箕輪初心★箕輪城132『長野業政の系図&長野一族』

長野氏の系図は現在では14種類ある。羽田孜元総理系図
も含めると15である。古文書は「長野業正」であるが、
江戸時代に作られた系図はほとんどが「長野業政」である?
★在原業平→・・石上+物部の融合・・→長野氏・・・
武田信玄に滅ぼされたが、亀寿丸が保護・?・・→井伊直
政の家臣団へ:井伊家№3に格上げ・・→現在に至る。
今回は長野業政に関わる系図を取り上げ、関係する長野業
政を取り巻く長野一族をまとめようと思う。

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箕輪初心●箕輪城シリーズ55「長野一族の歴史」
http://53922401.at.webry.info/201011/article_36.html?pc=on


***********最近の箕輪城シリーズ*************************
箕輪初心★箕輪城131&芝桜公園&松之沢百観音&ツツジの郷
http://53922401.at.webry.info/201405/article_3.html

箕輪初心●箕輪城130「長野業正の生涯」=武田信玄を
悩ませた人物
http://53922401.at.webry.info/201405/article_2.html

箕輪初心★箕輪城129【2代目:長野憲業のリニューアル版】
http://53922401.at.webry.info/201405/article_1.html

箕輪初心★箕輪城128【築城年代7説】:私見は長野業尚1477年説
http://53922401.at.webry.info/201404/article_31.html

箕輪初心●箕輪城127【富原道晴氏の縄張り図4種&
My鳥瞰図】
http://53922401.at.webry.info/201404/article_30.html

箕輪初心★箕輪城126【奈佐勝皐「山吹日記」の中の箕輪城】
http://53922401.at.webry.info/201404/article_28.html

箕輪初心★箕輪城125【最新パンフレット】&近くのお薦め
レストラン
http://53922401.at.webry.info/201404/article_27.html

箕輪初心●箕輪城124【桜満開の二の丸~大手丸戸張】
&『箕輪亭ランチ』
http://53922401.at.webry.info/201404/article_26.html

箕輪初心★箕輪城№123【秋本太郎先生現地説明会】20140326
http://53922401.at.webry.info/201403/article_29.html

箕輪初心★箕輪城№121【金龍寺】=長野業政の鉄砲方:
町田兵庫賞賛碑
http://53922401.at.webry.info/201403/article_28.html

箕輪初心★箕輪城121【長純寺】=長野業政の木造&供養塔
&箕輪亭(きりんてい)
http://53922401.at.webry.info/201403/article_27.html

箕輪初心★箕輪城120『箕輪城稲荷曲輪堀』と箕郷梅公園
http://53922401.at.webry.info/201403/article_26.html

箕輪初心★箕輪城118【2014年3月の雪解けの箕輪城】
http://53922401.at.webry.info/201403/article_17.html

箕輪初心★箕輪城117【長野家侍大将:安藤九郎左衞門】
http://53922401.at.webry.info/201402/article_12.html

箕輪初心●箕輪城116【12月新状況&2014年1月1日初登城】
&井伊直政手作り甲冑②
http://53922401.at.webry.info/201401/article_1.html

箕輪初心●箕輪城№115【赤備え】&北条三鱗会の井伊直政
手作り甲冑①」
http://53922401.at.webry.info/201311/article_29.html

箕輪初心●箕輪城№114『2013年第11回箕輪城祭り』写真集
http://53922401.at.webry.info/201310/article_28.html

箕輪初心★箕輪城113川野辺寛「高崎誌」&井伊直政
http://53922401.at.webry.info/201310/article_8.html

箕輪初心●箕輪城110 :秋本太郎先生①
「本丸西虎口&郭馬出」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_22.html

箕輪初心●箕輪城107【郭馬出】=城門復元2018年度完成予定
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201306/article_9.html

箕輪初心●箕輪城№105久保田順一先生「箕輪城と長野氏」
http://53922401.at.webry.info/201305/article_26.html

箕輪初心:箕輪城102「2013箕郷狐の嫁入り&農大二高」
http://53922401.at.webry.info/201310/article_7.html

箕輪初心★箕輪城101「長野氏」の研究:近藤・山崎
・飯森・久保田
http://53922401.at.webry.info/201310/article_6.html

箕輪初心●箕輪城№94『岡田氏』『多胡氏』『久保田氏』『関口氏』
http://53922401.at.webry.info/201212/article_25.html

箕輪初心★箕輪城№91【井伊直政家臣:長野業親
→長野業実とは?】
http://53922401.at.webry.info/201212/article_16.html

箕輪初心●箕輪城№87飯森康広説「長野方業=長野業政?」
http://53922401.at.webry.info/201212/article_2.html

****井伊直政シリーズ*******************************
◆◆ 箕輪初心●箕輪城「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201010/article_40.html

http://53922401.at.webry.info/201011/article_25.html

◆◆ 箕輪初心●井の国千年物語前編 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_3.html

◆◆ 箕輪初心●井の国後編:「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_4.html

◆◆ 箕輪初心●井伊直政の箕輪城時代の家臣団 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_15.html

◆◆ 箕輪初心●静岡:井伊直政の井伊谷城 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_5.html

◆◆ 箕輪初心●井伊直政の造った町:高崎&彦根 ◆◆
高崎高校 VS 近江高校
http://53922401.at.webry.info/201203/article_28.html

◆◆ 箕輪初心●中村達夫氏の「井伊軍志」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_14.html

◆◆ 箕輪初心●小和田哲夫氏の「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_13.html
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箕輪初心●箕輪城シリーズ⑩「長野業盛」
http://53922401.at.webry.info/201010/article_14.html

箕輪初心●箕輪城シリーズ55「長野一族の歴史」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201011/article_36.html

箕輪初心●箕輪城シリーズ44「砦群」②箕郷地区
http://53922401.at.webry.info/201011/article_11.html

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★①長野憲業=信業説&②長野業尚の次男説の2つがある。
①享禄3年(1530)吾妻の戦いで長野憲業が戦死。→長野
業政40歳?が家督相続した。(箕郷町誌・みさとの歴史)
②永正11 年(1511)説では、鷹留城主であったが家督相続
後、弟:信業が継ぎ、箕輪城主となった。天文20年(1551)
11月7日に没した。法名は「南方長宗」である。
いずれにしても、長野業政は長野憲業あるいは信業の
こであることは間違いないようである。






【系図1「長野弾正氏所蔵の長野氏系図】
「長野氏系図」・・・長野弾正氏所蔵文書{箕郷町誌}」
第?代平城天皇→阿保親王→在原業平→在原業重
(上野国司)…業康(石上姓→長野上野守)・・業忠・・
業廣・・・為業・・・経業・・・義業・・・豊業・・・
治業・・・業定・・・業久・・・安業・・・友業・・・
業時・・・業頼・・・盛業・・・貞業・・・運業・・・
繁業・・・景業・・・業正・・・業之・・・業明・・・
業頼・・・乙業・・・隆業・・・業次・・・業末・・・
業経・・・業尚・
        (★長野氏興廃史斎藤平治郎著)
*物部氏…石上… (不明?) の子孫  
→①長野業尚→②憲業→長男:業氏(鷹留城)→業通
   ↓        ↓       女子5人
   →方業(厩橋城)↓      勝業
           ↓    業固
           ↓    
           →次男:③業政→吉業
                   ④業盛(=氏業)→業国 
    業盛の子:亀寿丸「長野氏興廃史」:鎮良「箕輪城考」
   業政の娘女子12人 
   ①小幡城主内上
   ②国峯城主内上
   ③武州忍城主内上
   ④木部殿内上 
   ⑤大戸城主内上
   ⑥和田城主内上
   ⑦倉賀野城主内上
   ⑧羽尾城主内上
   ⑨浜川殿内上(★浜川砦:浜川六郎か?)
   ⑩厩橋城主内上
   ⑪鷹ノ巣城(板鼻)主内上
   ⑫室田城(忠業)主内上



簡単にすると
①長野業尚→②長男憲業→長男:業氏:鷹留城→業通
      次男:信業
       3男:方業     
            次男:③業政→吉業
                  ④業盛→亀寿丸=鎮良
                  女子12人 
  3男:直業(箕輪富岡)


※長野業尚=尚業の長男が憲業・・・上杉憲房から
  「憲」を貰った。で、
  次男が長野信業
  3男は長野方業:厩橋城である。
長野方業 (?~1560)
長野業尚の3男。長野業正の叔父と表記されている。
定説は厩橋城主。賢忠、玄忠、宮内大輔ともいう。
飯森康広先生は長野方業=業政である。
・大永7年(1527)12月、兄:信業と共に総社長尾顕景を攻撃
・天文10年(1542)、佐野昌綱、成田長泰、那波宗俊と
ともに太田金山城:横瀬(由良)泰繁を攻撃した。
 しかし、境城主:小柴長光の由良泰繁への寝返りで
 失敗した。
・永禄3年(1560)長尾景虎の第一次関東出兵・・降伏。
子の長野彦九郎、長野大学の兄弟を使者としたが、
 馬が暴れ、謀反と勘違いされ、長尾景虎=上杉謙信の命令で
 討たれてしまった。3日後に長野方業も病没した。

長野彦九郎 (?~1560)
長野方業の子。
・永禄3年(1560)、上杉謙信に臣下になろうとしたが、馬が暴
れ、謀反と勘違いした長尾景虎に殺されたという。
★長野彦九郎は武田信玄の間者に謀殺されたのかもしれない。
 厩橋城は柏崎の北条(きたじょう)高広に任された。

長野道安 (?~?)
長野方業の子である。
・永禄3年(1560)、長尾景虎(=上杉謙信)の第一次関東出兵
厩橋城は攻略され、家臣となった。子は長野藤九郎道賢と
彦七郎である。


~~~~~~~~~~~
憲業の子どもは長男は長野業氏、次男が長野業正(業政)
3男:直業である。
長男:長野業氏 (?~1538年)
 長野信業の長男と表記されている鷹留城主であった。
・天文七年四月、病にて没す。法名「以山長伝」。
子は業通、業国、業勝。

次男:長野業政


3男:長野直業=石上直業 (?~?)
 長野信業の3男・・・現箕郷町富岡に在住。
 車郷小学校&飯守神社&童子砦&稲荷砦一帯が
 城であった可能性がある。・・・箕輪城を守る
 為の大きな城があったと考えている。


※小花和業修系譜では、小塙若狭守高成と改名している。
 小塙(現高崎市小塙町・・)7邑(村)を領有
 している。箕輪城主:長野業盛の義弟であったともいわれて
 いる。長野氏が武田信玄に滅ぼされた後、小塙に住んで
 小花和姓を名乗っていたという。しかし、ここには
 1575年頃には大熊氏が入っていたという記録がある。
 (★生島足島神社・・・内藤豊後守の家臣を拒否)


小花和度正(こばなわなりまさ)
 日光奉行などを務めた。

長野桂次郎=立石斧次郎
画像

・万延元年(1860)立石斧次郎は、日米修好通商条約の批准書
交換の派遣船=米国軍艦「ポーハタン号」で渡米した。
遣米使節に「給料はいらないから・・・」と言って、通訳見習
として16歳で随行した。
きっと小栗上野介に可愛がられたのであろう・
好奇心と物おじせず奔放にふるまいから、アメリカ女性に
「トミー」と呼ばれる人気者となった。
トミーは小花和度正の2男に生まれた。本名:小花和斧次郎
(おのじろう)であった。明治維新後は新政府に勤めた。
高崎市倉渕村の村上泰賢先生の「東善寺」説明がある。
******************************************************
村上泰賢「トミーポルカ」・遣米使節の少年通訳立石斧次郎
http://tozenzi.cside.com/tommy-polka.html
******************************************************
長野智子・・・フジテレビ
 長野桂次郎の曾孫




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
長野鎮良=別系図では亀寿丸
近日、ブログ掲載予定。
  

長野業宗 (?~?)
 長野鎮良の長男。
※「浜川道場長野弾正氏所有の系図」の別記に名がある。
 
長野豊業 (?~?)
 長野鎮良の次男。
※「浜川道場長野氏所有系図」の別記に名がある。

長野業成 (?~?)
 長野鎮良の三男。
★「浜川道場長野氏所有系図」の別記に名がある。

娘12人・・・「浜川系図」によれば12人。
城主の実名は記載されていない。
小幡城主小幡信貞室(長女)
国峰城主小幡景定室(次女)
忍城主成田室(三女)
山名城主木部定朝室(四女)
大戸城主大戸左近兵衛室(五女)
和田城主和田業繁室(六女)
倉賀野城主金井秀景室(七女)
羽尾城主羽尾修理亮室(八女)
浜川城主・藤井氏(箕輪長野家家老)室(九女)
厩橋城主・長野氏室(十女)
板鼻鷹巣城主・依田氏室(十一女)
室田鷹留城主・長野業固室(十二女)
(★『箕輪城と長野氏』近藤義雄著1979年)





【系図2「安中秋間の石井泰太郎氏の長野氏系図】
①長野業行→長男:業高
      ②次男:憲業=信業→③業政→女子12人 
              妹=安中忠政妻
妹=里見義堯妻
女=和田重能妻
     女=倉賀野為広妻        
藤井定俊

藤井定俊(=藤井豊後守友忠:一般的には)
「石井泰太郎氏所有の長野氏系図」には藤井定俊は長野憲業の
  弟と記されている。浜川城主。
・永禄6年(1563) 若田ヶ原合戦
住吉城(高崎市沖町)より500騎を率い、武田信玄の家臣:
 内藤昌秀を安中まで撤退させた。

藤井友安 (?~?)
 藤井定俊の長男である。

藤井忠安 (?~?)
 藤井定俊の次男である。

※長野憲業=長野信業家督は次男業政が継いだ。
  長野業政の子どもは①女=娘11人・・・
女:和田新兵衛朝常妻・・・★和田城
女:長尾弾正正景妻・・・・★厩橋城
女:沼田万喜斎入道妻・・・★沼田城
女:岡本兵部少輔持村妻・・★群馬サファリの地区
女:小幡尾張守信定妻・・・★小幡館&国峰城
女:小幡図書之助妻・・・・★宮崎城・神成城
女:木部弾正宮内少輔妻・・★高崎堀の内&山名城
女:倉賀野淡路守妻・・・・★倉賀野城
女:安中越前守妻・・・・・★松枝城(松井田城)
  ②義樹・・・(養子・信房)・・★石井城(現前橋市富士見)
     石井讃岐守・・・・・★鷹留城(旧榛名町)
  ③業盛→曽平之進
女:・・・舞鶴姫
④宗誉

石井義樹=里見義樹(1533~1563) 
「石井泰太郎氏の所有長野氏系図」には長野業正の養子
と記される。安房稲村城主:里見義堯の次男:文悟丸である。
系図は長野業正の妹を里見義堯室としている。
★この縁で養子縁組みしたのかもしれない。
 里見繁美氏はこの説を強調している。
・里見義樹は長野業政の養子になったが、業盛が生まれた。
・???石井城主石井城(現前橋市富士見)→
・天文20年(1551) 2月 鷹留城守将となった。
  石井讃岐守信房と名乗る。
・永禄6年(1563)2月21日、討死。31歳。
***************************************************
箕輪初心●箕輪城№81「大塚實氏&里見繁美氏の講演会」
http://53922401.at.webry.info/201209/article_12.html
****************************************************

宗誉・・・★長年寺の僧になったのだろうか。






【系図3:「長野記・・・長野氏系図?」】
①長野業尚→②憲業→長男:業氏(鷹留城)
          ③次男:業政→吉業 
氏業
女12人

※長野業尚・・・箕輪に城を築き・・とある。


~~~長野業氏の子ども~~~~
長男:長野業通 (?~?)
長野業氏の長男。鷹留城主。
長野業正の12女を娶ったという系図もある。
鷹留城は箕輪城に近く、箕輪長野氏の重要な拠点だった。
・永禄9年(1566)、武田信玄に攻められ兵数100で防戦。
しかし、鷹留城が落城し、弟の業固とともにに吾妻に
逃れた。子は広賢とある。

女5人

次男:大森別当 (?~?)
「長野記」、「箕輪城及鷹留城子孫記」に長野業氏の子として
 記されている。


3男:長野業勝 (?~1566)
 長野業氏の次男または3男である。
・永禄9年(1566)、武田信玄に攻められ箕輪にて討死した。

4男:長野業固 (?~?)
 長野弾正忠。
「箕輪城及鷹留城子孫記」では信州上諏訪に移り、長野次郎
 右衛門と名を改め、上諏訪で没したという。
 子は業利である。

5男:長野業広 
・永禄9年(1566)、武田信玄に攻められ箕輪にて討死した。

6男・長野勝業 (?~?)
 ※「和田山極楽院長野氏系図」には長の業正の末弟:信業
 の長男と記されている。
 長野新六郎。長野方業の養子となった。
・永禄9年(1566)、武田信玄に攻められ箕輪にて討死した。
 

長野業正の子供 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
長男:長野吉業 (?~?)
 天文15年(1546) 4月、河越の夜戦
山内上杉憲政+扇ヶ谷上杉 VS 北条氏綱
 北条家との合戦により重傷を負った。
  傷が癒えず、旧群馬町の菅谷城で没している。
・・・子孫は福田姓を名乗っている。
★福田赳夫さんや康夫さんも子孫なのだろうか?

次男:長野氏業 (1544~1566)
・永禄9年(1566) 箕輪城落城
辞世の句
 「春風に 梅も桜も 散り果てて 
   名のみぞ残る 箕輪(みわ)の 山里」
自刃・・・無念じゃ。
 



【系図4】「和田山極楽院長野系図」

極楽院長野正夫氏所蔵文書{箕郷町誌}」
(★関係ないけど、父は長野正夫氏に高等科で2年教わった。)
乙業→尚業(鷹留城・長年寺)・→憲業
  →憲業の弟・信業→長男:亀寿(早世)
           次男:業氏(三河・伊予守)
              →業通→業康→吉蔵
              →吉三郎
              →業固
              →大森
              →女子2人 
  ~~~~~~~~~~~~~
   →信業3男?:業政→吉業(沼田腹、16歳で卒)
            →女10人
            →業盛(保渡田腹)→亀寿丸:(鎮良)
            →女2人
   →憲業4男:直業・・→勝業(方業の養子)
               →新七郎
               →新八郎
        ・・・・→女子   
   →憲業弟方業
     ・・・・・→業吉(高浜居住)・→氏業
              →女子  
     ・・・・・女2人

長野業氏・・・長野信業の次男としている。




【系図5】「箕輪城及鷹留城子孫記」
①「箕輪城及び鷹留城子孫記」・・・天保9年8月9日
 {群馬県議会図書室所蔵文書}」
業政・・→業鷹(沼田腹の子・・★たぶん沼田顕定の娘
    →女子12人
    →氏業右京進業盛(保渡田腹の子)・・・
        後、鎮良。極楽院の長野。
       →忠業=後、道場(浜川町道場)の長野
→次男:大森の別当
        →三男:忠業(信州に在住後、○○城で死亡)
         ・・・・→正業(★下仁田の長野氏)
三河守業氏・→長男:業通・→長男:業広(春日山高田在)
      →次男:彦根長純寺の僧(井伊家中老・家老)
     →三男:上州岡本(富岡市神農原)の西法寺住職。
        →女三人
        
長野忠業 (?~?)  長野業正の3男と記されている。
 長野弾正、長野出羽守、浜川幽喜斎。浜川館主。
・天正14年、沼田攻めに参加した。
この系図は長野忠業を道場長野氏の祖としている。



長野新八郎 (?~?)
 長野信業の3男。
・永禄2年(1559) 白岩山長谷寺に太刀2振を寄進した。


●長野出羽守業親 (?~?)
彦根藩の記録によると、長野業親なる人物が業正の子としてあり、
業親の子・伝蔵が井伊直政に仕え、次席家老となったという。
ただし、業親は長野氏の系譜に全くみえず、庶子か養子とみら
れる。
(★『高崎市史 通史編2』)
実際は3席家老である。
主席・・・木俣守勝
次席・・・庵原(今川家家老)
3席・・・・長野」
(★彦根城博物館)

***************************************************
箕輪初心★箕輪城№91【井伊直政家臣:長野業親
→長野業実とは?】
http://53922401.at.webry.info/201212/article_16.html
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【6】 「長年寺所蔵文書長野氏系図」
{新編高崎市史1964資料編4}」
①長野業尚→②憲業→業氏(鷹留城)→業通
   ↓       ↓    女子3人
   ↓       ↓   大森別当
  ↓       ↓    業固
  →方業(厩橋城)↓    勝業(箕輪城討死に)
          ↓      業固
         ↓    
         →③業政→吉業
              ⑤業盛(=氏業)→業国 亀寿丸
       「長野氏興廃史」:鎮良「箕輪城考」
                      女子12人 

【8】 「長野稔氏所蔵文書長野氏系図」
  {新編高崎市史1994資料編4}



【9】~【14】



【15】 「羽田氏系図=元総理大臣羽田孜氏の系図」
  長野業政妹が祖
  




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
箕輪初心●箕輪城№88飯森康広説「長野方業=長野業政?」
平成24年(2012)12月1日、群馬県埋蔵文化財:飯森
康広氏の講演会があった。「長野氏と箕輪城を取り巻く風景」
と題した講演会である。飯森康広氏は高崎市箕郷町の出身で
群馬県埋蔵文化財で活躍されている。『吾妻川沿いの城:地域
文化』や『北関東の城』『館林市史』の編纂執筆にも携わって
いる。飯森康広氏は講演会の中で5つの新説を公表した。
「長野方業=長野業政」説&「長野時代は階梯式縄張り説」
「大手虎蹈門~本丸コースの新説」には、驚いた。
●飯森説の系図
                 
①浜川・・・長野為兼=為業   
          ↓
②室田・・・   業尚=尚業→憲業・・・・・業氏?
                    ↓
③箕輪              方業=業政?→氏業

④厩橋:長野周防守?・宮内少輔→賢忠→・・・・・道賢

飯森説「長野方業=長野業政」
   ・・・あるいは業政の父である。」
飯森康広氏は「長野方業=長野業政であると思われます。」
と、言われた。
まさなり=なりまさ・・名前が逆になっている。これは、
鷹留城主:長野尚業=長野業尚と同じようなものだと思った。
飯森氏「いずれにせよ、いままで、長野方業(まさなり)は、
厩橋城主で長野業政の叔父と考えられていましたが、
米沢の上杉家文書では、
①大永7年(1527)11月27日・・
 箕輪の長野左衞門太夫方業、総社長尾顕景・白井長尾景誠
 の排除を徳雲軒と謀る。
②大永7年(1527)12月16日・・ 
 箕輪の長野左衞門太夫方業、厩橋宮内大輔とともに総社城
 を攻めすすめる。  
③天文4年(1535)4月・・・飯森康広先生
 □(長野方業) 榛名神社に制札を出す。(榛名神社文書)
長野左衞門太夫方業は箕輪城に在城したことが、上記の
2文書から判明しました。」と飯森先生がおっしゃった。
つまり、長野方業=長野業政であることが分かった。
 
 

★明日は長野業正の家臣団かな?
 山スキー合宿にいくので、upできないかな?

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