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zoom RSS 箕輪初心:生方▲箕輪城239『長野業政・井伊直政』&3碑&世界かんがい施設遺産『長野堰』

<<   作成日時 : 2017/01/03 14:38   >>

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平成28年(2016)11月8日 長野堰が世界かんがい施設遺産に認定
された。『長野堰を語りつぐ会』会長:中嶋宏氏・副会長:西山氏・
井田氏・清塚氏など『長野堰を語りつぐ会』・『土地改良区』の皆さん
などの努力があった。
高崎市のHpには「長野堰用水の開削が始まっ
たのは約1000年前と言われています。」とあるが、完全に間違ってい
る。古墳時代から長野堰に相当する大用水があった。若狭徹博士に確
認した。長野業政は@祭戸用水、A十二堰、B早瀬川、C長野堰の大
改修工事、D本郷堰(黒沢川)+長純寺用水などの用水路を開発した。
最も有名なのが「長野堰」である。長野業政の時は楽間か沖の榛名
白川の取水口であった。戦国時代、井伊直政が長野堰のから「新井
堰」を造らせ、高崎城の内堀・遠構え(外堀)、城内の生活用水、
工業用水、農業用水として活用させた。江戸時代に高崎市榛名町本
郷で烏川の取水口となった。現在は沖町→我峰町→並榎町→住吉町
・・高崎市のほぼ中央を流れる。江木町の円筒分水で4筋の堰に分
離され、最終的には再び烏川に流れこむ。
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 (★立役者)
楽しみを生きがいに変えたレジェンド4人組は凄い。

箕輪初心:生方▲2016【高崎の用水路開発&長野堰の歴史】大修正版
http://53922401.at.webry.info/201607/article_1.html

〜〜〜高崎市の用水路シリーズ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心◆「群馬:高崎の稲作と用水路@」
http://53922401.at.webry.info/201103/article_34.html

箕輪初心◆群馬:高崎市の稲作と用水路A「長野氏の開発@」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201104/article_5.html

箕輪初心◆群馬:高崎の用水路B「長野氏の用水路編A」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_6.html

箕輪初心◆群馬:高崎の稲作と用水路C「江戸時代」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_7.html

箕輪初心★江原源左衛門&滝川用水20131010
http://53922401.at.webry.info/201310/article_11.html

箕輪初心★高崎藩8代・10代松平輝貞&「右京の泣き堀」
http://53922401.at.webry.info/201310/article_14.html

箕輪初心◆高崎の長野堰=西新波堰の歴史
http://53922401.at.webry.info/201310/article_12.html

箕輪初心●箕輪城シリーズK「長野・井伊時代の用水路開発」と現在
http://53922401.at.webry.info/201010/article_17.html

箕輪初心:生方★高崎城&長野堰【井伊直政&秋元長朝&新井喜左衛門】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_10.html
★秋元長朝はおそらく高崎城の内堀・用水路・遠構え
 建築に貢献したのだ。

箕輪初心◆長野堰B「染色のまち高崎に流れる長野堰:高崎広報」
http://53922401.at.webry.info/201410/article_13.html

箕輪初心:生方▲主に群馬・長野の【戦国〜江戸の用水新田開発】
http://53922401.at.webry.info/201605/article_34.html




・弥生時代中期
  並榎北遺跡(高崎市並榎町)・・・水田跡
 群馬県内で二番目に古い水田である。(高崎市教委調査報告書)

 ・日高遺跡(高崎市日高町:日高病院北200m線路脇)

・古墳時代 
 @萩原団地遺跡&元島名将軍塚古墳  
★元島名古墳の主が水田開発をしたのであろう。
 若狭徹氏の「濃尾平野からの移民説」
 ※高崎市立歴史民俗資料館:学芸員:大工原美智子先生、鑑定中。
 A三ツ寺遺跡&御風呂遺跡&保渡田古墳群「千枚田」がある。
 稲作の推進者は、三ツ寺の館に住む大王である。
  (高崎千年物語:若狭徹著・遺跡調査報告を参考に編集)
 B北谷(きたやつ)遺跡(群馬県高崎市旧群馬町引間)
 C倉賀野古墳群
  ・浅間山古墳 (墳丘長:171.5m国史跡)
   ・大鶴巻古墳(墳丘長122m、国史跡)
  ・小鶴巻古墳(墳丘長80m)
 D綿貫観音山古墳&不動山古墳
  井野川西岸に築造されている。
 綿貫観音山古墳(墳丘長97m)

E佐野古墳群・・・80基あまりあった漆山古墳(墳丘長70m)

古墳を造った人々(韓国系)の田畑が必要で当然、用水路が
 築かれていた。(★若狭徹博士に確認済)


・7C後半頃 漆山古墳が造られた。
 ヤマト王権の直轄地「佐野屯倉(三家)=さののみやけ」の推定地。

・平安時代初期 
  @水田をつなぐ大型の水路 矢中中学校建設の前に行われた発掘調査。
  A鋳銅製「物部私印」高さが4cm2mm
 水田で行っていた祭祀の様子や古代豪族:物部氏の勢力が分かった。

延長6年(928) 長野康業が長野堰の開発に着手した。(伝)
「長野堰の水と光」中嶋宏著
 (★出典:長野弾正・正弘氏所蔵系図)
  「長野堰改修紀功碑」(上並榎町)
  「長野堰功徳碑」(請地町)
  「長野堰疏水紀功碑」(榛名湖町)
  「長野堰改修紀功碑」(上並榎町)
などにも、明治時代、大河内松平輝耕子爵は「長野康業が
長野堰の開発」したことが記載している。
 (★長野弾正・正弘氏系図・大河内松平輝耕公認)

長野堰伝える3碑 碑文知り史実を後世へ
長野堰を語りつぐ会会長 中嶋宏 
http://www.jomo-news.co.jp/ns/series/8114222530946772/opinion_detail.html

但し、長野弾正・正弘氏所蔵系図は江戸時代に作られた系図である。
最近の歴史学者は系図を半信半疑で信憑性を疑っている。
 「長野氏」の姓は今のところ、鎌倉時代から史料に出てくる。

・延長6年(928) 長野康業が長野堰を開削した。
  
・長元4年(1031) 平忠常の乱  源頼信は平定した。
源頼信が八幡荘を切り開いた。→源頼義→源義家→源義国→新田義重
 ・・・5代目が新田義重である。
箕輪初心★久保田順一先生20141129『河内源氏&上野国:八幡荘』前編
http://53922401.at.webry.info/201412/article_11.html

・天喜2年(1054)「上野権介石上兼親」が登場する。
   (★除目大成抄)(近藤著・峰岸著)
・治暦年間(1065〜1069) 浅間山が大噴火を起こした。
  噴出物は上野の国一帯に及び、田畑が埋まってしまった。

・天仁元年(1108) 浅間山の天仁の大噴火があった。
(嬬恋村の「浅間火山博物館」・長野県御代田町「浅間縄文ミュージアム」)
長野郷は甚大な被害を受け、壊滅状態だったはずである。
長野郷を誰が復興をしたか?
推定:在庁官人・・・藤原氏・石上氏・源氏の誰かであろうか?

・建久元年(1190) 在庁官人:石上氏2名が登場する。(★榛名神社文書)

・正嘉2年(1258) 永野刑部丞跡子孫の永野次郎太郎は宗尊将軍の奉公人
   であった。(★吾妻鏡)
  と「長野氏」の記述が初めて登場する。
 ★私見「長野氏は、伊勢安濃津長野氏(三重県津市)か長野郷長野氏の
  可能性がある。」 

・南北朝時代

・室町時代

・戦国時代
天文20年(1551) 長野業政が長野堰を整備した。
  (★中嶋宏氏資料)
長野康業の子孫である4代目箕輪城主の長野業正は
長野堰を整備し、現在の長野堰の原型を作った。当時、現在の頭首工
付近で烏川と合流していた榛名白川から取水して、榛名山南麓を中心
に灌漑していた。
(★ウィキペディア)
長野康業の子孫である長野業正(長野弾正・正弘系図のみである。)
★4代目箕輪城主の長野業正と断定しているが、長野系図は19あり、
 系図をあまり信用していない歴史学者:山田邦明先生・飯森康広先生
 ・黒田基樹先生・久保田順一先生から「長野方業」が箕輪城主である
 ため、4代目と決められない。私見では箕輪城主7代目?である。
 ★系図では、長野氏は近在の土豪:倉賀野氏・和田氏に娘をくれ、
  親戚衆・・・同心になっている。1530年〜和田氏の有力同心
  :反町氏(現高崎駅東300m付近)、天田氏・島野氏などと協力
  して用水路・水田開発をした可能性がある。
  長野業正も手伝った可能性が大きい。長野堰の水を使った和田氏
  ・倉賀野氏の家臣団の環濠屋敷の遺構が長野堰近くに多く
  点在している。
  当時、榛名白川は高崎市沖町の繁華街の北:現在の取水口付近
 で烏川に合流していたため、本来の取水口は、高崎市沖町上沖の
  諏訪神社北付近だと想像できる。
  
・永禄7年 (1567) 武田信玄が馬場信房に命じて、
   和田城の大規模改修をした。当然、用水路を整備した。
既に、飯嶋一族が和田に水が必要な味噌作りに関わっていた。

・その後、後北条氏、井伊氏と変わった。
  用水路の延伸や整備が進められていった。

慶長3年(1598)井伊直政が本城を箕輪城から高崎城に移す際、
長野堰から現住吉町の新井堰の工事をし、高崎城のお堀=城の
 防御用水・防火用水・生活用水・農業用水の役割を担った。ま
た、鍛冶町に武器製造業、紺屋町(こうや町)に染め物業(工
業用水)などの工業用水に利用された。
●長野堰からの分流『新井堰』
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・新井堰の高崎城二の丸堀出口
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元武田家臣:新井喜左衛門と秋元長朝・泰朝父子(元深谷城代)
が『新井堰』や高崎城の内堀や遠構えの外堀や城下町内の用水路
を造った。
武川衆:江原源左衛門・武川衆:裄V諸左衛門・市川五郎兵衛真親、
伴野一族も手伝ったと思われる。でなければ、その後の天狗岩用水
・滝川用水・佐久五郎兵衛用水・高遠原新田用水・甲州都留の谷村大堰、
小幡雄川堰、箱根用水と結びつかない。
(旧武田家臣:大久保長安・伊奈忠次の許可・支援もあった。)

・文禄5年(1596) 井伊直政が箕輪12万石の検地を実施した。
*榛名町神戸(高浜北の新幹線出口の上)を検地した。
*4月18日井伊直政が中大類・下大類のきもいり、百姓中に命じた3ヶ状文書
 「今度のなはうち(縄打)、扶20万貫都合、あらたむべきため、うたせ
  候。・・・(後略)」
  (★天王社(進雄神社):高井家文書)

検地をしたのであるから、用水路関係から、上田・中田・下田
と区別し、新しく年貢制度を村ごとに地方三役(名主・組頭
・百姓代)に命じた。


・慶安2年(1649) 安藤対馬守重信が三ツ寺に用水路建設に協力。
 高崎藩第5代藩主・安藤重信の計らいにより、領内の農民多数
 動員し、乗附山(観音山山系)から粘土を馬で運んで堤を築き、
 唐沢川と中島川から取水して水を貯めた(伝)。
    (★三ツ寺堤由来碑より)

・宝永5年(1708) 高崎藩主:大河内輝貞は、榛名湖からスルス岩下に
 隧道(ずいどう)を掘ることで引水しようと試みたが挫折した。
 「右京の泣き堀」「右京の馬鹿堀」と呼ばれたが、老中で金かかる
 からであった。領民のため?はどうかは分からないが、領内は水論
 が堪えなかった。
箕輪初心:生方▲松平輝貞の『榛名するす岩下:右京の泣き堀』
3回目・榛名湖畔
http://53922401.at.webry.info/201604/article_25.html

箕輪初心★高崎藩8代・10代松平輝貞&「右京の泣き堀」
http://53922401.at.webry.info/201310/article_14.html


文化11年(1814) 烏川からサイホンを新設して、榛名白川を横断した。
という記録が残っており、当時から高い土木技術と知識があったことが
明らかになっています。
 (★高崎新聞)

・文政年間(1818〜)長野堰をめぐる水争い
・天保年間(1830〜)長野堰をめぐる水争い
・嘉永年間(1848)  長野堰をめぐる水争い
 
慶応2年(1868) 埋樋の工事
1月28日 藩役人:山崎只左衞門から普請のお達しがあった。
2月    888両の費用の見積もりが出された。
2月3日〜 名主達が呼ばれた。
「西新波堰埋樋御普請仕様帳」・・・
40間の埋樋のうち、30間を新規に作り直し、10間を
造り直した。・・・」
(★高崎市史:近世p238)
 ★江戸時代のいつかは分からないが、既に、榛名白川の埋樋が
あったことになる。


明治13年(1880)「西新波堰取り入れ口絵図」
取水口は群馬郡本郷村の標高120mの所にあった。
 「烏川本流に杭木を立て、それに横木を結び、蛇籠を積み上げて
  堰を作り、水を水門に向ける。・・・中略・・・・
  榛名白川と西新波村(現高崎市沖町)あたりで直交する。そのため、
榛名白川の底に埋樋を造り、流水を通過させた。埋樋は長さ40間
横幅25間、縦5尺であった。・・・・中略・・・・
我峰村で開口し、高崎藩領内を流れた。
(★高崎市史:近世p238)


・明治23年(1890) 長野堰組合が発足
 
・明治26年(1893) 上並榎に佐賀野川用水が開設。・・・水車4基。

@明治34年(1901) 「長野堰功徳碑」(請地町)が建立された。
長野堰用水を開削した先人の労をねぎらう石碑
「本堰烏川の水を引き、獲るところの稲の量は五万石に満ち、また、
 これを飲みて生ける民は高崎を始めおよそ十万人に余る」
 と刻まれている。  

A明治37年(1904) ) 長野堰疏水紀功碑」が建立された。
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 長野堰の水量を確保するために、榛名湖より天神峠
 トンネルから引水し榛名川を経由して烏川に流そ、長野堰へ補助用水
 を開設した。榛名湖から榛名山天神峠に隧道が開削された。


・大正3年(1914)  板紙製紙工場が長野堰の水を使用。
 
・大正12年(1924) 下小塙堰の完成。
 
・昭和2年(1927)  長野二段締め切り頭首口(高崎市金井淵町)
     →堰・・・烏川横断・高崎市我峰町→高崎市新井団地→
     環状線新井の信号東を横断→高崎市立北部小北面を東へ
     →真木病院西で本長野堰に合流・・・
       (後に、本長野堰+貝沢堰新築・・・・)
 
・昭和6年(1931)  長野堰の石積み工事開始。


B昭和9年(1934)「長野堰改修紀功碑」(上並榎町)が建立された。  
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・昭和28年(1953)〜昭和43年(1968)
 長野堰の三面コンクリート工事。
     染色業の染色原料の芳流が長野堰・一貫堀川増加。
 
・昭和35年(1960) 上並榎に瀧谷不動近くにポンプ堰を建設。
 
・昭和37年(1962) 円筒形分水工事。
  ★円筒分水は佐久の「五郎兵衛用水」では石を削った円筒分水
   が既に造られていた。
 
・昭和47年(1972) 高崎市旧榛名町本郷に長野堰頭首口が完成。
 
・昭和49年(1974) 〜昭和54年(1954) 水質汚濁解消工事。
 
・平成20年(2008) 長野堰の感謝祭イベント実施。 
    (★中島宏氏の本などを編集)

・平成27年(2015)4月3日〜7日まで、高崎シティギャラリー
にて高崎「長野堰展」を開催された。
箕輪初心:生方「箕輪城159&【中嶋宏氏主催の長野堰を語りつぐ会の絵図展】
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201504/article_4.html
★おめでとう、ございました。

平成28年(2015)6月24日〜28日まで高崎シティギャラリ
ーで、中嶋宏氏の主唱する【長野堰を語り継ぐ会】の長野堰
の絵図展が開催された。。★中嶋氏・西山氏・清塚氏・井田氏
らの「長野堰」研究は実に素晴らしかった。ジオラマの作成に当た
っては史料?資料を根拠に作成した。また、同級生の協力体制も
見事であった。客は2056人?。
私はガイド:西山氏のSubであったが、「真田丸」と井伊直政・箕輪城
→高崎城の関係を話をして、たくさんの拍手をいただいたので
充実はしていた5日間であった。関係の皆さんに、感謝申し
あげます。

・平成28年(2016)中嶋宏氏は裏方で「世界かんがい施設遺産」を
 群馬県に申請を依頼した。
 ★根気強い努力があった。

・平成28年(2016)11月8日 長野堰が世界かんがい施設遺産に認定
 された。
●上毛新聞 平成28年(2016)11月9日(水)
『高崎の長野堰を登録 世界かんがい施設遺産 県内2件目』
 国際かんがい排水委員会(ICID、本部インド・ニューデリー)
の日本国内委員会は8日、群馬県高崎市内を流れる長野堰せき用水
など13県の14施設が歴史的価値のある農業用水利施設を登録す
る「世界かんがい施設遺産」に選ばれたと発表した。県内では2014
年度の雄川堰(おがわぜき:甘楽町)に続いて2件目。登録を契機
に、農業や水の重要性を見直す機運が一層高まりそうだ。

◎370年の歴史 「地域の財産 次代に」
 長野堰用水は、市中心部を西から東に流れる約16kmの用水路。
370年以上前に烏川から水を引き入れる施設として造られた。長
い歴史があり、農業や市民生活の発展に欠かせなかったとして、長
野堰土地改良区が今年3月、国内委に申請し、5月に国内候補に選ば
れた。
 国内候補から、15年度に継続審査となった7施設と本年度に申請
された長野堰用水を含む7施設が審査され、8日にタイ・チェンマイ
で開かれたICIDの国際執行理事会で登録された。
 ほかに登録された国内の13施設は照井堰用水(岩手)、内川(宮城)、
安積疏水(福島)、村山六ケ村堰疏水(山梨)、滝之湯堰・大河原堰
(長野)、拾ケ堰(同)、源兵衛川(静岡)、足羽川用水(福井)、
明治用水(愛知)、南家城川口井水(三重)、常盤湖(山口)、
満濃池(香川)、幸野溝・百太郎溝水路群(熊本)。

 長野堰の申請者である同土地改良区の大山善弘理事長(78)
は「世界的にも貴重なかんがい施設として認められたことになり、
感慨深い。これからも地域の財産として守り、次世代に残していく。」
とのコメントを発表した。
 申請に協力した顕彰団体「長野堰を語りつぐ会」の中嶋宏会長
(74)は「高崎市で初めて『世界のレガシー』として名前を残すこと
になり、誠に喜ばしい。用水開削の先人の墓前に登録を早速報告した
い。」と語った。

 【世界かんがい施設遺産】 農業の発展に貢献し、技術的に優れた
水路や堰、ため池などを保存するためにICIDが2014年度に創設
した制度。建設から100年以上が経過した施設が対象で、登録施設
を核とした地域づくりも期待されている。14、15の両年度で日本の
13施設を含め5ヶ国25施設が登録されている。関東では雄川堰だけ
が登録されていた。
★参考文献
 ・「長野堰の水と光」中嶋宏著)
・高崎市史近世編p238~243

●高崎市のHp『長野堰用水とは?』
長野堰用水は、古くは室町時代より農業や市民生活に利用され、
高崎市の発展の礎として大きく貢献している施設です。高崎の街や
水田地帯は2つの自然河川に挟まれていながら、その台地状の地形
から水の恩恵を受けにくい地域でした。水利に乏しいこの地域を潤
すために長野堰用水の開削が始まったのは、約1000年前と言われ
ています。1814年にはサイホンを新設して、榛名白川を横断した
という記録が残っており、当時から高い土木技術と知識があったこ
とが明らかになっています。
また、1901年に建てられた、長野堰用水を開削した先人の労をねぎ
らう石碑には「本堰烏川の水を引き、獲るところの稲の量は五万石
に満ち、また、これを飲みて生ける民は高崎を始めおよそ十万人に
余る」と刻まれています。このことからも、古くから農業の発展の
みならず、市民の生活を大きく支えてきた施設であることがわかり
ます。
現在では一級河川烏川から最大6.8t/秒を取水し、幹線水路は15
箇所の水門で分水しながら、8.6km下流の円筒分水堰でさらに4支
線に分岐しています。この分岐した4支線の延長は17.1kmで、現
在も430haの水田を潤しています。
(★『高崎市Hp』)

●▲■井伊直政シリーズのブログ一覧

●井伊直政シリーズ平成21年〜***************

◆◆ 箕輪初心●箕輪城「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201010/article_40.html
http://53922401.at.webry.info/201011/article_25.html

◆◆ 箕輪初心●井の国千年物語前編 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_3.html

◆◆ 箕輪初心●井の国後編:「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_4.html

◆◆ 箕輪初心●井伊直政の箕輪城時代の家臣団 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_15.html

◆◆ 箕輪初心●静岡:井伊直政の井伊谷城 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_5.html

◆◆ 箕輪初心●井伊直政の造った町:高崎&彦根 ◆◆
高崎高校 VS 近江高校
http://53922401.at.webry.info/201203/article_28.html

◆◆ 箕輪初心●中村達夫氏の「井伊軍志」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_14.html

◆◆ 箕輪初心●小和田哲夫氏の「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_13.html

箕輪初心●群馬の城「和田城→高崎城」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201012/article_16.html
  (★高崎城の畝堀:発掘調査)

箕輪初心★箕輪城140【秋本太郎先生の箕輪城→高崎城+城下町】
http://53922401.at.webry.info/201410/article_9.html

箕輪初心▲箕輪城153【長野氏の箕輪の寺社→井伊直政の
高崎移転の寺社】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_15.html

箕輪初心★箕輪城103川野辺寛「高崎誌」&井伊直政
http://53922401.at.webry.info/201310/article_8.html

箕輪初心★西田美英【高崎素奈子】&川野辺寛【高崎志】
http://53922401.at.webry.info/201410/article_14.html

箕輪初心:生方▲【長野堰を語り継ぐ会の絵図展】&
【高崎城の桜】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_5.html

箕輪初心:生方★高崎城【井伊直政&高崎城&彦根城の縄張り
担当:早川幸豊】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_9.html

箕輪初心:生方▲箕輪城165箕郷龍門寺→高崎竜広寺
【井伊直政供養塔&井伊直弼娘:ワカの墓】
http://53922401.at.webry.info/201507/article_28.html

箕輪初心:生方▲箕輪城174・井伊直政18『箕輪城→高崎城」復刻版
http://53922401.at.webry.info/201510/article_9.html

箕輪初心▲東京【豪徳寺】&「吉良家→井伊家15代」
http://53922401.at.webry.info/201411/article_6.html

箕輪初心●滋賀の城「箕輪城&彦根城の類似性」
http://53922401.at.webry.info/201101/article_10.html

箕輪初心●滋賀bS−1「彦根城2回目」
http://53922401.at.webry.info/201012/article_37.html

箕輪初心:生方▲箕輪城202【真田丸に登場しない井伊直政」
&郭馬出出撃門
http://53922401.at.webry.info/201608/article_25.html

箕輪初心:生方▲2016【高崎の用水路開発&長野堰の歴史】大修正版
http://53922401.at.webry.info/201607/article_1.html

箕輪初心:生方▲201610624~0628世界かんがい遺産候補:長野堰展準備完了
http://53922401.at.webry.info/201606/article_27.html

箕輪初心:生方▲世界灌漑遺産候補【長野堰展2016】6月24日〜28日
at高崎シティギャラリー
http://53922401.at.webry.info/201606/article_25.html

箕輪初心:生方「箕輪城159&【中嶋宏氏主催の長野堰を語りつぐ会
の絵図展】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_4.html

箕輪初心:生方▲【長野堰を語り継ぐ会の絵図展】&【高崎城の桜】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_5.html

●高崎市の用水路シリーズ:井伊直政関連〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心◆「群馬:高崎の稲作と用水路@」
http://53922401.at.webry.info/201103/article_34.html

箕輪初心◆群馬:高崎市の稲作と用水路A「長野氏の開発@」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201104/article_5.html

箕輪初心◆群馬:高崎の用水路B「長野氏の用水路編A」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_6.html

箕輪初心◆群馬:高崎の稲作と用水路C「江戸時代」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_7.html

箕輪初心★江原源左衛門&滝川用水20131010
http://53922401.at.webry.info/201310/article_11.html

箕輪初心◆高崎の長野堰=西新波堰の歴史
http://53922401.at.webry.info/201310/article_12.html

箕輪初心●箕輪城シリーズK「長野・井伊時代の用水路開発」と現在
http://53922401.at.webry.info/201010/article_17.html

箕輪初心:生方★高崎城&長野堰【井伊直政&秋元長朝&新井喜左衛門】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_10.html
★秋元長朝はおそらく高崎城の内堀・用水路・遠構え
 建築に貢献したのだ。

箕輪初心◆長野堰B「染色のまち高崎に流れる長野堰:高崎広報」
http://53922401.at.webry.info/201410/article_13.html

箕輪初心:生方▲主に群馬・長野の【戦国〜江戸の用水新田開発】
http://53922401.at.webry.info/201605/article_34.html


●井伊直虎・直政シリーズ平成29年(2017)〜*************
箕輪初心・生方▲2016井伊直虎・井伊直政bP
『高崎学ソシアス講演会原稿』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_1.html

箕輪初心:生方▲箕輪城238『長純寺・石上寺・東向八幡・字輪寺
&信玄家臣:塚越伴七調査』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_2.html

箕輪初心:生方▲箕輪城239『長野業政・井伊直政』&3碑&
世界かんがい施設遺産『長野堰』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_3.html

★明日は井伊直政関係か?

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