城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行

アクセスカウンタ

zoom RSS 箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人ー12『甘楽国峰城主:小幡信貞』

<<   作成日時 : 2017/10/12 08:23   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

小幡城主→国峰城主:小幡憲重の子あるいは養嗣子:小幡重貞
(信真→信貞→信実)となる。小幡憲重の憲は上杉憲政の「憲」で
ある。天文21年(1552)、平井城が北条軍の脅威にさらされると、
箕輪長野氏・安中氏・小幡氏など西上野の河西衆が那波氏に通じ
後北条氏に服属した。上杉憲政が平井城からトンズラをこいた。
小幡憲重・信貞は年貢を上杉憲政と北条氏康と武田信玄に3人
に年貢を払うことになった。(★黒田基樹説)。ところが、武田
信玄は南牧の市川氏に次いで、小幡憲重・信実父子を従属させた。
しかし、未だ小幡憲重は北条氏康にも通していた(★真田三代:
平山優著)。
永禄3年 (1560) 小幡重貞は草津温泉に行っている間に、
長野業政の命で、従兄弟の宮沢城主・神成城主:小幡図書之助
が国峰城を乗っ取った。
★個人的には「関東古戦録」がベースなので、信憑性は50%位
だろうか?
永禄4年 (1561) 小幡重貞は武田信玄の支援で国峰城を奪還した。
画像

画像


★説明がちがっているかもしれません。
 巴御前と静御前を勘違いしています。










●草津温泉に来た有名人シリーズ*****************
箕輪初心:生方▲『草津温泉に歩みし百人』@「日本武尊:開湯伝説」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_23.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』A「行基:開湯伝説」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_24.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』B「源頼朝:開湯伝説」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_25.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』C木曾義仲・D巴御前
http://53922401.at.webry.info/201709/article_26.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』E蓮如と番外編「孫:顕如」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_27.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』「番外編:堯恵」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_28.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』F「長野業尚:榛名鷹留城主」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_30.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人G長尾為景:上杉謙信の父
http://53922401.at.webry.info/201710/article_1.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人H大光宗猷禅師=曇英恵応:林泉寺創建
http://53922401.at.webry.info/201710/article_2.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』番外編:万里集九『梅花無尽蔵』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_3.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』10『横瀬成繁』太田金山城主
http://53922401.at.webry.info/201710/article_8.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人:連歌師『J宗祇』&番外編『宗長』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_9.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人『草津管理人:湯本善太夫』
と『真田ブログ一覧』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_10.html


・戦国時代**************************
戦国時代以降、草津温泉は、各地の武将が湯治に訪れた。
記録が残っている。
06●文明4年(1472)−蓮如(本願寺・吉崎御坊住職)
○○○文明18年(1486)−堯恵(二条家歌学を継ぐ天台宗常光院流の歌僧)
○○○長禄2年(1488) 万里集九は草津には来ていないようである。
  詩文集『梅花無尽蔵』の中で
 「本邦六十余州、毎州有霊湯、其最者下野之草津、津陽之有馬、
 飛州之湯島三処也」
 意味…我が国の六十余州毎に霊湯:名湯がある。其の内最もよい
 のは下野(上野国の誤り)の草津、摂津の有馬、飛騨の湯之島の
 三か所である。
 「日本三名泉」は、万里集九 → 林羅山によって言葉が生まれた。

07▲延徳2年 (1490) −長野業尚 (榛名鷹留城主)
   ★文亀3年(1503) 長野業尚が死亡なので草津の大永6年(1526)
  の年号は間違っている。     
08▲延徳2年(1490)−長尾為景 (越後国守護代)
   ★長尾為景が2歳?
09▲延徳2年(1490)−大光宗猷禅師(曇英恵応:越後林泉寺&榛名長年寺)
   ★大永6年(1526)まで生きていなかった。
10●明応4年(1495)−横瀬成繁(太田金山城主)
11●文亀4年(1502)−飯尾宗祇(連歌師)
★宗祇は越後の帰りに伊香保に行っちゃったので来ていない。
○○○文亀 2年 (1502) 3月 連歌師:宗長が越後より草津に来る。
○○○永正 6年 (1509) 9月 連歌師宗長、駿河より草津に来る。
※永正6年(1509)の「東路の津登」が有名である。
◆◆◆戦国時代     湯本善太夫は草津温泉を支配していた。
12●永禄 3年 (1560)−小幡重貞(→信貞→信実:国峰城主)
 ★「関東古戦録」がベースなので、信憑性は疑わしい。
13●天正10年(1582)−丹羽長秀(織田信長家臣)
14●天正10年(1582)−堀秀政(織田信長家臣)
15●天正10年(1582)−多賀新左衛門常則(織田信長家臣)
○○○天正15年(1587)−光佐・光寿・佐起(本願寺座主と2人の息子)
16●天正15年(1587)−朝日姫(豊臣秀吉の妹:徳川家康の正室)
  豊臣秀吉の妹である朝日姫は、徳川家康の正室であり病気療養
 のために草津を訪れたとされている。
17●天正16年(1588)−豊臣秀次(関白:豊臣秀吉の甥:養子)
   豊臣秀吉の異父兄弟:豊臣秀次も来ている。
18●天正16年(1588)−松平(依田)康国(小諸城主)
19●文禄3年(1594)−大谷吉継(豊臣秀吉家臣:石田三成親友)
20●慶長3年(1598)−前田利家(豊臣秀吉親友:加賀100万石)
  前田利家なども遠路はるばる草津の地を訪れて、温泉に入湯した
という記録が残っている。
△△△徳川家康は、草津を訪れたことはないものの、草津の湯を江戸城へ
 運ばせて入浴していた。

*************************

・享禄2年(1529)
1月24日 山内上杉家家臣:白井長尾景誠が長尾八郎に謀殺される
   (『続本朝通鑑』)
8月14日 上杉憲寛が上野国碓氷郡:安中城の安中氏討伐を開始
   した。同盟関係にあった扇ヶ谷上杉朝興からは制止されたが、
    これを無視した。
   (『続本朝通鑑』)
9月22日 西氏と小幡氏が上杉憲政を擁立した。
   上杉憲寛に対して謀反を起こした。
 ・・・・山内上杉家の内紛が発生した。
  上杉憲寛による安中氏討伐の背景には、長野氏と安中氏の対立が  
  あったと考えられる。
  (★黒田基樹)
  長野氏・高田氏が擁する上杉憲寛
     VS 安中城付近で交戦
  小幡氏・安中氏・藤田氏らが擁する上杉憲政

  上杉憲寛は長野方業を随行させながら、安中城から程田
  (高崎市保渡田)に後退した。
    (★『続本朝通鑑』) 
・享禄3年(1530)
5月 
「左衛門尉」(小幡)が上野国多胡郡仁叟寺(吉井町)に対して
 禁制を与えた。
  甘楽郡高田城(富岡市旧妙義町)周辺で合戦があった。
5月21日 上杉憲寛が高田憲頼の注進により、被官:守山与五郎の
  戦勲に対して感状を発給した。
10月25日 上杉憲寛が用土新三郎(業国)領の武蔵国男衾郡赤浜
  を被官:三富平六に与えた。
・享禄4年(1531)
9月3日 上杉憲政が関東管領を継ぎ、憲寛は上総国の宮原
(市原市)に退去して、晴直と名を改めた。
 (★黒田基樹著)
●結果
1)古河公方家では足利晴氏が公方の地位を確立し、高基は隠棲。
2)山内上杉家では上杉憲政が家督を継ぎ、憲寛は敗れて上総宮原
  (市原市)にて隠棲。
結果:足利晴氏が古河公方、上杉憲政が関東管領の地位を確立した。

※箕輪長野方業が敗れている。
上杉憲寛方の諸氏は許された。

長野方業の後継者とみられる長野業正(★黒田基樹)
あるいは長野方業の娘を小幡憲重に嫁がせた。
その後、箕輪長野方業の養女になっていたとみられる沼田顕泰の娘を
安中重繁に嫁がせた。
さらに、安中重繁の娘を高田繁頼に嫁がせた。
これによって、和解が図られている。
◆参考文献
・『戦国関東の覇権戦争』黒田基樹著 
・『戦国北条氏五代』黒田基樹著 
・『戦国期山内上杉氏の研究』黒田基樹 
・『西上州の中世』:黒田基樹著:安中市ふるさと学習館
◆参考サイト
ウィキペディア


・天文21年(1552) 北条氏の平井城攻撃
  上杉憲政は平井城から逃亡した。   
・天文22年(1553) 小幡憲重は息子を連れて信濃国塩田城にいた
  武田晴信に出仕した。
 息子は元服して「信」の字を与えられ「小幡信真」と称した。
※どちらかとすれば、武田晴信よりであった。

★長野業政絶頂期での小幡一族の様子       
@小幡憲重の妻は長野業正の母の妹の娘である
 (★『西上州の中世』:黒田基樹著)
 A小幡重貞(信実→信貞)の妻は長野業正の長女である。

※箕輪城主の長野信濃守業政は上州一揆の旗頭である。
   小幡氏は同心である。 
 (★群馬県史:近藤先生)
※長野業政は女子が12人の内の長女・次女を小幡氏に配している。
  @長女・・・国峰城の小幡重貞(=後に信貞)
  A次女・・・宮崎城&神成城の小幡図書介景貞
       (小幡重貞の従兄弟説が有力説)
(★諸系図より)
箕輪初心●群馬の城:旧甘楽町A国峰城=武田24将:小幡重貞
http://53922401.at.webry.info/201107/article_7.html
★24将ではなかった。根澤館長は武田晴信の騎馬軍団では
 小幡信貞が最強であった。馬が圧倒的に多かった。

箕輪初心●群馬の城「宮崎城→神成城」=小幡図書之介の城
http://53922401.at.webry.info/201107/article_16.html
 
・永禄3年(1560) 5月6日付 武田家朱印状写 
 小田切・高野(佐久市小田切・佐久穂町)120貫
  ■田・桑山(佐久市)80貫
  海瀬・三分(佐久市)130貫
  崎田(佐久穂町穂積)70貫  
  所領充行・・・
  市川右馬助殿・市川右近助殿・市川縫殿助殿
(★北佐久郡浅科村:「五郎兵衛記念館市川家文書」)

永禄 3年 (1560)
5月 国峰城主:小幡尾張守信貞は草津湯治中
 従兄弟:小幡図書介に国峰城を奪われた。
(★『上毛古戦記』:山崎一著)

永禄3年(1560)
5月 小幡憲重・重貞父子が草津温泉に湯治中に、箕輪城の
    長野業政・小幡図書介景純が国峰城を奪取した。
(★『関東古戦録』:久保田順一訳)
小幡氏が武田氏に走った報復と考えられる。
小幡重貞は武田氏配下 VS 長野業政は長尾景虎の同心

小幡重貞(箕輪城の長野業政の長女が妻)は敗北
  →武田方に参陣か?
小幡重貞は草津温泉から国峰城に帰る事が出来ず、僅かな兵と共に
武田家を頼り甲斐へ落ち延びた。ということであろうか?


武田信玄は小幡重貞に信濃国大日向五千貫を与えた。 
※伊藤一明氏説(佐久市旧浅科)
 宮崎城主:小幡尾張守が羽沢に逃れ、市川氏を頼った。
市川氏は武田晴信の援軍をまって、宮崎城を奪還した。
★しかし、宮崎城主・神成城主は小幡図書介景澄の城なので
 伊藤説は違っているかもしれない。本当は国峰城である。


小幡憲重は笹の平城(南牧村磐戸)を北小幡領の最前線として
築城した。

9月 武田信玄は小幡重貞を砥沢の羽沢城に(群馬県南牧村砥沢
    :旧羽沢小学校)に転勤させた。
  (★上毛古戦記28話)            
    市川馬之助兄弟など南牧地衆を配下とした。
    国峯城主:小幡図書介景純は砥沢を攻略するため、
    檜平付近で戦ったが敗退した。

●永禄3年(1560)?10月11日付 武田晴信書状写   
 市川右馬助殿・市川右近助殿・市川縫殿助殿
 其地出陳之由、辛労察入候、年来小幡殿申談義云々

 ※砥沢城に小幡信実は在城した伝説があり、
市川氏は小幡憲重・信実の同心衆に編成替えされた。
(★黒田基樹説)

●永禄4年(1561) 卯月17日付 武田家朱印状写
  所領安堵状・・・・
  市川右馬助殿・市川和泉守殿・市川四郎右衛門殿
  ・市川神四郎殿・市川半次郎殿・市川孫六殿

・永禄4年(1561) 4月 笹渡戸の戦い(笹の平・檜平)
  武田信玄の攻撃で、小幡図書介景純の笹の平落城。
  武田信玄の祠・・・箕輪城攻撃戦勝祈願。
    上野進出の足がかりになった戦である。
(★南牧村史)

※黒田基樹氏・平山優氏の研究では南牧村史と1年違っている。

永禄4年(1561) 武田信玄の支援を受けて国峰城を奪取し、再び
  城主として返り咲いた。

・永禄4年(1561)  第4次川中島の合戦
※山本勘助が実在していたことは確認されている。
 昭和44年に発見された武田信玄直筆の「市川文書」の中に
 山本勘助の名が記された書状がある。


・永禄6年(1602) 小幡重貞は武田信玄の傘下。小幡信貞を改名。
逸話…愛妻家で、武田信玄から現在の妻(長野業政の長女?)
 と離縁して武田家の縁のある女を正室として迎えるようにと奨め
 られだが、離縁したら妻が死ぬと身を案じ、武田信玄は小幡重貞
 に信玄の「信」を与え、信貞り改名した。


・永禄9年(1566) 箕輪城の落城。
小幡信貞は箕輪城攻めに加わった。
  武田方について国峰城を再建。
             →南上州のドンになった。
   ★推定4万石・2000人の兵。60余りの砦支城。

・永禄10年(1567)
義信事件→生島足島神社(上田市別所温泉近く)
小幡信貞・私の母方先祖も起請文を出した。

▲三増峠の戦い
 武田信玄は旗本衆・信濃衆・上州衆(小幡信貞や箕輪城代:浅利
 信種など)を連れ、鉢形城→滝山城→小田原城と攻めた。
 三増峠の戦い(高尾山の近く愛川町)があった。

箕輪初心▲武田信玄:鉢形城〜滝山城〜小田原城〜三増峠の戦い
http://53922401.at.webry.info/201411/article_19.html

箕輪初心:生方▲【武田信玄の動向】と
井伊直虎・直政70第18話「あるいは裏切りという名の鶴」
http://53922401.at.webry.info/201705/article_7.html

・永禄12年(1569) 今川攻めが始まった。
葛山城→深沢城(武田信玄の息子を葛山氏の娘と結婚させた)
→興国寺城(垪和伯耆守康忠・・後、相甲同盟で明け渡した。)
蒲原城→駿府攻め・・・今川氏真は掛川城に逃げた。

・元亀3年(1573) 12月22日、三方ヶ原の戦い
小幡信貞も従軍し大きな功績を挙げた。
 徳川家康から小幡信貞も「赤備え」の猛将として知られるように
 なった。
箕輪初心★小幡一族&熊井土一族&三方原の戦
http://53922401.at.webry.info/201304/article_10.html
★国峰城主:小幡信貞の第一家老は甘楽小幡城代:熊井戸実業。
 熊井戸実業の子は井伊直政家老:岡本半助信就である。

逸話@「脱糞事件」…徳川家康は敗走中に恐怖のあまり脱糞し、
  浜松城に入城した。後に家臣から脱糞した旨を咎められて
 「これは味噌だ」と家臣に言い放った。」
  出典となる史料が判明していない。
 ※逸話A「しかみ像」…徳川美術館にある「しかみ顔」はこの
  時、書かせたと後世の人が語った。

NHK大河「おんな城主 直虎」の37話では、2つの逸話が同時に
 演じられていた。
 
箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政97『第37話:武田が来たりて…』
元亀年間の武田・徳川の動向
http://53922401.at.webry.info/201709/article_17.html


・元亀3年(1572)▲三方ヶ原の戦い 
  武田家臣:山県昌景が井伊谷を攻撃した。
  井伊谷3人衆は開城した。
  徳川家康は大敗を喫した。
12月22日〜正月始めまで 武田軍25000が井伊谷に滞在した。

・天正元年(1573 ) 武田軍が井伊谷に侵攻し、神社・仏閣・民家
  を焼き払った。


★余談…徳川家康は三方ヶ原の戦で大きなの恐怖とトラウマを味わった。
 武田信玄及び武田軍の武将達に尊敬の念を抱くようになったという説
 もある。
 徳川家康は武田氏滅亡後、武田の残党を抱えた。井伊直政には
 山県昌景や小幡信貞の赤備えを井伊直政に継がせた。
 


・天正元年(1573 )4月12日 武田信玄が駒場で死んだ。 
井伊谷は再び徳川家康の支配下になった。

・天正2年(1574)▲高天神城の戦い 
  小笠原長忠が降伏した。
高天神城は武田軍の支配下になった。


・天正3年(1575)長篠の戦い
小幡信貞が「馬上巧者」との記述がある。
 (★信長公記)
  織田軍からも一目置かれた。


・天正10年(1582)
 3月11日 武田氏滅亡
→小幡信貞は甲州にいて、八王子へ。
  北条氏政の支配下説。
  ★垪和伯耆守康忠を頼った可能性が高い。
  理由・・・和田信業も頼った文献資料が山梨にある。
  (詳細は、「箕輪初心●和田信業」)
http://tb.bblog.biglobe.ne.jp/ap/tb/a257e0854f              
 
→小幡信貞は伊豆長岡に居を構え、伊豆の狩野姓を
  名乗った説もある。
     (黒崎説)

井伊の赤備え…山県昌景の家臣から井伊直政の家老になった者
 は、三科・広瀬・孕石・河出(妻は井伊直政の姉:高瀬)、後、石原
 等である。
 後、小幡信貞の子:小幡孫次郎も井伊直政の家臣になった。
 井伊直政は天正12年(1584)小牧長久手の戦いでは、
  山県昌景の兄:飯富兵部の鎧を着た。
  (★龍たん寺蔵の赤備え)

 
 北条氏政が滝川一益を通じて織田家に転じた関係で、小幡信貞も
 滝川一益に従った。
 
 6月2日 本能寺の変
   織田信長は明智光秀で急襲され自刃した。
 6月20日 滝川一益は後ろ盾を失い、蟹江城・長島城に引き上げた。
 清洲会議に遅れた。
 小幡信貞は小田原北条氏に臣従した。
 (★群馬県史)


・天正18年(1590) 豊臣氏の北条攻め
  北国軍の前田氏・上杉氏に迫られ、国峰城は落城。
 小幡信貞は小田原城に籠城した。

7月5日 小田原城開城
  北条氏が滅亡に伴い大名家からは没落し、武田家家臣時代に旧知の
  仲だった真田昌幸を頼り、塩田平(長野県上田市)で隠遁生活を
  した。 (通説)
上野に戻り、赤城(天正16年、伊豆より長井坂城の警備に就いた。)
  ・箕郷で狩野姓で過ごした者もいた。
 →小幡信貞は真田昌幸の支配下に入った。(黒崎説)

   小幡光重の子孫:小幡正俊は徳川家康に200石で家臣になった
   者もいる。
小幡信貞の子:小幡孫次郎は井伊直政の家臣になった。

・天正20年(1592) 別所でなくなった。享年52。
  別所温泉の安楽寺に墓碑が建立された。


◆小幡信貞関係のブログ********************
  
箕輪初心:生方▲武田晴信の天文15年(1546)の隠れた上州侵攻
&武田家臣:市川氏
http://53922401.at.webry.info/201605/article_14.html

◆◆ 箕輪初心★小幡信貞  ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201104/article_16.html

◆◆ 箕輪初心★小幡一族の歴史2「武田二十四将へ」  ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201107/article_18.html
★24将にはなりませんでした。


◆◆ 箕輪初心●群馬:小幡2008「武者行列」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201104/article_14.html

◆◆ 箕輪初心●群馬:小幡2011「小幡城」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201104/article_15.html

◆◆ 箕輪初心●群馬:小幡2012「武者行列」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201204/article_9.html

◆◆ 箕輪初心●群馬:小幡2012「城下町」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201204/article_10.html

箕輪初心◆群馬『織田信雄の小幡城下の桜が満開』
http://53922401.at.webry.info/201304/article_9.html

箕輪初心●群馬:【小幡】織田信長の次男→宗家の城下町】
http://53922401.at.webry.info/201204/article_10.html

小幡憲重・重貞(信貞)が平時の館は小幡であったが、
 第一家老:熊井戸に小幡館を任せ、国峰城にいることが
 多かった。



箕輪初心●群馬の城:旧甘楽町A国峰城=武田24将:小幡重貞
http://53922401.at.webry.info/201104/article_16.html
★24将にはなりませんでした。

箕輪初心●群馬の城「宮崎城→神成城」=小幡図書之介の城
http://53922401.at.webry.info/201107/article_16.html

箕輪初心:生方▲箕輪城193【武田信玄の上野侵攻】詳細編
@天文15年〜永禄4年
http://53922401.at.webry.info/201606/article_28.html

箕輪初心★小幡一族&熊井土一族&三方原の戦
http://53922401.at.webry.info/201304/article_10.html
★国峰城主:小幡信貞の第一家老は甘楽小幡城代:熊井戸実業。
 熊井戸実業の子は井伊直政家老:岡本半助信就である。

箕輪初心★箕輪城96【井伊直政家臣:岡本半介宣就】
http://53922401.at.webry.info/201301/article_9.html


★明日は?

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人ー12『甘楽国峰城主:小幡信貞』 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる