箕輪初心●箕輪城シリーズ⑤「箕輪城2代:長野憲業(=信業)」

箕輪初心:箕輪城の2代目:長野憲業
★系図によっては、長野憲業=信業説&父子説がある。
●箕輪城築城・鷹留城築城は1480年代か?・・・・・・・(秋本氏)
・長享元年(1487)~長享の乱 山内上杉(平井城) VS 扇谷上杉(川越城)
※太田道灌が死亡。主人:扇谷上杉定正が波多野(神奈川県)で殺害した。
これにより、扇ガ谷上杉氏は没落し、山内上杉が勢力を持った。長野氏もいち早く
家臣団に加わった。この時代に、長野氏は城の築城+増築しなければならなかった。
長野氏は箕輪城鬼門に石上寺を創建した。

画像


→①長野業尚(尚業)→②信業=憲業→業氏(鷹留城)→業通
              ↓          ↓          女子5人
               →方業(厩橋城)↓          勝業
                           ↓          男子2人
                         →③業政→吉業
                                 ④業盛(=氏業:近藤説)→亀寿丸:鎮良
                               女子12人   

※延徳2年(1490)  長野業政が誕生。(1510年説もあり)
■延徳4年(1492) 長野業尚が榛名に長年寺を創建。
画像

画像

■明応6年(1497 ) 長野業尚か憲業は箕輪に長純寺を創建。(みさとの歴史)
画像

■文亀3年(1503) 長野業尚が死亡。(みさとの歴史)・・・・来迎寺(高崎市浜川町)
            ●長野憲業が家督を継承。
画像


■永正元年(1504) 上杉 VS 北条早雲  
         ・長野房兼が上杉に味方し、討ち死に(群馬県史近藤先生)
■永正3年(1506)~4年 古河公方内の相続争い
*文亀元年(1510)  長野業政が誕生?(1490年説あり?)
■永正9年(1512) 長野憲業が、長年寺に壁書を提出。(秋本先生)
■永正12年(1513) 上杉憲房(山内上杉家初代)が関東管領になる。
■永正10年(1513) 長野憲業が100疋を榛名神社に寄進。(秋本先生)
         大戸城の攻略を祈願(みさとの歴史)
         (*この年、海野棟綱の息子?真田幸隆誕生・・・・説が4つ。)

※大永元年(1521)  武田信玄が誕生。

■大永4年(1524) 長尾顕景(惣社城:現前橋の総社神社付近)が
         北条氏綱(2代目)に内通(秋本氏)(*氏綱が江戸城の奪取)
※大永5年(1525) 上杉憲房(山内上杉家2代)が関東管領になる。
         上杉朝興 VS 北条氏 (*長野業政の次男吉業が誕生?)

■大永27年(1527) 長野憲業は、弟の厩橋城主の左衛門大夫方業(方斎)とともに
         惣社長尾顕方が後北条方に通じたことを口実に、領土拡大を目論む。
        ①長野方業=方斎(厩橋城=前橋城)が惣社城長尾顕景を攻撃。
 箕輪城長野憲業+厩橋城長野宮内が、総社長尾氏が挟み撃ち。
        ②→惣社城長尾顕景+白井城長尾景誠が応戦。
        ③→越後の長尾為景(上杉謙信父)に援助要請。
        ④長野方業も長尾に仲裁請求。(群馬県史:近藤氏・峰岸氏)
       (唯一の長野氏関係の文書上の初・・・・秋本氏)
★仲裁には関東管領:上杉憲房か長年寺・長純寺和尚が立ったのでは?

@享禄元年(1528)白井長尾景誠が家臣に殺害。
           →長尾景誠には男子がないために、跡継ぎ争い。
         (※長尾景誠は長野業政の姉が景英に嫁いで生んだ子で業政の甥)
         長野憲業は白井長尾氏の家督相続に介入。
           →惣社長尾氏から長尾景房を迎え白井長尾氏を継がせた。
         白井城長尾景房は惣社城長尾氏とともに山内上杉氏に復帰。
        ★長野憲業が両長尾氏の復帰は関東管領:上杉憲房を動かしたのでは?
 ★長野憲業は両長尾家に恩を売る形で上に立ったのでは?
        ★長野一族は山内上杉氏家の最有力者に台頭したと思われる。     
     
■享禄3年(1530) 長野憲業が吾妻の戦いで戦死(みさとの歴史)
    *→長野業政40歳?が家督相続 
 (※長尾景虎=上杉謙信が誕生)         

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック