箕輪初心生方▲真田丸56【佐久田口城】&相木氏&伴野貞長の最後

伴野家宗家:Hしゃん、違っていたら訂正をお願いします。
佐久野沢城:伴野信是の支城:伴野部城:大工原兵部の城であった
が、村上義清方の田口長能が攻略し、田口城として大きな改修工事
をした。その後、武田晴信に味方した大工原兵部の親戚:相木昌朝
が田口長能を下し、入城した。永禄8年(1568)には、新海三社神社
で戦勝祈願をした。その後、田口城は依田信蕃の城になった、しか
し、依田信蕃が岩尾城攻めで戦死すると、居館に依田康国が蕃松院
を建てた。
文久3年(1863) 三河奥殿藩の藩主:松平乗謨(のりかた)
は、分領(16000石中12000石は佐久)藩庁移転と陣屋新築の許可
を得て、西洋式の佐久五稜郭=龍岡城を築城開始した。
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◆訪問日・・・平成19年(2007)5月3日
群馬から254号線→内山峠
①内山城登城→②平賀城遠望→③前山城登城→④伴野氏館=野沢城
→⑤稲荷山城→⑥佐久五稜郭→新海三社神社→⑦田口城入り口→
志賀城入り口・・・上信越道・・


≪アクセス≫
①県道120号龍岡城方面から北上すると、直線道路が左に斜めに
 曲がる所があり、 そこを右折すると林道清川線入り口の黄色い
 看板がある。・・・ここを行けば、いいらしい。
 しかし、私のプラドがいやがった。

②蕃松院の東100m程の所に登り口があるらしい。
歩きの人はそこから登った方がいいかもしれない。

富岡武蔵さんが
「田口城&平賀城は凄いよ。
 宮坂さんの本に出ていない郭が平賀城と前山城にはあるよ。」
ち言っていたが、登っていない 。悪しからず。・・・・


◆◆ 田口城の歴史 ◆◆

・室町時代
◆田口城築城説  
 ①伴野部城・・・伴野信是家老:大工原兵部が守っていた。
  (妻が相木依田七兵衛長繁の娘*相木昌朝の従兄弟の娘)

 ②田口城は田口氏によってに築かれた説。
 

・天文5年(1532) 武田信虎の佐久侵攻。
須玉→野辺山→馬越峠・・・
武田信虎8000が攻めたが海ノ口城は落とせなかった。
引き際の時、武田晴信300が残った。
相木昌朝が
「我らが援助するので、・・・。」
南相木村~北相木村~川上村は相木市兵衛依田昌朝の
領分であった。村上義清方の平賀源心が海ノ口に城を
築いたのを快く思っていなかった。
青木昌朝は500の軍勢を率い、武田晴信300と
合流して、夜、海ノ口城を襲った。
『相木市兵衛依田昌朝と武田信玄』:依田武勝著

・天文6年(1533)
 2月23日 伴野部城・・・伴野信是家老:大工原兵部
  (妻が相木依田七兵衛長繁の娘婿)は村上義清方の
田口長能に攻められ、大工原兵部は戦死した。
田口城という名前になった。
『相木市兵衛依田昌朝と武田信玄』:依田武勝著

・天文9年(1540) 武田信虎は佐久郡・小県郡への本格的な侵攻を
 はじめた。
  武田軍は佐久郡の海ノ口城・海尻城など諸城を陥れた。
板垣信方が先鋒で36の城を落としたという。
●相木市兵衛依田昌朝と伴野信是の活躍があった。
  相木市兵衛依田昌朝の弟:隆俊&武田晴信の妹は結婚した。
  
 前山城に入った。武田信虎は伴野助十郎信是と同盟を結んでいた。
 前山城を前進拠点とした。

・天文10年(1541)
5月 海野平の戦い
 武田信虎と諏訪頼重・村上義清氏とともに信濃佐久郡・小県郡へ
 侵攻した。
海野棟綱&真田幸隆は上野国の羽尾幸全を頼った。
 真田幸隆は箕輪城:長野業正を頼った。
 海野棟綱&真田幸隆は平井城:上杉憲政に小県の復権を依頼
した。

武田信虎は諏訪頼重とともに大井貞隆の本拠:長窪城を陥れ
 諏訪領とした。


6月14日 甲斐で武田信虎は嫡男武田晴信により今川氏の駿河へ
 追放され、武田晴信が家督を継承した。

関東管領:上杉憲政が海野棟綱&真田幸綱(幸隆)の要請を利き、
信濃佐久郡・小県郡へ侵攻した。

①黒田基樹説では、大将は長野業正で、海野棟綱&真田幸綱(幸隆)も
同行したと思われるとしている。
諏訪頼重は独断で山内上杉憲政と和睦を結び、芦田郷を支配地と
して割譲した。
②平山優説では、大将は不明だが、・・・
★諏訪頼重が長野業正との和睦で芦田城・長窪城を支配地とした。

上杉憲政の意向で佐久は武田の支配が弱まった。
再び、大井一族が勢力を盛り返した。
この間隙をぬって、佐久の岩村田大井城にいた大井貞隆は本拠地:
長窪城を奪い返した。
芦田(依田)守信(信守)芦田信守&芦田(依田)系の相木昌朝は
大井貞隆に帰参した。
というより、既に武田晴信の家臣として、活動していた。

・天文11年(1542)諏訪頼重を盟約違反とした武田晴信は高遠
頼継と結び諏訪郡へ侵攻し、諏訪氏を滅ぼした。
次いで決裂した高遠頼継を打ち破った。
諏訪頼重の居城だった上原城に家臣・板垣信方を城代として配置し、
諏訪郡代としてを諏訪・伊那を領国化した。


・天文12年(1543) 武田晴信の佐久侵攻。
・9月9日、申刻、光台退治のため、千塚まで御出陣。
・10日、若神子に御着。
・12日海野口。
・15日宮ノ上。
・16日前山。
・17日御着陣。申刻、長窪の城、攻めなさる。
・19日光台(大井貞隆)生け捕る。
・20日望月一族生害なさる。
  『高白斎記』天文12年の項目
(★余湖さんのHpで見つけて、引用させていただいた。)
 
 
大井貞隆の家老だった芦田守信&芦田(依田)系の相木昌朝は
 武田晴信に内応し、岩村田城:大井貞隆を降伏させた。
   
 しかし、大井貞隆は長窪城で反旗を翻した。
 長窪城(現長和町)を攻撃となった。
武田家臣:芦田信守と相木昌朝は元主家:大井貞隆を攻撃した。
 長窪城主:大井貞隆を攻めて自害に追い込んだ。

結果・・長窪城は武田氏の御料所(直轄地)となり、長窪城は東信濃
・北信濃侵攻の前線基地として重要視された。


さらに、武田晴信は望月城を攻撃した。
望月盛昌の子:望月昌頼は小諸城に逃げた。
しかし、弟?の望月源三郎&望月新六は武田晴信に
最後まで抵抗した。


●真田幸隆は一般的に箕輪城に3年いたことになっている。
*天文12年(1543)か天文13年(1544)
 真田幸綱(幸隆)は武田晴信に臣従した。 
『相木市兵衛依田昌朝と武田信玄』:依田武勝著では、
真田幸隆は海野棟綱の長男で依田小太郎となっていて、依田
一族であるとしている。相木昌朝は上野国から呼び寄せ、
武田晴信に紹介したとある。真田幸隆の次男:真田昌輝の妻は
相木昌朝の娘(相木房頼の妹)である。



武田晴信の配下に芦田信守・相木昌朝がなった。
①芦田信守→依田玄蕃(信蕃)+跡部勝資の娘 →依田康国

②相木昌朝→相木市兵衛+山県昌景の娘→
 帰参直後から騎馬80騎持ちで田口城代に任じられた。
 後、相木昌朝の長女は真田幸隆の次男:真田昌輝に嫁いでいる。
 相木昌朝の次男:相木市兵衛は武田信玄より依田能登守の名を
 与えられた。

③望月源三郎→望月(武田)信頼
・天文18年(1549)
 ★同族の滋野系海野系真田幸綱(幸隆)の仲介による説得で降伏し
 たという。望月源三郎が武田晴信の配下となった。
 望月源三郎は武田晴信の「信」を与えられ、望月信雅と名乗った。
 望月盛昌の娘(望月信雅昌の兄?妹?)は武田信玄の弟:典厩
 信繁の嫁となった。
 永禄年間、武田信繁の子:望月信頼&望月信永は
 望月信雅の養子となった。
真田幸隆の家臣に望月太郎左衛門がいるが、一族であろう。
 また、望月太郎左衛門の子:望月六郎幸忠は真田幸繁の小姓
 だったという。真田忍者とも言われている。



・天文13年(1544) 武田晴信の田口城→平賀城→志賀城攻撃  
★武田晴信・相木昌朝・伴野信是は村上義清方の田口城
 の田口長能を攻略した。
 後、相木市兵衛昌朝が田口城に入った。
 従兄弟の娘婿の城に入城した。
 長男:相木信房(武田晴信の妹婿)に治めさせた。
 
『相木市兵衛依田昌朝と武田信玄』依田武勝著

志賀城攻め
小田井が原の戦い
志賀城さらし首3000(伝)


 
長窪城は、武田晴信が北信濃に進出するために長窪城から
出撃した。出撃は3回あったようである。


・天文17年(1548)上田原の戦い
①武田晴信(信玄)が長窪城に着陣し、村上義清と戦った。

武田晴信が破れ、撤退した混乱に乗じて、田口長能は田口城の
 回復をはかったが成功せず、田口氏は滅亡 した。

・天文19年(1550) 砥石城(戸石城)攻撃
②武田晴信(信玄)が長窪城に着陣し、砥石城を攻めた。
 砥石崩れ・・・敗戦2回

・天文20年(1551) 真田幸綱(幸隆)の調略によって、砥石城は
  武田晴信の手に落ちた。

・天文22年(1553) 和田城、高鳥屋城、塩田城の攻略
③武田晴信(信玄)が長窪城に着陣し、村上義清を上杉謙信の
 のもとに追いやった。

・永禄2年(1559) 第3次川中島の戦い
 2月22日 武田晴信は甲府を発ち、相木城(見立城)に泊まった。
 
 相木常喜と作戦を立て、川中島に向かった。
 6月 善光寺横山に相木城(現長野女子高校・城山小)を築城した。
 ※現在、相ノ木通りである。

・永禄4年(1561) 第4次川中島の戦い(八幡原の戦い)

 11月2日 武田晴信は相木領内松原神社で戦勝祈願をした。

・永禄8年(1565) 武田信玄の箕輪城攻撃
2月7日 武田信玄の諏訪明神・新海三社神社(佐久)で戦勝祈願。
  「箕輪城(高崎市)を攻略した後は、惣社(前橋市)
   ・白井(渋川市)・嵩山(中之条)の四邑、たやすく予
   の掌握に属し、凱歌を奏し帰楽安泰せば、・・・
   (★新海三社神社・群馬県史)
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「今■永禄8年乙丑春皇2月7日、えらびて吉日な良刻となし、天道
 運数に任せて吾が軍を上州箕輪に引率するの日、まづ願状を新海大
 明神に祠前に献ず。その意趣は、殆ど箕輪の城十日を過ぎず撃砕散
 亡せんことは必せり。それ当社は普賢さった(さった峠のさった)
 垂迹なり。人願こくに来たり苦を救ひ難を救ふ。しかのみならず、細
 軟の衣を鎧となし、■■冠(桜の王冠の意味?)甲となし、如意鉄
を干戈となし、大白象を駿馬となし、百億の化身みなぎって吾が方に
満たれば、迂誕なかるべし。
 ここに一太刀一腰孔方五紺進納せしむるところなり。神感なお余り
きて、惣社、白井、嶽山、尻高等五邑、たやすく予が掌握に帰さば、
ひつしゅう衆を請(こう)じ、神前に於いて、三百部の法華経王を
読誦し、神徳を報謝すべし。急々律令のごとし。
 特に永禄8年乙丑2月吉辰 
      信玄敬ひ白す(花押)」
(★『相木市兵衛依田昌朝と武田信玄』依田武勝著 )
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  6月・倉賀野城落城→武田信玄の家臣。
倉賀野尚行(「直行」)は既に戦死いている。
倉賀野16騎の筆頭:
   金井淡路守秀景→倉賀野秀景→と武田信玄が命名。
   (子孫の会・高崎市の街巡りパンフレットを参考)

  8月→田口峠→築城していた砥沢城(群馬の南牧村磐戸)→下仁田
  →富岡宮崎城→
  (1562年築城の安中の磯部城・八幡陣城)
   +国峯城(富岡)の小幡信貞→
  ・富岡・吉井の城を次々に攻略し傘下に。
  ・奥平城(徳川家臣奥平信昌の父)・庭谷城など吉井の
    約20城に侵攻
  ・一郷山城の侵攻・・・藤岡の牛伏山の東250m
    安部中務尉之友は、武田の攻撃を受け、戦死。落城。
   (一郷山城の資料)
 ★箕輪初心私見
   ①武田本隊・倉賀野城金井氏・和田城和田氏・国峯城小幡氏
    →南ルートからの侵攻。  
  ②岩櫃城の真田幸隆+大戸城の浦野氏→北ルートからの侵攻
    「箕輪城に詳しい元長野業政の娘婿を味方に抱き込んでの
   出陣計画。
    ・箕輪城1500 VS  武田35000人の兵。
    (ほとんどの小説)
★私見「攻撃数は資料がないからわからないが、
  甲州+信濃勢のメンバー全員。
   @武田軍が金敷平(大手虎蹈門西の岸)に在陣し
  箕輪城を攻撃。(秋本先生)

・永禄9年(1566) 箕輪城落城
  *信玄は箕輪城攻撃のため、降伏した倉賀野秀景(=金井淡路守)
  に剣崎城主を命令。
   しかし、現地案内板は別の人 
  (高崎市の「街巡りパンフレット」を参考)
 ①城主である業政の子業盛は19歳。最後、突撃した業盛は自ら
  薙刀を揮って28人の敵兵を切り 伏せた.。業盛はひと反撃して
   帰城し、一族とともに自刃して落城した。
  (★『箕輪軍記』:大塚實訳:岡田豊治監修:奉賛会:柳澤佳雄発行)
 ②武田信玄の椿山入り口(箕輪小東から侵攻に対し、伊勢守が奮戦。
  信玄は「上泉伊勢守を大胡に帰れ。殺すには惜しい。」と許した。
  そして、上泉伊勢守は信玄の一字をもらって、「信綱」となった。
  (小説:)  
  ★箕輪初心私見「上泉伊勢守は武田家滅亡後に柳生に行った
  可能性が高い。」
 ③永禄9年(1566年)9月 信玄は15000の兵で箕輪城を囲んだ。
   城兵は城主長野業盛以下1500人。
   大手口は山県昌景、馬場信房。搦手口は武田勝頼、原胤元、内藤
   昌豊といった信玄旗下の猛将達。この時、長野家の家臣藤井友忠
  という武将がわずかな兵を率いて城外に打って出て、搦手
   攻撃軍を襲い、一時は武田勝頼を討ち取る寸前まで行ったが、
  多勢に無勢。背後に回った原胤
   元に斬られてしまった。箕輪城の曲輪が落とされた。これまでと
  観念した城主長野業盛は御前
   曲輪に入ると、業政の位牌を拝み自刃した。
   「春風に梅も桜も散り果てて 名のみ残れる箕輪の山里」
  (長野業盛辞世の句)
箕輪初心●箕輪城シリーズ⑩「長野業盛」
 http://53922401.at.webry.info/201010/article_14.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201010/article_14.html




・天正10年(1582) 武田氏が滅亡。
真田昌幸は小県郡を領地とした。

6月18日・19日 神流川の戦い
滝川一益 VS 北条氏直

①唐沢定一説・芝辻俊六説
 真田昌幸は人質を返して貰ったお礼に諏訪まで送って行った。
6月20日 滝川一益が家臣:道家正栄の守る小諸城(長野県小諸市)
  に入った。依田信蕃は小諸城をもらい受けた。
6月28日 伊勢長島に帰還した。

②平山優説・黒田基樹説=真田丸
6月20日 滝川一益が家臣:道家正栄の守る小諸城(長野県小諸市)
  に入った。
※「真田」では、」沼田城から真田昌幸の母:とり&将来の妾
 きりが人質で滝川一益が小諸まで連れて行ったことになっている。

6月22日 依田信蕃は滝川一益と対面し、佐久・小県郡の人質を集め、
 滝川一益に引き渡した。
 人質の中には嫡子:依田康国や真田昌幸の老母が含まれていた。
  (★平山優説)
6月27日 清洲会議の日。
 滝川一益は小諸城を依田信蕃に明け渡して旅立った。
6月28日 滝川一益は諏訪から木曽谷に入った。
 木曽義昌に佐久・小県郡の人質を木曽義昌に預けた。
7月1日 伊勢長島に帰還した。
9月17日 人質は木曽義昌から徳川家康に引き渡された。

北条氏政の命令で、北条氏直は佐久に侵攻した。

7月12日
 依田信蕃&真田昌幸は碓氷峠を越えて北条氏直の兵が進出してきた。
依田信蕃は小諸城を放棄し、「蘆田小屋」へ退いて籠城した。
①「蘆田小屋」=三澤小屋説
 (★『依田記』)
②三澤小屋=蘆田小屋の詰め城説
 (★『乙骨太郎左衛門覚書』や『武徳編年集成』)
③「蘆田小屋」=春日城説
④三澤小屋=大小屋城(押出城)鹿曲川上流説
⑤三澤小屋=「三澤」の大滝不動・石不動付近説。
★依田信蕃の兵3000を駐屯させられる場所なんて、春日城
 以外考えられない。行ってみると、分かるが堅固な城である。


  真田昌幸は北条氏直の配下となった。

しかし、依田信蕃は真田昌幸を説得し、徳川家康の寝返らせた。

 北条氏直の本陣:甲斐国若神子城(山梨県北杜市須玉町若神子)
VS
徳川家康の本陣:開国新府城(山梨県北杜市)

①今までの説
 7月 依田信蕃は伴野信是のいる野沢城を攻撃した。
    伴野信是は討ち死にした。
    息子:伴野貞長は脱出した説(息子説)
伴野信守の息子説もある。
 依田信蕃&真田昌幸は碓氷峠で補給路をたった。
徳川&北条の和睦のきっかけになった。
②平山説
依田信蕃はゲリラ戦を展開し、上野国からの北条軍の補給線を寸断した。
7月14日 徳川家康配下:芝田康忠、辻弥兵衛が依田信蕃と三沢小屋
で合流した。
9月25日 旧武田遺臣:岡部正綱(元遠江:高天神城主)、今福求助、
 三井十右衛門、川窪信俊等が三澤小屋に到着した。
9月28日、依田信蕃は北条方であった真田昌幸を調略した。
10月26日 依田信蕃は春日城を奪還した。
10月27日 依田信蕃は前山城を攻略した。
依田信蕃は稲荷山城から田口城の攻撃にかかった。
  田口城には阿江木氏の流れを汲む相木昌朝と子:相木能登守依田
  房頼が入っていた。
①今までの説
  相木昌朝・相木房頼・伴野貞長は田口城に籠城して
大導寺政繁の軍を待った。

10月29日 徳川家康に有利な条件で後北条氏との講和が成立した。
依田信蕃は び、稲荷山城から田口城を攻略した。
 
 ところがなんと、大導寺政繁軍が撤退してしまった。

 
 同族の依田7家の芦田信守の子:春日城主
  :依田信蕃の攻撃を受けて落城し、徳川家康のものとなった。
2人は又従兄弟、又は6親等?・・・

★平山説を拡大解釈をすると、佐久北部にいた北条氏直軍
にいたことになる。
①今までの説
  相木昌朝・相木房頼・伴野貞長は田口城から大導寺政繁を
頼って松枝城(松井田城)に行った。
大導寺政繁から保渡田村に行けと言われて、保渡田に行って
2年後、相木昌朝は死んでいる。
②個人的には、北条氏邦軍に助けを求めた可能性が高くなる。
 なぜなら、北条氏邦は鉢形城&箕輪城の兼任城主であった。
 保渡田城には内藤昌月(保科正俊の子)一族や土屋一族(金丸虎義
 の子ども)や塚越半七(私の母方先祖)・友松一族がいた。
 北条氏政に臣従し、北条氏邦の家臣として佐久郡に侵攻していた。
 ★ちなみに内藤昌月の甥:保科正光の妻は真田昌幸の娘:正妻である。
後、養子は徳川家忠の子:保科正之である。


  北条軍が徳川軍に敗北した。

戦功により依田信蕃は北条方の大道寺政繁が撤退した後の小諸城も任
 された。佐久郡・小県郡周辺の勢力が続々と依田信蕃の下に集って
 きた。

しかし、依田信蕃に反対する旧武田遺臣勢力は、北条方の岩尾城主:
大井行吉の下に集まった。


おそらく、依田信蕃は田口館(現蕃松院)から出陣したのであろう。
徳川家康配下:芝田康忠、辻弥兵衛
旧武田遺臣:岡部正綱、今福求助、三井十右衛門、川窪信俊等
3000が岩尾城攻めに向かったのであろう。

・天正11年(1583) 岩尾城攻め
依田信蕃が討ち死にした。
 長男:依田康国が父:信蕃の菩提を弔うために蕃松院を建立した。
依田康国は徳川家康から松平姓を貰い、松平康国として、
 小諸城に入った。

・天正11年(1583) 真田昌幸が徳川家康を使って上田城を築いた。
  家臣を上田に呼び集めた。
   
・天正17年(1589) 相木房頼&伴野貞長は田口城近くに戻った。
 田口城で兵を1000人で反旗を翻した。
 しかし、松平康国に攻められ、落城した。
 伴野貞長は戦死した。

 保渡田近くに残った伴野貞長の子孫は高崎市のある村に居所を
 もとめた。・・・・
 そして、伴野家宗家Hしゃんに繋がるのであろう。
 ★Hしゃん、違っていたら訂正をお願いします。




~~~略~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・文久3年(1863) 三河奥殿藩の藩主:松平乗謨(のりかた)
は、分領(16000石中12000石は佐久)藩庁移転と陣屋新築の許可
を得て、西洋式の佐久五稜郭=龍岡城を築城開始した。



龍岡城五稜郭 
★訪問は3回あるが、写真は1回分しかない。
2回目の時、学校で、詳細の説明をいただいたが、ない。
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箕輪初心:生方▲箕輪城№183真田丸1【真田幸綱・昌幸・幸繁
と箕輪城との関わり】
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~27歳父:幸隆死亡】
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箕輪初心:生方▲真田丸13【真田幸隆の旧中之条侵攻】と沢渡温泉
&和光庵&つむじ
http://53922401.at.webry.info/201601/article_16.html

箕輪初心▲真田丸14【真田道→三国街道】2016スキー①新潟『神楽』
http://53922401.at.webry.info/201601/article_17.html

箕輪初心:生方▲真田丸15『真田丸第2話「決断」のあらすじ』
http://53922401.at.webry.info/201601/article_18.html

箕輪初心:生方▲真田丸16【真田の選択&武田勝頼の最後の真偽】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_19.html

箕輪初心:生方▲真田丸17【真田昌幸:名胡桃城:沼田城攻略までの過程】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_20.html

箕輪初心:生方▲真田丸18【名胡桃事件への過程→秀吉の小田原攻撃】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_21.html

箕輪初心:生方▲真田丸19『2016大河ドラマ用整備後の名胡桃城景観』
http://53922401.at.webry.info/201601/article_22.html

箕輪初心:生方▲真田丸20【関越自動車道付近の城】&
スキー№2新潟:神立スキー場
http://53922401.at.webry.info/201601/article_23.html

箕輪初心:生方▲真田丸21沼田城:初詣【真田氏と沼田城】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_24.html

箕輪初心:生方▲真田丸22『第3話:「策謀」のあらすじ』
&登場人物の解説
http://53922401.at.webry.info/201601/article_25.html

箕輪初心:生方▲真田丸23【沼田正覚寺】信之の妻:小松姫の墓
http://53922401.at.webry.info/201601/article_26.html

箕輪初心:生方▲真田丸24【高崎→18号→上信越道の城】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_27.html

箕輪初心:生方▲真田丸25【坂本城2回目&虚空蔵山烽火台】
:武田信玄の築城?
http://53922401.at.webry.info/201601/article_29.html

箕輪初心:生方▲映画『信長協奏曲』面白過ぎのあらすじ
http://53922401.at.webry.info/201601/article_30.html

箕輪初心:生方▲真田丸26【松井田愛宕山城】:真田幸繁の初陣説
http://53922401.at.webry.info/201601/article_31.html

箕輪初心:生方▲真田丸27【倉渕鑰掛(かぎかけ)城】:真田昌幸
の狼煙台?
http://53922401.at.webry.info/201601/article_32.html

箕輪初心:生方▲真田丸28【榛名:鷹留城】真田昌幸の侵攻
http://53922401.at.webry.info/201601/article_33.html

箕輪初心:生方▲真田丸29【TV第4話「真田昌幸VS徳川初対決
~本能寺】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_1.html

箕輪初心:生方▲真田丸30【真田昌幸と滝川一益との腐れ縁:友情】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_2.html

箕輪初心:生方▲真田丸31【真田幸隆の知恵:徳川家康を利用して
造った上田城】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_3.html

箕輪初心:生方▲真田丸32【真田昌幸:空城の計&第一次上田合戦】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_4.html

箕輪初心:生方▲真田丸33【真田ゆかりの地:上野国編詳細16市町村】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_5.html

箕輪初心:生方◆真田丸34「沼田街道」&2016スキー№5&№6
【岩鞍スキー】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_6.html

箕輪初心:生方▲真田丸35【松尾古城】角間館の詰め城
http://53922401.at.webry.info/201602/article_8.html

箕輪初心:生方▲真田丸36:第5話【織田信長の死→窮地】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_9.html

箕輪初心:生方▲真田丸37【真田天白城】真田昌幸長男
:真田信綱の築城?
http://53922401.at.webry.info/201602/article_10.html

箕輪初心:生方▲真田丸38【矢沢城】&真田昌幸の叔父:矢沢頼綱の生涯
http://53922401.at.webry.info/201602/article_11.html

箕輪初心:生方▲真田丸39【真田:洗馬(せば)城】:横尾氏の詰め城
→真田氏の城
http://53922401.at.webry.info/201602/article_12.html

箕輪初心:生方▲真田丸40【真田根小屋城】:真田氏の支城
http://53922401.at.webry.info/201602/article_14.html

箕輪初心:生方▲真田丸41【米山城・戸石城・本城・枡形城】
真田幸隆乗取&真田兄弟対決
http://53922401.at.webry.info/201602/article_15.html

箕輪初心:生方▲真田丸42真田の里【真田氏館&真田本城
&支城群一覧】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_18.html

箕輪初心:生方▲真田丸43:第6話【迷走】のあらすじ
&「森長可の撤退」
http://53922401.at.webry.info/201602/article_19.html

箕輪初心:生方▲真田●44【佐久内山城】真田幸隆&大井貞清
http://53922401.at.webry.info/201602/article_20.html

箕輪初心:生方▲真田○45:【諏訪の上原城】&板垣信方と真田幸綱
http://53922401.at.webry.info/201602/article_21.html

箕輪初心:生方▲真田●46【長窪城】と真田幸綱(幸隆)
http://53922401.at.webry.info/201602/article_22.html

箕輪初心:生方▲真田丸47【芦田城】芦田氏と真田氏
http://53922401.at.webry.info/201602/article_23.html

箕輪初心:生方▲真田丸48【佐久:春日城】依田信蕃と真田昌幸
http://53922401.at.webry.info/201602/article_24.html

箕輪初心:生方▲真田丸49【望月城】望月氏&真田氏
http://53922401.at.webry.info/201602/article_25.html

箕輪初心:生方▲真田丸50第7話『滝川一益の逃亡』
箕輪城→小諸城へ
http://53922401.at.webry.info/201602/article_26.html

箕輪初心:生方▲真田丸51【海ノ口城】武田信玄初陣
&№184「箕輪城」武田勝頼&真田幸繁の初陣
http://53922401.at.webry.info/201602/article_27.html

箕輪初心:生方▲真田●52『伴野氏館=野沢城』&伴野氏の歴史前編
http://53922401.at.webry.info/201602/article_28.html

箕輪初心:生方▲真田●53『前山城』&伴野氏の歴史後編
http://53922401.at.webry.info/201602/article_29.html

箕輪初心:生方▲真田●54【佐久稲荷山城:勝間城】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_30.html


~~~★真田3代~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
箕輪初心●「滋野一族→海野一族の歴史」
http://53922401.at.webry.info/201111/article_25.html

箕輪初心●真田3代①「実田→真田幸隆の出自
http://53922401.at.webry.info/201111/article_26.html

箕輪初心●真田3代②幸隆の箕輪城居候1541~旧領奪回1551
http://53922401.at.webry.info/201111/article_27.html

箕輪初心●真田3代③『川中島の戦い&真田の上野国進出』
http://53922401.at.webry.info/201111/article_28.html

箕輪初心●真田3代④『真田信綱→真田昌幸の時代』
http://53922401.at.webry.info/201111/article_29.html

箕輪初心●真田3代⑤『5回主家を変えた真田昌幸』
http://53922401.at.webry.info/201111/article_30.html

箕輪初心●真田3代⑥『小田原攻撃~第2次上田戦争
~大阪の陣』
http://53922401.at.webry.info/201112/article_1.html




~~~真田&信濃国(長野県)~~~~~~~~~~~~
箕輪初心■長野:第21回海野宿ふれあい祭&グルメ
http://53922401.at.webry.info/201111/article_24.html

箕輪初心;生方▲2015信濃【真田の里:上田巡り1回目】
http://53922401.at.webry.info/201511/article_18.html

箕輪初心:生方▲2015真田の里:上田巡り2回目
http://53922401.at.webry.info/201511/article_19.html

箕輪初心●長野:海津城=松代城:川中島の戦いでの信玄の拠点
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_14.html
 
箕輪初心◆長野:松代藩真田家藩士の家巡り ●● 
http://53922401.at.webry.info/201309/article_13.html

箕輪初心▲長野:松代▲大室城前→奇妙山砦&尼飾山城ハイキング
http://53922401.at.webry.info/201412/article_17.html









★明日は平賀城入り口かな?

この記事へのコメント

棟治
2016年02月29日 21:37
Re:真田幸隆は海野棟綱の長男で依田小太郎となっていて、依田 一族であるとしている。相木昌朝は上野国かた呼び寄せ、 武田晴信に紹介したとある。

禰津氏の予想は外れちゃったんですね、相木昌朝80騎(山県相備)はすごいですね。この線で行きましょう、それと箕輪落城後は伴野氏と共に根小屋城の城番が面白そうかも。「お前地元だろ寄子としてついてけや」ってな感じで実質城作りと城下町の整備させられるって事で。根小屋七沢の地だから、結構治水に苦労して城下を造成したはず。たぶんその当時は、木部新田と呼ばれていたんじゃないのかな。想像が膨らみます。今後もジャストミートな情報に目を光らせときます。ではまた 棟治
棟治様
2016年03月02日 18:39
いい閃きがあったようですね。長野から主人公が入って来るのですね。楽しみです。

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