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zoom RSS 箕輪初心:生方▲「真田丸」117【禰津一族&徳川家康・真田昌幸・真田信幸】

<<   作成日時 : 2016/09/29 09:03   >>

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・天正11年(1583) 祢津松鴎軒政直は徳川家康に臣従した。
「禰津」から「根津」に姓を変えた。甲州黒沢と駿州厚原に
350石を与えられた。徳川家康の鷹匠となった。祢津松鴎軒
政直一旦出家していたが、根津元直3男の根津信直の嫡男?
:2男禰津信政の後見人となった。9月28日付 、徳川家康
から知行宛行状により、根津信政の系統が上野国豊岡藩主にな
った。禰津一族は真田昌幸・真田信幸の家老として活動した。
画像

(★ 祢津松鴎軒政直は徳川家康の鷹匠だった)




【1】●▲■禰津一族の家系****************
1)禰津元直・・・勝直(昌綱)・・月直&信光&信政
  政直
  信忠
   娘(武田信玄側室)

2)禰津勝直・・・月直
信光(昌綱)・・伊予守信秀・・3人
美濃守信政・・・政次・・・・娘のみ
信直

3)禰津政直(常安、松鷂軒、帯刀、惣左衛門)
※禰津元直の嫡男説
※禰津元直の2男説


4)根津一無斎信政(禰津政直の甥)
禰津一無斎の嫡男:禰津七左衛門=禰津伊予守。
 ※禰津政次説もある
  禰津一無斎の2男:祢津志摩守幸直。
 ※根津信政の2男:根津吉直説もある。



【2】禰津一族の歴史*******************
画像


箕輪初心:生方▲真田丸67【禰津下の城】:禰津一族&真田一族
http://53922401.at.webry.info/201603/article_12.html

箕輪初心●「滋野一族→海野一族の歴史」
http://53922401.at.webry.info/201111/article_25.html

箕輪初心●【祢津流放鷹演技】&『滋野一族の歴史』
http://53922401.at.webry.info/201111/article_23.html

箕輪初心●岩櫃城探検隊第8弾:真田家臣団一覧
&【唐沢玄蕃の墓&割田重勝の墓】
http://53922401.at.webry.info/201311/article_14.html








・天文3年(1535)頃 禰津政直は禰津元直の次男として誕生した。

・天文13年(1545) 禰津政直は禰津元直から家督を継ぐと、
   武田信玄の家臣として活躍し始めた。
  ★庄内(更科郡)に千貫文を拝領したとあるので、
   根津分家を開いた可能性もある。


・永禄6年(1563) 真田幸綱と供に岩櫃城攻略に加わった。

・永禄9年(1566) 武田信玄の箕輪城攻略
 禰津神平常安=祢津政直は、武田信玄の箕輪城攻めに参陣した。
 落城後は父:禰津元直と箕輪在番を命じられた。


・永禄9年(1566) ※真田信之が生まれた。
禰津一無斎信政は小県禰津城主で、真田氏と同族である。
祢津志摩守は真田信幸と乳兄弟であったらしい。
禰津一無斎元直の妻が真田信之の乳母であった。
禰津一無斎の嫡男:禰津七左衛門=禰津伊予守昌綱が惣領である。
 禰津一無斎の2男が祢津志摩守幸直である。


・永禄10年(1570)
8月 禰津神平常安=祢津政直は、生島足島神社に起請文を
納めた。
11月 禰津神平常安=祢津政直は上野箕輪在城の賞として武田信玄
 から知行を受けている。

・元亀3年(1573) 7月晦日付 武田氏竜朱印状
禰津神平常安=祢津政直は小県郡内での分国追放人の捕縛命令状の
 宛名人の1人として活動した。
 
・天正3年(1575) 長篠の戦い
 父:禰津元直、勝直の嫡子説:根津月直が討死した。
 ※ 禰津元直嫡子説:根津月直が討死した。

禰津元直戦死後、出家した。
禰津政直は、「根津松鷂軒常安(しょうようけんじょうあん)」
 と名乗っていた。
 家督は3男?説・甥説*根津信直(妻は真田幸隆の娘・真田昌幸
 の義兄弟)が継いだ。

・天正4年(1576) 箕輪城の禰津松鴎軒政直(勝直の弟)
  ●3月27日 奉者:跡部大炊助→瀬戸神十郎
   瀬戸神十郎は信濃海野の内の15貫を宛がう。
   武具を用意して箕輪城に在城をお願いする。
   @城代・・・不在
   A在番衆・・・祢津松よう軒・大井高政・大井満安
   C番手衆・・・瀬戸神十郎は新規で箕輪城に入った。

・天正10年(1582) 3月11日 武田氏滅亡
天正壬午の乱
 禰津政直(勝直弟)は飯山城で守備して、武田信玄の娘:菊姫の
  嫁ぎ先である上杉景勝へ援軍要請を行っていた。


 ★難を免れたとも言える。

   根津勝直・2男:根津信光(昌綱)は真田昌幸とは不和になっ
  ていたようで、いち早く徳川家康に臣従していた。


 弟:根津志摩守幸直は真田家につき、真田家の親族衆として
 矢沢頼綱と行動をともにした。
 徳川家についた真田家は、北條氏邦の大軍により沼田領の諸城を
 次々と攻められていた。
 沼田城代:矢沢頼綱ほか、矢沢頼康の娘婿:根津幸直、北能登守、
 金子綱重、恩田能定らの沼田衆が善戦した。
 3日にわたる激戦の後に、北條勢は兵を引いている。


7月13日 真田昌幸は北条氏康配下・・・
  真田昌幸は上杉景勝にも通じているふりをみせた。 

8月 真田昌幸が徳川家康の配下に加わると、真田を嫌ったようで、
  北条氏直に寝返った。

  本家の根津勝直・2男:根津信光(昌綱)は同族真田昌幸と
  小県で争った。

最終的には、禰津本家も真田昌幸の旗本となった。
 子孫は真田家重臣となった。

ちょっと「真田十勇士」
禰津政直(根津帯刀)&次男説:根津甚八(神八)貞盛?
は一緒に放浪したと考えられる。
根津甚八は放浪した際に、海賊の頭領となり、のち真田十勇士
として真田幸綱(幸村)に仕えたと言う話になったのだろう。
早く映画「真田十勇士」の嘘っぱちをみたいなあ。
岩櫃城探検隊の時、映画のスタッフの女性と話したり、本屋に
一緒に行ったりしたこともあるし、・・・・

・天正11年(1583) 祢津松鴎軒政直は徳川家康に臣従した。
画像

「禰津」から「根津」に姓を変えた。
  甲州黒沢と駿州厚原に350石を与えられた。
  鷹匠となった。
  祢津松鴎軒政直一旦出家していたが、根津元直3男の根津信直
  の嫡男?:2男禰津信政の後見人となった。
9月28日付 徳川家康から知行宛行状
  根津信政の系統が上野国豊岡藩主になっている。

  嫡男だが、分家?となった根津信光(根津昌綱)は・・・・

・天正17年(1589) 11月
祢津志摩守幸直は真田昌幸家臣団の知行宛行いで、岩下郷と
  田沢郷50貫を拝領した。
 
・天正18年(1590)
7月 小田原城開城
8月 徳川家康の関東移封.
  
  根津松鴎軒政直は上野国豊岡に5000石の所領を得た。
  「常安寺」(高崎市豊岡)となる場所に陣屋を構えた。
 
・慶長2年(1597) 根津松鷂軒常安が没した。
  「月光院」(高崎市豊岡)に葬られた。
  法名は「月光院殿心源常安居士」である。
  「月光院常安寺」の名は、法名から付けられた。
  根津松鴎軒政直の家督は弟:根津信忠の子:根津信光が
  継いだ。
  松鴎軒政直の甥:根津信政が上野国豊岡は継いだ。



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・慶長5年(1600) 箕輪初心◆豊臣秀吉の死〜徳川家康の小山評定〜関ヶ原
の戦いへ
http://53922401.at.webry.info/201312/article_14.html
★関ヶ原の戦いの前・・真田父子は佐野:犬伏の別れで別れた。

箕輪初心▲【老神ひな祭り】&真田信之(幸村の兄)の妻:小松姫
http://53922401.at.webry.info/201503/article_3.html

箕輪初心:生方▲真田丸23【沼田正覚寺】信之の妻:小松姫の墓
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201601/article_26.html
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「慶長5年(1600年)7月21日、・・・。
犬伏(現栃木県佐野市犬伏新町)で徳川家康と石田三成のどちらに
付くか激論を戦わした真田父子は、真田昌幸と信繁は豊臣に、真田
信幸は徳川に付くことになった。

★真田信幸は徳川家康の家臣:本多忠勝の娘→徳川家康養女を妻にし、
真田信繁は石田三成の親友:大谷吉継の娘を妻にしている。

★真田昌幸は妻が石田三成の妻と姉妹関係にあったことと、第一次
上田合戦のときから徳川家康が大嫌いになっていたからのようであ
る。


★河原綱家は真田幸綱の妻の兄の子か孫で・・・
 真田昌幸に下駄を投げられて、歯が欠けた。
 おやげねえ。



●犬伏「真田丸」
昌幸「上田に戻るぞ。」

幸繁「なんだか、聞きづらいぞ。」
河原「歯がかけたげけですので、・・・」

●犬伏の別れ
『関が原乱起りて・・・道筋より三丁計脇の野へ安房守
 (昌幸)併左衛門佐(幸繁)唯二人相越、長子信幸を招きける、
 伊豆守(信幸)ハ祢津志摩一人召れて其処へ行けり。・・・(後略)』
 (★「長国寺殿御事蹟」)
 祢津志摩守幸直は、主君の真田信之と2人で犬伏の会議
 場所に行った。


禰津志摩守幸直・禰津美濃守信政は徳川方であった。




第2次上田戦争
東軍 (真田信之=徳川家康の養女:小松姫夫←本多忠勝娘)
      Vs
西軍 (父:真田昌幸&弟:真田幸村)
9月2日 小諸城(長野県)で徳川秀忠と真田信幸が合流した。
     
9月3日  徳川秀忠は上田城を攻めようとした。
      真田昌幸は徳川秀忠に
     「上田城城をあけ渡す準備をしているので待って欲しい」
     とだまして、戦の準備を整えた。

9月4日 徳川秀忠が上田城の明け渡しを催促した。
     真田昌幸は
     「戦さの準備ができたのでどうぞ。」
      と返答した。
徳川秀忠は激怒した。

★徳川秀忠が真田信幸を砥石城に向かわせた理由
 @徳川首脳陣の中には、真田一族の真田信幸を疑う者が多い
  ため、真田信繁VS 真田信繁と戦わせて、真田信幸を試す
  という考えであった・
 A上田城の直接攻撃に真田信幸を参加させると、真田信幸が
  寝返る危険性があることが考えられる。

●平山優説
 真田昌幸は
@「兄弟対決をするふりをする。幸繁が仕掛ける。
  攻撃が済んだら、砥石城から南回りで逃げて、上田城に
  入れ。・・・」
 という策であった。
Aこれにより、兄の真田信幸に手柄をたて
 させ、徳川秀忠の真田信幸に対する信用を高めようというので
 ある。
B真田信幸軍を砥石城に留めることで、上田城を攻める兵の
 数を減らすことできる。
C真田一族の同士討ちを避けることができる。
 
※「真田丸」では真田信繁が考えたとあったが、・・・
  「戦わずして真田信幸に砥石城を明け渡す。」
作戦であった。

9月5日 徳川秀忠は軍を上田城に接近させた。
 徳川秀忠は
 @真田信幸の軍を真田信繁が守る砥石城(上田城支城)に
  向かわせた。
真田信幸は虚空蔵山城(伊勢崎城)・砥石城(上田市)
  を落とし、待機した。
 A上田神川の戦い
  徳川秀忠38000 VS 真田昌幸2000? 
 ・真田昌幸は、徳川を上田城近くにおびき出しては鉄砲攻撃。
 ・真田昌幸・信繁(幸村)は、秀忠軍の侵攻を阻む。
 B神川の増水で、大群が混乱。
 C上杉景勝の配下:海津城須田氏が真田根小屋城に到着。

9月7日 徳川秀忠は撤退→関ヶ原へ

 真田昌幸&真田幸村2000 vs 徳川家忠・大久保忠隣20000
  →決着着かずに真田軍の勝利
           ・・・徳川家忠は関ヶ原に遅刻
★徳川家康の兵力温存説もあるが、
     徳川秀忠はお馬鹿だったのかもしれない。

■TV・・ ・徳川秀忠は真田に興味を持っていた。
    江は「秀忠様は戦さが下手。・・・」
    →遅刻は必至であった。
    乳母は、祠を持ち出した。
   (★大河ドラマ「江〜」9月11日TV)   
    ※江戸にあった徳川家康・・江と話





(★9月15日が関ヶ原の合戦)。





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慶長7年(1602) 10000石の大名として上野豊岡藩を立藩した。
 根津信政の嫡男:根津政次には男子がなかったため、根津信政
 の次男:根津吉直が跡を継いだ。
・寛永3年(1626) 根津吉直が若くして死去。
   3代で無嗣断絶となった。
 

 ★平安初期より続く滋野氏の滋野3家:海野・禰津・望月の
 嫡流中、大名として残ったのは根津氏のみであった。
 真田氏は海野氏の血流が流れているが、・・・・


●▲■ 岩櫃城の小字名*****************
1)「志摩小屋」 
 岩櫃城祉平沢の「志摩小屋」の地名は、禰津志摩守の屋敷跡
 と伝わっている。
禰津志摩守と真田信幸は乳兄弟であるらしい?
 禰津志摩守の室は真田信之のお局である。
 (禰津志摩守惣領主水は、大阪の役にて討ち死に)

2)「出浦」
@出浦盛清(昌相)は武田信玄の透波(忍者)の頭領であった。
 A真田忍群総帥:出浦盛清(昌相)の曲輪・・・不動寺が近い。
 修験道の虚無僧達から情報を得ていたのいかも知れない。
B 関ヶ原の戦い後、真田信之の家臣になった。

3)「殿曲輪」
城代家老:海野輝幸の曲輪である。


最終的には真田家の禄高3500石で家臣となった。
子孫は松代藩の家老や目付となった。
支藩の沼田藩でも家老を務めた。



★明日は静岡県かな?

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