箕輪初心●箕輪城シリーズ47鷹留城②歴史&長年寺・榛名神社

箕輪初心●箕輪城シリーズ47鷹留城②歴史
鷹留城=箕輪城の大支城(群馬県高崎市下室田城山)
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■鷹留城の歴史
・明応年間(1492~)長野尚業(業尚)が築城開始。(本城は箕輪城)
         70年の群馬の長野氏3代のの居城・出城。
・永正9年(1512) 箕輪城築城後は、箕輪城の有力支城になった。
 ※長野尚業が築き、その子憲業が箕輪城を築き本拠を移した
(長純寺記では、箕輪城より鷹留城が先に築城。)
 ★箕輪初心私見「箕輪城築城説は5説ある。(勝手に決めつけている。)
   1477年・・・・・・・・・箕輪初心説
   1480~90・・・・・・秋本太郎説(箕輪城発掘調査→整備計画担当)
   1497年以前説・・・??
   1497年説+1500年頃・近藤義雄説
   1512年・・・・・・・・福島武雄説  
  ※箕輪初心の築城説を参照

・弘治3年(1557) 武田晴信(信玄)による西上州侵攻が開始。
   ※箕輪城主:長野業政は鷹留城など支城網を駆使して、撃退。

・永禄4年(1561)長野業政が死去。→長野氏業(=業盛)が嗣いだ。
   武田信玄は国峰城:長野業政2女の娘婿小幡図書介を攻略。
   →①長野業政長女の娘婿小幡重貞(図書介従兄弟)が城主      

・永禄6年(1563)和田城主:和田業繁が志願して武田支配下へ。
         武田信玄は甘楽・多野地方を掌握。
   ※箕輪城の城兵は板鼻、若田ヶ原などで反撃。

・永禄7年(1564) 松井田城・安中城:落城。
   →②長野業政の叔父の娘婿:安中忠政・安中忠成が武田信玄の支配下。

・永禄8(1565) 倉賀野城:倉賀野八郎?が落城。
   →長野業政の娘婿:倉賀野八郎=金井小源太秀景が城主
   ※箕輪城は孤立・・・丸裸状態。 
金井小源太秀景が若田原の確保のため、剣崎小路城に入城。

・永禄9年(1566) 
 ○月・・・武田信玄の作戦命令
 9月・・・武田信玄は二万の大軍で侵攻・・・
  ○信州余地峠→南牧→下仁田→高田→安中八幡陣城
  ○伊勢崎の那波無理之助宗安が先発隊で秋間(飽間)の蔵人城:島崎蔵人や
     礼往寺城:赤見藤九郎などを攻撃し、攻略。(箕郷町誌)
安中忠政は秋間の八貝戸・内出・蔵人・礼応寺・・(上毛古戦記)
  ○那波無理之助宗安が200~250で雉子ヶ尾峠を夜間に越えた。
    高浜砦を急襲。奪取。
  ○武田方の飯富(おぶ)小宮山(こみやま)隊が里見城・雉郷城を陥落
    ※茗荷沢砦(=御嶽山砦)・雉郷城・里見城*里見河内宗義の支配    
  ○安中忠政・小宮山・飯富隊は烏川北岸の長野業通弟:業勝を攻撃。
   突破し、那波無理之助が高浜城に火をかけた。(上毛古戦記)
   鷹留城将の長野業通は弟:業勝・業固ら数百の手勢で迎撃。(箕郷町誌)
   武田軍の小幡信貞らの一隊を一時は烏川南岸に押し戻すなど善戦。
   しかし、業勝は討ち死。(上毛古戦記)
○那波無理之助は白岩まで進軍した。白岩観音堂(=長谷寺)で狼藉。
長谷寺の層が箕輪城に仏像・教典を持って逃亡。
  ○箕輪城から高浜城主:鷺坂(匂坂)長信・安藤九郎左衛門勝通・
    青柳金王丸らが高浜城奪還を目指して進軍。(上毛古戦記)
○安藤九郎左衛門勝通100と那波無理之助200が激突。
→安藤九郎左衛門勝通が戦死。
 「老の身は いずこの土に なるとても
   君がみのわに 心とどまる 」(上毛古戦記・上州治乱記巻之三)
○青柳金王丸・新波新左衛門ら200は白岩から高浜城・烏川の南岸まで
 那波勢を追い返した。
○翌日、飯富・小宮山隊は神戸から白岩を占領した。
  神戸城:桜沢伊賀守はいち早く、武田の支配下に。
→遠北の陣屋を設置し、箕輪城と鷹留城を分断。
○鷹留城の長野業通・業固は覚悟を決め、山県昌景隊に突入。
○武田方の応援の内藤昌豊・馬場信房隊に包囲された。
 加わった。
○長野方の利根木隊の救援で辛うじて、小幡重貞隊の囲みを突破し、
 鷹留城に戻ろうとした。
○しかし、このとき小幡重貞の鷹留城内の内応者、男蟹谷直光らによって
 鷹留城内に火が放たれ、鷹留城は落城した。(伝)
 武田信玄は馬場・山県隊と穴山・小山田隊などを出撃させていた。
 →箕輪城・鷹留城を分断。
  ○長野業通らはやむを得ず吾妻の長野原火打花に逃げ延びた。

  ○高浜砦(榛名町)・白岩砦を占領した。鷹留城は箕輪城と分断された。
  武田信玄は、本隊を東の若田原(高崎市)へ向け、進軍した。

■参考文献 
  ・榛名町誌・箕郷町誌(近藤義雄執筆)・近藤義雄先生の論文
  ・上毛古戦記(山崎一著)・関東古戦録(久保田順一訳)
  ・群馬の古城(山崎一著)
  ・Hp埋もれた古城・Hp富岡武蔵氏・HPタクジローなど

◆◆◆長年寺の長野7代の墓◆◆◆
長年寺は長野氏の菩提寺である。高崎市下室田町にある曹洞宗の寺院である。
※文亀元年(1501) 開祖は長野業政の祖父:長野業尚(なりひさ),
             開山は白井双林寺三世住職曇英(どんえい)禅師。(伝)
     長野氏歴代の墓がある。
 
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  ・長野業尚(法名:慶岩長善庵主)・・・・・・・・・・1503年没
  ・長野憲業(信業とも;法名:南方長宗庵主)・・1530年没
  ・長野業氏(法名:以山長伝居士)
  ・長野業政・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1561年没
  ・長野業固(法名:傑山長寅居士)
  ・長野業茂(法名:一渓長派居士)
  ・長野業続(法名:安山長康居士)


◆◆◆榛名神社(国重文)◆◆◆・・・2010年の霊感スポット  
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   武田信玄の矢立杉
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   つらら
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この記事へのコメント

富岡武蔵
2010年11月15日 00:22
久しぶりに訪ねましたが充実してきましたね。
写真は掲載する前に、ソフトのファイル(F)をみると中に右回転、左回転などのコマンドがあります。回転させて正しい方向にして貼付させたほうがいいでしょう。

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