箕輪初心●群馬みなかみ【明徳寺城】&『水上温泉』

★現地案内板には、「南北朝時代、会津の葦名氏の来攻に備えて
荘田城の沼田氏が築いた天神山砦を改築したものと考えられ、
明徳年間(1390~94)僧の松庵が城郭の下に明徳寺を開山
したことから、現在の名称が一般的になっている。戦国時代、
沼田氏の滅亡後の沼田は、上杉氏の時代を経て天正7年(1579)
北条氏の領有するところとなった。この頃、東上野進出の機を
窺っていた信濃の真田昌幸は、吾妻の岩櫃城を拠点に名胡桃、
小川の両城を攻略、利根川西岸を固めた為、沼田城代藤田能
登守は明徳寺城を構築、沢浦隼人、渡辺左近、西山一之丞、
師大助等を置き名胡桃、小川両城に対峙した。翌八年一月の
夜半、昌幸は明徳寺城を急襲、城代矢部豊後守は左近、大助
等城兵200余共々奮戦、死守すれどもついに破れ沼田に退去
した。昌幸は弥津志摩守、出浦上総介等を明徳寺城に置き、
さらに城を補強した。その後、天正17年(1589)豊臣秀吉
の盟約により、北条氏は名胡桃城を除く利根、沼田の地を安
堵された。しかし、北条側の沼田城代猪股憲直が名胡桃城を不
法攻略した事をきっかけに、翌十八年秀吉の小田原征伐が開始
され、北条氏は滅亡、再び利根・沼田は真田氏の所領となり、
明徳寺城は廃城となった。
明徳城祉は、幅広い尾根上に立地した土居式丘城格の崖端城で、
規模は400×300m、現在、城郭内は畑地となっているが3段
ほどの郭に区画され、周囲には高さ2m以上の二重の高土居が
めぐり、その間の壕、虎口、櫓台、井戸、高土居外に付加され
た馬出郭、さらに南東の字外城山の尾根を堀切った遠構えなど、
一部崩壊しているが、多くの遺構が当時の原形を止どめている。

(★現地解説板)
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■訪問記・・・2008年4月20日 
○後閑駅の観光案内図には「明徳寺城址」と表示。
 関越に沿った「つきよの温泉」の奧が城である。
 
○大手口から奧まで車で入ったが、
  バックで出て来なくてはならなかったので一苦労だった。
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 (★山崎一氏の縄張り図)
○「つきよの温泉:みねの湯」に駐車場
パンフレットがあるかお聞きしたが、なかった。
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①つきよの温泉の先の土塁がくっきり・・・

②北東側の虎口&郭馬出・大手口?・・・上の写真。
○現地案内板・・・・★上記の文面。
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③土塁
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④土塁・堀・・・良く残っていた。
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⑤土塁に囲まれた空堀を渡って城内に入る。

 
⑥堀跡・・・
 北→東→南まで続いている巨大な空堀。
 北は堀底の幅が約5mある。
 南は堀底の幅が約10mある。
 
⑥本郭・・・ほとんどの部分が耕作地となっている。
  ★現地解説板・・「3段ほどの郭に区画」
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⑥本郭東の土塁                   

東側空堀  
 *本丸北の土塁

⑦本郭西の土塁・・・桑畑の奧を行く。
 土塁の高さは最大部分で1~2m程である。

⑧2の郭・・・畑

▼下山・・
名胡桃城&小川城との縄張りは似ているが、明徳寺城は異なる。
現在の縄張りは北条氏によるものであると考えられている。

○西側より明徳寺城全景・・・西には空堀はない。
     帯郭が遠くに見えた。
 明徳寺城は、利根川の渡河点「後閑」を押さえるために築かれた
 と思われる。
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○下の神社?
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○名胡桃城より明徳寺城展望・・・・
  利根川を挟んで対峙する。


◆◆ 明徳寺城の歴史 ◆◆
・南北朝時代  会津の葦名氏の来攻に備えて荘田城の沼田氏
     が築いた天神山砦を改築したものと考えられている。

・明徳年間(1390~94)僧の松庵が城郭の下に明徳寺を開山
  した(★現地解説板)

・文明元年(1532)頃 利根川右岸に沼田氏が名胡桃城を築城。
          利根川左岸に沼田氏が明徳寺城も築城。

・永禄(1558)~天正6年(1578)謙信の死まで上杉謙信に従属。
      
        後北条氏の北条氏邦は利根川左岸から進出。
        武田の真田幸隆は利根川右岸から進出。

・天正6年(1578)3月上杉謙信が死去→御館の乱
   上杉景勝(謙信甥)VS 上杉景虎(北条氏康7男養子)
   跡目相続争い。
   北条氏政の弟:謙信の養子となっていた景虎側に付いた
   河田重親による沼田城攻め・・・
   7月に沼田城は落城した。

・天正7年(1579)1月
真田昌幸は沼田攻略の前線基地として
         名胡桃城を攻略・・・整備。
        
沼田城代:藤田能登守信吉(北条氏邦義理の父?説
       上杉憲房の2男?説)が
       は明徳寺城を整備。

・天正8年(1580)1月 
真田昌幸は名胡桃城で作戦会議
海野幸光・北・名胡桃城主:鈴木主水・鎌原・
出浦(真田忍軍総帥)・植栗などで相談。

    海野幸光嫡男:幸貞が先駆け700騎・・
夜陰に乗じて、利根川を渡り、・・・
    真田勢は明徳寺城を急襲。
      
    北条の明徳寺城代:矢部豊後守ら200余騎

    矢部・栃原・喜田・竹内・山・師・津久井など
     が沼田城に敗走。
      
    →真田昌幸方の弥津志摩守・出浦上総介らが
        明徳寺城を補強。
武田氏による沼田地域の進出作戦が活発化し、
       利根川西岸地域の領主は武田氏配下となっていく。
  ※天正8年1月31日、武田方の真田昌幸は利根川を越えて
   明徳寺城に押し寄せ、落城させたという。
   真田氏は同年秋には沼田城を落城させ、沼田地域一帯は武田氏
   の領域となった。  (★上毛古戦記P192『加沢記』)

・天正17年(1589)
  10月初 
・豊臣秀吉の斡旋で、明徳寺城は北条方に譲渡。
・沼田城代:猪俣邦憲は榛名山城より名胡桃城を
奪取。
12月 豊臣秀吉は22万の兵で小田原攻撃準備。

・天正18年(1590)北条氏滅亡
→沼田真田氏の所領。
        明徳寺城は廃城となった。
    (★現地解説板・名胡桃城の歴史などより」)


◆◆ 近くの名城 ◆◆
①名胡桃城・・・約2km
②小川城・・・・約3km
③荘田城・・・・約3km
④沼田城・・・・約5km

◆◆ 近くのグルメ ◆◆
①「そば源・・・・・・・月夜野産の蕎麦を使用。
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 (★荘田城の先が名胡桃城・右の山沿い奧が明徳寺城)



◆◆ 水上温泉 ◆◆
①「松ノ湯」・・・風呂1回
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②「去来荘」・・・宿泊3回

③「聚楽」・・・風呂3回

◆◆ 登山 ◆◆
①大峰山・・・モリアオガエルの自生地

②谷川岳・・・1998m
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★明日は、沼田【阿岨城】の予定。

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