箕輪初心●箕輪城シリーズ55「長野一族の歴史」

箕輪初心●箕輪城シリーズ55「長野一族の歴史」
★在原業平→・・・石上+物部の融合・・・→長野氏・・・武田信玄に抹殺・・
→井伊直政の家臣団へ:井伊家№3に格上げ・・・→現在。
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◆長野氏系図は14種類
①「箕輪城及び鷹留城子孫記」・・・天保9年8月9日{群馬県議会図書室所蔵文書」
    業政・・・・・・・・・・・→業鷹(沼田腹の子・・・たぶん沼田顕定の娘)
               →女子12人
               →氏業右京進業盛(保渡田腹の子)・・・後、鎮良。極楽院の長野。
               →忠業・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・後、道場(浜川町道場)の長野
    三河守業氏・・・・・→長男:業通・・・・・→長男:業広(春日山高田在)
                           →次男:彦根の長純寺の僧・・・・・・(井伊家の中老・家老長野?)
                           →三男:上州岡本(たぶん富岡市神農原)の西法寺住職。
               →女三人
               →次男:大森の別当
               →三男:忠業・・・・(信州に在住後、○○城で死亡)・・・・→正業(下仁田の長野氏)
②「長野氏系図」・・・極楽院長野正夫氏(父は高等科で2年教わる)所蔵文書{箕郷町誌}」
  乙業・・→尚業(鷹留城・長年寺)・・→憲業
                      ・・→信業・・・・・・→亀寿(早世)
                               ・・→業氏(三河・伊予守)・・→業通・・・・・・→業康
                                                         →吉蔵
                                                         →吉三郎
                                                →業固
                                                →大森
                                                →女子2人                                            ・・・→業政・・・・・・・・・・→吉業(沼田腹、16歳で卒)
                                            →女10人
                                             →業盛(保渡田腹)・・→亀寿丸:(鎮良)
                                             →女2人
 
                      ・・→直業・・・・・・・・・・→勝業(方業の養子)
                                    →新七郎
                                    →新八郎
                    ・・・・→女子   
                    ・・・・→方業
     ・・・・・→業吉(高浜に居住)・・→氏業
                       →女子  
     ・・・・・女2人

③「長野氏系図」・・・長野弾正氏所蔵文書{箕郷町誌}」
第?代平城天皇→阿保親王→在原業平→在原業重(上野国司)…業康(石上姓→長野上野守)・・・業忠・・業廣・・・為業・・・経業・・・義業・・・豊業・・・治業・・・業定・・・業久・・・安業・・・友業・・・業時・・・業頼・・・盛業・・・貞業・・・運業・・・繁業・・・景業・・・業正・・・業之・・・業明・・・業頼・・・乙業・・・隆業・・・業次・・・業末・・・業経・・・業尚・
        (長野氏興廃史斎藤平治郎著)
*物部氏…石上… (不明?) の子孫  
 →①長野業尚→②憲業→業氏(鷹留城)→業通
      ↓       ↓              女子5人
     →方業(厩橋城)↓              勝業
               ↓              業固
               ↓    
              →③業政→吉業
                     ④業盛(=氏業)・・・→業国 亀寿丸「長野氏興廃史」:鎮良「箕輪城考」
                      女子12人 
                              ①小幡城主内上
                              ②国峯城主内上
                              ③武州忍城主内上
                              ④木部殿内上 
                              ⑤大戸城主内上
                              ⑥和田城{高碕城}主内上
                              ⑦倉賀野城主内上
                              ⑧羽尾城主内上
                              ⑨浜川殿内上(浜川砦:浜川六郎か?)
                              ⑩厩橋城主内上
                              ⑪鷹ノ巣城(板鼻)主内上
                              ⑫室田城(忠業)主内上

④「長野氏系図」・・・長年寺所蔵文書{新編高崎市史1964資料編4}」
 →①長野業尚→②憲業→業氏(鷹留城)→業通
      ↓       ↓           女子3人
      ↓       ↓           大森別当
      ↓       ↓           業固
     →方業(厩橋城)↓           勝業(箕輪城討死に)
               ↓              業固
               ↓    
              →③業政→吉業
                     ⑤業盛(=氏業)→業国 亀寿丸
       「長野氏興廃史」:鎮良「箕輪城考」
                      女子12人 
⑤「長野氏系図」・・・長野稔氏所蔵文書{新編高崎市史1994資料編4}
⑥「長野氏系図」・・・
⑦~⑭
⑮「羽田氏系図」・・・長野業政妹が先祖{元総理大臣羽田孜氏の系図?」


■井伊氏の家臣団
 井伊直政の領地・家臣を与えられて家臣団が成立.
①井伊谷での譜代家臣+家康命令の家臣
 ②武田氏滅亡後の武田遺臣・・・山県120人など
 ③駿河の今川氏、相模の後北条氏など旧戦国大名家の遺臣
 ④上野箕輪城・高崎城領主時代の上野の出身家臣
  ★箕輪初心私見「特に長野一族の重臣に抜擢し、長野時代
  (長野家→武田家→北条家)の家臣になった一族を
手名付けたかったのであろう。
★箕輪初心「金をばらまいて、上野農民など5000人の軍隊を作り出した
      らしい。松井田の奥まで。兵隊が欲しかったのであろう。」
12万石・・・箕輪5000石+新高崎+新安中
⑤近江も多い.。

※「井伊年譜」・・・家臣団は「~衆」といった組により編成。
筆頭家老・・・木俣家10000石。※徳川譜代。強制的に井伊直政の家臣に配属
次席家老・・・庵原家5000石 ※北条氏照家臣:狩野一庵の子主膳(氏照落胤)
3席家老・・・長野家4000石  ※箕輪城の長野業政業盛の子孫。養子業親子孫。
家老・・・・・河手家4000石 ※井伊直政姉:春光院の嫁ぎ先の家系。
       西郷家3500石 ※徳川家康臣:西郷元正の子。西郷局の従兄弟。
       中野家3500石 ※井伊直氏の弟:中野直房を祖とする家系。
       小野田家3000石 ※
       横地家2600石 ※
       三浦家2500石 ※
       宇津木家2500石 ※上野の玉村の領主?。北条氏→井伊家へ
       貫名家2300石 ※井伊良直の弟:貫名政直を祖とする家系。
       新野家2000石 ※井伊直政を助けた譜代重臣の家系。
       脇家2000石  ※
       岡本家1950石 ※上野の富岡の領主?長野家と親戚の家系。
       松下家????石 ※井伊直政の養父・継父松下清景の家系。

■箕輪落城後の長野一族 
※参考文献・・・井伊直政・40年の歩み
  ●長野業政→
     長男:長野吉業(菅谷城)河越夜戦がもとで死去。
     次男:長野業盛=氏業(箕輪城)永禄9年(1566)自刃。
3男・長野業忠(浜川館)浜川長野氏の祖。
◎長野業忠=長野業親→◎長野業実:彦根長野氏の祖?
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1)長野業政→長野氏業(=業盛)→亀寿丸(=鎮良)の子孫
  永禄9年(1566)9月29日、武田信玄の攻撃で、箕輪城の落城時に長野業盛
  は、自刃。家臣の藤井忠安(筆頭家老の友忠の子)・青柳金王・阿保清勝らに
  伴われ、極楽院(高崎市箕郷町和田山)に脱出。その後、出家して極楽院鎮良
  と名乗った。阿保清勝の姪を妻として5子があった(伝)。
  ※極楽院鎮良は武田氏や徳川家から安堵状・印状を授与されている。
  ※別の長野系図では、氏業の子:業忠がある。浜川の善長院を建立(伝)
 
2)長野業政→嫡子:長野出羽守業親→長野十郎左衛門業実の子孫
※長野業政→長野出羽守業親(=浜川遊喜斎)
 ※天正14年(1586)北条氏邦の沼田城(真田昌幸&矢沢頼綱)攻撃
   浜川遊喜斎が北条軍として、攻撃に参加(山崎一:長野氏興亡史)
 ①井伊家3席家老:長野一族・・長野十郎左衛門業実の系図
3席家老の長野民部は長野一族である。
   業正(業政)の子:業親の子が伝蔵(業実、業真)である。
  ※長野業実(向坂伝蔵)は、武田氏の滅亡後、生母が井伊直政と知りあい
  だったことから、徳川家康の近習として仕えた後、井伊直政に仕えて
  4000石を賜ったとされる。 (彦根藩「侍中由緒帳」)
 長野業実→業輝→業利→業則→増業→業庸→業房→好業→業義→業壽→業賢
   (『彦根藩井伊家文書』(彦根城博物館所蔵)の「侍中由緒帳」)
  
 ②長野出羽守業親が長野氏の系図16種に出てこないため、業正(業政)
   の庶子か養子、または近親者とする。(『新編高崎市史 通史編2』)
ちなみに、出羽守は、3名が名乗っている。
 A,厩橋城主:長野方業(業政叔父)
B,厩橋城主:長野勝業(方業養子)
C,菅谷城主:長野吉業(業政長男)河越夜戦がもとで死去。
③長野業忠=長野業親→◎長野業実:彦根長野氏の祖?                     (高崎市文化協会:西原巌氏)

3)鷹留長野氏・・長野業氏(長野業政兄)鷹留長野氏の祖。 
 ①長野業氏(長野業政兄)→長野業通(長野業政の娘婿)→次男:業茂
  業通の次男:業茂は、箕輪城落城後に仏門に入った。
  「珠山玄宝」と名乗って、和田山長純寺の住職になった。
  井伊直政・直勝・直孝に従い、彦根に移住し、彦根長純寺を開いた(伝)
★箕輪初心「2009年5月、現在は、寺の敷地のみで、寺院はない。
 長野氏の墓を捜したが見つからなかった。
   彦根枡形大手門から出て、東へ200m。T字路を右折。50m左折。
   100m進むと、長純寺跡になる。」

  ★長野氏屋敷は現在の「彦根東高校」

 ②長野業氏の次男:業亮は、長野氏が健在の頃から和田山大雲寺にあり、
  大森別当・曇廊などという。落城後に住職となり、井伊氏の移動に従って
  彦根大雲寺を開いた。(大雲寺記録)。
⑤長野民部は「珠山玄宝=長野業茂」の出家前にもうけた次男:業源の
   ことだとされている。
(天保9年(1838)徳川家が長野業正の子孫を探した時、長野氏関係の寺院
    が連署で幕府に提出した報告書)
 ④長野業氏→長野業通→業亮(=曇廊和尚)→業亮の子:成誉典応
   彦根宗安寺の開山   (天保9年(1838)「大雲寺寺歴書」)
 ⑤長野業氏→長野業通→長野業亮(=珠山玄宝)の子:業連(「宗安寺記」)
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