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zoom RSS 箕輪初心:生方▲彦根P『箕輪安国寺→高崎安国寺→彦根宗安寺』

<<   作成日時 : 2018/02/07 08:17   >>

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平成28年(2016)2月25日(金)〜27日(日)、滋賀県彦根市
に調査に出かけた。『箕輪安国寺庇護し、廃寺→高崎安国寺移転、
分寺→彦根宗安寺』となった。佐和山城の移築門と木村重成の
墓が有名である。慶長20年(1615)1大坂夏の陣で、井伊家の
家臣・安藤重勝に討たれ、木村重成の首は安藤氏・長野氏の
菩提寺:宗安寺に埋葬され首塚ができた。
画像





箕輪初心:生方▲真田丸127『豊臣秀頼の譜代の大物武将20』
http://53922401.at.webry.info/201610/article_23.html

箕輪初心:生方▲真田丸136第49話「前夜」&塙直之、後藤又兵衛、木村重成の最後!
http://53922401.at.webry.info/201612/article_15.html

*************************
◆1日目・・・2月25日(木)
05:45箕郷支所→06:30高崎駅07:01→08:00東京駅08:33
→10:45米原駅
米原駅11:00→11:05彦根駅 
                  
11:30レンタカー・・ホテル荷物預け
12:00昼食:伊吹蕎麦「つる亀庵」

13:00
【1】彦根市役所観光企画課「彦根城まつり」

【2】大雲寺 小川良紘住職

【3】清涼寺・・・滋賀県彦根市古沢町1100
1)山門
2)清涼寺の客殿
3)本殿:位牌堂★通常は見せていただけない。
4)清涼寺本殿
 寺宝…歴代藩主の画像や狩野元信らの名画が所蔵されている。
5)清涼寺境内
6)清涼寺座禅所
7)井伊家代々の墓所
 ★公的な立場で行ったので、特別に見せてていただいた。
@井伊直政の墓
  ※清涼寺は一般公開していない。
A旧藩主の無縫塔の墓石6基
 井伊家一族の墓石の数は58基。

@箕輪・・・清涼寺はないが、龍門寺
A高崎・・・清涼寺はないが、龍広寺
B彦根・・・石田三成重臣:嶋左近の館→清涼寺
 ★平成29年9月に清涼寺の和尚様も龍門寺の行事に見えていた。
●開基:井伊直孝
・慶長7年(1602) 井伊直政が佐和山で死去。
  井伊直孝は徳川秀忠の近習として仕えた。
・慶長13年(1608) 上野刈宿(狩宿:長野原町)5,000石を与えられた。
・慶長15年(1608) 上野白井藩1万石の大名となった。
・慶長18年(1613) 伏見城番役となった。
・慶長19年(1614) 井伊直継は彦根藩から安中藩に分地が決まった。
井伊直孝が彦根城主になった。
・寛永8年(1631) 彦根藩2代藩主井伊直孝が父:井伊直政の
 墓所として、建立した。
旧領:上野国から愚明正察(ぐみょうしょうさつ)禅師を招いて
開山した。


【4】佐和山城での井伊直政の居住区&大手口
1)愛宕山
 石田氏滅亡の後、井伊直政が佐和山城に入城した。
 井伊直政は佐和山城の南東部の愛宕山に居住

2)大手口・・・東山道が近くを通る


【5】鳥居本宿
中山道69次の内、滋賀県の中山道宿場は東海道と交わる草津宿まで
9宿がある。
★中山道には62次程、見物しているので、紹介予定。
彦根には2つの中山道宿場街「鳥居本宿」「高宮宿」がある。
多賀大社の鳥居があったことからその名がついた(伝)。
鳥居本宿は本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠35軒があった。
江戸時代の面影を物語ってくれる。

【6】天寧寺遠望
 井伊直弼腹臣:長野主膳の夫妻の墓
 長野義言(よしとき)
 説@…上野国箕輪城主だった長野氏の末裔説
    群馬県人の信じている人が多い。

 説A…伊勢の長野氏の子孫説(2009年の野田浩子氏の話) 
 
説B… 伊勢国飯高郡滝村(たきのむら)の住人である長野次郎祐
  の弟で先祖は上州長野氏とされる。しかし、これは戸籍だけのことで
  出自、経歴とも25歳になるまでの一切はわかっていない。
(★ウィキペディア)



17:00 サンルート彦根
18:30 夕食
20:30 宿泊


***********************
◆2日目・・・2月26日
06:00  参加者2名が佐和山城登山

【7】彦根龍潭寺
・慶長6年(1601)
1月 大坂にいた。
1月 井伊直政は佐和山城に入った。
 (★木俣土佐武功紀年自記:井伊達夫氏所蔵)
2月 井伊直政は佐和山城に入った。(★井伊年譜)

?月 彦根龍潭寺の創設が始まった。
龍潭寺五世昊天禅師を招いて遠江国から分寺し、建立した。
  昊天禅師が方丈南庭と書院東庭はの作庭した。
  枯山水と池泉式庭園となっている。


3月18日 相良長毎(ながつね)に
     「佐和山で養生する。」(★相良家文書)

◆井伊軍志〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
井伊直政・・・愛宕山米蔵付属曲輪
木俣守勝・・・二の丸
中野直之・・・三の丸
広瀬将房・・・二の丸・三の丸(後、美濃丸と呼ばれた。)
  広瀬将房は中野直之の3男で武田旧臣:広瀬美濃守景房の養子である。
犬塚正長・・・愛宕下屋敷
本丸&5重天守は消失していたので、入れなかった。
(★「当城下近辺絵図附札写」)

井伊直政は石田三成の威光を払拭するべく、新たに彦根城築城を計画
した。しかし、直政は築城に着手できないまま、死去した。
計画は嫡子:井伊直継が引き継ぐこととなった。
彦根城は大津城・佐和山城・小谷城・観音寺城などの築材を利用し
つつ、天下普請によって彦根城を完成させている。

・慶長11年(1606) 完成した彦根城天守に井伊直継が移ったことに
 ともない佐和山城は廃城となった。

・慶長14年(1614) 井伊直孝が彦根城主になった。
  2代藩主:井伊直孝の代に彦根龍潭寺の諸堂が完成した。

・????年 蕉門十哲のひとり森川許六(1656~1715)が方丈の襖絵
  を描いた。(森川許六の墓が彦根長純寺)

【8】佐和山城
  佐和山城跡入り口
  龍潭寺が全山を所有で無料での入山を許可している。

【9】井伊神社
 ・天保13年(1842) 彦根藩12代藩主:井伊直亮が、井伊家の始祖
  井伊共保の750回忌にあたり、井伊谷八幡宮(現静岡県浜松市)か
  ら井伊大明神を分霊して神像を造り、龍潭寺の参道脇に祀ったのが
  はじめとされている。
 井伊直政・井伊直孝が祭られている神社である。

07:30 朝食
08:30 出発
09:00〜12:00 ボランティアガイドによる「彦根城」見学
:久々宮さん・宮嶋さん


【8】彦根城
0)全体的な縄張りについて
@箕輪城・・・北条の時代の改修
 ・本郭を御前曲輪側にさらに広げた。(★発掘調査より)
・郭馬出の出撃門を建造した。
 ・本丸西に高麗門と廊下橋(太鼓橋)を建造した。
 ・御前曲輪に高麗門と廊下橋(太鼓橋)を建造した。
 ・新曲輪を増設した。
 ・木俣曲輪・松下曲輪などを補修工事した。
 ※現在残っている箕輪城の遺構である。

A高崎城
 築城関係者は以下であった。
 木俣土佐守守勝・・・★殆どいなかった。
 鈴木石見守重好
 孕石備前守泰時・・・・・・・★実質的な縄張り担当者
 早川弥惣右衛門・・・・・・・★実質的な縄張り担当者
 らに任せていた。
 (★井伊軍志P181)
 川手良則・・・(井伊直政の姉:高瀬姫の夫)が留守を守っていた。
 (★井伊谷400年記念の歴史冊子:武藤全透著)

B彦根城
築城の関係者以下であった。
◎縄張り  
 :早川幸豊(山県昌景→井伊直政)150石だが、一番始めに記載されている。
:石原主膳(山県昌景鉄砲奉行→北条氏政鉄砲奉行→井伊直政の槍奉行)
  :横地吉晴
 :孕石泰時  
◎普請奉行 
  :富上喜太夫
  :伴加右衛門
  :加藤金左衛門
◎作事奉行 
:宇津木新九郎(由良国繁→北条氏政→井伊直政)
  :横内弥左衛門
C大工棟梁  
:浜野喜兵衛
★同じようなメンバーが起用された可能性が高い。

【10】玄宮園
「近江八景」に置き換えて作庭されたといわれる。天守を借景として、
中心の入り組んだ池には4つの島と9つの橋が架かり、畔には臨池閣、
鳳翔台、八景亭などの建物が配されている。
(★彦根市HP)



【●】昼食
12:00 〜13:45 昼食 兼 情報交換会
歴代の5代彦根城ボランティアガイドさんがおみえになった。
*箱弁当

ガイドさんは家臣団の史料をを用意して下さった。


*****************************

14:00〜15:30 彦根城博物館の野田学芸員講義「彦根城」
野田浩子先生は「徳川家康天下掌握過程における井伊直政の役割」
(『彦根城博物館研究紀要』18号、2007年)の中で、出展史料:
「真田家武功口上之覚」(『真田家文書』中巻、1982年)から、
「井伊直政は東軍に味方した真田昌幸の長男:真田信之の懇請を
受け入れ真田昌幸と次男:信繁(幸村)の助命にも進退を懸けて
まで尽力した。真田信之は将来まで徳川家に尽くすだろうと考え
ての行動だった」とという考えを発表した偉大な学芸員である。
特に井伊家の儀礼の研究などに優れた先生である。
※個人1回目の個人旅行での野口先生
「井伊直弼の家老:長野主膳は伊勢の長野氏と教え
て下さった」先生である。

*井伊直政の歴史について、野口先生の講演のほか、井伊谷
400年記念の史料や井伊軍志などを参考に加筆した。


15:30〜17:00 彦根城博物館での調査・見学
・大坂の陣の彦根藩士資料の展示。
・井伊家伝来の甲冑・刀剣武具を展示。
・井伊家に伝来した美術品(絵画、能装束、茶道具、日本の楽器など)展示。
・彦根藩に関する古文書。
・特別公開・・・「井伊直弼の次女:弥千代の雛道具・婚礼調度」
弥千代は13歳で高松藩に嫁いだ。井伊直政の死後、高松松平家にも
  累が及ぶことを恐れて、弥千代は離縁して井伊家に戻った。
  明治維新後、井伊弥千代は再び松平頼聡に嫁いだ。
・紙本金地著色風俗図:彦根屏風(国宝)
・我宿蒔絵硯箱(重文)


18:30 〜20:30 夕食


21:00 宿泊



*****************************
3)●3日目・・・2月27日
07:30 朝食
08:30 出発
09:00〜12:00 見学調査
【1】金剛山長純寺・・・滋賀県彦根市佐和町5-49
@箕輪城時代:長純寺
・明応六年(1497)長野業政の父:長野信業が現高崎市箕郷町上芝
 (水草)に創建した(伝)。現箕郷町下芝の第五保育園付近である。
・明応7年(1498)長純寺が榛名白川の洪水で流出した。
・ 弘治3年(1557) 長野業政が菩提寺:長純寺(高崎市箕郷町
  原山)を再建した。(★長純寺文書)
   梁14丁、柱78本・・・
長野業氏の次男:長野業亮=大森別当:曇廊は和田山大雲寺に
 いた。
 
・永禄9年(1566)5月 鷹留城落城
曇廊は落城後に住職となった。
 鷹留長野業通の次男:業茂が仏門に入り、珠山玄宝となった。
 箕輪:和田山長純寺(高崎市箕郷町原山)の住職となった。
A高崎城時代・・・高崎城下にはない。
し明治8年(1876)廃寺となった。
B彦根城時代
・慶長8年(1603) 鷹留長野業通の次男:業茂=珠山玄宝は
 彦根長純寺を開いた。(★大雲寺記録)
・元和3年(1617) 開山説
※高瀬姫(春光院)の墓・・・井伊直政の姉:川手主水の妻
(ちなみに、川手主水良則の墓が彦根市南川瀬町にある。)

※森川許六の墓・・300石。
宮嶋さん(★長純寺総代だそうである。)
「松尾芭蕉の門下生「蕉門十哲」の1人である。
 俳句、武術、馬術、絵画、書、能、茶にも優れたいた。」
・平成26年(2014) 本堂など建物は全て喪失されてい
  たので、長純寺の本堂が再建された。
 大雲寺:井上良紘氏が新築記念の祝詞をあげた。
 箕輪長純寺の和尚様も来られた。
(★井上良紘)
 「米原の??寺が兼任住持? 」
・平成27年(2015) 句会が行われた。

【2】切通口・・・「ここで、下馬した。」


【3】俳遊館
大正時代の信用金庫を利用したレトロな外観である。
彦根ボランティアガイドの活動拠点である。
今日も広報会議が行われていた。

【4】蓮華寺
蓮華寺は俳遊館&城東小の間にある。
東の突き当たりにある。
蓮華寺・・・
@箕輪城時代・・・椿山法華堂
A高崎城時代・・・日蓮宗:西郷山法華寺
・第?世:日儀が開基した。
B彦根城時代・・・現彦根市中央町3−64
 本尊:十界曼荼羅・・・・
・慶長8年(1603) 妙法山蓮華寺第?世:日儀が開基した。
・江戸時代・・・朝鮮通信使宿所として活用された。


*********************
【5】大信寺
@箕輪城時代・・・箕郷町西明屋・・光徳寺の隣説。
鷹留城落城後、鷹留長野業氏の次男:業亮は和田山大雲寺の住職
 となった。大森別当:曇廊と名乗った。
A高崎城時代・・・北通町に移された。
B彦根城時代・・・大雲寺を開いた。
  

【6】善利(せり)足軽屋敷
・箕輪城時代・・・足軽は?
・高崎城時代・・・足軽は高崎の7つの門の外側に住み、木戸を
守った。
・彦根城時代・・・慶長11年(1606)中藪組6組・善利組12組が
結成された。
足軽1120人を鉄砲組と弓組に分けた。

 物頭手代→手代→小屋頭→足軽

 物頭(家老:足軽大将)
1000~300石取り






【7】宗安寺
・箕輪城時代・・・安国寺
   井伊直政が中興開基・光誉上人が中興開山
・高崎城時代・・・通町安国寺
・佐和山城時代・・山麓の宗安寺
・彦根城時代・・・宗安寺
毛利の参謀:安国寺恵瓊の名前が気に入らなかったという
正室両親の戒名を一字ずつとって宗安寺と改名した
(松平康親の法名は「空閑院殿厳誉豊月崇輝大居士」)
@長野曇廊和尚の出家前の子:鷹留長野業亮?=成誉典応が
  彦根宗安寺の開山した。
   (★大雲寺寺歴書:天保9年)(現地案内板)
 A珠山玄宝の子:長野業連説。
   (★「宗安寺記」) 
   (★ウィキペディアより)
B光誉上人が開山説
   (★彦根宗安寺:滋賀県観光情報[公式観光サイト])
  ・慶長7年(1602)江戸城の鬼門の寺:筑波山大御堂が
   光誉上人によって開山された。徳川家忠の乳母の子ども
   であった。
   光誉上人は大坂の冬の陣・夏の陣に徳川氏方
  として出陣した。 上人はガマ成分(センソ)に山野草成分
  や動物油脂などを練って造った膏薬「ガマの油」が発明した。
  切り傷などに良く効いた(伝)。
  現在も「ガマの油売りの大道芸」が行われている。
   光誉上人五輪塔(筑波山神社随神門の脇)

C彦根宗安寺パンフレット
・慶長5年(1600) 佐和山山麓に移り、
   (★井伊直政は佐和山に移ったのは翌年の6年、
     1月(木俣文書)、2月(井伊家文書:井伊達夫氏所蔵)
毛利の参謀:安国寺恵瓊の名前が気に入らなかったので
 正室両親の戒名を一字ずつとって宗安寺と改名した
 松平康親の戒名「無月宗九居士」
母の戒名「心誉理安大姉」
   宗安寺は住持:成誉上人を開山一世とする。
   成誉上人は長野氏の一族で、長野氏は宗安寺を菩提寺とした。 
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◆宮嶋さんの説明等
@山門
佐和山城大手門を移築した「赤門」と呼ばれる朱塗りの表門
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A鐘楼

B瓦
「徳川家の祈願所・・・・」
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C唐人門

D庭園
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E本堂
江戸時代中期に長浜城付属御殿を移築した。
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F本尊の阿弥陀如来立像
 大坂夏の陣の時、淀君の念持仏と思われる仏像を持ち帰った
 ものである。

G御朱印
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H木田より喜一郎の墓
 幕末期、岡本黄石が井伊家の財政立て直しをした。
 戊辰戦争で赤備えが目立ちすぎ、敗戦となった。
 若手が台頭し、西軍(★官軍とか征伐という偏見は
 嫌いなので、私は西軍と書く。)
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I木村重成の首塚  
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【1】井伊直孝の出陣********************
4月7日 徳川家康は西国諸大名に出陣準備を命じた。

(4月9日、大野治長は弟:治房に襲われた。)

4月10日 徳川家忠が江戸を出発した。

4月12日 徳川家康は第9子:義直の婚儀を済ませた。

4月15日 徳川家康は名古屋城を出発した

4月18日 徳川家康は二条城に入った。

4月24日 徳川家康は常高院:初(茶々・お江の妹)に最後通告を
 持ち返らせた。

4月25日 藤堂高虎隊・井伊直孝隊が先鋒として淀・伏見を出発
 した。


4月26日 夏の陣の前哨戦
大野治房・後藤又兵衛2000が暗(くらがり)峠を越え、大和に
入った。小競り合いが始まった。

  徳川方の大和郡山城:筒井正次1000で首尾していたが逃亡。    
今井攻略を失敗した。

4月28日 大野治長は法隆寺付近に放火した。
水野勝成が接近してきたので、大野治長は郡山城を捨てて、
 大坂城に戻った。
 
大野治房・大野治胤5000が浅野幸長を討つため、和歌山方面に
 向かった。
 途中2隊に分かれた。
 @ 大野治房3000は岸和田城の小出吉英600を攻めた。
 A 大野治房2000は大野治胤に堺の町を焼かせた。堺の鉄砲鍛冶
  :芝辻家が徳川に大砲を献上していたからである。



【2】塙団右衛門直之の最後 
4月29日 ▲樫井の戦い
先鋒:岡部則綱隊&塙団右衛門隊 VS 浅野長晟3000
塙団右衛門は松林に待ち伏せされ、泥地で討ち死にした。
岡部則綱は負傷して逃げた。
大野治房が駆けつけたが、引き上げた後だった。


【3】後藤又兵衛基次&薄田兼相の最後
4月30日 軍議
   真田幸村・後藤又兵衛・毛利勝永は道明寺で合流して
国分で徳川軍を迎え撃つことになった

5月5日 水野勝成は前夜のうちに単騎で小松山の地形を確認した。

5月6日未明、後藤又兵衛が先鋒として2800の兵を率いた。
 藤井寺で待った。
しかし、霧で後続の明石全登、真田信繁が到着できなかった。

▲道明寺の戦い
  道明寺村   水野勝成
明石 薄田 川 後藤 ▲  本多忠政  ←伊達政宗 
応神天皇陵      松平忠明
真田       片倉重綱
 
 後藤又兵衛が道明寺まで来ると、先には徳川の大軍がいた。
 河内国志紀郡道明寺村付近において後藤基次と
 水野勝成が交戦した。

後藤又兵衛は徳川軍先鋒:奥田忠次らを討ち取った。
  敵味方から賞賛された。

 @後藤又兵衛が単独で小松山を占領した。
  水野勝成に小松山に後藤を誘いこまれたのだ。
  水野勝成は一番槍をあげた。
水野勝成配下:松倉重政隊を壊滅寸前まで押し込んだ。

  後方から伊達隊・松平隊が来て、3方向から攻撃
  された。
  平地戦に出た。第一陣・第2陣に勝ったは伊達本隊が
  来た。  
  後藤は敵陣に突撃した。
  伊達政宗勢の鉄砲隊に巨体を撃ち抜かれて落馬した。
  吉村武右衛門?
  金方平左衛門?に
 「早く首を切れ、敵に首を渡すでない。」
  と介錯させ、壮絶な最期を遂げた。
金方平左衛門は田に首を埋めた。
正午近く 8時間にも及ぶ戦いで小松山で討ち死にしたとされる。
 

【4】薄田兼相の最後


A正午頃、薄田兼相がようやく道明寺に到着した。
薄田兼相は水野勝成の家臣:河村重長に討ち取られた。
薄田文右衛門は幼少のため戦闘には参加しなかった 。
  落城後紀伊に逃れた。後に浅野家に召抱えられた。
   「沢」と改姓させられ。浅野家の安芸広島移封に従い
   500石を与えられた。

 B真田・毛利隊もようやく着いた。でも、真田幸村は殿をする
 しかなった。

  
 C水野勝成3800にさらに誉田村で渡辺糺と交戦した。
 渡辺糺は深手を負わせた。
  



【5】木村重成の最後
木村重成:豊臣秀頼の乳母の子。豊臣秀頼と乳兄弟
幼少から秀頼の小姓として仕えた。
元服後も豊臣家の重臣として重要会議などに出席した。
木村重成の妻は大蔵卿の姪・・つまり、大野治長の従兄弟。
木村長門守重成3,000石・・・・
大野治長に片桐且元が徳川家康との内通を疑われた時は、
仲介に入った。
 その後、木村重成は片桐且元を「改易」にして追放した。
大野治長・渡辺糺らと共に開戦を主張し、片桐且元を大坂城から
追い出すのに一役買った。
@冬の陣では七将軍として後藤又兵衛(基次)と共に奮戦した。
冬の陣の和議の際には、正使として徳川家康の許に赴いた
※木村重成の立ち振舞があまりに堂々としたため、家康を始め
とする徳川諸将は感嘆したという逸話が残っている。
A大坂夏の陣では豊臣軍の主力として長宗我部盛親とともに
 八尾・若江(東大阪市南部)方面に出陣した。
▲八尾・若江の戦い
 八尾方面には長宗我部盛親、
 若江方面には木村重成・・・
 木村重成は藤堂高虎、井伊直孝の両軍と対峙した。
 木村重成は藤堂軍の右翼を破った。
  木村重成隊は玉串川西側堤防上に鉄砲隊を配置し、湿地を
  西進する井伊軍を襲撃しようとした。

5月6日 午前7時頃、 
▲若江の戦い
  玉串川東の堤防上から鉄砲隊による一斉射撃を行った。
  井伊直孝の鉄砲隊が木村隊を圧倒した。
鉄砲奉行は宇津木泰繁であった。
  玉串川は井伊隊に占拠され木村隊は撤退した。
  井伊直孝は先鋒を第2家老:庵原朝昌・川手良列
  (川出良則+井伊直政の姉の子)とした。

  川手良列は撤退する木村隊が突撃を行ったが、敵中に孤立し
  討ち死にをした。
  
  しかし、川手隊先鋒の突撃で木村隊は陣を整える間も無く
  庵原朝昌ら後続の井伊隊の追撃を受けることになった。

 木村重成は兵を収拾し、昼食を取らせると井伊軍の来襲を待
 ち構えた。
 木村重成軍は井伊直孝軍との両軍入り乱れての激戦となった。
 木村重成も槍をもって奮戦した。激戦の末に戦死した。
   
  木村重成が井伊家家臣に討たれた。
@安藤重勝(長野氏の箕輪城侍代の安藤家子孫)に討たれた説
 A井伊家第2家老:庵原(いはら)朝昌に討たれたが、庵原朝昌
  が功を安藤重勝に譲った説。
 ※首実検が行われた際にはその頭髪には香が炊き込めてあったと
  いう逸話もある。

 井伊隊の戦闘に傍観していた榊原康勝、丹羽長重らが木村宗明を
 攻撃した。木村宗明は大坂城へ撤退した。

 木村隊の山口弘定、内藤長秋も討ち死にした。
 若江方面での木村隊は壊滅した。

木村家( 木村重成・木村秀望・飯島三郎右衛門・ 宇野右衛門介
     高松久重・ 山口弘定 )

井伊直孝配下:第2家老庵原が槍で裾をつき安藤重勝が木村重成の
 首を討ち取った。
通説では三河安藤家で安藤基次・後高崎藩主:安藤重信の甥の
 安藤重勝が木村重成の首を討ち取ったことになっているが、
 安藤隊は若江にいないので、井伊直孝家臣:元長野家重臣:安藤
 九右衛門勝道の子:安藤重勝が木村重成を討ち取ったと考えられる。
 ※木村重成の首塚が彦根宗安寺(元箕輪安国寺→高崎安国寺)に
 あるのも証拠である。

★安藤九右衛門勝道の墓と松下清景(井伊直政の実母と再婚)
 の墓は3mしか離れていない。隣同士である。
  (★箕輪竜門寺)
 安藤勝道は井伊家第3家老:長野業実の祖父の重臣であった。

★井伊直政の子:井伊直孝は彦根の「宗安寺」に木村重成の墓
 (首塚)を造って、供養した?誉れとした?


◆川手良則の墓
  大坂夏の陣で井伊家先鋒:川手良則(井伊直政の姉の夫)は
 木村重成軍と戦い討死した。
 ※川手主水良則の墓・・・最近彦根市南川瀬町で発見された。
 川手主水は、三河国武節城と河手城の城主:河手主水助景隆の
 嫡男として誕生した。
武田信玄の家臣:山県昌景に仕えて多くの手柄を立てた。
 武田信玄からも「若手ながら覚えの者」と賞賛された。
 
 武田家滅亡後、徳川家康は木俣守勝に武田家臣団を統括させて
 井伊直政に託した。山県昌景の家臣75名は井伊直政となった。
・川出主水良則・・・・家老:井伊直政の姉:高瀬姫の夫
 関ヶ原の戦いの時は、井伊直政の居城:高崎城を築城責
 任を果たした。後、彦根藩では4000石の家老・・・。
・広瀬美濃守景房・・・家老:山本勘助の軍学を継承。
  ・石黒五郎兵衛・・・・足軽大将
・早川幸豊・・・・・・150石 甲州流築城術の継承者
  などがいた。

◆孕石源右衛門泰時・・・夏の陣で死亡。
 今川」家臣(徳川家康の人質時代は家が隣)→山県昌景家臣
 鉄砲奉行→井伊直政家臣→井伊直孝の家老


箕輪初心:生方井伊直虎・直政135『46話:悪女について』&二俣城
http://53922401.at.webry.info/201712/article_18.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政136『47話:決戦は高天神』&高天神城
http://53922401.at.webry.info/201712/article_19.html

箕輪初心・生方井伊直虎・直政137【48話「信長、浜松に来たいってよ】
&浜松城初期
http://53922401.at.webry.info/201712/article_20.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政138【第49話:本能寺が変】&伊賀越え
http://53922401.at.webry.info/201712/article_21.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政138【第50話『石を継ぐ者』直虎の死】
&直虎の墓
http://53922401.at.webry.info/201712/article_22.html

箕輪初心:井伊直政140『本能寺の変〜天正壬午の乱〜小牧長久手の戦い』
http://53922401.at.webry.info/201712/article_23.html

箕輪初心:生方▲井伊直政141『天正13年(1585)第一次上田合戦〜天正17年』
http://53922401.at.webry.info/201712/article_24.html

箕輪初心:生方▲井伊直政142『天正18年山中城攻撃〜小田原城攻撃
〜箕輪城入城』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_1.html

箕輪初心:生方▲井伊直政143『箕輪城時代の内政概要』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_3.html

箕輪初心:生方▲井伊直政144【菩提寺:竜門寺縁起】松下3代の墓復刻版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_4.html

箕輪初心:生方▲井伊直政145【箕輪:滝沢寺】中野直之の中興開基か?
http://53922401.at.webry.info/201801/article_5.html

箕輪初心:生方▲井伊直政146【万松寺→恵徳寺】中野直之の妻?母?
:恵徳院開基
http://53922401.at.webry.info/201801/article_6.html

箕輪初心:生方▲井伊直政147『箕輪城時代』:『井伊直政文書集』
大石泰史編を加味した2018年最新版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_7.html

箕輪初心:生方▲井伊直政148『箕輪城下町推定絵図』
&直虎・直政ブログ一覧
http://53922401.at.webry.info/201801/article_8.html

箕輪初心:生方▲井伊直政149『箕輪城から高崎城移城』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_9.html

箕輪初心:生方◆井伊直政150『高崎の名前の由来』
と無理矢理井伊家関連
http://53922401.at.webry.info/201801/article_10.html

箕輪初心:生方▲井伊直政151『高崎城築城と長野堰・新井堰』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_11.html

箕輪初心:生方▲井伊直政152『箕輪城下町から高崎城下町への移動』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_12.html

箕輪初心:生方▲井伊直政153『箕輪白銀町・鍛冶町→高崎鍛冶町』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_13.html

箕輪初心:生方▲井伊直政153「箕輪から高崎に移った寺社』復刻版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_14.html

箕輪初心:生方▲井伊直政154『高崎城と街道整備:中仙道・三国街道』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_15.html

箕輪初心:生方▲井伊直政155『高崎城時代の外交』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_16.html

箕輪初心:生方▲井伊直政156『直政の外交と決戦:関ヶ原』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_17.html

箕輪初心:生方井伊直政157『彦根藩主:井伊直孝が6〜7年間?
過ごした安中北野寺』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_18.html

箕輪初心:生方▲井伊直政158『群馬県に残っている井伊直政関連の遺物』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_19.html

箕輪初心:生方▲井伊直政159『雪の佐和山城』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_20.html

箕輪初心:生方▲井伊直政160『彦根城に入れなかった井伊直政』前編
http://53922401.at.webry.info/201801/article_21.html

箕輪初心:生方▲井伊直政161『彦根城に入れなかった井伊直政』後編
http://53922401.at.webry.info/201801/article_22.html

箕輪初心:生方▲井伊直政162『@彦根市役所「ひこね城まつり」の話』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_23.html

箕輪初心:生方▲彦根A『大雲寺』上野国出身の第3家老:長野一族開山
http://53922401.at.webry.info/201801/article_24.html

箕輪初心:生方▲井伊直政163『清涼寺:上野国の愚明正察開山』直政公
の御位牌・墓で礼拝
http://53922401.at.webry.info/201801/article_25.html

箕輪初心:生方▲井伊直政165&彦根C『直政が住んだ愛宕→佐和山城
大手口→鳥居本宿』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_26.html

箕輪初心:生方▲彦根D『井伊直弼腹心:長野主膳義言の話→夕食』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_27.html

箕輪初心:生方▲彦根E『彦根龍潭寺と井伊神社』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_28.html

箕輪初心:生方▲井伊直政166&彦根F『箕輪城・高崎城・彦根城
の類似性』復刻版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_30.html

箕輪初心:生方▲彦根G『楽々園→玄宮園→井伊直弼の像』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_31.html

箕輪初心:生方▲彦根I『彦根城博物館の展示品』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_1.html

箕輪初心:生方▲井伊直政167&彦根J『長純寺』姉:高瀬姫の墓
http://53922401.at.webry.info/201802/article_3.html

箕輪初心:生方▲彦根K「旧鈴木家屋敷→俳遊館」と『蓮華寺』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_5.html

箕輪初心:生方▲井伊直政168&彦根L箕輪→高崎→彦根『大信寺』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_6.html

箕輪初心:生方▲彦根M箕輪→高崎→彦根に移った『紺屋町・鍛冶屋町
・蓮着町?』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_8.html

箕輪初心:生方▲彦根N『善利(せり)の足軽長屋』と箕輪・高崎類推足軽長屋
http://53922401.at.webry.info/201802/article_9.html




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