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zoom RSS 箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人【織田信長家臣→豊臣秀吉家臣N多賀常則】

<<   作成日時 : 2017/10/17 06:54   >>

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刀傷・槍傷に効く『草津温泉入湯ブーム』がやってきた。織田信長
の家臣や豊臣秀吉の身内や家臣など多くの戦国武将が湯治に訪れた。
天正10年(1582)3月11日、織田信長は「天目山の戦い」で武田
勝頼を自刃に追い込んだ。織田信長は丹羽長秀・堀秀政・多賀新左
衛門常則
が負傷したため、草津温泉に行くことを認めた。(★『信長
公記』)4月3日、3人が草津温泉を目指した。武田家の滅亡の慰労と
戦傷を癒すことが目的だったが、真田昌幸の奨めはあったとも真田
昌幸の偵察とも考えられる。北陸では柴田勝家を総大将とする織田
信長軍とと上杉景勝軍の戦いが始まっていた。海津城(長野市)に
入った森長可は北国街道から春日山城を目指そうとし、箕輪城→厩
橋(前橋城)に入った滝川一益は沼田城から三国街道(当時がそう
呼ばれていない。)から春日山城を目指そうとしていた。しかし、
6月2日、本能寺の変で織田信長が死んでしまった。
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★説明がちがっているかもしれません。
 巴御前と静御前を勘違いしています。











・戦国時代**************************
戦国時代以降、草津温泉は、各地の武将が湯治に訪れた。
記録が残っている。
06●文明4年(1472)−蓮如(本願寺・吉崎御坊住職)
○○○文明18年(1486)−堯恵(二条家歌学を継ぐ天台宗常光院流の歌僧)
○○○長禄2年(1488) 万里集九は草津には来ていないようである。
  詩文集『梅花無尽蔵』の中で
 「本邦六十余州、毎州有霊湯、其最者下野之草津、津陽之有馬、
 飛州之湯島三処也」
 意味…我が国の六十余州毎に霊湯:名湯がある。其の内最もよい
 のは下野(上野国の誤り)の草津、摂津の有馬、飛騨の湯之島の
 三か所である。
 「日本三名泉」は、万里集九 → 林羅山によって言葉が生まれた。

07▲延徳2年 (1490) −長野業尚 (榛名鷹留城主)
   ★文亀3年(1503) 長野業尚が死亡なので草津の大永6年(1526)
  の年号は間違っている。     
08▲延徳2年(1490)−長尾為景 (越後国守護代)
   ★長尾為景が2歳?
09▲延徳2年(1490)−大光宗猷禅師(曇英恵応:越後林泉寺&榛名長年寺)
   ★大永6年(1526)まで生きていなかった。
10●明応4年(1495)−横瀬成繁(太田金山城主)
11●文亀4年(1502)−飯尾宗祇(連歌師)
★宗祇は越後の帰りに伊香保に行っちゃったので来ていない。
○○○文亀 2年 (1502) 3月 連歌師:宗長が越後より草津に来る。
○○○永正 6年 (1509) 9月 連歌師宗長、駿河より草津に来る。
※永正6年(1509)の「東路の津登」が有名である。
◆◆◆戦国時代     湯本善太夫は草津温泉を支配していた。
12●永禄 3年 (1560)−小幡重貞(→信貞→信実:国峰城主)
 ★「関東古戦録」がベースなので、信憑性は疑わしい。
13●天正10年(1582)−丹羽長秀(織田信長家臣)
14●天正10年(1582)−堀秀政(織田信長家臣)
15●天正10年(1582)−多賀新左衛門常則(織田信長家臣)
○○○天正15年(1587)−光佐・光寿・佐起(本願寺座主と2人の息子)
16●天正15年(1587)−朝日姫(豊臣秀吉の妹:徳川家康の正室)
  豊臣秀吉の妹である朝日姫は、徳川家康の正室であり病気療養
 のために草津を訪れたとされている。
17●天正16年(1588)−豊臣秀次(関白:豊臣秀吉の甥:養子)
   豊臣秀吉の異父兄弟:豊臣秀次も来ている。
18●天正16年(1588)−松平(依田)康国(小諸城主)
19●文禄3年(1594)−大谷吉継(豊臣秀吉家臣:石田三成親友)
20●慶長3年(1598)−前田利家(豊臣秀吉親友:加賀100万石)
  前田利家なども遠路はるばる草津の地を訪れて、温泉に入湯した
という記録が残っている。
△△△徳川家康は、草津を訪れたことはないものの、草津の湯を江戸城へ
 運ばせて入浴していた。

********************************
●草津温泉に来た有名人シリーズ*****************
箕輪初心:生方▲『草津温泉に歩みし百人』@「日本武尊:開湯伝説」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_23.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』A「行基:開湯伝説」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_24.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』B「源頼朝:開湯伝説」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_25.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』C木曾義仲・D巴御前
http://53922401.at.webry.info/201709/article_26.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』E蓮如と番外編「孫:顕如」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_27.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』「番外編:堯恵」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_28.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』F「長野業尚:榛名鷹留城主」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_30.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人G長尾為景:上杉謙信の父
http://53922401.at.webry.info/201710/article_1.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人H大光宗猷禅師=曇英恵応:林泉寺創建
http://53922401.at.webry.info/201710/article_2.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』番外編:万里集九『梅花無尽蔵』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_3.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』10『横瀬成繁』太田金山城主
http://53922401.at.webry.info/201710/article_8.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人:連歌師『J宗祇』&番外編『宗長』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_9.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人『草津管理人:湯本善太夫』
と『真田ブログ一覧』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_10.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人ー12『甘楽国峰城主:小幡信貞』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_11.html

箕輪初心:生方:▲草津に歩みし100人:『戦国時代の草津温泉ブーム創作編』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_12.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人【織田信長家臣L丹鋳キ秀】
http://53922401.at.webry.info/201710/article_13.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人【織田信長家臣→豊


【15】多賀常則
????年 多賀常則が生まれた。
 ★近江国(現滋賀県)多賀大社の神官を勤めた多賀一族出身と
 思われる。・・・・詳細は不詳

多賀大社
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 多賀常則は犬上郡の土豪で浅井家に仕えていた。

・永禄10年(1567)9月頃、浅井長政は織田信長の妹の市を妻とした。
  永禄7年(1564年)、永禄8年(1565年)とする説など
 ・永禄11年(1568) 観音寺城の戦い
織田信長は足利義昭を奉じて上洛を目指した。

 北近江における六角氏勢力は衰退し、浅井長政
  が勢力を伸張した。
  浅井長政の家臣:磯野員吉が佐和山城に入城し、
  小谷城の有力な支城の1つとなった。

・元亀元年(1570)
4月 織田信長が浅井長政と交わした「朝倉への不戦の誓い」を破り、
  織田信長は越前への侵攻を開始した。
  越前国の朝倉方の城を攻め始める。
  浅井長政は朝倉義景との同盟を重視し縁の深かった朝倉に
  ついた。
  浅井長政は信長から離反し、織田軍の背後を襲った。
 織田信長は挟撃される危険に陥った。
  織田信長は撤退を開始した。
  織田信長の家臣たちは「金ヶ崎の退き口」を経て退却した。
織田信長は殿を務めた木下秀吉らの働きにより、金ヶ崎の退き口から
  命からがら近江国を脱出した。

  5月 横山城(長浜市)の木下秀吉が、約500の寡兵で浅井井規が
   率いる一揆勢約5000を破った。
   近江では織田軍が優位に立った。

  5月11日 朝倉義景は朝倉景鏡を総大将とする大軍を近江に
   進発させる。
   朝倉軍は浅井軍とともに南近江まで進出した。 
  徳川家康と共に琵琶湖西岸に侵攻した。

  織田信長は千草越えにより鈴鹿山脈を越えた。
  
  5月21日 織田信長は岐阜への帰国に成功した。

  6月4日、野洲河原の戦い
   柴田勝家、佐久間信盛は六角軍を敗った。
 
6月28日 姉川の戦い
   織田信長・徳川家康 VS 浅井長政・朝倉義景
  近江浅井郡姉川河原(現長浜市野村町付近)で行われた。
浅井家の被害は甚大であった。
姉川の合戦により浅井長政の領国が南北に分断されてしまった。
  犬上郡の佐和山城を守備する磯野員昌らは孤立してしまい、
  物資の補給すらままならない状態であった。
佐和山城主:磯野員昌が織田信長らと8ヶ月におよぶ戦闘を繰り
  返した。
織田信長は犬上郡の多賀常則は臣従させたのであろう。

9月13日 石山本願寺法主顕如が三好三人衆につき織田軍を攻撃
  した。
  浅井・朝倉軍が琵琶湖西岸を南下した
  織田信長の重臣:森可成と弟:織田信治が討死した。
 
 9月25日 多賀常則は織田軍の一員として近江南部の
  大津穴太の砦に置かれて浅井・朝倉連合軍と対峙している。
  多賀常則は初陣だった。
(★「信長公記」)
 

・元亀2年(1571)
  足利義昭は織田信長の影響力を弱めようとして、浅井氏・朝倉氏
  ・三好氏・石山本願寺・延暦寺・六角氏・甲斐の武田信玄らに御
  内書を下しはじめた。
(★第2次信長包囲網)
浅井長政・朝倉義景は甲斐の武田信玄や本願寺顕如らと組み、
  を形成していくことにした。

  2月 磯野員昌は物資の補給を断たれ降伏した。
  織田氏家臣の丹羽長秀が佐和山城に入城した。
  浅井氏旧領と朝倉氏の旧領南部、すなわち、北近江六郡と若狭国の
  支配拠点とした。
元浅井長政家臣:磯野員昌と多賀常則は朝倉攻め先鋒となった。

  2月 織田信長は北伊勢の長島一向一揆を攻撃した。
  9月 織田信長は比叡山延暦寺を焼き討ちした。

・天正元年(1573)
7月、織田信長は3万の軍を率い、再び北近江に攻めた。
  浅井長政は朝倉義景に援軍を要請した。
  朝倉義景は2万の軍で駆けつけた。
  織田の軍勢が北近江の城を落とした。
  浅井家中にも寝返りが相次いだ。
  朝倉義景は越前国に撤退を始めた。
  織田信長は追撃して刀根坂にて壊滅させた。
8月 一乗谷城の戦い
  織田信長は朝倉氏を滅亡させた。
  しかし、一部の旧朝倉家臣団は一向一揆に通じた。

 織田信長は全軍を浅井長政に向けた。
 織田軍は小谷城(滋賀県長浜市)を囲んだ。
 織田信長は木下秀吉を使者として送り降伏を勧めた。
 浅井長政は断り続け、最終勧告も決裂した。

・天正3年(1575) 越前一向一揆の討伐
4月 土橋信鏡(朝倉景鏡)は居城:亥山城を捨てて平泉寺に立て
   籠もったが、平泉寺は放火されて衆徒も壊滅し、信鏡は討死した。
 5月 織田景綱(朝倉景綱)の織田城のを攻撃した。景綱は家臣を
   見捨て、妻子を連れて敦賀に逃走した。
   越前朝倉旧臣と越前一向一揆衆がほとんど滅ぼされた。
   越前も加賀に続いて「百姓の国」となった。

・天正5年(1577) 紀伊雑賀の討伐
堀秀政・佐久間信盛・羽柴秀吉らとともに一隊を率いて
  鉄砲の雜賀衆を襲った。
  多賀常則も出陣した。

・天正6年(1578) 有岡城(兵庫県伊丹市)の戦い
織田信長に帰属していた荒木村重が突然謀反を起こした。
  堀秀政らは鉄砲隊を率いて戦った。
(NHK大河「官兵衛」で詳しく放映された。)
・天正8年(1580) 堀秀政は長谷川秀一らとバテレン屋敷の造営奉行を
  務めた。

・天正9年(1581)第二次天正伊賀の乱
  比自山城(三重県伊賀市長田)の戦い
  信楽口からの部隊を率いて、伊賀忍者らと戦った。
 多賀常則も出陣した。

・天正10年(1582)
 2月 多賀常則も織田信長の武田の討伐に参加した。

  織田信長から一定の信任を得ていた。
※卅六飛将=三十六飛将(信長から朱旄を許された36人の武将)
1.池田紀伊守
2.堀久太郎
3.山田三左衛門
4.苗木久兵衛
5.中川丹波守
6.磯野丹波守
7.長谷川丹波守
8.中條将監
9.池田伊與守
10.水野監物
11.武藤彌平兵衛
12.近藤山城守
13.織田勘解由左衛門
14.原備中守
15.鹽川伯耆守
16.中島豊後守
17.山岡玉林斎
18.山岡美作守
19.飯尾隠岐守
20.水野大膳
21.水野下野守
22.水野帶刀
23.平井加賀守
24.長岡與一郎
25.細川兵部大輔
26.多賀新左衛門
27.武藤惣右衛門
28.長原筑前守
29.山本山城守
30.石破彦一
31.進藤山城守
32.永井雅樂頭
33.戸田武蔵守
34.鹽川吉太夫
35.別嘉右近
36.福田三河守
  (★ウィキペディアより引用)

4月3日、多賀常則は丹羽長秀や堀秀政らと暇を与えられて
  上野の草津温泉での湯治を許されている。
   (★『信長公記』)
織田信長は丹羽長秀・堀秀政・多賀新左衛門常則が負傷し
たため、草津温泉に行くよう指示した。
  3人が草津温泉に来訪した。
 武田家の滅亡の慰労と戦傷を癒すことが目的だった。
 ★のんびりとした時を過ごしたのか。
 3月 下旬 真田昌幸が奨めたのか?
 真田昌幸の動向を探る目的もあったのかは不明である。

 本能寺の変の直前には、明智光秀が徳川家康の接待役を外され、
 丹羽長秀と堀秀政が接待役を務めた。
 ★多賀常則も接待役の可能性が高い。

6月2日 本能寺の変が起こり、織田信長・信忠が死去した。
多賀常則は明智光秀と親しい間柄だった。
  一端は明智に従ったとも言われている。
  本能寺の変における動向はわかっていない。

(★『明智光秀と本能寺の変:謀叛の成功から孤立へ』)
主力:丹窒ェ摂津方面・徳川・穴山は堺・・・・
 秀吉は備中・・・
※多賀常則は羽柴秀吉に仕えた。

・天正11年(1583)
▲賤ヶ岳の戦い


 ▲北ノ庄城(福井県福井市)の戦い


・天正12年(1584)
 ▲小牧・長久手の戦い
多賀常則は300の軍勢を率いて出陣した。東の備えについた。
  軍を三手に分け、徳川家康方の大須賀康高・榊原康政ら
  を待ち伏せし、挟撃して敗走させた。
  豊臣勢が負けていたので、徳川家康本隊とは戦わず退却した。
多賀常則は豊臣秀吉の命令で実弟の羽柴秀長付の家臣となり、
  大和(現奈良県)高市郡曾我村2000石を知行として与えられた。

・天正15年(1587)2月  九州侵攻
  豊臣秀長軍の一員として従軍した。
 @4月20日に病気のために陣中にて死去した。
  (★『多聞院日記』 天正15年(1587)5月7日条
   「去月廿日、於西国多賀新左衛門尉病死了ト云々」)
 A天正17年(1589)説、
 B慶長2年(1597)12月23日説(★「老人雑話」)



〜〜〜織田信長シリーズ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心★【織田信長@尾張の大うつけ→尾張統一】
http://53922401.at.webry.info/201206/article_1.html

箕輪初心★『織田信長A桶狭間前哨戦=家康の信長攻撃』
http://53922401.at.webry.info/201206/article_2.html

箕輪初心★【織田信長B桶狭間〜清洲同盟】
http://53922401.at.webry.info/201206/article_3.html

箕輪初心★【織田信長C小牧山城時代】
http://53922401.at.webry.info/201206/article_4.html

箕輪初心●愛知【小牧山城】=織田信長D築城・家康陣城
http://53922401.at.webry.info/201206/article_5.html
★織田信長Dが見つからなかった。

箕輪初心★織田信長E岐阜城時代
http://53922401.at.webry.info/201206/article_10.html

箕輪初心★織田信長F安土城から天下取り開始
http://53922401.at.webry.info/201206/article_11.html

箕輪初心★織田信長G武田氏滅亡→本能寺の変
http://53922401.at.webry.info/201206/article_12.html

箕輪初心:生方▲映画『信長協奏曲』面白過ぎのあらすじ
http://sp/53922401.at.webry.info/201601/article_30.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201601/article_30.html

箕輪初心:生方▲2017映画『本能寺ホテル』&「タイムスリップの
似合う京都」
http://53922401.at.webry.info/201702/article_12.html


★明日は未定・・・忙しくて

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