箕輪初心●群馬「松山城」=鷹留城支城→北条氏の真田攻撃の拠点 

箕輪初心●群馬「松山城」(榛名町)
高崎市の旧榛名町には、城や砦が29ある。メジャーな城は箕輪城大支城
:鷹留城である。今回は鷹留城の支城「松山城」を紹介しようと思う。松山城は鷹留城支城であったと
考えられる。1582年に箕輪城が北条氏邦の支配を受けると、武蔵の松山城
(東松山市吉見の百穴隣)主:上田氏に、北条氏の真田攻撃の拠点として、松山城の築城を命じた。

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1)鷹留城=箕輪城の大支城
   (草津街道の旧榛名町の宮沢・駒寄の北の新道ぞい・・)
 ■訪問記
  ①2006年11/4(日) 
  フルーツラインの延長にある。車は停めづらいが、人が来ない。
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②2007年3月   根小屋から見学・・・・大手口
  ②2010年6月26日 堀切がでかい。
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  ・1492年?長野業尚が築城開始。
   (鷹留城は箕輪城より古い説が通説・・
   ★箕輪初心「あり得ない。長野氏のいた浜川からいきなり榛名奥では変。)
    70年の群馬の長野氏3代のの居城・出城。
  ・1566年に武田氏に迫られ、滅亡。・・・廃城。
   {鷹留城の歴史・・・榛名町教育委員会の立て札より}


2)松山城 榛名町下室田 現金比羅神社
■訪問記・・2009年秋。長年寺から北西に車で行くと、室田の内出=
 高崎市立下室田小学校に出る。さらに、200m。川の手前を右折する。
 100m程の所をさらに右折する。山の麓の琴平神社が松山城である。
  ★1582年 北条氏康の岩櫃城攻めの時、武蔵松山城の上田氏が故郷を
   思って築城。しかし、元々は★鷹留城の支城である。・・鷹留城の山系
   から、考え、当然である。
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  琴平神社の下の道に車を停め、階段を登る。
  看板がある。
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  曲輪に出る。
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  さらに階段を登る。
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  腰曲輪がある。
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  さらに階段を登ると、二の丸に出る。
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   二の丸の土塁があった。
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  いよいよ、本丸である。
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★もっと詳しいことが知りたい方は、「富岡武蔵」氏のブログを参照されたし。



3)武右衛門屋敷  (榛名町誌のみ記載)
  *鷹留城への水の供給のための水路に沿って道があった?(不明)


4)室田の内出 (榛名町誌のみ記載)現榛名第一小学校=下室田小学校
■訪問記・・長野氏の菩提寺:長年寺近くだが、遺構は不明。
★「内出」という地名から考え、長野氏の時代である。


5)立足城(榛名町誌のみ記載)  現新生会診療所・簡易水道施設

6)駒寄の砦 榛名町下室田駒寄内出    現諏訪神社境内と横の家
■訪問記・・鷹留城の守り砦。


7)雉郷城=八重巻の砦  榛名町上里見の梨園の上の桜公園
  ■訪問記①・・・2006年秋・
  上里見の梨園を安中秋間方面に向かう。山頂近くの「浅間神社入り口」の
  看板を右折する。農業道路を3~4分で桜山公園に着く。
  車は10台位停められる。
  ★南の安中秋間の下秋間カントリークラブ入り口から望むこともできる。

8)御嶽山の砦(榛名町誌のみ記載)
    *雉郷城の北西1kmの所。榛名梅林の山頂。

9)猪土手=獅子土手(榛名町誌のみ記載)
  雉郷砦~浅間山~天神山 =雉郷砦の東南の山伝いの土手
 「長野時代の連絡通路か?」 (榛名町誌)

10)堂尾根砦 (山崎一氏の説)・・・南隣は八幡霊園
  東山道を見下ろす絶好の場所である。

11)上里見城 榛名町上里見 上神・・・丸山公園
■訪問記①②・・・土塁がそのままの形で残っている。里見氏の北の守りの城である。

12)里見城・・・榛名町下里見城
  ●新田氏の一族の末裔里見氏が築城
 ■訪問記・・・草津街道の旧榛名町の稲荷神社山門から上がり、裏山に出る。
  土塁がしっかり残っている。
 ①2006年秋  ②2007年春  ③2008年4月

13)里見館=光明寺 中里見堀之内 *新田一族の里見氏の居館?
   100m×100mの方形
  ●榛名町誌「里見義俊ではなく、里見義時の築城か?」
  ●弘治3年(1557)に長野業政の支配下に入ったことが長純寺に記載。
■訪問記・・・住職の話ですと、この門と智泉院のあった辺りが館で
        大水で流されたそうである。

14)小五郎砦   
 ■感想・・・新田義貞伝説「幼名は「小五郎」であり、榛名で育った?」
    と榛名町の方は信じている方が多い。絶対に榛名で、
    新田義貞の伝説を否定しないように。でも、新田の○○館かも?
   +光明寺で子孫の会が開かれる。+千葉県の館山城も楽しい。

15)神山陣屋・・近世陣屋 榛名町上里見 神山陣屋 
 ■訪問記・・・上里見城=円山公園の南東200mの所にある。
   回りは武家屋敷であった。 

16)雨堤の砦 榛名町上室田 雨堤・・・烽火台的な砦。長壁氏の築城か?

17)原城 榛名町上室田 原・・・
    斉藤氏(斉藤道三の末裔?)の築城か?(山崎一氏説)
★無理がある説だと思われる。

18)湯殿山の砦 榛名町上室田 湯殿山(初腰山372m)・・
  ■訪問記・・湯殿山トンネル上だった。登山中止。
 ・岩櫃城城主斉藤憲行・・(唐沢先生曰く「岩櫃城:斉藤は安中秋間出身」が
  里見に備えるために造った城 )

19)大久保砦   榛名町上室田

20)戸榛名の砦=神戸城(とばんな砦)=神戸城(ごうどとりで)
  榛名町神戸の
  山崎一氏や榛名町誌では。「戸榛名(どばんな)神社そのものであるが、・・・。」 
  ■訪問記・・・①2007年秋に、戸榛名神社の祭りを見学後、
    神社で区長(元群馬県観光課長)さんに「神戸砦」の所在を聞いた。
    「西200mの梅林にあった。」と説明。雉郷砦や里見城が丸見えだった。
    ★私見「2つの説に両方とも合理性を感じて、私には結論は出せなかった。
    新幹線の出口の真上が戸榛名・・・雉郷砦を望んだ。

21)高浜の砦(=坂上城) 榛名町高浜 坂上 何万回位通過?
  ■訪問記・・・砦なんて気づいたのつい最近?5年前?何万回も通っている。
 
22)遠北の陣城 榛名町高浜遠北陣城跡=旧群馬郡教育会館・・・
   武田の一時的な陣城(山崎一氏説)
  ■訪問記・・・高浜砦から箕郷方面へ500m。現在でも大熊さんの宅がある。 

23)白岩の砦=板東16番長谷寺の川を挟んで反対の大きな石垣の家
  ・永禄6年(1563) 蓑輪城を落とせなかった武田信玄は、腹いせに白岩砦と
    長谷寺を燃やした(漫画みさとの歴史)
■訪問記・・多数

○榛名神社(国重文)1300年前の延喜式に記載「満行宮榛名寺」→神仏混交
24)滝の平城   榛名町榛名山 滝の平 城山
  ■訪問記・・榛名神社の随神門をくぐり、橋を渡る。100m程で左に入る
   山道がある。小さな社の上が滝の平城である。
  
25)芦田小屋  榛名神社随神門前から天狗山方面へ200m
  ・永禄9年(1966) 武田勝頼一部隊の芦田(★私見:依田)が築城。
    善地唐松方面の一時的な陣屋である。
■訪問記・・榛名天狗山ハイキングの帰りに寄った。遺構は不明。

26)御成城=三角の城=久留間の砦 現榛名町本郷の景忠寺
■訪問記・・

27)七曲の砦   現榛名町本郷七曲城
 ■訪問記・「なるほど烏川に比高8mの崖の上の城か?」東の堀は発見できず。
・箕輪城の支城

28)宮沢の砦  榛名町宮沢下宮沢内出 (長光寺西の清水宅)
 ■訪問記・・・長年寺も含め、西の渋川安中線の途中の傾斜を利用。今は竹藪。

29)三ッ子沢の砦  榛名町三ッ子沢 現諏訪神社境内=木暮氏宅裏の神社
 ■訪問記・・・2回目でやっと分かった。形跡は見つからなかった。


 
 (榛名町誌・群馬の古城塁記等・縄張り図は山崎一氏作成のコピー使用)

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