箕輪初心●群馬:中之条【内山城=仙蔵の要害】=真田幸隆の嵩山城攻撃

永禄7年(1574)8月下旬、武田信玄は真田昌幸&三枝松虎吉
を検視とし、真田幸隆を大将として、斉藤憲弘の岩櫃城攻撃
を進めた。~~~(中略)~~~。
真田幸隆の命令で息子:武藤喜兵衛(真田幸隆3男→真田昌幸)
は岩櫃城を攻撃の準備のため、旧六合村赤岩~暮れ坂峠~沢渡
~内山城(仙蔵の要害)に進撃した。(★現在のロマンチック街道)
 内山城は斉藤憲弘の家臣:折田将監と富澤加賀守が守ってい
たが、人質を出して、降伏した。真田昌幸は内山城に西窪治部
(本城は嬬恋村西窪)&川原左京(?)を城将にした。その後、
有笠山で唐沢杢之助を家臣にした。「嶽山城の城虎丸&池田
佐渡守重安が籠城と知った」。・・・真田昌幸は「仙蔵の城を押
さえ、大戸城を固めている部隊に呼応し、岩櫃城の南北に、
攻撃準備を完了した。」と報告した。
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★その後、真田昌幸は内山城に四万川右岸の方面に→吉城→
桑田城→山田城へと侵攻したのでは。しかし、「東の稲荷城・
柳沢城・高野平砦の守りが堅固であった。
★知略で岩櫃城を攻略した。
★永禄8年(1566)9月15日、矢沢綱隆の元に、海野兄弟=
(★羽根尾幸全&海野幸光)&斉藤弥三郎(=★斉藤憲弘甥)
&植栗安芸守&富沢但馬守父子&唐沢杢之助&富沢加賀守&
蜂須賀伊賀&浦野中務太輔等は家臣になると申し出て来た。
10月中旬、真田幸隆は「時は来た。」と2500騎で出陣した。
岩櫃城攻撃の開始である。そのうち、真田信綱(幸隆長男)
&室賀義平(信濃上田)&三枝松虎丸(山梨の武田家臣)は
2000騎は沼田&白井(旧子持村)の援軍を押さえるため、
暮坂峠経夕で、内山城=仙蔵の砦を突破した。    
       (★上毛古戦記・『加沢記』の要約)
11月、真田幸隆は池田重安親子を嵩山から招き、説得した。
池田父子が寝返った。真田一徳斎は、時を移さず自ら先駆け
として、鎌原・植栗・大戸・池田等300騎を引きつれて出陣し
た。この時、真田一徳斎は黒糸縅の鎧に鍬形の兜を着て、三尺
五寸の太刀を腰に佩き、十文字の槍をかかげ、荒井黒と名付け
た馬にのって仙蔵の砦へと駆け上がった。そして、五反田の台
での戦闘の指揮を取った。

~~~★この先は、嵩山城の紹介で書こうと思う。

■訪問記・・・平成23年(2010)02月28日
 稲荷城→吉城→山田城→桑田城→内山城と真田幸隆に
 落とされた城を廻った。
 四万川の大きな橋を渡り、中之条町折田に出た。
 沢渡のメイン道路に移動した。
 折田の北の端の橋を渡って、300m。
 ここに、登山口がある。
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 ★登り始めたが、四万温泉にした。
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(★四万グランドホテル)
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  (★たむら)

■訪問記・・・平成24年(2010)02月05日
○中之条駅から国道234→353号線で四万・沢渡温泉方面へと
  向かう。
○沢田農協を過ぎ、折田の名主うどん&岡本りんご園を過ぎた。
 内山城が見えてくる。四万途中の最初のトンネル手前300m。
 本当は四万温泉宿泊後、四万温泉から、下ってきた。
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◆中之条町大字折田2070-1他

①登り口
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②案内板
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嵩山合戦の時に、真田幸隆が斉藤一岩斎の嫡子、城虎丸が立て
 篭もった嵩山城を攻めるときに、この内山城(仙蔵の要害)を
 陣地とした。
「四万温泉・沢渡温泉分岐点の国道崖上にある中世の屋根式並郭
 城跡で、土豪成田氏、折田将監の居城といわれ、永禄8(1565)
 年真田幸隆の嶽山攻撃に対城した史実(加沢記)があります。」
   (★中之条町公式Hpサイト)

③10分も登れば、尾根のキレット。
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④南・・・烽火台
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  ★縄張り図には、載っていないが、展望がいいので
    確実に、城域である。

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○尾根のキレットに戻る・基準地点。

○尾根を北に歩く。・・・

⑤最初の郭。
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⑥腰曲輪・・・・北郭。

○尾根が伸びている。

⑦郭

⑧坂虎口
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⑨虎口を登って、細い尾根を北に歩く。

⑩腰郭・・・鉄塔部分
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○二の郭からは東尾根に3つの曲輪が伸びている。
  でも、行かなかった。
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⑪三段の腰郭
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 (★縄張り図・・・送電線&鉄塔を参照)
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 三角型が三段の郭
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⑪二の郭・・・石の祠
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⑫二の郭と本郭との大堀切・・・深さ5~6m
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⑬本郭=主郭・・・発掘調査中
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 本郭の奥(北側)には円形に削平されいる。
 掘立小屋程度の建物は建てられたらしい。
主郭最高所には三角点がある。碑も何もなし。
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※仙蔵の城の主郭から眺めた嶽山城
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⑭本郭の東下にも尾根が伸びていて腰曲輪が三段ある。
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⑮本郭の北の掘切=空堀・・・・深さ4~5m
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⑰第三の郭
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⑱第三&第四の間の堀
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⑲第四の郭

⑳数段の腰郭・・この先の尾根沿いにも郭がたくさんある。
縄張りからすると、半分程度しか見ていないことになる。

○本丸へ戻る。
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▼本丸から下山~~~10分。
■1時間かかった。


◆◆ 内山城の歴史 ◆◆
・築城年 不明  成田氏が築城(伝)。
・文明年間    塩谷(しおのや)家が居住していたが、
         大野家に攻められる。(★加沢記)
    ★塩谷は中之条東部の和利宮・伊勢宮が本拠なので
     加沢記は疑わしい?
         →折田将監の一族が預かる。             
・永禄6年(1563)8月
        武田家の岩櫃城攻めの際に真田昌幸が城を囲む。
         佐藤将監=折田将監・冨沢加賀は降伏。
    真田昌幸の命・・・・西窪治部&川原左京が城を預かる。          
・永禄7年(1564) 成田原にて合戦
・永禄8年(1565) 11月  真田幸隆が嶽山攻めの軍事拠点
     五反田の台の合戦(★加沢記) 
        →折田将監(=佐藤氏)が管理? 
・??????? 廃城
(★上毛古戦記・群馬の古城・加沢記)

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