箕輪初心◆◆群馬の偉人:土屋文明&先祖考◆◆

■「土屋文明」は、群馬を代表する歌人である。
土屋文明の先祖は武田信玄家臣の土屋一族である。
 金丸虎義の次男:土屋昌続の分家に当たると思われる。

妻:塚越テル子の先祖は、新田義重の子:里見家に嫁いだ
 碓氷三郎貞光の娘の子が名乗った「塚越」である。

■土屋文明の散策
1)土屋文明記念文学館・・・かみつけの里の八幡塚古墳北
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 @アララギ派歌人土屋文明を記念した文学館。
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 @短歌とともに生きた生涯を時代ごとに紹介。
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 ※館内の資料は撮影禁止
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①榛名山・・・小学校・中学校時代。出会った先生(村上成之など)
②ふゆくさ・・青年時代。伊藤左千夫宅・文学仲間・信濃教育。
③アララギ・・編集発行人時代。
 ④万葉散策・・万葉集の研究の時代。
 ⑤山下水・・・吾妻郡川戸の疎開生活時代。
 ⑥青南の日々・東京に帰郷の時代。・・・部屋・庭をを再現。
 ⑦短歌の世界・ 
◎映像展示室・
◎常設展・企画展・群馬県ゆかりの文学資料の収集と公開。
2F・・レストラン「野花」・・・スパゲッティがおいしいよ。

叔父(塚越一族の分家)の土屋文明の本などの収集家である。
  叔父は初代土屋文明記念文学館館長:伊藤信吉先生に
  土屋文明の初版本や本物の手紙などを寄贈したのだ。
  山村慕鳥の「感情」も4つ寄贈している。
  また、歴史的な骨董品なども多く、近藤義雄先生・近藤芳寛先生・
  矢野敬一先生・間庭勝哉先生・田島桂雄先生などのも実家に来ている。


2)土屋文明の生まれた家・・・高崎市保渡田
★今の生家には立派な建物=高崎市保渡田の北部だよ。
 ★柿の木は今でも残っている。5~6年しかいなかったらしい。
  ・・・叔父の説明。
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★土屋文明の祖先は、金丸虎義の子であると思われる。
  ・金丸虎丸・土屋昌次・秋山昌詮・金丸定光・土屋昌恒
  ・金丸正直・秋山親久がいる。その中で、土屋は2人いる。
   土屋昌次(=昌続)&土屋昌恒である。2人は、保渡田城
   に在城した内藤豊後守昌豊の補佐役で、保渡田に住んでいた。
  ★『甲陽軍鑑』・・・土屋昌続(←金丸平八郎)は三枝昌貞(守友)
  ・曽根昌世・武藤喜兵衛(真田昌幸)・甘利昌忠・長坂昌国らと
   武田信玄の「奥近習六人衆」の一人として仕えた。
 ・永禄4年(1561)第4次川中島の戦・・・上杉勢の優勢。
    信玄本陣が危機・・信玄の傍を離れずに上杉勢に応戦
    →戦功により、侍大将に昇格(伝)。
・永禄9年(1566)箕輪城を攻略。上野での伝送役  
 ・永禄12年(1569) 三増峠の戦い・・箕輪城代:浅利信種が戦死。
    →浅利軍の同心衆を統率。金丸平八郎→土屋昌続を継承。
    →箕輪城将・上野方面の責任者は武田4名臣:内藤修理。
   信玄→浦野宮内左衛門尉(大戸城主浦野中務少輔の同族?)の書簡
   土屋昌続が伝送「浅利に従い、軍功を立てるように」(甲陽軍艦)
   ※和田信業の伝送も勤めた。
・元亀3年(1572)三方ヶ原の戦い
    徳川方の鳥居信之と一騎打ちで首級をあげた。
 ・天正3年(1575)長篠の戦い一斉射撃を受け戦死。父と兄が戦死。
 →★土屋昌恒(まさつね:金丸虎義5男で土屋貞綱養子)が継承。
  兄:土屋昌続の後を受けて竜朱印奏者になった。
 ・天正10年(1582)織田信長の武田攻撃。
   武田氏の一門や家臣団の多くが離反。
   土屋昌恒は最後まで武田勝頼に付き従がった。
   武田勝頼が滝川一益隊に天目山で追いつめられた時、
   武田勝頼が自害する間の時間を稼いで織田勢と戦って奮戦。
   峡い崖道で、片手を蔦に絡ませ崖下へ転落しない様にし、
   片手で戦い続けたことから、後に「片手千人斬り」の異名をとった。
   最後は討ち死。
 ・→遺児:土屋忠直が継承。徳川家康の家臣。
 ・江戸時代・・・土屋氏は上総久留里藩の大名に昇格。 


3)土屋文明の妻:塚越テル子のいた家・・・高崎市保渡田
  ●塚越テル子夫人の実家・・・旧群馬町保渡田の北部公民館南
  (保渡田城=武田信玄家臣:内藤豊後守秀豊が拡張工事
  楼台の一部で天子塚古墳の南が塚越テル子の家である。)

①天子塚古墳→
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  ②塚越家・・・塚越テル子の先祖は、新田義重の子:里見家に嫁いだ
   碓氷三郎貞光の娘の子が名乗った「塚越」である
  ③箕輪城主:長野業政の保渡田砦→
  ④武田信玄の24将の一人:内藤昌豊は保渡田城を拡大。   
   天子塚古墳は楼閣=見張り台にした場所である。
   土屋文明の妻:塚越テル子のいた家の隣にある。

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  塚越テル子は母の遠い親戚らしい。
  
  ⑤テル子の母は住谷家から嫁いだきた。
  住谷家は
   A,住谷天来・・・群馬の四大キリスト教信者で共愛創始者。
   B,住谷悦治・・・ウィーン留学→元同志社大学長。
  (ウィーン滞在中に、音楽恩師:高橋貞春先生に遭った。
 ハイリゲンシュタットの遺書の家から100m。)
   C,住谷岩根・・・画家:川越名誉町民。
    テル子はたぶん、従兄弟かはとこに当たると思う。
  ⑥塚越テル子は、津田塾女子大学に進んだ。
   土屋文明の実家から200m。福島家からは1km位の所にある。
   全く、同郷のよしみである。

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4)土屋文明を高崎中学に行くのをサポートしてくれた福島家 
  福島団次郎&妻:つの(土屋文明の叔母)の家から
  ★地元の井出の「福島の質屋」
  (群馬町井出の信号南の福島の床屋の反対の家)から通学。
 (★箕輪初心叔父・叔母・友達「福ちゃん=福島一族」の話より)
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■主な著書
『万葉集年表』・『万葉集私注』・『短歌入門』・『ふゆくさ』・『山谷集』・
 『韮菁集』・『山下水』・『青南集』・『続青南集』等。
 ◆作品
 「あわただしき文明開化の落としもの
  あはれなる名を一生持ちたり」 
 続青南集
 ◆石碑
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■土屋文明の年譜
・明治23年(1889) 群馬県群馬郡上郊村(現高崎市)保渡田に生まれる。
          (北部公民館の北200m)  
・明治30年(1897)  上郊小学校井出分教場入学。
父が繭・生糸・石灰の商売で失敗。
 ※幼少期・・・伯父:福島団次郎&妻:つの(叔母)の元で。
        伯父に俳句の手ほどきを受けた。
・明治37年(1904) 高崎中学校(=現高崎高等学校)に入学。
          井出の「福島の質屋」:から通学。
 (★箕輪初心叔父・叔母・友達「福ちゃん=福島一族」の話より)
・明治40年(1907) 国漢教師:村上成之が赴任。
    ・根岸派の歌人・俳人の成之に師事。自然主義文学の影響。
・明治41年(1908) 高崎中学在学中から文学を志した。、
   「蛇床子」の筆名で俳句や短歌を「アカネ」「ホトトギス」に投稿。
・明治42年(1909) 高崎中学卒業。
    村上成之の紹介で、伊藤左千夫を頼って上京。
    伊藤左千夫の家(神田神保町)に寄宿。牛の餌くれ。
    短歌の指導を受け「アララギ」に参加。
    第一高等学校入学。 入寮。
    「アララギ」に「睡蓮の花」発表
・大正2年(1913) 第一高等学校卒業。
     →東京帝国大学(=現東京大学教養学部)に入学。
  ※一高・東大の学友に、
   山本有三・近衛文麿・芥川龍之介・久米正雄がいた。     
・大正3年(1914) 芥川・久米らと第三次「新思潮」の同人に参加。
     「井出説太郎」のペンネームで小説・戯曲を執筆。
    『結婚生活』を翻訳刊
・大正5年(1916) 東京帝国大学卒業。             
     『波斯神話』を翻訳刊
・大正6年(1917)「アララギ」の選者に加配。
・大正7年(1918) 塚越テル子(津田塾女子大学)と結婚。
   島木赤彦の紹介により、長野県諏訪高女の教頭として赴任。
・大正9年(1919)  長野県諏訪高女の校長。
・大正11年(1921) 長野県松本高女の校長。
・大正13年(1923) 木曽中学校への転任を拒否し上京。
・大正14年(1924) 第一歌集『ふゆくさ』を出版。歌壇で絶賛。
   実感的、生活的、即物的な作風で多くの歌集を出版。
   万葉集の研究→万葉学者としての地位を確立。
・大正14年(1924) 「信濃教育」編集主任。
・昭和5年(1930)  『往還集』刊
   斎藤茂吉から「アララギ」編集発行人を継承。
       →「アララギ」の指導的存在と成長。
・昭和7年(1932)  『万葉集年表』刊
・昭和10年(1935)  『山谷集』刊
・昭和11年(1936) 『放水路』刊
・昭和14年(1939) 万葉踏査多くなる
・昭和17年(1942)  『六月風』刊
・昭和18年(1943) 『少安集』『万葉紀行』刊
・昭和19年(1944) 中国旅行。 『万葉集上野国歌私注』刊
・昭和20年(1945) 『韮菁集』刊。
     戦災に遭い、空襲で住居焼失。
     →吾妻郡原町(現吾妻町)川戸に6年半の疎開生活。
     ※静かな自然の中で自給自足の生活
     『万葉集私注』執筆
     アララギ地方誌の育成活動。
・昭和21年(1946) 「アララギ」1月号から文明選欄を開始。
    『ゆずる葉の下』『続万葉紀行』刊。「アララギ」9月号復刊
・昭和22年(1947) 「短歌の現在及び将来」を講演。
・昭和23年(1948) 『山下水』刊
・昭和24年(1949) 『万葉集私注』刊行開始。
・昭和25年(1950) 「読売新聞」歌壇選者。
・昭和26年(1951) 東京都青山南町に帰住。
・昭和28年(1954) 『自流泉』刊。
            『万葉集私注』により芸術院賞受賞。
            宮中歌会始の選者に抜擢。
・昭和30年(1956) 『土屋文明歌集』(角川文庫)
・昭和35年(1960) 明治大学教授を辞任。
・昭和37年(1962) 心筋梗塞で入院。芸術院会員となる。
・昭和38年(1963) 宮中歌会始召人。
・昭和42年(1967) 『青南集』『続青南集』刊
・昭和43年(1968) 『青南集』『続青南集』により読売文学賞受賞。
          「アララギ」に「万葉集私注補正稿」連載
・昭和46年(1971) 「アララギ」に「万葉集私注補続稿」連載
・昭和48年(1973) 『続々青南集』刊
・昭和54年(1979) 『歌あり人あり』刊
・昭和55年(1980) 『万葉集年表』第二版刊
・昭和57年(1982) テル子夫人没(93歳)
・昭和59年(1984) 『土屋文明歌集』(岩波文庫)『青南後集』刊。
          『羊歯の芽』刊。文化功労者。
・昭和60年(1985) 『青南後集』により現代歌人協短歌大賞受賞。
          『方竹の蔭にて』刊
・昭和61年(1986) 文化勲章受章
・平成2年(1990)  12月8日 肺炎及び心不全により死去(100歳)
・平成3年(1991)  遺歌集『青南後集以後』刊
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・平成?年    群馬県名誉県民、群馬町名誉町民、東京都名誉都民。

■土屋文明記念文学館2011年5/6月の企画展「智恵子抄」
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■旧群馬町出身の偉人
 ①山村暮鳥・・・旧群馬町堤ヶ岡の出身。
 ②福田赳夫・・・旧群馬町足門の出身。

★参考資料・・・土屋文明記念文学館パンフレット・土屋文明
        +土屋文明記念文学館HP+土屋文明HP

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