箕輪初心●箕輪城シリーズ61「松下源太郎=稲荷郭&龍門寺」

箕輪初心●箕輪城シリーズ61「箕輪城稲荷郭&松下源太郎」
平成23年(2011)2月12日
★以前「木俣守勝&松下源太郎」というテーマで井伊直政の家臣について述べた。
今回は、雪の箕輪城と龍門寺に行ってきたので、松下源太郎に絞ってみよう。

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●箕輪城の稲荷郭・・・・大塚實氏(元高崎市文化財調査員)
①箕輪城主2代目:長野憲業(業政父)の時代
 城の鬼門の方角に京都伏見稲荷大社(末社80000)から勧請安置し、
 守護神とした。稲荷郭の一部の稲荷山に稲荷神社を建立した。
★箕輪初心私見「長野氏の時代に稲荷郭があったか疑わしい。」
秋本先生の発掘調査では、長野業政の時代の遺構が不明?
長野氏時代の城構造上、丸馬出はないであろう。
玉置山~稲荷神社の山は繋がっていたのではないだろうか?

 ②箕輪城主3代目:長野業政の時代?
 武田信玄との戦いのため、金古の桃山稲荷神社に移転
金古桃山稲荷神社(旧群馬町金古諏訪神社)
 →分社、金古の稲荷神社(金古小西)、富岡額部・前橋青柳など
★諏訪神社の合併・・・したというが、
武田信玄との戦いなら、長野業政の時代であろう。
諏訪神社の時代なら、武田信玄の時代であろう。

 ③井伊直政の時代
江戸時代の広島藩の浅井家の古地図に、稲荷郭(松下)と表記。
   井伊直政の養父:松下源太郎がいた。松下郭とも呼ばれている。

   ※本丸の北(右上)
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  ※松下源太郎清景は上野の箕輪城の家老として稲荷郭に在住。
※松下源太郎は上野の箕輪:龍門寺に親子3代の墓がある。

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四本柱の唐破風作りの向唐門の山門。
表の桁にタチバナ、裏に井桁の紋がある。
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寛政8年(1796) 井伊家の命により、柏木沢の青山貞宴が再建。
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  左は井伊家家老:松下源太郎3代の墓?&右は勘定奉行:安藤某の墓
  ★安藤家は長野業政時代の有力家臣で、軍記物にも登場している。
    井伊直政の開基の寺ということになると、井伊家の家臣になった
    ことが伺える。子孫は、比叡山の第??代の大僧都になっている。

●松下源太郎清景の歴史
・永禄3年(1560)今川義元は、駿河・遠江・三河を領国化。
        尾張に向けて出陣。先鋒は井伊直盛。
   5月19日 桶狭間の戦い。井伊直盛も今川義元の警固の任。
        突然の織田信長の兵に今川義元と井伊直盛は討ち死に。
        →今川軍は敗退。
   ※松下源太郎・松下嘉兵衛は逃亡。    
    井伊家・・・井伊直盛→養子の直満の子直親が継承。
    今川家・・・今川義元→井伊氏真が継承。
   →三河の松平元康は今川氏と絶交して織田信長と締結。
     井伊氏の重臣:小野但馬守が今川氏真に
    「井伊直親は松平元康と結んで謀反を起こそうとしている。」
     と讒言した。今川氏真は井伊直親を駿府に呼びつけた。
     井伊直親が、掛川城下で朝比奈泰朝が井伊直親らを殺害。
    井伊直親→嫡男の虎松(=直政)は2歳の
    今川氏真は井伊万千代(松平竹千代=家康の命名)も殺害計画。
    井伊直親の縁戚:新野左馬助が井伊万千代を養育。
・永禄7年(1564) 引馬城攻め 新野左馬助が戦死。
    井伊万千代は龍潭寺→三河の鳳来寺に移動。
  ※万千代の母は今川家家臣:松下源太郎と再婚。万千代は養子。     
    井伊家・・虎松→井伊直盛の娘:次郎法師(虎松の叔母)が継承。
    次郎法師は、直虎を名乗り女性国人領主として活躍。
・天正18年(1590) 井伊直政が豊臣秀吉の命令で箕輪城城主に就任。
※松下源太郎は箕輪城の稲荷郭に居住。
    ★おそらく、箕輪城で死亡。
→松下源太郎は井伊直政の鬼門の寺:箕輪:龍門寺に埋葬。
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・慶長?年(1598) 箕輪城→和田城跡に高崎城築城。 
   龍門寺の和尚:白庵は「松ヶ崎は枯れるので、高崎がよい。」と箴言。
★松下源太郎の子孫は箕輪城の破城に関わったのではないか?
・慶長?年(1602?) 高崎城→佐和山城→彦根城
  ※松下の子孫は、代々家老職・・・
・元禄4年(1691)・・・■井伊氏の家臣団
筆頭家老・木俣家10000石。※徳川譜代。強制的に井伊直政の家臣に配属
次席家老・庵原家5000石 ※北条氏照家臣:狩野一庵の子主膳(氏照落胤)
3席家老・長野家4000石  ※箕輪城の長野業政業盛の子孫。養子業親子孫。
他の家老・・・河手家4000石 ※井伊直政姉:春光院の嫁ぎ先の家系。
     西郷家3500石 ※徳川家康臣:西郷元正の子。西郷局の従兄弟。
     中野家3500石 ※井伊直氏の弟:中野直房を祖とする家系。
     小野田家3000石 ※
     横地家2600石 ※
     三浦家2500石 ※
     宇津木家2500石 ※上野の玉村の領主。→北条家→井伊家へ
     貫名家2300石 ※井伊良直の弟:貫名政直を祖とする家系。
     新野家2000石 ※井伊直政を助けた譜代重臣の家系。
     脇家2000石   ※
     岡本家1950石 ※上野の富岡の領主。先祖小幡重貞の家老職。
      長野家と親戚の家系。
  松下家????石 ※井伊直政の養父・継父松下源三郎清景の家系。

②松下源三郎=松下嘉兵衛之綱=松下常慶
※今川家の家臣:松下長則の3男=松下源太郎清景の弟。
 頭陀寺城主:松下嘉兵衛之綱の所に木下藤吉郎が3年配下。
 桶狭間の戦い・・・宮口方面に逃亡。
 豊臣秀吉・・・・・久野城主16000石の大名。
 徳川家家康の旗下・・・松下源三郎常慶や常慶の子孫はとして出仕。

③松下弦八郎 
※松下嘉兵衛之綱の庶子=柳生宗矩の妻の異母弟。
  新当流→義兄:柳生宗矩から新陰流を習得。

この記事へのコメント

ゆうちゃん
2011年04月26日 00:19
私は高崎市金古町在住の者です。
この記事に掲載されていた桃山稲荷神社に少し関係しているものですから、コメントしました。
私も余り詳しくありませんが、この集落の伝承によれば箕輪城落城の折家臣が御神体を移し、現在の金古南小脇の如来古墳上に祀ったとされ、以後その末裔の柳原氏によって祭祀が行われていたそうです。その後明治の神社合併により金古小北の諏訪神社へ合祀されましたが、大正6年か7年に社家羽鳥氏の宅地内に独立遷座され、今日に至っています。
富岡や青柳に分社があるのは、大正から終戦後に掛けて養蚕の信仰を集めた経緯があるからです。
例大祭は5月3日で、境内に由来書のある他、宮司さんも箕輪城との関係をご存知かと思います。
学識も乏しい為恥ずかしながらも、地元の歴史を考察戴いた事が嬉しく思い、コメントさせて戴きました。
箕輪初心から「ゆうちゃん」へ
2011年04月26日 19:55
詳しいコメント、ありがとうございます。
①桃山稲荷神社・・場所が違っていますね。
 →ごめんなさい。違っていたかもしれません。
出典は、近藤義雄先生、大塚實氏の論文です。
②私見では、諏訪神社建立の意義=武田信玄が住民とのコンタクトをとるために建て、神楽や舞を教え・一体化することで、安寧を計ったと考えられます。
③旧群馬町の「喜の蔵」東の引間城から、古金古の金古城
まで、山崎先生の資料にも砦がありません。
ゆうちゃんのおっしゃる「如来古墳」付近は、砦の可能性が
あります。古墳の上に烽火台を造った可能性が高いのです。
例①、保渡田古墳群の二子山古墳は、花城寺城の見張り台
例②、保渡田城の天王塚古墳は、武田氏の内藤時代の見張り台だった。
④養蚕のための蚕影神社についての確かに、大正時代からですが、富岡・青柳の分社という考えは、江戸時代末期からの養蚕業、明治時代の富岡製糸の設定理由から考えると、「分社」という表現は、結構、無理があるかもしれません。
★私の勝手な考えもあり、このようなコメントになりました。私も歴史は素人ですので、本当のことは分かりません。
★土日に、時々箕輪城ボランティアでいることがあるので、
じっくり、話したいですね。私がいないときは、箕輪城語り部の会会長「岡田」に聞いて下さい。★凄い人ですよ。
毎日、二の丸掃除もしてますよ。危険区域の観察もしてますよ。語り部の会にはたくさんいます。
※ゆうちゃん、ありがとう。

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