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zoom RSS 箕輪初心:生方▲2017「チョコレートの歴史」と【高崎のバレンタインチョコ商戦】

<<   作成日時 : 2017/02/16 09:32   >>

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チョコレートの歴史はヨーロッパ列強のアフリカ人の奴隷制度と関わ
りを持っている。奴隷制度は約350年も続いた。私にはロッテ製の
「ガーナ・チョコ」の悪い奴隷イメージが払拭できていない。カカ
オを作ってもチョコレートを食べたことのない旧植民地の旧態依然
たる奴隷制度の名残りを何度も目にしてしまっている。チョコレートは
差別の歴史の中で生まれた金持ち国家のエゴであると心の片隅に
残っている。
チョコレートは好きではなかったが、ヨーロッパ旅行
のお土産が重いワイン・ブランディーから軽いチョコレートに変化
し、次第にチョコ好きになっていった。最近では車の中に、キット
カットの抹茶味、名糖のアルファベットチョコレートも入っている。
時々、ガトー・フェスタ・ハラダのホワイトチョコ・ラスクもある。
ヴァレンタイン・チョコレートの起原はローマ時代、キリスト教司
祭ヴァレンタインが秘密裏に兵士を結婚に導いた罪で2月14日の
女神:ユノの祝日処刑された。その後、愛の告白にケーキとか花束
・カードを親しい恋人に贈ったことから始まったという。日本では、
お菓子業界の商業戦略・策略により2月14日がいつしか女性が男
性に告白する「日本型のチョコレートの日」になってしまった。平
賀源内の土用の丑の日に鰻のようである。
画像



【1】チョコレートの歴史

・BC20頃〜中央アメリカではカカオが栽培されていた。
   アステカ王国ではカカオは貨幣的な価値を持ち、物流の
  一役を担った。貴重品で祖税・貢ぎ物としても納められていた。
  カカオ豆を粉にしてトウモロコシや唐辛子、バニラなどの香辛
  料を入れ、花から作った調味料を加え、ベニノキの種子で色
  を付けた。カカオをペースト状にし、水を加え、嗜好品、薬
  用剤や滋養強壮剤として飲んでいた。

・1502年 コロンブスの新大陸発見で中央アメリカからスペインに
   カカオがもたらされた。ポルトガル人:コロンブスがカカオ
   の実をスポンサーのスペイン王のフェルディナンドとイザベ
   ラ女王に見せるため持ち帰ったものである。
トマト・サツマイモ(ヤーコン)・ジャガイモ・トウモロコシ
・ピーマン・カボチャ・ズッキーニ・唐辛子・落花生・イン
ゲン・イチゴ・アセロラ・グァバ・パイナップル・・・・
等の野菜の原種もスペインに伝わった。
   同時にアステカ王国・インカ帝国に金を求めて、スペイン
   人が侵略し始めた。
   さらに、スペイン人のイエズス会宣教師も伝道のため中南米に
   宗教戦略を開始した。
スペインの宣教師たちがカカオの実から作られた飲み物を
   紹介し、次第にヨーロッパに知られることになった。
スペイン語の「チョコラテ・(ショコラテ)」(chocolate)となっ
   たようである。

   従って、現ブラジルのポルトガル語以外、中南米は全てス
   ペイン語圏となった。
   
   マヤ王国の朝貢使節がスペインのフェリペ皇太子(フィリップ
   2世)にカカオの実を朝貢した。後、チョコレートはスペイン
   王侯貴族の間で飲まれるようになり、庶民の間にも普及した。
スペイン人はアフリカ西海岸の奴隷を使い、中南米で植民地で
   カカオ・コーヒー豆のプランテーション栽培を始めた。
   
★大航海時代を迎えた。ワンピースみたいに・・・・?
 
・1615年、スペイン王フェリペ3世の王女:アナ(アンヌ・ドート
   リッシュ)結婚した。王女アナは輿入れにチョコレートを持参
   したため、フランスにチョコレートがもたらされた。
 
・1661年、ルイ14世もチョコレート好きのスペイン王女マリア・テレ
   サと結婚した。マリア・テレサはチョコレートを飲む道具一式と
   チョコレート専門の料理人(後ショコラティエ)を連れて輿入れ
   した。
   フランスでは上流貴族階級からチョコレートが広まった。
   
・17C後半、チョコレート(英語)はイギリスにも伝わった。

・1657年、ロンドンで最初のチョコレートハウスが開店した。

・1689年、ハンス・スローンがジャマイカでミルクチョコレートドリン
    クを開発した。
    次第に苦い飲み物から甘い飲み物に変化した。
   やがて、ヨーロッパ全体に広がっていった。
   ヨーロッパではカカオ特有の苦味を消すために、砂糖や牛乳を
   加え、植民地から持ってきたコショウやシナモン・バニラなど
   トルコ原産のローズオイルも香辛料が使われるようになった。
  チョコレートはヨーロッパの王侯貴族の間でカカオは贅沢な
    嗜好品になっていった。
 アフリカなど植民地でもカカオ・コーヒー豆が栽培される
    ようになった。

   ★イギリスでは産業革命が始まった。

・18C  チョコレートは飲み物から長期保存できる固形物へと
    変化してしていった。
     ココアバター(カカオバター)を絞り出すための機械式
    ミルが発明された。

・1750年頃〜 ウィーン貴族の間では、ミルク、生クリーム、香辛料
  アルコールが入ったコーヒーが飲まれるようになった。
  マリア・テレジアはさらにリキュール入りのコーヒーを飲んでい
  たウィーンで流行っていった。
  コーヒー:「カフェ・マリア・テレジア」・・・・
  温めておいたコーヒーカップに、モカ・コーヒーを注ぎ、温かい
  オレンジ・リキュールやブランデー、砂糖・生クリームを加えた。
  オレンジリキュール+コーヒー+ホイップクリーム+キャンディ
  をのせトッピングする。
「ウィーンナ・コーヒー」として、日本人も飲んでいた。
チョコレートも甘みが増していった。
  
・18C末 ヨーロッパの各所にチョコレート製造所が現れた。
  産業革命により水力から蒸気力を変化し、大規模化された。
  製造工程の機械化により、チョコレートは世界中で消費
  されるようになった。
  チョコ菓子としても用途が広がった

・1819年、スイスにチョコレート工場を開設した。
ネスレ

・1828年、オランダのファン・ハウテン(バン・ホーテン)はカカ
  オ豆からココアパウダーとココアバターを分離製造する方法の
  特許を取得した。
  現代的な板チョコレートを作ることも可能になった。
  しかし、チョコレートは未だに飲み物であった。

・1847年、イギリス人のジョセフ・フライがココアバターから固形
   チョコレートを作った。
 ★食べるチョコレートは初めて発売された。

・1849年、ドレがトリノで固形チョコレートが作った。

・1875年、ミルクチョコレートの販売を始まった。

帝国主義の時代、アフリカやインドネシアといった列強の植民地
 に、カカオ・コーヒー豆の栽培は広がっていった。
そして、各国に王室御用達のブランドが定着していった。


・1910年、アフリカ西海岸のギニア沖のサントメ島が世界最大のカ
  カオ輸出地になった。カカオ生産の拠点はアフリカに変化して
  いった。
 同時に「奴隷制度」が強化されていった。
 (★ウィキペディア)
 アフリカ人奴隷制度は約350年も続いていた。
 ★ロッテ製菓の「ガーナ・チョコ」の悪い奴隷イメージが
私には払拭できていない。

明治製菓:明治ミルクチョコレート
ロッテ:ガーナ ミルクチョコレート
森永製菓:森永ミルクチョコレート




【2】日本での歴史
・戦国時代 織田信長はロイス・フロイスに金平糖を貰ったが、
チョコレートは貰わなかったようである。

・元和2年(1617) 支倉常長がメキシコ(ヌエバ・エスパーニャ)
 に渡った際に、薬用チョコレート・パン・ビスケット・コーヒー
 ・金平糖・キャラメルを味わったのだとされる
  (一説に、初めてチョコレートを口にした日本人?とされる。)

箕輪初心◆41-1【コスタリカ&メキシコ13日間】メキシコ前編
:支倉常長
http://53922401.at.webry.info/201402/article_22.html

江戸時代 オランダから日本にチョコレートが伝わった。
 外国(オランダ・中国)との交易の窓口:長崎に、チョコレート
 伝わった。

◆参考サイト「日本チョコレート・カカオ協会」
http://www.chocolate-cocoa.com/dictionary/history/
・寛政9年(1797)3月晦日 長崎の遊女が「しょくらあと」
 を貰い請けた。
(★『長崎寄合町議事書上控帳』)
 長崎の遊女街:丸山町・・・勤王志士通っていたあの丸山。
  グラバーさんも恋した町?
  寄合町の記録『寄合町諸事書上控帳』に寄合町の遊女大和路が
 出島の阿蘭陀人から貰い請けて届け出た品物の中に、「しょくら
 あと 六つ」の記載があるそうである。
 ★史料に記された日本で最初のチョコレート資料だそうである。

・寛政12年(1800)
「しょくらとを(チョコレート)」が紹介された。
(★『長崎聞見録』)
人廣川獬が寛政年間に約6年にわたり長崎に遊学した。
 長崎滞留中に見聞したこと、調査したことを紹介した。


・慶應4年(1868)8月3日 徳川昭武がシェルブールでココアを喫す
慶應3年(1867) 15代将軍:徳川慶喜の弟:水戸藩主徳川昭武は、
   パリで開催された万国博覧会に幕府代表として赴いた。
  渋澤栄一も金計算の得意な武士としてついていった。
  徳川昭武、各地を歴訪後、パリで留学生活を送った。
  (★『徳川昭武幕末滞欧日記』)


・明治6年(1873) 岩倉使節団がフランス訪問中にチョコレート工場
を見学した。
 「銀紙に包み、表に石版の彩画などを張りて其(それ)美を為す。
  極上品の菓子なり。此の菓子は人の血液に滋養を与え、精神を
  補う効あり。」
 (★ウィキペディア)


・明治11年(1878) 両国若松風月堂で発売した。
風月堂総本店の主:5代目大住喜右衛門が番頭:米津松蔵に横浜
  で技術を学ばせた。日本初の国産チョコレートである。
  新聞に掲載した広告には「貯古齢糖」の字が当てられていた。

・明治32年(1899) 森永商店(現森永製菓)はチョコレートの製造
  を始めた。
  森永商店は、輸入原料チョコレートからクリームチョコレートの
  一貫した生産を始めた。完璧ではなかった。

・明治42年(1909) 森永商店は板チョコレートの生産・販売を
始めた。日本最初の板チョコであった。

・大正2年(1913) 不二家洋菓子舗(現不二家)がチョコレートの
製造・販売を始めた。

・大正3年(1914) 芥川松風堂(現芥川製菓)が池袋でチョコレート
  の製造・販売を始めた。

・大正7年(1918) 東京菓子(明治製菓→明治)がチョコレートの製造
   を始めた。

・大正7年(1918) 森永製菓がカカオ豆からの一貫生産が始まった。
   チョコレートは高級品から庶民の菓子となっていった。

・大正11年(1922 ) グリコが創業を開始した。

・大正13年(1924 ) 北日本製菓(ブルボン前身)が創業を開始した。

・大正時代 日本人の間に急速に普及した。
  チョコレート菓子は、玉チョコ(チョコボール)や棒チョコと
  いう形状が一般的であった。

・昭和元年(1926 )ベルギーのゴディバが創業を開始した。 

・昭和6年(1931 ) 神戸モロゾフ製菓が創立された。

・昭和10年(1935 ) 不二家がチョコレートの生産を開始した。

※昭和時代 チョコレートメーカーが多数参入してきた。
  チョコレートが一般化・大衆化してきた。


・昭和12年(1937) カカオ豆などの輸入制限令が発令された。

・昭和15年(1940) 12月 第二次世界大戦の影響で最後に
  カカオ豆の輸入は止まった。
  軍用の医薬品(常温では固体で人の体温で溶けるココアバターの
  性質から座薬や軟膏の基剤となった。)や食料製造のために、指
  定業者にだけ軍ルートでカカオ豆が配給されるのみとなった。
軍需用以外のチョコレート製品の製造が中止させられたのだ。


・昭和16年(1941) 日本チョコレート菓子工業組合と日本ココア豆
 加工組合からなる「ココア豆代用品研究会」が設立された。
 ビター・チョコレートの代用品の研究が始まった。
 百合球根(ユリの鱗茎)、チューリップ球根、決明子(エビス
 グサの種子)、オクラ豆、脱脂大豆粉、脱脂落花生粉などを主原料
 にココアバターの代用品に醤油油、大豆エチルエステル、椰子油、
 ヤブニッケイ油などの植物性油脂の硬化油、カカオマス、バニラ
 を加えた代用品にした代用チョコレートが考案された。

 オランダ領東インドを占領した日本軍は、カカオ豆プランテーション
 や、ジャワ島の製菓工場を接収し、森永製菓や明治製菓にチョコレ
 ート製造を委嘱し、陸海軍に納入させた。
 また、軍用に熱帯で溶けないチョコレートも開発された。
(★「日本チョコレート工業史」)


・昭和20年(1945) 終戦
日本が第2次世界大戦で敗れると、アメリカの進駐軍を通じて
 大量のチョコレートが日本にもたらされた。
 子供たちは駐留米兵に「ギブ・ミー・チョコレート」
 と言って、チョコレートを貰った。
 ★高校生だった父も学校帰り、寂しそうにしているので、声を
かけて、チョコレートを貰ったという。
 

外国産チョコレートが外国人商社や進駐軍販売所用、ホテル
 販売用などに流通した。

・昭和20年(1945) 富士製薬 (名糖) が創業を開始した。

・昭和21年(1946) 芥川製菓によってグルコースを原料にした代用
チョコレート(グルチョコレート、グルチョコ)が製造された。
カカオ豆の輸入が途絶えていたチョコレート業界では、グルコースを
主原料とし、薬品用ココアバター製造の副産物であるココア粉などを
配合し代用グルコースチョコレートが開発・生産した。
カカオマスの代用品となるグルコースに、少量のココアパウダーと
チョコレート色素を加えた物であった。

・昭和21年(1946 )カバヤ食品が創業を開始した。
  代用グルコースチョコレートを販売した。

・昭和23年(1948) ロッテが創業を開始した。

・昭和24年(1949) 東京都復興宝くじの景品用として、約80万枚
のグルチョコが納品された。

・昭和26年(1951) 日本のチョコレート業界が生産を再開した。
  輸入外貨資金割当制度によりカカオ豆の輸入が始まった。
  チョコレートの生産が順調に進展した。
  チョコレートメーカーも多数が復興していった。
安価なものから高価なものまでチョコレート菓子が販売される
 ようになった。
 消費者の需要に供給が追い付かないほどの売れ行きであった。

・昭和33年(1958)頃 日本にヴァレンタインチョコの風習が
  流行し始めた。
  製菓業界・流通業界によって販売促進のために普及が試みられ
  た。

・昭和35年(1960) カカオ豆・ココアバターの輸入が自由化された。
デパート各店がバレンタインデー普及に努めた。

・昭和43年(1968) デパート商戦のヴァレンタインチョコが
  ピークに達した。

・昭和46年(1971) チョコレート製品の輸入が自由化された。
  様々な種類のチョコレートが流通するようになった。
バラエティに富んだ多くのチョコレート製品やココア製品が
  世に出てきて、今日のチョコレートの隆盛が始まった。

・昭和48年(1973) オイルショックで高度経済成長が終焉した。
所得倍増計画も夢になった。
  不況の小売業界が積極的にマーケティングを行った。
  チョコレートの売上が急増した。
  投資より消費社会になった。
  バレンタインデーにチョコレートを贈る風習は小学校中学年
  〜高校生ま広まっていった。

・昭和50年(1975)頃〜 女性が男性に対して、親愛の情を込めて
 チョコレートを贈与する「日本型バレンタインデー」の様式が
 成立し、定着し始めた。日本では、女性が男性に愛情の告白と
 して、本命チョコを贈る習慣となった。
「日本型バレンタインデー」の特徴は
@贈答品にチョコレートが重視されている。
  職場の贈答習慣が強い
@女性から男性への一方的な贈答である。
 女性の愛情表明の機会だと認識されている
Bキリスト教との関連は意識されていない。
A「バレンタインデーはチョコレート業界・販売業界の商戦・陰謀」
 と認識されている。

女子が男子に「本命チョコ」を贈るという「日本型バレ
ンタインデー」が、日本の社会に定着した。
AUの「本営」宣伝がかわいいね。

・昭和55年(1980)頃〜 「3月14日の1ヶ月後、ホワイトデーと
 お返しチョコ・義理チョコの風習が商戦や週刊誌で取り上げられ、
 確率しつつあった。

・昭和59年(1984) チョコレート・カカオ輸入業界では「ホワイト
  デー定着の年」としている。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・平成7年(1995)ロッテの「沙々」が発売された。
  ★結構、好きだった。

・平成12年(2000) 日本のチョコレートの年間消費量の2〜3
 割程度が2月に消費される状況なった。

・平成12年(2000) 群馬のガトー・フェスタ・ハラダは
  「グーテ・デ・ロワ」のブランドで発売した。
  洋菓子メーカーとして急成長した。
JALのヨーロッパラインのおやつになった。
 チョコレートはベルギー産のチョコを輸入している。

箕輪初心■群馬『ガトーフェスタ・ハラダ』の工場見学
http://53922401.at.webry.info/201111/article_3.html

・平成17年(2015)頃〜女性が女性へチョコレートを贈る「友チョ
 コ」が広まっていった。
 関連業界が「友チョコ」・「自分チョコ」・「ホモチョコ(男→男)」
 浸透させようと企業努力を図った。

私のヴァレンタインチョコの思い出
「ある1人の小学生男の子が約10人位の女の子から、一斉に
チョコを貰った。ある女の子がホワイトデーには全員の女の子
に半返しするんだよ。と言った。俺、返せないようとべそをかいた。」
★まるでいじめにあったようなものだったことが印象に残っている。
 
チョコレートによるいじめも起こり、小中学校での学校内での渡す
 行為は禁止さていった。


・現在
 それでも続くヴァレンタイン商戦が「期間限定」は展開されて
 いる 。

◆参考サイト
・ウィキペディア
・20年前のチョコレート
  http://www.maroon.dti.ne.jp/ejkht562/chocohistry.htm
・ヨーロッパのチョコレート
 https://tabimo.jp/568




【3】 高崎のバレンタインチョコ商戦
●平成29年(2017)1月以降のチョコレート

1)イオンモール高崎
@ゴディバのヴェレンタインチョコ
 ベルギーを代表する高級チョコレートブランドである。
・昭和50年代 1970年代 
 ゴディバのチョコレートは「横浜そごう」にしか置いてなかった。
・平成7年(1995)8月23日(水)〜8月29日(月)
 フランス・ベルギー・オランダの旅行
1)ベルギ−のお土産
@ ゴブラン織のチョッキ 2万円
 A 刺繍
B チョコ−ト
  ・Godiva「ゴディバ」・・・ブリュッセルのグランプラス本店で
            味見した。店は意外と小さいが、小綺麗で
            あった。1箱土産にした。
   (ゴディバ)・・・高級ブランドチョコ「ゴディバ」。
    ベルギー旅行のお土産にゴディバのチョコをあげた。
    大喜びされた。
  ・ノイハウス・・・・1箱土産にした。
    ★これも旨かった。
・コート・ドール・・・王室御用達
    ・スーパーなどで購入できる。
  ・Galler「ガレ」・・・ベルギー王室御用達。
・ブルージュでチョコ・・・たくさん購入した。
★だって、安いんだもん。
 2)ベルギーの飲食
@ ビ−ル   400種のうち、5度〜20度7種飲んだ。
Aムール貝はバケツに1つ食べた。
・現在
 ゴディバは 高島屋高崎店で販売されている。
 ゴディバは スズラン高崎店で販売されている。 

・イオンモール高崎の「ゴディバの期間限定出店」
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 1階で、ゴディバのショップが期間限定オープンしていた。
バレンタインデー期間限定チョコレート「ビュッフェ・
ドゥ・ガトー」である。
★2番目に安い700円チョコを買った。流石に高かった。
これがチョコレートのブランドのしない田舎の90婆に

2)イオンモール高崎で「名古屋のラスク店期間限定出店」
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3)イオンモール高崎「ビアード・パパスイーツ の洋菓子」
 チョコシュー 1個230円
★★★★逸品ですよ。
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4)イオンモール高崎「R・Lイオンモール高崎店」
 ベルギーを代表する高級チョコレートブランドを販売している。
★でも、ベルギーのチョコ巡りは誰もしていないであろう。

5)イオンモール高崎「ガーナ・チョコレート期間限定」
期間限定・・・羽生結弦のファイル付きキャンペーン
原料のカカオの生産は、奴隷労働や児童労働が歴史的に繰り返
 されている。アフリカ中央部西海岸のガーナ・・・・奴隷海岸
 を思い出す。カカオを作っても、チョコレートは食べられない
 人間がいるのだ。現在も深刻な問題となっている。
 ★「ガーナ」のネーミングは嫌いだった。しかし、買って
 しまった。俺って、脈絡のない人間なのだ。

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高崎駅前の商戦
1)ガトー・フェスタ・ハラダのヴァレンタインチョコ
高崎駅ビルのイースト???で売っていた。
ホワイトチョコが好きである。
  ★ベルギー産チョコを輸入している。
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・送った。
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・買った。ヴァレンタイン限定。
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2)ハマダコンフェスト
ヴァレンタイン生チョコ  540円
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スズランデパートでのヴァレンタイン商戦
 
※金沢の物産展とヴァレンタイン商戦をセットとして販売。
 ゴディバの店もある。
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車の中にあるチョコ

1)キットカットの抹茶味
車の中にはキットカットの抹茶味が入っている。
★結構、まずいが、楽しみ・安さがいい。
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2)名糖のアルファベットチョコレート
 ★最高にまずいがかわいい。・・・しかし、安い。


3)チョコボンボン・・・



★明日は?

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