箕輪初心●真田3代①「実田→真田幸隆の出自

真田一族の歴史は約1400年。滋野一族→海野一族→真田一族
と継承された。真田幸隆が真田に移住し真田を姓としたことに始
まる(伝)。真田幸隆→真田昌幸→真田信之・信繁(=幸村)と
続く。その間、主家は武田→徳川→上杉→豊臣→徳川に仕えた。
戦国時代、川中島の合戦から長篠の合戦、関ケ原の合戦、大阪
冬・夏の陣へと力強く生き抜いた。めちゃ面白い一族である。

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  (★真田氏歴史館の真田??像)
★参考資料:::::::
真田氏歴史館パンフレット・真田三代・真田氏資料集
+上田市博物館CD・真田道を歩くなど多数より作成。
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■【1】真田氏の出自
応永7年(1400) 大塔合戦
守護小笠原長秀 VS 村上・仁科・海野&根津など滋野一族
           高梨・井上・島津(長沼城)などの国人衆
実田」、「横尾」、「曲尾」の名前が登場。(★大塔合戦記)
  実田(=真田)氏の名の最初。
  (★大塔物語:文政元年(1818)の作成・信憑性は?)
 ①実田=松尾古城?・・・★後日、詳細を掲載
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  (★松尾古城の入り口)
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  (★松尾古城の主郭)
 ②横尾=尾引城・・・・・・・★後日、詳細を掲載
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   (★尾引城の大手口)
 ③曲尾(くせま) =曲尾城(根小屋城)★後日、詳細を掲載
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  (★曲尾城の主郭)

嘉吉元年(1441) 結城合戦
「真田源太、源五、源六」の名前が登場。

■【2】真田初代:真田幸隆
永正10年(1513)  真田幸隆が生まれる。
  ★海野棟綱の子説なら。松尾古城(上田市真田町)

◆◆Q「真田幸隆は誰の子かなあ?」7説?ある。
「清和天皇皇子:貞保親王→信濃国司滋野氏→
  海野氏宗家・望月氏・祢津氏が派生。
 海野氏の一族から真田氏、矢沢氏・
  羽尾の羽根尾幸全・海野幸光兄弟」
 でも、旧東部町市誌・旧望月町長町誌は違う。・・・

海野棟綱の長男説・・・有力説
※江戸時代の「真田家系図」 下記のようになる。
  海野棟綱・・・真田幸隆(幸綱) 
  「上田の真田氏館」・・→昌幸・・→信之・信繁(幸村)
 ・矢沢頼綱「上田の矢沢城」・・・→三十郎=頼康
 ・常田綱富(隆永?)「上田の常田館」・・・→常田隆家
 ・鎌原幸定 「上野の鎌原城」・・・→鎌原幸重

海野棟綱の次男説1・・・
  海野棟綱の長男は幸義で、次男が幸隆。(滋野系図)
  真田幸隆は海野小太郎・弾正忠

海野棟綱の次男説2
 海野棟綱の2男で真田に養子に行っちゃった説?

海野棟綱の孫説・・・・・
  海野棟綱→棟綱の娘の嫁ぎ先?→幸隆*(海野幸義の甥)
 代表・・白鳥神社の石和家系図=上田市採用説
斉藤美由紀氏もこの説を採っている。
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 (★海野宿博物館の白鳥神社家系図)

海野棟綱の娘婿説・・・有力説。★基本的には③同説
  (真田3代では、真田幸隆は傍系)
  海野氏の分家として、真田氏に海野棟綱の娘が嫁ぎ、
  生まれた子が幸隆。

真田頼昌が父説・・・(了泉寺の矢沢家系図)
真田頼昌の2男説
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  (★矢沢頼綱の菩提寺&良泉寺の家紋)
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  (★了泉寺の矢沢頼綱の墓)
海野棟綱の子:幸隆が真田頼昌の養子になった説


兄弟・・・真田幸綱(→幸隆)、矢沢頼綱、常田隆永、??、
妻・・・正室:河原隆正の妹:恭雲院
 藤原隆正の妹説あり

側室・・阿続の方

*長谷寺・・・真田幸隆菩提寺(長野県上田市)
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 (★左:正室:河原隆正の妹:恭雲院の墓
   中:真田幸隆の墓
   右:???・・・★斉藤氏が教えてくれたが忘れた。)
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  (★真田幸隆の墓に詣でる斉藤氏)

●真田屋敷・・・★
斉藤美由紀氏の案内・・「真田村」永楽通宝2000枚出土。
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*山家神社&白山寺
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*甲岩
*河原隆正の屋敷
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*河原隆正の墓
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*滝宮神社・・・山本勘助は見える目を怪我をしたが、
この滝で、目を洗ったら治った(伝説)・・斉藤氏の話
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真田道
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珍棒・・・・子宝の祈願所
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●矢沢城(矢沢頼綱)・・
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  (★矢沢城の主郭)
●常田館(常田綱富)?
●洗馬城
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●天白城
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 (★天白城の主郭横の大空堀)
●真田本城
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●真田氏館
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天文6年(1537) 長男:真田信綱が生まれる。・・
  ・海野棟綱の同族:羽根尾幸全の妹の子?

天文9年(1540) 武田信虎が佐久に侵攻。
臼田城・入沢の両城をはじめ数十城を攻撃。支配下。
  「前山に城を築いて在陣す」と記されている。
  ★以前から、伴野氏が武田信虎は仲良しだった。
武田信虎の助力で前山城拡張工事。
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  (★佐久の伴野氏居城*前山城)

・天文10年(1541) 5月 海野平合戦
 勢力拡大をもくろむ村上義清は甲斐の武田信虎と
   諏訪頼重と同盟。
武田信虎・諏訪頼重・村上義清らの攻撃。
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①祢津氏は武田信虎に降伏。・・・
   後に、武田信玄家臣「娘禰津姫が信玄の妾2号」
②望月氏は諏訪氏に降伏。
③海野氏(海野棟綱・真田幸隆)は、村上義清らに挟み撃ち
   にされ、敗北。
●海野幸義(棟綱の子)の墓・・・上田市蒼久保
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  →上野の吾妻:羽根尾に逃亡。信濃海野氏は没落。
  海野棟綱(幸隆の父説・幸隆妻の父説・幸隆の養父説)
  ・真田幸隆は村上義清・武田信虎に追われ羽根尾城へ  
       (「真田三代」)
   
*村上義清は海野平を支配下。
④矢沢氏(幸隆弟頼綱)は村上義清の家臣へ・・
   侍大将で100人の家来がいた。(後、砥石城の間者)

・武田晴信が父:信虎が追放→武田氏と村上氏の同盟関係は終焉。
・村上義清は信虎追放事件に乗じて佐久方面への侵攻を目論んだ。
・武田の信濃の佐久侵攻
・村上義清は信濃東部へ進出した甲斐の武田信玄と敵対。

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