箕輪初心●神奈川【石垣山一夜城】=秀吉の天下統一の城 

2011年のNHK大河ドラマ「江~戦国の女たち」の
6月19日の放映は「豊臣秀吉の小田原攻撃」である。
天正18年(1590)豊臣秀吉は、小田原城攻撃のため、
石垣山に城を築城した。

★石垣山での『連れ小便伝説』&『淀殿の石垣一夜城訪問』
は、内容に入っているのだろうか?
①『連れ小便伝説』・・豊臣秀吉&徳川家康は、
北条氏直の小田原城が見渡せる石垣山で「連れ小便」をした。
秀吉は家康に「戦後処理は北条の後を家康に」と語ったという。
★徳川家康は広大な土地に可能性を感じたらしい。
石垣山城築城前、小田原城攻撃前に、戦後処理は決まっていた?
②『淀殿の石垣一夜城訪問』・・豊臣秀吉は得意の長期戦の
兵糧攻めのために、淀殿(=茶々)も呼んで、宴を催した。
石垣山一夜城は天下統一への足がかりになった城である。
画像



■訪問記・・・平成22年(2010)1月11日(月) 
今回は、岩ダイビング1泊2日のおまけである。
1月10日・岩ダイビング2本→
①源頼朝の逃亡の碑・②江戸城の小松石大工の墓 ③荒井城
1月11日・・・岩ダイビング2本→④石垣山一夜城
●JR早川駅よりターンパイク方面に行き、
   高架下の案内板に従って、石垣山農道を5分程行く。
●石垣山一夜城公園駐車場・・・約50台は停められる。
  公園化され、駐車場とトイレが設置されている。
  売店・自動販売機はある。パンフレットはなかった。

●案内板①
画像

●案内板②
  野面石積みで築城された関東で最初の城郭。
  縄張としては南西から北東に走る尾根上に位置し、
  南西の最高所に本丸がある。
  北東方向へ二の丸・三の丸と配置した連郭式となっている。
画像


1)登り口
画像

2)案内板
  石垣山は「笠懸山」と呼ばれていましたが、天正18年(1590)
  豊臣秀吉が小田原北条氏を水陸15万の大群を率いて包囲し、
  その本陣として総石垣の城を築いたことから「石垣山」と呼ば
  れるようになりました。
   この城が、世に石垣山一夜城または太閤一夜城と呼ばれる
  のは、秀吉が築城にあたり、山頂の林の中に塀や櫓の骨組み
  を造り、白紙を張って白壁のように見せかけ、一夜のうちに
  周囲の樹木を伐採し、それを見た小田原城中の将兵が驚き
  志気を失ったためと言われています。しかし、実際にはのべ
  4万人が動員され、天正18年4月から6月まで約80日間が
  費やされました。
  豊臣秀吉は100日あまり石垣一夜城にいました。」

3)二の丸の石垣・・・★穴太衆(あのうしゅう)野面積みが必見。
  豊臣秀吉は近江の石垣積みの専門職人である穴太衆を呼んだ。
  城址公園入口付近には大きな石が散在。
  関東大震災によって崩壊した石垣跡だという。
画像

画像

画像

4)二の丸・・・50m×50m。芝生が敷きつめられている。
  石垣山一夜城址は本丸・二の丸を中心に公園になっている。
  厩郭と馬出郭と呼ばれる二つの区域に分割。
  城兵がこもる建屋があったと想定されている場所だ。
画像

5)二の丸の櫓台・・・(★写真は、一枚目)

6)井戸曲輪・・・もの凄い広大なため池施設?
   二の丸から約25mほど下がると、小さな谷を区切った
   井戸郭で四周囲を石垣が取り巻く見事。
   現在でも湧水が湧いているらしい?
画像

画像

7)展望台?・・・二の丸の北東方向の三の丸
   馬出郭にある展望台から見える。
画像

8)本丸石垣・・・二の丸を横切り、本丸に向かった。
         崩れた石垣は10m程である。
画像

9)本丸・・・天守台を含む一帯が本丸跡である。
   北側と東側に枡形虎口がある。
   周囲に帯郭があり、防備を固めていた。
画像

   ※新設の小田原城・駿河湾を望む展望所が築かれている。
画像

   ※説明板もある。
   「本丸には、秀吉が日常を過ごす御殿や客殿にあたる数寄屋なども
    存在していた。」とあった。
★豊臣秀吉は、淀殿(茶々)や大名の妻を呼び寄せ、
時間稼ぎをした。

10)天守台・・・小田原城を眼下に見下ろす天守があった天守台。
        天守は5層であったとも言われるが、不明。
画像

11)西曲輪・・天守台の西側にある三角形の削平地。
        ★天守台の側面の防御の役割を担う腰郭である。
画像
        
12)南曲輪・・西曲輪の下にある本丸の帯曲輪である。
画像

※私見・・・石垣山一夜城は小田原北条氏に対する陣城であり、
      天下統一の是非を決める城であった。
★関東最初の石垣の城で、長期戦に備えた魅力的な城がである。
★小田原や相模湾の展望が良く、気軽に訪問できる場所であった。

石垣山一夜城の歴史。
●関東地方は、北条早雲→氏綱→氏康→氏政→氏直と  
  5代続く小田原北条氏(後北条氏)の当主によって、
  常陸(茨城県)、安房(千葉県南部)、下野(栃木県)の北部、
  上野(群馬県)の北部など以外が支配下になった。
●5代北条氏直の時代には、父・氏政(4代目当主)、
   叔父・氏照(八王子城)、氏邦(氏直の叔父:鉢形城・・・)
   氏規(氏直の叔父・韮山城主)、太田氏房(氏直の弟)
   など一族内に力を持った人物がいた。
・天正15年(1587) 薩摩の島津氏を屈服させた豊臣秀吉は
  天下統一の集大成として関東以北の平定へと乗り出した。
  豊臣秀吉は当初、直接的に武力を用いずに小田原北条氏を
  傘下にいれようと考えていた。
・天正16年(1588) 豊臣秀吉は小田原に使者を送り、北条
   氏直の上洛を求めた。
   北条氏直の代わりに上洛した叔父の氏規は、聚楽第に
   おいて豊臣秀吉に謁見。
   北条氏規は「真田昌幸の居城である上野国・沼田城を
    小田原北条氏に譲与する条件ならば、氏直の上洛に
    応じる、」と申し述べた。
・天正17年(1589)豊臣秀吉の裁定 
   沼田城を含む利根沼田の3分の2は後北条氏。
   後北条氏は沼田城の城代に猪俣邦憲。
   名胡桃城を含む残り3分の1は真田氏の領地。
 11月北条氏邦の家臣:猪俣邦憲は南西の榛名峠城
( ★4日前のブログ:塩原太助の生家の上)
    から名胡桃城を奪取(名胡桃事件)。
   ※猪俣邦憲の単独行動説、
   ※北条氏邦の命令説、
   ※徳川家康の陰謀説(真田太平記)などあり。
   憤慨した豊臣秀吉は、11月24日、小田原討伐を宣言。
   →豊臣秀吉の小田原征伐の口実。
   ※古文書類からも小田原北条氏は秀吉との合戦に備えて、
    国々の防備を固め開始。
  ○上州:
    ・松井田城(大導寺政繁)
    ・西牧城(多米周防守)
    ・倉賀野城(塀和伯耆守)
    ・箕輪城(北条氏邦他)
  ○武州・・・
    ・鉢形城(北条氏邦は小田原城に籠城せず)
    ・八王子城(北条氏照)
・江戸城(遠山右衛門尉)
  ○駿河・・・山中城(松田・途中から多米)、
  ○伊豆・・・韮山城(北条氏規)  
   15歳~70歳までの男性ほぼ全員が篭城。
  ◎小田原北条氏の内部では、小田原評定・
   ・・・開城戦・篭城戦か議論。
   →小田原城へ兵力を結集して篭城策。
   ・鉢形城:北条氏邦はかってに戻った。
   →約5万5千人の兵が小田原城に篭城。
画像

   (※写真は、小田原城からの石垣一夜城の遠望)  
   ・奥州:伊達政宗との同盟関係・徳川家康姻戚関係の仲介を期待。
   (北条氏直は上洛の際の交換条件として、秀吉の母・大政所を
       小田原に送ることを求めている。)

・天正18年(1590)
 1月   徳川家康の3男:竹千代は、大坂城の豊臣秀吉を訪ね、
      秀吉の秀をもらって、徳川秀忠となる。12歳。
      18歳の江と初めてあった。後に結婚。       
 3月1日 豊臣秀吉は25万人(22万人説)の軍勢を率いて
    自ら小田原へと向った。
      ◆徳川家康・・・・・・・・・・・・・東海道先鋒
      ◆前田利家・上杉景勝・・・東山道(北国軍)先鋒
      ◆毛利水軍・九鬼水軍などの水軍。
      ◆長束正家を総奉行とする計17名の兵糧奉行・
      ・後方支援:大量の米や物資を買い付け海上輸送。

  ◎小田原城内では、小田原評定が毎日のように行われたが、
    戦争を継続するか否か、結論がでなかった。
  1)北条氏規や太田氏房など一門衆からも降伏を薦める声が
       上がり始め、城中は混乱。
  2)北条氏邦は、鉢形城で、徹底抗戦を主張し、
       勝手に小田原城を離脱。
 秀吉本軍・家康軍10万人
3月29日 山中城(静岡県三島市:国史で100名城)落城
4月2日 石垣山城(一夜城)の築城開始。
4月3日 箱根湯本から小田原へ。早雲寺本陣。
      豊臣秀吉軍は、包囲して兵糧攻めを決定。
  ※数万人で石垣山一夜城の築城開始。
   「一夜で張りぼての城を築いて、小田原北条氏の戦意を
     喪失させた。」という話は誇大。
  ●石垣山一夜城説明板・・・「6月中旬から下旬にほぼ完成。
    工事には約80日を費やした。」80日前の逆算・・?
    4月初旬~6月中旬(80日~88日とか?)
4月4日~豊臣秀吉は、長期間の小田原城攻囲開始。
    軍兵の士気が下がることを防ぐため。
   ①京都や堺から商人や遊女などを招き、町屋を建設
    →攻城戦を兵士の慰安。陣中では、酒宴・遊舞も自由。
   ②周辺の山野で、野菜や麦畑を作ることを許可。
   ③淀君や千利休を招き、能役者を呼び茶会
   ④天皇の側近・勅使を招いて、権勢を誇示。
4月21日 玉縄城(北条綱成)が落城。海から毛利水軍。           
    (小田原城博物館)

5月?日 館林城は開城・・・・・・・・石田三成2万で攻撃
5月?日 金山城も落城廃城・・・・・・・・・・・石田三成
5月20日 岩槻城が落城。
6月26日 豊臣秀吉が石垣山一夜城から鉄砲の一斉射撃威嚇。
6月中旬 ・武州忍城の開始。水攻め失敗・・・・・石田三成 
       →前田勢(大導寺政繁が前田利家の道案内役。
        北条家の領内の忍城を攻撃。
6月下旬 韮山城(北条氏規)(静岡県伊豆の国市)開城
6月29日 北条氏は織田信雄を介して降伏。
7月5日  小田原城(北条氏直・氏政)が開城。
      天正18年(1590) 7月6日に小田原城は開城。
      豊臣秀吉は、和議に当って要求・・・
7月11日 北条氏政・北条氏照が切腹。
       大導寺政繁・松田憲秀が切腹。 
→北条氏直は高野山送り。

7月16日 武州忍城(成田氏長)降伏。
     前田+上杉+真田が後から合流。  
      *近藤説・・・「北条氏が籠城の手配をしたのは、
     白井城・松井田城・西牧城・館林城の4城。」
   

■豊臣秀吉軍の北国軍
    (前田・上杉・真田昌幸ら)が北条の城を攻撃。
3月?日 前田利家が福井経夕→東山道木曽→
       佐久郡へ到着。
       上杉景勝と真田昌幸が合流、北国軍。
 【大河ドラマ天地人】では、前田利家は上杉景勝の春日山城で、
      食料調達。
3月15日 真田氏先兵が碓氷峠で大道寺政繁と交戦。
3月18日 北国軍が碓氷峠で北条先兵を破る。 
       (松井田の坂本愛宕山城か?)
3月28日 松井田城を包囲攻撃、落ちず。
     大道寺政繁は北国軍に備えて、碓氷川から石を運んで工事。
4月?日 西牧城(多米元忠)への攻撃
       →多米元忠が西牧砦で討死。
4月?日 厩橋城(?)を攻略。・・・・浅野長政ら
4月7日  豊臣秀吉から真田昌幸が松井田に付城普請を命じられる。
4月12日 真田昌幸が手勢を連れて碓氷峠で80人を討取る。
4月20日 松井田城(大導寺政繁+子直繁1500騎落城
      →大導寺政繁は前田の道案内。
4月?日 和田城(和田○繁)も落城・・・前田・上杉
4月?日 倉賀野城(併和○○)も落城。
4月24日 →大導寺政繁は前田の道案内で
       前田・上杉・真田が箕輪城へ・・。
      ★私見・・・*真田は箕輪城に在城処理:
         (鉢形城 開城:鉢形城博物館)
5月?日 松山城(北条氏房)が落城。
5月?日 川越城(大導寺政繁)が落城。
      既に松井田城で前田利家の家臣。
  ●北条氏邦は出撃論を主張。籠城策と決定。
    鉢形城に戻り3000の守備兵を固めた。
5月13日 鉢形城の攻撃を開始
5月中頃 北条氏邦が岩槻・鉢形・八王子・忍・津久井の助命嘆願。
     →秀吉は許可せず。
5月20日 鉢形城攻撃開始 上杉勢が中心
     本多忠勝らが車山から大砲で攻撃。
6月14日 鉢形城(北条氏邦)も落城→開城・・・・
 ・・上杉勢・真田・上杉+浅野長吉+本田忠勝。
 ★」私見・*真田は箕輪城に在城処理中。
  (根拠は、鉢形城博物館の本には真田の名前なし)
 北条氏邦は前田利家に預け。千石。鉢形城は廃城。
6月23日 八王子城(北条氏照)が落城。
6月?日  津久井城(旧武田家臣
           →北条家臣内藤景豊)落城。
※確実な記録によれば、篭城戦の末に落城した
        城砦は葛西城・八王子城だけ?
●後北条氏・・・
天正時代 豊臣秀吉は石垣山一夜城→奥州征伐。・・
      ・帰路に再び立ち寄り、5日間滞在。
江戸時代 徳川家は石垣山城を破却せず。
     理由・・・異常時の箱根の防備を固める際の拠点か?
         一般人は中腹以上への登山は禁止。
現在・・・大地震にも耐え、今日まで当時の面影が大変よく残存。
     国立公園区域および国指定史跡に指定。→主郭部が公園。

伊達政宗は、遅れて石垣城入りした。
 遅れた詫びに「蘆名領=会津」を返上して、豊臣秀吉に従った。


徳川家康が関東の入封を承諾
 ★徳川家康は、大きな平野に可能性を感じた。
7月 治水工事に着手。
江戸城(江戸氏→太田道灌→遠山右衛門尉)の改築工事着手
8月1日 関東入封。

徳川家康の次男:秀康は結城家10万石に養子。
徳川秀康は福井54万石に・・
 後に、秀忠&江の子:お勝は越前に嫁ぐ。

★参考文献・資料・・・戦国の姫〈江〉・・・マンガで3時間で:津田太愚
  など、江関係の本5冊
  小田原城博物館資料・鉢形城歴史博物館資料等
画像

画像

画像

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック

  • 箕輪初心★松尾芭蕉⑤『東海道寄り道』&【野ざらし紀行①】

    Excerpt: ★「八百屋お七」の大火で、芭蕉庵を失った松尾芭蕉は 貞享元年(1684年)8月、門人:千里(ちり)を伴い、 伊勢神宮詣で→伊賀上野:前年亡くなった母の墓参り を目的に→大和→吉野→京都→美濃→木.. Weblog: 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行 racked: 2012-07-19 06:20