箕輪初心●群馬旧尾島5『安養寺館=明王院』=新田義貞居住最有力説

国指定史跡「新田荘遺跡」11の内の1つに「明王院境内」があ
る。
学芸大学名誉教授:峰岸純夫先生にお聴きしたところ、
先生は「新田義貞の生まれた場所は明王院=安養寺館だと思い
ます。安養寺館が新田義貞の館跡だと思っています。」と、おっ
しゃった。新田義貞の生まれた場所は5説あるが、最近では、太
田市の市教委も明王院=安養寺館跡をとっているようである。新
田義貞は「安養寺殿」と呼ばれたので、安養寺館を構えていた場
所が明王院であると推定しているようである。
ここには新田義貞
の鎌倉攻めの際の「新田触不動」伝説が残っている。また、境内
には新田一族の五輪塔などがある。
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◆◆ 箕輪初心●群馬旧尾島『9城一覧』 ◆◆ 
http://53922401.at.webry.info/201302/article_28.html

◆◆ 箕輪初心●群馬「新田館」=新田義重館 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201303/article_1.html

◆◆ 箕輪初心●群馬「徳川館」=徳川義季館 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201303/article_4.html

◆◆ 箕輪初心●群馬「長楽寺&世良田館」=世良田頼氏館 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201303/article_5.html

◆◆ 箕輪初心●群馬「満徳寺」=徳川義季の娘 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201303/article_6.html


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●▲■ 新田義貞の生まれた場所&館跡5説 ■▲●

新田義貞の生まれた所は、大きく2説に大別できる。
A,新田宗家のゆかりの旧新田町or旧尾島町
 根拠・・・【尊卑分脈=室町時代初期】・【長楽寺の文書関係】

B,群馬県高崎市旧榛名町里見
根拠・・・【新田正伝記】
 里見義忠の5男=里見小太郎が新田朝氏(改名して朝兼)
に養子に入った。
(★新田一族の盛衰:久保田順一著)
 (★新田一族:山本隆志著)
★群馬県出身の「新田一族研究」の大御所3人
 1)峰岸純夫・・・高崎市筑縄町出身→学芸大学名誉教授
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 2)久保田順一・・高崎市榛名町出身→群馬県史・高崎市史
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 3)山本隆志・・・北群馬郡榛東村出身→筑波大学教授]
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  の本を読んでも分からないのだ。

詳しく言うと、6説あるらしい。
高崎市榛名町の里見・・榛名町教育委員会・里見の郷
※根拠・・・【新田正伝記】
 旧榛名町の榛名町の方々・「里見の会」の方々は
 里見義忠の5男=里見小太郎が新田朝氏(改名して朝兼)
に養子に入った。として信じている。
現在、旧榛名町に「小太郎砦」があり、近くに
「安養寺」がある。

太田の台源氏館・・・旧太田市教育委員会
円福寺&12神社の東200mにある。
 旧尾島町&旧新田町&旧太田市で、新田義貞の生誕地&
 館跡の論争が繰り広げられたのであろう。
 ★合併後は、太田市は、【新田の庄遺跡】という国史に
  認定してもらったのあろう。

旧尾島の総持寺・・・山崎一氏「群馬県古城塁祉の研究」
 ★山崎一氏の研究で、掲載しのだろうか?
太田市教育委員会も現地案内板に「新田義季・新田義貞
の館跡である。」と書いている。
 
大舘館・・・・・・・群馬大学:尾崎喜左雄教授。
 ★後日、大舘館紹介予定。


江田館・・・不明
 (★新田庄歴史博物館の「新田庄遺跡」のパンフレットに記載)
  反町館は小さいので、違うだろうとのこと・・・

旧尾島の明王院・・・都立大学:峰岸純夫先生の説
 安養寺館=明王院
 ★峰岸純夫先生に「新田義貞はどこで生まれたのでしょうか?」
 と質問した。峰岸純夫先生は
 「明王院だと思います。」とおっしゃった。
 最近は、太田市教育委員会もここであろうと思っているのかも
 しれない。根拠は
 ・安政2年の明王院の地図、
 ・発掘調査・・・200m×200m以上の規模
 ・脇屋義助の板碑など
  (★新田庄歴史博物館の「新田庄遺跡」のパンフレットに記載)
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 (★峰岸先生の講演会
 以前に、写真掲載許可済み)
 鎌倉時代の資料が殆どないからである。
 
 
◆◆ 箕輪初心●群馬『新田義貞の生家』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201102/article_40.html


○大舘館から500m程北上した。バイパスを越えたところに
明王院があった。車は5台くらい駐められる。
【1】寺の山門&お堂
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【2】案内板
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「呑嶺山 明王院安養寺 真言宗豊山派」
寺伝によれば、康平4年(1061)に後冷泉天皇の勅により、
源頼義が開基となり、奈良の興福寺から招いた頼空上人を開山と
して創建され、その後、新田氏初代の義重が中興し、さらに八代
の義貞が元弘3年(1333)に後醍醐天皇の勅により、七堂伽藍十二
坊を有する大寺院として再建したという。
 現存の不動堂は、宝永2年(1705)の建築で,、その参道にある
三棟造で知られる二天門はかっての中門で、そのはるか南に大門
があったと伝えられている。江戸時代の絵図面に、周囲に二間幅
の堀をめぐらせた百余間四方の境内地と、その周辺に十二坊の跡
地の位置等が示されており、往昔の当寺の規模を推定することが
できる。不動堂の厨子(宮殿)には、二体の不動明王像が納めら
れている。その一つは一寸八分(約5.5cm)の閻浮檀金(白
金)製で、元弘3年(1333)の新田義貞鎌倉攻めの際、山伏に化身
して越後方面の新田一族に義貞の挙兵を一夜にして触れまわった
と伝えられ、「新田触不動尊」として知られる。もう一体は二尺
五寸(約76cm)ほどの木像で、新田義重が盾の上に座して
軍勢指揮をとる姿を刻ませたはずが、一夜のうちに不動明王像に
変じたとされ「御影不動明王」と呼ばれて背後に火炎がないのが
特徴である。また、明王院本堂の本尊は、絹本彩色の倶利伽藍不
動明王像で、以上の三不動明王が新田氏相伝の守本尊だと言い伝
えられてきた。
 元禄16年(1703)に明王院の不動尊が成田山新勝寺の不動尊と
共に、江戸城三の丸へ出開帳したことが江戸護国寺住職の隆光僧
正の日記に記されている。寛政6年(1794)に当寺境内に芭蕉百年
忌の句碑が建立されたことを記念して、翌7年に呑嶺山主(明王
院住職)柳翠らが三百余名の同人(江戸、大阪など遠隔地の俳人
も多数、尾島関係者は21人)の作品を収めて出版した句集
『萩のふす満』は、江戸後期俳諧史の貴重な資料である。

【3】千体不動尊供養塔
★旧尾島町では、総持寺=新田館にもある。
★旧榛名町では、長年寺にある。
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【4】新田一族の五輪塔



【5】源義助=脇屋義助(新田義貞実弟)の板碑
★新田義貞の実弟は脇屋義助である。
・元弘3年(1333) 新田義貞が鎌倉攻めの時、明王院の不動明王が
  越後一帯の新田一族に、義貞旗上げの知らせを、一夜にして触
  れてまわった(伝)→「新田触不動」である。
 脇屋義助は脇屋(太田市脇屋)に館をかまえ、脇屋次郎義助と称
 した。
 脇屋義助は義貞と共に鎌倉を攻め滅ぼした。
 京都に上がり後醍醐天皇の建武の新政を助け、武者所に列して
 駿河守となった。
・元弘3年(1338) 新田義貞が福井で戦死
  その後は、新田一族を率いて、刑部卿に任じられた。
  四国、九州方面の兵を統率して奮戦した。
・康永元年(1342・南朝年号:興国3年)  
   伊予の国府=において病没した。
※板碑は義助の菩提をとむらうために、新田氏ゆかりの明王院に
 建てられたものと思われる。
   昭和52年 3月   尾島町教育委員会
写真がない。がくっ。



◆◆ 愛媛:今治城&「脇屋義助の墓」 ◆◆・・・おまけ
http://53922401.at.webry.info/201101/article_26.html


伊予(愛媛今治市)の「脇屋義助の墓」
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★明日は、大舘館・堀口館である。

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