箕輪初心★源頼朝32【伊東祐親→河津祐泰の死→曽我兄弟の仇討ち】

河津館は河津三郎の父:伊東祐親が建てたもので、後に源頼朝の妻とな
った北条政子の母や河津祐泰の子:五郎時致と十郎祐成が河津館で生ま
れている。伊東(河津)祐親の子:河津三郎祐泰は父の叔父:工藤祐経
に殺された。日本3大仇討ちの一つ「曽我兄弟の仇討ち」は河津三郎祐
泰の子:曽我兄弟によってなされた。★前回の工藤祐経の同等内容で
あるが、「伊豆武将物語」小野眞一著を参考にさらに加筆してみた。

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 (★河津三郎の墓の案内板)

【1】河津氏館
★河津氏の館は河津谷津「館の内」にあった。
  バス停には「館跡」と書かれている。
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 (★河津桜パンフレット)
 ★桜以外の時に行った。


【2】河津八幡神社&「河津三郎の力石」
 谷津の河津八幡神社の境内に、力持ち河津三郎が力だめしに使って
 いたと伝わる手玉石がある。「軽く手玉にとる」が由来である。
 河津町出身の彫刻家:後藤白童氏の作「河津三郎力石」の像には、
 名横綱双葉山書の題字が刻まれている。
 河津八幡神社には祭神として河津三郎と曽我兄弟が祭られている。
★3回通っているが、写真はない。




【3】赤沢の「河津祐泰」の墓
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・おまけ・・・八幡野ダイビング
・イタチウオ
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・ダンゴウオ・・・1cm
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・八幡野温泉
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・赤沢温泉
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【4】富士の巻き狩り:朝霧高原
 ★朝霧高原の写真が見つからない。


【5】曾我兄弟の墓
 ★行っていない。



◆◆ 伊東祐親→河津祐泰→曾我兄弟の生涯 ◆◆


・永暦元年(1160) 源頼朝が伊豆に流罪となった。。

●工藤祐隆は伊東半島の東海岸と中伊豆の一部まで領有していた。
●狩野四郎太夫家継(家次)の時には、宇佐美~伊東~八幡野~
 大川~北川~河津&鎌田・大見まであった。
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本来は嫡男:伊東祐家が領地を相続するはずであったが、伊東祐家が
工藤祐隆より早く死ぬと、嫡孫:伊東祐親ではなく、 後妻の連れ娘
との間に生まれた工藤祐継を後継者とした。
伊東(河津)祐親には河津の館を与えただけであった。

工藤祐継は伊東(河津)祐親よりもわずか2歳ほど年上であった。

~~~系図~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【1】【尊卑便脈】
 狩野維次→狩野家次→工藤祐家)→伊東祐近(★祐親)
  →河津祐真
   河津祐進・・・子どもが河津祐茂・河津時宗説
妻:横山時重の娘(工藤茂光の孫)説

【2】二階堂家系図
伊東祐家→伊東祐親→河津祐泰→河津祐茂

【3】河津氏系図
伊東祐隆→伊東祐親→祐重→祐成
  時宗

【4】曽我物語系図
狩野維次→工藤祐家(早死)→伊東祐親→河津祐長
                  河津祐通
|→曽我五郎祐成
|→曽我十郎時致
土肥実平娘:満江

曽我祐信

●工藤祐家
|→ 伊東祐継
|→ 宇佐美祐茂
後妻(祐隆の娘)


③佐美祐茂は工藤祐経の弟説あり



●病状の悪化した伊東祐継は嫡男:金石丸(工藤祐経9歳)を呼んで
 言った。
「10歳前のお前を誰がみてくれようか。」
▲伊東祐親(実際は甥)が見舞いに来た。
「私が後見をします。」
●伊東祐継は
 「15になったら、成人させていただきたい。そして、
貴方の娘の誰かと添わせていただきたい。本所の
平重盛様にお目通りさせ、知行させてもらいたい。」
と頼んだ。

●伊東祐継は病により43歳で死去。
 ▲嫡男:金石丸(工藤祐経9歳)の後見を義弟:伊東(河津)祐親に
 託した。
伊東(河津)祐親は河津荘から伊東荘に移り住んだ。
  
 河津(伊東)祐親は嫡男:祐泰に河津荘を譲って河津祐泰と名乗ら
 せた。
  また、河津(伊東)祐親の次男:祐清は伊東を名乗っていた。
 
 
▲伊東祐親は、祐次(祐継)の子:金石=伊東祐経が数え15歳に
 なると元服させ、工藤祐経と名乗らせた。
 
 ●工藤祐経は伊東祐親の娘:万劫御前(満江)を娶った。
 
 ●工藤祐経は伊東祐親に伴われて上洛し平重盛に仕えた。
 平重盛の世話で、院の武者所に仕官した。
 ★工藤祐経に後見の役を勤めていた伊東祐親は、工藤祐経を上洛
  させて本家の仕えるように仕向けたのだった。


 ◆伊東祐継は病により43歳で死去。
  嫡男:金石(工藤祐経9歳)の後見を義弟:伊東(河津)祐親に
  託した。
  河津祐親は河津荘から伊東荘に移り住んだ。
  
  河津(伊東)祐親は嫡男:祐泰に河津荘を譲って河津祐泰と名乗ら
  せた。
  また、河津(伊東)祐親の次男:祐清は伊東を名乗っていた。
  工藤祐経は伊東祐親の娘:万劫御前を妻とした。
  
伊東祐親は、祐次(祐継)の子:金石=伊東祐経が数え15歳に
 なると元服させ、工藤祐経と名乗らせた。
 
  元服・・・工藤祐経は伊東祐親の娘:万劫御前を娶
  った。
 
  工藤祐経は伊東祐親に伴われて上洛し平重盛に仕えた。
 平重盛の世話で、院の武者所に仕官した。
  21歳には歌舞音曲に通じていて、「工藤一臈」と呼ばれた。

  しかし、工藤祐経が在京している間に、伊東祐親は
  工藤祐経が継いだ伊東荘を押領した。
 
 ※妻:万劫御前(伊東祐親の娘)まで奪って土肥遠平に嫁がせて
  しまった。
 
  伊東祐親は、工藤祐経から伊東荘を奪った。

  工藤祐経は押領に気付いて
  使者をたて、伊豆に向かわせた。
伊東祐親は
 「わしは伊豆の地頭じゃ。」
と言って、使者を追い返した。
工藤祐経は都で、平菅盛経由院の院宣を貰い、
  訴訟を繰り返した。
  しかし、伊東祐親の根回し=賄賂を使って、優位に運んだ。
  結果・・工藤祐経は失敗に終わった。

  伊東所領と妻をも奪われた工藤祐経は伊東祐親を深く
  怨んだ。
  工藤祐経は後に仇討ちを考えるようになった。

・安元元年(1175) 9月 伊東祐親の帰郷
 伊東祐親は京の大番役を終え、帰郷した。
 娘:八重姫が源頼朝の子を産んで育てていることを知り
 激怒した。
 

・安元2年(1176)
?月 ●工藤祐経は平重盛から一時、暇をもらった。
    
10月 ●工藤祐経の河津祐泰の暗殺
大庭景信が郎党50人を連れて、伊東の源頼朝の所にやってきた。
 「佐殿を慰めたい。」
三浦・土肥・岡崎・本間・渋谷・糟谷・松田・土屋・曽我など
相模の武士も集まってきた。
駿河の竹下・会沢・吉川・船越・・・
伊豆の北条・狩野らも集まった。
2400~2500人も集まった。
●伊東祐親は3日3晩、盛大にもてなした。
狩りをすることになった。
・勢子(生き物を追い出す役)も500になった。

伊豆奥野はどこか?
説①・・・大川の上流域
説②・・・大室山&一碧湖&サボテン公園付近
いずれにしても、伊東市の南西部=天城山の北西部一帯で
であろう。
結果・・・7日間で、猪600頭、鹿1000頭、熊37頭、
 ムササビ300頭。雉・山鳥・猿・兎・狐・タヌキ・狼など
 ・・・合計2700余りを捕獲した。という。
(★伊豆武将物語:小野眞一著)
大宴会となった。
相撲が行われた。
最後の大一番は俣野景久 VS 河津三郎であった。
河津三郎が特別な投げ方で勝った。
「河津投げ」「河津掛け」と呼ばれる技であった。
※河津三郎が相撲48手の珍手「河津掛け」の考案者と言われている。

工藤祐経は郎党:大見小藤次&八幡三郎に伊東祐親の暗殺を命じた。

伊豆奥野の狩り場から帰る道中の赤沢で伊東祐親の暗殺しよう
 と弓を引いた。
 1本目、大見小藤次が矢を放つ。ピュ ーーーン。失敗。
 2本目、八幡三郎が矢を放つ。ピュ ーーーン。ブスッ。
  嫡男:河津祐泰に弓矢が当たった。
 河津祐泰はちらりと見えた敵の名を告げ、
 「妻子をたのむ」
 と一言残した後その場で息をひきとった。
 

 ・・・河津祐泰が殺された。
  しかし、伊東祐親は殺されなかった

 河津祐泰の妻と子の一萬丸(曾我祐成)と箱王(曾我時致)の兄弟
 が残された。
 妻(土肥実平の娘:満江=万劫説ー有力説。狩野茂光孫説)は2人
 の子を連れて曾我祐信に再嫁した。
 兄弟は後に曾我兄弟として世に知られるこどになる。
 伊東祐親の孫:曾我兄弟は厳しい生活の中で成長した。
  
 
 伊東祐親は難を逃れた。
 
 その後、伊東祐親は平家から国奉行を任ぜられた。
千鶴丸が3歳になった時に、平家への聞こえを恐れて、千鶴丸を
 川底へ投げ捨てて殺害した。
 さらに源頼朝を討とうとした。
 しかし、次男:伊東祐清が源頼朝に知らせて伊豆山神社に逃れた。
 やがて、北条時政の邸に逃がれた。
 源頼朝は北条時政の長女:政子と結ばれた。

 源頼朝は激しく伊東祐親を憎んでいた。


・治承4年(1180) 8月17日 源頼朝の挙兵
  伊東祐親は平家方として源頼朝と敵対した。
8月23日 石橋山の戦い

 10月 富士川の戦い
  頼朝方の天野遠景に捕らえられて自害した。
  工藤祐経の弟とされる宇佐美祐茂(すけしげ)が源頼朝の挙兵
  当初から従っていた。
  富士川の戦いの戦功で本領を安堵された。
  工藤祐経は京から鎌倉へ下って源頼朝に臣従した。
  宇佐美祐茂を通して伊東父子亡き後の伊東荘を取り戻した。
  工藤祐経の子:工藤祐時は伊東を名乗り、伊東氏を継承した。
  

・文治3年(1187) 源頼朝が箱根権現 参拝
弟:箱王丸は、父の菩提を弔うため箱根権現社に稚児として預
  けられた。
 箱王丸は随参した敵の工藤祐経を見つけた。  
 箱王丸は復讐しようと付け狙ったが、逆に工藤祐経に諭された。
 工藤祐経に「赤木柄の短刀」を授けられた。
 (後に曽我五郎時致は「赤木柄の短刀」で工藤祐経を刺した。)
  
  兄:一萬丸は元服して曽我の家督を継ぎ、曾我十郎祐成と名乗
  った。
  
 箱王丸は出家を嫌って箱根を逃げ出した。
 北条時政(北条時政の前妻が伊東祐親の娘である)を頼った。
  北条時政が烏帽子親となって元服し、曽我五郎時致と名乗った。
  北条時政は曽我兄弟の最大の後援者であった。
  曾我兄弟は父の仇討ちを決して忘れなかった。
(★ウィキペディア)



・建久3年(1192) 
 源頼朝は征夷大将軍に任じられた。鎌倉幕府を開いた。
 

・建久4年(1193) 富士の巻き狩り
 5月8日~6月7日にかけて行われた。
  

5月8日 源頼朝は、富士の裾野で盛大な巻狩を開催した。
  巻狩には工藤祐経も参加していた。
初めは現御殿場市から裾野市付近で行われた。
  
  源頼朝は十里木を経由して、富士宮に下った。
 
5月15日 富士野の御旅館(現狩宿井出家及び周辺)に入った。  
 現富士宮市の朝霧高原は、「馬飼野(まかいの)」と呼ばれる
 場所であった。
 源頼朝が軍馬を養成する場所として指定していた場所であった。
※巻狩の目的は
 ①源頼朝が馬飼野付近に長逗留したのは、巻狩だけが目的ではなく、
  重要な兵器と言うべき軍馬を養成状況を実際に確認するのが主な
 目的だったらしい。
②武家政権を発展させていこうという源頼朝の将軍としての実力を
 天下に示す機会であった。
 ③平氏方の不穏な地域に対して睨みを利かせる目的もあった。
 
5月28日 夜
 曽我十郎祐成と曽我五郎時致の兄弟は降りしきる雨の中工藤祐経の
 宿所に押し入った。
 曽我兄弟は酒に酔って遊女と寝ていた工藤祐経を起こして、討ち果
 たした。
 工藤祐経と王籐内が兄弟に討ち取られた。

 同宿していた手越の少将や黄瀬河の亀鶴が叫び声を上げた。
  
 さらに曽我兄弟が
  「父の仇を討ったり~~。」
 と大声で名乗った。
 曽我五郎時致は工藤祐経に貰った「赤木柄の短刀」で
 工藤祐経を刺したのだった。

 宿舎は騒然となった。
 騒ぎを聞きつけて集まってきた武士達が曽我兄弟を取り囲んだ。

 曽我兄弟は10人を斬り殺した。
兄:曽我祐成により、平子平右馬允、愛甲三郎、吉香小次郎、
 加藤太、海野小太郎、岡部彌三郎、原三郎、堀籐太、臼杵八郎
 が負傷した。
 宇田五郎らが殺された。
  
 兄:曽我十郎祐成が新田(仁田)四郎忠常と斬り合って
  討たれた。
  
 弟:曽我五郎時致は頼朝の狩宿を目指して走った。
  源頼朝の館に押し入ったところを、女装した
  五郎丸によって取り押さえられた。

 5月29日 曽我時致は源頼朝の面前で仇討ちに至った心底を
  述べた。
  源頼朝は助命を考えた。
  しかし、工藤祐経の遺児:犬吠丸(祐時)に請われて斬首を
  申し渡した。
  曽我時致は斬られた。
(★吾妻鏡)
犬吠丸(祐時)の烏帽子親は源頼朝であった。

●工藤祐経の墓
  静岡県富士宮市上井出361
  「音止の滝」の東側の工藤祐経の陣所が置かれたといわれる所
   には、工藤祐経の墓がある。
●曽我兄弟の墓
  曽我八幡宮東付近に新田四郎忠常の陣所が置かれた。
  この付近で兄:曽我十郎祐成が討たれたと言われている。
  小高い丘の上に曽我兄弟の墓がある。

●河津祐泰が討たれた5日後に生まれた河津祐泰の末子は、
  河津祐泰の弟:伊東祐清の妻(比企尼の3女)に引き取られた。
  妻が再婚した平賀義信の養子となった。
  後、出家して「律師」と号した。


6月7日 源頼朝は現上井出・原・内野・人穴・猪之頭を中心とする
  現富士宮市北部の朝霧高原一帯で巻狩を行った。

  巻狩は大軍事演習で、武将の軍事能力の見極めの場である。
 
  富士の裾野に諸国の御家人が集まり、将軍:源頼朝の前で勢子
  (鳥獣を追い出す人)の追い立てた獲物を馬に乗って弓で射る武
  術の訓練を目的とした。
  武家集団による大規模な巻狩は、将軍である:源頼朝を中心と
  した東国武士の力を京都の公家の人たちに認めさせるためのデ
  モンストレーションであった。

7月2日 河津祐泰の4男:律師は曾我兄弟の仇討ちの後、
  兄:曽我兄弟に連座して鎌倉へ呼び出された。
  伊東祐清は甘縄(安達盛長の館=母の家)で自害した。
8月20日 河津祐泰の3男:原小次郎は源範頼の連座で処刑された。



・正治元年(1199)
 1月 源頼朝の死。

・戦国時代
 伊東祐時の子孫は日向国へ下向して戦国大名の日向伊東氏となった。

・江戸時代
  飫肥藩藩主となった。
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・最近でもないが?
 河津三郎が相撲48手の珍手「河津掛け」の考案者と言われている。
 貴乃花 VS 貴ノ浪 優勝決定戦。同門対決。
 河津掛けで、貴ノ浪が優勝した。
 プロレスでアントニオ猪木の絞め技「一文字固め:に似た格好で、後ろに
 投げる技である。
 ジャイアント馬場の得意技「河津落とし」というのがある。
 ちょっと古かったかな?


・現在
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 (★河津城の本郭の土俵)

~~~河内源氏~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【1】源氏系図
箕輪初心★久保田順一先生20141129『河内源氏&上野国
:八幡荘』前編
http://53922401.at.webry.info/201412/article_11.html

箕輪初心★源義朝(源頼朝の父)の生涯
http://53922401.at.webry.info/201501/article_22.html

箕輪初心★平治の乱『源義朝&鎌田政清の最後』
=長田忠致の裏切り
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newscaredisplay.do


~~~源頼朝&伊豆シリーズ~~~~~~~~~~~~~
箕輪初心★源頼朝①伊豆「伊東→蛭ヶ小島へ」
http://53922401.at.webry.info/201412/article_19.html

箕輪初心★源頼朝②伊東祐親の娘:八重姫の悲話&
『伊東祐親の生涯』
http://53922401.at.webry.info/201412/article_20.html

箕輪初心★源頼朝③【蛭ヶ小島3年北条政子との結婚】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_24.html

箕輪初心★源頼朝④「治承4年(1180)8月17日の挙兵
~19日石橋山の合戦前」
http://53922401.at.webry.info/201412/article_25.html

神奈川▲源頼朝⑤【治承4年(1180)8月19日~22日土肥館】&
土肥実平の生涯
http://53922401.at.webry.info/201412/article_26.html

箕輪初心▲源頼朝⑥【治承4年(1180)8月23日石橋山の戦い
&佐那田神社】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_27.html

箕輪初心▲源頼朝⑦治承4年(1180) 8月24日逃亡~梶原景時
~土肥城~箱根神社
http://53922401.at.webry.info/201412/article_28.html

箕輪初心▲源頼朝⑧治承4年(1180)8月27日【荒井城】&
【詠い坂】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_29.html

箕輪初心▲源頼朝⑨【治承4年(1180)8月28日:岩からの源氏
再興の舟出】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_30.html

箕輪初心▲源頼朝10:埼玉【阿保氏館跡】&「阿保氏の歴史」
http://53922401.at.webry.info/201501/article_6.html

箕輪初心★源義朝(源頼朝の父)の生涯
http://53922401.at.webry.info/201501/article_22.html

箕輪初心★平治の乱『源義朝&鎌田政清の最後』=長田忠致の
裏切り
http://53922401.at.webry.info/201501/article_23.html

箕輪初心◆源頼朝12:『治承4年(1180)8月29日房総
~関東平定』
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newscaredisplay.do

箕輪初心▲源頼朝13【挙兵~関東平定&坂東武者の思惑】
素案
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newscaredisplay.do

箕輪初心★源頼朝14【乳母:比企尼(ひきのあま)】
http://53922401.at.webry.info/201501/article_29.html

箕輪初心★源頼朝15【愛のキューピッド:安達盛長】
:鴻巣放光寺→伊豆→甘縄→高崎八幡
http://53922401.at.webry.info/201501/article_30.html

箕輪初心▲源頼朝16【仁田忠常】&伊豆函南【仁田館】
http://53922401.at.webry.info/201501/article_31.html

箕輪初心▲源頼朝17【肥田宗直】&伊豆函南「肥田館」
http://53922401.at.webry.info/201501/article_32.html

箕輪初心▲源頼朝18【治承3年の政変~以仁王&源頼政の
思惑~源頼朝の挙兵】
http://53922401.at.webry.info/201502/article_1.html

箕輪初心★源頼朝19【北条時政の思惑①】&伊豆長岡【北条館】
http://53922401.at.webry.info/201502/article_2.html

箕輪初心▲源頼朝20【北条時政の思惑②】&伊豆【願成就院】
http://53922401.at.webry.info/201502/article_3.html

箕輪初心★源頼朝21【正妻:北条政子】結婚~恐妻~尼将軍
http://53922401.at.webry.info/201502/article_4.html

箕輪初心★源頼朝21【義弟:北条義時】:武家政権確立&
伊豆『北条寺』
http://53922401.at.webry.info/201502/article_5.html

箕輪初心★3代目執権【北条泰時】:御成敗式目の作成
http://53922401.at.webry.info/201502/article_6.html

箕輪初心★鎌倉幕府の執権:北条氏一覧
http://53922401.at.webry.info/201502/article_7.html

箕輪初心▲源頼朝21【狩野茂光】&伊豆【狩野日向館】
http://53922401.at.webry.info/201502/article_9.html

箕輪初心★源頼朝25【武闘派:加藤景廉①】&伊豆の墓
http://53922401.at.webry.info/201502/article_10.html

箕輪初心★源頼朝25【武闘派:加藤景廉②】&伊豆の墓
http://53922401.at.webry.info/201502/article_11.html

箕輪初心▲源頼朝26【田代冠者信綱】&伊豆の田代砦
http://53922401.at.webry.info/201502/article_12.html

箕輪初心▲源頼朝27【武闘派:天野遠景】:狩野茂光の娘婿?
http://53922401.at.webry.info/201502/article_13.html

箕輪初心★源頼朝28【大見家政&家秀】&伊豆【大見城】
http://53922401.at.webry.info/201502/article_14.html

箕輪初心★源頼朝29【側近:近藤七国平】
http://53922401.at.webry.info/201502/article_15.html

箕輪初心▲源頼朝30【25臣の1人:宇佐美祐茂】&「宇佐美城」
http://53922401.at.webry.info/201502/article_18.html

箕輪初心★源頼朝31【寵臣:工藤祐経→曾我兄弟の仇討ちで死亡】
http://53922401.at.webry.info/201502/article_19.html



★明日は鎌田俊長かな?

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