箕輪初心★ブルーノ・タウト&群馬伝統工芸士「前島美恵さん」

ブルーノ・タウトは少林山達磨寺の洗心亭に2年程居住した。
ブルーノ・タウトはナチス政権の台頭により、身の危険を感じ、
日本に亡命した。昭和8年(1933)5月3日敦賀着~昭和11年
(1936)10月までの3年半、日本に滞在した。①京都滞在、②
仙台滞在、③高崎滞在。洗心亭に住み群馬県工業試験場高崎
分場(=群馬県工芸所)嘱託と井上房一郎の井上工房顧問を
勤めた。高崎での生活は2年3カ月にも及んだ。

「前島美恵さん」はブルーノ・タウトの竹皮編の伝統を再現させた。
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 (★少林山:達磨寺の洗心亭)

箕輪初心◆高崎の国際交流2000年の歴史
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箕輪初心★榛名「元禄内野秣場騒動」&「中野秣場騒動&真下紋弥」
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箕輪初心★高崎偉人伝「高崎五万石騒動」
http://53922401.at.webry.info/201310/article_22.html


箕輪初心★箕輪城103川野辺寛「高崎誌」&井伊直政
http://53922401.at.webry.info/201310/article_8.html

箕輪初心★高崎藩2代酒井家次→3代松平戸田康長→4代松平信吉
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箕輪初心★高崎藩5~7代安藤3人&徳川忠長
http://53922401.at.webry.info/201310/article_13.html

箕輪初心★高崎藩8代・10代松平輝貞&「右京の泣き堀」
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箕輪初心★高崎藩9代:間部詮房(あきふさ)=正徳の治
http://53922401.at.webry.info/201310/article_15.html

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http://53922401.at.webry.info/201310/article_16.html

箕輪初心★高崎藩最後の藩主19代:松平大河内輝聲(てるな)
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箕輪初心■東京&群馬:小栗上野介④「権田村での隠遁生活」
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箕輪初心◆水戸天狗党3-1『水戸~下仁田戦争直前』
http://53922401.at.webry.info/201303/article_25.html

箕輪初心◆水戸天狗党3の2『下仁田戦争の詳細編』
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箕輪初心★「高崎の文化人19+α」江戸時代編
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箕輪初心◆高崎藩の中山道&三国街道・倉賀野宿&高崎宿
http://53922401.at.webry.info/201310/article_18.html


★★ ブルーノ・タウト(1880~1938)の生涯 ★★
・明治13年(1880)ドイツに生まれた
・ケーニヒスベルクの建築学校を卒業。
・ベルリンの設計事務所勤務
・明治42年(1909) ベルリンで建築設計事務所開業。
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 (★ベルリンのブランデンブルグ門)
・大正13年(1924)~1931年
8年間で12000軒の住宅建築に関わった。
・昭和5年(1930) ベルリンのシャルロッテンブルク工科大学
        (現ベルリン工科大学)の教授に就任。
都市計画と集合住宅の世界的権威となった。
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 (★ベルリンの市街地)
・昭和7年(1932)~8年(1933)
   ソ連で活動。・・・ドイツに帰国する。
  ドイツではナチス党が政権を掌握。ヒトラーが首相であった。
  タウトは親ソビエト派の烙印を押され、職と地位を奪われた。
  タウトの身に危険が迫った。
  故国ドイツからエリカ夫人を伴い国外逃亡(亡命)を図った。
  ほかの家族は置いてこざるを得なかった。
 
・昭和8年(1933)
  ドイツ→スイス→フランス→ギリシャ→イスタンブール
  ・・・黒海を渡ってソ連。
  シベリア鉄道でウラジオストックに到達。
  海路で日本の敦賀に上陸した。
  
昭和8年(1933)5月3日 日本にやってきた。
5月3日敦賀着~昭和11年(1936)10月までの3年半、日本に
 滞在した。
①京都滞在
②仙台滞在
③高崎滞在
・昭和9年(1934) 8月1日少林山の洗心亭に住んだ。
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 (★洗心亭)
  内務省警保局長を勤めていた井上房一郎の義兄:唐沢俊樹が
井上房一郎を紹介した。
  ドイツを脱出したタウトの身の安全を考え、ドイツ・イタリア
  枢軸国との関係を強化しつつあった政府当局の手からタウトを
  守るという考えからであった。
  井上房一郎から相談を受けた俳人:浦野芳雄の発案で、浦野が
  洗心亭の管理者沼賀博介と少林山達磨寺住職広瀬大蟲の了解を
  得て「洗心亭」に住むことになった。
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「私達が・・・石段を上がって行くと、40~50人もの
   村人達が群れをなして私達の後をついてきた。・・・
   ・・・(中略)・・・もの珍しげに、部屋の中を覗き込んだ。
   ・・・さながら、システィーナ礼拝堂の『ラファエルのマド
   ンナ』に描かれている天使だ。・・・・」
 
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  ①群馬県工業試験場高崎分場(=群馬県工芸所)嘱託
  ②井上房一郎の井上工房顧問を勤めた。
   群馬県知事の月給が450円であった当時、タウトは県から
  100円、井上との契約によって100円の収入を得ていた。
 身の回りの世話は広瀬住職の愛娘がしていた。
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 「しかし、工芸は一から教えなければならなかった。潰された
  レモンのような惨めな気持ちだった。」


 タウトは、工業試験場で試作した。
 高崎周辺の町や村の無名の手工業者の手によって工夫が重ねられ、
 新しい工芸品として生産された。家具、竹、和紙、漆器など日本の素
 材を生かしたモダンな作品を発表していった。
  「竹皮編」もその一つである。
 ブルーノ・タウトが群馬県工業試験場高崎分場(=群馬県工芸所)で
 高崎市に普及させた技術であった。
 江戸時代から続いてきた「南部表」の技を応用したものである。
 ブルーノ・タウトは高崎の雪駄職人たちとつくりあげたのである。
 竹皮編は竹の皮を使って、高級雪駄、ぽっくり下駄、草履、
 本ばれん・パン皿やペン皿などの工芸品をつくるなど生活用品
 に利用された。



 井上の経営する東京・銀座に開店した「ミラテス」で販売し始めた。
 「桂離宮」を評価した著書・熱海の日向利兵衛別邸で構築したイン
 テリアデザインの製品も銀座の「ミラテス」で売られた。

 「ブルーノ・タウト氏指導小工芸品展覧会」が東京日本橋の丸善本
 店と大阪の大丸で開催された。
 
・昭和10年(1935)
  1月7日 ダルマ市
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  2月3日 少林山の節分会
タウトは、広瀬住職の配慮により「年男」として豆まきをした。
  など、地域の人たちとの交流も深めた。
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  9月25日 碓氷川が大雨で氾濫.
タウトは八幡村に義捐金を出した。

陶芸家バーナードリーチが来訪した。・・・いつか不明。

・昭和11年(1936) タウトが少林山洗心亭に残した言葉の碑がある。
  「ICH  LIEVE  DIE  JAPANISCHE  KULTUR.」
 (私は日本の文化を愛す)という意味である。
 
 10月8日 少林山からトルコに出発.
タウトを見送るため、八幡村の全村民が駆けた。
「タウトさん、万歳、奥さん万歳」の声に、タウトは
 「八幡村万歳、少林山万歳」
  と答えたという。
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 (★無料写真を転載)
※高崎での生活は、2年3カ月余りだった。

  トルコのイスタンブル芸術アカデミーからの招請により、教授とし
  てイスタンブールに移住していくことになった。

  首都:アンカラのアンカラ大学校舎の一部を建築設計した。
  ★一眼レフ時代の写真はあったが、・・・
  イスタンブールの自宅などを建築設計をした。
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 (★トルコ:アヤソフィア)

・昭和13年(1938)
タウトはトルコで過労が重なり58歳で亡くなった。





●【2】ブルーノ・タウトの「竹皮編」後継者:「前島美恵さん」
前島美江:ブルーノ・タウトの後継者:竹皮編

・昭和30年(1955) 群馬県前橋生まれ。

  「竹皮編」もブルーノ・タウトが群馬県
 工業試験場高崎分場(=群馬県工芸所)で高崎市に普及させ
 た技術であった。
 江戸時代から続いてきた「南部表」の技を応用したものである。
 ブルーノ・タウトは高崎の雪駄職人たちとつくりあげたのである。
 竹皮編は竹の皮を使って、高級雪駄、ぽっくり下駄、草履、
 本ばれん・パン皿やペン皿などの工芸品をつくるなど生活用品
 に利用された。


 竹皮編の材料である竹皮は、「皮白竹」で福岡県八女市、星野村、
 黒木町位にしかない。
 しかし竹皮の需要がなくなり、竹林が激減し、竹林農家の人の高
 齢化に伴い衰退した。

・昭和63年(1988)「前島美恵」さんは竹皮編の掘り起こしを始めた。
  (★時代が違うので、直接は教わっていない。)
「前島美恵」さんは「竹皮編」の技術を習得し、伝統を継承した。
 前島さんは群馬県ではたった一人の伝承者である。
 群馬県伝統工芸士となった。
・平成20年(2008)12月6日 旧群馬町イオンにて 
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 継承者として各地で展覧会・個展を開催してきた。
 NPO法人「工房あかね」、
 「アートファクトリーでんえもん」にて教室を開講。
・平成23年(2011) 映画『タケヤネの里』監修。
(★Hpや伝統工芸士:青木昇先生の話より編集)



★参考文献
・高崎偉人伝
・高崎市史

★参考サイトHp
・高崎市役所:文責手島仁氏
・ウキペディア
・少林山ととブルーノタウト :黄檗宗少林山達磨寺
http://www.daruma.or.jp/bruno/



★明日も高崎の偉人かな?

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