箕輪初心▲坂東9番:都幾山慈光寺&比企能員館

坂東9番札所:都幾山慈光寺は現埼玉県比企郡ときがわ
町=旧都幾川村にある。鎌倉時代、源頼朝は宗教的精神的
な支柱として、坂東33観音札所を確立しようとした。
20年も見守った源頼朝の乳母:比企尼&養子:比企能員
の関係で慈光寺は繁栄を極めた。
★昔のことなので日記
しかなく、伽藍は違っているかもしれない。
比企能員館は埼玉県東松山市大谷の宗悟寺周辺と
推定されている。比企能員の娘は2代将軍:源頼家の室と
なった。比企能員は外戚として権勢を振るった。しかし、比
企能員の変により比企一族は滅亡した。鎌倉の比企能員館
は妙本寺である。
 
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****斉藤実盛公関係*********************************
箕輪初心★埼玉熊谷市【斎藤実盛館】=実盛と義仲の因縁
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箕輪初心★【木曾義仲③】ゆかりの地:埼玉&群馬&長野
  &富山&石川
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箕輪初心★木曾義仲ゆかりの地:埼玉→信濃→上野→信濃→北陸へ
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箕輪初心●埼玉嵐山町【大蔵館】&源義賢の生涯
http://53922401.at.webry.info/201406/article_15.html

*******埼玉の城************************************
箕輪初心●埼玉【第53回寄居北條まつり後編:攻防戦】&
『鉢形城の歴史詳細』
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箕輪初心○埼玉【第53回寄居北條まつり前編①準備~パレード】
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二の曲輪~本曲輪
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箕輪初心●埼玉嵐山町【菅谷城2回目】&畠山氏→北条氏
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箕輪初心◆埼玉県の歴史
http://53922401.at.webry.info/201405/article_22.html


*******関東管領:上杉家関係***************************
箕輪初心★山内上杉16代①「初代~7代」=足利尊氏の母方系
http://53922401.at.webry.info/201405/article_23.html

箕輪初心★上杉家②『8代:憲実~9代:憲忠~10代:房顕』
http://53922401.at.webry.info/201405/article_26.html

*********上杉顕定の関係****************************
箕輪初心★太田道灌の生涯:長尾景春のライバル
http://53922401.at.webry.info/201312/article_1.html

箕輪初心★長尾景春:関東下克上で従兄弟:太田道灌と交戦
http://53922401.at.webry.info/201311/article_31.html

箕輪初心★【連歌師:飯尾宗祇】&関東管領:上杉&長尾
http://53922401.at.webry.info/201404/article_24.html

箕輪初心★『宗長の生涯』:世捨て人の彷徨
http://53922401.at.webry.info/201404/article_25.html

箕輪初心★本間家の歴史;佐渡本間一族→酒田本間家
 日本一の地主へ
http://53922401.at.webry.info/201307/article_20.html
★長尾為景の協力者:佐渡本間家が上杉顕定を倒した。

箕輪初心◆2013群県博:新潟県「上杉氏」関興寺・瀧澤寺・
雲洞庵・坂戸城・管領塚
http://53922401.at.webry.info/201310/article_21.html
★上杉顕定の管領塚=戦死した場所

***********上杉憲房の関係**************************
箕輪初心●群馬「平井城」=関東管領:上杉憲政の城
http://53922401.at.webry.info/201107/article_7.html

箕輪初心●群馬【平井城前編】:8代上杉憲実~16代上杉謙信
http://53922401.at.webry.info/201405/article_30.html
http://53922401.at.webry.info/201405/article_29.html

箕輪初心●群馬【平井城後編】関東管領:【15代:上杉憲政 】
http://53922401.at.webry.info/201405/article_31.html
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【1】坂東9番:都幾山慈光寺
■訪問記・・・平成18年(2008)10月6日
●駐車場

●曲がりくねった山道を登っていく。
 
●「シャガの群生地」の立て札
 ※アヤメ科の植物で、日本の本州、四国、九州の
  林に見られる。シャガは朝鮮・中国から日本に
  持ち込まれた植物である。

●9基の青石塔婆 ・・・埼玉県県指定文化財
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 緑泥片岩の塔婆が立っている。
 青石塔婆は 弘安7年(1274)~寛正8年(1464)
 までの銘が8基と年不詳のもの1基がある。
 高さは1,2m~3m弱であろうか?
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●参道を登って行く。

●慈光寺「開山塔」・・・国重文
開山塔の覆屋は鑑真の弟子:釈道忠のために作られた
木製の宝塔を収めた覆屋(おおいや)である。
★内部は暗くてよく見えない。
※説明板
開山塔の一階は八角形の土台に八本の円柱を建てて円筒状
にしてある。上端には亀の腹に似た厚板を載せ、側面には四
方に扉を付けてある。二階は、一階の床から立ち上げた円形
の中心部の上に組物を置き、方形の屋根を支えている。
昭和39年(1964)の解体修理で基壇の下から蔵骨器が
発見された。須恵器の大甕で高さ51.6cm、口径
30cm。中には、30~40歳の男子のものと推定
される焼骨が入っていた。」


●銅鐘

●「般若心経の道」

●坂の登り口の鐘楼・・・国重要文化財指定。
説明板
「・鎌倉時代の寛元3年(1245)5月18日 栄朝が願主と
 なって東国の名工「物部重光」が鋳造し、慈光寺に奉納
した銅製の梵鐘である。」と記されている。」

※物部重光は、鎌倉時代~南北朝にかけて活躍した鋳物師
で、鎌倉大仏や鎌倉建長寺の梵鐘(国宝)の作者である。

梵鐘の高さは150cm、口径88cm、重量は509kg
と伝わっている。埼玉県内最古のものとされている。

●緑泥片岩を敷いた石段が続いている。

●天然記念物の多羅葉樹

●慈光寺本坊
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●慈光寺宝物殿・・・拝観料は300円?
画像

・法華経一品経29巻・・・国宝
 文永7年(1270)、後鳥羽天皇をはじめ藤原兼実一族の
 人々が法華経など33巻を書写して奉納したものである。
 厳島の平家納経、久能寺経とともに日本三大納経の一つ
 に数えられている。

・経箱・・・・・国重文:鎌倉時代の経箱。

・大般若経600巻・・・国重文
 関東最古の写経。
 貞観13年(871)3月に上野権大目安(ごんだいさかん)
 :阿倍小水麿(あべのこみずまろ)が書写して奉納した。
 そのうち152巻が現存しているとのこと・・

・金銅密教法具14口・・・国重要文
 密教の花瓶(けびょう)・・・徳治2年(1307)の銘。
 独鈷鈴(どっこれい)など
  
・紙本墨書・・・国重文

・蔵骨器・・・埼玉県指定文化財
須恵器の大甕で高さ51,6cm。

・絹本着色徳川家康画像・・・埼玉県指定文化財

・絹本着色天海僧正画像・・・埼玉県指定文化財

・木造聖僧文殊坐像・・・・・埼玉県指定文化財

・木造宝冠阿弥陀如来坐像・・埼玉県指定文化財など・・・


●般若心経堂
 千手観音菩薩が厨子に安置されている。

●観音堂・・・板東三十三観音霊場第9番札所
画像

  慈光寺境内の一番高い所に建てられている。
 本尊の千手観音立像は秘仏である。
 高さは270cmである。
画像

マーちゃんの写真も手に入らない。
 写真はこれしかない。




◆自作の短歌
「ヒメシャガの 花の回廊 石段を 
   登れば光る 慈光寺の御手」







【2】比企能員館=宗悟寺
比企能員館は埼玉県東松山市大字大谷の宗悟寺周辺が館跡
の推定地である。
●宗悟寺門前の説明板
●比企一族の顕彰碑
※比企能員は鎌倉幕府の有力御家人である。
★写真はない。

******比企能員*************************************
・寿永元年(1182 鎌倉比企ヶ谷の比企能員の屋敷で
  北条政子が源頼朝の嫡男:万寿(源頼家)を出産した。
将軍家姻戚:比企遠宗の妻:
※将軍家姻戚:比企遠宗の妻:比企尼は源頼朝の乳母を務
 めた。比企能員の伯母(叔母)である。
 比企尼は源頼朝が流人となった後も20年間支援を続けた。
 
 源頼家の誕生
  ①比企尼の長女=比企能員の妻・・・比企尼の養子
  ①比企尼の次女=河越重頼室(★秩父氏系3大勢力)
  ③比企尼の三女=平賀義信室(★信濃佐久の領主)

  比企尼の甥:比企能員は2代将軍:源頼家の乳母父に選
  ばれた。
   
  比企能員は源頼朝の信任厚い側近として仕えた。

・元暦元年(1184) 木曾義仲の子:源義高討伐のため出陣。
   平氏追討に従軍。

・元暦2年(1185) 壇ノ浦の戦い
平氏が滅亡。
  
・文治5年(1189) 奥州の藤原泰衡追討
源頼朝は戦勝祈願のため、「愛染明王像」を納めた。
(★吾妻鏡)
   比企能員は北陸道大将軍として出兵。
★比企能員がおそらく持っていったのであろう。

・建久元年(1190) 源頼朝の上洛に随行。
   比企能員は右衛門尉に任ぜられた。
   上野国・信濃国守護に任命された。

・建久2年(1191)
  源頼朝は慈光寺に寺領として1200町歩を寄進した。
※源頼朝寄進状が残っている。
  国宝「慈光寺経」が伝来している。
  後鳥羽上皇を筆頭とする藤原兼実一門が結縁のため
  書写した「法華経」の一品経である。関東初。

・建久3年(1192) 源頼朝は鎌倉幕府を開いた。
精神的な支柱として、関東に坂東33番札所を
設定した。

・建久8年(1197)
   臨済宗の祖:栄西禅師の高弟:栄朝禅師が来た。
   臨済宗の霊山院を創建し、禅道場が開いた。
  ※慈光寺の全盛期で七十五坊が甍を連ねていた。
   (★「吾妻鏡」)
  鎌倉幕府の庇護は、将軍家姻戚:比企遠宗の妻:
  比企尼によるところが大きかった。

・建久9年(1198) 比企能員の娘:若狭局が2代:源頼家
  の側室となった。
  長男:一幡を産んだ。
  外戚として権勢を振った。

・正治元年(1199) 源頼朝が死去。
  13人の合議制の1人となった。
梶原景時の変
  比企能員は梶原景時排斥にも荷担した。

・建仁3年(1203) 源頼家が病気で危篤状態に陥った。
  8月27日 北条時政は「一幡と源頼家の弟:源実朝に
  源頼家の遺領分与を決定した。
  関東28ヶ国地頭職と日本国総守護職を一幡に、
  関西38ヶ国地頭職を源実朝に相続する事になった。
 比企能員は、これに不満を持った。
 源頼家に源実朝擁立を計る北条時政の謀反を訴えた。
 源頼家は時政追討を能員に命じた。
 しかし、密議を障子の影で立ち聞きしていた北条政子が
 父:北条時政に告げた。
 北条時政は大江広元の支持を取り付けた。
 9月2日 北条時政は仏事の相談があるとして比企能員を
 北条時政の名越邸に呼び出した。
 密議が漏れている事を知らない比企能員は平服のまま
 北条時政の館に向かった。
 比企能員は門を通って館に入った。
 武装して待ちかまえていた天野遠景・仁田忠常らに刺し
 殺された。

 比企一族は、比企能員の謀殺の知らせを聞いた。
 一幡のいる小御所に立てこもって防戦した。
 大軍に攻められ、小御所に火を放ち一幡とともに自害した。
 比企能員の嫡男:余一兵衛尉は女装して逃れようとしたが、
 道端で捕らえられ殺害された。比企一族は悉く殺害された。
(★『吾妻鏡』)

 源頼家は病が重くなったので出家し、家督を一幡に譲ろう
 とした。一幡を擁する比企能員の世になるのを恐れた
 北条時政が比企能員を呼び出して殺害し、源頼家を
 大江広元の館に移して一幡を殺そうと刺客を差し向けた。
 一幡は母が抱いてかろうじて逃げ出したが、残る比企
 一族はみな討たれた。
 その後、一幡も北条義時の郎党に刺し殺された。
(★『愚管抄』)

 ★比企一族の墓・・・鎌倉の妙本寺(比企能員館跡)

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【3】森川陣屋
●宗悟寺は旗本:森川氏の菩提寺である。
森川氏墓所は東松山市指定文化財である。

●秋葉神社周辺が森川氏陣屋跡である。



◆◆ 慈光寺の歴史 ◆◆
・天武天皇2年(673)癸酉、僧慈訓が慈光老翁の委嘱を受け、
千手観音堂を建て、観音霊場として開基した。
役小角(えんのおずの)が伊豆の国に配流となって、関東
 を歴遊して慈光寺に来た。
 西蔵坊を設け修験道場とした。
(★『都幾山慈光寺実録』)96世信海の寺伝

・奈良時代
  唐の鑑真和上の高弟:釈道忠によって、慈光寺は創建
  された。
  道忠は慈光寺に仏像を建て、一尺六丈の釈迦如来像を
  安置した。

・平安時代
  伝教大師最澄が比叡山に天台宗を開教した折に
  道忠教団によって2000余巻の経典が奉納された
(★『叡山大師伝』)

・延暦2年(783) 伝教大師により天台密教の教旨が慈光寺
  に弘通された。
   台密の教法を修学する学徒と役小角の流れをくむ
   行徒2派が修行する女人禁制の道場として、また
   千手観音の霊場として栄えました。
   特に清和天皇には、天台別院として「一乗法華院」
   の勅額を賜った。

・貞観13年(781) 上野国大目安部小水麻呂(だいさかん
あべのおみずまろ)が、「大般若経」六百巻を書写し、
慈光寺に奉納しました。
 ※国重要文化財に指定・・・
.

・文治5年(1189) 奥州の藤原泰衡追討
源頼朝は戦勝祈願のため、「愛染明王像」を納めた。
(★吾妻鏡)

・建久2年(1191)
  寺領として1200町歩を寄進した
※源頼朝寄進状が残っている。
  国宝「慈光寺経」が伝来している。
  後鳥羽上皇を筆頭とする藤原兼実一門が結縁のため
  書写した「法華経」の一品経である。関東初。

・建久3年(1192) 源頼朝は鎌倉幕府を開いた。
精神的な支柱として、関東に坂東33番札所を
設定した。


・建久8年(1197)
   臨済宗の祖:栄西禅師の高弟:栄朝禅師が来た。
   臨済宗の霊山院を創建し、禅道場が開いた。
  ※慈光寺の全盛期で七十五坊が甍を連ねていた。
   (★「吾妻鏡」)
  鎌倉幕府の庇護は、将軍家姻戚:比企遠宗の妻:
  比企禅尼によるところが大きかった。
  

  「昔は大伽藍にして、何の頃よりか台・密・禅の三宗
  を兼学」すとあり、
(★『新編武蔵風土記稿』)


・戦国時代
   慈光寺も僧兵を傭し、近隣城主との抗争した。
  

・文明9年(1477)頃 太田道灌の慈光寺の焼き討ち。
  ※栄華を誇った寺院も衰運をたどることになった。

・天文年間(1531~55) 松山城主:上田朝直は大築城を
築城した。
上田朝直は大築城から慈光寺を攻撃した。
本堂などを焼失した。 
※『新編武蔵風土記稿』では、上田安独斎(あんどくさい)
松山城主上田能登守朝直)の城跡であると伝えられている
※『慈光寺略誌』では、北条氏康の家臣である上田安独斎
(上田朝直)が大津久山(おおづくやま)に出陣して慈光
寺を焼き討ちした、という記録がある。
 慈光寺の記録や発掘調査からも戦国時代に慈光寺の建物
 が焼失したことがうかがわれ、後北条氏が上田朝直に命じ
 て慈光寺を攻撃させるための城がこの大築城である可能性
 が高いといわれている。
 (★埼玉の城祉めぐり:西野博道著)

その後、上田朝直は慈光寺を菩提寺とした。
  
・天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻撃
前田利家は松山城攻撃の際、寺社の放火狼藉を禁止
した。

・天正19年(1591)
  初代徳川家康から寺領100石が与えられた。

・江戸時代  
 3代徳川家光の室:桂昌院の信仰が厚かった。
  奉納された貴重な品々が伝わっている。

 
・現在・・・慈光寺は坂東三十三観音霊場第9番札所である。
 

★参考図書等
・パンフレット


★参考サイト
・慈光寺公式Hp
・ときがわ町Hp
・ウキペディアなど



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