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zoom RSS 箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政15【井伊直親の逃走〜2人の子ども〜井伊谷帰国】資料編

<<   作成日時 : 2017/01/20 09:06   >>

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天文13年(1544) 12月23日 井伊直平の子:井伊直宗の弟
の井伊直満(井伊直政祖父)・井伊直義直が小野和泉守の讒言によ
り、今川義元に殺害された。亀之丞(井伊直親:井伊直政父)にも
追ってがかかり、井伊直満の家老:今村藤七郎正実は渋川郷の
東光院に逃れた。<
span style=color:#090>天文14年(1545)1月3日 亀之丞は東光院住
持:能仲の案内で信濃伊那郡市田村(現高森町)の松源寺へ逃れ
た。信濃伊那の松源寺は井伊直親の叔父:南渓禅師の師:文叔禅師
の開山した寺であった。文叔禅師は前の松岡城主:松岡貞正の弟で
あった。文叔禅師の弟:正英和尚が学問を教え、文叔禅師の甥:
松岡城主:松岡貞利が庇護した。今村藤七郎が養育した。亀之丞
(井伊直親)は10年1ヶ月井伊谷を離れて育った。その間、亀之丞
は島田村の代官:塩沢氏の女との間に一男一女?を授かった。
弘治元年(1555) 2月井伊谷に戻り、23代井伊直盛の養子と
なり、井伊直親と名乗った。井伊直虎の許嫁:井伊直親は次郎
法師の養子となった。やがて、次郎法師は「井伊直虎」と名乗った。
主に、「井伊直虎」小和田哲男著・「松岡氏と松岡城」をベースに
まとめた。
画像



箕輪初心:生方▲『松岡城&松源寺』松岡貞利・井伊直親
・井伊直虎・井伊直政
http://53922401.at.webry.info/201606/article_15.html


*****************************


●『井伊氏系図』・『寛永諸家系図伝:井伊氏』
初代共保、2代共家、3代共直、4代惟直、5代盛直、6代良直、
7代弥直、8代泰直、9代行直、10代景直、11代忠直、12代氏直、
13代直平、14代直宗、15代直盛、16代直親、17直政。
(★『井伊氏系図』・『寛永諸家系図伝』)

●『彦根藩による井伊家系譜の編纂』野田浩子編纂
@共保(ともやす)→A共家(ともいえ)→B共直(ともなお)→
C惟直(これなお)→C道直(みちなお)→E盛直(もりなお)→
F良直(よしなお)→G彌直(みつなお)→H泰直(やすなお)→
I行直(ゆきなお)→J景直(かげなお)→K道政(みちまさ)→
L高顕(たかあき)→M時直(ときなお)→N顕直(あきなお)→
O諄直(あつなお)→P成直(なりなお)→Q忠直(ただなお)→
R直氏(なおうじ)→S直平(なおひら)→21直宗(なおむね)→
22直盛(なおもり)→23直親(なおちか)→直虎(なおとら)→
24直政(なおまさ)→25直孝(なおたか)→26直澄(なおずみ)→
27直興(なおおき)→28直道(なおみち)→29直恒(なおつね)→
30直惟(なおのぶ)→31直定(なおさだ)→32直=iなおよし)→
33直幸(なおひで)→34直中(なおなか)→35直亮(なおあき)→
36直弼(なおすけ)→37直憲(なおのり)→38直忠(なおただ)→
39直愛(なおよし)→40直豪(なおひで)→41直岳(なおたけ)
(★「彦根藩による井伊家系譜の編纂」野田浩子編纂)
●文叔瑞郁(ぶんしゅくずいいく)・・・
・応仁元年(1467) 文叔が生まれた。
     岐阜金宝山瑞龍寺で修行→
・延徳年中(1491 ~) 19代井伊直氏が文叔瑞郁を自浄院
  に招いた。
松尾城主は菩提寺竜門寺を開山した。

・永正10年(1512) 松岡頼貞?(明甫正哲)が松源寺を開基した。
 松岡頼貞弟:文叔が井伊谷の自浄院(龍潭寺)住職から、
 市田郷に戻り、松源寺を開山した。

・永正12年(1515) 妙心寺24世→
  20代:井伊直平が文叔禅師を自浄院に迎えた。

・天文元年(1532)松源寺の弟子:黙宗瑞淵禅師が龍泰寺を
  建立した。(龍泰寺→龍潭寺)

・天文4年(1535)12月2日 文叔が死去。享年69。
  弟:正英も和尚をなった。
 (★今の場所ではない。当時は松源寺は市田の小字「寺」
    にあったそうである。:現住職の奥様の話)
 
 松岡一族の牛牧の田中光長の子が養子となり、松岡貞長と
 なった。松岡貞長の子が松岡貞利である。

**************************

・天文4年(1535) 井伊直親(井伊直政の父)が生まれた。
・天文5年(1536) 井伊直虎(井伊直政の養母)が生まれた。
 (★小和田哲男説では2人とも、天文5年(1536)頃説)
母:新野親矩の妹
井伊宗家21代井伊直平→22代井伊直宗→23代井伊直盛→
姫が生まれた。
姫の許嫁は姫の父:井伊直盛の従兄弟:井伊直親と決まった。
・天文5年(1536) 今川義元が家督を継いだ。
井伊氏と今川氏で和議が結ばれた。
今川義元の西進が始まった。

・天文11年(1542)▲三河田原城攻撃 姫の祖父:井伊直平の子:
  14代(19代)井伊直宗が野伏により討死した。

・天正11年(1583) 松岡貞利は80騎の武将であった。
 約500人の家臣がいた。
(★『長野県高森町史』)


・天文13年(1544)
12月14日 連歌師:宗牧が井伊谷の小野和泉守政直宅に
 訪れた。井伊次郎宅ではない。
 「姪直盛いまだに年若しと雖、末々子なきにをいては、直満
 が男直親を嗣とせむことを契約せしところ、直盛が家臣小野
 和泉某もとより直満と不和なりしかば、これをきらひて今川
 義元に讒し、直満・直義兄弟逆意ありと訴ふ。義元これを信じ
 天文十三年十二月、兄弟を駿府にめして、糾問す。直満申解
 と雖も、和泉様々に讒言をかまへ、二十三日つゐに冊第せらる。」
(★『東国日記』連歌師:宗牧著)

12月23日
「天文十三年十二月二十三日 (井伊直宗の子)井伊彦二郎直満・
 同平次郎直義が小野和泉守の讒言により、今川義元のため生害
 (自害)された。」
 (★『井伊家伝記』)
理由は 1)「養子之儀二付遺恨」
   2)「両人私之軍謀相企」
  @井伊家・・・武田信玄の家臣によって井伊領が横領されるのを
防ぐため。『井伊家伝記』には無理がある。
説@通説・・・小野家は形式上では井伊家筆頭家老であった。
  小和田説では、小野和泉守政直は仕切っていて、ほかの家老
  親戚衆・引き付け衆を仕切っていた説であるが、・・・
井伊家乗っ取りを企んだ。
 (TVも2回目でそうに解説している。)
新野左馬助の目付と別に、今川からの第2の目付的な要素があった。
説A・・・井伊氏が鈴木重時と結ぼうとしていた説
説B・・・北条氏綱が奥平貞昌に井伊を取ったら500貫あげるね説。
裏で井伊直満が動いていた。
説C・・・井伊直満が井伊直盛にかわって井伊家の主導権を握ろう
  とした説である。北条ろ小野和泉守は井伊直満の謀反を防ぐために
  今川家に訴えたとことになる。
  TVでも、「井伊直盛がそれらしいことを言って、井伊直平の小野の
   手打ちを止めさせている。・・何の証拠もありません。
何れにしても
「井伊直満を死に追いやったと思われているにも関わらず井伊家が
 処分しないのはおかしいが、今川からの回し者要素があるので、
 今川を無視して勝手に井伊家が家老の小野和泉守を裁くことが
 できなかったのあろう。」


●『井伊家伝記』「亀之丞信州落ちの件并今村籐七郎に忠節の事」
(井伊直平の子:直満(井伊直政祖父)・直義が今川氏に殺害された。
井伊直宗の弟直満・直義が殺された後、小野和泉守が駿河より
 帰国した。「直満の実子亀之丞を殺すように」との今川義元の
 命令を伝えてきたので、
 亀之丞(井伊直親:井伊直政父)にも追ってがかかり、井伊直満の
 家老:今村藤七郎正実は亀之丞を叺(かます)に隠した。
 それを背負って黒田に逃れた。小野和泉守が探索したので、近所に
 隠すことは困難と判断し、龍潭寺の南渓和尚と相談し、信濃の伊那郡
 市田郷の松源寺に隠すことにした。松源寺は南渓和尚の師だった
 黙宗和尚ゆかりの寺だったからである。南渓和尚から手紙が行き、
 亀之丞は松源寺で生活することになった。

●『井伊家遠州渋川村古跡事』
・天文13年(1544) 12月29日 黒田から渋川郷の東光院に逃れた。
・天文14年(1545) 1月3日夜、亀之丞は東光院住持能仲の案内
  で信濃にむかった。

★伊那郡市田村(現高森町)の松源寺へ逃れた。
 信濃伊那の松源寺は井伊直親の叔父:南渓禅師の師:文叔禅師のいた
 寺であった。

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●井伊直親の伊那での息子
@『亀之丞と飯田井伊氏』→「井伊直虎」小和田哲男著で引用
 「亀之丞は島田村の代官:塩沢氏の女との間に一子:吉直を設け、
 帰国の際、一振りの短刀を託した。吉直はこの地に留まって、
 塩沢家で養育されたが、・・・数代後、飯田城下に出て、麹屋を
 創業した。旧井伊氏を名乗り、吉右衛門を世襲し、島田屋を屋号と
した。家紋が「丸○に橘」である。」
(『亀之丞と飯田井伊氏』:木村昌之著)
A「剣と紅」戦国の女領主・井伊直虎〜高殿円著 文春文庫
直親が信濃に逃げていた時にに、出会ったきぬも魅力的に表現され
ている。直親ときぬの間に息子ができた。

B「井伊直虎〜その謎と魅力」石田雅彦著
井伊直親の失踪
井伊直満の一子、直親は龍潭寺開山以来縁を結ぶ松岡家の庇護を受
け、長野県下伊那郡高森町の松源寺での10年にも及ぶ隠棲を余儀
無くされ、隠棲先の島田村の代官塩沢氏の娘との間に井伊直政の兄
や姉に当たる一男一女を儲けている。
ちなみに、井伊直政の姉:高瀬姫(春光院)は、武節貫治こと川手
主水の正室であった。川出良則は山県昌景の家臣であったが、天正
10年(1582) 9月〜10月 井伊直政の家臣となった。
関ヶ原の戦いでは、家老:川出良則は井伊直政の居城高崎城
留守居役であった。川手主水は彦根藩でも家老である。
 (★後日、井伊直政の箕輪城・高崎城で紹介したい。)

井伊直親の結婚は、井伊直親の失踪を悲しんだ許嫁:井伊直虎が出
家をしたと言う知らせを聞いたからということのようであるが、史料
は違うようである。

******************************

●『寛政重修諸家譜』
「女子 直親が婚を約すと雖も、直満害せられ、直親信濃国の走り
 数年にしてかへらざれば、尼になり、次郎法師と号す。」
●『井伊家伝記』「次郎法師と申名の事」
「直盛には娘が1人あった。両親の考えでは、ゆくゆくは亀之丞を
 養子に迎え、夫婦にする約束でいた。ところが、信濃に落ちてい
 ってしまったため、彼女は菩提の心深く、南渓和尚の弟子になっ
 て、剃髪し、出家してしまった両親は嘆き、『一度は亀之丞を夫婦
 と思っていたのに、このようになってしまって』。と、尼の名はつ
 けさせたくない』と南渓に申し出た。一方、彼女の方は。『出家し
 たのだから、是非、尼の名前をつけて欲しい』ろ、親子で意見が
分かれてしまった。そこで、南渓和尚が考えたのは次郎法師という
 名前であった。」
・?年 姫は許嫁:井伊直親が殺害されたと思っていた。
 姫は祖父の弟:南渓禅師から「次郎(井伊家跡継ぎ長男名)法師」を名乗
 ることが許された。井伊直政が幼年であったため、井伊家家督となり、
 地頭職を嗣いだ。」  
 (★享保15年(1730)『井伊家伝記』龍潭寺所蔵:2次史料)

●『井伊家伝記の史料的性格』野田浩子著
「私的感情では主家は認められない。・・婿が出家したので、出家し
た。」と考えるのが妥当である。


・天文年間 井伊直盛が二宮神社を再建した。
 
◆天文23年(1554)小野和泉守が没した。
   龍泰寺(現龍潭寺)に埋葬した。
龍谷山正泉寺が開創された。開山は慧湛和尚である。

******************************
◆天文23年(1554)武田晴信の伊那に侵攻した。

7月 武田信玄が伊那に侵攻した際、小笠原氏とともに抵抗した。
 
武田信玄が南伊那に侵攻し、軍門に降りた。
大田切城→赤穂城→飯島城→赤須城→大草城→船山城
 →上穂城→大島城・・・・・
武田信玄の伊那進攻で片切諸氏と飯島氏が武田氏に起請文を
 差入れ武田方に降りた。
片桐氏・赤須氏・飯島氏・大島氏・上穂氏は降伏した。
 5氏は武田晴信に臣従し五十騎の兵役を担った。
飯島氏は十騎であった。

 →山吹城→松岡城→座光寺城・・・
 松岡城(高森町)の松岡氏は抵抗することなく武田の軍門に
 降った。松岡氏は自身の所領を維持することができた。
松岡貞利は武田晴信の軍門に降った。
  松岡貞利は山県昌景の配下で50騎の軍役を課されていた。
  (★『甲陽軍鑑』)
 武田氏の配下で松岡氏は50騎(200人)ほどの軍役を
 課されていた。


8月  武田晴信は小笠原の制圧にかかった。
鈴岡城主:小笠原信定は林城→平瀬城→中塔城と武田晴信
に追われた兄:府中小笠原長時と武田晴信に抵抗した。
鈴岡城・松尾城は攻撃された。

武田晴信の信濃先方衆の松尾小笠原信貴・小笠原信嶺父子は
 松尾城の攻撃に参加した。
松尾小笠原信貴(信貞)・小笠原信嶺父子は松尾城を回復した。
鈴岡城は松尾城の支配下に置かれることになった。


 下条氏の飯田黒姫城→知久氏の神之峰城を陥落させた。

 武田晴信は南信濃と美濃の国境である伊那郡を制圧した。

 ★高遠城・春日城・殿島城・飯島城などが改修されたので
 あろう。

 武田晴信(信玄)は秋山信友を飯田城におき伊那谷を統治した。

・弘治〜永禄初年頃
 年未詳8月18日付 武田晴信書状 
「秋山善右衛門尉」と室住虎光の大島城在城が確認される
  秋山善右衛門尉は秋山虎繁(信友)と推定されている。
  秋山虎繁は大島城を拠点に郡代(郡司)として伊那郡の
支配下にした。

*******************************
・弘治元年(1555) 亀之丞は松源寺を離れ、井伊谷に戻り、
  15代(23代)井伊直盛の養子となり、井伊直親と名乗った。
  次郎法師の養子となった。「井伊直親」と名乗った。

●『井伊家遠州渋川村古跡事』 
「・天文二十三年((1554)寅年、小野和泉守病死。これにより
 直盛から信濃に使いをやろ、亀之丞は今村藤七郎同伴で、弘治
 元年二月に帰国することができた。その時、当寺(東光院)に
 滞在し、三月三日に寺を出て、井伊谷に到着した。しぐに、直盛
 の養子になることが決まり、井伊肥後守直親を名乗り、奥山因幡
 守朝利の娘(★本当は妹)と縁組みし、祝田(ほうだ)村に居住
 することになった。
★これだけを信じるわけにはいかない。
 武田晴信の伊那侵攻との関わりを考えるべきだと思っている。

●結論・・・
・『井伊家遠州渋川村古跡事』の天文14年(1545) 1月4日〜
 弘治元年(1555)2月に帰国することができた。
 前松岡城主:松岡貞正の実弟:文叔と松岡城主:松岡貞利が亀之丞
 (井伊直親)を12年間、庇護した。
(★『井伊家伝記』)
 と思っていたが、10年と1ヶ月のようでである。
@文叔の弟:正英和尚が松岡城主:松岡貞利が庇護した。
A今村藤七郎が10年間、養育した。
 
 
井伊直盛は小野政直の死によって信濃国に逃れていた
亀之丞(直親)を呼び戻すこととした。

・弘治元年(1555) 今川義元の許しを得て井伊直親を改めて嗣子
 として迎え入れた。

●井伊直親は家臣:奥山親朝の娘と結婚した。
(『寛政重修諸家譜』)
★『寛政重修諸家譜』は間違いで、奥山親朝の子:朝利の娘である・
 新野左馬助親矩の妹が井伊直盛の妻で、次郎法師の母である。

◆井伊直親と奥山朝利の娘の結婚理由
次郎法師が還俗し、井伊直親と結婚する方法もあったが、採れなかったのが
現状であった。今川氏の侵攻のほかに、武田氏の侵攻も視野に入れる必要が
あった。奥山一族は鎌倉時代の赤佐井伊氏の末裔であった。井伊家で一番の
力を持っていたので、井伊家主家筋のバックとして味方に引き入れようとし
た。
その後、井伊直親は今川義元に復帰した。復帰せざるをえなかったのであろう。








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●井伊直政シリーズ平成21年〜***************

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◆◆ 箕輪初心●静岡:井伊直政の井伊谷城 ◆◆
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箕輪初心■静岡【龍潭寺】=井伊家の菩提寺
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高崎高校 VS 近江高校
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箕輪初心●群馬の城「和田城→高崎城」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201012/article_16.html
  (★高崎城の畝堀:発掘調査)

箕輪初心★箕輪城140【秋本太郎先生の箕輪城→高崎城+城下町】
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箕輪初心▲箕輪城153【長野氏の箕輪の寺社→井伊直政の
高崎移転の寺社】
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箕輪初心★箕輪城103川野辺寛「高崎誌」&井伊直政
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箕輪初心★西田美英【高崎素奈子】&川野辺寛【高崎志】
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箕輪初心:生方▲【長野堰を語り継ぐ会の絵図展】&
【高崎城の桜】
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箕輪初心:生方★高崎城【井伊直政&高崎城&彦根城の縄張り
担当:早川幸豊】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_9.html

箕輪初心:生方▲箕輪城165箕郷龍門寺→高崎竜広寺
【井伊直政供養塔&井伊直弼娘:ワカの墓】
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箕輪初心:生方▲箕輪城174・井伊直政18『箕輪城→高崎城」復刻版
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箕輪初心▲東京【豪徳寺】&「吉良家→井伊家15代」
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箕輪初心●滋賀の城「箕輪城&彦根城の類似性」
http://53922401.at.webry.info/201101/article_10.html

箕輪初心●滋賀bS−1「彦根城2回目」
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箕輪初心:生方▲箕輪城202【真田丸に登場しない井伊直政」
&郭馬出出撃門
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箕輪初心:生方▲2016【高崎の用水路開発&長野堰の歴史】大修正版
http://53922401.at.webry.info/201607/article_1.html

箕輪初心:生方▲201610624~0628世界かんがい遺産候補:長野堰展準備完了
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箕輪初心:生方▲世界灌漑遺産候補【長野堰展2016】6月24日〜28日
at高崎シティギャラリー
http://53922401.at.webry.info/201606/article_25.html

箕輪初心:生方「箕輪城159&【中嶋宏氏主催の長野堰を語りつぐ会
の絵図展】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_4.html

箕輪初心:生方▲【長野堰を語り継ぐ会の絵図展】&【高崎城の桜】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_5.html

●高崎市の用水路シリーズ:井伊直政関連〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心◆「群馬:高崎の稲作と用水路@」
http://53922401.at.webry.info/201103/article_34.html

箕輪初心◆群馬:高崎市の稲作と用水路A「長野氏の開発@」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201104/article_5.html

箕輪初心◆群馬:高崎の用水路B「長野氏の用水路編A」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_6.html

箕輪初心◆群馬:高崎の稲作と用水路C「江戸時代」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_7.html

箕輪初心★江原源左衛門&滝川用水20131010
http://53922401.at.webry.info/201310/article_11.html

箕輪初心◆高崎の長野堰=西新波堰の歴史
http://53922401.at.webry.info/201310/article_12.html

箕輪初心●箕輪城シリーズK「長野・井伊時代の用水路開発」と現在
http://53922401.at.webry.info/201010/article_17.html

箕輪初心:生方★高崎城&長野堰【井伊直政&秋元長朝&新井喜左衛門】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_10.html
★秋元長朝はおそらく高崎城の内堀・用水路・遠構え
 建築に貢献したのだ。

箕輪初心◆長野堰B「染色のまち高崎に流れる長野堰:高崎広報」
http://53922401.at.webry.info/201410/article_13.html

箕輪初心:生方▲主に群馬・長野の【戦国〜江戸の用水新田開発】
http://53922401.at.webry.info/201605/article_34.html


●井伊直虎・直政シリーズ平成29年(2017)〜*************
箕輪初心・生方▲2016井伊直虎・井伊直政bP
『高崎学ソシアス講演会原稿』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_1.html

箕輪初心:生方▲箕輪城238『長純寺・石上寺・東向八幡・字輪寺
&信玄家臣:塚越伴七調査』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_2.html

箕輪初心:生方▲箕輪城239『長野業政・井伊直政』&長野堰3碑&
世界かんがい施設遺産『長野堰』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_3.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bR【井伊家初代:井伊共保】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_9.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bS【井伊氏系図8】&
『鎌倉時代の井伊氏 』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_10.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bT【南北朝時代の井伊氏と宗長親王】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_11.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bU『戦国時代の井伊氏』修正版
http://53922401.at.webry.info/201701/article_12.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bV【第1話『井伊谷の少女』
&「井伊谷・彦根城」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_13.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bW【井伊谷の散策2回】と
『NHKのTV「井伊谷」』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_14.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bX【井伊谷城2回目】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_15.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政10【井伊氏館跡・井伊直満の墓】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_16.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政11【龍潭寺の『直虎の墓・
直政公の墓・位牌』】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_17.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政12【浜松の宿下吉庵で「梅酒:直虎」を飲んだ】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_18.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政13【許嫁:井伊直親&松源寺:文叔&松岡城:松岡貞利】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_19.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政14【第2話:崖っぷちの姫】
&「井殿の塚」
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