箕輪初心●群馬「高崎の旧榛名町の全城=29城」

箕輪初心●群馬「高崎旧榛名町の城29城」
箕輪城の大支城:鷹留城とその支城や箕輪城主:長野業政の
親戚になった里見義宗の支城系が多い。旧榛名で行ってない城もあるが、もう一度、旧榛名町
全体の29城の一部を写真で紹介しようと思う。


1)鷹留城「箕輪城の大支城」 ★前掲
    根小屋の大手口からの全景
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2)松山城「鷹留城の支城→北条氏の真田岩櫃城攻撃の拠点」 ★前掲3月5日参照  
    長年寺からの松山城・鷹留城
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3)武右衛門屋敷  (榛名町誌のみ記載)・・・★いていない
   *鷹留城への水の供給のための水路に沿って道があった?(不明)

4)室田の内出 (榛名町誌のみ記載)  現榛名第一小学校=下室田小学校
 ■訪問記・・長野氏の菩提寺:長年寺近くだが、遺構は不明。
 ★「内出」という地名から考え、長野氏の時代である。
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5)立足城(榛名町誌のみ記載)  現新生会診療所・簡易水道施設

6)駒寄の砦 榛名町下室田駒寄内出    
  ■訪問記・・鷹留城の守り砦。現諏訪神社境内と横の家
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7)雉郷城=八重巻の砦  榛名町上里見の梨園の上の桜公園
★前掲・・箕輪城の支城&里見一族のコーナー参照
  ■訪問記①・・・2006年秋・
  上里見の梨園を安中秋間方面に向かう。山頂近くの「浅間神社入り口」の
  看板を右折する。農業道路を3~4分で桜山公園に着く。
  車は10台位停められる。
  ★南の安中秋間の下秋間カントリークラブ入り口から望むこともできる。
  武田信玄の家臣になった那波氏はこの辺りから雉郷城を攻撃したのであろう。
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8)御嶽山の砦(榛名町誌のみ記載)
    *雉郷城の北西1kmの所。榛名梅林の山頂。

9)猪土手=獅子土手(榛名町誌のみ記載)
  雉郷砦~浅間山~天神山 =雉郷砦の東南の山伝いの土手
  「長野時代の連絡通路」 (榛名町誌)
  ★里見城と尾根の間の???ガーデンが(3月6日)最盛期だった。
  ★榛名のパラグライダーパークもあるそうだ。 
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10)堂尾根砦 (山崎一氏の説)  南は八幡霊園
  ★東山道を見下ろす絶好の場所である。

11)上里見城   榛名町上里見 上神・・・丸山公園
★前掲・・・里見一族コーナーを参照
  ■訪問記①②・・・土塁がそのままの形で残っている。
             里見氏の北の守りの城である。
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12)里見城・・・榛名町下里見城
★前掲・・・里見一族コーナーを参照。
  ●新田氏の一族の末裔里見氏が築城
  ■訪問記・・・3回。遠望は多数。           
  ①2006年秋・・・草津街道の旧榛名町の稲荷神社山門から上がり、
             裏山に出る。土塁がしっかり残っている。  
  ②2007年春・・・陶芸の通り道で寄り道した。  
  ③2008年4月・少し下刈りがしてあった。山崎氏の縄張り図で確認した。
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13)里見館=光明寺 中里見堀之内 *新田一族の里見氏の居館?
★前掲・・・里見一族コーナー&南総里見八犬伝を参照。 
   100m×100mの方形
  ●榛名町誌「里見義俊ではなく、里見義時の築城か?」
  ●弘治3年(1557)に長野業政の支配下に入ったことが長純寺に記載。
 ■訪問記・・・2回
   住職の話「門と智泉院のあった辺りが館で大水で流された。」
 ※光明寺で子孫の会が開かれる。
  
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14)小五郎砦    ※5回探したが、確定的ではない。
   新田義貞伝説・・幼名は「小五郎」であり、榛名で育った?
             と榛名町の方は信じている方が多い。
  ★高崎市の旧榛名町で、新田義貞の伝説を否定してはいけないのだ。
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15)神山陣屋・・ 榛名町上里見 神山陣屋 
 ■訪問記・・・上里見城=丸山公園の南東200mの所にある。
          近世陣屋で、回りは武家屋敷である。 

16)雨堤の砦 榛名町上室田 雨堤・・・烽火台的な砦。・・・※未登城
   長壁氏の築城か?

17)原城 榛名町上室田 原   ※未登城
    斉藤氏(斉藤道三の末裔?)の築城か?(山崎一氏説)
    →★無理がある説だと思われる。

18)湯殿山の砦 榛名町上室田 湯殿山(初腰山372m)
 ■訪問記・・湯殿山トンネル上だった。登山中止。
  ・岩櫃城城主斉藤憲行が築城・・(唐沢定市説)
   安中秋間出身の岩櫃城:斉藤氏が里見一族に備えるために造った城
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19)大久保砦   榛名町上室田 ※大久保には行っているが未確認。

20)戸榛名砦(とばんな砦)=神戸城=神戸砦(ごうどとりで)
   榛名町神戸の新幹線の出口の上。
  ■訪問記・・・①2007年秋に、戸榛名神社の祭りを見学後、
   神社で区長(元群馬県観光課長)さんに「神戸砦」の所在を聞いた。
   「西200mの梅林にあった。」と説明。
   新幹線のトンネル出口の真上が戸榛名から、雉郷砦を望んだ。
   確かに雉郷砦や里見城が丸見えだった。  
  ●高崎市立民俗資料館の企画展で
 「長野氏の戸榛名神社の安堵状=桜井氏蔵が初公開」
  榛名梅林から、戸榛名砦を眺めた。新幹線の出口の真上である。 
   ①「戸榛名(どばんな)神社説・・・・・・・・・・・(山崎一氏や榛名町誌)
   ②「戸榛名神社の北西200mの梅林説・・(地元民:観光課長の説) 
★トンネル上の杉林の戸榛名神社か、左の丘か不明である。
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21)高浜の砦(=坂上城) 榛名町高浜 坂上 何万回位通過?
  ■訪問記・・・砦なんて気づいたのつい最近?5年前?
  ★もう、何万回も通っているのに。
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22)遠北の陣城 榛名町高浜遠北陣城跡   旧群馬郡教育会館・・・
   武田の一時的な陣城(山崎一氏説)
  ■訪問記・・・高浜砦から箕郷方面へ500m。現在でも大熊さんの宅がある。 

23)白岩の砦   板東16番長谷寺の川を挟んで反対の大きな石垣の家
  ・永禄6年(1563) 蓑輪城を落とせなかった武田信玄は、腹いせに白岩砦と
    長谷寺を燃やした(漫画みさとの歴史)
  ■訪問記・・多数。見ながら通るだけ。
土地所有者が大きな高さ30m規模の石垣を造った。
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○長谷寺=板東16番札所

○榛名神社(国重文)1300年前の延喜式に記載「満行宮榛名寺」→神仏混交

24)滝の平城   榛名町榛名山 滝の平 城山
  ■訪問記・・榛名神社の随神門をくぐり、橋を渡る。
   100m程で左に入る山道がある。小さな秋葉社の上が滝の平城である。
 ※榛名湖へ向かう途中の道からの写真
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25)芦田小屋  榛名神社随神門前から天狗山方面へ200m
  ・永禄9年(1966) 武田勝頼一部隊の芦田(★私見:依田)が築城。
    善地唐松方面の一時的な陣屋である。
 ■訪問記・・榛名天狗山ハイキングの帰りに寄った。遺構は不明。

26)御成城=三角の城=久留間の砦 現榛名町本郷の景忠寺
 ■訪問記・・本気で探したが、結構曖昧になってしまった。

27)七曲の砦   現榛名町本郷七曲城  箕輪城の支城。
 ■訪問記・・・叔父の妻は土岐一族である。
  (明智光秀→沼田城主の土岐氏→分家系・・・?)
  ★土岐医院の前を通ると叔母の顔が浮かんだ。だから、何?
  ★「なるほど烏川に比高8mの崖の上の城か?」東の堀は発見できず。
  ★武田信玄時代の支配下の豊岡の吉田伊豆守は内藤豊後守に反抗した。
    子孫が近くにいらっしゃるようだ。
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28)宮沢の砦  榛名町宮沢下宮沢内出 (長光寺西の清水宅) 
 ■訪問記・・・宮沢の長光寺も含め、西の渋川安中線の途中の傾斜を利用。
         今は竹藪や杉林である。
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29)三ッ子沢の砦  榛名町三ッ子沢 現諏訪神社境内=木暮氏宅裏の神社
 ■訪問記・・・2回目でやっと分かった。砦の形跡は見つからなかった。
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★参考文献・・・榛名町誌・箕郷町誌・群馬の古城塁記の研究(山崎一著)等

★近日中に、旧倉渕村の権田城・栗崎城・小栗上野介を掲載予定。

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