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zoom RSS 箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政132『奥山方広寺』:井伊一族:奥山家菩提寺

<<   作成日時 : 2017/12/11 07:46   >>

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平成29年(2017)11月2日、「鳳来寺」から「柿本城」→引佐町
奥山にある「方広寺」と廻った。方広寺は臨済宗方広寺派大本山
「湖北五山」の一つに数えられている名刹だそうでである。方広
寺は奥山家ゆかりの寺である。建徳2年(1371)井伊家一族:奥山
六郎次郎朝藤が約60町部の土地を寄進し、開基となった。後醍醐
天皇の第11皇子:無文元選禅師を開山となった。井伊谷の井伊
道義?が南朝の宗良親王をバックアップしたので、さもありなん。
方広寺はびっくりするほど大きなお寺だった。直虎コーナーもあっ
た。奥山朝利の娘は井伊直政の母である。また、中野直由の妻も
奥山朝忠の妻である。従って、中野直之は井伊直政の従兄弟である。
奥山朝利の孫:奥山朝忠は中野直之のに娘を妻にしている。天正
18年(1590)井伊直政が上野国(群馬県)箕輪城に入城と共に奥山
朝忠も中野直之も家老としてつき従った。従兄弟の小野朝之も家老
としてつき従った。
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浜名湖の湖北五山は宝林寺、龍潭寺、方広寺、摩訶耶寺(まかやじ)、
大福寺である。
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【1】平成29年(2017)11月1日***************

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政113『井伊谷遺産センター』
井伊谷の歴史
http://53922401.at.webry.info/201711/article_15.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政114『井伊谷妙雲寺』直虎と南渓
の位牌・南渓肖像画
http://53922401.at.webry.info/201711/article_16.html

箕輪初心:生方▲井伊谷『謂伊神社』&モロード様
=客人神のうんこ神様?
http://53922401.at.webry.info/201711/article_18.html

箕輪初心:生方▲『井伊谷宮』と宗良親王復刻版
http://53922401.at.webry.info/201711/article_19.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政117『龍潭寺』:昊天が彦根清涼寺開山
http://53922401.at.webry.info/201711/article_20.html



【2】平成29年(2017)11月2日***********
○06:00 気賀の町中に・・・
箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政119気賀A展望台からの気賀と『堀川城』
http://53922401.at.webry.info/201711/article_22.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政117気賀B「長楽寺」・『井伊直親の墓』
http://53922401.at.webry.info/201711/article_23.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政120祝田【蜂前神社】と『徳政文書』
http://53922401.at.webry.info/201711/article_24.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政121気賀D『刑部城』
http://53922401.at.webry.info/201711/article_25.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政122気賀E『本陣・復元関所』と【近藤家】
http://53922401.at.webry.info/201711/article_26.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政123三ヶ日町『佐久城』
&【浜名氏と上野国長谷寺】
http://53922401.at.webry.info/201711/article_29.html

箕輪初心:生方▲浜松市三ヶ日町『千頭峯城遠望』&【井伊谷・三ヶ日の歴史】
http://53922401.at.webry.info/201712/article_1.html


===宇利峠(静岡県⇒愛知県へ)==========
箕輪初心:生方▲愛知県@『比丘尼城』:【足利直冬→・熊谷重実→近藤満氏】
http://53922401.at.webry.info/201712/article_3.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政125愛知県A『宇利城』と【近藤康用・秀用】
http://53922401.at.webry.info/201712/article_4.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政 126『柿本城』&【鈴木重時→鈴木重好】
http://53922401.at.webry.info/201712/article_5.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政127愛知県B『野田城』:菅沼定盈
http://53922401.at.webry.info/201712/article_6.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政128愛知県D『長篠城2回目』
http://53922401.at.webry.info/201712/article_7.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政129愛知県E『武田勝頼の長篠の陣所』
http://53922401.at.webry.info/201712/article_8.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政130愛知県C『設楽ガ原』と「山県昌景の墓」
http://53922401.at.webry.info/201712/article_9.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政131愛知県F『鳳来寺』の井伊虎松
http://53922401.at.webry.info/201712/article_10.html

===??峠(静岡県⇒愛知県へ)==============
25▲奥山方広寺…★臨済宗方広寺派大本山。井伊氏分家の奥山氏が
 南北朝時代に建て奥山氏が庇護した。
井伊直虎の許婚::井伊直親の妻「ひな」の菩提寺

1)パンフレットでは
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2)いただいた「説明:井伊直虎と方広寺」
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3)絵はがきでは
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4)無料画像では
○入り口の前
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○参道入り口
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○総門
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○五百羅漢
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○本殿
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○半僧坊
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○庫裏「直虎展」
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○1200円の昼食「鰻付き精進料理?」
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○三重の塔
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○全貌
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5)TV「おんな城主 直虎」では
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※奥山館・奥山城・竜ヶ岩洞(2億5千万年前)には行けなかった。
○井伊谷の石原先生宅
26◆北岡大塚古墳
○井伊谷の石原先生宅
○GS…1900円…2日で190km走ったのか?
○トヨタレンタカー 約15000円
○ホテルセレクトイン浜松駅前素泊まり4200円
○夕食「藤田」…鰻&酒で3480円
○ホテルセレクトイン浜松駅
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【3】11月3日、
○07:00 駅前散策
○朝食…パン屋
○08:30 祐太郎君
28▲城897二俣城
29▲城898鳥羽山城
30▲城899大平城(おいだいら城)

箕輪初心:生方▲浜松市『大平(おいだいら)城遠望』
&【井伊道政・宗良親王】
http://53922401.at.webry.info/201712/article_2.html

31▲城900引間城(曳馬城)
32 椿姫観音
○昼食「うなぎの佳川」…2800円+α。
 祐太郎君のおごり。ありがとう。
13:40浜松駅…祐太郎君と別れた。
14:11発 15:40着 (89分)ひかり468号 東京行
16:11 東京→高崎
18:00 家


【1】奥山氏
・鎌倉時代
 井伊谷庄を本貫とする井伊家の8代・井伊盛直の子の井伊俊直が
  赤佐氏を称し赤佐俊直となった。
 (井伊盛直の子で井伊政直は貫名氏(袋井市貫名)を称しているが、
 貫名家からは日蓮(1222年〜1282年)が輩出されている。

 赤佐俊直の曾孫:赤佐朝清が遠江国引佐郡奥山郷を領して、
 奥山朝清と称したことが始まりである。

・南北朝時代
井伊氏は、三嶽城・奥山城を中心に、南を鴨江城 (浜松市)、
北を天山城(別名田沢城、浜松市引佐町)、西を千頭峯城
(浜松市三ケ日町)、東を大平城(おいだいら)と、支城で固めた。
奥山朝清は奥山城を築城した。
奥山六郎次郎朝藤は奥山城に拠って南朝方に味方した。
奥山朝清から5代目の奥山六郎次郎朝藤は遠江における南朝の
  旗手井伊氏のの重臣として、千頭峯城の守将として活躍した。
 
・建武3年(1336)奥山城に宗良親王を迎えた説がある

・延元3年建武5年(1338) 9月 宗良親王は伊勢を出発した。
 難破して井伊谷に行った。
「遠江ノ井介ハ妙法院宮ヲ取立マイラセ、奥ノ山二楯籠ル……」
  (★「太平記」)
 遠江ノ井介とは井伊道政?のことである
  妙法院宮とは宗良親王のことである。
★ 現在、井伊道政は後世の南朝史観によって創り出された人物で、
井伊行直説が有力視されている。尹良(ゆきよし)親王もいたので
あろうか?
「田中大喜」先生は『太平記』においては、南朝側の後醍醐天皇の
側近が書いた説が通説であったが、『難太平記』を書いた今川了俊
が、「太平記」は北朝側の人が、新田義貞・義宗を武家の棟梁と認
め、足利尊氏をもっと凄い武家の頭領であるとするよう作為的に書
かれた。という説を展開している。


・歴応2年(延元4年・1339)から翌3年(興国元年
 ・1340)にかけてくりひろげられた。
 この時の戦いの様子は、
 三ヶ日町の大福寺に残る「瑠璃山年録残編裏書」に詳しく書かれて
いる。
『歴応二年己卯七月廿二日 為井責越後殿下 大平ニ向給 
 尾張殿浜名手向給 カモヘノ城廿六日追落畢 同十月卅日 
 千頭峯城追落畢 同次正月卅日 ミタ□城追落畢 
 同次年八月廿四日夜 大平城□落□□。但当国守護新木殿落給』



大平城の南朝軍と足利尊氏の命を受けた高師泰が率いる北朝軍の
攻防戦は、暦応2年・延元4年(1339)から翌3年・興国元年
(1340)にかけて繰り広げられた。
暦応2年(1339)
7月22日、北朝軍の高師泰の軍が大平城に侵攻し、高師兼の軍は
浜名方面に侵攻した。
7月26日、鴨江城が落城した
10月30日、千頭峯城が落城した。


・暦応3年(1340)
 正月30日に三嶽城が落城した。
  井伊道政は宗良親王と共に大平城に立て籠もった。
8月24日夜、大平城も、高師泰と遠江国守護の仁木義長の軍によって
 落城した。
 遠江守護に新木氏がなった。

南朝方は、遠江国で拠点を失い、宗良親王は信濃国へ落ちていった。


●宗良親王関係*********************
箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bT
【南北朝時代の井伊氏と宗長親王】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_11.html

箕輪初心:生方▲『井伊谷宮』と宗良親王復刻版
http://53922401.at.webry.info/201711/article_19.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政123三ヶ日町『佐久城』
&【浜名氏と上野国長谷寺】
http://53922401.at.webry.info/201711/article_29.html

箕輪初心:生方▲浜松市三ヶ日町『千頭峯城遠望』
&【井伊谷・三ヶ日の歴史】
http://53922401.at.webry.info/201712/article_1.html

箕輪初心:生方▲大草城&大河原城*宗良親王&香坂高宗
http://53922401.at.webry.info/201606/article_12.html

箕輪初心:生方▲富山28【高岡浅井城&赤丸城の遠望】
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201706/article_11.html

箕輪初心:生方▲20171111田中大喜先生講演会『新田一族の中世:
「武家の棟梁」への道』
http://53922401.at.webry.info/201711/article_13.html
★新田義宗は宗良親王を助けた。

箕輪初心:生方▲浜松市『大平(おいだいら)城遠望』&【井伊道政・宗良親王】
http://53922401.at.webry.info/201712/article_2.html
****************************

・建徳2年(1371)奥山六郎次郎朝藤が寺用に約60町部の土地を寄進
 した。

・永徳4年、至徳元年(1384)2月27日
後醍醐天皇の11子無文元選が、中国の元に渡って帰国し、各地を
 回っていた
無文元選が奥山朝藤の寄進を受けて「奥山方広寺」を創建した。
後醍醐天皇の第11皇子:無文元選禅師を開山となった。
奥山朝藤の次男:奥山定則は井伊氏とともに南朝方に尽くした。

★臨済宗方広寺派大本山となった。 
 奥山氏が庇護した。

・延元3年(1387)、奥山朝藤が久頭郷城を築き、尹良親王
  (宗良親王と井伊道義の娘の子説)
  宗良親王の皇子由機良親王説に供奉した。

 2代目:奥山定則
  奥山金吾正(左衛門督と同格)定則は奥山の地を離れ、天竜の奥
  山峡水窪の高根城(TVおんな城主 直虎の撮影場所)に仮御所を
  置いた。
 奥山氏は北遠一帯に勢力を伸ばし、国人領主として栄えた。
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 3代目:奥山能登守定之には4人の男子があった。
 嫡男:奥山貞益は久頭郷城主を継いだ。今川義元に属した。
2男:奥山定茂は水巻城主
 3男:奥山定吉は大洞若子城主
 4男:奥山定友は小川城主であった。


 4代目:奥山宗家:奥山親朝が奥山城を継いだ。
     姉妹は新野親矩に嫁いだ。

・永正11年(1514)、井伊直虎の父:直盛が反今川軍に同調した際、
  敗れて奥山城に逃れた。
井伊直盛の妻は新野親矩の妹(祐椿尼)であった。


・永禄3年(1560)末、あるいは永禄5年(1562年)の年末
  5代目:奥山朝利が小野道好に暗殺された。

●奥山朝利の子ども
@嫡男:奥山朝宗 (?〜永禄3年(1600)
  奥山朝利の嫡男:奥山六左衛門朝忠(永護院の兄)
  は井伊家家老になっていた。
   妻は中野直之の娘
  奥山朝忠→奥山朝宗→奥山朝久。

A次男:奥山朝重 (?〜?)   井伊源左衛門家
   奥山朝重→奥山朝正→奥山朝長。
B3男:朝家 (?〜?)
   奥山源太郎朝家→奥山朝房→奥山朝次。   
C4男勘三郎 不明


●奥山朝利にはたくさんの娘がいた。
D娘@→井伊直親の妻(おひよ)・・・井伊直政を生んだ。
  戒名から「永護院」と呼ばれている。
 8人姉妹の中でも一番格上の井伊直親に嫁いだ。井伊直政の母となった。
  →永禄12年(1571)松下清景の妻として再婚した。
★天文8年(1539)生まれとすれば、32歳かあ。

E娘A→中野直由の妻
 中野直由の嫡男:中野直之
長男:中野三孝(三信):妻が近藤康用の娘・・・井伊家家老。
次男:中野一定→松下清景の養子:松下一定:井伊家家老・安中藩第一家老

F娘B→小野玄蕃朝直(小野政次の弟)の妻
  ・永禄3年(1560) ▲桶狭間の戦い
  井伊直盛・小野正次(道好)弟:小野玄蕃朝直も討ち死に。
  ・天正3年(1575) 2月井伊直虎に付き添われて井伊直政
   (15歳)は浜松の徳川家康に出仕した。
 虎松(井伊直政)と小野玄蕃の息子:亥之助(小野朝之)
   が出仕した。徳川家康から
   井伊虎松は「万千代」の名前を貰った。
   小野朝之は「万福」の名前を貰った。
  井伊直政と小野朝之は従兄弟であった。
   2人の母は奥山朝利の娘で、姉妹であった。
 
G娘C→西郷伊予守正友の妻
 天正15年(1587) 井伊直政の付家老2000石となった。
  嫡男:西郷重員3000石。慶長14年(1615)没。
  西郷員吉・・・妻は井伊家家老:椋原正長の娘。

H娘D→鈴木重時の妻・・・鈴木重好:井伊家家老

I娘E→菅沼淡路守の妻
  ★菅沼忠久の妻は、鈴木重時の娘。 
   菅沼忠久の嫡男:菅沼忠道の可能性が高い。
J娘F→橋本四方助の妻
K娘G→平田森重の妻(於徳)



箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政35【鈴木重勝→鈴木重時→鈴木重好】
http://53922401.at.webry.info/201702/article_13.html
★鈴木重時の妹は井伊直満の妻→井伊直親→井伊直政
  鈴木重時は井伊直親の伯父である。
★鈴木重時の正室は奥山朝利の娘である。
  鈴木重時は井伊直政の従兄弟である。子が鈴木重好である。

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政36【菅沼忠久→菅沼忠道】
&【菅沼定盈&菅沼定利】
http://53922401.at.webry.info/201702/article_15.html
★菅沼忠久の妻は、鈴木重時の娘(重好の姉)である。
★菅沼忠久と鈴木重好は義兄弟である。

箕輪初心★源頼朝29【側近:近藤七国平】
http://53922401.at.webry.info/201502/article_15.html

箕輪初心:生方▲愛知県@『比丘尼城』:【足利直冬→熊谷重実→近藤満氏】
http://53922401.at.webry.info/201712/article_3.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政36【近藤康用→近藤秀用→5近藤】
http://53922401.at.webry.info/201702/article_14.html
★近藤康用の妻は鈴木重時の娘。
★近藤康用の娘が中野三信(井伊直政家臣)の妻
★中野三信の祖父:中野直由の妻は奥山朝利の娘


●奥山朝利の娘「ひよ」と呼ばれていた。
井伊直虎の許婚:井伊直親の妻「ひな」となった。
大河ドラマでは「しの」として登場していた。

・永禄3年(1560) 桶狭間の戦い
  今川義元が死んだ。今川氏真が跡を継いだ。
  井伊直盛が死んだ。中野直由が遺言により信濃守として
  井伊谷城を任された。今川目付:新野親矩と力を合わせた。

・永禄3年(1560)末、あるいは永禄5年(1562年)の年末
  5代目:奥山朝利が小野道好に暗殺された。

・永禄4年(1561) 井伊虎松(後の井伊直政)が生まれた・・・。


・永禄12年(1569) 信濃遠山氏(中津川)に攻められ落城し、
   奥山貞益は討死した。
  奥山朝忠は奥山に戻っていた。

・永禄12年(1569)、小川城主:奥山定友の子:友久は徳川家康
  より本領安堵され、子孫は井伊氏に仕えた。
 
  奥山吉兼は武田信玄より感状をもらい、奥山一党の本領を安堵さ
 れ、新領地として、現袋井市域と浜北市域を「切り取り」の形で宛行
 された。  
  結果、奥山氏が広大な土地を支配するようになった。

・元亀3年(1572) 武田信玄は大軍を率いて青崩峠を越えて上洛の途上
  高根城は武田軍の拠点として大改修が行われた。

三方原の戦い
徳川家康と戦い勝利


・元亀4年(1573) 4月 武田信玄が死んだ。
 今川氏の勢力が衰えた。
 徳川家康の勢力が拡大するにつれ、奥山吉兼の領国支配はなくなった。
 奥山氏は徳川氏に仕えるようになった。
 





★明日は「北大岡古墳と浜松駅前」かな?

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