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zoom RSS 箕輪初心・生方▲2016井伊直虎・井伊直政bP『高崎学ソシアス講演会原稿』

<<   作成日時 : 2017/01/01 08:07   >>

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・平成29年(2017)1月14日、13:35〜30分の『箕輪城歴代・城主・城代・
城番と井伊直政』と題して、講演会をすることになった。今回は、その
原稿の一部である。井伊直政が私の私見では箕輪城21代目と考えた。
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◎平成29年(2017)1月1日 
1)箕輪城全貌の初日の出
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2)箕輪城
@搦め手口
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A木俣(第一家老:木俣守勝屋敷)
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B郭馬出西門出撃門
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C本丸
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第6章 徳川時代8年
【21】井伊直政
・天文4年(1535) 井伊直親(井伊直政の父)が生まれた。

天文5年(1536) 井伊直虎(井伊直政の養母)が生まれた。
   母:新野親矩の妹
井伊宗家:井伊直平→井伊直宗→井伊直盛→が生まれた。
姫の許嫁は姫の父:井伊直盛の従兄弟:井伊直親と決まった。

・天正11年(1583)▲三河田原城攻撃 姫の祖父:井伊直平の子:
  井伊直宗が討ち死にした。
・天正11年(1583) 松岡貞利は80騎の武将であった。(★『長野県高森町史』)
・天文13年(1544) 井伊直平の子:直満(井伊直政曾祖父)・直義が
今川氏に殺害された。
 亀之丞(井伊直親:井伊直政父)は信濃伊那の松源寺
 (井伊直親の叔父:南渓禅師の師:文 叔)の元に落ち延びた。
松岡城主:松岡貞利が亀之丞(井伊直親)を12年間、庇護した。

・天文年間  姫は許嫁:井伊直親が殺害されたと思っていた。
 姫は祖父の弟:南渓禅師から
 「次郎(井伊家跡継ぎ長男名)法師」
 を名乗ることが許された。
  
(★享保15年(1730)『井伊家伝記』龍潭寺所蔵:2次史料)

・天文23年(1554)武田晴信の伊那に侵攻した。
  松岡貞利は武田晴信の軍門に降った。
  松岡貞利は山県昌景の配下で50騎の軍役を課されていた。
 (★『甲陽軍鑑』)
・弘治元年(1555) 亀之丞は松源寺を離れ、井伊谷に戻り、次郎法師
 の養子となった。
 「井伊直親」と名乗った。
  井伊直親は家臣:奥山親朝の娘と結婚した。
 今川義元に復帰した。

・弘治2年(1556)南渓禅師(龍潭寺2世)に相談し次郎法師を
 名乗った説もある。
・永禄3年(1560) ▲桶狭間の戦い 織田信長 VS 今川義元
 次郎法師父:井伊直盛ら16人が今川側で戦死した。
   ★徳川家康・関口は大高城にいた。

永禄4年(1561)2月19日 井伊直親の長男:井伊虎松(直政)が生まれた。
・永禄5年(1562)井伊直政の父:井伊直親ら19名は今川家臣朝比奈泰朝に殺された。
 

井伊直政は2歳のため、姫(祐圓尼)が次郎法師と名乗り井伊家を継いだ
 説もある。
  井伊家分家:新野左馬助親矩に保護され、養母:次郎法師に育てられた。
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・永禄7年(1564))▲曳馬城攻め 重臣:新野左馬助親矩と
 中野越後守直由が討死した。
 井伊虎松(井伊直政)は龍潭寺2世:南渓瑞聞により、鳳来寺に移住した。
・永禄8年(1565) 次郎法師は還俗して「井伊直虎」と名を変えた。
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    井伊直虎は虎松の後見人となる。
    井伊直虎は南渓和尚に徳政免除の黒印状を与えた。
・永禄11年(1568)11月井伊直虎は関口氏経と連署で徳政令を出した。
  ★今川氏真の介入・・・
「井伊直虎は今川氏家臣関口親永一族:関口氏経の息子(次郎法師の
 母方の従兄弟)を井伊次郎と名乗らせて当主とした説もある。
 ★今川氏真の「氏」を貰っている可能性もある。
 (★『おんな城主井伊直虎と井伊家の歴史』井伊達夫著ほか)
 (★『鉾前神社古文書』に唯一「井伊直虎の名がある。」
  井伊直盛嫡子「井伊直親養子」、妹に「女子」とあるだけである。
 関口親永の妻は今川義元の妹婿説・井伊直親の叔母説がある。
 関口親永の娘は徳川 家康の正室:築山殿の父である。
 関口氏一族は後、木俣守勝側近となった。


12月 徳川家康の井伊谷侵攻。
 井伊谷3人衆(近藤・鈴木・菅沼)は徳川家康の家臣となり、曳間城
  (★浜松城の前身)を攻めた。
・永禄12年(1568)井伊直政の実母は今川家臣:松下源太郎清景
 (浜松頭陀寺城)と再婚した。
・元亀3年(1572)▲三方ヶ原の戦い 
   武田家臣:山県昌景が攻撃。井伊谷3人衆は開城した。
・天正元年(1573 ) 武田軍が井伊谷に侵攻し、神社・仏閣・民家を焼き払った。
・天正2年(1574)▲高天神城の戦い 小笠原長忠が降伏。
  高天神城は武田軍の支配下。岡部が守った。

・天正3年(1575) 井伊直虎に付き添われて井伊直政(15歳)は浜松に
  徳川家康に出仕した。
 井伊万千代の名で旧知行地の井伊谷を賜った。
  井伊直虎は井伊直政の出世を見守った
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・次郎法師→祐圓尼
・天正10年(1582) 井伊直政は山県昌景家臣75名(高崎市史)・土屋昌恒家臣70名などを配下とした。
★井伊直政軍の特攻隊・武田流軍法家隊・築城名人隊を傘下にした。
天正10年(1582) 8月26日(9月12日)養母:井伊直虎が死んだ。
(★『遠江井伊氏物語』)





・天正10年(1582)10月29日 徳川家康と北条氏政が和議を結んだ。
 ★徳川家康の交渉役は井伊直政と木俣守勝であった。

・天正12年(1585) ▲小牧・長久手の戦い 徳川 VS 豊臣
  井伊直政は池田輝政らを撃退した。6万石になった。

・天正13年(1587) 8月 第1次上田合戦 真田 VS 徳川
 井伊直政は小諸城で待機した。
 石川数正の豊臣秀吉の寝返りで攻撃が中止となった。
・天正14年(1586)
5月 豊臣秀吉は妹:朝日姫を徳川家康の正室として嫁がせた。
9月、母:大政所を人質として徳川家康のもとに送り、配下としての上洛を
家康に促した。井伊直政は2人に親切にした。豊臣秀吉は、無事に送り
届けてくれたことに感謝し、腰に差していた名刀を与えた上、大坂城で
歓迎会を開いた。井伊直政を朝廷に奏請して、従5位に任じた。
豊臣秀吉から井伊直政に家臣の誘いもあった。
・天正16年(1588) 徳川家康を裏切って小笠原貞慶について松岡貞利は改易となった。
(★『座光寺文書』)しかし、井伊直政は松岡貞利の磔をするのを止めた。
・天正18年(1590)
・3月17日 山中城攻めでは、徳川勢は西の丸から2の丸・本丸攻めになった。
・3月18日 井伊直政は単独で足柄山城を攻略した。
・6月22日 井伊直政と松平康親の部隊は小田原城の笹曲輪へ攻め入った。
  井伊直政は笹郭攻めでの功績を評価された。小田原城落城のきっかけを作った。
(★上杉謙信・武田信玄が入れなかった小田原城内に初めて攻め込んだ。)
・7月5日 小田原城開城
・7月11日 北条氏直は父:氏政・叔父:氏照を介錯した。
・7月13日 篠(笹)郭を攻略した立役者は、井伊直政の家臣:長野業実(なりざね) 
  であった。長野業実は@井伊直政から、名刀「備前三郎国光」、A豊臣秀吉から最上 栗
  毛馬「木下半助」を頂戴した。(★出典不明・真偽不明)
豊臣秀吉から井伊直政は箕輪城支配を任された。(★箕輪城シンポジウム:中井均先生)
・7月?日  北条氏直は和田信業・木部高成などを伴って高野山に行った。
・7月27日 倉賀野秀景は早川口で没した。死因は不明である。
・天正18年(1590)年の秋=旧暦の8月3日〜7日の間に箕輪城に入封した。
(★井伊軍志:井伊達夫著)
●徳川家康からは大量の与力(寄騎)が井伊直政に附属された。
●井伊直政が旧北条氏の有力家臣を井伊家の家臣にした。
@宇津木治部右衛門泰繁:(玉村出身)北条家臣→井伊家物頭:鉄砲奉行・井伊家家老
A岡本半助宣就(小幡信貞の第一家老:熊井戸半右衛門の子ども:小幡城代)
上泉伊勢守の孫上泉泰綱に小笠原系上泉流兵法:軍敗を伝授→井伊家軍監・家老 
B石原主膳(山県昌景鉄砲奉行→北条氏政鉄砲奉行→井伊直政旗奉行)

・8月7日付 豊臣秀吉朱印状 (★彦根市史近世1−6)
「今日七日於奥州長沼到来、可被見候、箕輪罷移之由尤候、知行方相改、普請等可申付  候、此方へ可見廻之由無用候・・・(後略)」
 井伊直政が豊臣秀吉の命令で箕輪城主になった。(★『齋藤慎一先生講演会2006』)
・9月 井伊直政次男:井伊直孝が駿河中里で生まれた。

1)旧後北条氏の一揆対策
「井伊直政の箕輪城入封に際して、旧後北条軍の一揆・反抗が起こった。石原主膳・宇津木蔵人の2人を派遣した。領民のほとんどが宇津木蔵人の呼びかけに帰順し、呼応した。
 (★井伊家家譜=中村氏=井伊達夫著)

2)井伊軍法の制定(武田軍法の旧山県昌景・旧土屋忠直の家臣・上泉流岡本半助宣就)
・天正18年(1590)の箕輪城入城時〜慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いまでの期間は、士(侍)大将&準(准)将クラスを17名、足軽大将&準衆クラスを18名+3名〜4名と している。騎馬1に対して8〜9人などの戦術方法など。(★『井伊軍志』井伊達夫著)

3)徳川家康の指示で上野国名門家の探索と家臣採用
@長野十郎左衛門業実 井伊家3席家老:長野一族・・の系図
A、3席家老の長野民部は長野一族である。業正(業政)の子:
 業親の子が伝蔵(業実、業真)である。※長野業実(向坂伝蔵)は、
 武田氏の滅亡後、生母が井伊直政と知りあいだったことから、
 井伊直政の近習として仕えた後、4000石を賜った。(★「侍中由緒帳」)
B、長野業実→業輝→業利→業則→増業→業庸→業房→好業
  →業義→業壽→業賢
(★『彦根藩井伊家文書』(彦根城博物館所蔵)「侍中由緒帳」)
C,長野出羽守業親=業政の庶子か養子または近親者説。
 長野氏の系図16種に出てこないため、業正(業政)の庶子か養子、
 または近親者とする。(★『新編高崎市史 通史編2』)
D、信業→業正→業盛→業輝→業真 
「長野業輝」長野伝蔵。天正十八年属井伊直政、在小田原
(★久保田順一先生初披露「系図纂要」)
 ※久保田「井伊家に仕えた家系伝承と一致する。」
 ★長野伝蔵業実は小田原城に在城していた。
  2000石→井伊直孝の槍奉行→4000石
A長野無楽斎 長野業政叔父:長野業通の子は井伊家侍大将
B内藤昌明の3男:内藤信矩が井伊直政家老、
  長男系は帰農後、会津藩保科正之の家老
C里見内蔵允  里見河内守の孫か石井信房(里見義樹)の子?は
           井伊家家老 
D和田主殿   和田城:和田信業の3男が井伊家家老
E萩原図書 旧安中景繁の重臣。文禄4年、井伊直孝を養育。
         井伊家家老→安中藩
F内山七郎右衛門  長野家家老・・・井伊家家老
G安藤重勝 (通説:三河安藤家で高崎藩安藤重信の甥説)
        (長野家重臣:安藤勝道の子説)
H八木原太郎右衛門 長野業政の親戚→井伊家侍大将350石
I飯島半右衛門 信濃飯島城主→武田家臣・和田城味噌係→箕輪城味噌係
     →井伊家家老
★武田・織田・徳川・伊達・上杉等は味噌作りを奨励した。
   戦場のタンパク源であった。
J「徳川家康から河田康親を探せ」という命令が出た。子が侍大将など。
  (★彦根城博物館の本・彦根城初期の家老配置図等)
4)附属与力衆(徳川家康からの付家老)の問題解決
※井伊直政は、抗戦野戦、行政管理に長けていたが、与力衆を
 自分の配下のように酷使した。反発するとすぐに刀を抜いた。
 与力衆は、木俣守勝・近藤秀用(ひでもち)などは 「帰りたい。」
 といった。徳川家康に江戸帰還の許可をしないようにお願いした。
(★『井伊軍志』井伊達夫著・『井伊家年譜』井伊達夫編)

5)井伊直政の「新旧附属与力衆の階級的安定と親和」 
@親戚衆と井伊谷の家臣、
 A徳川家康からの付家老(木俣・西郷・井伊谷3人衆)
B旧武田家臣山県昌景家臣衆と土屋昌恒家臣衆の家老と
  北条氏からの武田旧臣家老、 
 C新規召し抱え上州の家老衆
 ★井伊直政が徳川家康に随行して、大坂、伏見に滞在している間は、
 木俣守勝のライバル:井伊直政の姉の夫:川出良則が内政面と
 箕輪城・城下町の整備を取り仕切った。

6)箕輪城の修築工事&城下町の整備
@箕輪城の曲輪に有力家臣を配置した。付家老:木俣守勝は、箕輪城内の「木俣」に居住。  井伊直政養父松下源太郎は松下=稲荷曲輪に居住。→墓は鬼門「龍門寺」。
 川出良則(井伊直政の姉が妻)・奥山朝忠(井伊直政従兄弟)中野三孝(井伊親族)・ 井伊谷3人衆:近藤康用(子:秀用)・菅沼忠久・鈴木重時(子:重好)など
A内宿を武家屋敷
B城の整備★「特に真田・上杉対策?」 
「井伊氏の時代に城の拡張工事(堀の深さ10m・3の丸と本丸への橋・二の丸と大堀 切・郭馬出西門整備・木俣・水の手曲輪・法峰口・新曲輪・水堀など・・・
・東側を空堀→水堀。新曲輪・大手門の丸戸張に鉄砲狭間付きの塀と構築した
・大手道・大手門(後高崎城槻木門)設置。『上州高崎城大意』・大手ことう門・三の丸


※・天明6年(1787)5月12日 奈佐勝皐(かつたか)は箕輪城跡に来た。
「近き世の事なれば、矢倉の台などの土などまだ崩れず、なほ在り
しながらに家士の住まひせし跡もありありとその姿のこれる。」
(★『山吹日記』奈佐勝皐(かつたか)著)


C城下町の建築。  ・南南・・・4つ通に商人・工人の民家
 ・白銀町・紺屋町・本町・鍛冶町・連雀町・田宿・四ッ谷
 ・寺の分散配置・・・戦略上の城の出丸である。
※龍門寺を建立・・・白庵和尚 井伊直政の開基の寺は「龍」がつく。
   浜松龍譚寺→箕輪龍門寺
     (→竜門寺末寺高崎龍広寺→彦根龍譚寺・清涼寺)
※日向峯恵徳院(井伊直政の叔母の寺)の建立。
室田鷹留長野氏一族の多くは僧侶であった。箕輪や高崎や
  彦根で開基した。
※徳川家康は極楽院を2回保護した。
  ★井伊直政は長野本流は長野鎮良家と考えている。
・天正19年(1591) 井伊直政が九戸一揆の蒲生氏郷と鎮圧に向かった。   
・文禄元年(1592) 井伊直政が江戸留守居役となった。
  江戸城普請を担当した。

6)井伊直政の領内検地
※箕輪人口推定2万人以上〜最高4万人は関東2番目規模か?
・文禄5年(1596) 井伊直政が箕輪12万石の検地を実施した。
*榛名町神戸(高浜北の新幹線出口の上)を検地した。
*4月18日「扶20万貫都合、あらたむべきこと。」
 (★天王社(進雄神社):高井家文書)

・慶長2年(1597) 4月か5月頃、高崎城の築城を開始した。
※徳川家康は豊臣秀吉が死を察知すると、井伊直政に北関東の
 守備を固めを命じた。 

★「箕輪城の廃城理由→高崎城築城理由」
@政治・経済・文化の中心地の必要性。
A江戸との交通の要地の必要性。高崎は街道の要所:中山道・三国街道
  ・真政街道(厩橋)・例幣使街道・姫街道、烏川・利根川水運利用、
  大坂・信州と越後からの江戸の守りの適地。
  
A長野堰の水を城の防御=内堀と遠構え、生活用水・工業用水・農業
  用水などに利用可 
★井伊直政は「小田原城の総構え」を「高崎城の遠構え」として模倣した。
 ※発掘調査から北条流畝堀・堀障子が残存することが分かった。
 箕輪龍門寺末寺:龍広寺・井伊直政の叔母の寺:恵徳寺も建立し始めた。
●長野堰からの分流『新井堰』
元武田家臣:新井喜左衛門と秋元長朝・泰朝父子(元深谷城代)が
 『新井堰』や高崎城 の内堀や遠構えの外堀や城下町内の用水路を
造った。
★武川衆:江原源左衛門・武川衆:裄V諸左衛門・市川五郎兵衛真親、
伴野一族も手伝ったと思われる。その後の天狗岩用水・滝川用水・
佐久五郎兵衛用水・高遠原新田用水・甲州都留の谷村大堰、
小幡雄川堰、箱根用水と結びついている思われる。
(★旧武田家臣:大久保長安・伊奈忠次の許可・支援もあった。)
・慶長3年(1598)8月16日豊臣秀吉が死んだ。 
 徳川家康 VS 石田三成の対立が表面化した。
 井伊直政は徳川家康より全権委譲され、豊臣方の武将と交渉を
始めた。黒田官兵衛など
・慶長3年(1598)10月高崎城が完成した。井伊直政38歳であった。
「井伊直政は箕輪城が前田・真田等の元外様大名に使われないよう
に堀を埋め、破城し
==慶長3年(1598)箕輪城は破城となった。===

○龍門寺の白庵和尚・恵徳寺の和尚に「松ヶ崎」は松が枯れるので
縁起が悪いと言われ、 井伊直政は高崎に改称した。とあるが、
旧高崎市史には「反町家文書」に高崎が出ている。「高崎漫歩」には鉄の
下駄に「高崎」とある。

※井伊直政は箕輪城から高崎城に移り、城下町を整備した。
@箕輪城から高崎城の槻木(つきのき)門 など多くの木材の移動。
 木材の切り出し作業。
A11の寺+3寺・・石上寺(明治時代に三ツ寺に移動)・正法寺(現在妙福寺)
 ・慈上寺(長野業政時代の修験道の寺=スパイの寺)・大雲寺・法華寺(西郷建立)・  
  恵徳寺・安国寺・大信寺・・金剛寺・龍広寺・延養寺の建設。
B5の神社・・津波岐那神社(←椿山)・布留明神(←石上寺・石上神社)
   ・八幡宮(→真応寺)・上諏訪神社(現柳川町)・下諏訪神社(荒町)の建設
C家臣団(武士/職人/商家/民家の家族)の家の建築。
D町名・・・・連雀町・田町(←田宿)・紺屋町・鍛治町・白銀町などの移動。
*箕郷東明屋・西明屋の町名は「空き屋」が転化した呼び名であると言われている。
・慶長5年(1600)8月下旬 徳川秀忠軍3万が3日間、高崎に滞在。
 ★長野堰の水も寺もあった。
9月15日 関が原の戦い
・井伊直政の兵力3600で徳川家康の4男:忍城主・松平忠吉(直政の娘婿)と
 同行した。井伊直政は本戦で松平忠吉を補佐した。井伊直政は島津を追いか
 け鉄砲で撃たれ、負傷した。
10月まで 関ヶ原の戦いの戦後処理と江戸幕府の基礎固めに奔走した。
井伊直政は真田信之の依頼で、真田昌幸・真田幸繁の
 助命を徳川家康に進言した。
 (★彦根城博物館:野田浩子学芸員著)

・慶長5年(1600)10月、佐和山城に移るまで高崎の町の発展の基礎と造った。
*慶長3年(1598)8月16日井伊直政は豊臣秀吉の死直後〜慶長5年(1600)2月
   までの1年6ヶ月は高崎にいなかった。高崎城在城期間は2年6ヶ月であった
が、実際にいたのは1年間であった。(★井伊氏400年記念資料)   
 井伊直政の姉の夫:川出主水良則が高崎城留守居役を務めた。(★『井伊谷の資料』)

・慶長5年(1600) 10月10日 井伊直政は近江佐和山18万石の大名となった。
・慶長6年(1601) 代官頭:伊奈備前守忠次に井伊谷筋の寺社領を安堵した。
★井伊直政は佐和山が石田三成の崇拝者が多いので嫌った。

・慶長7年(1602)2月1日 井伊直政が過労と島津義弘軍の鉄砲傷の破傷風が
  元で死去。 (享年43)彦根清涼寺に井伊直政の墓がある。
  木俣守勝が徳川家康と相談した。
 井伊直勝は家督を継ぎ、佐和山藩主となり、名を井伊直継と改めた。
・慶長8年(1603)徳川家康が征夷大将軍となった。井伊直継が彦根城の築城を開始した。
@縄張り :早川幸豊(★山県昌景→井伊家侍大将) 分家:玉村の与六部の早川与六
     :石原主膳(★山県昌景→北条氏政→井伊直政・井伊家家老)
     :横地吉晴 (★北条家家臣→井伊直政・井伊家家老)
     :孕石泰時(★今川氏真→山県昌景→井伊直政・井伊家家老)  
A普請奉行: 富上喜太夫・伴加右衛門・加藤金左衛門
B作事奉行:宇津木新九郎(宇津木泰繁の子ども)・横内弥左衛門
C大工棟梁: 浜野喜兵衛(★『井伊軍志』:井伊達夫著)
D公儀御奉行3名、尾張藩や越前藩など7か国12大名が手伝った。
  天下普請であった。
江戸幕府が大名に普請させたのは、京・大坂に備える必要あったからである。
  (★『井伊軍志』井伊達夫著

※高崎城「遠構え」を彦根城「惣構え」継承し、武田流巨大丸馬出「鐘の丸」
 を構築した。

・慶長11年(1606) 彦根城の天守が完成し、井伊直勝(直継)が入城した。
・慶長12年(1612) 徳川家康はイギリス・オランダから新式大砲を購入した。
稲富流砲術:宇津木泰繁は徳川家康の前で長距離狙撃用鉄炮86挺の
 試し撃ちを行った。

・慶長14年(1614) 大坂冬の陣
 6月頃 イギリスより購入したカルバリン砲4門、セーカー砲1門を購入した。
 12月 オランダ製4・5貫目の大砲12門(半カノン砲)が届いた。
@国友の鉄砲鍛冶69人  50匁の玉の大筒 射程距離は1500m以上
A堺の鉄砲鍛冶:芝辻理右衛門が製造した1貫目玉の大砲
Bオランダ・イギリス製「4〜5貫目巨砲」
  (★『真田幸村がよくわかる本』:押鐘太陽著 
12月16日 井伊直孝・藤堂高虎・松平忠直・佐竹義宣隊と備前島から
約300門で砲撃した。
稲富宮内重次・片桐且元らが備前島の大筒100を指揮した。
井伊直孝配下:稲富流宇津木泰繁がおそらくカルバリン砲を
 大坂城に打ち込んだ。
(★『真田太平記』:池波正太郎著の挿絵にも長距離砲が描かれている。)

・慶長15年(1615) 大坂夏の陣 5月6日 ▲八尾・若江合戦
井伊直孝配下:第2家老庵原が槍で裾をつき安藤重勝が
 木村重成の首を討ち取った。
★通説では三河安藤家で安藤基次・後高崎藩主:安藤重信の甥の
 安藤重勝が木村重成の  首を討ち取ったことになっているが、
 安藤基次・重信隊は若江にいないので同姓同名の  井伊直孝家臣
 :元長野家重臣:安藤九右衛門勝道の子:安藤重勝が木村重成を討
 ち取った と考えられる。

※木村重成の首塚は彦根宗安寺(元箕輪安国寺→高崎安国寺)である。
★井伊直継・直孝は毛利の参謀:安国寺恵瓊が嫌いであったので
 宗安寺を名付けた。

・元和元年(1615)井伊直継は幕府の命で、弟:井伊掃部頭直孝に彦根
 藩主の座を譲った。
 @井伊直孝の代には18万石から彦根35万石の譜代大名へ。
 A井伊直勝(直継)は亡父の井伊兵部少輔を継いだ。安中藩3万石
   の藩主となった。
  ※井伊直継の母(井伊直政の正妻)&井伊直孝の母の墓は
   安中大泉寺にある。
  ※安中の城下に菩提寺:龍潭寺を建立した。(現存しない。)
・元和8年(1622) 彦根城が完成した。 
※高崎龍広寺に井伊直政の供養塔・井伊直弼の娘:和田ワカの墓がある。
(★新編高崎市史:中村茂先生調査)


●▲■井伊直政シリーズのブログ一覧

●井伊直政シリーズ平成21年〜***************

◆◆ 箕輪初心●箕輪城「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201010/article_40.html
http://53922401.at.webry.info/201011/article_25.html

◆◆ 箕輪初心●井の国千年物語前編 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_3.html

◆◆ 箕輪初心●井の国後編:「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_4.html

◆◆ 箕輪初心●井伊直政の箕輪城時代の家臣団 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_15.html

◆◆ 箕輪初心●静岡:井伊直政の井伊谷城 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_5.html

◆◆ 箕輪初心●井伊直政の造った町:高崎&彦根 ◆◆
高崎高校 VS 近江高校
http://53922401.at.webry.info/201203/article_28.html

◆◆ 箕輪初心●中村達夫氏の「井伊軍志」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_14.html

◆◆ 箕輪初心●小和田哲夫氏の「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_13.html

箕輪初心●群馬の城「和田城→高崎城」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201012/article_16.html
  (★高崎城の畝堀:発掘調査)

箕輪初心★箕輪城140【秋本太郎先生の箕輪城→高崎城+城下町】
http://53922401.at.webry.info/201410/article_9.html

箕輪初心▲箕輪城153【長野氏の箕輪の寺社→井伊直政の
高崎移転の寺社】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_15.html

箕輪初心★箕輪城103川野辺寛「高崎誌」&井伊直政
http://53922401.at.webry.info/201310/article_8.html

箕輪初心★西田美英【高崎素奈子】&川野辺寛【高崎志】
http://53922401.at.webry.info/201410/article_14.html

箕輪初心:生方▲【長野堰を語り継ぐ会の絵図展】&
【高崎城の桜】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_5.html

箕輪初心:生方★高崎城【井伊直政&高崎城&彦根城の縄張り
担当:早川幸豊】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_9.html

箕輪初心:生方▲箕輪城165箕郷龍門寺→高崎竜広寺
【井伊直政供養塔&井伊直弼娘:ワカの墓】
http://53922401.at.webry.info/201507/article_28.html

箕輪初心:生方▲箕輪城174・井伊直政18『箕輪城→高崎城」復刻版
http://53922401.at.webry.info/201510/article_9.html

箕輪初心▲東京【豪徳寺】&「吉良家→井伊家15代」
http://53922401.at.webry.info/201411/article_6.html

箕輪初心●滋賀の城「箕輪城&彦根城の類似性」
http://53922401.at.webry.info/201101/article_10.html

箕輪初心●滋賀bS−1「彦根城2回目」
http://53922401.at.webry.info/201012/article_37.html

箕輪初心:生方▲箕輪城202【真田丸に登場しない井伊直政」
&郭馬出出撃門
http://53922401.at.webry.info/201608/article_25.html

箕輪初心:生方▲2016【高崎の用水路開発&長野堰の歴史】大修正版
http://53922401.at.webry.info/201607/article_1.html

箕輪初心:生方▲201610624~0628世界かんがい遺産候補:長野堰展準備完了
http://53922401.at.webry.info/201606/article_27.html

箕輪初心:生方▲世界灌漑遺産候補【長野堰展2016】6月24日〜28日
at高崎シティギャラリー
http://53922401.at.webry.info/201606/article_25.html

箕輪初心:生方「箕輪城159&【中嶋宏氏主催の長野堰を語りつぐ会
の絵図展】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_4.html

箕輪初心:生方▲【長野堰を語り継ぐ会の絵図展】&【高崎城の桜】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_5.html

●高崎市の用水路シリーズ:井伊直政関連〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心◆「群馬:高崎の稲作と用水路@」
http://53922401.at.webry.info/201103/article_34.html

箕輪初心◆群馬:高崎市の稲作と用水路A「長野氏の開発@」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201104/article_5.html

箕輪初心◆群馬:高崎の用水路B「長野氏の用水路編A」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_6.html

箕輪初心◆群馬:高崎の稲作と用水路C「江戸時代」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_7.html

箕輪初心★江原源左衛門&滝川用水20131010
http://53922401.at.webry.info/201310/article_11.html

箕輪初心◆高崎の長野堰=西新波堰の歴史
http://53922401.at.webry.info/201310/article_12.html

箕輪初心●箕輪城シリーズK「長野・井伊時代の用水路開発」と現在
http://53922401.at.webry.info/201010/article_17.html

箕輪初心:生方★高崎城&長野堰【井伊直政&秋元長朝&新井喜左衛門】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_10.html
★秋元長朝はおそらく高崎城の内堀・用水路・遠構え
 建築に貢献したのだ。

箕輪初心◆長野堰B「染色のまち高崎に流れる長野堰:高崎広報」
http://53922401.at.webry.info/201410/article_13.html

箕輪初心:生方▲主に群馬・長野の【戦国〜江戸の用水新田開発】
http://53922401.at.webry.info/201605/article_34.html


●井伊直虎・直政シリーズ平成29年(2017)〜*************
箕輪初心・生方▲2016井伊直虎・井伊直政bP
『高崎学ソシアス講演会原稿』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_1.html

箕輪初心:生方▲箕輪城238『長純寺・石上寺・東向八幡・字輪寺
&信玄家臣:塚越伴七調査』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_2.html

箕輪初心:生方▲箕輪城239『長野業政・井伊直政』&3碑&
世界かんがい施設遺産『長野堰』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_3.html

★明日も「箕輪城」関係かな?

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