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zoom RSS 箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bU『戦国時代の井伊氏』修正版

<<   作成日時 : 2017/01/08 08:24   >>

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南北朝時代、井伊谷にいた宗良親王は信濃に逃亡した。井伊谷は今川
了俊の支配下になった。以後、敵対していた今川氏支配下に置かれ、
井伊氏は受難の時代が続く。

画像





●『井伊氏系図』・『寛永諸家系図伝:井伊氏』
初代共保、2代共家、3代共直、4代惟直、5代盛直、6代良直、
7代弥直、8代泰直、9代行直、10代景直、11代忠直、12代氏直、
13代直平、14代直宗、15代直盛、16代直親、17直政。
(★『井伊氏系図』・『寛永諸家系図伝』)

●『彦根藩による井伊家系譜の編纂』野田浩子編纂
@共保(ともやす)→A共家(ともいえ)→B共直(ともなお)→
C惟直(これなお)→C道直(みちなお)→E盛直(もりなお)→
F良直(よしなお)→G彌直(みつなお)→H泰直(やすなお)→
I行直(ゆきなお)→J景直(かげなお)→K道政(みちまさ)→
L高顕(たかあき)→M時直(ときなお)→N顕直(あきなお)→
O諄直(あつなお)→P成直(なりなお)→Q忠直(ただなお)→
R直氏(なおうじ)→S直平(なおひら)→21直宗(なおむね)→
22直盛(なおもり)→23直親(なおちか)→直虎(なおとら)→
24直政(なおまさ)→25直孝(なおたか)→26直澄(なおずみ)→
27直興(なおおき)→28直道(なおみち)→29直恒(なおつね)→
30直惟(なおのぶ)→31直定(なおさだ)→32直=iなおよし)→
33直幸(なおひで)→34直中(なおなか)→35直亮(なおあき)→
36直弼(なおすけ)→37直憲(なおのり)→38直忠(なおただ)→
39直愛(なおよし)→40直豪(なおひで)→41直岳(なおたけ)
(★「彦根藩による井伊家系譜の編纂」野田浩子編纂)



・応仁元年(1467) 応仁の乱が起こった。

・文明17年(1485) 11代(18代)井伊忠直没する。

・明応3年(1494) 駿河守護今川氏親・北条早雲が遠州侵攻を開始した。
  井伊氏は元遠江守護:斯波義達、引間の大河内貞綱と連合して
  戦った。

・明応8年(1498) 東海大地震
  遠江国新井崎が壊れ、浜名湖と外洋が通じた。
  本坂道が重要な交通路になった。
  ( ★引佐町歴史と文化を守る会井伊谷支部:歴史年表)

・永正元年(1504) 今川勢の三岳城夜襲
  不意打ちで、三岳集落の下手から火が放たれ、家屋が全滅した。

・永正4年(1507)  井伊直平は黙宗瑞淵を招き、自浄院を禅宗に
改め龍泰寺(現龍潭寺)と改称し、井領田3反を寄進した。
 
・永正5年(1508) 三岳に慶蔵院が建立された。 
  12代(19代)井伊直氏没する。
  ( ★引佐町歴史と文化を守る会井伊谷支部:歴史年表)

・永正7年(1510) 元遠江守護の斯波義達は5000騎で井伊谷
西牧の宝光庵に陣を敷く。
井伊直平は三岳城にたてこもる。
今川氏親は伊達蔵人忠宗を刑部城・堀川城に入れて、忍びの放火
により斯波・井伊を攻めた。宝光庵が火災となった。
  ( ★引佐町歴史と文化を守る会井伊谷支部:歴史年表)

・永正8年(1511) 三岳の井伊直平の陣所・番所に忍びの放火があった。
( ★引佐町歴史と文化を守る会井伊谷支部:歴史年表)

・永正10年(1513)  今川勢の朝比奈十郎泰以が甥:朝比奈泰能
 の名代として朝比奈軍を率いて参戦した。
  斯波軍:井伊谷城主:井伊直平や曳馬城主:大河内貞綱らと
  戦った。井伊直平・大河内貞綱は敗れた。

※三岳城落城3説
@永正10年(1513) 今川勢:朝比奈十郎泰以が三岳城を攻略した。
  三岳城には今川配下:奥平貞昌が城番となった。
 20代:井伊直平(井伊直政曾祖父)は20余年、井伊領北部の
  伊平で過ごした。
  (★『遠江井伊氏物語』武藤全裕著)

A永正11年(1514) 今川氏親の遠州曳馬城攻めに呼応し、今川配下
 :奥平貞昌が井伊谷の三岳城を攻め落とした。三岳城の城番となった。
 今川傘下:奥平氏は戸田氏は松平氏や牧野氏と争っていた。
  (★ウィキペディア)
 奥平貞昌は現岡崎市の久保城・日近城(ひぢかじょう)主であった。
 ★奥平家は鎌倉時代〜戦国時代初期まで現群馬県高崎市吉井町奥平
  に住んでいた。奥平城・馬場城が残っている。
  ・・やがて、徳川家臣として長篠城主へ・・・

A永正11年(1514) 今川勢の朝比奈十郎泰以が三岳城を攻略した。
井伊直平は再び今川氏の騎下になった。
井伊次郎は遠江守護の命を受け三岳に番所に就いた。
 三岳に寶泉庵が建立され蔵王権現を祀った。
 水の弁財天琴神堂も建立された。
( ★引佐町歴史と文化を守る会井伊谷支部:歴史年表)

・永正12年(1515)  三岳集落戸数は8軒であった。
( ★引佐町歴史と文化を守る会井伊谷支部:歴史年表)

・大永〜享禄年間(1521〜31) 坂田に坂田平三入道がおり、子孫は
代々坂田を名乗って坂田郷を支配した。
(★龍潭寺の黙然和尚や南渓和尚筆の過去帳)

・享禄4年(1531) 井伊直平は龍泰寺造営のため井伊八幡
(渭伊神社)を現在地に遷座し、殿村を神宮寺村と改めた。
  ( ★引佐町歴史と文化を守る会井伊谷支部:歴史年表)

・天文元年(1532) 井伊直平は黙宗瑞淵和尚を開山として請侍して
  龍泰寺を造営した。師:文叔瑞郁(★初代龍潭寺和尚→信濃松
  源寺)を勧請開山の第一座とした。
後に龍泰寺を龍潭寺に改めた。

・天文4年(1535) 井伊直親(井伊直政の父)が生まれた。
・天文5年(1536) 井伊直虎(井伊直政の養母)が生まれた。
母:新野親矩の妹
井伊宗家21代井伊直平→22代井伊直宗→23代井伊直盛→
姫が生まれた。
姫の許嫁は姫の父:井伊直盛の従兄弟:井伊直親と決まった。
・天文5年(1536) 今川義元が家督を継いだ。
井伊氏と今川氏で和議が結ばれた。
今川義元の西進が始まった。

・天文11年(1542)▲三河田原城攻撃 姫の祖父:井伊直平の子:
  14代(19代)井伊直宗が野伏により討死した。

・天正11年(1583) 松岡貞利は80騎の武将であった。
(★『長野県高森町史』)


・天文13年(1544) 12月 井伊直宗の弟直満・直義が小野和泉守
 の讒言により、今川義元のため生害(自害)された。
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 (★井伊直満・井伊直義の墓)
井伊直平の子:直満(井伊直政祖父)・直義が今川氏に殺害された。


 亀之丞(井伊直親:井伊直政父)にも追ってがかかり、井伊直満の
 家老:今村藤七郎正実は亀之丞を叺(かます)に隠した。
 追っての逃れ、渋川の東光院に逃れた。
・天文14年(1545) 亀之丞は東光院住持能仲の案内で信濃伊那郡
  市田村(現高森町)の松源寺へ逃れた。
 信濃伊那の松源寺は井伊直親の叔父:南渓禅師の師:文叔禅師のいる寺
 であった。
今村藤七郎が10年間、養育した。
 松岡城主:松岡貞利が亀之丞(井伊直親)を12年間、庇護した
 と思っていたが、10〜11年間のようである。

 ・?年 姫は許嫁:井伊直親が殺害されたと思っていた。
 姫は祖父の弟:南渓禅師から「次郎(井伊家跡継ぎ長男名)法師」を名乗
 ることが許された。  
 (★享保15年(1730)『井伊家伝記』龍潭寺所蔵:2次史料)

・天文年間 井伊直盛が二宮神社を再建した。
 
・天文23年(1554)小野和泉守が没した。
   龍泰寺(現龍潭寺)に埋葬した。
龍谷山正泉寺が開創された。開山は慧湛和尚である。

・天文23年(1554)武田晴信の伊那に侵攻した。
  松岡貞利は武田晴信の軍門に降った。
  松岡貞利は山県昌景の配下で50騎の軍役を課されていた。
  (★『甲陽軍鑑』)

・弘治元年(1555) 亀之丞は松源寺を離れ、井伊谷に戻り、
  15代(23代)井伊直盛の養子となり、井伊直親と名乗った。
  次郎法師の養子となった。「井伊直親」と名乗った。
(NHK大河ドラマの流れであると思われる。)
 井伊直親は家臣:奥山親朝の娘と結婚した。今川義元に復帰した。


・弘治2年(1556) 勝楽寺隆俊が大日如来を大日堂に祀った。
・弘治2年(1556)南渓禅師(龍潭寺2世)に相談し次郎法師
  を名乗った説もある。

・永禄3年(1560)  今川氏真が龍潭寺棟別諸役一切免除の朱印状
  を出した。

・永禄3年(1560) ▲桶狭間の戦い
   織田信長 VS 今川義元
  3月19日 (次郎法師父:)井伊直盛ら16人が今川側で戦死した。
  井伊直盛が桶狭間で討死のとき、「遺領は中野越後守に預ける」
  と遺言した。
 従って、井伊谷は中野中野越後守直由・(次郎法師)が預かった。
   (★『井伊家伝記』・『井伊直虎物語』浜松歴女隊編)

 ★徳川家康・関口氏経は大高城にいた。
箕輪初心★【織田信長@尾張の大うつけ→尾張統一】
http://53922401.at.webry.info/201206/article_1.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201206/article_1.html

箕輪初心★『織田信長A桶狭間前哨戦=家康の信長攻撃』
http://53922401.at.webry.info/201206/article_2.html

箕輪初心★【織田信長B桶狭間〜清洲同盟】
http://53922401.at.webry.info/201206/article_3.html

・永禄4年(1561)2月19日 井伊直親の長男:井伊虎松
  (直政)が祝田生まれた。

・永禄5年(1562)12月14日 井伊直政の父:井伊直親は
 小野の讒言「井伊直親が松平元康(徳川家康)に内通している。」
  の申し開きのため、駿府に向かった。
  井伊直政の父:井伊直親ら19名は今川家臣:朝比奈泰朝に
  懸川(掛川)で殺された。
   井伊家分家:家老:新野左馬助親矩が虎松に命乞いをした。
  井伊家分家:新野左馬助親矩に保護され、養母:次郎法師に
  育てられた。
  ※井伊直政は2歳のため、次郎法師と名乗り井伊家を継いだ
  説もある。

・永禄6年(1563)▲ 天野左衛門尉:八城(社)山攻め
井伊直平が途中の有玉旗屋で急死した。享年75。
★唯一生き残っていた井伊家の男だった。長老が無理した。

・永禄7年(1564))▲曳馬城攻め 
 重臣:新野左馬助親矩と井伊一族で井伊谷城城代:中野越後守
 直由が討死した。
 
「新野左馬助、中野信濃守討死之後、次郎法師、地頭職御勤、
 祐椿尼公(直盛公内室也)、実母、御揃、直政公御養育申
 候得共、皆々女中斗故、但馬諸事取斗我儘斗致、何卒井伊谷
 押領可仕旨相巧申候」
(★『井伊家伝記』)
★意味・・・「新野左親矩と中野信濃守直由の討死の後、次郎
法師が地頭をお勤めになられ、祐椿尼(井伊直盛の妻)、井伊
直政の実母の3人が揃って直政公を養育したが、皆んな女性
であったので、小野但馬守道好が取り仕切って我が儘のし放
題であり、何とかして井伊谷領を巧みに横領しようと企んでいた
と言われています。」
@井伊宗家:次郎法師(井伊直虎)
A井伊家縁戚:新野親矩(今川重臣)の妹(娘説)で次郎法師の母
B井伊家庶流:奥山朝利の妹:虎松の実母

井伊宗家・新野家・奥山家の3人の女性が井伊虎松(直政)を守った。
つまり、3者の強力な連携があったので井伊虎松は生き延びた。
★南渓禅師(龍潭寺2世)がこの年に次郎法師を名乗らせたたのかも
しれない。

・永禄8年(1565) 龍潭寺2世:南渓禅師は次郎法師は還俗させ
 て、「女地頭」に立て、虎松の後見人とした。
  (★『遠江井伊氏物語』武藤全裕著)
 ★この時、「井伊直虎」と名を変えた説もある。
 
  井伊直虎は南渓和尚に徳政免除の黒印状を与えた。

・永禄11年(1568)
?月 井伊家筆頭家老:小野但馬が井伊領を横領した。
龍潭寺2世:南渓瑞聞は 井伊虎松(井伊直政)を
 鳳来寺に移住させた。

 11月 井伊直虎は関口氏経と連署で徳政令を出した。
  ★今川氏真が介入してきたことを意味する。
「井伊直虎は今川氏家臣関口親永一族:関口氏経の息子
 (次郎法師の母方の従兄弟)を井伊次郎と名乗らせて
 当主とした説もある。
 『鉾前神社古文書』に唯一「井伊直虎の名がある。」
 井伊直盛嫡子「井伊直親養子」、妹に「女子」とあるだけである。
 (★『おんな城主井伊直虎と井伊家の歴史』井伊達夫著)
★関口親永の妻は今川義元の妹婿説・井伊直親の叔母説がある。
 
 関口親永の娘は徳川  家康の正室:築山殿の父である。
 関口氏一族は後、木俣守勝側近となった。

 
12月 徳川家康の井伊谷侵攻。井伊谷3人衆(近藤・鈴木・菅沼)は
  徳川家康に臣従し、井伊谷城を先導した。
  家老:小野但馬は逃げた。
徳川家康は井伊谷城を攻略した。
井伊谷は3人衆の支配下に置かれた。
  井伊谷から曳間(引間)城攻めに案内した。


永禄12年(1568)井伊直政実母は今川家臣:松下源太郎清景
 (浜松頭陀寺城)と再婚した。
松下家の話
・天文6年(1537) 松下加兵衛之綱は兵法者で槍術の達人:松下源太
 左衛門長則の子として、三河国で生まれた。
・天文年間?
 松下源太左衞門長則は松下屋敷を構えた。
 ※松下長則は頭陀寺の寺侍であった可能性が強い。
  (★冨永公文氏)
川匂(かわわ)庄の領家は頭陀寺であった。

 引間城主(曳間城=浜松城の前身):飯尾氏を寄親とする寄子の土豪:
 松下長則の妹は松下連昌の妻であった。
●系図
@ 松下長則・・之綱(妻は松下清景の姉)・・重綱
娘@
娘A・・おりんは柳生宗矩の妻    
A松下連昌(妻は松下長則の姉)→松下源太郎清景(井伊直政の養父)

・天文20年(1551)頃〜約3年間
   無名の木下藤吉郎(豊臣秀吉)が松下加兵衛に仕えた。
  (★『太閤素生記』)
松下加兵衛之綱と木下藤吉郎(豊臣秀吉)は同年齢であった。
・天文23年(1554)
木下藤吉郎(豊臣秀吉)が織田信長の家臣になった。

・天文年間末期、松下加兵衛之綱は遠江国頭陀寺城主(現静岡県
 浜松市南区)として駿河国の今川義元に仕えた。
 
またこの頃、松下氏に木下藤吉郎(豊臣秀吉)が仕えていた。

・永禄3年(1560)5月19日 桶狭間の戦い。
   井伊直盛も今川義元の警固の任となった。
 突然の織田信長の兵に今川義元と井伊直盛は討ち死に。
        →今川軍は敗退。
 ※松下源太郎・松下嘉兵衛は逃亡した。
今川義元の死後、遠江曳馬城(後浜松城)主:飯尾連竜が今川氏真
 を見限った。
   今川氏と反今川氏の豪族同士で抗争が起きた。
・永禄6年(1563) 今川方の軍に頭陀寺城が攻め落とされ炎上した。


*******************************

・元亀元年(1569) 徳川家康は本拠を岡崎城から引間城に移した。
岡崎城には長男:徳川信康を置いた。

・元亀3年(1572)▲三方ヶ原の戦い 
  武田家臣:山県昌景が井伊谷を攻撃した。
  井伊谷3人衆は開城した。
  徳川家康は大敗を喫した。
12月22日〜正月始めまで 武田軍25000が井伊谷に滞在した。

・天正元年(1573 ) 武田軍が井伊谷に侵攻し、神社・仏閣・民家
  を焼き払った。

・天正元年(1573 )4月12日 武田信玄が駒場で死んだ。 
井伊谷は再び徳川家康の支配下になった。

・天正2年(1574)▲高天神城の戦い 
  小笠原長忠が降伏。高天神城は武田軍の支配下。

井伊虎松(直政)は鳳来寺から井伊谷に戻った。
井伊虎松(直政)は:松下源太郎清景の養子となり、
「松下虎松」を名乗った。
★松下源太郎清景の従兄弟で、姉の夫:松下加兵衛之綱は徳川家康の
 家臣として引間城の東に屋敷を構えていた。徳川家康の重臣であった。


・天正3年(1575) 松下源太郎清景・(井伊直虎)に付き添われて
  井伊直政(15歳)は浜松に徳川家康に出仕した。
 井伊万千代の名で旧知行地の井伊谷を賜った。
 井伊直虎は井伊直政の出世を見守った。
(★『遠江井伊氏物語』武藤全裕著には井伊直虎は出ていない。)
 (★遠江井伊氏考察録●その7:武藤全裕著には井伊直虎が出ている。)

・天正10年(1582) 井伊直政は山県昌景家臣75名(新編高崎市史)
 ・土屋昌恒家臣70名などを配下とした。
 ★井伊直政軍の特攻隊・武田流軍法家隊・築城名人隊を傘下にした。

 ★山県昌景の家臣:75名(兵総数は×4〜6)中、広瀬・三科
  ・孕石・石原は井伊直政の家老で、早川が侍大将となる。
★井伊谷7人衆家:鈴木・菅沼・&奥山家も井伊直政の家老となる。

※天正10年(1582) 8月26日(9月12日)
養母:井伊直虎が死んだ。

●井伊直政シリーズ平成21年〜***************

◆◆ 箕輪初心●箕輪城「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201010/article_40.html
http://53922401.at.webry.info/201011/article_25.html

◆◆ 箕輪初心●井の国千年物語前編 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_3.html

◆◆ 箕輪初心●井の国後編:「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_4.html

◆◆ 箕輪初心●井伊直政の箕輪城時代の家臣団 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_15.html

◆◆ 箕輪初心●静岡:井伊直政の井伊谷城 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_5.html

◆◆ 箕輪初心●井伊直政の造った町:高崎&彦根 ◆◆
高崎高校 VS 近江高校
http://53922401.at.webry.info/201203/article_28.html

◆◆ 箕輪初心●中村達夫氏の「井伊軍志」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_14.html

◆◆ 箕輪初心●小和田哲夫氏の「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_13.html

箕輪初心●群馬の城「和田城→高崎城」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201012/article_16.html
  (★高崎城の畝堀:発掘調査)

箕輪初心★箕輪城140【秋本太郎先生の箕輪城→高崎城+城下町】
http://53922401.at.webry.info/201410/article_9.html

箕輪初心▲箕輪城153【長野氏の箕輪の寺社→井伊直政の
高崎移転の寺社】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_15.html

箕輪初心★箕輪城103川野辺寛「高崎誌」&井伊直政
http://53922401.at.webry.info/201310/article_8.html

箕輪初心★西田美英【高崎素奈子】&川野辺寛【高崎志】
http://53922401.at.webry.info/201410/article_14.html

箕輪初心:生方▲【長野堰を語り継ぐ会の絵図展】&
【高崎城の桜】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_5.html

箕輪初心:生方★高崎城【井伊直政&高崎城&彦根城の縄張り
担当:早川幸豊】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_9.html

箕輪初心:生方▲箕輪城165箕郷龍門寺→高崎竜広寺
【井伊直政供養塔&井伊直弼娘:ワカの墓】
http://53922401.at.webry.info/201507/article_28.html

箕輪初心:生方▲箕輪城174・井伊直政18『箕輪城→高崎城」復刻版
http://53922401.at.webry.info/201510/article_9.html

箕輪初心▲東京【豪徳寺】&「吉良家→井伊家15代」
http://53922401.at.webry.info/201411/article_6.html

箕輪初心●滋賀の城「箕輪城&彦根城の類似性」
http://53922401.at.webry.info/201101/article_10.html

箕輪初心●滋賀bS−1「彦根城2回目」
http://53922401.at.webry.info/201012/article_37.html

箕輪初心:生方▲箕輪城202【真田丸に登場しない井伊直政」
&郭馬出出撃門
http://53922401.at.webry.info/201608/article_25.html

箕輪初心:生方▲2016【高崎の用水路開発&長野堰の歴史】大修正版
http://53922401.at.webry.info/201607/article_1.html

箕輪初心:生方▲201610624~0628世界かんがい遺産候補:長野堰展準備完了
http://53922401.at.webry.info/201606/article_27.html

箕輪初心:生方▲世界灌漑遺産候補【長野堰展2016】6月24日〜28日
at高崎シティギャラリー
http://53922401.at.webry.info/201606/article_25.html

箕輪初心:生方「箕輪城159&【中嶋宏氏主催の長野堰を語りつぐ会
の絵図展】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_4.html

箕輪初心:生方▲【長野堰を語り継ぐ会の絵図展】&【高崎城の桜】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_5.html

●高崎市の用水路シリーズ:井伊直政関連〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心◆「群馬:高崎の稲作と用水路@」
http://53922401.at.webry.info/201103/article_34.html

箕輪初心◆群馬:高崎市の稲作と用水路A「長野氏の開発@」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201104/article_5.html

箕輪初心◆群馬:高崎の用水路B「長野氏の用水路編A」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_6.html

箕輪初心◆群馬:高崎の稲作と用水路C「江戸時代」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_7.html

箕輪初心★江原源左衛門&滝川用水20131010
http://53922401.at.webry.info/201310/article_11.html

箕輪初心◆高崎の長野堰=西新波堰の歴史
http://53922401.at.webry.info/201310/article_12.html

箕輪初心●箕輪城シリーズK「長野・井伊時代の用水路開発」と現在
http://53922401.at.webry.info/201010/article_17.html

箕輪初心:生方★高崎城&長野堰【井伊直政&秋元長朝&新井喜左衛門】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_10.html
★秋元長朝はおそらく高崎城の内堀・用水路・遠構え
 建築に貢献したのだ。

箕輪初心◆長野堰B「染色のまち高崎に流れる長野堰:高崎広報」
http://53922401.at.webry.info/201410/article_13.html

箕輪初心:生方▲主に群馬・長野の【戦国〜江戸の用水新田開発】
http://53922401.at.webry.info/201605/article_34.html


●井伊直虎・直政シリーズ平成29年(2017)〜*************
箕輪初心・生方▲2016井伊直虎・井伊直政bP
『高崎学ソシアス講演会原稿』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_1.html

箕輪初心:生方▲箕輪城238『長純寺・石上寺・東向八幡・字輪寺
&信玄家臣:塚越伴七調査』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_2.html

箕輪初心:生方▲箕輪城239『長野業政・井伊直政』&長野堰3碑&
世界かんがい施設遺産『長野堰』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_3.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bR【井伊家初代:井伊共保】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_9.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bS【井伊氏系図8】&
『鎌倉時代の井伊氏 』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_10.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bT【南北朝時代の井伊氏と宗長親王】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_11.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bU『戦国時代の井伊氏』修正版
http://53922401.at.webry.info/201701/article_12.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bV【第1話『井伊谷の少女』
&「井伊谷・彦根城」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_13.html


★TVの大河ドラマ1回目かな?

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