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zoom RSS 箕輪初心:生方▲遠江『浜松城』:徳川家康が17年住んだ居城&歴史

<<   作成日時 : 2016/10/05 08:04   >>

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元亀元年(1570)今川氏真を掛川に攻めて遠江を得た徳川家康が
曳馬城入城し、「浜松城」と改名した。浜松城を増改築し、駿府城
に移るまでの17年間を過ごした。徳川家康の関東移封後、豊臣
家臣:堀尾氏は入った。関ヶ原後、江戸時代265年間に浜松藩
は22人藩主が変わっている。歴代城主の多くが江戸幕府の重
役に出世したことから「出世城」といわれた。五万石ながら代々
譜代大名の居城として高い格式を保ち続けた。
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 (★浜松市役所屋上から)



〜〜〜徳川家康シリーズ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心●愛知【岡崎城】=「徳川家康が生まれた城」
http://53922401.at.webry.info/201212/article_7.html

箕輪初心:生方▲遠江『曳馬城=引馬城(浜松城の前身)』&歴史
http://53922401.at.webry.info/201610/article_6.html


箕輪初心●静岡【駿府城】@徳川家康3回在城復刻版〜徳川家康の死
http://53922401.at.webry.info/201609/article_42.html


箕輪初心◆『徳川家康の関東移封&家臣配置』復刻版2
http://53922401.at.webry.info/201410/article_36.html

箕輪初心★東京【江戸城】=日本最大の城域
http://53922401.at.webry.info/201111/article_19.html

箕輪初心◆豊臣秀吉の死〜徳川家康の小山評定〜関ヶ原の戦いへ
http://53922401.at.webry.info/201312/article_14.html




●浜松城は静岡県浜松市中区にある。
・梯郭式平山城
★搦め手口
作左曲輪(天守西)・・・本多作左衛門の大改修。
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・天守曲輪の石垣
  ・・・野面積みの石垣で有名。
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・八幡台
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・井戸
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・復元天守
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・中に入る。
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・天守博物館
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・森・・・徳川家康が入った曳馬城のあった場所
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・三方ヶ原方面
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・天守内の井戸
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・天守門(天守曲輪門)
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・天守曲輪の大手口(東)の石垣
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(★箕輪城の御前曲輪の橋台と全く同じ構造
・二の丸の銅像
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・清水曲輪の天守石垣の発掘調査
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●徳川家康時代の発掘調査中の展示物・掲示物
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●▲■曳馬城→浜松城&歴史

・平安時代
「浜松荘」があった。
古東海道の宿が発達した

・鎌倉時代
 浜松は、曳馬(引馬、引間)「ひきま(ひくま)」と呼ばれる
 町に発展した。
 現在の馬込川が天竜川の本流にあたり、西岸に町屋が発達しま
した。「船越」や「早馬」は鎌倉時代の地名である。

・南北朝時代 
 大河内氏は、吉良氏の領地であった引馬荘の代官として派遣され、
 徐々に勢力を伸ばしていった。

・室町時代
・応永2年(1395)8月 今川貞世(了俊)は九州探題を罷免された後、遠江と
駿河の半国守護を命じられた。
  弟の今川仲秋が遠江、甥:今川泰範と駿河を分割統治する
  こととなった。

・応永7年(1400) 、応永の乱
今川貞世と甥:今川泰範が守護の権力をめぐってトラブった。
  足利義満は関東管領上杉憲定に今川了俊追討令が出した。
  しかし、今川了俊は今川一族の助命嘆願の結果許された。
 応永9年(1402) 政界に関与しないことを条件に赦免された。

  大河内兵庫助真家や大河内備中守入道道光らの名前が古文書に
  見られる。
今川了俊の失脚に伴い、守護職は斯波氏へと交替した。
斯波氏は守護代に甲斐氏を任じて領国経営を行った。
  しかし、今川了俊の子孫:遠江今川氏や、横地氏、勝間田氏と
   いった奉公衆、吉良氏の家臣:大河内氏などの勢力などが
  障害となり、支配は徹底できなかった。

  やがて斯波氏当主が相次いで夭折した。

・長禄2年(1458)7月〜長禄3年(1459) 8月11日 長禄合戦
  越前守護斯波義敏と越前守護代甲斐常治の間に越前で勃発した。
  尾張の斯波氏に対し、遠江家臣団も内訌を起こし、斯波氏の支配力は
  さらに低下した。
8月11日、足羽郡和田荘の決戦
   朝倉孝景の活躍により守護代:甲斐氏の勝利となった。

・応仁元年(1467)〜文明9年(1477)までの約10年間。応仁の乱
   駿河の今川義忠が遠江に侵攻を開始し、以後、遠江を巡り、
  斯波氏と今川氏が直接戦闘を交えるようになる。

・戦国時代
 曳馬の町を見下ろす丘の上に曳馬城(引馬城、引間城)引間城が
 築かれた。
 遠江今川氏4代:今川貞相が初めて築城したという。
 軍事・交易の流通を整備した。
(築城者については諸説ある)
 ※浜松城以前は曳馬城(引馬城、引間城)が浜松の拠点だった。

・永正年間(1504〜20)三善為連の築城説もある。

????年 三河:吉良氏の家臣:大河内貞綱は遠江引馬荘の
 代官となり、引馬城主となっていた。

 斯波氏と今川氏が抗争すると、引馬の地を支配していた大河内貞綱
 弟:巨海道綱が尾張の斯波氏に味方した。
 
 曳間は戦略上の拠点となった。


がおり、斯波氏と今川氏の抗争の中で、
 今川氏に敗れた。 
 
 今川氏親の配下:飯尾賢連?乗連 が曳馬を支配することになる。
・永正11年(1514)、飯尾賢連・子:飯尾乗連が城主になった。

・永正14年(1517) 大河内備中守貞綱は亡くなった。
****************************   
・文明年間(1469〜86) 駿河守護大名今川義忠が遠江支配の拠点
  として、重臣:朝比奈泰煕に築城命令?
   朝比奈泰煕(今川氏筆頭家老)が掛川古城(掛川城の子角山)
   を築いた。
・永正9年から10年(1514) 頃
掛川古城では手狭となり、に現在の地に掛川新城(龍頭山)
を築いた。

・永正年間(1504〜1520)今川氏親の重臣:福島正成が城将とし
て高天神城に入城した。



飯尾乗連は今川氏に引き続き仕えた。


*******************************

・永禄3年(1560)桶狭間の戦い
  飯尾乗連・子:飯尾連竜も参加した。
  桶狭間の戦いにおいて今川義元が戦死した。
今川義元が織田信長に敗北。

  今川氏の衰退が始まった。

 松平元康(徳川家康)は今川家を離反し、岡崎城に戻り独立。


 今川氏の衰退後、城主飯尾連竜が今川氏真に反旗の疑惑をもたれた。

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浜松には、今川方で、頭陀寺城城主:松下加兵衛がいた。
 豊臣秀吉が少年時代:木下藤吉郎時代に3年間、松下加兵衛
 に仕えた。松下加兵衛に連れられて、豊臣秀吉は引間城を
 訪れていた。



・永禄8年(1565) 曳馬城は今川氏真軍に攻囲され、多大な損害を
  被るが、陥落は免れた。
  飯尾連竜は今川氏真からの和議勧告を受諾した。
  飯尾連竜は今川氏再属のため駿府への大赦御礼に出向いたが、
  和議は謀略で、飯尾連竜は殺害された。

  @説・・・曳馬城は、飯尾連竜の家老:江間氏によって守られた。
A説・・・飯尾連竜の未亡人:お田鶴の方を中心とした飯尾氏
      の残党によって守られた。
 
・永禄11年(1568) 今川義元の子:氏真は甲斐の武田信玄・三河
  の徳川家康から挟み撃ちに遭い、今川氏真は本拠地:駿府館を
  捨てた。武田信玄に駿河に武田館を造って、更に遠江に侵攻した
  今川氏真が朝比奈泰朝のいる掛川城に逃げ延びた。
       掛川城に籠城。
 
  曳馬城内では徳川派と武田派に分裂して内紛が起きた。

・永禄11年(1568)12月 徳川家康は曳馬城を攻略した。
徳川家康はお田鶴の方に使者を送り、曳馬城を渡せば、妻子共々
  面倒を見ると降伏を促した。
  しかし、お田鶴の方が拒否し続けた。
 徳川家康が攻め込んだ。
 お田鶴の方が城兵を指揮して奮戦したが侍女と共に討死にした。
 ※お田鶴の方を祀った「椿姫観音」が城の近くに残っている。
(★「曳馬城石碑」)


・永禄12年(1569) 徳川家康は掛川城を包囲した。
  朝比奈泰朝は掛川城で籠城した。
  徳川家康はなかなか掛川城を落とせなかった。
  長期にわたる攻防の末、
 1月23日 朝比奈泰朝は和議で
  「今川氏真の身の安全を徳川家康に認めさせた。
   今川氏真・朝比奈泰朝は開城を決断した。
   今川氏真・朝比奈泰朝は小田原城を頼った。
   朝比奈3代、約100年間の掛川城統治が終了した。
    
  徳川家康の領有後、掛川城には重臣石川家成が入城した。

  
●元亀元年(1570) 徳川家康は居城であった岡崎城を長子:信康
 に譲り、曳馬城(浜松城の前身)に入城した。
徳川家康は武田信玄の侵攻に備えるため、本拠地を三河国岡崎
  から遠江国曳馬へ移したのだ。
  天竜川を渡った見付(磐田市)に新たに築城をするつもりであ
  ったが、籠城戦に持ち込まれた際天竜川により「背水の陣」と
  なることから、曳馬城を西南方向に拡張した。
  その際、曳馬という名称が「馬を引く」、=敗北につながり縁起
  が悪いことから、平安時代にあった荘園:浜松荘に因んで城名・
  地名ともども「浜松」と改めた。
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・元亀2年(1571)武田信玄は2万越える大軍で高天神城を包囲
 したが、撤退した。

・元亀3年(1572) 武田信玄は遠州諸城を落とし、浜松城に肉薄。
          武田信玄は浜松城が堅固な守りであることを
          知ると、西に進軍。・・・罠だった。
武田信玄が浜松城を攻める素振りを見せながら、無視するよう
 な行軍をして家康を挑発した。 

 徳川家康は
 「庭先を踏みつけられて見過ごすは弓矢をとる者の恥だ。
  浜松から撤退するくらいなら武士をやめる。」
 と勇んで出陣した。
 挑発された徳川家康は浜松城から打って出た。
▲三方ヶ原の戦い
 武田軍25000  VS   家康11000+織田信長の援軍3000  
        結果・・家康が×   
 武田軍の巧妙な反撃に遭って敗北を喫した。  

 浜松城に撤退。
 ★うんこを漏らしながら、・・・・
家康は曳馬城=引間城の北口にあたる「玄黙(元目)口」へ撤退
 したといわれている。



徳川家康は敗戦の屈辱を忘れないように、苦虫をかみつぶした
 ような自画像を絵描かせた。

・天正2年(1574) 武田勝頼は武田信玄の跡を相続した。
 武田勝頼は2万余の軍勢を率いて再び高天神城を包囲した。
 小笠原長忠を降伏開城させた。
 武田勝頼は岡部真幸(元信)、横田甚五郎尹松らを城将として
 守らせた。

・天正3年(1575) 長篠・設楽原合戦
  武田勝頼は織田・徳川連合軍に大敗を喫した。

●天正5年(1577) 本多作左衛門重次が浜松城造りに着手した。
 曳馬城の南西に広大な城を築城した。
 現在の浜松城の原型となった。
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・天正6年(1578)徳川家康は横須賀城を築いて高天神城への備えと
した。さらに徳川家康は6砦を築いて高天神城を包囲した。籠城
する岡部真幸は武田勝頼に援軍を求めたものの、勝頼は援軍を送
ることができなかった。

・天正9年(1581) 高天神城の兵糧が尽き、城将岡部真幸は打って出
 たが、ついに高天神城は落城した。
 徳川家康は高天神城を焼き払って廃城とし、以後は横須賀城を
 拠点とした。

・天正10年(1582)頃 拡張・改修は大体終わった
徳川家康の在城期間は29歳から45歳までの17年になる。

・天正14年(1586) 徳川家康の本拠地は浜松城は駿府城に移った。
  
   
・天正18年(1590) 徳川家康の関東移封
豊臣系の堀尾吉晴が浜松城主となった。
堀尾吉晴→次男:堀尾忠氏が合わせて11年間在城した。
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・慶長5年(1600) 関ヶ原の戦い
堀尾忠氏 功績で出雲国月山富田(島根)に移封された。
 
 浜松城の増改築が進むにつれ、曳馬城=引間城は
 浜松城の主要部から外れて米蔵などに使われた。
  「古城」と呼ばれていた。
 本丸にあった二重櫓が天守代用とされていた。

●歴代城主
徳川頼宣の領地
※譜代大名が次々に入った。
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桜井松平忠頼
高力忠房
大給松平乗寿
太田資宗(太田道灌子孫)→資次
青山宗俊→忠雄→忠重
本庄松平資俊→資訓
大河内松平松平信祝(★参勤交代リターンズの英雄)→信復
****************************
箕輪初心:生方▲2016年【超高速!参勤交代・リターンズ】
のあらすじ詳細
http://53922401.at.webry.info/201609/article_25.html
*****************************

松平資訓→資昌
井上正経→正定→正甫(不祥事を起こし左遷)
水野忠邦→忠精
(唐津実封25万3,000石から浜松実封15万3,000石への転封願い
 老中・・・天保の改革・・失敗。)
井上正春→正直

※江戸時代265年間に浜松藩は22人藩主が変わっている。
・明治時代・・・廃城となり破壊された。

・明治19年(1896) 旧藩主子孫:井上延陵が曳馬城本丸跡に徳川家康
  を祭神とする元城町東照宮を勧請した。

・昭和25年(1950) 「浜松城公園」となった。
・昭和33年(1958) 往時の石垣の上に天守閣が再建された。
鉄筋コンクリート造模擬天守閣である。
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・昭和34年(1959) 浜松市の史跡として指定された。

・平成27年(2017) 発掘調査をしていた。

・現在 天守閣は資料館として使われている。
  徳川家康を初めとした当時のゆかりの品々を見学できる。





★明日は三方ヶ原の戦い復刻版&詳細編・・・

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