箕輪初心★箕輪城133【長野業政の政略結婚&有力同心衆・家臣】

一般的には、長野業政の12人の娘がいたと言われているが、
系図によって異なる。しかし、長野業政は箕輪城の周囲の松
井田、安中、和田、倉賀野、小幡などと婚姻同盟を結び、同
心衆として箕輪城の防衛に当たったのは確かである。いわ
ゆる政略結婚=血縁関係をベースに西上州の雄となってい
ったのである。 今回は箕郷町誌P969~971をまとめることにし
た。分かる範囲でその後についての加筆説明をした。

画像

 (★箕郷町誌より)



***********最近の箕輪城シリーズ*************************
箕輪初心★箕輪城132『長野業政の系図&長野一族
http://53922401.at.webry.info/201405/article_4.html

箕輪初心★箕輪城131&芝桜公園&松之沢百観音&ツツジの郷
http://53922401.at.webry.info/201405/article_3.html

箕輪初心●箕輪城130「長野業正の生涯」=武田信玄を
悩ませた人物
http://53922401.at.webry.info/201405/article_2.html

箕輪初心★箕輪城129【2代目:長野憲業のリニューアル版】
http://53922401.at.webry.info/201405/article_1.html

箕輪初心★箕輪城128【築城年代7説】:私見は長野業尚1477年説
http://53922401.at.webry.info/201404/article_31.html

箕輪初心●箕輪城127【富原道晴氏の縄張り図4種&
My鳥瞰図】
http://53922401.at.webry.info/201404/article_30.html

箕輪初心★箕輪城126【奈佐勝皐「山吹日記」の中の箕輪城】
http://53922401.at.webry.info/201404/article_28.html

箕輪初心★箕輪城125【最新パンフレット】&近くのお薦め
レストラン
http://53922401.at.webry.info/201404/article_27.html

箕輪初心●箕輪城124【桜満開の二の丸~大手丸戸張】
&『箕輪亭ランチ』
http://53922401.at.webry.info/201404/article_26.html

箕輪初心★箕輪城№123【秋本太郎先生現地説明会】20140326
http://53922401.at.webry.info/201403/article_29.html

箕輪初心★箕輪城№121【金龍寺】=長野業政の鉄砲方:
町田兵庫賞賛碑
http://53922401.at.webry.info/201403/article_28.html

箕輪初心★箕輪城121【長純寺】=長野業政の木造&供養塔
&箕輪亭(きりんてい)
http://53922401.at.webry.info/201403/article_27.html

箕輪初心★箕輪城120『箕輪城稲荷曲輪堀』と箕郷梅公園
http://53922401.at.webry.info/201403/article_26.html

箕輪初心★箕輪城118【2014年3月の雪解けの箕輪城】
http://53922401.at.webry.info/201403/article_17.html

箕輪初心★箕輪城117【長野家侍大将:安藤九郎左衞門】
http://53922401.at.webry.info/201402/article_12.html

箕輪初心●箕輪城116【12月新状況&2014年1月1日初登城】
&井伊直政手作り甲冑②
http://53922401.at.webry.info/201401/article_1.html

箕輪初心●箕輪城№115【赤備え】&北条三鱗会の井伊直政
手作り甲冑①」
http://53922401.at.webry.info/201311/article_29.html

箕輪初心●箕輪城№114『2013年第11回箕輪城祭り』写真集
http://53922401.at.webry.info/201310/article_28.html

箕輪初心★箕輪城113川野辺寛「高崎誌」&井伊直政
http://53922401.at.webry.info/201310/article_8.html

箕輪初心●箕輪城110 :秋本太郎先生①
「本丸西虎口&郭馬出」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_22.html

箕輪初心●箕輪城107【郭馬出】=城門復元2018年度完成予定
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201306/article_9.html

箕輪初心●箕輪城№105久保田順一先生「箕輪城と長野氏」
http://53922401.at.webry.info/201305/article_26.html

箕輪初心:箕輪城102「2013箕郷狐の嫁入り&農大二高」
http://53922401.at.webry.info/201310/article_7.html

箕輪初心★箕輪城101「長野氏」の研究:近藤・山崎
・飯森・久保田
http://53922401.at.webry.info/201310/article_6.html

箕輪初心●箕輪城№94『岡田氏』『多胡氏』『久保田氏』『関口氏』
http://53922401.at.webry.info/201212/article_25.html

箕輪初心●箕輪城№93【上泉伊勢守秀綱】箕輪城落城~流浪の旅へ
http://53922401.at.webry.info/201212/article_24.html


****井伊直政シリーズ*******************************
◆◆ 箕輪初心●箕輪城「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201010/article_40.html

http://53922401.at.webry.info/201011/article_25.html

◆◆ 箕輪初心●井の国千年物語前編 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_3.html

◆◆ 箕輪初心●井の国後編:「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_4.html

◆◆ 箕輪初心●井伊直政の箕輪城時代の家臣団 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_15.html

◆◆ 箕輪初心●静岡:井伊直政の井伊谷城 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_5.html

◆◆ 箕輪初心●井伊直政の造った町:高崎&彦根 ◆◆
高崎高校 VS 近江高校
http://53922401.at.webry.info/201203/article_28.html

◆◆ 箕輪初心●中村達夫氏の「井伊軍志」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_14.html

◆◆ 箕輪初心●小和田哲夫氏の「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_13.html
***************************************************

箕輪初心●箕輪城シリーズ⑩「長野業盛」
http://53922401.at.webry.info/201010/article_14.html

箕輪初心●箕輪城シリーズ55「長野一族の歴史」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201011/article_36.html

箕輪初心●箕輪城シリーズ44「砦群」②箕郷地区
http://53922401.at.webry.info/201011/article_11.html

 


【1】長野業政の系図上に見られる政略結婚
●妻・・・
①沼田顕定{沼田城}の娘の説
      (野口泰彦「小説箕輪城」・上州路)

②上杉憲政{平井城}の妹の説
      (池波正太郎「剣の大地」)

●側室6人?・・
①上泉伊勢守信綱の妹(池波正太郎)
   大胡城・小泉城{前橋市}(→上泉城の立て看板?)   
  ★私見「根拠不明・・・・養女もいたのではないか?」
 







●姉
 長尾景英の妻・・・白井城{渋川市}(県史・野口先生)

●妹・・・
 羽田康文の妻・・・大柏木城(東吾妻町)

 
●娘12人+α
1)「長野氏興廃史」斎藤平治郎著+近藤先生「群馬県史」説 
①小幡城{富岡市}・・★小幡重貞
   (★重定・信貞・信定・・・武田の「信」)

②宮崎城{富岡市}・・★小幡図書介:信貞従兄弟
*丹生城・宇多城に小幡(★上毛古戦記P104)
*小幡城に小幡・・・家老:熊井土=岡本が入った。
 
③武州忍城{埼玉行田}・・・・・・・★成田氏
 ★私見「武州に? 時代的に見て、夫は小田原北条征伐
    の時に城主成田氏長(甲斐姫父)の父か?」
  忍城の学芸員等に確認したが、資料はなかった。
   →場所的に遠いので、無理があるのでは?」 

④山名城{高崎市}・・・・・木部範虎   

⑤大戸城{吾妻郡}・・・・・大戸中務少輔
 
⑥和田城{高崎市:高崎城}・・・・和田業繁?  
*和田業繁・・・・(上杉家文書に出てくる名前)

⑦倉賀野城{高崎市}・・・・・・・・・倉賀野氏

⑧鷹ノ巣城{安中市}・・・依田(あしだ)新八郎
 ★私見「依田氏はこの時、後閑城かも知れない?」
  (後閑城看板)
1537年より依田光慶は安中城を築城した。

⑨羽根尾城{吾妻の羽尾}・・・・・羽尾氏
 「羽根尾城は羽尾幸全・海野幸光が築城。
   (★羽尾城前の墓石の表記)
 
⑩浜川城{高崎市浜川町}・・浜川左衛門尉(★近藤先生)
 浜川左衛門尉は、1560年の謙信の関東出陣メンバーである。
  
 *安中城{安中市}・・安中忠正説もある。
   (★長野氏興廃史斎藤平治郎著)  

⑪厩橋(まやばし)城{前橋県庁}・・長野方業:業政叔父
★飯森康広先生は「長野方業(まささなり)=業政(なり
  まさ)なので、違う可能性もある。

⑫鷹留城{高崎市旧榛名町宮沢}・・・・長野業通:業政の甥


◆◆近藤先生の変更:2009年11月15日 
かみつけ塾講演会
①長女・・・・松枝(松井田)城主:安中越前守忠政
②・・・・・安中城主:安中左近太夫忠成
③・・・・・家老田嶋時吉
④・・・・・木部宮内少輔定朝  
⑤・・・・・大戸城主:大戸左近兵衛 
⑥・・・・・和田城主:和田業繁 
      (上杉家文書に出てくる名前)
⑦・・・・・倉賀野城主:金井淡路守景秀
⑧・・・・羽根尾城{吾妻の羽尾}主:羽尾氏
⑨・・・・浜川殿{高崎市浜川町}:浜川長野氏(家老:藤井氏?)
⑩・・・・・厩橋(まやばし)城{前橋県庁}主:長野氏
⑪・・・・・鷹ノ巣城{安中市}・・・・・依田氏
⑫・・・・鷹留城{高崎市旧榛名町宮沢}:長野忠業




2)野口泰彦(野口雨情御子息)著「小説箕輪城」説
   =(文書館の●●説?)
  忍城・浜川城・大戸城・羽尾城がなく、

*松井田城{安中市松井田}・・・・・・・安中忠成
  私見「あってもおかしくないが、この時、50歳くらいかも?」

*安中城{安中市}・・・・・・・安中忠正
   私見「安中忠正は忠成の長男・・・変。年齢が?」

*鷹ノ巣城{安中市}・・・・・・・・・・依田光慶
   私見「この苗字は、甲陽軍艦にも出来るらしい?」

*沼田城{沼田市}・・・・・・・・・・・沼田景定
   私見「白井城長尾を超えて、1530年代は無理では?」

*厩橋城{前橋県庁}・・・・・・・・・長尾景面
  私見「長尾氏の城ではない。長野氏の城だから。」

*岡本城{富岡市の高瀬付近}:岡本時連
   (箕郷町柏木沢に岡本姓)
   ・・・・近藤先生の中世古地図より(県史付録)
 ★私見「武蔵行田の忍城より、説得力があるが不明。」 




3)上毛及び上毛人/上州路説
長女=  小幡城主・小幡尾張守信貞妻
次女=  国峰城主・小幡図書助景定妻
三女=  武州忍城主・成田氏妻
四女=  木部城主・木部宮内少輔定朝妻
五女=  大戸城主・大戸左近兵衛妻
六女=  和田城主・和田業繁妻
七女=  倉賀野城主・金井淡路守景秀妻
      (これは武田についた時の名前)
八女=  羽尾城主・羽尾幸全妻
    ★TV風林火山では、海野幸全は真田幸隆妻の弟
九女=  浜川城主・長野氏家老藤井氏妻
     ★長野氏筆頭家老は北新波砦ではと考える。
十女=  厩橋城主・長野氏妻
十一女= 板鼻鷹巣城主・依田氏妻
十二女= 室田鷹留城主・長野忠業妻
 『長野記』や『蓑輪軍記』には小幡信貞(信定・重貞・重定)
    が国峰城主で、景定(景純)が小幡城主。
 ※小幡城は江戸時代に入ってからの築城のため、×か古城か?


【十二家客分大身小身知行地方持衆(高家)】
【1】石井左京大夫讃岐守信房(室田鷹留城主:軍師)
 ・・・★安房里見義堯の娘は長野業政に嫁いだ。
    長野業政の養子となった。
【系図2「秋間の石井泰太郎氏の長野氏系図】
①長野業行→長男:業高
      ②次男:憲業=信業→③業政→女子12人 
              妹=安中忠政妻
妹=里見義堯妻
女=和田重能妻)
     女=倉賀野為広妻)        
藤井友忠

※長野憲業=長野信業家督は次男業政が継いだ。
  長野業政の子どもは①女=娘11人・・・
女:和田新兵衛朝常妻
女:長尾弾正正景妻
女:沼田万喜斎入道妻
女:岡本兵部少輔持村妻
女:小幡尾張守信定妻
女:小幡図書之助妻
女:木部弾正宮内少輔妻
女:倉賀野淡路守妻
女:安中越前守妻
  ②義樹・・・(養子・信房)石井讃岐守
③業盛→曽平之進
女:・・・舞鶴姫
④宗誉

画像

 (★長野時代は大手口、井伊時代は搦め手口
   と言われている。)



【2】生島足島神社起請文&甲陽軍艦に見られる
 長野業政・長野業盛の箕輪衆寄騎+α
 (★箕輪町誌P969近藤義雄先生考察)

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●安中左近太夫忠成(ただしげ)→景繁 (?~?) 安中城
・永禄6年(1563)  武田信玄に仕えた。
甘利昌忠の娘を2号さんとして貰った。
・永禄9年(1566) 箕輪城落城。
   武田信玄に起請文提出。所領安堵
・天正3年(1575)5月21日=6月29日 長篠の戦い
  前哨戦い・・鳶ヶ巣の戦いで戦死。
 
○安中家繁 (?~?)
・天正3年(1575)5月21日=6月29日 長篠の戦い
  前哨戦い・・鳶ヶ巣の戦いで戦死。

○安中繁勝 (?~?)
・天正3年(1575)5月21日=6月29日 長篠の戦い
  前哨戦い・・鳶ヶ巣の戦いで戦死。
 
●安中忠政 (?~1564?) 松井田城
安中左近太夫忠成の父・・
・永禄8年(1565)長野氏に義理立てして戦死した。
 ★やはり、妻が長野業政の身内だったのであろう。
 長野業政の姉説・娘説がある。 

●須藤縫殿助久守 (?~?) 間仁田城主(安中)・
天王山の砦・・・
(安中生涯学習センターの南西100mの一角)
・永禄6年(1564) ? 降伏。武田信玄に仕える。

○松本総右衛門尉重友 (?~?) 天王山の砦
 須藤久守の一族。
・永禄6年(1564) ? 降伏。武田信玄に仕える。

○松本善右衛門尉行定 (?~?)天王山の砦 (安中市)
 須藤久守の一族
・永禄6年(1564) ? 降伏。武田信玄に仕える。

●後閑伊勢守信純 (?~?) 後閑城(安中市)
・永禄6年(1564) ? 降伏。武田信玄に仕える。
・永禄9年(1566) 箕輪落城後、武田信玄に起請文を提出。
 所領安堵。 武田信玄に仕える。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●高山彦兵衛尉定重 (?~?) 高山城(藤岡市)高山衆。
★世界遺産:高山社が居城であった。
・永禄6年(1564) ? 降伏。武田信玄に仕える。
・永禄9年(1566) 箕輪落城後、武田信玄に起請文を提出。
  所領安堵。 武田信玄に仕える。

●高山山城守行重 (?~?) 高山衆。
・永禄6年(1564) ? 降伏。武田信玄に仕える。
・永禄9年(1566) 箕輪落城後、武田信玄に起請文を提出。
    所領安堵。武田信玄に仕える。

●高山八郎三郎泰重 (?~?) 高山衆。
・永禄6年(1564) ? 降伏。武田信玄に仕える。
・永禄9年(1566) 箕輪落城後、武田信玄に起請文を提出。
        所領安堵。武田信玄に仕える。

●馬庭中務少輔家重(?~?) 高山衆。間庭城(旧吉井町)
・永禄6年(1564) ? 降伏。武田信玄に仕える。
・永禄9年(1566) 箕輪落城後、武田信玄に起請文を提出。
        所領安堵。武田信玄に仕える。

●酒井中務少輔家重 (?~?)神保城(旧吉井町)
・永禄6年(1564) ? 降伏。武田信玄に仕える。
・永禄9年(1566) 箕輪落城後、武田信玄に起請文を提出。
        所領安堵。武田信玄に仕える。

●小林与右兵衛幡繁 (?~?) 中大塚城(藤岡市)
・永禄6年(1564) ? 降伏。武田信玄に仕える。
・永禄9年(1566) 箕輪落城後、武田信玄に起請文を提出。
        所領安堵。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●多比良=豊後守友定 (?~?)多比良城(旧吉井町)
・永禄6年(1564) ? 降伏。武田信玄に仕える。


●甘尾=若狭守 (?~?)天引城 (旧吉井町)
・永禄6年(1564) ? 降伏。武田信玄に仕える。
・永禄9年(1566) 箕輪落城後、武田信玄に起請文を提出。
        所領安堵。


●神保小次郎昌光 (?~?) 神保城(旧吉井町)長根衆。
・永禄6年(1564) ? 降伏。武田信玄に仕える。
・永禄9年(1566) 箕輪落城後、武田信玄に起請文を提出。
        所領安堵。

●小河原右馬助重清=長根雅楽之助(?~?)
              長根城(旧吉井町)長根衆。
・永禄6年(1564) ? 降伏。武田信玄に仕える。
・永禄9年(1566) 箕輪落城後、武田信玄に起請文を提出。
        所領安堵。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●小幡右衞門尉信実=上総介信真 国峰城(富岡市)
※妻は長野業政の長女説が有力。
・永禄3年(1560) 以前に武田信玄家臣になった。

●小幡=小幡図書之助景定  宇田城(富岡市)
※妻は長野業政の次女説が有力。
・永禄6年(1564) ?国峰城を乗っ取ったが、武田信玄に
滅ぼされた。

●小幡左衞門太夫兼行     宮崎城か?(富岡市)
・永禄6年(1564) ? 降伏。武田信玄に仕える。

○一宮兵部助氏忠 (?~?)
※一宮は小幡氏の先祖の苗字である。
★一の宮=貫前神社宮司ではないだろうか?
・永禄6年(1564) ? 降伏。武田信玄に仕える。
・永禄9年(1566) 箕輪落城後、武田信玄に起請文を提出。
        所領安堵。

●白倉=右衞門公仕 白倉城(甘楽町)
・永禄6年(1564) ? 降伏。武田信玄に仕える。
・永禄9年(1566) 箕輪落城後、武田信玄に起請文を提出。
        所領安堵。

●庭谷=左衞門尉 庭谷城(甘楽町)
・永禄6年(1564) ? 降伏。武田信玄に仕える。
・永禄9年(1566) 箕輪落城後、武田信玄に起請文を提出。
        所領安堵。
後、下仁田の根小屋城主となった。

●小幡三河守信尚=景宗  下仁田鷹ノ巣城(下仁田町)
★南北朝時代 新田義貞の楠木攻撃に小幡三河守で参加。
・永禄6年(1564) ? 降伏。武田信玄に仕える。

●高田大和守繁頼     高田城(旧妙義町)
・永禄6年(1564) ? 降伏。武田信玄に仕える。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●小沢源十郎行重      小沢城(南牧村)
・天正17年(1589) 降伏。武田信玄に仕える。

●市川四郎衞門重久     砥沢城(南牧村)
・天正17年(1589) 降伏。武田信玄に仕える。
武田信玄の西上州の拠点となった。


●懸河彦八郎       (南牧村)
・天正17年(1589) 降伏。武田信玄に仕える。

●高橋左近助重行  (南牧村)
・天正17年(1589) 降伏。武田信玄に仕える。

●市河兵庫助景吉 (南牧村)
・天正17年(1589) 降伏。武田信玄に仕える。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●土屋上総守等綱        (南牧村山中)
・天正17年(1589) 降伏。武田信玄に仕える。

●黒沢駿河守重慶 (南牧村山中)
・天正17年(1589) 降伏。武田信玄に仕える。

●黒沢出羽守定吉 (南牧村山中)
・天正17年(1589) 降伏。武田信玄に仕える。

●黒沢掃部助光吉 (南牧村山中)
・天正17年(1589) 降伏。武田信玄に仕える。

●黒沢兵衛尉重家 (南牧村山中)
・天正17年(1589) 降伏。武田信玄に仕える。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
○和田信輝 (?~1538)  和田城主。
・和田業繁&信景の父。
・天文7年(1473) 河越合戦で討死した。

●和田右衛門大夫業繁 (?~?)
「和田八郎」が和田宗家。業繁の「業」は長野業正の一字
 である。母は長野業正の姉妹説&妻説がある。
 ★妻は長野業正の六女と二重に婚姻を結んだ一門とも考えら
 れる。
・永禄9年(1566) 長野氏滅亡後、武田信玄に仕える。
長篠合戦では武田信実に属した。
新井刑部、長井三河、反町大膳らを率い君ヶ臥戸砦を
 守っていた。鉄炮に撃たれ、反町大膳に助けられた。
 が、信州駒場で没した。

○和田信業
 跡部勝資の子ども・・・和田業繁の養子
 業繁&信玄・・一字を組み合わせた名前である。
 武田滅亡後、北条家に属し小田原籠城に加わった。


●和田信景=和田左衛門正盛。(?~1575)和田下之城
 和田業繁の弟。
・永禄9年(1566) 長野氏滅亡後、武田信玄に仕えた。
   2704貫300文。
・永禄11年(1568) 高崎の下之城を改修。
・天正3年(1575) 長篠合戦で討死。


○和田正直・・・和田信景の子
・天正18年(1590) 小田原籠城後、
上杉景勝に仕えた。
   直江兼続の配下になった。
・慶長3年(1600) 山形の長谷堂城の戦い
  最上義光に仕えた。
  鶴岡城代2795石を知行した?

○和田喜兵衛・・・和田業繁の弟。(?~?)
・永禄4年(1561) 長野業正の死後、
兄:和田業繁は甲斐武田信玄に従属。
  弟:和田喜兵衛は長尾景虎=上杉政虎の従属。
 ※家中は分裂・・・和田喜兵衛の手引きで
    越後上杉謙信は和田城を攻めた。

●和田信業・・・和田業繁の養子。
 和田業繁は跡部勝資の長男を婿養子とした。
 武田信玄の一字と業繁の一字を与え「信業」を
 名乗らせた。・・・
内藤昌月・・内藤豊後守昌秀=昌豊の養子も跡部家で
 ある。

関係ないけど、水戸天狗党の武田耕雲斎は跡部一族であ
 るが、長篠の戦いの不吉さから武田耕雲斎と名乗った。



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●倉賀野=左衞門五郎尚行(=金井淡路守景秀)説
※妻は長野業政の7女
※金井淡路守景秀 (?~1590)
 妻は長野業正の7女。
 倉賀野16騎の一人→・・・後に倉賀野姓を称す。
・永禄2年(1599)9月、武田家に仕える。
・長篠合戦に参加。
・天正10年(1582) 武田滅亡後、滝川一益に属した。
    滝川一益撤退後、北条家に属した。
・天正18年(1590) 7月27日に小田原城で病没した。

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○大戸中務少輔 大戸城
・永禄3年(1560) 長尾景虎の第一次出兵
   関東幕注文に大戸が出てくる。 
大戸中務少輔→浦野左衛門尉幸次=中務少輔真楽斎
 となった。滋野系海野氏大戸氏→浦野氏に改姓したの
 ではないだろうか?

※浦野左衛門尉幸次=中務少輔真楽斎  大戸城 
・永禄4年(1561) 武田信玄に属した。
★真田幸隆の凋落され、甘利昌忠を介し、家臣になった。
・永禄6年(1563)浦野左衛門尉幸次は鷹留城を攻撃し
長野三河守配下80人を討ち取った。
榛名の長年寺や田んぼを焼いた。
甘利昌忠の信用を得るためであった。

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●木部範時=範虎 (?~?) 木部城
正確には、堀の内・山名城・山名北城主。
※長野業正の3女説・4女説あり。
・永禄9年(1566)長野氏滅亡後、武田信玄に仕える。
・天正10年(1582)武田勝頼に従った。
       子の木部貞朝は北条家に属した。
・天正18年(1590) 小田原城の籠城に参加した。

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●依田=依田六郎=依田肥前守   板鼻城
依田(あしだ)新八郎=依田光慶の可能性が高い。
 私見「依田氏はこの時、後閑城かも知れない?」
  (後閑城看板)

・天文6年(1537)依田光慶は板鼻城を築城した。


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●阿部中務尉之友      多比良城(旧吉井町)
甲陽軍艦に「多比良城」とあるらしいが、一郷山城
 (牛伏山山頂200m先)の間違いである。

・永禄6年(1563) 一郷山城が落城。全員抹殺された。



●富田民部少輔吉政  峰山城(旧吉井町石神字城馬場)
・永禄6年(1563) 落城。


●小串         峰山城
・永禄6年(1563) 小串城が落城。


●瀬下=豊後守          峰山城
・永禄6年(1563) 落城。
しかし、瀬下は箕輪城の内藤豊後守昌豊&
 昌月(まさあき)の引き継ぎ期間に箕輪城に
 在城している。何か変である。



●菅沼=菅沼之常   塩川城(旧吉井町・・多胡碑近く)
・永禄6年(1563) 菅沼大膳之孝は武田信玄の軍勢に攻め
  られ落城した。

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●厩橋=長野賢忠        厩橋
※長野氏一族

●成田=成田長泰      忍城(埼玉県行田市)

●惣社=長尾顕景      惣社城(前橋市総社)

●白井=長尾憲景 白井城(現渋川市旧子持村)

●沼田=沼田顕泰      沼田城

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●羽田=羽田康文  大柏木城(東吾妻町)
  長野業政の妹・・・羽田康文の妻・・・
・永禄4年(1562) 武田信玄の家臣になった。
真田幸隆の調略によるものであった。
 ★元総理大臣羽田孜氏家系図あり
○羽田彦太郎・・・羽田康文の子?
 ・永禄5年(1565) 武田信玄の家臣:真田幸隆に
    に所領を奪われた。


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●羽尾=羽尾幸全(ゆきまさ)
※★私見「羽尾幸全の弟:海野幸光は、
   岩櫃城の家老・・・・「真田三代」?
  1541年の真田幸隆の逃げ延び先である。
   妻は海野の幸全の娘を2番目の妻とした。

・永禄4年(1562) 武田信玄の家臣になった。
真田幸隆の調略によるものであった。


●長野=長野弾正業通 鷹留城
・永禄9年(1566) 鷹留城が落城

●里見=里見河内 (?~?)    里見城。
・永禄9年(1566) 武田勢の那波無理之助に滅ぼされた。

●大類=大類伊勢守         大類城
・永禄8年(1565) 武田信玄に降伏した。

●石倉=長尾長景        石倉城(前橋市石倉)
・永禄8年(1565) 武田信玄に降伏した。
  改修工事を開始した。



【3】上泉家
○上泉伊勢守時秀 (?~1531)
 鹿島流飯篠長威斎の弟子。
・文明6年(1475) 従五位下。
・文亀3年(1504) 子:義綱に家督を譲った。
・享禄3年(1531) 77歳没。

●上泉義綱・・・信綱の父。 (1483~?)
・明応9年(1500) 松本備前守に弟子入りし、
         鹿島流、陰流を学ぶ。
・文亀3年(1504) 家督を相続。
・天文年間没。


●上泉伊勢守秀綱=信綱=上泉豊成=時則(下芝砦主)
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箕輪初心●箕輪城№93【上泉伊勢守秀綱】箕輪城落城~流浪の旅へ
http://53922401.at.webry.info/201212/article_24.html
箕輪城落城の時、箕輪城にいなかったのでは?
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○上泉秀胤 (1531~1564)
・享禄3年(1531) 上泉信綱の長男として生まれた。
   母は大森泰頼の娘。
・天文年間(1532~1555) 父と上洛。
  平野神社神主吉田兼興の妹を娶った。
・天文16年(1547) 小田井の戦い
武田晴信 VS  関東管領上杉憲政
   信濃国志賀城主:笠原清繁との間で行われた。
   武田勢を迎撃。武田義信を破った。
結果・・・上杉が大敗。
・天文21年(1552) 平井城落城   
  山内上杉憲政敗走後、後北条家に仕える。
・永禄7年(1564 ) 鵠之台合戦で討死。35歳没。
    前橋西林寺に葬られた。
   ※弟の上泉有綱、上泉行綱は北条家に仕えた。

○上泉泰綱  (?~1600)
・慶長5年(1600) 上杉景勝に属した。
 直江兼続の配下。長谷堂城の戦いで討死した。
 

○疋田文五郎景忠 (1537~1605 )
※母は上泉信綱の姉。
 上泉伊勢守信綱の甥に当たる。
・27歳の時、柳生宗厳を破ったという。
・天正年間(1573~1592) 細川家に士官した。
   疋田陰流の祖となった。
・天正17年(1589) 豊臣秀次に剣を指南した。
・慶長6年(1601) 細川忠興から150石を賜った。
          →350石。
・慶長10年(1605) 大坂城中または中国地方で没?69歳




★明日は、着到帳にある長野業政の家臣かな?

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