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zoom RSS 箕輪初心:生方▲真田丸119【第39話「歳月」】九度山の生活

<<   作成日時 : 2016/10/06 10:30   >>

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慶長5年(1600)12月13日 真田昌幸・真田幸繁は16人の家臣とと
もに細川に住んだ。妻子や小者も含めれば数十人いたと想像できる。
高野山は女人禁制のため、蓮華正院から九度山に移り住んだ。ここ
では、真田幸繁30代〜40代になったが、性欲が盛んなようで、
竹林院(ドラマでは春)・高梨内記の娘(ドラマではきり)・
伊勢の国の妾が5人の子を生んだ。16人の家臣もいたので、金は
なく、借金地獄が続いていた。最初に飯島市之丞が去り、慶長16年
(1611)11年目、真田幸綱が死ぬと、池田・小山田などが帰った。
5月16日付 河原右京宛の真田昌幸書状「真田信之と河原綱家
(★昌幸正妻の兄の子・昌幸に歯をかかれた)が高野山を訪れた。
慶長19年(1614)、真田幸繁の元に豊臣秀頼の使者が訪れた。大坂
の役で共に戦ってもらえるよう誘いに来た。使者は真田幸繁に支度
金として黄金200枚、銀30貫目を渡したといわれている。平山説で
は「明石全登(でるずみ)、」となっているが、大野治長の家に入った
ことから大野治長説もある。★真田幸繁は世間では青年武将のイメ
ージで人気bPではあるが、格好いいには遠い「白髪の歯っ欠け爺
い」であった。
画像


【1】【大いなる謎 真田一族】平山優著
12月13日 真田昌幸は真田信之に別れるにあたって
「・・・悔しい限りだ。家康こそ、このような目に会わせようと
 思ったのに・・・」
九度山の生活
 真田昌幸・真田幸繁の家族
 16人の家臣・・・
池田長門守・原出羽守(武田旧臣原美濃守の子)・高梨内記・
小山田治左衛門ら・・・

@高野山の麓の細川
A高野山の「蓮華定院」
B高野山の麓の九度山
浦野川の淵(真田淵)・上下5町(約550m×約1100m)
  の範囲内は行動自由であった。
監視は和歌山城主:浅野幸長にさせた。
・・・生活は困難を極めた。
16人の扶持も必要であった。
収入は、
 @蓮華定院のお布施
 A浅野幸長からの合力
 B真田信之からの仕送り
 C旧家臣・長谷寺・信綱寺からの心付け
  D国元の金子に送金を催促
・数年後、火事になり、真田信之から、100両を借金。
  ・・・
・5月16日付 河原右京宛の真田昌幸書状
「真田信之と河原綱家(★昌幸正妻の兄の子・昌幸に歯をかかれた)
 が高野山を訪れ、昌幸を訪問し、上田に帰国した。河原は高野山
 で用事を済ませ、遅れて帰国した。」
・真田昌幸は病気がちになり、真田昌幸は真田信之・浅野幸長を
 通じて徳川家康に赦免を繰り返した。
 一時、本多正信は家康に手紙を披露するまでいった。
 真田昌幸は上田に帰れると期待したが、・・・・
 徳川家康は真田昌幸を許さなかった。
・真田昌幸は赦免の希望も失い、病気は進行した。
国元に駿馬を送ってくれるように依頼した。


【2】【真田三代】:平山優著 P260~263
 第2次上田合戦で、真田昌幸は大勝利した。真田昌幸は信濃・
甲斐を掌握するつもりであった。しかし、西軍は壊滅したため、
真田昌幸は完全に支援も望めなくなった。
平山「もし、長期戦であったならば、独壇場になっていたかも
   しれない。」
徳川家康の憎しみは激しく、当然、昌幸・幸繁を死罪と決めていた。
しかし、真田信幸は本多正信や舅:本多忠勝にすがって、助命嘆願
を行った。家康もついに折れ、死罪を免じ、高野山追放を下知した。
12月13日、真田昌幸・幸繁は上田を後にした。信幸(平山説では
「信之」ではない。)と別れる時、
「さてもさても、口惜しきことかな。内府こそ、かくしょふと思ひ
しに」
と述べた。昌幸54歳。信繁34歳。
 上田より、池田・原・高梨内記・小山田治左衛門ら16人が従い
高野山に向かった。主従が高野山の麓:細川に落ち着いた(伝)。
その後、蓮華定院に厄介になった。蓮華定院の斡旋で、九度山に
屋敷を構えて移り住んだ。上下5町(約550m×約1100m)
の範囲内は行動自由であった。
監視は和歌山城主:浅野幸長にさせた。

・慶長16年(1611)  
  徳川家康と豊臣秀頼が京都二条城で会見した
徳川義直と徳川頼宣は東寺まで出迎え、人質として加藤清正に
  預けられた。
  徳川義直と徳川頼宣は返礼の名代として大坂城の徳川秀頼
  を訪問した。
(★徳川家康:)

・真田昌幸は危篤となった。
 真田昌幸は真田幸繁に
「徳川と豊臣の戦は近い。・・・」
昌幸は幸繁に考え抜いた秘策を授けたと伝わる。
「籠城戦では勝ち目がない。積極的に打ってでて、勝負を
 かけよ。・・・家康を2度破ったワシの意見なら聞くが、
 無名の幸繁では握り潰されるであろう。・・・」
6月4日 真田昌幸が老衰で死去。享年65。

真田幸繁は年寄りのようになってしまった。
小山田茂誠(しげまさ:村松殿の夫)宛の真田幸繁の書状
「急に老け込んでしまい、歯も抜け、髭も真っ白で老人の
ようになってしまいました。」



【2】【真田三代と信繁】:丸島和洋著
12月13日、真田昌幸・幸繁は高野山に登った。
 蓮華定院に入った。
 上田より、供奉衆筆頭は池田綱重などであった。
 ・原・高梨内記・小山田治左衛門ら16人が従った。

・慶長6年(1601)8月、飯島市之丞は上田に帰国した。
(★『真田三代と幸繁』:丸島和洋著)
 飯島市之丞は真田信幸→真田信之に仕えた。 P197
 ★「関ヶ原の戦い」後、徳川家康の命令説と違い、
  徳川家康に遠慮して改名したと、ニュアンスが異なっている。


真田昌幸に正妻:山之手殿は上田に残ったが、側室は連れてき
て、子どもが生まれた。

真田幸繁は大谷の娘?(竹林院)・高梨内記の娘・堀田の娘
等も連れてきた。女性は高野山に登れない。女人禁制なので、
蓮華定院の斡旋で、山麓の九度山に屋敷を構えて移り住んだ。

監視は和歌山城主:浅野幸長にさせた。


・慶長8年(1601)
2月、徳川家康は征夷大将軍になった。
3月、真田昌幸は本多正信を通じて赦免活動を展開した。
しかし、音沙汰はなかった。

九度山の生活は国元からの支援だけでは苦しかった。
借金地獄たった。

・慶長16年(1611)  
  徳川家康と豊臣秀頼が京都二条城で会見した
徳川義直と徳川頼宣は東寺まで出迎え、人質として加藤清正に
  預けられた。
  徳川義直と徳川頼宣は返礼の名代として大坂城の徳川秀頼
  を訪問した。
(★徳川家康:)

・真田昌幸は重い危篤となった。
 真田昌幸は真田幸繁に
「徳川と豊臣の戦は近い。・・・」
昌幸は幸繁に考え抜いた秘策を授けたと伝わる。
「籠城戦では勝ち目がない。積極的に打ってでて、勝負を
 かけよ。・・・家康を2度破ったワシの意見なら聞くが、
 無名の幸繁では握り潰されるであろう。・・・」
6月4日 真田昌幸が老衰で死去。享年65。
出家して「好白」と名乗った。
酒の無心の連絡を真田信之にした。
しかし、酒に溺れる自堕落な生活を繰り返したためか、40歳を
過ぎて一気に老け込んだ。
「髪は白髪混じりとなり、歯も抜け落ちていった。

★世間に残る青年武将のイメージとは随分、ほど遠かった
 白髪の歯っ欠け爺であった。。



【4】【真田幸村がよく分かる本】:押鐘太陽著
西軍は外に、青木一矩20万石・増田長盛20万石、宇喜多秀家
57万石、長宗我部盛親22万石、毛利秀包13万石、立花宗茂13
万石など・・・
押鐘「信幸→信之は幸の字をはばかったため、父との関係を絶つ
    ため、・・・」
浅野幸長より50石
※1石=10斗=100升・・・150kg・・・2俵半
 1斗=10升=約15kg
※30kgで250袋
・・・でも足りなかった。
沼田に金・酒(焼酎)の無心の書状がたくさん届いた。
書・碁・釣り・農耕などをしていた。




【5】 「歴史人」創刊号・・清水昇文責
正月早々、「臨時の金、40両の内、20両は受け取った。
残りの20両も1日も早く。・・・少しでも送って欲しい。」




【6】真田丸第39話「歳月」のあらすじ

◆ナレーター
「信繁達・・・10年が過ぎた 。・・・・
 真田昌幸は64年の生涯をとじた。」



●九度山
信幸「さぞ、ご無念であったろう。」

幸繁「・・・兄上」
父上から、これを・・・
 
これまで戦の仕方・勝利のしかたが記されています。」
絵で描かれている。
画像

信之「孫子の兵法にも匹敵する」

見る。

信之「・・凡人には全く分からん。」
みる。
幸繁「父上らしいとも言えますが」

「全部こうな感じか?」
「全部こんな感じです」

●家族
信之「・・・・少しでも早く、戻れるようにしたい。・・・」

幸繁「これだけ長くいると、なんの・・」


信之「私にきづかって皆もそうなのか?」

春 「旦那様といる時間が長く、よかったと思っています。」

きりは「・・裁縫を教えて、満ち足りているんですよ。 ・・・
佐助「キノコ・・」
 ★ベニテングタケ(毒キノコ)の絵だった。

「佐助は・・・」
幸繁「大介・梅にいたっては、ここで生まれましたので、・・」


「内記はどうしておる。」

●回想・・・高梨内記の後追い自害を
   止めだ。

「兄上こそ、大変なのでは」



きり「おさまるところに・・・」

酒を飲む
幸繁「お子達は・・・」
信之「・・・元気・・・」
   大介が元気がないようだが、・・・・・・」

信之 「面白くないといわれ、・・・」

幸繁 「・・・愛されていたあかしです。」


佐助「私にはどちらも愛されていたと思いますよ。
    お2人とも・・・

「子育ては自分にあったやり方があるよだ。・・・」


「お願いがあります。」

「借金・・・無理をしていました。」
「借金・・・」

「きりは佐助がかせいでくれますが、

・・・・焼け石に水・・・・・」・

信之「なんとかしよう。・・・

   2〜3日後、・・・高台院様にあう。
   皆で暮らすのが望みじゃ。」

●京
お通「幾たびの「終え腕に」・・・高台院様、滅多なことでは
   人に会いません。・・・」
信之 「そうですか?」
小野のお通
「堪忍してほしいい。」

信之「実は・・・それだけではない
   実に・・・心が落ち着く。・・・」
「みながそう言ってくれます。」
「また、参ってもよろしんですか?」

「ありがたい」
「・・・いつでも」
「和歌はたしまれますか?。・・・」

「まちどう」


●九度産
幸繁「大介の守り役になってほしい。」
高梨「・・・守り役を・・・」

大介を一人前に育て上げてくれ。
「お前しかおらんのだ。頼む」

碁盤を見ながら・・
「大殿はよく申しておられた・・・碁盤には。。

「碁盤が土地、碁は杭、・・・」


囲碁



●江戸

◆ナレーター・・・

「・・・参勤交代の原型である」

薫・・・「人質・・・」
「江戸は住みよいではございますか?」

村松「・・・このまああ」
「村松殿」」

稲「・・・徳川様にお願いしておけが、・・・」
「茂誠・・

末がきた。
すえ「おひさしゅうございます。」

すえ「叔父上・・・」
薫「すえに扇を見せる約束をしているのです。・・・
すえ「偉いお方・・・
薫「菊亭は・・・

薫「までのこうじ・・・」
小山田「知らなかった。・・・」
村松・・・

「父上・・・田舎に来てしまった。・・・

薫「殿は素敵な方でした。それはそれは・・・


「・・・」
◆ナレーター
「薫は真田昌幸の死んだ2年後、世を去る」


●九度山
大介が大きくなった
囲碁「・・・」

「参りました。」
「若はよわいですね。」

きりは刺繍をおしえている。
きり「さあ、やってみましょう。」

佐助は子どもに、手裏剣投げを教えている。

幸繁は畑の水くれ・・・
「裏山で湧き水・・・・は
画像

きり「兄は10万石・・・弟は・・
幸繁「分相応だよ。」

春はお子をだきながら、見ている。
★春の子・・大八様?・・

春「きりさんですよ。」

なる「兄上様から、にがとどきました。」

「兄上様から、・・・」

「蕎麦か・・・」

春「育ち盛りなのに、心配です。」

佐助&きり・・・
「源二郎さまはどうお考えなの」
  ・・・本気出すまで・・・頑張ります。」
いらいらしちまうんだ。・・・

 「・・・人としてつまらない。・・・
  ここに・・
  日の当たるところにだしてやりたい、・・・・

幸繁「佐助・・・」


幸繁「商いをしてくる。・・・」
春「うれますかねえ?」


その場で
信州名物・・・・・

幸繁・霧・佐助
「信州名物、・・・」

「20モンのところ。日頃、。。。10文で・・・
「あじよしのそば、まされそうらえ・・・」
と歌う。


高梨・大助は囲碁・・・
「はい、ワシの勝ち、・・・」
むず・・・

幸繁「むうすこし、売れるとおもったが、・・・」
そばがきはうれない。・・・
きり「・・・なれれば、」

◆ナレーター
「蕎麦が定着するにはもうすこし先のことである。」

「・・・・商いというのはむずかしい。」

春は

「・・・

「商人のまねをさせたくない。・・」
「きりさんはいいのですか?」」

「きりにいとまをだす。」

春・・・「私が「追い出したようになります。
  申し訳ありません。」



きり「面倒くさい人・・・
「いつまでも、源次郎様だけを・・・」・・・

幸繁「 「さみしいな。」
きり 「父と源二郎様のため、・・・


きり「子ども3人も生まれた日には・・・・」



「・・・・もう菩薩の心ですよ。・・・」
「2人にまかせるよ。」
「逃げるきか?」


きりの内記に「たかにはまけてあげたら、・・」
「男は新検証微雨ざう」
「大介様、おかわいそう・・・」


大介、・・・


たかが来た。
「・・」

◆ナレーター
「たかは豊臣秀次の子であった。・・・」



春「・・・」

「助ざのおかげで・・・商いを手広く・・・」
春「どういうご関係ですか?」
画像

たか「側室です。」
抱きつこうとする。
春は殺そうとする。
画像

「お土産があります。、・・・」

「・・・・・・」
昌幸・・
画像


「ねーぱらの紐・・」
(★ネパール)


みんな、

「サナール・・・」



幸繁「上田紡ぎに似ている。・・」

幸繁「思いついたことはある。」

たか「・・・」


氏wq亞非理後教室・・


きりに「紐をあんで。・・・頼む・・・



春ときりにたのむ。・・・

「ひとます、ここを」
「自分に正直にならないと損するよ。」

「源次郎様のお子が欲しいと思ったことはありますよ。
  でも遠い昔の話・・・
 あの人にとっては貴方が一番なんだから、・・・」

折りながら・・・引っ張りながら
「きりさん、どこにもいかないでください。私のために・・・」
「ぎゆう・・・」

手をつなぐ。
画像


たか「瑞龍寺という所に祖母がいます。
    あったら、ルソンに戻ります。
    一度いただいた命、大切にします。」


「さらまっポー・・」
「さらまっポというのは?」
「教えない。」



佐助がさなーるひも・真田紐ものぼる。・・・
「春様と私で造ったの・・・かなり大変でしたよ。」
「」

百姓・・・

「極めて頑丈にできている。者をつるすのにも・・・
 「鎧や達のかざり」


村長・・・「わし等は百姓じゃ。・・・」

幸繁「取引をしようじゃないか?
   たくさんできない。売りにもいけない」

「作り方を教えよう。まず手付けとして、5貫・・・
「必ず、真田紐と言ってくれ・・・」
「村之衆への恩返しになれば、・・・」

紐をみさせる


高梨「豪勢ですな?」」
金で、鯛をかってきた


幸繁「大介の姿が見えないが、・・」
高梨「15連敗・・囲碁の世界は厳しい門なんじゃ。」


●幸繁が大介の所に行く。
「戦の前、碁をしていた。気持ちを落ち着かせるようだ。」

幸繁は「だいすけはらいごをおそわる

「お前に教えて欲しいのだ。」

鹿言う・・・
「碁盤は土地と思ってください。・・
 碁は杭・・・ぐるっとかこめが・・・


大介「□にかこめが敵の碁を取れる。
   杭を肉ことになり、自分之土地になります。」


宴会・・・大介も中に入った。


●大風が吹いた。

幸繁

編み笠の男が笠を取る。・・・・・・

「真田幸繁様ですか・・・」

「何物だ?」

「明石掃部守全登(かもんかみてるずみ)です。・・・
 お迎えに、上がりました。・・・・」



※明石全登(たけずみ・でるずみ景盛・守重)・・・
 母は宇喜多直家の異母妹→関ヶ原の戦いで宇喜多秀家勢
 8,000名を率いて先鋒を努めた。・・・浪人・・・



●ゆかりの地

1、遍照寺・・・真田の屋敷
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2、丹生
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3.真田紐
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★明日は真田忍者の関係かな?

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