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zoom RSS 箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政29【頭陀寺城】と松下之綱と徳川家康と豊臣秀吉

<<   作成日時 : 2017/02/03 09:50   >>

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頭陀寺城(ずだじじょう)=市場城は、現静岡県浜松市南区頭陀寺
町にある高野山真言宗の古刹:頭陀寺の門前にあった戦国時代の
城である。永禄6年(1563) 遠州忩劇で今川氏真軍に頭陀寺城が攻
め落とされ炎上した。頭陀寺城跡は通称「松下屋敷」であるが、平成
13年(2001)10月に発掘調査が行われて、炎上跡が確認された。
平成27年(2015)9月7日、発掘調査に直接携わった浜松市教育委
員会文化財保護課課長:太田さんや文化財保護課の和田さんに説
明をお聞きした。さらに松下加兵衛の第一人者:冨永公文氏から松
下稲荷の説明をいただいた。
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●平成27年(2015)9月7日
高崎市委嘱箕郷歴史文化調査研究会
岡田会長・西原副会長・大塚委員・裄V委員・生方委員
生方課長代理・佐藤係長
06:00 箕郷
06:35 高崎
07:37高崎駅
08:40東京
09:03東京発
10:47浜松駅
レンタカー
・井伊谷の講師:浜松歴女探検隊の武藤さん・土幸さん・林さん
&冨永公文先生と合流
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 (★冨永先生・和田先生)
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 (★頭陀寺)



【1】頭陀寺城・・・松下稲荷があった城
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1)浜松市教育委員会文化財保護課:和田さん
第二次調査担当:和田さんの説明
第一次調査は平成13年(2001年)10月に行われました。伝承のまま
になっていた「松下屋敷」跡に、実際に当時の遺構や遺物が残ってい
るかどうかを確かめる目的で、調査を実施しました。発掘調査では
広さは約1町(109m)四方で、ほぼ土豪の一般的な大きさであるこ
とがほぼ明らかになりました。ただ、頭陀寺自体を含めると、広さ
については、もっと大きかったのかもしれません。かつて、城の周
囲は田となっていました。戦国時代の頭陀寺城は地下80cmにあり
ました。当時の発掘調査地点は頭陀寺第一公園東・・あそこの隣の
和風レストラン〜道の向こうまで、屋敷の中心部と推定される場所
でした。
第二次調査は平成27年(2015)9月7日〜14日の予定です。
松下嘉平次屋敷の南の部分の堀を発掘調査します。今日が初日です。
今いる公園のこの部分は松下稲荷があった場所ですが、公園内の南
の部分を発掘します。堀の大きさを調べるためです。公園を使う人が
いますので、直ぐに埋め戻しします。

・第1次発掘調査場所
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2)浜松市教育委員会文化財保護課課長:太田さん
第一次調査担当:太田さんの説明
前回の調査では、松下氏と直接結びつく物証が得られたわけではありま
せん。屋敷跡は調査範囲よりもさらに広いため、全容は明らかになりま
せんでした。でも、戦国時代末(16世紀後半)の建物の礎石が発見され
ました。建物周囲の土が赤く強く焼けていたことから、この建物が火災
にあい、後に盛り土をして再建されたこともわかりました。この時代、
礎石のある建物は規模の大きい寺院や城郭などに限られるため、有力者
の建物であることはまちがいなさそうです。さらに、「かわらけ」と呼ぶ
素焼きの皿や常滑焼や瀬戸製陶器なども多数発見されました。かわらけ
は引間城跡と考えられる元城町東照宮からの出土品とそっくりで、年代
もよく合います。また、永禄3年(1560)の桶狭間の戦いで今川義元が
敗死して以後、三河では徳川家康が戦国大名としての地歩を固めつつあ
り、遠江でも引間城主飯尾連龍らの今川氏からの離反の動きが頻発します。
永禄7年(1564)には、今川氏真は引間城を攻め、その戦乱で「頭陀寺城」
も戦火にあったといいます。発見された建物が焼けていました。伝承に
見合った建物跡や出土品が発見され、当時の有力者の屋敷であったことは
疑う余地はありません。さらに頭陀寺町付近の歴史を再確認する貴重な成
果となりうるものであると考えています。
(★太田さんの説明+浜松市Hpより)
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 (★太田先生と和田先生・・冨永先生)

【2】頭陀寺
松下源太郎清景の父:連昌は頭陀城主:松下長則の姉を妻とした。
そして、松下源太郎清景の姉は松下長則の子:之綱の妻となった。
松下源太郎清景には子がなく、中野一定を養子に迎えた。
箕輪城(群馬)→高崎城(群馬)→佐和山城(滋賀)→安中城
(群馬)→西尾城(愛知)→掛川城(静岡)→与板陣屋(新潟)
と子孫が移り住んだ。



1)頭陀寺城の「松下稲荷」
頭陀寺町第一公園の、わずかに土塁の面影を残すところにある「松下
屋敷跡石碑」は、松下氏の屋敷神を祀る「松下稲荷」の本殿のあった
場所であった。かつては応神天皇と敦実親王を祀っていた所である。
頭陀寺城の「松下稲荷」は箕輪城の稲荷郭(松下)に勧請され、一段
高い場所に安置されている。
しかし、昭和30年頃、松下稲荷は頭陀寺の境内裏に移転した。

2)頭陀寺の松下稲荷

3)箕輪城の松下稲荷


【3】松下之綱と頭陀寺城の歴史
1)松下氏の出自
・近江の宇多源氏佐々木氏・・六角氏・・・西條高長・・末裔?
●松下氏の本貫地
@三河国碧海郡松下郷(現愛知県豊田市枡塚東・西町)説
A遠江国松下(現静岡県菊川市西方字堀田小字松下)説

2)頭陀寺城の歴史
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・天文年間?
 松下源太左衞門長則は松下屋敷を構えた。
 ※松下長則は頭陀寺の寺侍であった可能性が強い。
  (★冨永公文氏)
川匂(かわわ)庄の領家は頭陀寺であった。

 引間城主(曳間城=浜松城の前身):飯尾氏を寄親とする寄子の土豪:
 松下長則の妹は松下連昌の妻であった。
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・天文6年(1537)2月6日 豊臣秀吉は生まれた。
・天文6年(1537) 松下加兵衛之綱が生まれた。

●系図
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 (★冨永先生の資料より)
@ 松下長則・・之綱(妻は松下清景の姉)・・重綱
娘@
娘A・・おりんは柳生宗矩の妻
   
A 松下連昌(妻は松下長則の姉)→松下源太郎清景(井伊直政の養父)
    ★後日、紹介

天文20年(1551)頃〜約3年間
  木下藤吉郎(豊臣秀吉)が松下加兵衛に仕えた。
  (★『太閤素生記』)
松下長則か松下之綱か不明である。


・天文23年(1554)
木下藤吉郎(豊臣秀吉)が織田信長の家臣になった。
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 (★学研漫画より)

●永禄3年(1560)5月19日 桶狭間の戦い。
  井伊直盛も今川義元の警固の任となった。
 突然の織田信長の兵に今川義元と井伊直盛は討ち死に。
        →今川軍は敗退。
 ※松下源太郎・松下加兵衛之綱は逃亡した。

松下長則は没落した。
松下加兵衛之綱は徳川家康家臣:30貫文になった。
松下清景は弟:松下常慶の紹介で徳川家康に仕えた。

今川義元の死後、遠江曳馬城(後浜松城)主:飯尾連竜が今川氏真
 を見限った。
今川氏と反今川氏の豪族同士で抗争が起きた。

三河では徳川家康が戦国大名としての地歩を固めつつあった。
遠江では引間城主:飯尾連龍らの今川氏からの離反の動きが頻発
 した。

・永禄6年(1563)年 遠州忩劇
 今川氏 VS  飯尾氏
今川焼き討ちに遭い、頭陀寺城は炎上した。

・今川氏真は引間城攻撃
  戦乱で「頭陀寺城」も戦火にあった。
  発見された建物が焼けた。
発掘調査の時、炭跡を確認している。井戸跡からは大きな硯石や
 高級青磁の破片が発見された。
 ※松下氏は交易商人でもあった可能性がある。
(★『松下加兵衛と豊臣秀吉―戦国・松下氏の系譜』冨永公文著)

・永禄9年(1566) 武田信玄が箕輪城を攻略した。
 松平家康が井伊谷3人衆を味方とし、引間城(浜松城の前身)
 攻略した。
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・天正2年(1574) 第一次 高天神城の戦い
 武田信玄 VS 徳川家康
 ※松下一族は 高天神城籠城した。後に降伏した。
織田氏家臣で長浜城主になっていた豊臣秀吉は松下之綱は家臣と
 して召し出された可能性がある。
(★『松下加兵衛と豊臣秀吉―戦国・松下氏の系譜』冨永公文著)
 ★冨永先生のサイン付
(★通説天正11年(1583)10月6日*出典『松下文書』)

・天正3年(1575) 長篠の戦い
 「松下かへえ100人」
   (★山内一豊公紀:冨永公文著)
 松下加兵衛は豊臣秀吉の前備として兵100を預けられた。
★冨永公文氏の天正2年松下之綱の秀吉臣従説が有力視されたことになる。

・天正10年(1582) 本能寺の変
  織田信長が死亡。

・天正11年(1583) ▲賤ヶ岳の戦い

●松下加兵衛之綱は丹波国・河内国・伊勢国に豊臣秀吉から3,000石の
 所領を与えられた。
 丹波・河内2000石 ・・・大阪城の城普請担当
 伊勢1000石
 松下之綱が丹波に所領を与えられたのは、大坂城築城のための用材を
 淀川水系を利用して流下させたからであろうと考えられる。
(★『松下加兵衛と豊臣秀吉―戦国・松下氏の系譜』冨永公文著)


・天正15年(1587) 3月 豊臣秀吉の九州攻撃
 松下之綱は豊臣秀吉の前備の直属部隊として兵150を率いて
 従軍した。
 (★『久野保心氏所蔵文書』名古屋市立鶴舞中央図書館蔵)
※豊臣秀吉が4月9日付 前備17名に宛てた朱印状
 「松下加兵衛の事、先年(秀吉が)御牢人の時、御忠節の仁(人)
  に候」
 豊臣秀吉は松下加兵衛之綱に世話になった縁に、格別の計らいを
 している。
 (★『松下文書』)
 松下加兵衛之綱は従五位下・石見守に叙位・任官された。
※松下加兵衛・・・
 丹波・河内2000石
 伊勢1000石
 ・・・大阪城の城普請担当?
 丹波など3000石を加増され、合計6000石となった。

・天正18年(1590) 豊臣秀吉の小田原攻撃
 7月5日 小田原城開城

 10月3日 松下嘉兵衛之綱は遠江で1万石追加された。
   松下嘉兵衛之綱は久野城(静岡県袋井市)主となった。
久能山城は武田信玄の城で、後久能山東照宮が立てられた。

慶長3年(1598)2月晦日(30日) 松下加兵衛之綱が没した。62歳。
綱元院殿天翁長珊大居士、正寿院殿故石見守真誉長参大居士

●松下加兵衛之綱の子ども
・長男:松下暁綱
・次男:松下重綱
・3男:松下方綱・・・一時期山内康豊養子、
・長女:おりん(柳生宗矩正室)
・次女:娘(松下長重室)
・3女・娘(中村正吉室)
・4女:娘(夏目吉信室)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

・慶長3年(1598)3月
 松下之綱の長男:松下暁綱の家系が、松下屋敷の当主となった。
 松下之綱の跡を次男:松下重綱が継いだ。

・慶長5年(1600)関ヶ原の戦い
松下重綱は東軍として大垣城の牽制に務めた。
 所領を安堵された。

・慶長8年(1603) 松下重綱は久野城の石畳を幕府に許可なく
 修理したことを咎められて常陸国に懲罰的な移封を命じられた。
 久野藩は一時的に廃藩となった。
 その後、久野の元領主であった久野宗能が戻ってきた。

●慶長8年(1603)〜元和2年(1616) 常陸伊奈(小張)城主
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松下之綱の次男:重綱・・・妻は加藤嘉明の娘
松下之綱の娘おりんは柳生宗矩の妻・・・十兵衞・宗冬の母

●元和2年(1616) 〜寛永4年(1627)下野烏山城主
松下之綱の次男:重綱

箕輪初心●栃木【那須烏山城】:下那須氏の居城
http://53922401.at.webry.info/201401/article_18.html

●寛永4年(1627)〜寛永5年(1628)二本松城主
松下之綱の次男:重綱
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箕輪初心▲29【安達太良山】&二本松城
http://53922401.at.webry.info/201306/article_14.html

箕輪初心●福島【二本松城】=戊辰戦争激戦地
http://53922401.at.webry.info/201305/article_8.html

●寛永5年(1628)〜正保元年(1644)三春藩主
松下長綱・・・妻は山内一豊の孫娘である。
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箕輪初心●福島:三春の滝桜&『三春城』 
http://53922401.at.webry.info/201306/article_13.html

・正保元年(1644) 松下長綱が改易。
  発狂したとか・・・配下にキリシタンがいて、切り捨てた。

 松下一族の4家は秋田氏家臣になった。
 次男:松下長光は旗本になっていた。
 松下吉綱は土佐藩山内家に松下長綱に同行して300石となった。

・昭和20年(1945) アメリカ軍による花松空襲と艦砲射撃で、
 頭陀寺の本堂(法堂)、仏殿、三重塔、行者堂、庫裏、御影堂、
 仁王門などとともに壊滅した。


◆参考文献
『松下加兵衛と豊臣秀吉』冨永公文著(東京図書出版会2002年)
★上記の本を購入・・・1429円+消費税+送料
 冨永先生のサイン付き・・・・
冨永先生、ありがとうございました。
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◆参考サイト
●▲■井伊直政シリーズのブログ一覧


●井伊直虎・直政シリーズ平成29年(2017)〜*************
箕輪初心・生方▲2016井伊直虎・井伊直政bP
『高崎学ソシアス講演会原稿』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_1.html

箕輪初心:生方▲箕輪城238『長純寺・石上寺・東向八幡・字輪寺
&信玄家臣:塚越伴七調査』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_2.html

箕輪初心:生方▲箕輪城239『長野業政・井伊直政』&長野堰3碑&
世界かんがい施設遺産『長野堰』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_3.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bR【井伊家初代:井伊共保】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_9.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bS【井伊氏系図8】&
『鎌倉時代の井伊氏 』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_10.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bT【南北朝時代の井伊氏と宗長親王】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_11.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bU『戦国時代の井伊氏』修正版
http://53922401.at.webry.info/201701/article_12.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bV【第1話『井伊谷の少女』
&「井伊谷・彦根城」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_13.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bW【井伊谷の散策2回】と
『NHKのTV「井伊谷」』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_14.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bX【井伊谷城2回目】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_15.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政10【井伊氏館跡・井伊直満の墓】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_16.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政11【龍潭寺の『直虎の墓・
直政公の墓・位牌』】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_17.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政12【浜松の宿下吉庵で「梅酒:直虎」を飲んだ】http://53922401.at.webry.info/201701/article_18.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政13【許嫁:井伊直親&松源寺:文叔&松岡城:松岡貞利】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_19.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政14【第2話:崖っぷちの姫】
&「井殿の塚」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_23.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政15【井伊直親の逃走〜2人の子ども
〜井伊谷帰国】資料編
http://53922401.at.webry.info/201701/article_26.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政17『次郎法師&直政の書籍の所持数36』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_27.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政18「柴咲コウ・菅田将暉」と「群馬の新聞」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_28.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政19『広報はままつ2016年4月号特集
「井伊直虎」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_29.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎:直政20【第3話『おとわ危機一髪』】
&「臨済寺」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_31.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政21【歴史秘話ヒストリア「おんな城主
:井伊直虎」】http://53922401.at.webry.info/201701/article_32.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政22【井伊直虎って誰?&
「井伊家傳記」の信憑性諸説】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_33.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政23【井伊谷・歴史本・
小説・ゲームの中の井伊直虎】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_34.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政24『井伊直虎の家臣:井伊谷七人衆』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_35.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政25『小野妹子→小野和泉守政直(道高)』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_36.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政26『小野政次・小野朝之』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_37.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政:27第4話『女にこそあれ次郎法師』
&「龍潭寺」
http://53922401.at.webry.info/201702/article_1.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政28『井伊一族:中野家』
http://53922401.at.webry.info/201702/article_3.html

★明日は「松下源太郎清景と井伊直政」かな?

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