箕輪初心◆◆群馬の詩人:山村暮鳥◆◆

山村暮鳥のペンネームには、
「静かな山村の夕暮れの空に飛んでいく鳥」
 という意味が込められている。

★山村暮鳥生家は箕輪初心宅から10km程の所にある。
何となく聞いたことのある詩は3つ。
それも一部を知っているだけで、記憶も定かではではない。 
■■作品①「風景」 ■■・・・茨城編 
 いちめんのなのはな
 いちめんのなのはな
 いちめんのなのはな
 いちめんのなのはな
 いちめんのなのはな
 いちめんのなのはな
 いちめんのなのはな
 
 かすかなるむぎぶえ 
 
 いちめんのなのはな
 いちめんのなのはな
 いちめんのなのはな
 いちめんのなのはな
 いちめんのなのはな
 いちめんのなのはな
 いちめんのなのはな
 いちめんのなのはな

 ひばりのおしゃべり  
 いちめんのなのはな
 
 いちめんのなのはな
 いちめんのなのはな
 いちめんのなのはな
 いちめんのなのはな
 いちめんのなのはな
 いちめんのなのはな
 いちめんのなのはな
 
 やめるはひるのつき 
 いちめんのなのはな
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  (※写真は、箕輪城搦め手口の菜の花)
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  (※写真は、土屋文明記念文学館の碑)
★山村暮鳥の大正4年(1915)に発表された「風景」である。
 山村慕鳥・・結構、暗い詩人であると思っていたが、
 風情のある作品を残している。
 簡単な言葉の繰り返しで、菜の花のある風景を詠んでいる。
 第一連・・・「かすかなるむぎぶえ」
 第二連・・・「ひばりのおしゃべり」
 第三連・・・「やめるはひるのつき」=「病めるは昼の月」?
★病気で寝床から、「一面の菜の花」を想像しているのかもしれない。
 ①耳・・・誰かが吹いている麦笛が聞こえてくる。
 ②耳・・・ヒバリが鳴いているのが聞こえてくる。 
 ③目・・・昼間の月を見ているのかもしれない。
 ※群馬の高崎北部の長野郷地区~旧群馬町保渡田・井出・三ツ寺地区
 は、現在でも二毛作地帯である。ヒバリも結構見られる。
 故郷:群馬を思っての詩かもしれない。 
★「菜の花や 月は東に 日は西に」与謝蕪村の俳句に
 近い情景かもしれない。

■■作品②「雲」 ■■~~~~茨城編
 おうい雲よ
 ゆうゆうと
 馬鹿にのんきそうぢやないか
 どこまでゆくんだ
 ずつと磐城平の方までゆくんか


★「友らを思ふ」という詩の中の作品である。
 茨城県の大洗に住んだ山村暮鳥。
 磐城平には親しい友達がいたのだろう。
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  (※写真は、茨城県八溝山山頂)

■■作品③「野糞先生」 ■■~~~
 かふもりが一本
 地べたにつき刺されて
 たつてゐる

 だあれもゐない
 どこかで
 雲雀(ひばり)が鳴いてゐる

 ほんとにだれもゐないのか
 首を廻してみると
 ゐた、ゐた
 いいところをみつけたもんだな
 すぐ土手下の
 あの新緑の
 こんもりした潅木のかげだよ

 ぐるりと尻をまくつて
 しやがんで
 こつちをみてゐる
 

★一見、変態おじさんの詩かなとも感じ取れる。
 私の小学校の怖いピッチャン便所では、一度もうんこをした
 ことがなかった。学校帰りに、こっそりと野糞をしたもんだ。
 偉い学者は人間賛歌の詩と言うかもしれないが、おいらに
 言わせれば、「もれそうなうんこをする場所をやっと見つけ、
 野糞をこっそりする自分が浮かぶ。
★漏らしたら、やばい。見られたら、やばい。という状況だ。
 でも、見てたのは、死んだコウモリの死骸だった。
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  (※写真は、箕輪城本丸堀)
■山村暮鳥の年譜
【①群馬時代 明治17年~35年】
明治17年(1884) 群馬県西群馬郡穂高村(現群馬町)生まれ。
     木暮久七&志村シヤウの長男として生まれる。
     祖父の次男:志村八九十として届けられた。
  ※(堤ヶ岡小学校の隣の大乗寺の東100m)
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 (※写真は、暮鳥の生家近くの三ツ寺公園)
明治22年(1889) 父が家出。→千葉県佐原市に出奔。
      母と元総社村(現前橋市)の木暮家に帰る。
      暮鳥は養子として入籍。木暮八九十となる。
明治23年(1890) 元総社尋常小学校に入学。
明治24年(1891) 祖父が死去。堤ヶ岡尋常小学校2年に転入学。
明治25年(1892) 学業優秀で、2階級とび級。
明治28年(1895) 父が繭事業に失敗。
         高等科を中退。上郊村に移住。
         松山寺(高崎市箕郷町生原)の住職に漢籍を学ぶ。
         千葉県佐原に移住。短歌を150編作成。
明治32年(1899)  堤ヶ岡小学校教員の臨時雇。※2歳のさば。
  ●依田ハマへのラブレター・・・★本物を見たよ。   
   ひとふで示しまいらせ候
   然らば 朝夕 神を祈り 仏を念じ
   をまゐのことばかり 思居候
   外にかぎかけ はづさぬやうに
   〆てを くれなむねのじやう
   ・・・略・・・・・  頓首
     5月7日
              木暮八九十
    依田ハマ様

★依田一族は長野県望月の芦田姓から依田姓になる。
戦国時代、家の安中の後閑城→安中の鷹巣城主になり、
箕輪城主:長野業政の11女?娘を妻にした。
途中から、旧群馬町の引間城主になった可能性が高い。
ここは、旧群馬町冷水の依田ハマ宅から100mしか離れて
いない場所にある。
また、徳川家康の家臣になった依田玄蕃もいる。

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   (※写真は、依田ハマ宅近くの引間城)
明治34年(1901) 前橋:聖マッテア教会の英語夜学校に通学。
         堤ヶ岡小学校の准訓導に任命。
明治35年(1902) 聖マッテア教会で洗礼。
■■作品④「ふるさと」 ■■

 淙々(そうそう)として
 天の川がながれている
 とおく
 とおく
 豆粒のようなふるさとだのう

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   (※写真は、旧群馬町保渡田の八幡塚古墳)  
     
  宣教師ミス・ウォールの青森聖アンドレ教会への転任。
    
【②東北時代 明治35年~大正6年】        
          青森に移住。新詩社の大井蒼梧と知己。。
明治36年(1903) 東京佃島:聖マッテア伝道学校に入学。
         私立専門学校聖三一神学校に編入学。
明治37年(1904) 「白百合」・・「木暮流星」の筆名で短歌を発表。
明治38年(1905) 北海道旭川26連帯に入隊。補充兵として満州に派遣。
明治39年(1906) 満州より帰国。→聖三一神学校3年に復学。
明治40年(1907) 雑誌「南北」を創刊。3号まで発刊。短歌→詩へ。
       「文学世界」に「壁」「画」を発表。
明治41年(1908) 聖三一神学校卒業。
  秋田市秋田聖救世主教会に伝道師として着任。
   秋田県横手町横手講義所に転任。
        「秋田魁新報」に「管のよろこび」を発表。
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    (※秋田:久保田城・・・暮鳥も行ったかな?)
明治42年(1909) 秋田県湯沢町日本聖公会湯沢講義所に転任。
         宮城県仙台日本聖公会に転任。
         文芸雑誌「北斗」を創刊。
        「木暮馬村」の筆名を使用。
明治43年(1910) 東京諸聖徒教会に転籍。自由詩社同人。
        「秋田魁新報」の「魁詩壇」、
        「仙台日々新聞」の「白日詩壇」の選者就任。
        「山村暮鳥」の筆名を使用。
        パンフレット詩集「LA BONNE CHANSON」を刊行。
        「自然と印象」に「病めるSに」他
        「新文芸」に「窓」他
        「新潮」に「水盤にうかぶ金魚の追憶」
        「早稲田文芸」に「六月」
        「劇と詩」に「海峡より秋」
        「仙台日々新聞」に「落日と女」を発表。
明治44年(1911) 水戸聖公会に転任。
          常陸太田講義所に転任。
        「秀才文壇」に「途上所見」
        「詩歌」に「猫」他を掲載。
明治45年(1912) 福島県平町新田町講義所に転任。
     岩井緑汀の詩歌雑誌「シヤルル」の顧問。
大正2年(1913)29歳 教父:土田三秀の長女
       :冨士18歳と結婚。
     詩集「三人の処女」を新声社から自費出版。
     「現代詩文」に「素画三つ」を発表。
大正3年(1914) 長女:玲子出生。
     「卓上噴水・風景」を創刊。
     三木露風、室生犀星、前田夕暮、白鳥省吾などが寄稿。
大正4年(1915) 人魚詩社から「卓上噴水」を創刊。
        詩歌雑誌「橄欖樹」の顧問。
        「群衆へ」(花岡謙二創立)に参加。
        詩集「聖三陵玻璃」を人魚詩社から刊行。
大正5年(1916) 雑誌「LE PRISM」創刊。
   雑誌「感情」に準同人として参加。
大正6年(1917) 随筆集「小さな穀倉より」を白日社から刊行。

【③茨城時代 大正7年~13年】
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  (※写真は、アンコウ鍋・・・暮鳥も食べたかな?)
大正7年(1918) 水戸ステパノ教会に赴任。
翻訳「ドストエフスキー書簡集」を白日社から刊行。
        雑誌「苦悩者」を創刊。
        詩集「風は草木にささやいた」新潮社から出版。
        静養のため千葉県北条町に移住。
大正8年(1919) 茨城県大洗町大貫海岸に小林楼・前田宅に下宿。
        日本聖公会伝道師を休職。
「おとぎの世界」に「ともだち」他を発表。
大正9年(1920) 福島県平町に移住。
        茨城県磯浜明神町鬼坊裏別荘に転居。
        暮鳥を支援するため、「鉄の靴会」が発足。
        童話集「ちるちる・みちる」を洛陽堂から刊行。
大正10年(1921) 童謡専門雑誌「とんぼ」の顧問,出版。
         詩集「梢の巣にて」を叢文閣から刊行。
         詩選集「穀粒」を降文館から刊行。
         「いはらき」に小説「影」の連載開始。
「少年倶楽部」に「正直なあひるの話」
「おてんとさん」に「人間の顔のこと」を発表。
大正11年(1922) 小説「十字架」を聖書文学会から刊行。
童謡童話集「万物の世界」を真珠書房から刊行。
         童話「葦舟の児」を文翫堂から刊行。
         童話「少年行」を創文社から刊行。
         童話「お菓子の城」を文星閣から刊行。
大正12年(1923) 病床生活。
童話「鉄の靴」を内外出版から刊行。
大正13年(1924) 評伝「ドストエフスキー」をイデア書院から刊行。
聖者伝「聖フランシス」をあおぞら社から刊行。
         病状が悪化、12月8日死去、享年40歳
         お墓は、水戸:光?寺に埋葬。

(★参考文献・・土屋文明記念文学館の第2回企画展資料1000円)
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  (※写真は、土屋文明記念文学館)

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