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zoom RSS 箕輪初心:生方▲【海津城】:・永禄3年(1560)山本勘助が築城?

<<   作成日時 : 2016/04/19 06:35   >>

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・永禄3年(1560)山本勘助が築城したといわれる。川中島の戦略的に
重要な城であった。三方を山に囲まれ、西は南北に流れる千曲川の地
形を巧みに利用した堅固な平城であった。海津城(松代城)には7〜
8回、行っているが、5年間分の写真が消滅したため、最初の2回分し
か写真はない。
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箕輪初心:生方【中村茂先生講演会『山本勘助→子孫は高崎藩山本菅助』】
http://53922401.at.webry.info/201507/article_26.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201507/article_26.html

箕輪初心●長野:海津城=松代城:川中島の戦いでの信玄の拠点
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_14.html
 
箕輪初心▲長野:松代▲大室城前→奇妙山砦&尼飾山城ハイキング
http://53922401.at.webry.info/201412/article_17.html

箕輪初心:生方▲【尼飾城】真田幸綱(幸隆)の攻略→城番へ
http://53922401.at.webry.info/201604/article_15.html

箕輪初心●真田3代B『川中島の戦い&真田の上野国進出』
http://53922401.at.webry.info/201111/article_28.html

★★ 箕輪初心★佐久間象山@「象山神社など」 ★★
http://53922401.at.webry.info/201309/article_15.html

●● 箕輪初心●長野:海津城=松代城 ●●
http://53922401.at.webry.info/201309/article_14.html


★● 箕輪初心◆長野:松代藩の家臣の家 ●★
http://53922401.at.webry.info/201309/article_13.html

箕輪初心★佐久間象山A「佐久間象山の生涯」
http://53922401.at.webry.info/201309/article_16.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_16.html

箕輪初心▼松代大本営=国家中枢移転計画
http://53922401.at.webry.info/201309/article_17.html

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・尼飾城も見える。
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◆◆ 海津城の築城過程→築城→松代城の歴史 ◆◆


・????年 清野氏館・鞍骨城の築城の年代は不明
 清野氏が現松代の清野氏館に在住した。
鞍骨城は、鞍骨山頂798mのにある詰め城である。
松代付近では、
 「一に春山(若穂綿内:綿内氏)、二に鞍骨(松代町清野:
 清野氏)、三に尼飾(東条氏)」と言われ、堅固な山城にBEST3に
 数えられていた。

 清野氏は葛尾城主:村上義清に属していた。

・天文19年(1550) 9月、武田晴信の戸石城攻撃
   清野清寿軒は武田晴信に寝返った。

・弘治2年(1556)
2月? 小山田虎満&真田幸綱(幸隆)が尼飾城攻撃が始めた?
(『真田三代』:平山優著)

  武田晴信は北信国衆や川中島方面の国衆への調略を進めていた。

7月 香坂筑前守、井上左衛門尉、市川信房、西条治部少輔らに
   知行を宛がった。


8月8日付、武田晴信→真田幸隆・小山田虎満宛
「東条あまかさり城、その後いかに候や。片時にも早く攻め落と
 すよう相勤めらるべく候。ここもとのことは、両日人馬を安め
 候あいだ、いっそう次第相勤めらるべく候。いよいよ方々の遠
 慮なく、御計策肝要に候」
 と尼飾城攻略を督励した。

長尾景虎の家臣の箕冠(みかぶり)城主:大熊朝秀が武田晴信
に内通し挙兵した。
★後日、箕冠城を紹介できるかも?

8月13日 越後の駒帰(糸魚川市青梅)の戦い
  大熊朝秀は長尾景虎に敗れて、武田晴信の家臣となった。


8月 真田幸綱(幸隆)・小山田備中守虎満らが武田晴信に
  催促されながら、やっとのことで東条氏の籠もる尼飾城を攻略
  した。

  武田晴信は尼飾城を修理普請させた。

8月25日付 武田晴信→西条治部少輔への書状
 「本領に移ったばかりであるが、尼飾り城を普請して
欲しい。」
と手紙をだした。

  総指揮官に高坂弾正忠昌信が城将とした。


・弘治4年(1558) 真田幸綱(幸隆)小山田備中守虎満(昌行)
  佐久北方衆が尼飾城城番になった。
(★真田氏と上田城:上田市史編纂委員会)

・永禄元年(1558) 頃〜  
 ※『風林火山』
 山本勘助が高坂弾正とともに川中島に海津城を築くにあたり、
 尼飾城に詰めて縄張りの構想を練った。
 縄張りは山本勘助がした説が有力である。

武田晴信は足軽大将:山本勘助に命じ清野氏館を大改修させ、
   海津城を築城させた。


・永禄2年(1559) 海津城の築城が開始された。
    (★『信濃史料』12巻)
築城は荒砥城:屋代氏、元牧の島城:香坂氏ら川中島四郡
  (更級郡、埴科郡、高井郡、水内郡)の国衆が担った。

・永禄2年(1559)
 2月 武田晴信39歳は出家して、信玄を名乗った。
   (法性院・徳栄軒)
  武田晴信は長禅寺住職:岐秀元伯を導師に出家した。
  「徳栄軒信玄」と号した。
  (★『甲斐国志』)
 
3月 高坂昌信(春日虎綱)が高梨政頼の中野小館
   (高梨氏館:高井郡)攻撃した。
    中野小館は陥落した。
    武田信玄は信濃国のほとんどを平定した。
    高梨政頼は飯山城にまで後退した。


永禄3年(1560) 築城完了説




『甲陽軍鑑』の記述
 @天文20年(1551)武田晴信は出家して信玄を名乗った。
  山本勘助も出家して法号を道鬼斎と名乗った。
  ・永禄2年(1559) 史実での武田晴信の出家。
  →★『甲陽軍鑑』の天文20年(1551)武田晴信は出家説
  は疑わしい。


・永禄3年(1560) 築城完了説 
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『甲陽軍鑑』の記述
 A天文22年(1553)8月武田信玄の命により、謙信に備えるべく
  山本勘助は北信濃に海津城を築いた。
→★『甲陽軍鑑』の天文22年(1553)8月築城は疑わしい。
B山本勘助は海津城を上杉謙信との合戦に備えて、80日で普請した。
  本城には小山田備中守虎満、二曲輪に市川等長・原与惣左衛門
   が配置された。
(★『甲陽軍鑑』)
  →★『甲陽軍鑑』の80日説・小山田説が疑わしい。 

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『真田三代記』・・・
@山本勘助は真田幸隆と懇意である。
A山本勘助が馬場信春に築城術を伝授している。
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※築城当時は「海津城」と呼ばれていた。
   海津城の名の由来
   @海のごとき千曲川の縁にあった説
   A山本勘助の甲州流築城法「甲斐図」に拠り、築城されたこと
   からついた説。
※『風林火山』
   武田信玄が「月にいい城・・・。」と、勘助に語った。
  
  海津城を築くと川中島の押さえ・北信濃への戦略拠点とし、
  尼飾城を詰め城とした。鞍骨城ではなかった。
 

・永禄4年(1561)武田信玄は 高坂弾正忠昌信(香坂虎綱)を
  初代海津城将に配した。
  城代:春日虎綱は郡代的権限を持っていたと考えられ
 ている。
 また、海津城に原美濃守・小幡山城守らも配した。

 海津城は川中島四郡における領国支配・国衆支配の拠点として
 機能した。

 真田昌幸は尼飾城城番になった。




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9月 ▲第四次川中島の戦い
 長尾景虎が川中島へ侵攻すると城代:春日虎綱(高坂昌信)は海津城
 で篭城し、武田信玄本隊の到着を待った。
9月10日 八幡原において決戦が行われた。
(★詳細は後日)


・天正10年(1582)
3月11日 武田氏滅亡後

3月下旬  織田家臣:森長可武田遺領:信濃川中島四郡を支配した。
      森長可は海津城を居城とした。
      森長可は海津城、あるいは海津城下の武田遺臣の子息や
      近隣の村から人質を集め、住まわせた。

6月2日 本能寺の変

6月8日 本能寺の変の知らせ
「信長が死んだ。・・・(2男森長可の)弟:3男:蘭丸
・4男:坊丸・5男:力丸も死んだ。」
と伝わった。
信長の仇を討つことを決定した。

「どうしても金山に帰らねばならぬ。わしだけでも母に顔を
見せねばならぬ。そして、上様の仇をとる。・・・」
と3人の弟&信長を本能寺で失った森長可は鬼の形相で敗走
した。
※長男の兄は既になくなっていて、兄弟は一人になってしまった
のである。また、森長可は敵地:越後に深く侵攻していたため、
逆に窮地に落ち入ってしまったのである。兄同様、深入りは禁物で
あることも悟っていた。二本木の陣を引き払い、越後国から撤退
した。

上杉景勝軍は追撃しなかった。

6月9日?
信濃国人衆にも「信長死亡」の報が伝わっていた。
森長可も配下:出浦盛清を除いて旧武田家臣団信濃国衆たち
はほぼ全員が裏切り、森軍を殲滅する一揆を起こそうとしていた。
は森軍を壊滅すべく一揆を煽った。・・・・
芋川氏が長沼城、島津氏が大倉城に籠城して合戦となった。
籠城していた1000人余りを人質にして海津城に連行した。
森長可は海津城の人質を逃がさぬように厳命した。

6月10日? 森長可は海津城に戻った。
海津城主だった高坂弾正(春日弾正)の息子:高坂昌元は武田氏
滅亡後、森長可に属していた。高坂昌元は信濃国人衆一揆勢を
率いて、森長可の撤退を阻止した。

森長可は高坂昌元の息子:森庄助(森長可が烏帽子親)をはじめ
とする人質を使って交渉を仕組んだ。

家臣:大塚次右衛門を信濃一揆衆への交渉役とした。
大塚は高坂昌元の裏切りを糾弾した。交渉は高坂昌元は
「松本での人質の解放は約束するが、森軍には手出しをしない」
という条件を飲まされた。
森長可は人質を連れて青柳方面に向かった。

しかし、信濃一揆衆は納得しておらず、森勢の前に立ちふさがった。

猿ヶ馬場峠の戦い(現千曲市と麻績村を結ぶ峠)
信濃一揆衆と合戦となった。 しかし、撃退された。
 森長可は勝利した。
 大塚は再度
「手出し無用の事・・・。」
 を強く言明した。

森軍は松本に到着した。
森長可は高坂昌元の裏切りに激怒していた。
森長可は約束を反故にした。
森長可は自ら高坂昌元の子:森庄助を殺した。
森長可は人質を残らず処刑するよう命じた。
森軍は人質全員を殺した。
そして、岡谷から木曽谷方面へと撤退した。
 
※真田丸では、真田信繁は森長可&出浦昌相(盛清)と出会った。
信繁
「出浦様」
出浦昌相
「真田の・・・」
森長可
「誰じゃ?」
「真田の小せがれでござる。」
「命を大切にせい。・・・。」

森長可は唯一人、撤退に協力した出浦盛清に深く感謝し脇差を
 与えた。
★出浦盛清はこの後、真田昌幸の家臣になった。真田忍群の
総帥である。家老職でもあった。岩櫃城には出浦の地名が残っ
 ている。

6月12日?  森長可は木曽谷の撤退途中に木曽福島城下で
商売をしていた金山(岐阜県可児市)の商人から
「木曽福島城の木曾義昌も森様の暗殺を画策している。」
という密告を受けた。
 
森長可は木曽義昌に「到着日を1日早い6月?日と書いた書状」
を送った。

6月13日?
深夜、 森長可は木曽福島城の城門を破壊した。
木曽福島城に押し入り、木曽義昌の息子:岩松丸(後木曾義利)
を拉致した。新たな人質とした。

6月14日? 森軍は岩松丸を拉致し、木曽福島城を後にした。
 森長可は木曽→美濃に入った。
木曽義昌は手出しができなかった。

6月15日?
 美濃の苗木城(岐阜県中津川市):遠山友忠が暗殺を企てていた。
 木曾義昌は
「岩松丸を人質に盗られたので、手を出さぬように・・・。」
と懇願したので、遠山友忠は攻撃しなかった。

森長可は自領:大井宿でようやく木曽岩松丸を解放した。
森長可は【金山城】(岐阜県可児市兼山)へと無事に辿りついた。
 

上杉景勝が空白地帯となった信濃へと侵入した。
上杉景勝の支配となった。
城将の春日弾正信達、小幡虎昌らも従った。

やがて北条氏が佐久・小県に侵攻した。

7月13日 真田昌幸ら13人が小諸城の北条氏直に臣従した。
  真田昌幸が服属すると、城将の春日弾正は真田昌幸を通じて
  北条氏に内応しようとした。

7月17日 春日弾正は内応が発覚し、上杉景勝に誅殺された。
『真田丸』では、真田信伊が殺したことになっている。


7月?日 上杉景勝が川中島統治した。
 屋代秀正は上杉景勝に臣従した。
  屋代、塩崎、八幡、戸倉、上山田、坂城を領有した。

 海津城将は山浦景国(村上義清の息子:村上康清)であった。
 海津城副将は屋代秀正がなった。二の郭に配した。
 屋代秀正が上杉景勝に従い海津城の副将として遇された。
※屋代秀正の母は村上義清の妹・・・つまり、山浦景国と従兄弟
 同士だった。
 しかし屋代秀正の離反が村上氏没落の一端であったこともあり、
 守将:山浦景国との関係は良好とは言えなかった。

屋代秀正は上杉景勝からは厚遇されていた。
 しかし、2年前に、村上氏一族の中で最初に武田方に寝返った
 屋代秀正は信頼されていなかった。
 上杉景勝は稲荷山城を築いて監視していた。

 荒砥城は清野・寺尾・西条・大室・保科・綱島・綿内の各氏に
 よる城番管理がなされた。

 
※徳川家康 VS 上杉景勝
代理戦争
小笠原長時 VS 山浦景国(母は小笠原長時の姉か妹)
  
屋代秀正(母は村上義清の妹)は上杉景勝に従軍しながら秘かに
徳川家康と気脈を通じていた。

・天正11年(1583) 屋代秀正は徳川家康と通じた。
★ばらしたのは真田昌幸か?

上条城主の上条義春(政繁)が海津城主となった。
  


・天正12年(1584)
4月1日 屋代秀正は室賀満俊(叔父)とともに上杉景勝から突然
離反し荒砥城に引篭もり徳川家康に臣従した。
 しかし、村上国清(山浦景国)ら上杉景勝勢に攻められて荒砥城を
 支えきれず、屋代秀正は荒砥城に火を放ち、に逃亡・・・
徳川家康の下に身を寄せることになった。
 徳川家康の旗本となった。
 荒砥城は廃城となった。

・天正13年(1585)
海津城はさらに須田相模守満親に代わった。
 
  真田昌幸は徳川家康と不和になった。
 6月 真田昌幸は海津城:須田満親のもとに真田昌幸の次男:信繁
  (幸村)を人質として差出した。
須田満親は真田幸繁・矢沢頼幸を春日山城に連れて行った。

▲第一次上田合戦・神川合戦
  上杉景勝は15歳〜60歳までの男子を総動員して海津城将の
  須田満親の指揮下に委ねた。
(★『信濃史料』12巻)
  @曲馬城(真田根小屋城)に入った説
A真田信幸の砥石城からの出撃に協力した説
B矢沢城に籠もって協力した説


・慶長3年(1598) 上杉景勝は豊臣秀吉の命により会津120万石
 に加増移封された。
 
 豊臣秀吉の蔵入地となり、城主には田丸直昌が任じられた。

・慶長5年(1600) 2月 森忠政が13万7500石で兄:森長可の
 ゆかりの土地へ入封した。
  この時、海津城から待城(まつしろ)へと改名された。

・慶長8年(1603) 森忠政は美作津山藩18万6500石へと加増転封
   された。
  松平忠輝が14万石(12万石?)で入封した。
  松平忠輝は越後高田藩主75万石となった海津も引き続き領有
  した。家老花井吉成が城代として統治した。


・元和2年(1616) 松平忠輝改易。
松平忠昌が12万石で海津城に入封した。
  松平忠昌は待城から松城へと改名した。

・元和5年(1619) 松平忠昌が越後高田25万9000石に転封した。
  酒井忠勝10万石が入封した。

・元和8年(1622) 酒井忠勝が出羽国庄内藩13万8千石に転封した。
  真田信之が13万石で入封となった。
  以後、松代藩の藩庁として明治維新まで真田氏の居城となった。

・正徳元年(1711) 幕命により真田三代藩主幸道(ゆきみち)は
「松代城」と改めた。

・寛保年間  瀬直し
  松代城は川岸から離れた。


・明治4年(1871)廃藩置県令
・明治5年(1872) 廃城となり、本丸・二の丸・三の丸の楼門塀などが
取り壊された。

・明治6年(1873) 火事・・・石垣が残るのみとなった。


・昭和56年 国史跡指定。

・平成?年   太鼓門や北不明門(きたあかずのもん)などが
        復元された。

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箕輪初心:生方★【真田丸2】:実田の出自→真田幸綱(幸隆)の生涯
http://53922401.at.webry.info/201510/article_8.html

箕輪初心●「滋野一族→海野一族の歴史」
http://53922401.at.webry.info/201111/article_25.html

箕輪初心●真田3代@「実田→真田幸隆の出自」
http://53922401.at.webry.info/201111/article_26.html

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〜〜〜真田氏と甲斐〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心:生方▲20150412武田躑躅ヶ崎(現武田神社)前編
http://53922401.at.webry.info/201504/article_13.html

箕輪初心:生方▲山梨【武田氏館=躑躅ヶ崎館】後編
http://53922401.at.webry.info/201504/article_23.html

箕輪初心:生方▲【武田の騎馬行列】&箕輪城161
「箕輪城関係の武将」
http://53922401.at.webry.info/201504/article_14.html
★真田幸隆は箕輪城代になったこともある。

箕輪初心:生方▲甲府【武田の騎馬行列写真集】&
「小竹のほうとう」
http://53922401.at.webry.info/201504/article_15.html

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【1】武田信玄&真田幸綱(幸隆)の侵攻に沿った時代順の城や戦い


箕輪初心:生方▲真田○45:【諏訪の上原城】&板垣信方と真田幸綱
http://53922401.at.webry.info/201602/article_21.html

箕輪初心:生方▲真田●46【長窪城】と真田幸綱(幸隆)
http://53922401.at.webry.info/201602/article_22.html

箕輪初心:生方▲真田丸47【芦田城】芦田氏と真田氏
http://53922401.at.webry.info/201602/article_23.html

箕輪初心:生方▲真田丸49【望月城】望月氏&真田氏
http://53922401.at.webry.info/201602/article_25.html

箕輪初心:生方▲真田丸51【海ノ口城】武田信玄初陣
&184「箕輪城」武田勝頼&真田幸繁の初陣
http://53922401.at.webry.info/201602/article_27.html

箕輪初心:生方▲真田●52『伴野氏館=野沢城』&伴野氏の歴史前編
http://53922401.at.webry.info/201602/article_28.html

箕輪初心:生方▲真田●53『前山城』&伴野氏の歴史後編
http://53922401.at.webry.info/201602/article_29.html

箕輪初心:生方▲真田●54【佐久稲荷山城:勝間城】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_30.html

箕輪初心生方▲真田丸56【佐久田口城】&相木氏&伴野貞長の最後
http://53922401.at.webry.info/201602/article_31.html

箕輪初心生方▲真田丸56【佐久田口城】&相木氏&伴野貞長の最後
http://53922401.at.webry.info/201602/article_31.html

箕輪初心:生方▲源頼朝44【平賀義信】&『佐久平賀城』
http://53922401.at.webry.info/201603/article_1.html

箕輪初心:生方▲真田●58【大井城】&「大井一族の歴史」
http://53922401.at.webry.info/201603/article_3.html

箕輪初心:生方▲真田●59【志賀城】:笠原清繁&高田憲頼
/大虐殺&人身売買
http://53922401.at.webry.info/201603/article_4.html

箕輪初心:生方▲真田●44【佐久内山城】真田幸隆&大井貞清
http://53922401.at.webry.info/201602/article_20.html

箕輪初心:生方▲真田●60【佐久平根白岩城:平尾氏館】&真田の本
http://53922401.at.webry.info/201603/article_5.html

箕輪初心:生方▲真田●61【佐久平尾城】&スキー11「佐久PARADA」
http://53922401.at.webry.info/201603/article_6.html

箕輪初心:生方▲真田●62【小田井城】:約20haの巨大な城
http://53922401.at.webry.info/201603/article_7.html

箕輪初心:生方▲真田●64「真田幸綱(幸隆)の武田晴信への臣従諸説」
http://53922401.at.webry.info/201603/article_9.html

箕輪初心:生方▲真田●65【小諸城】:ちょっと文学探訪&歴史
http://53922401.at.webry.info/201603/article_10.html

箕輪初心:生方▲真田●66【布引観音&布引城】:望月源三郎と真田幸綱
http://53922401.at.webry.info/201603/article_11.html

箕輪初心:生方▲真田丸67【禰津下の城】:禰津一族&真田一族
http://53922401.at.webry.info/201603/article_12.html

箕輪初心:生方▲真田●68【上田原の戦い】&4つ小説
http://53922401.at.webry.info/201603/article_13.html

箕輪初心生方▲真田●69【林城】:小笠原長時の生涯詳細版
http://53922401.at.webry.info/201603/article_14.html

箕輪初心:初心▲岡谷【花岡城】&武田晴信の諏訪西方衆の反乱
http://53922401.at.webry.info/201603/article_16.html

箕輪初心生方▲真田丸71【諏訪上社前宮〜上社本宮&
「信長と光秀&真田信繁?因縁の法華寺」
http://53922401.at.webry.info/201603/article_17.html

箕輪初心:生方▲諏訪:有賀城:鎌倉街道を守る城
http://53922401.at.webry.info/201603/article_18.html

箕輪初心:生方▲真田丸72【高島城】日根野高吉→諏訪頼水
&真田昌幸&松平忠輝&吉良義周
http://53922401.at.webry.info/201603/article_19.html

箕輪初心:生方▲『諏訪大熊城』:千野氏の城
http://53922401.at.webry.info/201603/article_20.html

箕輪初心:生方▲【諏訪:桑原城】:諏訪頼重*滅亡の舞台】
http://53922401.at.webry.info/201603/article_21.html

箕輪初心:生方▲茅野の城7分の4【上原城&千沢城&粟沢城&鬼場城】
http://53922401.at.webry.info/201603/article_23.html

箕輪初心:生方▲武田信玄痛恨の「砥石崩れ」
http://53922401.at.webry.info/201603/article_24.html


***真田の城********************
箕輪初心:生方▲真田丸41【米山城・戸石城・本城・枡形城】
真田幸隆乗取&真田兄弟対決
http://53922401.at.webry.info/201602/article_15.html

箕輪初心:生方▲真田丸42真田の里【真田氏館&真田本城
&支城群一覧】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_18.html

箕輪初心:生方▲真田丸3【真田本城】新名所:堺&長沢の腰掛け椅子
http://53922401.at.webry.info/201601/article_5.html

箕輪初心:生方▲真田丸4【真田氏館&真田氏歴史館】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_6.html

箕輪初心:生方▲真田丸35【松尾古城】角間館の詰め城
http://53922401.at.webry.info/201602/article_8.html

箕輪初心:生方▲真田丸37【真田天白城】真田昌幸長男
:真田信綱の築城?
http://53922401.at.webry.info/201602/article_10.html

箕輪初心:生方▲真田丸38【矢沢城】&真田昌幸の叔父:矢沢頼綱の生涯
http://53922401.at.webry.info/201602/article_11.html

箕輪初心:生方▲真田●75【真田横尾城=尾引城】
:横尾氏→真田信綱の居城?
http://53922401.at.webry.info/201603/article_26.html

箕輪初心:生方▲真田丸39【真田:洗馬(せば)城】:横尾氏の詰め城
→真田氏の城
http://53922401.at.webry.info/201602/article_12.html

箕輪初心:生方▲真田丸40【真田根小屋城】:真田氏の支城
http://53922401.at.webry.info/201602/article_14.html

箕輪初心:生方▲真田丸5【真田長谷寺】真田幸綱・正妻:河原隆正妹
・真田昌幸の墓
http://53922401.at.webry.info/201601/article_7.html


*****************************

箕輪初心:生方▲真田●75『塩田城と第一次川中島の戦い』
→真田幸綱の本領回復
http://53922401.at.webry.info/201603/article_27.html

箕輪初心:生方▲村上氏館跡:満泉寺&村上義清の墓&
坂木ふるさと歴史館
http://53922401.at.webry.info/201603/article_30.html

箕輪初心:生方▲信濃:【葛尾城】:村上義清の詰め城
http://53922401.at.webry.info/201603/article_31.html

箕輪初心:生方▲真田丸78【村上義清&上杉謙信VS武田晴信&
真田幸綱・昌幸】
http://53922401.at.webry.info/201603/article_32.html

箕輪初心:生方▲真田●79信濃:荒砥城:村上→武田→上杉→真田
http://53922401.at.webry.info/201604/article_1.html

箕輪初心:生方▲信濃:屋代城:村上一族:屋代氏の城→真田信繁在城
http://53922401.at.webry.info/201604/article_2.html

箕輪初心:生方▲千曲市の名所35選:稲荷山城&森将軍塚古墳等
http://53922401.at.webry.info/201604/article_4.html

箕輪初心:生方▲真田丸82『飯田長姫城の歴史』と
真田丸第1話「船出」
http://53922401.at.webry.info/201604/article_7.html

箕輪初心:生方▲【伊那:松尾城】小笠原氏の分裂&武田晴信〜
織田信長の伊那侵攻
http://53922401.at.webry.info/201604/article_8.html

箕輪初心:生方▲【鈴岡城】:武田晴信の第一次川中島合戦後の伊那侵攻
http://53922401.at.webry.info/201604/article_9.html

箕輪初心:生方▲【信濃:旭山城】&第2次川中島の合戦:犀川の戦い
http://53922401.at.webry.info/201604/article_12.html

箕輪初心:生方▲【尼飾城】真田幸綱(幸隆)の攻略→城番へ
http://53922401.at.webry.info/201604/article_15.html

箕輪初心▲長野:松代▲大室城前→奇妙山砦&尼飾山城ハイキング
http://53922401.at.webry.info/201412/article_17.html

箕輪初心:生方▲【葛山城】&第3次川中島合戦
http://53922401.at.webry.info/201604/article_16.html

箕輪初心:生方▲吉窪城:武田晴信に滅ぼされた小田切氏の城
http://53922401.at.webry.info/201604/article_18.html

箕輪初心:生方▲【信濃:大峰城】:武田VS長尾争奪戦の城
http://53922401.at.webry.info/201604/article_19.html

箕輪初心:生方▲【信濃牧之島城】:香坂氏→馬場信春の武田流の丸馬出
&三日月堀
http://53922401.at.webry.info/201604/article_20.html

★鬼無里3城&中条村5城は写真消滅のため、掲載できず。


★明日は第4次川中島の戦い関係かな?

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箕輪初心:生方▲【海津城】:・永禄3年(1560)山本勘助が築城? 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
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