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zoom RSS 箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政74【井伊谷の杉林の疑問】と『森と日本人の1500年』「林業の歴史」

<<   作成日時 : 2017/05/17 09:19   >>

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平成29年(2017)5月14日の『おんな城主直虎第19話「罪と罰』
では、「杉の木を賊が盗んだ。」ことが話題になっていた。疑問点・
嘘っぱち・気になったことは、@井伊氏・近藤氏が植林をしていた
こと、A檜(ひのき)ではなく、杉であったこと、B20年の物の
杉が細すぎること、C鋸ではなく、斧で切ったこと、C数日間で切
って、山から下ろしたこと、D海まで約10〜20kmを運搬した
のか?、D船の材料として適切でなのか?などである。
『森と日本
人の1500年』田中淳夫著を参考に、林業の歴史を紐解いてみた。
結局、井伊谷の杉林は歴史考証は正しいかどうか不透明であった。
NHK大河ドラマ『』おんな城主:直虎』は直虎の資料が少ないの
で、ホームドラマの色合いが濃くなっていている。また、時代考証
上での疑問点が浮上し過ぎている。『真田丸』よりもさらに史実が
曲げられている。私としては、調べる材料が増えて、返って面白い
けどね。
箕輪城の杉林・僕んちの檜林も掲載しておいた。


箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政73『第19話「罪と罰」』
&【甲州の武田氏館など】
http://53922401.at.webry.info/201705/article_13.html
今回は第19話の拡大バージョンである。

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政64▲徳政令の歴史&第14話「徳政令の行方」
http://53922401.at.webry.info/201704/article_11.html


箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政68【木綿の歴史】
&『第16話:綿毛の案』
http://53922401.at.webry.info/201704/article_25.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政69『第17話:消された鉄砲』&【鉄砲の歴史】
http://53922401.at.webry.info/201705/article_1.html







【0−1】 箕輪城の植林・・・現在、樹齢60年
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 (★北西からの全貌・・・武田信玄は森林前を眺めた?)
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 (★真駐車場からの杉林風景)
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 (★関東最大幅40mの本丸堀)
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 (★本丸堀〜御前曲輪堀の植林伐採)

【0−1】 生方家の檜林・・・現在、樹齢20年?
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 ★檜の世話はしていない。檜の伐採木は友達に
  上げたり、薪ストーブの薪、葉の部分は盆踊りの
  屋台、道祖神:どんど焼きの枝となっている。
  ちなみに別の杉林もほったらかし、・・・・・
  私は杉林・ヒノキ林はなんにもしていない。
  安すぎるからね。蚊と蜂と蛇の住処になっている。



【1】 『森と日本人の1500年』の林業の歴史:田中淳夫著
画像


第2章 ニッポン林業事始
日本の森を大きく変化させた木材利用=林業の歴史を考える。
 木材をどこから求めたか?どんな森づくりをしてきたか?

1節、林業の誕生は邪馬台国から

1)林業の定義・・・4つの定義
 @継続的に森を利用するために木材資源を組織的に調達する作業がある。
条件…自給自足的な木材利用は含めない。
A木材の輸送技術を生かした組織的な輸送作業がある。
担ぐ・引きずる・転がす・水で運ぶなどの組織的活動がある。
B製材加工技術を生かした職人の作業がある。
丸材を角材・板にして、木と木を組み合わせる作業がある。
C森林資源の確保のため、持続的な活用を求めた作業がある。

私は単純に「林業とは、木を植え、育て、育った木を切って、運んで、
 加工して、売る産業である。」と単純に考えていた。なんか。偉い人は
 文字をこね回しているようだ。分かりづらい。
※高崎経済大学:西野教授
「さん(てへんに取)手林業・育成林業に分けて考える。」



2)日本の林業は3Cには成立していた。
@集落(ムラ)から集落(クニ)の時代
『林業発祥の地を探る手がかりは大規模な木造建築にある。』
 遠くの多量の森林資源→木材の組織的な運搬→木材の加工→加工
  木材を利用した大規模な宮殿や集落の倉庫、宗教施設の組織的な
 木造建築をした。

 例1、奈良県桜井市の『纏向(まきむく)遺跡』
   (卑弥呼と邪馬台国畿内説もある)
遺跡内の藤山古墳から出土の木材年輪分析では「西暦199+
   12年以内」
遠くから木材のヒノキ材を調達・運搬組織をした。集落(クニ)
   をあげての林業が行われていたのではないか。

 例2、佐賀県佐賀市の『吉野ヶ里遺跡』
組織化された木材調達=林業が生まれていた。
感想…吉野ヶ里遺跡の墳丘墓は紀元前〜3Cであるが?
  縄文時代前期中頃から中期末
    (紀元前3000年〜紀元前2200年頃)の
  青森県「三内丸山遺跡」でも林業が見られるのはないだろうか?

 ※竪穴建物・楼台施設は、長期に同一の場所に造られている。
  計画的な土地利用が行われていた。花粉のDNA分析などからは、
  ブナ林を中心とする落葉広葉樹が広がる自然環境に、資源の維持
  ・管理を目的とした積極的な森林への関与が行われていた。
  クリ林やクルミ林、漆畑などの有用な樹種で構成された「縄文里山」
  と呼びうる人為的な生態系を成立させ、生業を維持していたことが
  明らかとなっていた。
(★ウィキペディア)

A大和時代・・・省略してる
 ★感想…「ヤマト政権」
考古学上、古墳時代は、一般的には、邪馬台国の卑弥呼時代は
  箸墓が卑弥呼の墓であ り、古墳時代が始まるという考えが
   生まれた。
古墳時代の大規模な木材調達を外したのは何故だろう。
 群馬の保渡田古墳群の主の館「三ツ寺1遺跡」は、日本ではじめて
 発見された豪族の館である。と言われている。この館内に入る懸け井
  ・建物群・古墳の石が烏川の対岸の乗 附から運ばれた物であるが、
  コロとして観音山の木材が使われたと言われている。
観音山の森林確保・木材の運搬・木材の加工・大規模建物への木材
 利用がうかがわれる。

B飛鳥時代
・586年、奈良「飛鳥寺」の建設が「木材伐採」の初見資料である
 ★感想…聖徳太子に絡むと言われているが、いるかいないかも
  議論の対象になっている。この頃、既に、林業が行われたいた。

・593年、大阪「四天王寺」
 ・聖徳太子が百済から招いた「金剛組」という大工集団がいた。
・607年、奈良「法隆寺」
  大和川の上流の木材利用と考えられる。

・677年、天武天皇は飛鳥川上流の木材伐採禁止令・焼き畑禁止令を
  だした。 ・森林破壊が進行していた。

・694年(持統8年)〜710年(和銅3年)奈良県橿原市(かしはらし)の
  「藤原京」の建設で木材を利用した。
近江国から木材を運んだ。



2節、古代の都が奪った巨木の森
1)木材の使用量
C奈良時代

・810年 平城京が造られた。

広さ2500ha。約10万人の大都市であった。
大極殿・内裏・朝堂・など、貴族の屋敷・役人・兵士・職人の上
・道路建設
東大寺・西大寺・大安寺・興福寺・元興寺・薬師寺・唐招提寺・・・
瓦の焼成には多くの木材が必要であった。
建築にかかる木材量の推定…75000立方m。27万本
燃料にかかる木材の推定量…99300立方m。(新海毅の研究)
   
2)畿内に設けられた杣
木材の調達は
 ・奈良時代前期は「三輪山」であった。
根拠…万葉集
・奈良時代後期は「近江地方」であった。
根拠…761年、「甲賀山」・「甲賀山作所」の記述・・
東大寺は田上(たかなみ)山
※結果…「田上杣」・「信楽杣」・「甲賀杣」が誕生した。
信楽は6古窯の一つで、焼き物の焼成にも大量の赤松を
   必要とした。


「杣」の意味…木材の生産場所
  「山作所」…木材の加工場所
結果…聖武天皇の都遷都計画は多くの木材消費を産んだ。それが森林減少
 問題に発展した。

感想…聖武天皇は大仏建造に関して、銅生成のための鉛を使った公害
 問題をも引き起した。


3節、1400年続く林業地
都遷都でヒノキ材の「田上杣」・「信楽杣」・「甲賀杣」が消滅した。

D平安時代
  新しい「杣」の生成は「山国杣」と「高島杣」 に繋がった。

1)「山国杣」…京都府京都市北部の大堰川流域の森林である。
大堰川→保津川→桂川→淀川となる。
江戸時代、角倉了以河川開削を行った。
★京都嵐山の保津川下りの終点上に銅像が建っている。
どちらも継続的な林業が行われ、現在でも林業地である。

・894年 桓武天皇は天安京に都を移した。
「山国杣」を禁裏御杣御料地に指定した。
禁裏修理職も置き、大杣方・棚見方という役職を置き、木年貢を
納めさせた。
民は農業生産物を京で販売した。
※林業(薪・柴・檜皮販売)と農業(野菜類)で生計が成り立って
いた。


2)「高島杣」…滋賀県高島市の安曇川流域の森林である。運搬は筏流
  しである。
※筆者の余談…「杉の生産の歴史」
林業と農業の複合で生き残った。


4節、戦国時代のバブル
D鎌倉時代…作者省略
E南北朝時代…作者省略
感想…「杣山城」は、植林された場所に造った城である。
例1、福井の「杣山城」は新田義貞が最後にいた城である。
例2、群馬の下仁田IC近くの「杣山城」は、上信道に寸断される
     ことになり、発掘調査が行われた。

F室町時代…作者省略

@戦国時代…
1)「軍事物資としての木材」
戦乱の世は経済が飛躍的に発展した。経済の発展は逆に森林を劣化させた。
※具体的な森林の劣化 
 A,守護大名・戦国大名は寺領の開発を目指し、森林を農地に変えた。
B,森林の木材を城砦・仮小屋建設に搾取された。

例1、豊臣秀吉
 京都聚楽第・京都の伏見城・肥前(佐賀)の名護屋城・京都の方広寺など
 比叡山・高野山の寺院建築支援など・・・膨大な木材消費を促した。
大坂城もある。ケヤキ・クリ・マツ材も使われている。

例2、徳川家康
 東京の江戸城・静岡の駿河城をはじめとし、寺院も建築した。
寛永寺・増上寺などを造った。

例3、各国の大名
 城や城下町建設・田畑の観光で森林を切り開いた。

例4、松永弾正久秀
 多聞城は4層櫓の宮殿であった。松永久秀は城を織田信長に献上した。
 ポルトガル人宣教師「・・・約2mの一枚板の廊下があった。」

感想…井伊直政は「箕輪城から高崎城移城」の際、箕輪城の木材を
 リサイクルさせ、もっと大きな規模の門・隅櫓を造ったようである。
 高崎城は幅10m前後の「遠構え」という外堀の内側に城下町も町
 割りした。中に連雀町・田町(田宿)・紺屋町・新しく本町等を造
 った。7つの門の近くには大きな寺院を建立させ、守りの場とした。
 木材は倉渕や観音山の木を利用したと思われるが、記録はない。

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2)「発達した木材輸送技術」
森林資源の枯渇は、木材の利用技術を発展させた。
@奥地からの運搬技術が発展した。
A細い木・短い木を繋いで加工する技術を発展させた。

例1、「木の利用方法の技術の発展」
 東大寺の再建・修復
 鎌倉時代…現在の山口県徳地から木材を運んだ。
 江戸時代…九州の霧島山から木材を運んだ。
  「たが止め」や「寄せ木」で造られている部分がある。
高崎城がリサイクル木材も多くあったので、当然、接木の加工も
 多く行われた。
  槻の木門は箕輪城の門の木を縦横2倍程度に大きくしている。

例2、奥地からの運搬法の発展
 「木落とし」・「巻き上げ」・「鉄砲…川を堰き止め、木材を一気に流
  す技術」
「筏」「船で丸太を運ぶ技術」
江戸時代に高崎には「筏場」があって、本町が管理した。
現在の烏川の立体交差のミニ公園付近に当たる。


例3、「木材加工に必要な道具の発展」
チョウナ・ヤリガンナ・縦引き大鋸(のこぎり)の製造技術が発展した。
 ★優れた刀鍛冶だけでなく、林業・農業の道具の鉄部分の加工も発展した。

5節、焼き畑から生まれた吉野林業
ボルネオ…4回行っているが、日本輸出にラワン材の伐採が行われ、
 焼き畑も増えた。
 ★マレーシア領ではボルネオ
   インドネシア領ではカリマンタン
  日本への木材輸出・椰子油輸出で、森林破壊が
  飛行機の中から一目瞭然である。


箕輪初心◆太平洋戦争史A【東南アジア・オセアニアへの破竹の侵攻】
http://53922401.at.webry.info/201201/article_6.html

箕輪初心★海外bV0セレベス海ダイビング(インドネシア)
http://53922401.at.webry.info/201010/article_28.html
 ★ボルネオ・シパダンが見つからず。
  インドネシア・カリマンタンのみ掲載。
  


★吉野川上村も2回行っているが、林業は盛んであった。

箕輪初心:生方▲奈良:川上村の「滝めぐり」観光&特産品
http://53922401.at.webry.info/201505/article_29.html





【2】 日本の林業史(★ウィキペディアより編集)

・古代
  木造建築をはじめ日用品の隅々まで木製品が使われていた。
 必要な用材を確保するため林業は古くから行われていたと考え
 られている。

・中世
  寺社造営などに際して木材伐採を命じた文書が存在する。
 確実に山林資源の管理が行われていたと考えられている。

戦国期
  戦国大名の大名領国の成立に伴って、材木伐採や林産資源の
 採取、炭焼き、漆の採取、鉱山経営、狩猟など山における諸職人が
 領主に掌握され組織化された。戦国大名の本拠では居館を中心に、
 城下町が形成され、城郭の普請や寺社の造営などに木材需要が増加
 し、山の民は領主から用益権を保証され、領主の必要とする森林資
 源や伐採・運搬・加工技術を提供した。
  なお、材木伐採や製材に関わる職人の呼称は「山造」など地域に
 よって様々である。

・慶長年間(1596〜1615)鳥取県八頭郡智頭町にはに造林されたとい
  うスギの人工林が存在する。

・江戸時代
 江戸幕府や藩によって御林が設定された。

・明治時代 新政府に引き継がれ、現在の国有林の原型となった。






【3】 鋸の歴史(★ウィキペディアより編集)
・古代〜
  鋸はほとんど普及せず、斧、ちょうな、槍鉋で樹木の伐採から製材
 までをこなしていた。斧で樹木を伐採して手ごろな大きさに断ち切り、
 楔(くさび)で引き割って大まかな形を取り、ちょうなや槍鉋で表面
 を仕上げる。杉や檜のように木目が通って引き割りやすい針葉樹が建
 造材として好まれるようになった。

・鎌倉時代
  丸太や木材を横に切断できる横挽き鋸が普及し、建築現場で使用され
 るようになった。
 (★『石山寺縁起絵巻』などの絵巻物に描写)
 縦引き鋸はいまだに開発されておらず、木材を縦に挽き割ることができ
 なかった。角材や板を作り出すには、丸太に楔を打ち込んで引き裂くよ
 り方法がなかった。

・室町時代
  中国大陸や朝鮮半島から二人挽きの大型縦挽き鋸「大鋸」(おが)が
 伝来した。

・戦国時代
  縦引き鋸は節の多い粗悪な針葉樹材や繊維の入り組んだ広葉樹材でも
 挽いて加工が可能になった。
 板や角材は安価に手に入れられるようになり、庶民にも普及した。

・江戸時代
  製材用の鋸「前挽き」や細工用の鋸など、用途に適した鋸が分化し、
 木工技術は大いに向上した。
  しかし、鋸が普及した後でも、樵は斧のみで大木を伐採していた。
 鋸での伐採作業は木が倒れる際に裂けることがあり、事故や木材の価値
 低下につながりかねなかった。
  また、斧での伐採作業大きな音が響く。鋸での伐採作業では音がしな
 いため、盗伐を容易にしてしまうので、為政者は山林管理の目的で、斧
 の使用を奨励していたのである。
 (★『「富嶽三十六景・遠江山中』前挽き鋸による製材風景が描写)



【4】 井伊家の林業
@井伊氏・近藤氏が植林をしていたこと、
結果…植林はしていないだろうな。

A檜(ひのき)ではなく、杉であったこと、
結果…植林はしていないだろうな。

B20年の物の杉が細すぎること、
こんな細い木を切って木材にするわけがない。

C鋸ではなく、数日間で斧で切ったこと、
時間がかかりすぎるので、相当の人数が必要である。

D数日間で切って、山から下ろしたこと、
★「木落とし」技術は諏訪神社が有名であるが、海の民はこの技術を
  持っていたとは考えにくい。2010年4月11日、木落写真、消滅。
画像



E海まで約10〜20kmを運搬したのか?、
まるっきり無理では、夜こっそりなんて・・・

F船の材料として適切でなのか?などである。
戦国時代、戦国大名による水軍の組織化が進むのと歩をあわせるよう
にして、毛利氏、武田氏、後北条氏などの有力な大名は少数ながらも
配下の水軍に安宅船と呼ばれるような大型の軍船を建造させるように
なった。織田信長や豊臣秀吉も塩飽水軍や村上水軍を利用した。伊勢
水軍や熊野水軍なども船の建造や渡航技術が高かった。

箕輪初心●香川「塩飽水軍」=新田義貞の弟&咸臨丸操縦。
http://53922401.at.webry.info/201101/article_20.html

箕輪初心■四国gG「同窓会=香川の本島&多度津」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201101/article_14.html

★箕輪初心■小栗上野介H「遣米使節VS咸臨丸」の歴史的意義
http://53922401/201108/article_17.htm?i=&p=&c=s&page=2&guid=on
http://m.webry.info/at/53922401/201108/article_17.htm?i=&p=&c=s&page=2&guid=on




〜〜〜西伊豆シリーズ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心:生方◆西伊豆@【夕日のロマンチック街道の
 これからのブログ予定総論
http://53922401.at.webry.info/201510/article_3.html

箕輪初心:生方●西伊豆A「三枚橋城→沼津城」:武田信玄も侵攻した城
http://53922401.at.webry.info/201510/article_10.html

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箕輪初心:生方◆西伊豆C【沼津港界隈の散策】&『グルメ記録』
http://53922401.at.webry.info/201510/article_12.html

箕輪初心:生方▲西伊豆D『沼津港口公園:本居長世の碑』〜
沼津御用邸〜
http://53922401.at.webry.info/201510/article_13.html

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箕輪初心:生方▼西伊豆M【2016夏:大瀬崎ダイビング15回目】
http://53922401.at.webry.info/201609/article_13.html


箕輪初心●佐賀【名護屋城】=豊臣秀吉朝鮮出兵の城
http://53922401.at.webry.info/201112/article_15.html
★朝鮮出兵の時の船は凄かった。



【5】 群馬の井伊氏情報
)高崎民俗資料館の企画展「長野堰」
 ★井伊直政は高崎の町の基礎を造った。
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2)安中ふるさと学習館の企画展「井伊家と安中」
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 ★井伊直勝は安中の町の基礎を造った。
   中仙道の整備と安中宿の造成・整備をした。








★明日は、高崎井伊氏の長野堰か安中の井伊氏か?

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