箕輪初心●群馬の城:高崎旧吉井38城①「吉井陣屋他」

箕輪初心●群馬:吉井の城砦38
★旧吉井町教育委員会の調査では38の城砦がある。箕輪初心の2011年
現在の登城数・遠望数は14である。3回シリーズで、書こうと思う。

01)吉井城=吉井陣屋(中央公民館入り口~吉井小南東20m春日社)
 ■訪問記・・・意識して回ったのは、1回しかない。
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 ①菅沼家→②天領→③堀田家→④天領→⑤松平(鷹司)家
 ①徳川家康より菅沼定利が上野吉井に2万石を与えられて立藩。
 ③堀田正休が1万石を与えられて吉井に入るが近江宮川へ。
 ④天領
 ⑤吉井松平家は徳川家光の正夫人として太閤鷹司信房の娘孝子が輿入れ。
  弟の鷹司信平が徳川幕臣として5千石。
  鷹司信平は紀伊徳川頼宣の婿で7千石。
   子の信正が嗣ぎ、その子信清の時に3千石を加増。石高は一万石。
  藩主は江戸在住。陣屋は木部村(現高崎市)→矢田→宝暦2年に吉井に移動。
  11代信発は水戸家蟄居の大任を果たす。
  12代信謹は明治2年に版籍奉還。吉井藩知事に就任。
  (移築の陣屋門の現地案内板より)
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(山崎一氏作成の縄張り図)

02)河内の砦 △ 吉井町吉井 河内
*永禄6年(1563) 武田信玄の侵攻で、牧野丹蔵英一は300兵で抵抗。
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(山崎一氏作成の縄張り図)

03)塩川城× 吉井町塩川平館
 *永禄6年(1563) 武田信玄の侵攻で、菅沼大膳之孝は抵抗。落城。
 下池前内出 吉井町下池 前内出 不明
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(山崎一氏作成の縄張り図)
   
04)矢田城 ○ 吉井町矢田綿切 中世城→近世初期陣屋
 *平季衡→小林氏先祖・・・藤岡の高山氏と協力関係。
 *天文16年(1547) 安祥の戦いで功績のあった長根城:小林重秀の弟政忠
           の子忠久が築城。
 ●矢田代官所 △ 吉井町矢田 近世代官所跡
  鷹司信平は紀伊徳川頼宣の婿で7千石。
  松平信平→信正→信清(石高は一万石)
  藩主は江戸在住。
  陣屋は木部村(現高崎市)→矢田→宝暦2年に吉井に移動。

05)矢田の砦 × 吉井町矢田 前畑

06)天王原屋敷× 吉井町矢田天王原

07)天久沢陣城○ 吉井町矢田
 ■訪問記・・・天久沢公園は桜の名所であった。
 武田方の天久沢陣城跡 ・・・馬頭観音のある所
 *永禄6年(1563) 武田信玄の侵攻の時、陣を張った場所。
  →一郷山城・多比良城攻撃。
  
08)岡城=池城(吉井町池岡)
  ■訪問記・・・何故か○○病院上にあった。遠望のみであった。
  *備中松山城の高橋長綱次男が築城か河原丹後守の築城(伝)
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09)上池館 △ 吉井町池 道北 堀の内館跡 (西は鏑川)
 *寿永2年(1183) 備中松山城の高橋長綱の次男
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(山崎一氏作成の縄張り図)
     
10)本郷城 
  △ 物見櫓跡=古墳(吉井町本郷石橋)
 ■訪問記・・・本郷公園かな?と思ったら、違ってた。
 *天文20年(1541) 神流川の戦い(上杉憲政 VS 北条氏)  
   春山左馬之助盛行が戦死。(伝)
 *永禄6年(1563)  武田信玄の侵攻で、落城。
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(山崎一氏作成の縄張り図)
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11)長根城  △ 
 ■訪問記・・・長根神社・本丸の2墓地へ、
 *天文20年(1541) 神流川の戦い(上杉憲政 VS 北条氏)  
 *弘治3年(1557)  瓶尻の戦い (長野氏  VS 武田氏)
 *永禄3年(1560)  長野業政の所属・・・長根50騎(長根氏+小河原氏)
 *永禄6年(1563)  武田信玄の所属・・・前橋の石倉城攻め
 *永禄10年(1567) 武田信玄の生島足島神社の起請文に記録
 *天正3年(1575)  長篠の戦いに30騎が出陣 ・・・・戦死。
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(山崎一氏作成の縄張り図)
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12)小棚城 △ 吉井町小棚城
   巽八幡・土居

13)片山砦  ×  吉井町小棚 おんでい 
  (小棚城の南西の川向こう)

14)長根陣屋=近世陣屋跡 吉井町長根 城の内 (長根城北西300m) 
 *奥平信昌の次男松平右京助家治が7000石で入封。・・・・

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