子・小野道好(政次)の讒言により、今川氏真
 から松平元康(徳川家康)との内通の疑いを受けた。
 今川家の縁戚でもあり、井伊直盛の妻:祐椿尼は妹であった新野親矩
 の取りなしで、陳謝のために駿府へ向かうことになった。
 ・12月14日(1563年1月8日)…3月2日説
  井伊直親は掛川で今川家の重臣:朝比奈泰朝の襲撃を受けて殺害
  された。享年27。

●説①*************************
・永禄5年(1562)飯尾連龍が松平家康を通じて織田・徳川方に通じた。
 今川氏真は突如曳馬城を攻めたが、今川方は曳馬城を落すことが
 できなかった。今川氏真方の大将の新野親矩や三浦正俊、中野直
 由らは戦死した。
 今川氏真は飯尾連龍と和睦し退いた。
 しかし、今川氏真は飯尾連龍に対する疑念を拭い去ることができ
 なかった。今川氏真は飯尾連龍を駿府に呼び寄せた。
・永禄8年(1565)12月、飯尾連龍は供を連れて駿府に入ったが、
 駿府城内の一角で今川氏真によって謀殺された。

●説②『井伊氏系図』・『井伊年譜』**************
・永禄6年(1563) ~遠州忩劇(遠州錯乱)
  今川氏の衰退後、城主飯尾連竜が今川氏真に反旗の疑惑をもたれた。 
・永禄7年(1564)
▲曳馬城主:飯尾連竜が犬居城主:天野景泰・元景父子、二俣城主:
 松井宗恒らとともに今川氏に謀叛を起こした。
  飯尾連龍は中野直由は引馬城の東にある天馬橋にて討死した。
(★『井伊氏系図』・『井伊年譜』)

●説③『井伊家伝記』*********************
今川氏真は家臣で新野親矩・中野直由らに引馬城攻撃を命じた。
中野直由らは今川氏真に増援を要請し、2千人の加勢を加えて引馬
 城を攻撃した。
 新野親矩は弟・之規とともに今川方として戦い、引馬城を攻めた際
 に三浦正俊、中野直由らとともに討死にした。
(★『井伊家伝記』)

●説④『武家事紀』**********************
・永禄8年(1565) 曳馬城は今川氏真軍に攻囲され、多大な損害を
  被るが、陥落は免れた。
  飯尾連竜は今川氏真からの和議勧告を受諾した。
  飯尾連竜は今川氏再属のため駿府への大赦御礼に出向いたが、

・永禄8年(1565)12月20日 
新野親矩は打手の大将として飯尾連竜の立て篭もる(駿河の)屋敷
 を攻め、戦死したとされている。
▲飯尾連竜が駿府で誅殺された。
(★『武家事紀』)
①説・・・曳馬城は、飯尾連竜の家老:江間氏によって守られた。
②説・・・飯尾連竜の未亡人:お田鶴の方を中心とした飯尾氏
      の残党によって守られた。
*******************************
▲永禄8年(1565)
中野直由の跡を中野直之が継いだ。
  
  井伊家にはダレも跡継ぎがいなくなった。
  奥山六左衛門はひよ(井伊直政の母・中野直之の妻の姉)の姉弟で
  あった。
次郎法師は還俗し、井伊直虎と名乗り女領主になった。?  
(★『井伊家伝記』)
▲永禄11年(1568) 今川氏真の命を受けた小野正次(道好)の介入を
  受け、徳政令を井伊直虎・関口氏経の連名で発令した。
小野道好に井伊谷城を奪われた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・永禄11年(1568) 今川義元の子:氏真は甲斐の武田信玄・三河
  の徳川家康から挟み撃ちに遭い、今川氏真は本拠地:駿府館を
  捨てた。武田信玄に駿河に武田館を造って、更に遠江に侵攻した
  今川氏真が朝比奈泰朝のいる掛川城に逃げ延びた。
       掛川城に籠城した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
  曳馬城内では徳川派と武田派に分裂して内紛が起きた。

・永禄11年(1568)
11月 徳川家康が遠江の平定に着手した。
  菅沼忠久が徳川家康に加担する菅沼一族の野田菅沼定盈
  (野田城)から今川家の離反の誘いを受けると、承諾した。
  菅沼忠久が鈴木重時や近藤康用も誘った。

 野田菅沼3代目当主の定盈の計らいによって菅沼忠久や鈴木重時と
 共に徳川家康に属し、所領を安堵された。
 
 井伊谷三人衆(近藤康用・鈴木重時・菅沼忠久)も浜松城
  (旧引馬城)主となっていた徳川家康に加担することになった。

 遠州切り取りの第一歩、刑部城の攻略の先鋒は旧今川義元配下だっ
 た野田城の菅沼新八郎定盈(さだみつ)に井伊谷3人衆であった。

 近藤康用は子:近藤秀用を従軍させていた。
 老齢である上、長年の戦働きによる負傷で歩行困難となっていた
 からである。
鈴木重時は子:鈴木重好を同行させた
 徳川家康は本坂峠を越えて岡崎から湖北へ攻め込んだ。
 徳川家康は井伊谷城を攻略した。
 徳川家康から近藤康用が井伊谷を安堵された。
 近藤康用が支配することとなった。

 井伊谷3人衆が井伊谷城から道案内した。

▲刑部城攻め
 今川氏真から離反させて徳川方に流れた「井伊谷三人衆」:菅沼忠久
・鈴木重時・近藤康用に野田菅沼定盈と大将として、刑部城を攻撃
 させた。

今川家臣:新田氏が籠城する兵力は50人程度であった。
刑部城の戦いでは刑部城主は新田氏は逃げたようである。

徳川家康は井伊谷城に次いで刑部城を落城させた。

刑部城には、菅沼定盈の叔父・菅沼又左衛門が城代となっていた。
その後、酒井左衛門尉忠次が入城した。

今川方で近隣の堀江城主:大沢左衛門は徳川家康に抵抗していた。
 
12月6日、甲斐の武田信玄が駿河今川領への侵攻を開始した。
  徳川家康は酒井忠次を取次役に遠江割譲を条件として武田氏
  と同盟を結んだ。

●徳川家康はお田鶴の方に使者を送り、「曳馬城を渡せば、妻子共々
  面倒を見る。」と降伏を促した。
  しかし、お田鶴の方が拒否し続けた。

●12月13日、徳川家康が曳馬城に攻め込んだ。
  お田鶴の方が城兵を指揮して奮戦したが侍女と共に討死にした。
  徳川家康は曳馬城を攻略した。
(★「曳馬城石碑」)
 ※お田鶴の方を祀った「椿姫観音」が城の近くに残っている。
 今川家重臣第4代曳馬城主、飯尾乗竜の正室:お田鶴の方は
 曳馬城を守っていたが、家康に攻め込まれ、城兵や侍女18人と
 共に打って出て全員討死する。「観音堂」付近一帯が戦場となっ
 た。徳川家康はお田鶴の方と侍女を手厚く葬り祠を建て、築山御
 前が椿を植え、以後「椿姫塚」「椿姫」と呼ばれるようになった。
 祠は、椿姫観音堂から5m西北にあった小さな台地にあった(伝)
 ★標柱に「飯尾乗竜」とあるが、飯尾乗連のことであろうか?
  
 徳川家康は今川領へ侵攻し曳馬城を攻め落とした。
家康は軍を退かずに遠江国で越年した。   

・永禄12年(1569)
 徳川家康は曳馬城攻略を最優先としていたため、浜名湖沿岸の
 諸城攻略が後回しとなっていた。

 鈴木重時は徳川家康の下命を受けて堀江城を攻めた。
 守将・大沢基胤率いる城兵は意気盛んで、なかなか落ちない。
  堀江城方による反撃を許し、手痛い損害を少なからず受けた。
 鈴木重時は近藤康用の子登助:近藤秀用)と競い城門にたどり
 着いた。
 鈴木三郎大夫重時は、攻撃を受けて討ち死にした。(一説に42歳)
 2月5日夜明け、2人は2挺の鉄砲に撃たれ、鈴木重時が死んだ。
(★井伊谷3人衆:丸山著)
近藤秀用と鈴木重時が大手門に近づき、狙撃された。

  徳川家康は掛川城を包囲した。
  朝比奈泰朝は掛川城で籠城した。
  徳川家康はなかなか掛川城を落とせなかった。
  長期にわたる攻防の末、
 2月23日 朝比奈泰朝は和議で
  「今川氏真の身の安全を徳川家康に認めさせた。
   今川氏真・朝比奈泰朝は開城を決断した。
   今川氏真・朝比奈泰朝は小田原城を頼った。
   朝比奈3代、約100年間の掛川城統治が終了した。
    
  徳川家康の領有後、掛川城には重臣石川家成が入城した。

  
●元亀元年(1570) 徳川家康は居城であった岡崎城を長子:信康
 に譲り、曳馬城(浜松城の前身)に入城した。
徳川家康は武田信玄の侵攻に備えるため、本拠地を三河国岡崎
  から遠江国曳馬へ移したのだ。
  天竜川を渡った見付(磐田市)に新たに築城をするつもりであ
  ったが、籠城戦に持ち込まれた際天竜川により「背水の陣」と
  なることから、曳馬城を西南方向に拡張した。
  その際、曳馬という名称が「馬を引く」、=敗北につながり縁起
  が悪いことから、平安時代にあった荘園:浜松荘に因んで城名・
  地名ともども「浜松」と改めた。


・元亀2年(1571)武田信玄は2万越える大軍で高天神城を包囲
 したが、撤退した。

・元亀3年(1572) 武田信玄は遠州諸城を落とし、浜松城に肉薄。
          武田信玄は浜松城が堅固な守りであることを
          知ると、西に進軍。・・・罠だった。
 徳川家康は
 「庭先を踏みつけられて見過ごすは弓矢をとる者の恥だ。
  浜松から撤退するくらいなら武士をやめる。」
 と勇んで出陣した。
   
▲三方ヶ原の戦い
 武田軍25000  VS   家康11000+織田信長の援軍3000  
        結果・・家康が×   
  浜松城に撤退。

徳川家康のうんこ漏らし伝説
家康は曳馬城=引間城の北口にあたる「玄黙(元目)口」へ撤退
  したといわれている。

・徳川家康は苦虫をかみつぶしたような顔の絵を描かせた。




①浜松城内の人形
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②女の子
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③清洲城
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④TV
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・天正2年(1574)武田信玄の跡を相続した。
 武田勝頼は2万余の軍勢を率いて再び高天神城を包囲した。
 小笠原長忠を降伏開城させた。
 武田勝頼は岡部真幸(元信)、横田甚五郎尹松らを城将として
 守らせた。

・天正3年(1575)
  武田勝頼は長篠・設楽原合戦で織田・徳川連合軍に
 大敗を喫した。

●天正5年(1577) 本多作左衛門重次が浜松城造りに着手した。
 曳馬城の南西に広大な城を築城した。
 現在の浜松城の原型となった。


・天正6年(1578)徳川家康は横須賀城を築いて高天神城への備えと
した。さらに徳川家康は6砦を築いて高天神城を包囲した。籠城
する岡部真幸は武田勝頼に援軍を求めたものの、勝頼は援軍を送
ることができなかった。

天正9年(1581) 高天神城の兵糧が尽き、城将岡部真幸は打って出
 たが、ついに高天神城は落城した。
 徳川家康は高天神城を焼き払って廃城とし、以後は横須賀城を
 拠点とした。

●天正14年(1586) 徳川家康の本拠地は浜松城は駿府城に移った。
  
   
・天正18年(1590) 徳川家康の関東移封
豊臣系の堀尾吉晴が浜松城主となった。

 堀尾吉晴以降、浜松城の増改築が進むにつれ、曳馬城=引間城は
  浜松城の主要部から外れて米蔵などに使われた。
  「古城」と呼ばれていた。

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