城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行

アクセスカウンタ

zoom RSS 箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政24『井伊直虎の家臣:井伊谷七人衆』

<<   作成日時 : 2017/01/28 04:26   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

平成28年(2016)9月、私の仲間:西原巌氏は「おんな城主 直虎」
の時代考証:小和田哲男先生に「大河ドラマで是非、箕輪城・高崎城
も紹介してください。」と依頼した。「井伊谷七人衆」は小野・中野
・松井・松下・鈴木・近藤・菅沼である。小和田哲男氏は井伊氏家
臣団の構造を@領主:井伊氏―A筆頭家老=年寄:小野氏─B井伊
谷親類衆・井伊谷被官衆としている。井伊直虎の家臣として井伊谷
では、「七人衆」と呼ばれる有力なメンバーが揃っていた。
今川家に仕えていた井伊家は有力な国人衆(黒田基樹説では国衆)
であり、国人衆の下にも多くの家臣がいた。・永禄11年(1568) 井
伊谷3人衆(近藤康用、菅沼忠久、鈴木重時)は、徳川家康が井伊
谷攻めを行った際に今川氏真から徳川家康へ離反し、徳川家康に付
いて引間城攻めなどを行った。
画像

画像

    井伊氏
    ↓
    家老(年寄):小野氏

←←←←←←● →→→→→→→→
↓ ↓
井伊谷親類衆 井伊谷被官衆
赤佐 石岡 キ田上下給人衆(今川給人説あり)
奥山 田沢 瀬戸衆
石野 松田 祝田衆 など
田中 上野
伊平 岡
谷津  中野
(★『引佐町史』:小和田哲男文責・『井伊直虎』小和田哲男著P160)
「井伊直虎・直政→筆頭家老:小野がいて、その下に井伊谷七人衆
・井伊谷親類衆・井伊谷被官衆が連なっていた。

★私には小和田哲男先生の説筆頭家老:小野が上に置くのは違和感
がある。また、井伊谷親類衆」ではなく、「井伊谷親戚衆・評定衆」
とか「井伊谷家老衆・侍大将衆」とし、小野を中に入れる方が相応
しいのではないかと勝手に思っている。
「井伊軍志」井伊達夫著では、後、家老衆17〜18・侍大将  
と記述している。

・鎌倉時代 
  井伊氏を惣領家として多くの庶子家を分出している。
 5代井伊盛直から井伊谷井伊氏(現浜松市井伊谷)・赤左井伊氏
 (浜松市北区)・貫名井伊氏(袋井市)の3家に分かれた。
@井伊谷7代(長野主膳作成系図では8代)井伊弥直の子からは
  田中氏・伊平氏・ 谷津氏・石岡氏に分流した。
  さらに田中氏からは田沢氏・松田氏らが分出した。
 A赤佐井伊氏からは井伊宗家を凌ぐ勢いを見せた奥山氏が分かれた。
 B貫名井伊氏からは日蓮宗の宗祖:日蓮が出ている。
 結果・・・宗家・分家の名字を地図と重ね会わせると、浜名湖の北部〜
 東部一帯・・・と言っても、袋井市までが井伊氏の勢力範囲であった
 ことが分かる。横地(菊川市)・勝間田(榛原郡)まで入れると遠江
 全体に近い。


【1】井伊家宗家・・・井伊直虎・虎松
◆井伊虎松:井伊家24代跡継ぎ
@井伊直虎:井伊家宗主・虎松の後見人
A井伊直虎の母:新野親矩(今川重臣)の妹
B井伊虎松の母:奥山朝利(井伊家庶子家・奥山朝利の娘)


【2】井伊谷七人衆
1)筆頭家老:小野家・・・小野但馬守政直(道高)・TV鶴丸:政次(道好)
篁(たかむら)屋敷跡:遠江国赤狭郷小野村(現浜松市浜北区
   尾野小野海道)である。
→25小野兵庫助重正→26小野和泉守政直→27小野但馬守
『小野氏系図』
○26代目:小野和泉守政直
・天文13年(1544)
12月14日 連歌師:宗牧が井伊谷の小野和泉守政直宅に
 訪れた。井伊次郎宅ではない。
 「姪直盛いまだに年若しと雖、末々子なきにをいては、直満
 が男直親を嗣とせむことを契約せしところ、直盛が家臣小野
 和泉某もとより直満と不和なりしかば、これをきらひて今川
 義元に讒し、直満・直義兄弟逆意ありと訴ふ。義元これを信じ
 天文十三年十二月、兄弟を駿府にめして、糾問す。直満申解
 と雖も、和泉様々に讒言をかまへ、二十三日つゐに冊第せらる。」
(★『東国日記』連歌師:宗牧著)

12月23日
「天文十三年十二月二十三日 (井伊直宗の子)井伊彦二郎直満・
 同平次郎直義が小野和泉守の讒言により、今川義元のため生害
 (自害)された。」
 (★『井伊家伝記』)
理由は 1)「養子之儀二付遺恨」
   2)「両人私之軍謀相企」
  @井伊家・・・武田信玄の家臣によって井伊領が横領されるのを
防ぐため。『井伊家伝記』には無理がある。
説@通説・・・小野家は形式上では井伊家筆頭家老であった。
  小和田説では、小野和泉守政直は仕切っていて、ほかの家老
  親戚衆・引き付け衆を仕切っていた説であるが、・・・
井伊家乗っ取りを企んだ。
 (TVも2回目でそうに解説している。)
新野左馬助の目付と別に、今川からの第2の目付的な要素があった。
説A・・・井伊氏が鈴木重時と結ぼうとしていた説
説B・・・北条氏綱が奥平貞昌に井伊を取ったら500貫あげるね説。
裏で井伊直満が動いていた。
説C・・・井伊直満が井伊直盛にかわって井伊家の主導権を握ろう
  とした説である。北条ろ小野和泉守は井伊直満の謀反を防ぐために
  今川家に訴えたとことになる。
  TVでも、「井伊直盛がそれらしいことを言って、井伊直平の小野の
   手打ちを止めさせている。・・何の証拠もありません。
★何れにしても
「井伊直満を死に追いやったと思われているにも関わらず井伊家が
 処分しないのはおかしいが、今川からの回し者要素があるので、
 今川を無視して勝手に井伊家が家老の小野和泉守を裁くことが
 できなかったのあろう。」

 ○27代目:小野但馬守政次(道好)
・永禄3年(1560) ▲桶狭間の戦い
  井伊直盛が討ち死に。そして小野正次(道好)弟:小野玄蕃朝直
  、玄蕃の弟:小野源吾も討ち死にした。
 ★小野玄蕃の妻は奥山朝利の娘。つまり、井伊直親の妻の妹であった。
  妻同士が姉妹だったのである。
★小野の子孫は浜松市尾野に残った。

  筆頭家老の兄:小野政次は井伊谷に残っていて無事であった。
・永禄11年(1568) 甲斐の武田信玄が今川氏真の駿河に侵攻した。
  今川氏真が小野正次(道好)は井伊虎松を殺害して井伊谷を掌
  握し、軍勢を率いて加勢するように命じられた。
・永禄11年(1568)11月9日 井伊直虎は関口氏経と連署で徳政令を出した。
 ★今川氏真の介入
 今川氏真は小野正次を使って井伊直虎を地頭職から解任させた。
 小野正次(道好)は井伊谷を井伊氏より横領した。
 井伊虎松や次郎法師、祐椿尼は井伊氏菩提寺の龍潭寺に避難した。
 12月 徳川家康は井伊谷に侵攻した。
  小野正次(道好)の横領に対し、近藤康用・鈴木重時・菅沼忠久の
  井伊谷三人衆を派遣し、井伊谷を奪還させた。
  小野正次(道好)は敗北して井伊谷から「龍ヶ淵」逃亡したが
   近藤康用に捕えられた。
・永禄12年(1569) 堀川城の攻撃
4月7日 小野正次(道好)は仕置きで、井伊谷「蟹淵」で
      処刑された。
 5月7日 小野正次(道好)の2人の男子も斬罪となった。
小野正次(道好)の弟:小野玄蕃の子:朝之が家督を継いだ。
  
・永禄12年(1568)井伊直政実母は今川家臣:松下源太郎清景(浜松頭陀寺城)と再婚した。
 
 

・天正3年(1575) 井伊直虎に付き添われて井伊直政(15歳)は浜松
  の徳川家康に出仕した。
小野玄蕃の息子:亥之助(小野朝之)は虎松(井伊直政)の家老と
 してついていった。
 徳川家康から井伊虎松は「万千代」、小野朝之は「万福」の名前を
 貰った。
井伊直政と小野朝之は従兄弟であった。
 小野朝之は井伊直政とともに数々の戦に出た。

※天正10年(1582) 8月26日(9月12日)養母:井伊直虎が死んだ。
(★『遠江井伊氏物語』:龍潭寺前住職:武藤全裕著)

・天正18年(1590)井伊直政が箕輪城主になった。
★小野の子孫は高崎市箕郷町白川に残ったようである。

・ 元和元年(1615) 井伊直勝(直継)が安中藩を嗣いだ。
第1家老は松下一定、第2家老は小野朝之であった。
第3家老は、安中出身の萩原図書であった。 

・宝永2年(1705) 井伊直矩が与板藩主になった。
小野玄蕃の子孫の小野七郎左衛門は与板藩の家老になっている。



2)家老:中野家・・・・・井伊庶子家:中野信濃守直由
井伊忠直→@中野直房→A直村→B直由→C直之→D三孝
 ・永禄3年(1560) ▲桶狭間の戦い
    3代目:中野直由は井伊直盛の遺言で、井伊領主:井伊谷
    城代?となった。
     相続に異を唱えた小野但馬守政次と戦った。
    中野直由に組した奥山朝利が討たれた。
  ・永禄7年(156) 9月15日、今川氏真の命により、新野兄弟
(親道・親矩)と共に引馬城を攻めるが、天間橋で
   今川氏真方の新野親矩や三浦正俊、中野直由らが討ち死
   にした。
  4代目:中野直之が跡を継いだ。
   長男:中野直之。井伊家家老
   次男:松下一定。井伊家家老。 
  5代目:中野三孝 
  (★中野直之・松下一定も箕輪城に来ている。
    松下一定の墓は高崎市箕郷町の竜門寺である。)


3)家老:松下家・・・・・松下源太郎景清
・天文6年(1537) 松下加兵衛之綱は兵法者で槍術の達人:松下源太
 左衛門長則の子として、三河国で生まれた。
●系図
@ 松下長則・・之綱・・・・(妻は松下清景の姉か妹)
娘@
娘A
A 松下連昌(妻は松下長則の妹)→松下源太郎清景(井伊直政の養父)
       中野直之の次男:中野一定を養子に迎えた。
(★松下3代の墓は井伊直政時代の箕輪城鬼門「龍門寺」にある。) 
       ★後日、紹介
・天文20年(1551)頃〜約3年間
   無名の木下藤吉郎(豊臣秀吉)が松下加兵衛に仕えた。
  (★『太閤素生記』)
・天文23年(1554)
木下藤吉郎(豊臣秀吉)が織田信長の家臣になった。
・永禄3年(1560)5月19日 ▲桶狭間の戦い。
   井伊直盛も今川義元の警固の任となった。
 突然の織田信長の兵に今川義元と井伊直盛は討ち死に。
        →今川軍は敗退。
 ※松下源太郎・松下嘉兵衛は逃亡した。
松下長則は没落した。徳川家康家臣:30貫文になった。
・永禄6年(1563) ▲遠州忩劇 今川氏真 VS  飯尾連竜
・永禄7年(1564) 今川氏真は引間城攻撃
  戦乱で「頭陀寺城」も戦火にあった。
永禄12年(1568)井伊直政実母は今川家臣:松下源太郎清景
 (浜松頭陀寺城)と再婚した。

井伊直政が当主になったので、中野直之の次男:中野一定を養子
  に迎えた。

4)家老:松井家・・・・・
  松井宗能→松井貞宗→長男:松井信薫→次男宗信─松井宗恒
  二俣城主
  今川義元の被官松井宗信
 ・永禄3年(1560) 5月 ▲桶狭間の戦い
   松井宗信は今川義元とともに討死した。
   子:松井宗恒が跡を継いだ。
   今川氏真に3千貫を与えられた。
 ・永禄5年(1562) 飯尾連龍が松平家康を通じて織田・徳川方に
   通じた。
   今川氏真は曳馬城を攻めた。
今川氏真方の新野親矩や三浦正俊、中野直由らが討ち死にした。
  今川方は曳馬城を落すことができず、飯尾連龍と和睦した
   連龍に対する疑念を拭い去ることができなかった
・永禄8年(1565年)12月、今川氏真は飯尾連龍を駿府に呼び寄せた。
  飯尾連龍はわずかな供を連れて駿府に入った。
  飯尾連龍は駿府城内の一角で今川氏真によって謀殺された。
 松井宗恒も飯尾連龍と姻戚関係にあったので、今川氏真に駿府へ
  呼び出されて謀殺されたという。
  松井宗信の弟:松井因幡守助近の子孫が二俣を継いだ。
・永禄12年(1569) 今川氏真は武田信玄と徳川家康の挟撃
   にあって滅亡した。

5)家老:近藤家・・・・・近藤石見守康用・秀用(井伊谷三人衆)
宇利城主(現新城市中宇利)
・享禄3年(1530) 宇利の戦い
  岡崎城の松平清康(徳川家康の祖父)は宇利城の熊谷備中守実長
  (熊谷次郎直実の子孫)を攻めるために兵3000余で攻撃した。
  松平勢は野田城主:菅沼定則 を案内として東上(一宮町)で
  豊川を渡り、宇利城 への攻撃を開始した。苦戦の挙句、城内
  の松平方に内応した武将が城に火を放ち宇利城は落城した。 
  城主の熊谷実長は裏山伝いに落ち延びた。
  松平清康の三河の統一が成し遂げられた。
 熊谷方の武将・近藤満用、近藤平左衛門、近藤力之丞がいた
  というので、裏切った武将は近藤氏ということになる?
  近藤氏は松平清康方として奮戦し、熊谷備中守を討ち取り、
  宇利城を賜るとなっている。 (★『近藤氏系譜』
・永禄11年(1568) 徳川家康に加担する菅沼一族の野田菅沼定盈
  から今川家の離反の誘いを受けると、承諾した。
  菅沼忠久が鈴木重時や近藤康用も誘った。

6)家老:鈴木家・・・・・鈴木三郎太夫重時・重好(井伊谷三人衆)
柿本城主
 鈴木重時の正室は奥山朝利の娘
   鈴木重時の娘は井伊直満の母方の祖父である。
・永禄11年(1568) 徳川家康に加担する菅沼一族の野田菅沼定盈
  から今川家の離反の誘いを受けると、承諾した。
  菅沼忠久が鈴木重時や近藤康用も誘った。
  ・永禄12年(1569) 堀江城(浜松市西区舘山寺町堀江)攻撃
   鈴木重時が討ち死にした。鈴木重好が跡を継いだ。
堀江城・・・現舘山寺温泉:浜名湖パルパルや旅館ホテル九重の
  敷地にあった。・・・40年前に泊まった。鰻の刺身を食って、
  浜松観光課にいた小林祐太郎ちゃんに笑われた。

7)家老:菅沼家・・・・・菅沼次郎右衛門忠久(井伊谷三人衆)
菅沼忠久の正室は鈴木重時の長女。
・永禄11年(1568) 徳川家康に加担する菅沼一族の野田菅沼定盈
  から今川家の離反の誘いを受けると、承諾した。
  菅沼忠久が鈴木重時や近藤康用も誘った。
  後にこの3人が井伊谷三人衆と呼ばれた。
・永禄12年(1569) 堀江城(浜松市西区舘山寺町堀江)攻撃

※今川重臣:新野左馬助親矩
  新野新城(舟ケ谷城)城主(現御前崎市新野)


【3−1】『井伊谷親類衆』
「井伊氏の親類で、本家から分かれた庶流家が「井伊谷親類衆」
 であった。赤佐・奥山・石野・田中・井平・谷津・石岡・田沢・松田
 ・上野・岡・中野氏らが「井伊谷親類衆」ということになる。
 特に中野氏は、一番遅く生まれた庶流家ということもあり、かなりの
 力をもっていたようである。『井伊家伝記』によると、井伊直盛が桶狭
 間で討死のとき、「遺領は中野越後守に預ける」と遺言した。
(★『引佐町史』小和田哲男文責・『井伊直虎』小和田哲男著)

【3−2】『井伊谷被官衆』
 「都田上下給人衆」、「瀬戸衆」などがいる。
 都田・瀬戸・祝田に居住している在郷家臣であった。
 祝田は井伊直親が新婚生活を送った場所である。
(★『引佐町史』小和田哲男文責・『井伊直虎』小和田哲男著p160】)


★井伊直政の箕輪城時代にも家老は17〜18人いた。
 井伊谷・遠江・岡崎方面からは奥山氏・貫名氏・横地氏・西郷氏
 も家老である。
●▲■井伊直政シリーズのブログ一覧

●井伊直政シリーズ平成21年〜***************

◆◆ 箕輪初心●箕輪城「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201010/article_40.html
http://53922401.at.webry.info/201011/article_25.html

◆◆ 箕輪初心●井の国千年物語前編 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_3.html

◆◆ 箕輪初心●井の国後編:「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_4.html

◆◆ 箕輪初心●井伊直政の箕輪城時代の家臣団 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_15.html

◆◆ 箕輪初心●静岡:井伊直政の井伊谷城 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_5.html

箕輪初心■静岡【龍潭寺】=井伊家の菩提寺
http://53922401.at.webry.info/201212/article_6.html

◆◆ 箕輪初心●井伊直政の造った町:高崎&彦根 ◆◆
高崎高校 VS 近江高校
http://53922401.at.webry.info/201203/article_28.html

◆◆ 箕輪初心●中村達夫氏の「井伊軍志」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_14.html

◆◆ 箕輪初心●小和田哲夫氏の「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_13.html

箕輪初心●群馬の城「和田城→高崎城」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201012/article_16.html
  (★高崎城の畝堀:発掘調査)

箕輪初心★箕輪城140【秋本太郎先生の箕輪城→高崎城+城下町】
http://53922401.at.webry.info/201410/article_9.html

箕輪初心▲箕輪城153【長野氏の箕輪の寺社→井伊直政の
高崎移転の寺社】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_15.html

箕輪初心★箕輪城103川野辺寛「高崎誌」&井伊直政
http://53922401.at.webry.info/201310/article_8.html

箕輪初心★西田美英【高崎素奈子】&川野辺寛【高崎志】
http://53922401.at.webry.info/201410/article_14.html

箕輪初心:生方▲【長野堰を語り継ぐ会の絵図展】&
【高崎城の桜】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_5.html

箕輪初心:生方★高崎城【井伊直政&高崎城&彦根城の縄張り
担当:早川幸豊】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_9.html

箕輪初心:生方▲箕輪城165箕郷龍門寺→高崎竜広寺
【井伊直政供養塔&井伊直弼娘:ワカの墓】
http://53922401.at.webry.info/201507/article_28.html

箕輪初心:生方▲箕輪城174・井伊直政18『箕輪城→高崎城」復刻版
http://53922401.at.webry.info/201510/article_9.html

箕輪初心▲東京【豪徳寺】&「吉良家→井伊家15代」
http://53922401.at.webry.info/201411/article_6.html

箕輪初心●滋賀の城「箕輪城&彦根城の類似性」
http://53922401.at.webry.info/201101/article_10.html

箕輪初心●滋賀bS−1「彦根城2回目」
http://53922401.at.webry.info/201012/article_37.html

箕輪初心:生方▲箕輪城202【真田丸に登場しない井伊直政」
&郭馬出出撃門
http://53922401.at.webry.info/201608/article_25.html

箕輪初心:生方▲2016【高崎の用水路開発&長野堰の歴史】大修正版
http://53922401.at.webry.info/201607/article_1.html

箕輪初心:生方▲201610624~0628世界かんがい遺産候補:長野堰展準備完了
http://53922401.at.webry.info/201606/article_27.html

箕輪初心:生方▲世界灌漑遺産候補【長野堰展2016】6月24日〜28日
at高崎シティギャラリー
http://53922401.at.webry.info/201606/article_25.html

箕輪初心:生方「箕輪城159&【中嶋宏氏主催の長野堰を語りつぐ会
の絵図展】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_4.html

箕輪初心:生方▲【長野堰を語り継ぐ会の絵図展】&【高崎城の桜】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_5.html

●高崎市の用水路シリーズ:井伊直政関連〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心◆「群馬:高崎の稲作と用水路@」
http://53922401.at.webry.info/201103/article_34.html

箕輪初心◆群馬:高崎市の稲作と用水路A「長野氏の開発@」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201104/article_5.html

箕輪初心◆群馬:高崎の用水路B「長野氏の用水路編A」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_6.html

箕輪初心◆群馬:高崎の稲作と用水路C「江戸時代」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_7.html

箕輪初心★江原源左衛門&滝川用水20131010
http://53922401.at.webry.info/201310/article_11.html

箕輪初心◆高崎の長野堰=西新波堰の歴史
http://53922401.at.webry.info/201310/article_12.html

箕輪初心●箕輪城シリーズK「長野・井伊時代の用水路開発」と現在
http://53922401.at.webry.info/201010/article_17.html

箕輪初心:生方★高崎城&長野堰【井伊直政&秋元長朝&新井喜左衛門】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_10.html
★秋元長朝はおそらく高崎城の内堀・用水路・遠構え
 建築に貢献したのだ。

箕輪初心◆長野堰B「染色のまち高崎に流れる長野堰:高崎広報」
http://53922401.at.webry.info/201410/article_13.html

箕輪初心:生方▲主に群馬・長野の【戦国〜江戸の用水新田開発】
http://53922401.at.webry.info/201605/article_34.html


●井伊直虎・直政シリーズ平成29年(2017)〜*************
箕輪初心・生方▲2016井伊直虎・井伊直政bP
『高崎学ソシアス講演会原稿』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_1.html

箕輪初心:生方▲箕輪城238『長純寺・石上寺・東向八幡・字輪寺
&信玄家臣:塚越伴七調査』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_2.html

箕輪初心:生方▲箕輪城239『長野業政・井伊直政』&長野堰3碑&
世界かんがい施設遺産『長野堰』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_3.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bR【井伊家初代:井伊共保】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_9.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bS【井伊氏系図8】&
『鎌倉時代の井伊氏 』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_10.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bT【南北朝時代の井伊氏と宗長親王】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_11.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bU『戦国時代の井伊氏』修正版
http://53922401.at.webry.info/201701/article_12.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bV【第1話『井伊谷の少女』
&「井伊谷・彦根城」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_13.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bW【井伊谷の散策2回】と
『NHKのTV「井伊谷」』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_14.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bX【井伊谷城2回目】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_15.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政10【井伊氏館跡・井伊直満の墓】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_16.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政11【龍潭寺の『直虎の墓・
直政公の墓・位牌』】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_17.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政12【浜松の宿下吉庵で「梅酒:直虎」を飲んだ】http://53922401.at.webry.info/201701/article_18.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政13【許嫁:井伊直親&松源寺:文叔&松岡城:松岡貞利】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_19.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政14【第2話:崖っぷちの姫】
&「井殿の塚」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_23.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政15【井伊直親の逃走〜2人の子ども
〜井伊谷帰国】資料編
http://53922401.at.webry.info/201701/article_26.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政17『次郎法師&直政の書籍の所持数36』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_27.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政18「柴咲コウ・菅田将暉」と「群馬の新聞」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_28.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政19『広報はままつ2016年4月号特集
「井伊直虎」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_29.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎:直政20【第3話『おとわ危機一髪』】
&「臨済寺」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_31.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政21【歴史秘話ヒストリア「おんな城主
:井伊直虎」】http://53922401.at.webry.info/201701/article_32.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政22【井伊直虎って誰?&
「井伊家傳記」の信憑性諸説】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_33.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政23【井伊谷・歴史本・
小説・ゲームの中の井伊直虎】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_34.html


★明日は、小野家のことかなあ?
 ★小野政次(TVでは鶴丸)弟が箕輪城に井伊直政の家老
   として来ている。後、安中藩第二家老である。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政24『井伊直虎の家臣:井伊谷七人衆』 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる