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zoom RSS 箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政67『第17話:消された鉄砲』&【鉄砲の歴史】

<<   作成日時 : 2017/05/04 06:36   >>

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やっと、退院できたが、体がふらふらしている。頭もぽーっとしている。
今回の疑問点は@永禄8年〜9年頃、鉄砲は本当に井伊に入ったの?、
A干鰯は本当に三河から伝わったの?。歴史の話題性が多いこと。
@起……井伊谷に鉄砲が伝えられた。直之は井伊にとっての鉄砲の必
要性を訴える。A承……直虎は井平で鉄砲を造らせることにする。
B転……虎松の意気地のないことで悩むが、なんとか解決する。
C結……政次は鉄砲は謀反であるので、助けて欲しければ、後見を
降りろ。」と追求する。
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【1】 『第17話:消された鉄砲』
◆ナレーター
「直虎は百姓たちを集めることに成功した。・・・
  綿作りを始めるのだった。・・・」

●井伊館
夏も近づいてきたある日のことじゃった。・・・
中野直之と瀬戸方久が井伊館に大きな木箱を持ってやって来た。
中身は、種子島からの鉄砲であった。
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直虎「何じゃ、これ?」
直之「種子島。」
直虎は、種子島を初めてみた。
直之「実際に、使ってみよう。」
ということで龍潭寺にみなで移動した。


●龍たん寺
・槍の稽古中・・・・
・虎松(寺田心)が手習いを終わったところであった。
傑山が顔を近づけると、怖がってなつの影に隠れた
 南渓「あれま、ひとみしりかのう?」
直虎は目を色黒させている
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直之は
@玉薬(火薬)を詰める。
A玉を込め、
B鉄の棒で玉を奥に詰める。
C火ぶたに一端火薬をつめ、ふたを閉じます。
D火縄を火ばさみに挟み
E的を狙って撃つ。

直之が種子島を使ってみせた。
直虎は遠くにあったものを撃ち落としたことに驚いた。
直虎は、「これは妖術か?」
と驚く。
直之「今の井伊には、このような武器が必要です。これなら、
    百姓でも撃てます。
と直虎に訴けた。

〜〜〜ミュージック・役者〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆テロップ「第17回 消された種子島」




●井伊館
「ひとつ、10貫?」
「はい。」
「ならぬ、ならぬ、ならぬ。」
直虎はそれは買えないといいます。
「綿を育てるために、新たに人を移住させてきているので井伊には
 お金がないのじゃ。」
・・・・・
「虎松様を・・・百姓を守らずして、・・・」


すると、方久が「御入用ならば、私が用立てします。」
お金を私が貸しますと言う。
「玉薬も高こうございます。」

「銭の話ばかりするな。」
「何事もお金でござる。」
直虎は、しばらく考えた。

「これを井平でつくることはできないものか。」
と言い出す。
「刀を命じておる。井平には優れた刀鍛冶がいる。
     ・・・やらせてみてはどうか。」
「買うより安くあがる。・・・他所に売っても儲かるのでは?・・」

「殿、それで参りましょう。」
直之はnice ideaと、身を乗り出す。
しかし、方久は作られたら自分が儲けられなくなるので、¥・・・
「作るのは難しいです。」
直虎は「やってみねば、分からぬではないか?」
とやる気まんまん。

種子島をもって井平のところに出向くことを決める。


●駿河今川館
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関口氏経「・・百姓を集めるのはよいが、他国の間者が紛れているやも
  しれぬ。」
政次「・・・私から一つお伺いしてもよろしいですか?」
今川氏真「・・・おばば様のことか?・・・」
政次
氏真「・・そちのことは忘れておらぬ。おばば様が勝手にやったことで
   あるが、・・・」
政次「・・・殿の後見を約束してくださいまので、そのあたりが気になり
   まして」
回想・・・おばば様の危篤


●井平

数日後、三人は刀を造っている五平という刀鍛冶を訪ねた。
方久「五平」
頭を下げる。
「これと同じ物をですか?」
「そうたやすくはできまいなあ?」
とかまをかける。
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「鉄の部分は・・・・の部分は・・・」
直之「できそうではないか?」
五平「ここまでは、できそうですが、細かい細工ができるかどうか」
五平は「種子島を見たことがないので、簡単にはできかねます。」
方久「それでは、できないのだな?」
五平「やってみなければ、・・・」
直虎が方久を叩く。
直虎「鉄砲を作ろう。」と指示する
結果・・・やれるだけのことはやってみることになった。

●途中
方久は損をするので、まだ渋っている。
3人は「鉄砲」のことは、以前に小野政次にすぐに口を割った六左衛門
には、教えないことに決めた。


●井伊館
六佐は書類に目を通している。

●小野館
そのの夕方、政次が駿府から戻ってきた。
そこに亥之助がやってきた。
亥之助「変わった物を見付けたので、叔父上なら、お分かりになるかと。」
と手のひらを開いて鉛玉を見せた。
政次「・・・皆目、分からぬ。・・・」と嘘をついた。
亥之助「叔父上でも、分からぬことがあるのですね。」


政次は亥之助がいなくなると「種子島か。」・・・。
直虎がまたなにか始めたのだろう。と考えながら、鉄砲の玉を見つめた。
「何故?」

●井伊館
政次は直虎を訪ねた。亥之助のもっていた鉛が気になったからである。

「なつより聞きました。無事百姓もくるようになったと・・
 ようございました。」
「おかげさまでの。」
「私は忠告しただけ。・・ほかに変わったことは・・・」
「虎松が手習いを始めたことくらいかの。」

政次は六佐を見つめる。・・・六佐は鉄砲のことは知らない。
「駿府は?」
「殿には、お励みになるようにと・・・」
小野政次が直虎に探りを入れる

●龍たん寺
翌日、直虎は南渓和尚を訪ねて龍潭寺にやってきた。
南渓は福満寺の法用のために出かけていた。

すると、虎松が亥之助・中野直久(直之の弟)と囲碁をしていた。
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 ★この3人も箕輪城に来たメンバーである。

虎松の後ろには、直久がいてアドバイスしている。
直虎は「それでは勝負になっておらぬではないか。虎松が強うならない。
    手加減は無用じゃ。・・・・」
虎松は、怒られたと思い直久の後ろに隠れてしまいまう。
直虎ときつく小言を言ってその場を去った。

●???
刺繍が美しい。
母:しのは刺繍の稽古中であった。


●瀬戸村
方久は鉄砲の件は未だに渋っていた。
綿が成長している。
「よそからきたものもよう働いてくれます。」
移住者たちのことを甚兵衛もしっかり面倒をみてくれていた。
方久は、鉄砲をつくることをなんとか諦めさせようとしている。

干鰯(ほしか)を肥料にしようとしている場面があった。
@嘘っぺえ。江戸時代には、上野国まで上総産の干した鰯(いわし)が
  来たけれど・・・鰊の干し鰊(ニシン)は北前船が西航路が確立
してからだし、・・・
A胡麻和え用のすり蜂・・・瀬戸焼では、天文年間頃、擂り目6本同方向
 のすり鉢が生産され始めた。永禄期〜天正期に約10本同方向の擂り目
 を約10方向に放射状すり鉢が造られるようになった。井伊谷でもきっと
 使っていたのだろう。
 でも、使っていたのは、僕に家と同じ「石見焼」のようであった。

◆ナレーター
「近在から、百姓が集まってきた。」

●龍たん寺

ある日、虎松は武術の稽古をする直久や亥之助を見ていた。
なつ「どうしましましたか?」
虎松が何も答えず、その場をさった。

◆ナレーター

虎松が泣く。
昊天が「虎松が手習いにこなくなった。」
と打ち明けた。
もう、かれこれ10日もたつと・・・・。
「前に、直虎が手加減をしないように言ったことが原因で、
@相撲、A鬼ごっこ、B囲碁・・・
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 ★鳥獣戯画編・・・楽しい。
「虎松様は何をやってもまったく勝てないようになってしまって・・・
それが原因で寺に来なくなってしまったのです。」


祐椿尼、「あらまあ。」と困った顔をする。
こう天「しの様から手習いは、寺に通うのではなく館にきて教えて
 ほしいと言われています。」
祐椿尼「手習い自体は続けるというのであれば・・・」
直虎は「なりませぬ。井伊の後継ぎともあろうものが、かような弱い
    ことでどうするのか。」


●祝田館
直虎は虎松がいる館に乗り込んでいった。
なつ「虎松は具合がよろしくないので、・・・」
「なんじゃと」
「流行病で、直虎様にうつしてはとしの様が・・・」
直虎は会えそうになかったので、
「御免。」と強引に屋敷に上がった。


直虎「虎松、虎松どこにおるのじゃ。出てこい。」
しの「もし、おやめ下さいませ。・・・」
虎松は侍女の後ろに隠れる。
「虎松。何故、隠れる。話をしようというのじゃ。」
引っ張る。
虎松は泣く。
「なぜ泣く。」と怒り散らす。

直虎「虎松は井伊の後継ぎ。そのようなことでどうするのか。」
と厳しく叱責する。
しのは堪忍袋の緒が切れた。
しの「それならば井伊の後継ぎにならずとも結構です。」
と反論したのでした。
しのは、直虎に「自分で腹を痛めて産んではどうか。人の子に厚かま
しい。」と言う。
虎松をそにお場から連れ去っていこうとする。

直虎は、「悔しくないのか。虎松。負けたからと言って、尻尾をまいて
 引き下がり、・・・それでよいのか?。・・・」
虎松はうなだれる。

●井伊館
祐椿尼「何をやっているのですか?」
直虎「面目次第もございません。」
侍女「それもよいと思います。直虎様のお子が・・・」
直虎は侍女を叱った。
「すまぬ、竹・・・少し、頭を冷やして参る。」


●小野館
亥之助が政次の囲碁の指南を受けている。
「結局、あれ(鉄砲の玉)は分からなかったのですね。」
◆回想・・鉄砲の玉

亥之助「叔父上、・・・」

●井戸
直虎は落ち込んだ。
直虎はいつもの龍潭寺の井戸に行った。
すると、以前、人でが足りない時にあった旅人が・・・。
「お主、まだ井伊領内におったのか?」
「おう、あの時の尼小僧様」
「尼小僧?」
「あっ、それ、我の・・・」
直虎の水筒までもっている。
「旅をしておったんではないか?」
「実はお宝を探しておりまして、・・・」
「ある姫様がお宝を埋めまして、・・・それを探すあてどのない旅で
 ございます。」

「よいのう。そなたはどこでもいけりのじゃのう。」
「なんなら、一緒にいきますか?」
「われはここでせねばならぬことがあるのでのう。」

「人手はどうなったのですか?」
「あれはおかげさまでようなった。ところがこんどは子供の手習いをさせ
 るのに四苦八苦しておる。」
と打ち明ける。
旅人は「何をやってもですか?・・・とにかく勝てぬのなら一度勝たせて
  やれったらよいのではないでしょうかねえ。」
と直虎にアドバイスする。
「勝たせてやる?」
「そうすりゃ。勝つことの楽しさを覚えるし、・・・

直虎は「それじゃ。」
と言ってまたもや水筒を持たずに立ち去ってしまった。

●龍たん寺
直虎は釈迦如来の前で、善定印を組んで瞑想した。


●祝田館
虎松は直虎に言われたことが悔しかったのか部屋の隅に置いてある
碁盤をみつめていた。
◆回想・・・負けたこと、直虎の言葉・・・
虎松は負けた時のこと思い出していた。

直虎は虎松のところに行った。
音がする。
「虎松、われじゃ。直虎じゃ。入るぞ。」
虎松は直虎に言われたことが悔しかったのか部屋の隅に置いてある
碁盤をみつめていた。
直虎は、虎松に直親の話をした。

◆回想・・・井伊直親
「われはそなたの父とは幼馴染みじゃった。幼いころ父は亀という名じゃ
 った。その名の通り、おっとりとした男子であった。優しいが、頼りな
 く体も弱くてのう。・・・・笛しか取り柄がないというての。・・・
「まことに」
「まことじゃ、なれど、弓も上手く、知恵もある肝の据わった頼もしい男
 になった。何故じゃと思う。」
「悔しかったから。本当は誰より強く行けないと・・・」

 虎松もまた強くなりたいと悔しい気持ちをもっていた。
「勝とうと思わず、何か一つ出よい。みなの鼻をあかしてやれること
 ・・・・」
直虎は「何か一つでいいから勝とう。」
虎松は泣く。
しの達がやって来た。


しのが部屋に飛んできてた。
「大丈夫か。」という。
虎松は「勝って父上のようになりたい。」と話した。
「・・・しの殿もそう思っているのではないか?」
「私に数日、」
直虎は五目並べで亥之助に勝てるように特訓を始めた。
直虎がしばらく虎松の特訓を行った。

「とって行かれる気がするのです。」
「直虎様は母上にはなりません。なれるとしたら、父上ですよ。」

●龍たん寺

◆ナレーター
「亥之助と相まみえる日が来た。」
亥之助と五目並べで対決する日がやってきた。
直虎は「必ず勝てる秘策を教えてやる。
内緒話で・・・・
   (・・・勝つまで何度もするのじゃ。)

対決が始まった。
◆回想・・・政次の亥之助へのアドバイス
接戦で進む。
やがて亥之助の碁が5つ並び、虎松がまけた。
「やったあ。」
虎松が悔しさに震える。
「もう一度・・・亥之助、もう一度じゃ。」

と亥之助に勝負を挑んだ。

「しの殿、これで・・・」
「・・・・お願いします。」
直虎は安堵の表情を浮かべた。

そこに、直之が血相をかえてやってきた。
直之「殿、一大事でございます。とにかく、御館で
●井伊館
五平「種子島が盗まれた。」

直虎は井平に向かおうとする。
しかし、政次が「探し物はこれですか?」
と館に入ってきた。

直虎「何故、政次がこれを手にしているのか?盗んだのかと
    聞いておる。」
と怒りで震える。
政次「目付として鉄砲を作らせているのを黙って見過ごすわけにはいか
    ない。謀反をたくらんでいたのではございせぬか?」
と直虎を追及する。
直之「我らは謀反など、企んではおらぬ。」
  謀反を起こすためにこのようなことをしたわけではない。
  戦になったときに、今川のために戦うための備えに過ぎぬ。」
「そのようなことは、今川家は信じてくれないのではないか?
 謀反を起こす者はみなそうもうしますからな?」
直之は刀を抜こうとする。六佐が止める。

「 助けてほしければ、虎松の後見を降りるように・・・・ 」
「それはできぬ。」
「脇の甘いそなたが後見ができるはずはない。後見を降りられよ。
 井伊のため、御身のためだ。」

直虎は歯ぎしりをしながら睨む。






【2】 「鉄炮伝来」と「火縄銃を使った代表的な合戦」
・天文年間初頭
日本では、弓矢と刀槍を主として戦っていた。
中国:明・挑戦李朝では大砲や火槍、震天雷の開発と軍隊での装備が
 充実し始めた。
 ヨーロッパでは、大航海時代の植民地政策が始まり、大型帆船と
 マスケット銃や大砲が発展していった。
 ★戦争によって、技術や量産体制は整備されていった。
http://ncode.syosetu.com/n1045cf/10/

・天文12年(1543) 種子島に鉄砲が伝来した。
ポルトガル人を乗せた中国の船が種子島に漂着した。
 種子島恵時はポルトガル人から2挺購入した。

※伝来時の値段は1丁1000金=1155万円であった。
 (★『国友鉄砲の歴史』湯次行孝著1996年に発行)


 
****************************
◆参考サイト
@火縄銃の当時の値段は現代だと1丁あたり数千万円!? |
ひすとりびあ
http://historivia.com/cat6/matchlock/4168/

火縄銃の値段はまちまちで、1丁2万円程度〜5000万円ではないか
という説まで多種多様である。第1次史料が残されていないことと、
当時の通貨が固定したものではなかったことが理由である。
・江戸時代、南浦文之(なんぽぶんし)が編纂した「鉄炮記」には、
具体的な値段は記されていない。
「その価の高くしておよび難し」とある。
明治時代の新聞記者・西村天囚(にしむらてんしゅう)が記した
「南島偉功伝(なんとういこうでん)」には、ポルトガル人が
「鉄砲二丁を二千両に売りつけし」と載っている。あるいは金1000
とも伝えられている。
江戸時代の1両が13万円として、10万円相当と考えると、2丁で
1億円にもなる。金でなく銀にすると5000万円である。
(★)
しかし、当時「両」という通貨がなかったのでどう考えるか?。
※赤崎経済大学の「西沢淳男教授」 
「通貨が固定したものではなかったので、算出は無理がある。
 現代価格に当てはめていくのは無理である。分かっているのは
 江戸時代、女性パートの1年間の給料は3両である。・・・
 今で言えば、100万円〜150万円であろうが、・・・・」


A火縄銃の価格(歴史)Yahoo知恵袋
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1124560436
明治時代の新聞記者・西村天囚の「南島偉功伝」の書では、ポルト
ガル人は「鉄砲二挺を二千両に売りつけし」と書かれています。
これが金二千両のことだとすると、現代の価格では一億円以上。
銀二千両であれば、その半額以下の5千万円程度でしょうか。
但し、「鉄砲記」は「その価の高くしておよび難し」と記されて
いるのみで、結局いくら支払ったのかは教えていません。ゆえに、
両という単位は江戸時代に入ってからであり、秀吉の時代の通貨
の表現は金子何枚、銭何貫目でしたから、おそらく天文年間は貫目
という呼び方だったと考えられます。
 また、自分の娘を売った(正確には嫁がせた)のは、初の国産
鉄砲作りに挑んだ八板金兵衛清定です。ネジを作る技術がわからず
困っていた金兵衛は、その工法をポルトガル人から聞きだすために
17歳の自分の娘「若狭」を嫁がせました。しかし、商人だった
ポルトガル人はネジの製造方法を知らなかったのです。夫に連れら
れて異国へ旅立った若狭でしたが、二ヵ月後、ポルトガル人の鉄砲
鍛冶を連れ、夫とともに種子島に帰ってきました。これにより金兵
衛のネジ作りは一挙に進みました。でも、若狭が再び島を離れる日
が近づいてくると、異人に嫁がせた自分の娘が不憫でならない金兵
衛は、「若狭は急死した」と嘘をつきました。激怒したポルトガル人
は、島を去り際に「嘘なら七代まで祟るぞ」と捨て台詞を残していっ
た、と伝えられています。
 ちなみに金二千両(南島異功伝)が一億円以上ですから、二億円を
当時の金額に置き換えると金四千両ということになります。

追記
鉄砲普及後の価格ー1挺・当時の価格で1200文(現在の貨幣価値
では約60万円)
******************************

   大隈の禰寝(ねじめ)氏 vs  種子島氏
   禰寝重長の勝利→屋久島を領有した。
   ★禰寝氏は詰め城として、宮之浦城を築城した。
   ※宮之浦城…宮之浦の鉈折岳500m強の山のの中腹の
   現「城ヶ平」と呼ばれている場所である。

・天文13年(1544) 屋久島の奪回を図る種子島恵時軍が襲撃した。
 楠川城→宮之浦城の攻防戦
 上屋久町の楠川城で歴史上初の鉄砲=火縄銃を使用(伝)。
 城主であった禰寝重長軍は種子島恵時軍に敗戦したのだ。
 結果・・・種子島軍により禰寝軍が全滅。
         再度、種子島氏が領有。
 ※使われたとしても1〜2挺程度?
火縄銃はまだ筒底がネジでない不完全なものであった。

箕輪初心●鹿児島:与論島「与論城」&屋久島「楠川城&宮之浦城」
http://53922401.at.webry.info/201203/article_4.html


種子島に伝わった2丁の鉄砲のうちの1丁は、根来寺の津田某に
譲渡された。
根来寺は70万石の領地と2万人の僧兵を有していた。
種子島に鉄砲が伝わった話も情報としてすぐに根来寺の耳に入った。
根来寺が種子島を中継地として貿易を行い、種子島氏に多額の手数料を
支払っていたのが、鉄砲を譲ってもらえた理由である。
津田某が紀州に持ち帰った。
★根来寺の津田某が鉄砲の量産を考えたのであろう。
根来雑賀衆は鉄砲で武装した紀州の地侍であった。
(★NHK大河「天地人」でも出てきた。)
→瞬く間に世の中に広まっていった。
根来寺の行者が鉄砲を売りさばきに行商した。
 (北条氏の記録?)
 武田や上杉にも売りに歩いた可能性がある。
★根来は鉄砲の販売を商人的発想マーケティングベースに財力と宗教的
ネットワークで全国販売を考えたのであろう。

根来の鉄砲を元にして堺、国友で製造されるようになった。
→紀州の根来&雜賀、和泉の堺、近江の国友・日野などが鉄砲の主要
生産地として栄えるようになった。

特に島津氏や三好氏、足利将軍家など九州・近畿の大名は早くからその
充実に力を注いだ。
 (★ウィキペディア)

・天文14年(1545) 鉄砲の国産体制にに入った。
  しかし、鉄砲は戦の主流ではまだ主流ではない。
   



・天文17年(1548) 斎藤道三と織田信秀の和睦が成立した。
  織田信長と濃姫は政略結婚させられた。
 ※濃姫
  @美濃の国の姫だから「濃姫「である。
  A鷺山城で育ったので「鷺山殿」と呼ばれていた。
(★『美濃国諸旧記』
  B「帰蝶」という名前も出てくる
   (★『美濃国諸旧記』)
箕輪初心:生方▲映画『信長協奏曲』面白過ぎのあらすじ
http://53922401.at.webry.info/201601/article_30.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201601/article_30.html

★織田信長は、超長い長槍と多数の火縄銃を装備した歩兵部隊
 で行進した。斎藤道三は空き家からうつけと噂高い織田信長を
 偵察に来た。・・・鉄砲の多さと隊列の変更・正装姿にびびり
 まくった様子がTVや映画で必ず放送されている。
 しかし、この段階で、それ程の金が織田信長にあったので、あ
 ろうか? 
 ★織田信長が若い頃から、馬に乗り回している姿も見受けられる
 は、「歴史ヒストリア」で黒田基樹氏は「馬は尾張には殆どいな
 かった。桶狭間も途中まで馬に乗っていたが、後は歩きであった。」
 と解説した。井伊直虎の馬に乗る姿も怪しいことになる。



・天文18年(1549)▲島津忠良、貴久の「大隈加治木城攻めの黒川崎の戦」
  島津忠良家臣:伊集院忠朗の黒川崎の戦→1,5km→加治木城攻め
 で、日本で初めての鉄砲を実戦で使用した。
(百科事典・ヤフー、Googleなど)
 鉄砲のネジが完成し、改良を加え、完全な銃になって最初の戦で
 あった。
 (★ネジは重要である。小栗上野介も横須賀造船所建設に当たって
   ネジを持ち帰り、ネジ工場を造らせた。)     


 その後の合戦でも、鉄砲は補助武器にしか過ぎなかった。


@天文24年・弘治元年(1555) ▲第2次川中島の戦いで
  武田信玄は旭山城:栗田に鉄砲を貸す。武田信玄は鉄砲初使用。
 武田晴信(信玄) VS 長尾景虎(上杉政虎→輝虎)
 ▲第2次川中島の戦い
 武田晴信は木曽に出陣中であったが、
 鉄砲300挺、弓800張を含む3000を援軍として派遣し、
 自分も一部の兵を残して、出陣の準備を始めた。
 援軍兵3000は、栗田氏の善光寺の西の旭山城に籠城した。
  (★『勝山記』)
 一方、長尾景虎(上杉謙信)は、善光寺東にある横山城に陣を構
 えていたが、裾花川対岸に葛山城を築いた。
 約200日間の対陣はに及んだが、今川義元の仲介で和議が成立した。
★一説には、山本勘助が雜賀衆から鉄砲を購入したとある。

箕輪初心:生方▲【信濃:旭山城】&第2次川中島の合戦:犀川の戦い
http://53922401.at.webry.info/201604/article_12.html




・永禄2年(1559) 長尾景虎(上杉謙信)は近衛前嗣に謁見した。
4月3日 長尾景虎は関東管領職就任の許しを得るため、
  長尾実景・長尾藤景・本庄実乃(さねより)・直江実綱・
  柿崎景家ら500の兵を率いて、2度目の上洛をした。
4月27日 長尾景虎は将軍:足利義輝に拝謁した
5月1日 正親町天皇に異例の拝謁をした。
    莫大な献上物を送った。
5月2日 長尾景虎は酒宴を催し、足利義輝・近衛前久を
    招待した。
   ★足利義輝から関東管領就任を下賜されるための
    下工作である。
6月26日 足利義輝から御内書・大館晴光の奉書を賜った。
@「裏書御免」の特権・・・名・官途名を省略できる権利
A塗輿・・・・将軍・3管領・相伴衆のみ許された漆塗りの輿
B管領:上杉憲政の補佐・・・ 管領並(管領同等)の待遇を
  与えられた。
 ※関東管領就任を正式に許された。
  =北条氏康を攻撃する大義名分の獲得。
C桐紋の使用・・・
D屋形号の使用許可・・・守護大名のみが使える号
 =国人領主→幕府から大名を許可された。
E信濃侵攻の許可・・・武田信玄を幕府名で討伐する許し
 =信濃侵攻の大義名分の獲得

長尾景虎は関白:近衛前久を奉じ、北条氏討伐を計画した。

※長尾景虎(上杉謙信)は九州の大友宗麟が将軍:足利義輝に
 献上した砲術伝書を譲りうけていた。
(★『上杉家文書』)
火薬の調合は、種子島氏で秘術であったが、足利義輝に種子島
時堯は教えていた。長尾景虎は近衛前久を通じて、
「火薬の調合を教えてほしい。」と頼んだ。
す。火薬の調合法が長尾景虎に流れた。
(★『上杉家文書』)
★長尾景虎は先の第2次川中島の戦いで武田信玄の300丁の鉄砲の
  威力を鑑み、鉄砲の使用を熱望したのであろう。
  武田信玄・北条氏康を倒すためであったと推測できる。
10月下旬 長尾景虎(上杉謙信)は越後に帰国した。

箕輪初心:生方▲『長尾景虎(上杉謙信)&近衛前嗣&彦部信勝』
http://53922401.at.webry.info/201612/article_3.html

箕輪初心:生方▲『第4次川中島の合戦に至るまでの長尾景虎の動向』
http://53922401.at.webry.info/201604/article_31.html


・永禄4年(1561)第4次川中島が激しかった。
 武田軍が火縄銃を装備している様子が「川中島合戦図屏風」に
  描かれている。
 ★実際は、上杉政虎(上杉謙信)も使用していた。
箕輪初心:生方▲『第4次川中島の合戦に至るまでの武田晴信
・真田幸綱の動向』
http://53922401.at.webry.info/201604/article_33.html

箕輪初心:生方▲第4次川中島の合戦@『上杉政虎の出陣→本陣:妻女山』
http://53922401.at.webry.info/201604/article_34.html

箕輪初心:生方▲第4次川中島合戦A『武田信玄の出陣→着陣
:茶臼山説&雨宮説』
http://53922401.at.webry.info/201604/article_35.html

箕輪初心:生方▲第4次川中島の合戦B『竜虎激突:武田信玄VS上杉政虎』
http://53922401.at.webry.info/201604/article_36.html



・永禄5年(1562) ▲久米田寺の合戦
   尼子氏の鉄砲を使用した。
箕輪初心●島根:百名城【月山富田城】=尼子氏の居城
http://53922401.at.webry.info/201105/article_18.html

※「もののけ姫」 1543年以前に鉄砲が伝わっていたという説
 で設定されている。
 尼子氏は明と通商を行っていたため、鉄砲等の兵器を入手して
 いた可能性はある。
★「韓国ドラマ」で明の朝鮮侵攻の様子が描かれているが、
 鉄炮=鉄砲を使用している。
11代:中宗(李懌、1506〜1545)
12代:仁宗(李峼、1545〜1545)
13代:明宗(李峘、1545〜1567)
14代:宣祖(李昖、1567〜1608)
15代:光海君(李琿、1608〜1623)
16代:仁祖(李倧、1623〜1649)
17代:孝宗(李B、1649〜1659)



・永禄12年(1569) ▲三増峠の戦い
   北条綱成が鉄砲使用した。
10月6日 ・・・浅利信種が北条綱成の鉄砲隊に
    討たれて戦死した。
(★『大成』武田氏家臣団人名辞典:丸島和洋文責)
10月8日 三増峠の戦い
現神奈川県愛甲郡愛川町の三増周辺・・・・

武田信玄2万  VS 北条氏照&北条氏邦 6,000〜2万
北条氏は甲斐に帰国しようとする武田軍相手に有利に展開した。
 武田軍は損害を受けた。
 北条綱成が指揮する鉄砲隊の銃撃により左翼の浅利信種や浦野重秀
 が討ち死にした。
浅利信種は鉄砲に当たって討ち死した。
  (★『北条記』)
 浦野重秀(上野国大戸城)も戦死したのだ。
 一説には、武田側は200余人の犠牲者を出したとされる。

箕輪初心▲武田信玄:鉢形城〜滝山城〜小田原城〜三増峠の戦い
http://53922401.at.webry.info/201411/article_19.html

箕輪初心●相模:津久井城=三増峠の戦いの地
http://53922401.at.webry.info/201411/article_17.html




・永禄13年・元亀元年(1570) 雑賀は鉄砲隊の交互射撃で織田軍を蹴散
  らした。
雑賀衆は鉄砲で武装した紀州の地侍であった。
 (★NHK大河「天地人」でも出てきた。)
その後、根来の雑賀衆は織田信長・豊臣秀吉による紀州攻めで
 衰退した。

・永禄年間
  「1丁=5〜60万円ほどだった。」説もある。
(★教えてgoo)
B戦国時代、鉄砲は1挺675,000円。
https://ameblo.jp/0689783123/entry-11947840679.html より引用
1挺9石です。これは量産された値段です。
今でいう大量生産モデルの値段。
種子島に伝わった時と比べればぐ〜んとお安くなっています。
1石=1,000合=150キログラム
これが1人が1年間に食べるお米の量です。
つまり平均して1日に3合となります。
現代ではお米10キログラムがおよそ5,000円とすると
1石は75,000円となります。
ということは鉄砲、1挺のお値段は675,000円。
意外と安い!?
もちろん1挺では役に立たないわけです。
100挺をそろえると、67,500,000円(6,750万円)
3,000挺で武田の騎馬軍団を破った信長は
2,025,000,000円
20億2,500万円を鉄砲に使ったことになります。
戦はお金がかかるわけですね。
このほか兵糧も人件費もかかります。

★織田信長は生産状況を理解し、戦を変革したの最初であった
  かもしれない?
箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政65 【井伊家の借金と戦国大名の給料】
http://53922401.at.webry.info/201704/article_14.html


★戦国諸大名の軍勢は、長槍と火縄銃を装備した歩兵部隊を中核に
 騎兵部隊を混合した部隊編成に切り替えている。


・天正元年(1573) 羽柴秀吉が近江長浜の領主となった。
  羽柴秀吉が国友に与えた文書(秀吉安堵状)がある。
(★『国友鉄砲の歴史』湯次行孝著1996年に発行等)
★羽柴秀吉は鉄砲の生産を庇護し、自分が使用する意図が
  うかがわれる。

・天正10年(1582) ▲武田氏滅亡・▲織田信長の死
 ▲織田氏の甲斐侵攻
鉄砲使用戦
▲神流川の戦い
滝川一益 VS 北条氏政
鉄砲使用戦
▲天正壬午の乱
北条氏政 VS 上杉景勝
北条氏政 VS 徳川家康


・天正11年(1583) ▲賤ヶ谷の戦い
 羽柴秀吉 VS 柴田勝家
 本能寺の変後、秀吉と勝家が信長の後継者となることを
目指した戦った。
「賤ヶ谷合戦図屏風」に火縄銃を持った砦の兵士による防戦の様子が
 描かれている。

・天正12年(1584) ▲小牧・長久手の戦い
   徳川家康 vs 羽柴秀吉
 織田信長没後、徳川家康が織田信長次男:織田信雄を助けて
 豊臣秀吉と戦った。・・・講和する。
「小牧長久手合戦屏風」に火縄銃を撃つ兵士が描かれている。

箕輪初心●愛知【小牧山城】=織田信長D築城・家康陣城
http://53922401.at.webry.info/201206/article_5.html
★織田信長Dが見つからなかった。


・天正13年(1585) ▲長篠・設楽原の戦い
  鉄砲は織田信長のよって主力武器として始めて活用された。 
  世間では、織田信長・徳川家康の鉄砲に対し、武田勝頼は騎馬隊
  で戦闘を挑んだというイメージが強いが、・・・・・
  武田信玄の鉄砲の採用は上記のごとく、第2次川中島合戦での
  記録がある。
 「合戦絵図」から鉄砲の弾を防ぐ盾として丸竹が使われていた。
  竹束をかつぐ足軽は多く描かれている。

  3000丁鉄砲の用意
大量の火縄銃をどのように調達したのかは、記録がない。
 ★おそらくは堺など支配下の生産地から集めたものであろう。
各地の武将からも相当数の鉄砲と銃手が集められた。
(★『多聞院日記』)
◆◆ 箕輪初心◎長篠の戦い前編 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201211/article_25.html

◆◆ 箕輪初心●愛知【長篠城】 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201211/article_24.html

◆◆ 箕輪初心★【奥平一族は群馬出身】 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201211/article_24.html

箕輪初心◎長篠の戦い後編:設楽原の激闘&上野国関係者
http://53922401.at.webry.info/201211/article_27.html

〜〜〜織田信長シリーズ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心★【織田信長@尾張の大うつけ→尾張統一】
http://53922401.at.webry.info/201206/article_1.html

箕輪初心★『織田信長A桶狭間前哨戦=家康の信長攻撃』
http://53922401.at.webry.info/201206/article_2.html

箕輪初心★【織田信長B桶狭間〜清洲同盟】
http://53922401.at.webry.info/201206/article_3.html

箕輪初心★【織田信長C小牧山城時代】
http://53922401.at.webry.info/201206/article_4.html

箕輪初心★織田信長E岐阜城時代
http://53922401.at.webry.info/201206/article_10.html

箕輪初心★織田信長F安土城から天下取り開始
http://53922401.at.webry.info/201206/article_11.html

箕輪初心★織田信長G武田氏滅亡→本能寺の
http://53922401.at.webry.info/201206/article_12.html


・慶長5年(1600) ▲関ヶ原の戦い
  徳川家康 VS 石田三成
 石田三成は国友付近を治めていた。
 「関ヶ原合戦屏風」双方で火縄銃の使われた様子が詳しく描かれ
  ている。
箕輪初心:生方▲『14代:毛利輝元』関ヶ原の戦いまで
http://53922401.at.webry.info/201512/article_20.html
箕輪初心●岐阜:関ヶ原の戦い=天下分け目の合戦
http://53922401.at.webry.info/201109/article_12.html



・慶長19年(1614)〜慶長20年(1615)▲大坂冬の陣・夏の陣
  徳川家康 VS 豊臣秀頼  
 慶長19年の冬の陣 家康は、大砲で大阪城を攻撃する。
 慶長20年 夏の陣  大阪城を取り囲む。開城。
「大阪夏の陣図屏風」に火縄銃を持つ多くの兵士が描かれている。
箕輪初心:生方▲真田丸130【カルバリン砲は三浦按針が?】
http://53922401.at.webry.info/201611/article_21.html




・寛永14年(1637)〜寛永15年(1638) ▲島原の乱
 天草領及び島原領の圧政に対して、キリシタン農民が天草四郎を
大将に起こした。
キリシタン農民は3倍以上の兵力を持つ幕府軍を火縄銃を使って
 半年間も苦しめた。
箕輪初心●長崎【島原城&原城】=島原の乱
http://53922401.at.webry.info/201110/article_2.html

箕輪初心:生方▲高崎経済大学:西沢教授「鈴木重成は偉人なの?」
俗説と史実
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201605/article_19.html




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箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政67『第17話:消された鉄砲』&【鉄砲の歴史】 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
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