箕輪初心★源頼朝②伊東祐親の娘:八重姫の悲話&『伊東祐親の生涯』

平安末期の伊豆の武将で有名なのが、伊東祐親・狩野茂光・北条
時政である。伊東祐親は源頼朝の伊豆流罪の際に最初に監視役に
なった。また、源頼朝に敵対した武将としても有名である。最後
は平家に忠義をたてて自刃した。
伊東祐親は源頼朝と恋仲になっ
て千鶴丸を産んだ娘:八重姫を北条義時に嫁がせ、千鶴丸を川に
沈めたというエピソードがあるため、悪武将のイメージの強い。

でも、伊東市では「伊東祐親まつり」が開催している。
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箕輪初心★源頼朝①伊豆「伊東→蛭ヶ小島へ」
http://53922401.at.webry.info/201412/article_19.html

箕輪初心▼伊東ダイビング2回
http://53922401.at.webry.info/201307/article_29.html





【1】伊東氏館:仏光寺・・・久須美館?
※他説:伊東市岡の東林寺付近説。
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【2】伊東氏の館:伊東市大原物見塚公園
①物見塚公園その1
最初の公園には伊東祐親の像はなかった。
  物見塚公園は2つあった。・・・

②物見塚公園その2
伊東市役所
スマホで「伊東祐親」画像を見せて、やっと伊東市庁のある
 物見塚公園に行くことができた。
 車を市役所の駐車場に駐めた。
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★伊東氏の居館があった場所とされるが、今は伊東市の市庁舎
 が建っているのだ。

●伊東祐親の像
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物見塚公園には伊東祐親の騎馬武者の像が建てられる
 ている。郷土の英雄として祀られている。
 伊東祐親の馬上姿の銅像・・・時間的なロスは30分。
 ★やっと見つけた。
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  2日間の城めぐりの旅の目的の1つを果たした。
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 海が見えた。眺めのいい高台にあった。




【3】 伝・伊東祐親の墓所:静岡県伊東市大原
 ・養和2年(1182)2月15日(3月21日)
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【4】葛見神社・・・伊東家の守護神
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【5】東林寺・・伊東家の菩提寺
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  ★行くのを忘れた。


【6】源頼朝の小御所跡に建つ日暮神社



【7】八重姫の屋敷跡に建つ音無神社


【8】音無の森


【9】稚児渕


【10】富戸の三島神社
. 「永暦元年(1160)、伊豆に流された源頼朝は、伊東祐親の3
 女:八重姫と人目を忍ぶ仲となり男子が生まれた。千鶴丸
 と名付けたが平家管領である祐親は清盛に知られては一大
 事と千鶴丸を八重姫から奪い家来に命じ伊東八代田の川に
 千鶴丸の腰に石を付け沈めて殺した(後に稚児渕と云う)。
.
 沈められた千鶴丸の腰の石がとれて川を下り海に出て富戸の
 海岸に着き、釣をしていた甚之右衛門が見付け引揚げた処高
 価な着物を身につけており、これは高貴な御子であると丁重
 に扱い遺体をこの石の上に安置し着物を乾かして懇ろに葬っ
 たと云う、
 これによりこの石を産衣石と云うようになり、千鶴丸は若宮
 八幡・氏神となりここの三島神社の御祭神三島大明神の相殿
 として祀られ、御例祭には鹿島踊りが奉納され村人の平穏無
 事と五殻豊穣大漁が祈願される。三島大明神と共に二年に一
 度神興の渡御があり、御旅所として此の石に据え暫時の御休
 憩をし、千鶴丸にも祈りが捧げられる。
. 
 又甚之右衛門は千鶴丸がにぎっていた橘の枝が余りにも見ごと
 であったのでこれを三島神社の社殿の前に挿した処、千鶴丸の
 怨念で根付いたが数年にして枯れたので同じ物を植えたのが現
 在に至り毎年香り高い花を咲かせ当時を偲ばせてくれる。千鶴
 丸が握っていた橘は千鶴丸が稚児渕に連れて行かれる途中の鎌
 田神社境内に丁度香り高い匂いをつけた橘をせめてもの慰め
 にと家来が持たせたと云う。
.
 後にこれを知った頼朝は甚之右衛門を呼び出して賞賛の言葉と
 生川(うぶかわ)の姓と立派な茶器を授与されたと云う。生川
 (うぶかわ)の姓は今では生川(なまかわ)と云う屋号で、甚
 之右衛門の生家は現在の三好伍郎家である。
.
  平成7年十二月吉日 富戸城ヶ崎観光会

●産衣石

千鶴丸は島津家の祖:島津忠久家になった説もある。
※安達盛長が日本史の表舞台に登場するのは、源頼朝の乳母
:比企尼の娘:丹後内侍を妻としたことである。
しかし、丹後内侍と婚姻した経過や時期も定かではない。
安達盛長&妻:丹後内侍は源頼朝が伊豆の流人になった時から
仕えた。妻:丹後内侍(ないしは天皇の世話係)は宮中で女房を務め
ていたので、藤原邦通など京に知人が多く、京都の情勢を源
頼朝に伝えていたと言われている。

鹿児島の薩摩焼の近くに丹後局の館があるという。
(★関根さんの話)

安達盛長&丹後内侍できた娘の一人が丹後局で、源頼朝の
 隠し子を産んで、島津家の祖:島津忠久を産んだ説もある。





◆◆ 伊東祐親の生涯 ◆◆
・???生誕不詳=養和2年(1182)2月15日(3月21日)

【1】伊東氏の出自
・藤原南家系・・・工藤氏(遠江・駿河・伊豆・甲州)系
 →狩野維次→狩野家次・・・
   
 
【2】伊東氏の祖:狩野家次
  狩野家次(家継)は狩野庄から伊東庄に移ってきた。
  伊東家次(家継)→久須美入道寂蓮と名乗った。
(★伊豆武将物語:小野眞一著)
★伊東市久須美付近に住んだ可能性が高い。

 狩野家次の長男:狩野祐家
狩野祐家も久須美入道実蓮と名乗った。
しかし、父:狩野家次よりも早く死んだ。
子どもは伊東祐親であった。

【3】伊東2代目伊東家次の次男:伊東祐次(祐継)
正当な工藤家の血筋を引くのは伊東祐家の息子のはず
  であった。・・

  祖父:祐隆(法名寂心)は後妻の連れ子:「水草」に
  子どもを産ませていて、伊東祐継を嫡子として本領の
  伊東荘を与えた。
  ★妻は白拍子かもしれないが・・・
例えば、
 源頼朝は源義朝の3男・・・熱田神宮の娘
 新田義重は源為朝の長男系・・母は豊島氏。
 つまり、妻方の家柄で嫡子が決まったのだ。
  
  嫡孫:伊東祐親を次男として河津荘を与えた。
という説もある。

  伊東祐次(祐継)は葛見庄のうち伊東郷を貰った。
伊東祐親は葛見庄のうち伊東郷を貰った。

  伊東祐次(祐継)は院の武者所=滝口の武士となった。

・久寿2年(1155) 大蔵の戦い
  源義賢(源頼朝叔父) VS 源義朝
  伊東祐次は源悪源太義平(頼朝の長兄)に従った。
本来は平氏方であったが、源氏に所属したらしい。
    
・保元元年(1156) 7月 保元の乱
皇位継承問題や摂関家の内紛
  後白河天皇方 VS 崇徳上皇方
狩野茂光(伊東祐次の弟)は源義朝についた。

・永暦元年(1160)
伊東祐次は病になり悪化した。
   伊東祐次は甥の伊東祐親に子どもの後見役を頼んだ。
43歳で死んだ。


  
 ※源頼朝が伊豆国へ流罪となった。
 伊豆国に配流とのみ伝わっているので、本当に蛭ヶ小
   島に流されたのかどうかは不明である。
源頼朝が平清盛により最初に流されたのは、
  現在の伊東市の基を作った伊東祐親の管理下であった。
(★曽我物語)




【4】伊東祐親の生涯
・????年 伊東祐家の子生まれた。

父:伊東祐家→養父:工藤祐隆(祖父)
母:?
  長男:伊東祐継
  次男:伊東祐親


・平治元年(1159) 平治の乱
源義朝が敗れた。
 

・平治2年・ 永暦元年(1160) 2月9日
平清盛の継母:池の禅尼の命乞いで、死一等を減ぜられて
  伊豆に流刑となり、助けられた。
 3月11日 伊豆国の蛭ヶ小島へと流された。
  大炊御門経宗・葉室惟方・源希義も伊豆流刑になった。


・永暦元年(1160)伊東祐次(祐継)が死んだ。
  伊東祐親は河津から伊東に移った。

 伊東祐次(祐継)祐継の子:祐経はまだ幼かった。
  伊東祐親20代時、祐経に代わって伊東を治めた。
  ★伊東市のように
  伊東祐親が義に忠実だった人物であったかもしれない。

  しかし、伊東祐次は甥の伊東祐親に子どもの後見役を
  頼まれていたが、伊東祐親は総領の地位を奪われたことに
  不満を持っていたであろう。工藤(伊東)祐隆の嫡男であっ
  た父:伊東祐家が早世したため、跡継ぎではなかったから
  である。きっと祖父を恨んだであろう。
  
 ●伊東祐親は、東国における平家方豪族として平清盛から
  の信頼を受けていた。
  伊豆に配流されてきた源頼朝の監視を任された。

【1】源頼朝の伊豆伊東時代 13歳頃

源頼朝は伊東祐親に預けられ、伊東祐親の管理下に置かれた。
監視役と言っても、源頼朝を客人として扱っていた。源頼朝のい
た場所を小御所と呼んでいたそうである。源氏が伊東家の主人に
当たるからである。
★おそらくは、流人とはいえ、母の弟:伊東祐範や源頼朝の乳母:
比企尼&夫:比企遠宗や娘夫婦から援助を受け、狩りを楽しむな
ど比較的安定した自由な生活をしていたと思われる。身の回りの
世話・食料調達をしてもらったのであろう。ある程度自由であっ
たが、謹慎の身の上、源氏一族の冥福を祈った。走湯権現(伊豆
山神社)や箱根権現にも参詣した。深く帰依して読経をおこたら
なかった。また、祈祷師を招いて法事も行った。地方武士として
敬虔な日々を送っていた。この敬虔な態度が平氏方の伊東氏や北条
氏の信用を得ていった。



比企尼の3人娘達
①長女:安達盛長の妻・・函南の桑原・大竹地区・本領武蔵
比企尼の婿である安達盛長が側近として仕えた。
②次女:河越重頼の妻・・武蔵
③3女:伊東祐親の次男:祐清の妻
④比企尼の養子・・・比企能員
⑤伊東祐親の長男:祐泰は妻は狩野茂光の娘
⑥比企朝宗の娘:北条義時の妻

〇源氏方に従ったため所領を失って放浪中の近江源氏佐々木定綱
四兄弟が従者として奉仕した。
〇京にいる乳母の甥:三善康信から定期的に京都の情報を得ていた。

・仁安2年(1167) ①相撲大会
 源頼朝は伊東祐親の監視下に在った。
 土肥実平、天野遠景、大庭景義などが集まって
 狩や相撲が催されてた。
(★曽我物語)

・仁安2年(1167)②源頼朝の初恋&八重姫・・・
※『曽我物語』には次のような記載がある。
「仁安2年(1167)頃、21歳の頼朝は伊東祐親の下に在っ
た。ここでは後に家人となる土肥実平、天野遠景、大庭景義
などが集まり狩や相撲が催されている。祐親が在京の間に
頼朝がその三女:八重姫と通じて子:千鶴丸を成すと、祐親
は激怒し平氏への聞こえを恐れて千鶴丸を伊東の轟ヶ淵に投
げ捨て、八重姫を江間小四郎(北条義時)に嫁がせる一方で
頼朝を討たんと企てた。祐親の次男:伊東祐清からそれを聞
いた頼朝は走湯権現に逃れて一命を取り留めた。頼朝29歳
頃の事件であった。」 

ところが、成長していく間に恋をした。
伊東祐親が大番役・・交代で京で朝廷や貴族の警備をする役
の遠征に出ている間に、
・・・伊東祐親の娘:八重姫(伊東祐清の兄妹)
との間に男子をもうけてしまった。
※二人が愛を語らった場所
 伊東市の「ひぐらしの森」「音無の森」である。

伊東祐親が2年の任期を終え、帰国した。
伊東祐親はビックリした。
「平家から源頼朝の監視を頼まれたのに
 源頼朝のためにあらぬ疑いをかけられては困る。」
 と考えた。

そして、八重姫を江間小四郎=北条泰時に嫁がせた。
その後、八重姫は狩野川に入水自殺をしてしまった(伝)。

源頼朝は伊豆山神社に逃げ込んだ。
①伊東祐親の次男:祐清から、
父:祐親の源頼朝の殺害計画&伊豆山神社への逃亡&
北条時政に頼ることのアドバイスを聞いた説

②狩野茂光や加藤景員に相談したら、狩野茂光から伊東
 祐親に
「北条時政の所で預かってもらおう。」
と言った説・・・
源頼朝&娘:八重姫の子:千鶴丸を松川の上流に沈めた。

③完全に千鶴丸は死んだことにし、生き延びさせようと
した説。・・・伊東祐親が知恵を働かせたのでは?
島津家の系譜は鎌倉幕府に提出された正式なものだった。


「川に子供を流す」というのは、生き残る可能性がある
ばかりでなく、証拠としては何も残らない方法である。
親としては、「千鶴丸が死んだ」という噂だけ流れれば
十分だった。
と、某Hpにあった。


伊東祐親は、祐次(祐継)の子:伊東祐経が15歳に
なると元服させ、工藤祐経と名乗らせた。
元服ののち、工藤祐経は伊東祐親の娘:万劫御前を娶
  った。
  工藤祐経は伊東祐親に伴われて上洛し平重盛に仕えた。
平重盛の世話で、院の武者所に仕官した。
  歌舞音曲に通じており、「工藤一臈」と呼ばれた。

  しかし、工藤祐経が在京している間に、伊東祐親は
  工藤祐経が継いだ伊東荘を押領した。
  妻の万劫御前まで奪って土肥遠平に嫁がせてしまう。
 
  伊東祐親は、工藤祐経から伊東荘を奪った。

  工藤祐経は押領に気付いて都で訴訟を繰り返した。
  伊東祐親の根回しにより失敗に終わった。

  伊東所領と妻をも奪われた工藤祐経は伊東祐親を深く
  怨んだ。
  工藤祐経は後に仇討ちを考えるようになった。


●源頼朝は伊東祐親が大番役で上洛している間に、
 祐親の娘:八重姫が頼朝と通じ、子:千鶴丸を儲け
 てしまった。
 伊東祐親はこれを知って激怒した。

・安元元年(1175)
9月 平家の怒りを恐れ、千鶴丸を松川に沈めて殺害
した。
   さらに、源頼朝の殺害を図った。
    
 源頼朝の乳母:比企尼の3女を妻としていた次男:工藤
 祐清が源頼朝に知らせた。
 
 源頼朝は夜間、馬に乗って熱海の伊豆山神社に逃げ込んだ。
 

・安元2年(1176) 工藤祐経の河津祐泰の殺害
10月 工藤祐経は郎党に命じ、伊豆奥野の狩り場から帰る
   道中の伊東祐親の嫡男:河津祐泰を射殺した。

  河津祐泰の妻と子の一萬丸(曾我祐成)と箱王(曾我時致)
   の兄弟が残された。
  ※河津祐泰の妻は子を連れて曾我祐信に再嫁し、兄弟は後に
   曾我兄弟として世に知られることになる。


治承4年(1180) 源頼朝の挙兵
  伊東家は源頼朝方につくように迫られた。
  伊東祐親の生き残った息子:伊東祐清は源頼朝とは仲が
  良かったが、味方にはならなかった。

8月  石橋山の戦い
源頼朝 VS 大庭景親
大庭景親らとともに平家方に付き、石橋山で頼朝を敗走させた。

  富士川の戦い
   源頼朝 VS  平維盛 
  富士川の戦いで捕らえらた。
  平氏側の伊東祐親は娘婿:三浦義澄に預けられた。
  
  源頼朝の妻:北条政子が懐妊した機会を得て、三浦義澄
  による助命嘆願が功を奏し、一時は一命を赦された。

・養和2年(1182)2月14日
  伊東祐親はこれを潔しとせず
  「以前の行いを恥じる」
  と言い、
相模国の三浦義澄邸:葉山町鐙摺山で自害して果てた。(伝)
※三浦義澄は伊東祐親の娘を妻としていた。


★伊東祐親は「自分は平家に恩義のある身」と
 切腹したのだ。
 あっぱれ!というか?
 忠義に生きすぎたというか?
 忠義の武士:伊東祐親・・・一本気で見事な最期
 を遂げた伊東祐親。・・
 源頼朝にとって伊東祐親は特別な存在であったのだろう。
 異国の地で「父」として慕っていたのかもしれない。

.




◆◆ 伊東祐親の子ども ◆◆
①長男:河津祐泰&妻(横山時重の娘)
  5歳の十郎(祐成)、5歳の五郎(時致)を連れて
  曾我祐信と再婚した。
  孫・・・曾我兄弟(曾我祐成・時致)
  
②次男:伊東祐清&妻:比企尼3女
 
③女:北条時政1番目の妻
   孫・・・北条宗時
   孫・・・阿波局(阿野全成妻)
   孫・・・北条義時(鎌倉幕府2代執権)

④女:三浦義澄室
   孫・・・三浦義村(妻は源頼朝娘?)

⑤女:万劫御前→工藤祐経の妻→土肥遠平(実平嫡男の妻)
孫・・・土肥維平・・
  養子:小早川の祖・・子孫:小早川隆景→秀秋

⑥女:八重姫→源頼朝の最初の妻→江間小四郎(北条義時)
 の妻・・・自殺(伊豆の国市)
  ●伊豆の国市中条に八重姫を祀った真珠院がある。
  ★今年、2回も伊豆長岡温泉に泊まったのに行けなかった。
  近くを車で通っただけ・・・ 

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【4】伊東祐親の次男:伊東祐清
※源頼朝の乳母:比企尼の3女を妻とした。
  烏帽子親で、源頼朝と親交があった。
・安元元年(1175) 父:伊東祐親が源頼朝を討とうとした際、
  源頼朝に身の危険を知らせて、伊豆山神社に逃がした。
  源頼朝に北条時政を頼るようにすすめた。
(★『曽我物語』)

・治承4年(1180) 8月の頼朝挙兵
平家方の父:伊東祐親と伊東祐清は源頼朝軍に捕らえられた。
 源頼朝は伊東祐清に自分を助けた恩賞を与えようとしたが、
 伊東祐清は父が頼朝の敵となっている以上、自分が恩賞を
 受ける事は出来ないとして、平家に味方するために上洛した。
 ※伊東祐清は平家方として転戦した。


・寿永2年(1183) 篠原の戦い(石川県山代温泉)
 木曾義仲の恩人:斎藤実盛(平家)が討ち死に場所で
  ある。・・・
 伊東祐親の次男:伊東祐清は篠原の戦いで討ち死にした。

箕輪初心★埼玉熊谷【斎藤実盛館】=実盛と義仲の因縁
http://53922401.at.webry.info/201406/article_18.html

箕輪初心★木曾義仲④ゆかりの地:埼玉→信濃→上野→
信濃→北陸へ
http://53922401.at.webry.info/201406/article_17.html



【5】伊東祐親の孫:曾我祐成・時致
・建久4年(1193)
5月 源頼朝の富士の巻狩り
  曾我祐成・時致兄弟が富士の巻狩りの場で、父:河津祐泰
  (伊東祐親の長男)の仇である祐経を討ち果たした。
  
6月 裁判
 ★山名義範(高崎市山名出身)は採決した。
箕輪初心★「上野国:山名義範~応仁の乱:山名宗全」
http://53922401.at.webry.info/201309/article_26.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_26.html

★ 箕輪初心●群馬:高崎「山名義範館」=子孫は山名宗全 ★
http://53922401.at.webry.info/201102/article_31.html


箕輪初心●兵庫:有子山城=山名宗全の城 
http://53922401.at.webry.info/201304/article_20.html




 ※事件は曾我兄弟の仇討ちとして後世に知られた。
  曽我物語は江戸時代に大ヒットしたからである。





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▼▼ 箕輪初心▼西伊豆:井田ダイビング
         &前橋育英&イチロー ▼
http://53922401.at.webry.info/201308/article_19.html

▼▼ 箕輪初心▼西伊豆:土肥ダイビング10回 ▼
http://53922401.at.webry.info/201308/article_18.html

▼▼ 箕輪初心▼西伊豆:田子ダイビング ▼▼
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▼▼ 箕輪初心▼西伊豆:浮島ダイビング ▼▼
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▼▼ 箕輪初心◆浮島ダイビング=100万年前の海底トンネル? ▼▼
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▼▼ 箕輪初心◆雲見ダイビング&静岡の城 ◆◆
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▼▼ 箕輪初心◆南伊豆町AWRE清掃ダイビング ▼▼
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▼▼ 箕輪初心◆神子元ダイビング:ハンマーヘッド ▼▼
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▼▼箕輪初心▼伊豆:稲取ダイビング&キャンピングカー▼▼
http://53922401.at.webry.info/201308/article_6.html

▼▼ 箕輪初心▼八幡野ダイビング&温泉「みなと旅館」&
マリンブルー伊豆高原 ▼▼
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◆◆ 箕輪初心◆城ヶ崎海岸溶岩流ハイキング&ダイビング ◆◆
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▼▼ 箕輪初心▼小林たかじん氏の「PADI魚魚目
フォトSPインストラクター講習会」in富戸 ▼▼
http://53922401.at.webry.info/201308/article_2.html

▼▼ 箕輪初心▼富戸ダイビング6回 ▼▼
http://53922401.at.webry.info/201307/article_30.html

▼▼ 箕輪初心▼伊東ダイビング2回 ▼▼
http://53922401.at.webry.info/201307/article_29.html

▼▼ 箕輪初心▼宇佐美ダイビング2回&宇佐美城 ▼▼
http://53922401.at.webry.info/201307/article_28.html

▼▼ 箕輪初心▼富戸ダイビング20130712小林たかじん氏 ▼▼
http://53922401.at.webry.info/201307/article_16.html


▼▼ 箕輪初心▼神奈川:岩ダイビング:5月水温17℃ ▼▼
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★明日は源頼朝が北条時政宅へ訪問する。宇佐美邸かな?


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