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zoom RSS 箕輪初心:生方▲井伊直政165&彦根C『直政が住んだ愛宕→佐和山城大手口→鳥居本宿』

<<   作成日時 : 2018/01/27 09:34   >>

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昨日、きついレポート書きの仕事が一段落した。今日は
仲間と妙高スキー合宿に行きたかったが、急に参加では迷惑がかか
る。今日・明日は暇つぶし休憩をしよう。つまんねえなあ。

平成28年(2016)2月25日(金)〜27日(日)、滋賀県彦根市に調
査に出かけた。佐和山では井伊直政は愛宕山米蔵付属曲輪に
住んだ。木俣守勝は二の丸、中野直之は三の丸、広瀬将房(中野
直之の3男)は二の丸・三の丸(後、美濃丸)、犬塚正長は愛宕
下屋敷に住んだ。本丸&5重天守は消失していたので、入れなか
ったからである。(★「当城下近辺絵図附札写」)

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 (井伊直政が住んだ佐和山城愛宕)




箕輪初心:生方▲井伊直政159『雪の佐和山城』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_20.html



*************************
◆1日目・・・2月25日(木)
05:45箕郷支所→06:30高崎駅07:01→08:00東京駅08:33
→10:45米原駅
米原駅11:00→11:05彦根駅 
                  
11:30レンタカー・・ホテル荷物預け
12:00昼食:伊吹蕎麦「つる亀庵」

13:00
【1】彦根市役所観光企画課「彦根城まつり」

【2】大雲寺 小川良紘住職

【3】清涼寺・・・滋賀県彦根市古沢町1100

1)山門
2)清涼寺の客殿
3)本殿:位牌堂★通常は見せていただけない。
4)清涼寺本殿
 寺宝…歴代藩主の画像や狩野元信らの名画が所蔵されている。
5)清涼寺境内
6)清涼寺座禅所
7)井伊家代々の墓所
 ★公的な立場で行ったので、特別に見せてていただいた。
@井伊直政の墓
  ※清涼寺は一般公開していない。
A旧藩主の無縫塔の墓石6基
 井伊家一族の墓石の数は58基。

@箕輪・・・清涼寺はないが、龍門寺
A高崎・・・清涼寺はないが、龍広寺
B彦根・・・石田三成重臣:嶋左近の館→清涼寺
 ★平成29年9月に清涼寺の和尚様も龍門寺の行事に見えていた。
●開基:井伊直孝
・慶長7年(1602) 井伊直政が佐和山で死去。
  井伊直孝は徳川秀忠の近習として仕えた。
・慶長13年(1608) 上野刈宿(狩宿:長野原町)5,000石を与えられた。
・慶長15年(1608) 上野白井藩1万石の大名となった。
・慶長18年(1613) 伏見城番役となった。
・慶長19年(1614) 井伊直継は彦根藩から安中藩に分地が決まった。
井伊直孝が彦根城主になった。
・寛永8年(1631) 彦根藩2代藩主井伊直孝が父:井伊直政の
 墓所として、建立した。
旧領:上野国から愚明正察(ぐみょうしょうさつ)禅師を招いて
開山した。

【4】佐和山城での井伊直政の居住区&大手口
1)愛宕山
 石田氏滅亡の後、井伊直政が佐和山城に入城した。
 井伊直政は佐和山城の南東部の愛宕山に居住
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2)法華曲輪登城口
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★井伊谷では初山窯
★箕輪では??
★高崎では??
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★佐和山では湖東窯

3)井伊直政の住んだ愛宕遠望
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4)大手口・・・東山道が近くを通る
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 (手前は重臣の屋敷)

5)鳥居本宿(2回目)
後日、中山道の「鳥居本宿」として、詳細を掲載予定。
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中山道69次の内、滋賀県の中山道宿場は東海道と交わる
草津宿まで9宿がある。
★中山道には62次程、見物しているので、紹介予定。
彦根には2つの中山道宿場街「鳥居本宿」「高宮宿」がある。
多賀大社の鳥居があったことからその名がついた(伝)。
鳥居本宿は本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠35軒があった。
江戸時代の面影を物語ってくれる。



佐和山城の歴史(佐和山城跡解説シート等)〜〜〜〜〜〜〜
・鎌倉時代
近江源氏の近江守護職:佐々木荘地頭であった佐々木定綱の
 六男:佐保時綱が築いた砦が始まりとされる(伝)
・建久年間(1190〜 1198) 佐保時綱の名が見える。
(★吾妻鏡)
・室町時代
 応仁年間(1467〜1468)年
湖南六角氏と湖北京極氏が対立した。
 佐和山城は境目の城であった。
六角氏家臣:小川祐忠が在城した。

・戦国時代
湖北では京極氏の勢力が衰え、浅井氏が勢力を持った。
  
  近江:観音寺城の六角氏の勢力も衰退した。
浅井氏が覇権を握ると、湖南六角氏と争った。
佐和山城争奪戦が行われた。

  結果・・・佐和山城は新興勢力である浅井氏の支城となった。


・慶長3年(1600) 関ヶ原の戦い
7月25日 小山評定
 井伊直政は小山軍議の直後、本多忠勝とともに徳川家康
 に対して
「秀吉の遺臣ばかりが敵を討てば、関ヶ原の勝利は徳川のもので
 なくなる。是非とも我らが馳せ向って勝負を決したい。」
 と進言したという。 
3600の兵で徳川家康本軍に随行した。
 合戦地においても家康の四男松平忠吉を後見する。
黒田官兵衛など諸大名を東軍につける工作を行った。
 徳川家康から岐阜在陣の諸将に宛てた書状に
 「直政をそちらに遣わすから、何事も彼の指示を仰いでほしい。」
 と記されている。
 井伊直政はとにかく徳川家康から信頼されていた。

 関ヶ原合戦に際して、福島正則が先鋒の役を得していた。
 
9月15日(10月21日)
しかし、福島正則軍の脇を抜け駆けしようとした。
福島正則の家臣:可児才蔵に、
「先陣の指名は井伊勢ではない・」
と牽制されるが、井伊直政は
「忠吉様の物見なり。」
と返答して敵陣に突撃したといわれている。

 敵陣に放つ銃声が関ヶ原の合戦開始の合図となった。
 激戦が繰り広げられた。
井伊直政は決戦後に退却する島津義弘勢を猛追して島津豊久を討ち
取った。
しかし、島津軍の決死の奮戦で、井伊直政は肩に銃弾を受けて
落馬してしまった。

◆彦根市史より〜〜〜〜〜〜〜〜
9月15日
合戦後の徳川家康との謁見では、
井伊直政は徳川忠吉の活躍をつぶさに報告した。
徳川家康は自ら深手を負った井伊直政に薬をつけ与えた。
徳川家康は軍規を破った大罪であったが、徳川忠吉の殊勲の
機会を作った井伊直政の行動を咎めるわけにはいかなかった。

9月16日
 徳川家康は西軍から裏切った家康に味方した小早川秀秋・田中
 吉政・宮部長煕(ながひろ)に石田正継らの佐和山城攻撃を命
 じた。
 井伊直政は軍監であった。
追手・・・小早川秀秋
 搦め手・・田中吉政
 水の手・・高宮
 徳川家康は平手山に陣取った。
9月18日 田中吉政の急襲に、小早川勢が動いた。
 さらに、石田方に内通者を出させた。

9月20日 井伊直政は大津に入った。

9月23日 井伊直政は高野山で京極高次の下山を促した。

9月24日 井伊直政は小早川秀秋の論功行賞の取り次ぎをした。


9月26日 本多正信は
 石川康通・真田信之・堀直次に佐和山城番をお願いした。


9月27日 井伊直政は大坂に入った。
本多忠勝らと論功行賞会議に加わった。
(★彦根市史)

◆井伊達夫氏所蔵文書「木俣守勝らに渡した書き付け」
@島津忠恒の上洛
A長宗我部元親・太田一吉の出仕
B毛利輝元の先納
C輝元の下向 ・・・
井伊直政は吉川広家を通じて毛利輝元との講和した。(★吉川家文書)
D鍋島直茂の弟:勝茂の江戸下向
E福島正則の娘を徳川忠吉に預けること
F宇喜多秀家の処置を徳永に聞くこと
G黒田長政の息女または老婆を江戸に下向・・・など

・・や山内一豊の土佐入国援助をして


10月 井伊直政は功績により、石田三成の所領15万石と
 上野国(安中)3万石となった。
★しかし、実際には戦後処理に奔走していた。
関ヶ原の合戦の戦後処理にも尽力した。

・慶長4年(1601)
1月 大坂にいた。
1月 井伊直政は佐和山城に入った。
 (★木俣土佐武功紀年自記:井伊達夫氏所蔵)
2月 井伊直政は佐和山城に入った。(★井伊年譜)

3月18日 相良長毎(ながつね)に
     「佐和山で養生する。」(★相良家文書)

◆井伊軍志〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
井伊直政・・・愛宕山米蔵付属曲輪
木俣守勝・・・二の丸
中野直之・・・三の丸
広瀬将房・・・二の丸・三の丸(後、美濃丸と呼ばれた。)
  広瀬将房は中野直之の3男で武田旧臣:広瀬美濃守景房の養子である。
犬塚正長・・・愛宕下屋敷
本丸&5重天守は消失していたので、入れなかった。
(★「当城下近辺絵図附札写」)


7月 鉄砲傷が癒えていなかったが、伏見入りした。

7月8日 大久保新右衛門に「関東に残る家中・小者らを
     佐和山に来るように」指示した。

8月上旬 佐和山に病気のため戻った。

11月15日 井伊直政の本格的な佐和山の統治政策が開始された。
「井伊直政佐和山仕置状・・・」
しかし、実際は鈴木・西郷・中野・大久保のの連署で
あった。

12月 有馬温泉に湯治に行った。

・慶長7年(1602)
1月13日 伏見に徳川家康に会いに行った。

1月15日 署名ができない程になっていた(★相良家文書)

1月末  娘婿:徳川忠吉も病状を知った。
 忠吉は稲富一夢に「直継が幼少なので、わしの元に来るように」
 井伊直継に伝えさせた。
 松平忠吉の生母:西郷局は「直継ぐに縁者:西郷正員に相談せよ。」
 と伝えた。

2月1日 井伊直政は関ヶ原で受けた鉄砲傷が原因で死去した。
   歿42歳。
  墓所は彦根の清涼寺にある。

石田三成は領地にて善政を敷き、領民からも大変慕われていた。
宮嶋さん
「地元では今でも、お殿様と石田三成を呼び、井伊さんと呼ぶ人が
多い。」
とおっしゃっていた。

井伊直政は石田三成の威光を払拭するべく、新たに彦根城築城を計画
した。しかし、直政は築城に着手できないまま、死去した。
計画は嫡子:井伊直継が引き継ぐこととなった。
彦根城は大津城・佐和山城・小谷城・観音寺城などの築材を利用し
つつ、天下普請によって彦根城を完成させている。
・慶長11年(1606) 完成した彦根城天守に井伊直継が移ったことに
 ともない佐和山城は廃城となった。

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