箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№132『二俣城』松井→依田→大久保

平成29年(2017)11月3日、浜松市の天竜を散策した。
祐太郎君の車でまず「二俣城」に行った。二俣城は、
井伊家被官:松井宗信が築いたと言われている。松井
家は松井宗能→松井貞宗→長男:松井信薫→次男宗信
→松井宗恒と続く家系で、子孫は「松居」を名乗り、井伊
直政に仕えた。「二俣城」は 武田信玄・勝頼親子と徳川
家康が激しい攻防戦を繰り広げた城として有名である。
また、徳川家康の嫡男である松平信康が切腹をした城
としても知られている。

天竜川と二俣川に挟まれた要害なので、城巡りファン
としてはとても満足だった。祐太郎君に会えたことは
もっとよかったけど・・・

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箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政№24『井伊直虎の家臣:井伊谷七人衆』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_35.html

箕輪初心:初心▲井伊直虎・直政№43『井伊谷7人衆:遠江松井一族』
http://53922401.at.webry.info/201703/article_1.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201703/article_1.html


箕輪初心:生方▲真田丸47【芦田城】芦田氏と真田氏
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201602/article_23.html

箕輪初心:生方▲真田丸48【佐久:春日城】依田信蕃と真田昌幸
http://53922401.at.webry.info/201602/article_24.html

箕輪初心●群馬藤岡編「芦田城」&依田一族の歴史
http://53922401.at.webry.info/201107/article_9.html


【1】平成29年(2017)11月1日***************

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№113『井伊谷遺産センター』
井伊谷の歴史
http://53922401.at.webry.info/201711/article_15.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№114『井伊谷妙雲寺』直虎と南渓
の位牌・南渓肖像画
http://53922401.at.webry.info/201711/article_16.html

箕輪初心:生方▲井伊谷『謂伊神社』&モロード様
=客人神のうんこ神様?
http://53922401.at.webry.info/201711/article_18.html

箕輪初心:生方▲『井伊谷宮』と宗良親王復刻版
http://53922401.at.webry.info/201711/article_19.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№117『龍潭寺』:昊天が彦根清涼寺開山
http://53922401.at.webry.info/201711/article_20.html



【2】平成29年(2017)11月2日***********
○06:00 気賀の町中に・・・
箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№119気賀②展望台からの気賀と『堀川城』
http://53922401.at.webry.info/201711/article_22.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№117気賀③「長楽寺」・『井伊直親の墓』
http://53922401.at.webry.info/201711/article_23.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№120祝田【蜂前神社】と『徳政文書』
http://53922401.at.webry.info/201711/article_24.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№121気賀⑤『刑部城』
http://53922401.at.webry.info/201711/article_25.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№122気賀⑥『本陣・復元関所』と【近藤家】
http://53922401.at.webry.info/201711/article_26.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№123三ヶ日町『佐久城』
&【浜名氏と上野国長谷寺】
http://53922401.at.webry.info/201711/article_29.html

箕輪初心:生方▲浜松市三ヶ日町『千頭峯城遠望』&【井伊谷・三ヶ日の歴史】
http://53922401.at.webry.info/201712/article_1.html


===宇利峠(静岡県⇒愛知県へ)==========
⑰比丘尼城
箕輪初心:生方▲愛知県①『比丘尼城』:【足利直冬→・熊谷重実→近藤満氏】
http://53922401.at.webry.info/201712/article_3.html

⑱▲城№892宇利城(近藤康用の最初の城)
箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№125愛知県②『宇利城』と【近藤康用・秀用】
http://53922401.at.webry.info/201712/article_4.html

⑲▲城№893野田城(菅沼氏の城)
箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№127愛知県③『野田城』:菅沼定盈
http://53922401.at.webry.info/201712/article_6.html

⑳▲長篠古戦場跡…馬防柵等の見物
箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№130愛知県⑤『設楽ガ原』
と「山県昌景の墓」
http://53922401.at.webry.info/201712/article_9.html

21▲長篠城2回目…本の購入「山県昌景」
箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№128愛知県⑥『長篠城2回目』
http://53922401.at.webry.info/201712/article_7.html

22▲城№894医王寺と武田勝頼本陣
箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№129愛知県⑥『武田勝頼の長篠の陣所』
http://53922401.at.webry.info/201712/article_8.html

23▲鳳来山東照宮&鳳来寺…
箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№131愛知県⑦『鳳来寺』の井伊虎松
http://53922401.at.webry.info/201712/article_10.html

24▲城№895柿本城(鈴木重時の城)
箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№ 126『柿本城』&【鈴木重時→鈴木重好】
http://53922401.at.webry.info/201712/article_5.html

===??峠(愛知県⇒静岡県へ)==============
25▲奥山方広寺…★臨済宗方広寺派大本山。井伊氏分家の奥山氏が
 南北朝時代に建て奥山氏が庇護した。
井伊直虎の許婚::井伊直親の妻「ひな」の菩提寺
箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№132『奥山方広寺』:井伊一族:奥山家菩提寺
http://53922401.at.webry.info/201712/article_11.html


※奥山館・奥山城・竜ヶ岩洞(2億5千万年前)には行けなかった。
○井伊谷の石原先生宅
26◆北岡大塚古墳
箕輪初心:生方▲井伊谷「北大岡古墳」と浜松鰻屋「藤田」
http://53922401.at.webry.info/201712/article_12.html
○井伊谷の石原先生宅
○GS…1900円…2日で190km走ったのか?
○トヨタレンタカー 約15000円
○ホテルセレクトイン浜松駅前素泊まり4200円
○夕食「藤田」…鰻&酒で3480円
○ホテルセレクトイン浜松駅



【3】11月3日、
○07:00 駅前散策
○朝食…パン屋
○08:30 祐太郎君
祐太郎君が浜松市の話をする。当然だ。
祐太郎ちゃんは浜松の歴史が滅茶クチャ凄かった。
浜松が政令都市なる過程を車の中で教えてくれた。
また、浜松のクラシック音楽事情も詳しかった。
★祐太郎君は頭が良かった。楽しかった。


28▲城№897二俣城
天竜川と二俣川の合流点、標高90mの蜷原台地上に築かれている。
搦手の駐車場まで車で登ることができる。
○搦め手口の駐車場
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○説明板
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二俣城は西と南に天竜川、東に二俣川が流れれている。
北側に空堀を設けた要害堅固な城で、
北側から北曲輪・本丸・二之曲輪・蔵屋敷・南曲輪がほぼ一直線上に
配置するという縄張りであった。
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○駐車場から城跡への登城口登城道
○二俣城跡は城山公園となっている。


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○トイレ

○「二俣城は徳川家康の嫡子信康が切腹したところ…」
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○本丸跡枡形喰違虎口の石垣。3分程。
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○北曲輪
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 北側には深い空堀が残っている。
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○本丸
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 本丸跡はかなり広く、その西には野面積みの
 天守台が残っている。
・天守台に立つと、眼下に雄大な天竜川の流れが望める。
 二俣城が要害堅固な地に築かれていたかということが
 実感できる。
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○二之曲輪虎口
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本丸跡から南に一段下がった場所が二之曲輪跡である。
二俣城跡は城山公園とはいうものの二之曲輪は草
ぼうぼうだった。
・虎口…石垣と土塁が一部が残っている。
 
○堀切(二之曲輪跡と蔵屋敷跡の間)
○蔵屋敷

○堀切(蔵屋敷跡と南曲輪跡の間)  

○南曲輪 

▼ちらっと行って戻った。
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29▲城№898鳥羽山城
30▲城№899大平城(おいひら城)

箕輪初心:生方▲浜松市『大平(おいだいら)城遠望』
&【井伊道政・宗良親王】
http://53922401.at.webry.info/201712/article_2.html

31▲城№900引間城(曳馬城)
32 椿姫観音
○昼食「うなぎの佳川」…2800円+α。
 祐太郎君のおごり。ありがとう。
13:40浜松駅…祐太郎君と別れた。
14:11発 15:40着 (89分)ひかり468号 東京行
16:11 東京→高崎
18:00 家



●二俣城の歴史

????年 「二俣城」は松井宗信が築城した。
、「松井宗信は井伊家被官であった
  (★『井伊直虎』小和田哲男著

・永禄3年(1560)桶狭間の戦い
 松井宗信は討ち死にし、子:松井宗恒が跡を継いだ。

・永禄12年(1569) 今川氏真は武田信玄と徳川家康の挟撃に
 あった。
松井宗恒は武田信玄への臣従した。
 その後、武田信玄と徳川家康は敵対した。
 二俣城は徳川家康に攻撃され、降伏した。
 徳川家康は二俣城に元今川氏真の親戚:鵜殿氏長を
 城代として置いた。
 武田勢の攻撃の危険が高まると中根正照に城代を
 交代させた。

・元亀3年(1572)10月、武田信玄の子:武田勝頼を大将と
 する軍が二俣城を攻撃し攻略した。
 井伊谷を攻略した山県昌景も合流した。
 二俣城には、信濃先方衆の佐久望月:春日城主:依田
 信蕃が城主として入った。

・元亀4年(1573)4月、武田信玄が亡くなった。
 6月、徳川家康は二俣城を攻撃したが攻略できなかった。

・天正3年(1575)5月長篠の戦い
 武田勝頼軍は織田・徳川連合軍に大敗した。
 6月、徳川家康は二俣城に軍を出し、二俣城の隣の鳥羽山
 など5カ所に付城を造って包囲した。
 依田玄蕃の二俣城に籠城し落城しなかった。
 12月、依田玄蕃は城兵の安全な退去を条件についに
 開城した。
 依田信蕃が駿河田中城に撤退した。
 徳川家康は二俣城主として大久保忠世を置き、城の
修築工事を行わせた。
 武田勝頼は度々、二俣城を攻撃したが、落城しなかった。

・天正7年(1579)7月、織田信長は徳川家康の正妻:築山御前と長男:
信康が武田方に内通したとの報を聞いた。織田信長は徳川家康に2
人を処断するよう求めた。
8月3日、徳川家康は悩んだ末、徳川家康は岡崎城を訪れた。
8月4日、松平信康は岡崎城を出て大浜城に移された。
その後、松平信康は遠江の堀江城、さらに二俣城に移された。
8月29日、築山殿が二俣城(守将は大久保忠世)への護送中に佐鳴
湖畔で、徳川家家臣の岡本時仲、野中重政により殺害された。
9月15日徳川家康の命により二俣城に幽閉させていた松平信康を
切腹させた。

・天正10年(1582)
3月11日、武田勝頼が織田・徳川軍に攻められ、自刃した。
6月2日、本能寺の変で織田信長が亡くなった。
天正壬午の乱が起きた。
徳川家康は依田玄蕃に味方になるように説得したが、保留し、甲州
へ入った。
依田玄蕃は信濃で佐久で真田昌幸と共に後北条氏の信濃侵攻に
対して徳川方として奔走した。
10月、井伊直政と木俣守勝が北条氏直との和睦の使者になった。

徳川家康は大久保忠世を信州惣奉行として小諸城に在番した。
大久保忠世は二俣城には殆ど在城していなかった。
依田玄蕃が佐久岩尾城で討ち死にすると、徳川家康は依田玄蕃の
子:康国に松平姓を与え、松平康国を小諸城主にした。

・天正18年(1590) 豊臣秀吉の小田原攻撃
 松平康国は上野国石倉城(前橋)で、騙し打ちにあった。

徳川家康の関東転出となった。
井伊直政は箕輪城主になった。
★松井家の子孫は「松居」を名乗って井伊直政の家臣と
 なっていた。
★松平康国の弟は芦田城主(群馬県藤岡市)となった。

大久保忠世は本多正信の後に小田原城主になった。
そして、堀尾吉晴が浜松城に入り、二俣城は支城となった。

・慶長5年(1600) 堀尾吉晴が出雲に転封すると二俣城は
 廃城となった。





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