箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№93【第33話「嫌われ政次の一生」】と小野一族

私も2年前まで、多くの人と同様に「裏切り政次」と考えていた。
天正3年(1575)井伊直虎が松下虎松と小野政次の甥:玄蕃の子:亥
之助(朝之)を伴って、徳川家康に謁見した。徳川家康から「万福」
の名前を貰った小野朝之は、後、箕輪城→高崎→彦根→安中藩の第2
家老となった。安中藩の第一家老は松下一定(中野直之次男)である。
何故、小野政次の死後、小野朝之が井伊家家老になったか説明がつか
なかった。
ところが、平成28年(2016)5月、龍たん寺・井伊谷城訪
問後、箕輪城奉賛会長のY氏が「皆さん(私も含めて)は何故、小野を
悪くいうのでしょうか?小野家は箕輪城に来ています。私は小野が井
伊家の責任を取って死んだのだと思います。誰かを社長の代わりに
首を切るのはありえます。」とおっしゃった。案の定、NHK大河「おんな
城主直虎」のストーリーはY氏の意見と全く同じで井伊を裏切っていな
かった。武田一条信長流Y氏、恐るべし・・・であった。
TVでは直虎は罠にはめようとしていることに気づき、直虎は
井伊谷城にいた小野政次に逃げろと行った。結果は、井伊谷城に捕
らわれた身代わりになり、小野政次の死になった。


箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№25『小野妹子→小野和泉守政直(道高)』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_36.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政№26『小野政次・小野朝之』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_37.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№35【鈴木重勝→鈴木重時→鈴木重好】
http://53922401.at.webry.info/201702/article_13.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№36【近藤康用→近藤秀用→5近藤】
http://53922401.at.webry.info/201702/article_14.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№36【菅沼忠久→菅沼忠道】
&【菅沼定盈&菅沼定利】
http://53922401.at.webry.info/201702/article_15.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№37【奥山朝利の娘と井伊家家臣団】
http://53922401.at.webry.info/201702/article_16.html



①起…政次はなつのいる家に行き、川名の隠れ家に行く。
直虎は井伊谷の牢屋に入れられた。
②承…直之は近藤の仕業と気づいた。
   政次はなつに会い覚悟を決めた。
   直虎は家康が牢屋に来たので、再興を求める
③転…政次は直虎を牢屋から出し、井伊家再興するため、身代わり
で牢屋に入った。運龍丸が救出に行ったが、政次は出なかった
④結…政次の磔で、直虎が政次を槍で刺した。

◆小野家のゆかりの地
小野亥之助は松下虎松とともに徳川家康に謁見して、家臣となっ
た。後、、安中藩の第2家老は小野亥之助(万福・朝之)がなった。

中野直之は箕輪滝沢寺を中興
した。滝沢寺4世は箕輪萬松寺を恵徳院(おそらくは中野直之の母
=井伊直政の叔母)のため、開山?あるいは再建した。高崎の
恵徳院は万松山恵徳寺を開山に関わった。
酒井忠次の子ども:酒井家次は井伊直政が造った高崎城に入り、
箕輪の滝澤寺を中興開基する。滝澤寺の和尚は井伊家とも関係が
深かった。井伊直政の高崎城下の中仙道もコース変更したけどね。


【1】第33話「嫌われ政次の一生」のあらすじ
32話の話
◆ナレーター
「家康にみかたすることを条件に井伊家再興を取り付けた直虎は
 ・・・いよいよ井伊谷城の明け渡しとなった。・・」
徳川の使者:酒井忠次と申す。・・
「但馬、罠じゃ。門を閉めよ。・・・」
近藤の兵が中に入る前に、井伊谷城の門は閉められた。


◆33話***************************
近藤「おのれ、かかれ・・」
★今年7月、近藤康用の御子孫様にお会いしたが、悪者になっている
 のであまり、すっきりはしていないだろう。

政次は門を閉めた。
「かかれ、との声が聞こえましたが、これは?」
「そなた等は川名の隠し里に向かえ。私もすぐ向かう。」

直虎は門の前で立ちはだかる。

近藤がやってきて「これは如何なることでございますか?
 城を明け渡すのではないのか?」

直虎は、「井伊のものではない。」
近藤はそれでも詰め寄ってくる。

酒井忠次がやってきて「とにかく門をあけられよ。」
と命じた。
傑山は様子を見ている。

「開けられよ。話はそれからじゃ。」
酒井忠次の言葉に、直虎も抵抗することができずに門をあけた。

~~~ミュージック~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
すでに、政次たちは城から脱出していた。

●小野館
なつが髪をすいている。
「入るぞ。」
「何かあったのですか?」
「亥之助を早く、起こせ」
「はい。」


●井伊谷城
直虎は家康からの書状を酒井忠次に渡す。

直虎は「お約束通り、井伊は城を明け渡しました。つきましては
 井伊領の安堵し、家名の再興をさせていただきたく・・・」
と話した。

しかし、近藤が「手向かいして置きながら・・・何を・・・」
と直虎に食い下がる。
しかし、直虎は「井伊はやっておりませぬ。ではあれは何だ。
「今川方の野武士が混じっていたからかもしれません。・・
もしくは井伊がやったと見せかけたいどなたかにはかられたの
 かも知れませぬ。」
と説明する。
近藤「話にならん。」
直虎「酒井様、お心あたりはありませぬか?」
酒井忠次「但馬守とやらがやったのではないのか。今川の犬ではないか
 という話ではないか?
「井伊をのっとったというのは今川への見せかけ・・・この話もお伝え
 してあったかと存じます。」
「そこも含め、騙されておったのではなかろうかのう。 
 ・・・我が殿のね首をかこうとしていたのではないか。」

「ならば、このような戦するおろかなことは致しませんでしょう。
 城に入ってから襲う方がたやすいでしょう。
 わざわざに危険を冒してまで、そのようなことはしないでしょう。
 約束通り、井伊家の再興を・・・」
度が座して
「家康公にお取り次ぎを・・・。」
酒井忠次はそのことに納得したようであった。


●山中
襲った敵を直之が追い詰め、矢を射かけた・
矢が命中した。
「そのほう、みたことがあるぞ。近藤の家来だな。」
「ちがう。」
「申し開きは城でせよ。」
と抜刀する。
「うう・・」
首をかっきった。


●井伊谷城
徳川家康が井伊谷城に入城した。

◆ナレーター
「程なくして、家康が・・・」

上座に家康が座った。
石川「随分と時がかかったなあ。」
鈴木「実は我らの兵がにわかに襲われまして・・・」
石川「襲われた?井伊が」
近藤「小野という者は・・・井伊様は一向に認めず、
   小野がやらせたから逃げたのではないかと・・。」
石川「それで、井伊殿は?」
??「牢に入れてあります。」
近藤「但馬に謀られたとは認めず、・・・井伊を再興せよと
   ばかり言われる。」
鈴木「あの、しかしながら、・・・井伊の殿はお許しいただけません
   でしょうか?出家の身でありますし、・・・」

★鈴木重時の姉?妹?は井伊直政の祖母にあたる。しかも、
 鈴木重時の妻は奥山朝利の娘であるので、井伊直親・中野直之・
 奥山六左衛門とは妻が姉妹で親戚である。井伊に好意的なのは
 当然であると思われるが、・・・・。
 ドラマは近藤を悪者にしている。

近藤「徳川様に弓を引くなど、言語道断、井伊様に罪がないなら、
   小野には罪を償のうて貰わなくてはしめしがつきません・・・」

家康「ご苦労であった。後はこちらでいたそう。」

3人が下がる。鈴木は最後に頭を下げる。
・・・・・

家康「この騒ぎ、あの者どもは謀ったのではないか?どうもうさん
 くさい。」
酒井「いましばらく、・・」

そこに、「先ほど武田より・・・」
酒井忠次のところに書状を渡した。

「これが参りました。」
家康が読む。
「あ=あ・・」
とため息をつく。
「なんと?(書かれているのですか?)」
「武田は既に駿府を落とし、・・・氏真は懸川(当時はこの字?{
 に・・・・急いで、懸川を攻めよとのことじゃ。」
菅沼「ここにはあまり長居はできぬということか?」
酒井「今、このもめ事に手間取っている暇はないかと・・。」
菅沼「戦を進める上でも、近藤殿の方が頼りになることは確かです
   しな。」

●牢屋
家康は直虎のいる牢屋にやってきた。
「徳川様?」
近づいて、「徳川様でごじますか?」
直虎は「此度のこと、神明に誓いまして、徳川様を襲うておりませぬ。
 今川の者か近藤様が謀られたのやもせれませぬ。どうか、徳川様の
 手でことの次第をお調べ願えないでしょうか?

家康はだまったまま、直虎の話を聞いた。
「双こごろない証しとして、虎松の母を差し出しました。そのような
 我らが何故、・・・」

そういうと、家康は土下座をして頭を下げた。
「如何なる意味にございますか?
 頭をお上げください。あなた様が指図できぬことなどございます
 まい。・・・ここにご自分で書かれたことを今すぐ、・・・お命じ
 くださいませ。井伊の再興を・・・」
そして、後ずさりしていった。
頭をさげたまま・・・1段上って後ずさり。・・・★珍百景であった。


●川名の隠れ家
政次やなつや亥之助などは、兵を連れて川名の隠れ里に入った。
祐椿尼「殿はどうなったのですか?」
政次「城に残られ、談判しているようです。」
祐椿尼は直虎を心配した。
「今、確かなことはお答えできませんが、・・・」
「あの、談判が上手くいかなかった折には?」
政次は「必ずなんとかいたします。」
と、祐椿尼と約束した。
なつ「なんとかとは?」
と不安そうに質問する。

祐椿尼は、「承知しました。そなたと殿に任せます。」
覚悟を決めた。

●龍たん寺
傑山たちは薙刀を準備し、僧兵になった。

直之は弓を放った者たちが近藤の家臣であることを突き止めていた。
僧「襲ったのは近藤の手の者・・・」
直之「捕らえて、つきだしてやろうと思ったが、自害されてしまい。
・・・」
「これは傑山が城からひろうできた物です・」
直之「刺さらぬ矢じゃ・・・
狂言かあ。」
「ご丁寧なことで、それで殿はいま?」
直之は南渓らに伝えた。
南渓「殿は牢に入れられておる。
直之「何故、殿が・・・」
と悔しがる。
「但馬は?」
「おそらく皆を逃がす方にまわったのでは、・・・」
「肝心な殿をおいたまま、」・・・
と怒る。
すると、南渓は「之の字・・・」と直之に頼み事をする

●川名の隠れ家
政次は思い出していた。
「罠じゃ。」
回想…「罠」
政次は考えごとをしていると、なつが握り飯と栗をもってきた。
「兄上様こそつかれておいででしょう。」
「栗か?」
「里の者が、とどけてくれたそうです。・・・」

昔話をなつに始めた。
「ひよんどり・・」
「川名のお祭りですか。お正月の」
「見たことがあるか?」
「いいえ。」
「兄上は?」
「ない。水にあてられ、火にあてられ、さんざんな」
などを話す。
そして、政次はなつの膝枕をしようとする。
なつは「あっ、お食事は?」
「後でいい。」
「だれかにみられたら、・・・」
政次は起きた。
「ああ・・・大事、大事、ございません。」
明らかに政次はいつもと様子が異なっている。
政次は幸せそうになつを見上げる。
「昔、ここの検地を・・先代をごまかそうとしたことがある。・・」
「先代はひどうてな。俺に検地を任せると言っておきながら、
 最後は全ての罪を俺になすりつけようとした。」
なつが笑う・
「ひどくはないか?」
なつは笑いながらも不安が込み上げて来た。
なつは袖から白い碁石を政次に渡した。
「これが兄上のお袖に入っておったのです。」
政次は碁石を眺める。
なつは政次の目をふさぐ。
「今はなしです。」
と直虎のことを牽制する。
手を放し、「今だけは・・・」

「うん」
と頷く。

そして、なつは政次の気持ちがわかってしまったのだ。
~~~~政次が死のうとしていることを。
政次はこれが2人で過ごす最後のひと時になるかもしれないと思って
いたのだった。
政次は優しくなつに微笑んだ。


●徳川の軍
歩兵が歩いている。

◆ナレーター
「その頃、先を急ぐ徳川軍は・・・井伊谷を出立。井伊谷には
 近藤の軍が留まることとなった。・・」
近藤は鉄砲を構えている。
南渓は近藤のもとを訪れていた。
南渓は「出家の身でございます。御仏に仕えている身でございます。
  あまりにも情けなき御所業・・・」
近藤「わしの出したいのは山々なのですが、但馬が徳川様を襲った。
 井伊様は但馬を逃がした。」
南渓「ではどうずれば、お返し願えますかな?」
近藤「・・・・但馬と引き替えならば、すぐにでもお返し申す。」
南渓は「では会せてほしいのですが。・・」
とお願いした。



●牢屋
南渓は近藤と一緒に直虎と会った
南渓は、
「そなたが但馬を逃がしたそうではないか?」
「どこに逃がしたか教えてくれにか?」
「知りません。」
「但馬をひきわたせば、そなたが助からぬのじゃぞ。」
「但馬がやっておりませぬ。」
直虎が近づいてきた。
「何もやってもおらぬ者を何故引き渡さなければならぬのですか?
・・・」
南渓は手をたぐり寄せ、握り、そっと紙切れを渡した。
「井伊のために何をなすべきか落ち着いて考えるように・・・」
と話した。
「考えてみます。」
「頼む。そうしてくれ。」
近藤は、嫌味たらしく「長く考えられても困る。」
と付け加えた。

「気賀へ」

●龍たん寺
傑山がほかの僧に武芸を教えていた。

南渓が寺に戻ると、龍雲丸らがいた。
直之に気賀を教えていた。
「船がいるのは、こことここじゃ。」

「来てくれたか?」
「中野様から聞きました。」
手下「また牢をやぶればいいですかい。」
「尼小僧様をどこに連れていけばいいんですかい。」
「当面は気賀がよかろう。」
南渓は直虎を以前龍王丸が牢か逃げ出したように、気賀に逃げ出せる
手伝いをお願いしていたのであった。
「うん、分かった。」
「かたじけない。頭。」
「まかせてくだせえ。暗くなったら、いってみまさあ。」


●井戸
政次は井戸に近づいた。
碁石を握りながら、・・・

●龍たん寺
傑山「但馬様を突き出す考えかとおもうていりました。
「政次が死ねば、あれは死んでしまうからのう。」
傑山が祈る。
★「無住の人の冷血鬼:戸骸流とは思えない。
「翼が一つでは鳥は飛べぬ。・・2人して落ち延び、再起を
 図ればよい。」

●牢屋
直虎は南渓からもらった紙切れを読んでいた。
「頼龍雲丸逝貴方候間興但馬可参気賀候」
★意味…「龍雲丸を頼り、貴女が行く間に、但馬が参るべく候。」
 西沢先生。やったあ。読めた。

◆南渓の朗読は意味を分かりやすく説明していた。

直虎のところに数人の足音が忍び寄ってきた。
「政次・・・?」
直虎は政次に近づく。
「但馬」
近藤「出られよ。」
・・・・・
「この者は我が主をおそうたのじゃ。」
近藤「寝所に忍びこんでの。」

牢の戸が開けられた。
「どこまで偽れば、気が済むのじゃ?」
近藤「こちらは刀傷を負った。」
「政次、なんとか申せ。」

「もう少しであったのにのう。、・・・」
「何を言っているのじゃ。供に徳川につくと話をしたではないか?」

「信じておられたとは、おめでたい。」
「我はもう騙されぬゾ。・・・我はもう・・」

直虎は政次が自分の身代わりになるためにやってきたのを察した。
「尼殿?・・」
直虎がつれていかれた。
「政次、返事をせい。」

直虎は、無理やり牢から出され、政次が代わりに入った。
「政次・・」
政次は、この時にこれでいいと思ったのかもしれない。

●龍たん寺
直虎が走る。
「和尚様・・・」

えいけつ?「政次様は次郎様を逃がすため、わざとやったという
 ことですか?」
直虎は「頭、我の代わりに政次を助けることはできるか?」
龍雲丸「そりゃ、できますが、・・・」

●牢屋
近藤「まさか、山猿に足をすくわれた。わしを騙したことことなど
  忘れておるであろうのう」
政次「何の話をされておられるのか?」
近藤「捕れるときにとる。悪う思われるな。」
・・・
近藤「世の習いじゃ。」
と言って去った。

がさっと音がして、牢番が調べにいった。
龍雲丸が「行きますぜ。」
と覗きこんだ。
直虎に頼まれたからである。

●井戸
直虎「亀、我はもう2度とあのような目はごめんじゃ。」
と祈りながら話す。
◆回想…「待っておるからな?」
直虎「どうか、鶴を・・」
えい??が呼びに来た。

●龍潭寺
直虎は、寺に戻った・
「政次はどこじゃ?」
政次が戻ってきてはいなかった。

龍雲丸に確認した。
龍雲まる「尼小僧様にこれを・・・」
と白い碁石を渡した。
南渓「本懐故、戻らぬそうじゃ。」
直虎「本懐?」
◆回想編
龍雲丸が針を見張り番に刺した。
「行きますぜ。」
政次は、「すまぬが、俺はいかぬ。」
そういって拒んだ。
「え、なんで?」
「殿や俺は逃げればよいかも知れぬ。しかし、(近藤の)恨みが晴れ
なければ隠し里や寺、虎松樣・井伊の民・・・なにをどうされるか
かわからん。そして井伊にはそれを守りきれるだけの兵がおらん。
俺一人の首ですますのが最も血が流れぬ。」
「けど。・・・貴方がいなくなったら、あの人は誰を頼ればいいんだよ。」
「和尚様がおるし、お主もおるではないか。」
「御免、こうむりゃあ。」
両肩を抱いて、
「あんた、それでいいのかい。このままいきゃ。あんたは井伊を
 乗っ取った挙げ句、罪人として裁かれるということだろうが」
方を揺すぶりながら、
「悔しくねえのかよ。
井伊のために、あんなにいいのためにだれよりも駈けけづり廻って
いたのはあんたじゃねえかよ。」
と力説する。
「それこそが、小野の本懐がからな。
・・・・・
「忌み嫌われ、仇となる。おそらく私はこのために生まれて
 きたのだ。」
「あ~あ^あ」
と頭はへなへなになって座りこんだ。
「わかんねえな。おれには」
「分からずともよい。」
龍雲丸が説得しても気持ちが変わりそうもなかった。
龍雲丸は何も言えなくなった。


●龍たん寺
直虎は碁石を眺めている。

「尼小僧様、やめとけ。」
「話し合う。」
龍雲丸が留める。
「忌み嫌われるために生まれた来たなど・・・」
「あの人はらりたくてやってんだよ。」
「お前に何が分かる。政次は幼い頃から、家に振り回され、
 踏みつぶされ、・・・それの何が本懐じゃ。」

「井伊ってのは、あんたなんだよ。・・・」
直虎がひるむ?????
「あの人の井伊ってのは、あんたのことなんだよ。」
つかみながら・・・
「小野って家に生まれて振り回されたもしれん。辛い目にあったかも
 しれねえ。でも、そんなもん、その気になれば、放り出すことも
 できた。そうしなかったのはあの人がそれを選んだからだ。
 あんたを守ることを選んだのはあの人だ。だから本懐だと言
 うんでさあ。
・・・・・
「頼んではおらぬ。」
・・・・・
「守ってくれと頼んだ覚えは一度もない。」

直虎は龍雲丸を鉄砲玉のように飛び出した。


●井戸
南渓が近づく。
傑山が見守る。

直虎が井戸端で座禅?正座?を組んでいる。
「和尚様、これは一体?」

「私に次の手を打てということなのです。
「答えはそなたにしかわからんのではないか?」

「政次、・・我は何をすればよいのか。今更、そなたに何を・・・」

●牢屋
政次・・・

◆回想・・「上手く仕え。・・我もそなたを上手く使う。」
碁石を眺める


翌日、
「今日、政次が磔になる。我らは引導を渡しに行くが、
 行くか?」
と南渓が直虎を誘う。
しかし、直虎は
「参ります。政次は・・私が送ってららねば、・・・我が・・」


●牢屋
政次は手紙を書き終えた。

「でられよ。」
へろへろで出る。

●龍たん寺
南渓・直虎は井伊谷城に向かった。

●磔場
政次は痛めつけられた体を引きずりながら、・・・

近藤がにらみつける。

政次は直虎をみる。
直虎も見つめる。

政次に縄が取り付けられ、十字架になった。

●近藤に家臣2人が槍を突こうとしている。
直虎が家臣から槍を奪い、・・・
槍で胸を胸に目がける。
南渓・傑山・近藤・・・唖然・

直虎が政次の胸を刺した。

直虎「地獄に落ちよ。小野但馬。・・・我をようここまで、
 欺いてくれたな。遠江一。日の本一の卑怯者と未来永劫
 伝えてやるわ。・・・」

政次「笑止、もとより、女子だより井伊に未来に・・・」
  家老ごときに謀られる井伊など・・・やれるものなら
  やってみよ。地獄の底から見届け・・・」

政次が逝った。

直虎は近藤に頭を下げ、戻った。

◆回想…おとわと鶴

「白黒を つけむと君を  ひとり待つ
 天つたふ日そ 楽しらかすや  
               政次  」
★何と下手くそ字・

◆回想・・・


**********************
◆ゆかりの地
「小野一族は室町時代には井伊谷で暮らしていたといいます。
  もともとは朝廷に仕えていた由緒正しい家柄だったと伝え
 られています。

・小野家代々の墓・・・龍たん寺
画像

・小野玄蕃の墓

・小野政次の墓・・・蟹淵(がにぶち)「伝:小野但馬守の供養塔」


●奥山朝利の子ども
①嫡男:奥山朝宗 (?~永禄3年(1600) )
  奥山朝利の嫡男:奥山六左衛門朝忠(永護院の兄)
  は井伊家家老になっていた。
・永禄3年(1600) 奥山六左衛門朝忠は桶狭間で討ち死にした。
   奥山朝忠→奥山朝宗→奥山朝久。
 
②次男:奥山朝重 (?~?)  
   井伊源左衛門家
   奥山朝重→奥山朝正→奥山朝長。

③3男:朝家 (?~?)
   奥山源太郎朝家→奥山朝房→奥山朝次。
  
④4男勘三郎 不明


●奥山朝利にはたくさんの娘がいた。
⑤娘①→井伊直親の妻(おひよ)・・・井伊直政を生んだ。
  本当の名前は「ひよ」であるという。
  戒名から「永護院」と呼ばれている。
  8人姉妹の中でも一番格上の井伊直親に嫁いだ。
  井伊直政の母となった。

  →永禄12年(1571)松下清景の妻として再婚した。
★天文8年(1539)生まれとすれば、32歳かあ。
まだまだ行け行け女になれる女盛り年だね。

⑥娘②→中野直由の妻
     中野直由の嫡男:中野直之
 長男:中野三孝・・・井伊家家老。
次男:中野一定→松下清景の養子:松下一定

⑦娘③→小野玄蕃朝直(小野政次の弟)の妻
  ・永禄3年(1560) ▲桶狭間の戦い
  井伊直盛・小野正次(道好)弟:小野玄蕃朝直も討ち死に。
  ・天正3年(1575) 2月井伊直虎に付き添われて井伊直政
   (15歳)は浜松の徳川家康に出仕した。
 虎松(井伊直政)と小野玄蕃の息子:亥之助(小野朝之)
   が出仕した。徳川家康から
   井伊虎松は「万千代」の名前を貰った。
   小野朝之は「万福」の名前を貰った。
  井伊直政と小野朝之は従兄弟であった。
   2人の母は奥山朝利の娘で、姉妹であった。
 
⑧娘④→西郷伊予守正友の妻
 天正15年(1587) 井伊直政の付家老2000石となった。
  嫡男:西郷重員3000石。慶長14年(1615)没。
西郷員吉・・・妻は井伊家家老:椋原正長の娘。

⑨娘⑤→鈴木重時の妻・・・鈴木重好・・・井伊家家老

⑩娘⑥→菅沼淡路守の妻
  ★菅沼忠久の妻は、鈴木重時の娘。 
菅沼忠久の嫡男:菅沼忠道の可能性が高い。

⑪娘⑦→橋本四方助の妻

⑫娘⑧→平田森重の妻(於徳)

★奥山朝利は娘たちを井伊家の有力家に嫁がせていった。
 奥山家の影響力を強めていった。
小野玄蕃の妻になった娘・中野直由の妻になった娘もいた。


・永禄11年(1568) 
 11月 井伊直虎は関口氏経と連署で徳政令を出した。
  ★今川氏真が介入してきたことを意味する。
「井伊直虎は今川氏家臣関口親永一族:関口氏経の息子
 (次郎法師の母方の従兄弟)を井伊次郎と名乗らせて
 当主とした説もある。
 『鉾前神社古文書』に唯一「井伊直虎の名がある。」
 井伊直盛嫡子「井伊直親養子」、妹に「女子」とあるだけである。
 (★『おんな城主井伊直虎と井伊家の歴史』井伊達夫著)
★関口親永の妻は今川義元の妹婿説・井伊直親の叔母説がある。
 
 関口親永の娘は徳川  家康の正室:築山殿の父である。
 関口氏一族は後、木俣守勝側近となった。


▲武田信玄の第一次駿河侵攻
 武田信玄は駿河侵攻にあたって、徳川家康と今川領分割の密約を
 結び、大井川を境にして東部を武田氏が、西部を徳川氏がそれぞ
 れ攻め取ることにしたのである。

12月6日、武田信玄は1万2000の軍勢を率いて駿河侵攻を開始
 した。
 今川氏真は重臣の庵原忠胤に1万5000の軍勢を預けて迎撃させた。
 武田軍が進軍を開始すると、今川軍は退却し始めた。
 北条氏康は武田信玄との同盟破棄した。

今川氏真は井伊家に対して出兵の命令が出した。
 井伊直虎は一族の者を名代にして兵を出したかったかもしれ
 ないが、小野但馬守政次(道好)が井伊軍を率いると主張した。
 結局、小野但馬守政次(道好)が井伊軍を率いて出陣した。
 小野但馬守は駿府に行った。
 駿府では井伊谷を井伊家から取り上げて今川の直轄領にすること
 が話し合われた。
 今川氏真は小野政次(道好)に駿府で井伊虎松を殺害して井伊谷
 を掌握し、軍勢を率いて加勢するよう命じた。
 次郎法師は井伊谷の地頭(領主)を解任され、小野但馬守が今川
 の代官として井伊谷を治めることになった。
 小野但馬守政次(道好)は今川氏真のお墨付きをもらって
 支配の許しを得た。
 小野但馬守政次(道好)は井伊谷に入り、井伊氏より井伊谷を
 横領することとなった。
小野但馬守政次(道好)は今川権威をかさに代官として井伊家が持
 っていた井伊谷の親戚衆・被官を統率することになった。
 しかし、井伊家の親戚衆・与力の多くは小野但馬守に従わずに自分の
 領地に戻ってしまったようである。
 次郎法師(井伊直虎?)は親戚衆・家臣と兵を失った。
 井伊屋敷を追われ、龍潭寺に避難した。井伊虎松も一緒である。
 井伊虎松や次郎法師、直盛の妻:祐椿尼は井伊氏菩提寺の龍潭寺
 に入って難を逃れた。
野但馬守政次(道好)は井伊直虎を追い出すことに成功した。
 小野但馬守は、井伊谷城の三の丸に屋敷(後近藤彦九郎陣屋)
 を建てて移り住んでいた。
 
12月? 井伊家筆頭家老:小野但馬が井伊領を横領した。
  龍潭寺2世:南渓瑞聞は 井伊虎松(井伊直政)を
  鳳来寺(松井家?)に移住させた。

12月11日 小野但馬守政次(道好)は今川軍の一員として武田信玄
 を打倒に向けて出陣した。

12月12日 ▲薩埵峠の戦い
 今川氏真は武田軍を迎撃するため、興津の清見寺に出陣した。
 武田信玄は今川氏の有力家臣である瀬名信輝、朝比奈政貞、
  三浦義鏡、葛山氏元らを調略した。
 結果として21人の武将が武田信玄に内通して裏切ったのである。
 北条氏政は駿河に援軍に向かった。
  伊豆三島に対陣するに留まった。

12月13日 武田軍は駿府に入った。
 今川氏真は駿府城を捨てて遠江掛川城の朝比奈泰朝を頼って
  落ち延びた。
 小野但馬守政次(道好)は井伊谷城に戻ってきた。

12月13日、徳川家康も三河から遠江に侵攻した。
菅沼忠久は徳川家康に加担する菅沼一族の野田菅沼定盈
 から今川家の離反の誘いを受けると、承諾した。
 菅沼忠久は鈴木重時や近藤康用(&秀用)も誘った。

12月15日  徳川家康の井伊谷侵攻。
 徳川家康に内通した井伊谷三人衆(菅沼忠久・鈴木重時・近藤康用)
 の道案内で徳川軍が井伊谷に攻めた。
 井伊谷3人衆(近藤・鈴木・菅沼)は井伊谷城を先導した。
 井伊谷城は井伊谷三人衆の攻撃にさらされた。
 ところが、代官:小野但馬守政次(道好)は攻撃が始まる前に
 井伊谷城を捨てて逃げた。

徳川家康は小野政次(道好)の専横に対し、
  近藤康用・鈴木重時・菅沼忠久の井伊谷三人衆を派遣し、井伊谷
  を奪還させた。
徳川家康は井伊谷城を攻略した。
井伊谷は3人衆の支配下に置かれた。
  井伊谷3人衆は小野但馬守の探索を徳川家康に願い出た。
  ①小野但馬守は菅沼忠久の兵に見つかって捕えられた。 
  ④近隣の淵の「龍ヶ淵」洞窟に潜伏していたが近藤秀用に
   捕えられた説もある。
 井伊谷から曳間(引間)城攻めに案内した。

  井伊谷城や白須賀城→曳間城(浜松城の前身)を落とした。

12月27日 徳川家康は掛川城を包囲した。

・永禄12年(1569)
4月7日 小野政次(道好)は偽りの密告をした罪で処刑された。
 小野政次(道好)は獄門を言い渡され井伊谷で処刑された説もある。
  井伊谷蟹渕・・・小野但馬守が処刑された。
  小野政次の野望は潰えたのである。

5月 堀川城攻撃
  
 5月17日 今川氏真は家臣の助命と引き換えに掛川城を開城した。
 
 6月 小野政次(道好)の息子2人も斬罪となった。
 ※元亀元年(1570)説もある。
★子どもがいた説もある。
 
・永禄12年(1568)井伊直政の実母は今川家臣:松下源太郎清景
 (浜松頭陀寺城)と再婚した。

 ★松下清景の姉は松平元康(徳川家康)家老:松下之綱であった。
  井伊家が今川氏から独立した松平元康との関係を模索した。
 と考えられる。
 井伊直虎が徳川家康の将来性を見抜き、養子の虎松(井伊直政)を
 徳川家康に出仕させるために仕組んだ結婚であったかもしれない。
ドラマは順序が逆になっている。





★明日は映画特集かな?

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