城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行

アクセスカウンタ

zoom RSS 箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政45【第9話「桶狭間」&史実編】&&井伊直盛の墓

<<   作成日時 : 2017/03/07 11:25   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

@起・・「桶狭間の戦い」で、井伊家当主:井伊直盛をはじめ
とする16名が死んだ。A承・・井伊直盛の遺言で中野直由が
跡を継ぐことになった。生き残った奥山朝利は小野政次の井伊
家乗っ取りを懸念する。千賀が討ち死にの家族に文を書く。
A転・・井伊直親&奥山しのから「赤子ができたこと」を伝え
られる。C結・・小野正次奥山朝利を論破する。
画像



【1】史実編
●永禄3年(1560)
正月? 南渓和尚が「世継ぎ千手観音」を作って、
子宝に恵まれるようにと祈願した。

5月?日 奥山朝利の娘が懐妊した。
井伊直盛も喜んだ。

▲桶狭間の戦い
   織田信長 VS 今川義元
5月8日(6月1日)今川義元は三河守に就任した。

5月10日(6月3日)・・今川義元は先方隊として、
  朝比奈泰朝・松平元康(徳川家康)を三河に派遣した。
5月11日(6月4日)井伊直盛が先発隊と合流した。
5月12日(6月5日)
今川義元は大軍を率いて駿府を発った。
今川義元は那古野城(現名古屋城二の丸)を目指し駿・遠・三
 2万余の軍を率いて尾張国への侵攻を開始した。
 尾張を目指して東海道を西進した。 藤枝泊
5月13日(6月6日) 藤枝→掛川城泊
5月14日(6月7日) 掛川→引馬城泊
5月15日(6月8日) 引馬→吉田城(豊橋城)泊
井伊直盛・松平元康らの先発隊は池鯉附(現知立市)に到着した。

5月16日(6月9日) 吉田→岡崎城
5月17日(6月10日) 岡崎→池鯉附城
今川軍は、尾張の沓掛城に入った。
 (★ウキペディアの説)
井伊直盛・松平元康らの先発隊は鳴海に至り、付近を放火した。
5月18日(6月11日)本陣を沓掛(現豊明市)に置いた。
夜、松平元康(徳川家康)が率いる三河勢を先行させ、大高城
  に兵糧を届けさせた。
織田方に身動きを封じられた大高城(現名古屋市緑区大高)を救
うべく、大高周辺の織田方諸砦を攻略するように松平元康(家康)
に命じた。


5月19日(6月12日)
明け方 
◆今川軍の前哨戦・・織田の丸根砦・鷲津砦への攻撃。
03:00頃〜明け方
1)今川の丸根砦の攻撃
  大高城の鵜殿長照2000・松平元康1000で
  →丸根砦への攻撃開始。
  丸根砦の織田軍:佐久間盛重420+α=約500名は城外で
  白兵戦を展開。
  結果・・大将:佐久間盛重は討死した。

2)今川の鷲津城の攻撃
  JR大高駅東の裏山・・・大高城から700m程?
 大高城の朝比奈泰朝・井伊直盛2000で鷲津砦攻撃。
  織田軍は篭城戦。
  結果・・飯尾定宗、織田秀敏が討死。
     飯尾尚清は敗走。
     一定の時間稼ぎには成功した。

*****************************
朝、今川義元は沓掛かた西へ兵を進めた。途中で、
「松平元康(徳川家康)が苦戦の末、丸根砦を落とした。
朝比奈泰朝・井伊直盛は鷲津砦を落とした。」こと
の報告を受けた。

 今川義元は丸根砦、鷲津砦の攻略に気を良くした。
 今川軍は、大高城周辺の制圧を完了した。

 桶狭間で、今川義元は塗輿を降りて休憩した。
別の戦いで取った首が届いた。
今川義元はすこぶる機嫌がよかった。
「余の旗の向かう所、鬼神もまたこれを避ける。」
 昼食を取る事にした。近くの寺社から酒が届いた。
 今川義元は馬廻りの者にも酒を勧めた。
 皆、緊張を解いた。


(★『この一冊でよくわかる! 女城主・井伊直虎』:楠戸義昭著P142)
*******************************


▲織田信長の動き 
織田氏の防衛線:丸根砦や鷲津砦を攻略し、桶狭間に本陣を
 敷いた。
今川義元は前哨戦に勝利した報せを受けて沓掛城で待機していた
  本隊を大高城に移動させようとした。

 今川義元が率いる本隊が沓掛城を出発し、大高城の方面に
  向かって西に進んだ。

 正午頃、中嶋砦の前衛に織田軍の佐々政次:千秋四郎ら30余りの
  部隊が単独で今川軍の前衛に攻撃を仕掛けた。
  今川義元は討ち破った。

 
※ 織田家内部では清洲城に篭城か白兵戦かで揉めた。

※織田信長の反応→桶狭間への出陣前
 @今川本軍の沓掛城の落城・・・反応なし。
 A今川軍の丸根砦・鷲津砦攻撃開始の報を受けた。
 ・・・幸若舞「敦盛」を舞った。
「人間五十年 下天の内を比ぶれば 夢幻のごとくなり 
 一度生をうけ 滅せぬもののあるべきか」。
昆布と勝ち栗を前に立ったまま、湯漬け
 (出陣前の米飯に熱めの湯をかけて食べた。)
 ★たまには、縁起を担いだ。都合のいい野郎だ。
 出陣。

04:00頃 
  @清洲城・・・出陣の身支度を整えた。
  織田信長は居城:清洲城より出発。
   小姓衆5騎のみだったという。(★清洲城博物館)
  ★織田軍の中の反逆者を恐れたからである。

08:00頃 A熱田神社に到着。
     軍勢を集結。100人にはなっていた。
      熱田神宮に戦勝祈願を行った。
★次第に集結。この時点で、3000の軍勢説が強い。

  
09:00頃 熱田神宮発→鎌倉上街道を東進。
津島・・・服部小平太(※今川義元に一番槍)が合流
日光川
    勝幡城(※織田信長が生まれた場所)
    美和(現あま市)・・・蜂須賀小六・福島正則・
   豊臣秀次・溝口秀勝などが合流。
(★長屋良行説採用)

09:50頃 丹下砦(緑区鳴海町)
 
10:00頃・B善照寺砦(緑区鳴海町)
   織田信長軍は鳴海城対策の善照寺砦に入った。
   約2,000〜3,000人といわれる軍勢を整えた。
  (※善照寺砦で4,000人の軍勢を整えて出撃。
    ウキペディアの説・・・)

11:00~ 善照寺砦(緑区鳴海町)発
   織田信長は善照寺砦に佐久間信盛の軍の約500を置いた。
   織田信長は2000の兵で善照寺砦より出撃。
   鳴海から見て南東の桶狭間の方面に進軍した。
  (※中嶋砦まで進軍した説:資料もある)。

12:00頃
  中嶋砦の前衛の佐々政次・千秋四郎ら約300の軍は
   織田信長の出陣の報に意気上がり、単独で今川軍の前衛
   に攻撃をしかけた。
   結果・・佐々、千秋らが討死に。
 
桶狭間の戦い
  @通説・・・桶狭間古戦場伝説地=7ッ塚
     迂回説=従来の説。
善照寺砦→鎌倉街道→有松駅&競馬場前駅の
間→高徳院前
  A有力説・・桶狭間山
     迂回説に否定的な見解が主流である。
     善照寺砦→中島砦(鳴海駅近く)→左京山駅近く
→桶狭間山(高徳院の500m先の山である。)
   ※信長公記に桶狭間山が出てくるからである。     
B少数説・・高徳院境内説。
C少数説・・幕山=今川家家老:松井宗信の死んだ場所。

今川軍の本隊(今川家当主:今川氏真&実父:義元)は
  5,000〜6,000人ほどに過ぎなかった。
  大部分は戦闘に不慣れな寄せ集めの兵であった。

13:00前頃 左京山途中
  突如豪雨が降り、視界が悪くなった。
★どしゃ降りだったらしい。(★地元の三代さん)
織田軍は雨に乗じて兵を進めた。
 今川義元は桶狭間(おけはざま)山で休息中であった。



14:00 過ぎ、雨が止んだ。

****************************
織田信長は2000を2つの隊に分けた。
@今川義元の先先鋒隊(今川義元より1km織田に近い)
A今川義元の本隊
今川義元は義元左門字で服部小平太の槍を切り折って、
 服部の膝の口を割った。
 助っ人に来た毛利新助に首を取られた。その際、毛利が口に
 突っ込んできた指をかみ切った。
画像

(★『この一冊でよくわかる! 女城主・井伊直虎』:楠戸義昭著P142)
***************************
▲桶狭間山・・・
織田信長軍は今川義元の本隊に接触、攻撃を開始した。

今川軍の総勢は2万人であった。
織田信長の親衛隊2000は今川義元の旗本部隊に突入した。
今川義元を守る兵力は5000〜6000人であった。
大将同士が徒士立ちになって刀槍をふるう乱戦となった。
織田信長の攻撃を受け、松井宗信らと共に奮戦した。
松井宗信は討ち死にした。
今川義元は輿を捨て300騎の親衛隊に周りを囲まれながら騎馬で
退却しようとする。
織田信長の攻撃で兵を失った。
織田信長の馬廻に追いつかれた.
今川義元への一番槍は服部小平太であった。
織田家臣:服部小平太一忠を返り討ちにした。

毛利新助(良勝)は負傷した服部小平太(一忠)を助け、
今川義元に組み伏せた。
この際、毛利新助は指を噛み千切られたといわれる。
毛利新介(良勝)が大将:今川義元を討ち取った。
今川義元は討ち取られてしまった
毛利良勝は首を取り名を上げた。
今川義元が桶狭間の戦いにて討ち死に。享年42。
※織田家家臣:毛利良勝に愛刀:左文字の太刀と首級を
奪われたのだ
今川義元は宗三左文字(そうざさもんじ)南北朝時代に作刀
された日本刀を持っていた。
織田信長が戦利品として刀を接収した。
織田信長はこの刀を短く磨り上げた。
茎表裏に「織田尾張守信長」「永禄三年五月十九日義元討捕
刻彼所持刀」と金象嵌銘を入れ、愛刀とした。
織田信長が本能寺の変で横死するまで信長の手元にあった。


※今川義元の死
今川氏真が退却命令を出した。
その後、残存した今川兵によって、今川義元の遺体を駿府まで
連れ帰ろうと試みられたが、首の無い今川義元の遺体は想像以上
に腐敗の進行が早く、三河国宝飯郡に埋葬された。

今川義元の首は、鳴海城に留まり奮戦する今川義元の重臣:岡
部元信と織田信長との開城交渉により後に返還され、駿河に戻っ
た。
今川義元の戦死により、今川氏真が後を継いだ。
松平元康(家康)が西三河で自立=独立した。
東三河でも戸田氏・西郷氏などが離反し、松平元康(家康)の傘
下へ転属していく。
三河の動揺が遠江に伝播した。


5月19日 (次郎法師父:)井伊直盛ら16人が今川側で戦死した。
  ★徳川家康・関口氏経は大高城にいた。
箕輪初心★【織田信長@尾張の大うつけ→尾張統一】
http://53922401.at.webry.info/201206/article_1.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201206/article_1.html

箕輪初心★『織田信長A桶狭間前哨戦=家康の信長攻撃』
http://53922401.at.webry.info/201206/article_2.html

箕輪初心★【織田信長B桶狭間〜清洲同盟】
http://53922401.at.webry.info/201206/article_3.html
結果・・・今川義元が亡くなった。


5月19日 (次郎法師父:)井伊直盛ら16人が今川側で戦死した。
@井伊直盛(享年55:井伊家傳記・享年35:寛政)
A奥山彦一郎・奥山太郎次郎親秀・奥山彦五郎
B上野惣右衛門・上野源右衛門・上野彦市郎、上野孫四郎
C小野玄蕃・小野源吾
小野政次(道好)の弟:玄蕃朝直と小野源吾が討死している。
6人兄弟の2人が死んだ。
D家老:松井宗信も死亡した。★独立していた可能性もある。

●討ち死にした者の記述
「近習六十余人残らず、或いは戦死、或いは切腹、皆々生害也。
 直盛公右人数なり。」
一般的に・・・約200人が討ち死に・殉死した。

●井伊直盛が奥山孫市郎に告げた遺言
「今度不慮の切腹不及是非に候。其方介錯仕候て死骸を国へ持参仕、
南渓和尚、焼香被成る候様に可申候。扨又、井伊谷は、小野但馬
の心入、無心元候故、中野越後守を留守に頼置候。此以後猶以小野
但馬と肥後守主従の間、無心元候間、中野越後守に井伊谷を預け候て、
時節を以、肥後守、引間え移替申候様に直平公に委細可申」
 (★『井伊家傳記』)
(★『この一冊でよくわかる! 女城主・井伊直虎』:楠戸義昭著P143)
「今度、思いもかけず切腹しなければならなくなりましたが、これは
致し方ないことです。その方は、(私を)介錯(私が腹を切ったら、
私の首を刎ねて)ください。死骸(なきがら=遺体)を井伊谷へ運んで
ください。南渓和尚に焼香を申しあげ、(埋葬を)頼んでください。
さてまた、井伊谷は、小野但馬(道好=政次)の心入り(悪計)が
気がかり=心配ですので、中野越後(直由)を井伊谷城の留守居役
(井伊谷城城代兼井伊直親の後見人)として置くように伝えてください。
これ以後、なおもって、小野但馬(道好)と井伊肥後(直親)との主従
関係が心配でありそうな期間は、(★中野越後守直由に井伊谷城を預け
ている間に)、時節=頃合いを見計らって、井伊肥後(直親)を引馬城
へ移すよう、井伊直平公に詳しく伝える旨をお伝えくださるようお願い
申しあげます。」
★自分の意味訳なので、合っているか不安であるが、・・・
井伊直親は成人したといっても井伊谷に戻って5年しかたっていない。
中野直由に井伊直親の後ろ盾となって助けてほしいとの思いがあっ
 た。松下清景もいるが、井伊家の近い身内で頼れるのは、中野直由
 しかいなくなってしまったという状況であろう。

井伊直盛が桶狭間で討死のとき、「遺領は中野越後守に預ける」
 と遺言した。
 従って、井伊谷は中野越後守直由・(次郎法師)が預かった。
   (★『井伊家伝記』・『井伊直虎物語』浜松歴女隊編)


 
井伊直盛の遺言で、中野越後守直由は、井伊宗家が名乗る武家官位の
「信濃守」を用いて「中野信濃守直由」と名乗り、井伊領主となった
のである。

そして、中野直由は井伊直親の後見人となり、井伊領主相
続に異を唱えた小野但馬守と戦うことになる。

中野氏に組した奥山氏宗家:奥山朝利が討たれる結果となった。


※@『この一冊でよくわかる! 女城主・井伊直虎』楠戸義昭
では、小野但馬守政次の兄:小野朝直の妻が奥山朝利の
 娘としている。
ATVやほかの系図では、小野但馬守政次の弟:小野朝直の
 弟としている。


*永禄3年(1600) 奥山朝利殺害説 
小野政次は井伊氏で勢力をもっていた奥山朝利を討ち、さらには
 今川氏真に「井伊家が謀反を起こそうとしている」と密告するなど、
 井伊家をじわりじわりと乗っ取ろうとしていた。
その後、和解したのか、
中野家は、最も新しい庶子家であるので、最も井伊家の血が濃く、
 発言権を持っていた。
 それまで庶子家の中では奥山氏が最も強大な勢力を持っていたが、
 奥山氏の主な人物は桶狭間の戦い・小野政次の惨殺等で死んで
 しまったので、小和田哲男先生のいう「井伊谷七人衆」には名を
 連ねていない。

◆永禄4年(1561)2月19日 井伊直親の長男:井伊虎松
  (直政)が祝田生まれた。
小和田哲男説では永禄5年頃説である。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
今回登場した人物で井伊直政の家老・侍大将になった者
@庵原元政の子:庵原朝昌・・・井伊直政家老
A関口氏経の子:関口某・・・・井伊直政侍大将・木俣守勝付
B小野玄蕃の子:小野朝之・・・井伊家家老
C中野直由の子:中野直之の子・・・井伊家家老
松下一定も井伊家家老
D奥山孫一郎と子・・・・・・・・井伊直政家老
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@



【2】【第9話「桶狭間の戦い」】のあらすじ
◆ナレーター
「永禄3年、今川義元は尾張に攻め込んだ。その数、25000。・・」
●尾張へ
今川義元・井伊直盛・松平元康

◆ナレーター
「誰もが今川の勝利を疑わなかった。・・」」

●桶狭間・・・井伊の旗
「雨が上がりましたな?・・・このまま行けば・・・」
立ち食い・・
井伊直盛「・・・今、音が・・・」
「敵じゃ」

●井伊谷の井戸
次郎は戦へ向かった直盛たちの無事を祈り、手を合わせていた。
次郎は顔を上げた。雨粒が顔に当たるのを感じた。
しかし、空は雲一つなく晴れ渡っていた。
次郎「なんだ、気のせいか・・・」
母:千賀と乳母が来た。
母も祈る。

直後、寺のこう天が慌てて報告に来た。
「御館で、尾張の桶狭間とかにて、今川軍が大敗を喫したとか、」
天地をひっくり返す様な知らせが・・・・・・

●井伊館
母子は急ぐ。
直親が待つ。
新野・小野・・・
「お方様・・」
「負けることなど・・」

小野「相当な怪我人が出るかもしれませぬ。
    お屋敷を使わせていただけますか?」
「父は?みなは?」
「・・無事に戻ってくるやもしれませぬ。」
井伊家は恐慌状態に陥った。・・・→奈落のそこへ・・・

・・・ミュージック・出演者・・・・・

◆桶狭間の回想編@戦闘シーン
「雨上がり・・・義元公も討ち死にされたとのことです。」
★基本的に「義元」という名前は使えない。「太守様」とか
 「三河守様」としか呼べないはずだが、・・・時代考証が変?
●松平元康の陣:大高城
元康は1人で碁を打っていた。
「・・間もなく、織田勢がここにも攻めて参りましょう。」
黙々と囲碁を・・・
「殿。」と碁を払う・・・。
・・・元康が瀬名(築山殿)の出るときは前に出なければ、
  好期を掴み損ねまする攻める・・・
を思い出した。・・・
「ここを出るというのはどうだろうか?・・・
  ここを出て岡崎に戻るというのは・・・・?」
家臣が・・・・
「またとない好機なのでは?・・・」
「殿・・」

●井伊谷
騒然となった。
井伊館や寺に残っていた者たちは総出で傷を負い戻って連れて来ら
れる井伊谷の兵の手当てに当たった。
次郎は水を・・
こう天は矢を抜き・・・
★ここまで、矢を指したまま来るはずもないが、・・・


奥山朝利も重傷を負った姿もあった。
「ともとし殿」
「父上」
「面目ない。」
※奥山朝利は直親の嫁:しのと、政次の弟:玄蕃の嫁:なつの
父親である。
しのは縁側に駆け寄った。
朝利「済まぬ。かようなことになってしまって・・・」
なつ「とんでもありません、よくぞ戻ってきてくれました。」
と父を抱えながら・・・
  「それで、あの・・・、玄蕃様は・・・」
朝利「う〜ん・・・・・・」
◆桶狭間回想シーンA「玄蕃の死」
玄蕃は相手の首に刀をかけるが、後ろから・・・
「・・・見事な戦いぶりじゃった。」

朝利の言葉で、
なつは玄蕃の死を知った。
「さようでございますか・・・」
なつは、肩を震わせながら顔を覆った。
次郎も始終を見ている。
そして、次郎は視線の先を政次に向けた。
そこには、後ろ向きで拳をぎゅっと握りしめ、弟の死に涙しながらも
波田をこらえ、を我慢する政次がいた。
直親も小野の思いを受け止める。


●今川館
ぴょぴょぴょと鳥が鳴いている。
「申しあげます。尾張の桶狭間にて太守様が討ち死に・・
  松井宗信殿・庵原元政殿も同じく討ち死に・・・
 松平元康殿が大高城から命からがら逃げ出したとのこと・・・」
・今川氏真が真っ青・・・
・関口氏経(親水)が駆けつける。
「太守様に代わってお下知を・・・」
「其方達のいいように、・・・・」

※庵原元政
庵原政盛→太源雪斎
庵原忠胤→庵原元政?→庵原朝昌? 
女・・・・・庵原将監忠縁
      庵原忠職・・庵原将監忠縁
 @永禄3年(1560) 桶狭間で討死説
 A永禄11年(1568) 武田信玄による駿河侵攻で父:庵原忠胤を
   大将に先陣の旗頭として出陣した。
   ▲薩埵峠の戦い
庵原忠胤が討ち死に
   庵原元政は朝比奈泰朝、大原肥前守らと共に遠江掛川城に
   おいて今川氏真を最後まで守った家臣の一人であるとされる説。
   但し、庵原将監忠縁(ただより)が最後まで寄り添った説のある
 B永禄12年(1569) 今川氏滅亡。今川氏真は北条へ
後、庵原家はちりぢりになった。
   庵原某の妻が新野親矩の娘であった。
*新野の3人娘
長女・・・狩野主膳の妻→木俣守勝の妻(木俣守安連れ子養子?)
次女・・・庵原??の妻
3女・・・三浦正俊の妻
   庵原朝昌は武田家に仕えた。
  ・天正10年(1582) 武田家が滅亡した。

●岡崎城
「織田が」
「戻れてしまったのう。」
家臣と喜ぶ元康。・・・
エイエイオー3回


●井伊館
次郎は朝利に薬を差し出す。
「かたじけない。」   
次郎「大変な戦だったのでございますね?」

朝利「まさに地獄のようだった・・・。雨上がりの中

◆桶狭間の回想シーンB「奥山の戦い」
 視界を遮るような豪雨の中、奇襲をかけられた。
「もはや敵も味方も分からない状態で、そこからは総崩れで・・・」

次郎「あの・・・殿はそのとき・・・?」

朝利「情けないことにお姿を見失ってしまい・・。
 どこぞ落ち延びていてくれるといいのだが・・・」

・南渓和尚がやって来た。
「次郎、・・・父上が戻られた・・・・。」

●井伊館
夕方、次郎の父・直盛は井伊谷に戻って来た。
丸筒の中にに入って・・・・首一つで・・・。
母が箱の前で座っている。
「母上・・・」
箱を開けて、顔を・・・・見せなかった。
次郎も南渓和尚も・・・
みんなが見守る。

政次「殿を連れ帰ったのはお前か?」

◆桶狭間の回想シーンC「井伊直盛の最後」
奥山朝利の息子:孫一郎は震える声で経過を語った。

殿は不利な状態を察し、なんとかその場を離れた。
直盛は孫一郎に
「孫一郎。
「わしは自らの命を絶つ。・・・織田の輩の手柄ではなく・・・
 井伊の役に発ちたい
 お前は、わしの首を高々と掲げ、織田の兵のふりをして堂々と
 戦場を抜けよ。・・そうすれば、井伊の武者の一人は助かる。」

「それならば、私の首を・・・」
「お前達はまだ若い。」

****************

皆が写された。
「殿らしい・・・ご最期であった。・・・」
次郎の耳には届かなかった。

小野も泣く、・・・

千賀「殿、お働きご苦労様でした。」
「お髭を・・・整えましょうね。」

●井戸
次郎はいたたまれなくなって、井戸に向かった。
父上が死んだ。
いなくなってしまわれた。もう会えない・・・話もできない・・・
父との思い出が、次郎の頭の中を駆け巡っる。
「いつか?・・・」

★ミュージックは何か「ラピュタのテーマみたい」

◆ナレーター
「数日後、龍たん寺で葬儀が行われた。・・
  亡くなった井伊家の家臣は15人にのぼり、誰1人、身内を亡く
  していない者はなかった。井伊にとって、それ程の大打撃で
  あった。」
●龍たん寺
葬儀は、龍潭寺で執り行われた。
次郎は南渓の弟子として必死に悲しみに耐えながら経をあげた。


●井伊館
千賀はなくなった家臣の妻達に
「困ったことがあったら、何でもいいなさい。」
と励ました。

「かような日にお集まりいただくのは心苦しい限りでござるが
 ・・・・・、」
評定が始まった。
井伊家は新たな体制を整える必要があった。
直平「この際、直親が・・・」
誰もが直親が家督を継ぎ、家老の政次は補佐するものと思っていた。

新野「しばし、お待ちください。」
  「孫一郎が、殿から遺言を預かって参りました。

評定の席がどよめいた。
▲配置図
上座 直親 新野 小野
殿 外に・・・直臣3人
上座 直平 中野 奥山
★実際は伊平・上野などもいたはずであろう。

直平「なんじゃ、行ってみよ。」
孫一郎「殿は今際の際に、・・この後、井伊谷を中野殿に任せる
    と言い残されました。」
★今際の際に・・・今際にでいいのだろう。日本語が違ってる。

中野直由をはじめ、皆も驚いた。・・・戸惑ってしまった。
直平「直由、何故じゃ。」
直由「それだし、何も聞いておりません!」
直平「あやつは何故そうのような?」
と興奮しまくり・・・。
政次が冷静に
「今回の戦で、遠江・三河一帯が大いに乱れるのは明らかでしょう。
 殿としては、唯一のご嫡流である直親様を矢面に立たせたくなか
 ったのでは・・・・でしょうか?」

直平「確かに・・・今後は太守様の弔い合戦などもあるかもしない・・・」

政次「ここは、戦にお詳しい中野殿にお任せするのが最も得策では
   ないでしょうか?」
直平「直親、お前の力不足ではない。直盛の性分なのじゃ」

直親の政次の解釈・直平の慰めに納得し、了承した。


●奥山の庵
 親戚衆筆頭:奥山朝利は穏やかでなかった。
「誰かが入れ知恵したのでは?」
「そういえば、但馬は立て板に水でした。」

朝利「混乱に乗じ・・・但馬が、・・・・」
 政次が井伊家を牛耳るのではないかと恐れた。
「いつもあのようないいようです。」

●龍たん寺
新野と小野・・・
「安堵状と・・・」

●井伊館
母:千賀は亡くなった家族に手紙を書いていた。
「お悔やみや礼をいうのは、私しかおらぬではないか?」
「これをなつに・・・」

●奥山の庵
「それでは、但馬が牛耳っておるのか?・・
 なつを取り戻す。・・・人質にとられ、小野のいいなりに・・・
 ならざるを得ない。」
 小野家に嫁いだ娘のなつと小野玄蕃との間に生まれた亥之助を
 取り戻そうとした。

●小野館
 政次からの手紙を見せた。
 政次はなつの選択に任せた。
「お方様よりここにと 文をいただきました。
 伊之助はここになじんで・・・・」
 なつは拒絶した。
 正次が泣く。
 「亥之助は玄蕃にそっくりた。」
 奥山の思惑は一端白紙になった。

●奥山の庵
「守らねばならん。」

が、これが・・・・後々、・・・。

●駿河の関口家?佐名の屋敷?
 南渓は加那に会っていた。
 「今、今川を牛耳っているのは・・・」
「朝比奈様です。三浦様と折り合いがつかず・・・」

「元康様は・・・三河で戦ってします。・・・
  織田の手に渡さぬように守っておいでになります。」
「じゃが、それは・・・」
妹:佐名はもしもの時、井伊谷で匿って欲しいという。
 佐名は松平元康の姑になっていた。

●井伊館
手紙を書き終わった。・・・

しばらくして、母は疲れて眠ってしまった。
・・・そこに、
「とわ殿・・・」の手紙が残っていた。

次郎は手紙を読む。〜〜〜〜〜〜
◆回想
◆母の朗読・・・
「・・・」
「今日、村で次郎が・・・また、次郎が美しゅうなって・・・
「いつかもし・・・『辻が花』でも聞かせたい。・・・・」
濃い紅の模様か?・・・
いつも涙目で・・・
墨染めと・・・・
父母の思いが伝わる。

直親としのが来た。
「・・跡継ぎができました。」
「それは・・・」
「・・・生まれ変わりではないかと、・・・」
母も泣く。
「びっくりしてしてしまって、・・・」


●小野館
奥山が来た。
「玄蕃となつと・・・」

「亥之助は小野の人質となってしまった。」
「奥山に亥之助を返せば、そのようにお考えになるということですか?
 つまり、亥之助は小野からとった人質であると、・・・」

★この脚本は凄すぎる。私の想像を遙かに超えていた。
 想定外の話であった。


【3】ゆかりの地
1)桶狭間
画像

画像




2)井伊直盛の墓
龍たん寺執事:武藤佑吉様のお嬢様の案内で
画像

画像

画像





●井伊直虎・直政シリーズ平成29年(2017)〜*************
箕輪初心・生方▲2016井伊直虎・井伊直政bP
『高崎学ソシアス講演会原稿』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_1.html

箕輪初心:生方▲箕輪城238『長純寺・石上寺・東向八幡・字輪寺
&信玄家臣:塚越伴七調査』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_2.html

箕輪初心:生方▲箕輪城239『長野業政・井伊直政』&長野堰3碑&
世界かんがい施設遺産『長野堰』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_3.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bR【井伊家初代:井伊共保】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_9.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bS【井伊氏系図8】&
『鎌倉時代の井伊氏 』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_10.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bT【南北朝時代の井伊氏と宗長親王】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_11.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bU『戦国時代の井伊氏』修正版
http://53922401.at.webry.info/201701/article_12.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bV【第1話『井伊谷の少女』
&「井伊谷・彦根城」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_13.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bW【井伊谷の散策2回】と
『NHKのTV「井伊谷」』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_14.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bX【井伊谷城2回目】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_15.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政10【井伊氏館跡・井伊直満の墓】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_16.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政11【龍潭寺の『直虎の墓・
直政公の墓・位牌』】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_17.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政12【浜松の宿下吉庵で「梅酒:直虎」を飲んだ】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_18.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政13【許嫁:井伊直親&松源寺:文叔&松岡城:松岡貞利】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_19.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政14【第2話:崖っぷちの姫】
&「井殿の塚」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_23.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政15【井伊直親の逃走〜2人の子ども
〜井伊谷帰国】資料編
http://53922401.at.webry.info/201701/article_26.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政17『次郎法師&直政の書籍の所持数36』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_27.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政18「柴咲コウ・菅田将暉」と「群馬の新聞」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_28.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政19『広報はままつ2016年4月号特集
「井伊直虎」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_29.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎:直政20【第3話『おとわ危機一髪』】
&「臨済寺」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_31.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政21【歴史秘話ヒストリア「おんな城主
:井伊直虎」】http://53922401.at.webry.info/201701/article_32.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政22【井伊直虎って誰?&
「井伊家傳記」の信憑性諸説】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_33.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政23【井伊谷・歴史本・
小説・ゲームの中の井伊直虎】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_34.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政24『井伊直虎の家臣:井伊谷七人衆』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_35.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政25『小野妹子→小野和泉守政直(道高)』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_36.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政26『小野政次・小野朝之』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_37.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政:27第4話『女にこそあれ次郎法師』
&「龍潭寺」
http://53922401.at.webry.info/201702/article_1.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政28『井伊一族:中野家』
http://53922401.at.webry.info/201702/article_3.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政29【頭陀寺城】と松下之綱と徳川家康と豊臣秀吉
http://53922401.at.webry.info/201702/article_4.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政30【松下清景】前編
http://53922401.at.webry.info/201702/article_5.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政31『松下清景→松下一定子孫』後編
http://53922401.at.webry.info/201702/article_6.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政32『高崎文化協会:箕輪城
・井伊直虎ブース』
http://53922401.at.webry.info/201702/article_8.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政33【第5話『亀之丞帰る』】
&「高森町松源寺」
http://53922401.at.webry.info/201702/article_9.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政34【村の写真展:My井伊家シリーズ】
http://53922401.at.webry.info/201702/article_10.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政35【鈴木重勝→鈴木重時→鈴木重好】
http://53922401.at.webry.info/201702/article_13.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政36【近藤康用→近藤秀用→5近藤】
http://53922401.at.webry.info/201702/article_14.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政36【菅沼忠久→菅沼忠道】
&【菅沼定盈&菅沼定利】
http://53922401.at.webry.info/201702/article_15.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政37【奥山朝利の娘と井伊家家臣団】
http://53922401.at.webry.info/201702/article_16.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政38【6話「初恋の別れ道」】詳細編
http://53922401.at.webry.info/201702/article_18.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政39【新野左馬助親矩と娘婿】
http://53922401.at.webry.info/201702/article_19.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政40▲『奥山朝利の娘:ひよ
→井伊直政の母』
http://53922401.at.webry.info/201702/article_20.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政41【第7話「検地」
&駿河:富士浅間神社
http://53922401.at.webry.info/201702/article_24.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政42【第8話「赤ちゃんはまだか」】
http://53922401.at.webry.info/201702/article_29.html

箕輪初心:初心▲井伊直虎・直政43『井伊谷7人衆:遠江松井一族』
http://53922401.at.webry.info/201703/article_1.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政44『今川義元の生涯&悪夢の永禄3年生害』
http://53922401.at.webry.info/201703/article_5.html

★明日は?

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政45【第9話「桶狭間」&史実編】&&井伊直盛の墓 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる