城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行

アクセスカウンタ

zoom RSS 箕輪初心:生方▲真田丸43:第6話【迷走】のあらすじ&「森長可の撤退」

<<   作成日時 : 2016/02/15 08:17   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

★天正10年(1582)6月4日、本能寺の変で、織田信長が明智光秀
に討たれてから2日が経過した。安土城下は明智勢に占拠された。
真田信繁は安土城にいれば明智光秀に討たれると考え脱出した。
しかし、織田領から抜け出せたわけではなかった。真田丸の平山
優氏・黒田基樹氏の説などの時代考証で三谷幸喜氏が話が進めて
いるが、従来の「中之条町誌」や「真田氏&上州」などに関わっ
た中之条の唐沢定一先生や真田研究の第一人者:芝辻俊六氏の真
田通説や群馬県史にもないドラマが展開されている。真実は不明
である。
おまけで、森長可の信濃撤退を付記してみた。
画像

 (★真田歴史館パンフレット)
画像




箕輪初心:生方▲真田丸30【真田昌幸と滝川一益との腐れ縁:友情】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_2.html


◆6月4日
●琵琶湖近くの山中
真田信繁ら20数名は琵琶湖近くの農家に潜んでいた。
琵琶湖周辺には明智勢がうようようじゃうじゃしていた。
真田信繁や小山田茂誠(しげまさ)は脱出経路を探っていた。
「〜〜高宮を目指します。」
しかし、子供が泣きだし、明智の兵に見つかった。
真田信繁は応戦して人質を逃がした。
「にがすな。」
信繁は助け出した松とはぐれてしまった。

そこへ真田昌幸より命を受けた佐助が駆けつけた。
「お逃げください。」
明智の兵は松を執拗に追いかけた。
松は兵から逃げる最中に追い詰められ、
崖から転落してしまった?
琵琶湖に身を投げた?

真田信繁は矢沢頼康(矢沢三十郎)と佐助は松を探したが、
見つからなかった。
悲しみにくれる夫:茂誠は真田の郷に戻ることはせずに
松をなくしたこの地に残ることを決心した。
信繁は
「兄上、生きていてこそです。・・・」

信繁たちはしかたなく、信濃を目指して逃れた。

●真田屋敷
画像

高梨内記
「殿、滝川一益から・・・」
真田昌幸は滝川一益から呼び出しを受けた。
真田昌幸
「真田家はどうすべきか?」
「織田?」
真田信幸
「・・・織田家の家臣となったのでござる。信長公が死んだからと
 と言って、裏切るというのは道理に外れまする。織田家家臣とし
ての道を貫くのが筋ではありませぬか?」

「家臣としての道?」
「・・・光秀を討つ。上様の仇を討つのがよろしいかと・・。」
と昌幸に進言した。
「お前はいつもまっすぐだなあ。」


●厩橋城
画像

 (現在、群馬県庁のあった場所)
6月9日? 真田昌幸は滝川一益に呼び出された。
厩橋(前橋)城に上がった。
滝川一益は信濃の国衆が反旗を覆すのではないか?
 と心配だった。しかし、滝川一益は当面の敵は信濃の国衆
 たちであった。越後に進軍をしていた森長可が北信濃の国衆
 から裏切られたという情報を得ていたからであった。
そして、最も滝川一益が警戒していたのが真田昌幸だったのである。
一益は昌幸に
「知っていたので、あろう?」

「・・・信濃はこの私が守ります。・・・」
「それが心配なんじゃ?」

「人質をださんか?」

昌幸は
「早く、上様の仇を討つように・・・。」
と滝川一益に織田信長の仇討ちをするように提言した。

真田昌幸は真田家から人質を差し出すことで滝川一益に
織田信長の仇を討つように了承を得たのであった。
昌幸は
「明智を討った者が織田をついでいくでしょう。・・・」


◆◆ 森長可(ながよし)の活躍&海津城撤退〜〜〜〜〜〜〜〜
3月 織田信忠の甲斐侵攻
 織田信忠率いる3万の兵が、武田勝頼の弟:仁科五郎盛信が
籠もる高遠城に押し寄せた。飯田城から逃げ勝った保科正直も
いた。・・・元々、高遠城は保科家の城であった。
※高遠城の戦い
画像

 森長可は三の丸の屋根に上がり、瓦をはがし、鉄砲を射かけた(伝)。

織田軍は三の丸を難なく落としたが、二の丸で保科正直と小山田兄弟
に阻まれた。森長可は
「殿、それがしに考えがありまする。」
織田軍と高遠城方の間に織田軍の軍使が分け入った。
「待ったあ。両軍とも兵が疲れ切っておる。ここは一端戦を止め、
和議を結びたい。保科殿、話がしたい。」
保科正直が二の丸を出た瞬間、織田軍が二の丸城門に殺到した。

「これはどういう事だ。森殿。」
森長可は
「どういう事も何も・・・保科殿の命が惜しければ、降伏せよ。」
答えた。
保科正直は降伏した。
小山田兄弟は二の丸を捨て、本丸へ逃げた。
保科正直は火の手上がる本丸を呆然と見つめるしかなかった。
ちなみに保科正直の実弟は箕輪城主:内藤昌月である。
 後、保科正直の長男は真田昌幸の娘と結婚する。

森長可はこの功績により、信濃川中島四郡と海津城20万石を
与えられた。
その後、信濃入領統治、越後侵攻と続いた。


織田信長は上杉景勝を討伐する計画であった。
@柴田勝家・・・北陸から
A森長可・・・・信濃から
B滝川一益・・・上野から

3月11日 柴田勝家・佐々成政・前田利家・佐久間盛政は富山城
 を奪還した。
 その後、織田軍4万はは魚津城への攻撃を再開した。
 上杉景勝勢も3800ともいう兵で立てこもった。
 長い攻防戦が繰り広げられた。
5月4日 上杉景勝は春日山城を出発した。

5月6日 織田軍は魚津城下を占拠した。
     
5月19日 魚津城東の天神山城に入り後詰の陣を張った。
上杉景勝は戦を仕掛けられなかった。
    海津城:森長可や厩橋城:滝川一益が越後侵入の
   態勢に入ったと知らせを受けたからである。
春日山城の兵の殆どが越中魚津城に救援に行っていた。

5月27日 上杉景勝は退陣を決断した。
上杉景勝は春日山城を奪われることはできないので兵を
   春日山城に戻した。

 森長可軍が手薄になった春日山城に肉薄した。
森長可は、柴田勝家軍の上杉討伐の別動隊として上杉領に入り
 込み、越後国の二本木で陣を張った。

 春日山城が危険な状態になった。

5月28日〜 上杉軍は篭城戦を展開した。
 両軍が決死の攻防戦を繰り広げた。
直江兼続は魚津城に入り込んで、状況を伝えた。・・・
(★天地人)
6月2日 本能寺の変
織田信長の死。

 森長可は越後で6月2日を迎えたのだった。

6月3日 魚津城落城を悟った山本寺孝長・吉江宗信・吉江景資
 ・吉江資堅・寺島長資・蓼沼泰重・安部政吉・石口広宗
 ・若林家長・亀田長乗・藤丸勝俊・中条景泰・竹俣慶綱ら
 上杉方の守将13人が自刃した。・・・落城した。
 織田軍が勝利した。
 13人は織田信長の死を知らなかったのだ。
 援軍を失った魚津城は崩落した。
 (★「天地人」・・・)
箕輪初心★松尾芭蕉32『奧の細道21』【越中編】
http://53922401.at.webry.info/201208/article_16.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201208/article_16.html

6月8日 本能寺の変の知らせ
「信長が死んだ。・・・(2男森長可の)弟:3男:蘭丸
・4男:坊丸・5男:力丸も死んだ。」
と伝わった。
信長の仇を討つことを決定した。

「どうしても金山に帰らねばならぬ。わしだけでも母に顔を
見せねばならぬ。そして、上様の仇をとる。・・・」
と3人の弟&信長を本能寺で失った森長可は鬼の形相で敗走
した。
長男の兄は既になくなっていて、兄弟は一人になってしまった
のである。また、森長可は敵地:越後に深く侵攻していたため、
逆に窮地に落ち入ってしまったのである。兄同様、深入りは禁物で
あることも悟っていた。二本木の陣を引き払い、越後国から撤退
した。

上杉景勝軍は追撃しなかった。

6月9日?
信濃国人衆にも「信長死亡」の報が伝わっていた。
森長可も配下:出浦盛清を除いて旧武田家臣団信濃国衆たち
はほぼ全員が裏切り、森軍を殲滅する一揆を起こそうとしていた。
は森軍を壊滅すべく一揆を煽った。・・・・
芋川氏が長沼城、島津氏が大倉城に籠城して合戦となった。
籠城していた1000人余りを人質にして海津城に連行した。
森長可は海津城の人質を逃がさぬように厳命した。

6月10日? 森長可は海津城に戻った。
画像

海津城主だった高坂弾正(春日弾正)の息子:高坂昌元は武田氏
滅亡後、森長可に属していた。高坂昌元は信濃国人衆一揆勢を
率いて、森長可の撤退を阻止した。

森長可は高坂昌元の息子:森庄助(森長可が烏帽子親)をはじめ
とする人質を使って交渉を仕組んだ。

家臣:大塚次右衛門を信濃一揆衆への交渉役とした。
大塚は高坂昌元の裏切りを糾弾した。交渉は高坂昌元は
「松本での人質の解放は約束するが、森軍には手出しをしない」
という条件を飲まされた。
森長可は人質を連れて青柳方面に向かった。

しかし、信濃一揆衆は納得しておらず、森勢の前に立ちふさがった。

猿ヶ馬場峠の戦い(現千曲市と麻績村を結ぶ峠)
信濃一揆衆と合戦となった。 しかし、撃退された。
 森長可は勝利した。
 大塚は再度
「手出し無用の事・・・。」
 を強く言明した。

森軍は松本に到着した。
森長可は高坂昌元の裏切りに激怒していた。
森長可は約束を反故にした。
森長可は自ら高坂昌元の子:森庄助を殺した。
森長可は人質を残らず処刑するよう命じた。
森軍は人質全員を殺した。
そして、岡谷から木曽谷方面へと撤退した。
 
※真田丸では、真田信繁は森長可&出浦昌相(盛清)と出会った。
信繁
「出浦様」
出浦昌相
「真田の・・・」
森長可
「誰じゃ?」
「真田の小せがれでござる。」
「命を大切にせい。・・・。」

森長可は唯一人、撤退に協力した出浦盛清に深く感謝し脇差を
 与えた。
出浦盛清はこの後、真田昌幸の家臣になった。真田忍群の
総帥である。家老職でもあった。岩櫃城には出浦の地名が残っ
 ている。

6月12日?  森長可は木曽谷の撤退途中に木曽福島城下で
商売をしていた金山(岐阜県可児市)の商人から
「木曽福島城の木曾義昌も森様の暗殺を画策している。」
という密告を受けた。
 
森長可は木曽義昌に「到着日を1日早い6月?日と書いた書状」
を送った。

6月13日?
深夜、 森長可は木曽福島城の城門を破壊した。
木曽福島城に押し入り、木曽義昌の息子:岩松丸(後木曾義利)
を拉致した。新たな人質とした。

6月14日? 森軍は岩松丸を拉致し、木曽福島城を後にした。
 森長可は木曽→美濃に入った。
木曽義昌は手出しができなかった。

6月15日?
 美濃の苗木城(岐阜県中津川市):遠山友忠が暗殺を企てていた。
 木曾義昌は
「岩松丸を人質に盗られたので、手を出さぬように・・・。」
と懇願したので、遠山友忠は攻撃しなかった。

森長可は自領:大井宿でようやく木曽岩松丸を解放した。
森長可は【金山城】(岐阜県可児市兼山)へと無事に辿りついた。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


●美濃?木曽路?
真田信繁は、信濃から脱出を図る森長可と出浦昌相らに遭遇した。
出浦
「真田安房守の小せがれだ。」
森長可は
「我らは・・信濃を守ってやった。・・」
・・・・・・
信繁
「これから、どうなるでしょう?」
出浦・・・
「我らは素波・・・
 素波が死ぬときは信用を失った時である。」



●真田屋敷
真田昌幸は信濃の国衆を集めた。
「一益殿に力を貸すことにした。・・・」
室賀正武
「・・・思いつきで、我らを振り回すのはやめていただきたい。」
「熟慮の上である。」

・・・国人衆は昌幸の話に耳を貸さなかった。
「・・・今こそ、織田を叩くとき・・・
 北条こそは次の覇者。北条氏直様は信玄公のお孫様である。」
北条氏直を新しい主として仕えるべきだと意見を一致させた。

・・・真田昌幸は賛同せざるを得なかった。
昌幸は前回の会議では上杉家に仕えるといったばかりであった。
小県の国衆を集め、滝川一益とともに戦うことを伝えるものの
・・・・。

信幸は父:昌幸の心変わりに唖然とする。
昌幸は
「滝川と北条・・しばらくは天秤にかける。」
昌幸が意見をころころと変えていたのには現段階で織田家か北条家
か決めることはせずにしばらくどちらにつくのかを見定めようとい
う意図があったからであった。

真田昌幸は上杉家へと派遣していた弟:真田信尹を北条家の小田原
城へと派遣することを決めた。

●小田原城
6月10日?真田昌幸は真田信伊を小田原城:北条氏政に派遣した。
 北条家当主は氏直であったが、実権は父:北条氏政が握っていた
のであった。
真田信伊
「滝川殿が明智を攻めている間は信濃を攻めないで欲しい。」
北条氏政
「北条は織田と約定をかわしておる。攻め込むわけがないで
あろうが・・」
「起こるはずのないことが起こってしまうのが戦国です。」
笑いながら
「 昌幸の考えか?・・・面白いのう。
・・・よかろう。」


北条氏政は滝川一益宛に
『討伐中は攻め込まぬ。』
という書状をしたためた。

息子の氏直は
「信濃に攻め込む絶好の機会です。」
と不満をいだいた。
「父上、本心でございますか?」
氏政は氏直に
「敵に油断させるのも兵法の一つ・・・戦の準備をしておけ。」
「はい。」
と快く返事をした。
「東国の覇者は北条である。」

北条氏政の本意は光秀討伐の決着がついたと同時に信濃へ攻め込む
つもりであった。

●浜松城
「平八郎、お主は元気じゃのう?」

徳川家康は滝川一益から北条家との戦への援軍要請をうけていた。
しかし、徳川家康は動く気配は全くなかった。
「・・・・」
本多が
「のらりくらりと対応するのがよろしいかと・・。」



●真田屋敷
真田信繁が真田屋敷に戻ってきた。
「松を助け出せなかった。すまぬ。」
と詫びた。
娘を失った悲しみから母:薫は信繁を泣きながら叩く。

昌幸
「安土に行ってきた。」

信幸は
「・・・北条が攻めてきたら、終わりだ。」

真田信繁&奥務めの「きり」がすれ違った。
・・・でも口論になった。



●堀田作兵衛の家
心に傷を負った信繁は梅のもとを訪ねた。

・・・・
「帰ってきたくはなかった。・・・
松を失ってしまった。自分には兄より才があると思っていた。
それはうぬぼれであった。・・・私の才など・・・
真田家にいる意味など何もない。」
と自分を責めた。
・・・・・・・・
そんな信繁に梅は
「源次郎様が戻ってきてくださいまして、ほっとしました。・・・」
と慰めた。
「・・・・」
「約束です。」
「わかりました。」


●琵琶湖のほとり
松は漁師:茂吉に助けられていた。
「少しは喰った方がいいぞ?」
・・・・
しかし、記憶を失っていた。


●真田屋敷

6月11日? 真田昌幸&信幸は母に
「ばば殿・・・一益の沼田城に行って欲しい。」
・・・・・
「こんな年寄りでも・・・よければ・・・」
・・・・・・
「できれば、真田で死にたい。」

●高梨内記の家
きりは沼田城にお供ととして行くことになった。
きりは信繁にを探した。

●堀田作兵衛の家
信繁は梅をいるのをみて、がっかりした。


◆山崎
6月13日 山崎の合戦・・
秀吉が光秀を討った。


●真田屋敷
6月14日?
朝、沼田城に向かった。
光秀の最期
滝川一益との約束の人質には昌幸の母:とりが選ばれ、世話役
としてきりも同行をすることになった。
とり&きりは人質として沼田城へと送られた矢先のこと・・・
「光秀が山崎の合戦において信長の家臣であった羽柴秀吉によって
打ち取られた。」
との報が入った。

織田信長の仇討ちを果たした羽柴秀吉が織田家の実権を握るのは
時間の問題であった。
昌幸は
「となると、一益についていってもしかたがない・・・・。」
昌幸は一気に北条家へと傾いたものの・・・北条についたところ
で厳しい立場に置かれることもまた、明らかであった。

●厩橋城
滝川一益は秀吉に感心した。
一益
「・・・羽柴秀吉は、毛利との戦の最中・・・よく戻ってこられた
 ものよ。」
昌幸
「秀吉というのは、どのような男でござるか?」
一益
「草履取りから・・・己の才覚でのし上がって来た男よ。・・・
 ひょっとしたら、天下取りに一番近いのはあの男かもしれぬ。」

●真田屋敷
真田家が行く道はいかにあるべきか???
昌幸
「わしは疫病神か?」・・・・
高梨
「巡り合わせかと・・・」

信繁は櫓台から周りの山々・畑を見ていた。
「領主は変わっても、・・・
私はこの景色が大好きです。信濃は日本国の真ん中ですから。
信濃に生まれたことを誇りに思っています。父上の息子と生まれた
ことを誇りに思います。」
と話したのだ。
「よき息子じゃ。」
パンパン・・・とほほを叩いた。
★日本国と言い方は・・徳川光圀から?

●北条氏の上野侵攻
6月15日?
「山崎の戦いにて羽柴秀吉が明智光秀を討ち果たした。」
と知らせが入った。
北条氏政は3万?の大軍にて計画通り上野へ侵攻を開始した。

●真田屋敷
昌幸&信繁は多くの大名たちが信濃を欲しがった理由を
理解した。

昌幸の中で何かが吹っ切れた。
真田家の行く末について悩んでいた昌幸は信繁と話す中で大きな
ヒントを得た。
昌幸は
「信濃はよき木がある。運ぶ川がある。馬がいる。
・・・広大な土地がある。・・・・」

苛立った滝川一益はすぐに真田昌幸に援軍を要請した。
昌幸は高梨に
「『上杉に対して備えをしており援軍には向かえない。』
と伝えておけ。」
と命じた。
昌幸は高梨に嘘の返答をした。

いよいよ、昌幸は動き出した。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「真田は誰の下にもつかぬ。・・・ようやく分かった。
上杉も北条も徳川もこの信濃が欲しいのだ。・・・
ならば、逆手に取るのだ。・・・この信濃を使って奴らを
操るのだ。」
信繁はにこっと笑みがこぼれた。

昌幸は一益にも北条にもつく気がなかった。
昌幸は一益や北条とは手を組まないという道を選択したのだ。
上杉や北条・徳川が欲しがる信濃を利用したほうが真田家の未来
にとって有益だと考えたのだ。

昌幸は高梨内記に
「一益と氏政が争う間に、手薄になった岩櫃城&沼田城と
捕らえられた人質を奪還する。いざ、出撃じゃあ。」
ことにしたのだった。

「どんな手を使っても、信濃を守り抜く。
 大ばくちの始まりじゃ。」


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◆「真田ゆかりの地紹介」は沼田城だった。
画像


箕輪初心:生方▲真田丸21沼田城:初詣【真田氏と沼田城】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_24.html

★ジャンプの高梨沙羅選手・・・高梨氏の子孫かなあ。
高梨内記の祖父の妹は上杉謙信の父:長尾為景の妻だった。

高梨選手の実家は北海道上川町の層雲峡温泉のセブンイレブン
上川層雲峡店を経営しているという・・・?


◎◎◎
◎◎◎
◆◆ 真田3代のブログ一覧 ◆◆


〜〜〜2016年【真田丸シリーズ】〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心:生方▲箕輪城183真田丸1【真田幸綱・昌幸・幸繁
と箕輪城との関わり】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_3.html

箕輪初心:生方★【真田丸2】:実田の出自→真田幸綱(幸隆)の生涯
http://53922401.at.webry.info/201510/article_8.html

箕輪初心:生方▲真田丸3【真田本城】新名所:堺&長沢の腰掛け椅子
http://53922401.at.webry.info/201601/article_5.html

箕輪初心:生方▲真田丸4【真田氏館&真田氏歴史館】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_6.html

箕輪初心:生方▲真田丸5【真田長谷寺】真田幸綱・正妻:河原隆正妹
・真田昌幸の墓
http://53922401.at.webry.info/201601/article_7.html

箕輪初心:生方▲真田丸6【生島足島神社】武田信玄の起請文
・真田信之の起請文
http://53922401.at.webry.info/201601/article_8.html

箕輪初心:生方▲真田丸7【真田の隠し湯&ゆかりの温泉14】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_9.html

箕輪初心:生方▲真田丸8『産経新聞記事』:大河「真田丸」群馬の歴史発信
http://53922401.at.webry.info/201601/article_10.html

箕輪初心:生方★真田丸9【真田幸綱(幸隆)の3人の妻】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_12.html

箕輪初心:生方★真田丸10【真田昌幸の生涯4−@:誕生〜19歳:
父と上野吾妻侵攻】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_13.html

箕輪初心:生方★真田丸11【真田昌幸4−A17歳?箕輪城攻撃
〜27歳父:幸隆死亡】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_14.html

箕輪初心:生方▲真田丸12【第12弾:戦国真田の岩櫃城跡探検隊】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_15.html

箕輪初心:生方▲真田丸13【真田幸隆の旧中之条侵攻】と沢渡温泉
&和光庵&つむじ
http://53922401.at.webry.info/201601/article_16.html

箕輪初心▲真田丸14【真田道→三国街道】2016スキー@新潟『神楽』
http://53922401.at.webry.info/201601/article_17.html

箕輪初心:生方▲真田丸15『真田丸第2話「決断」のあらすじ』
http://53922401.at.webry.info/201601/article_18.html

箕輪初心:生方▲真田丸16【真田の選択&武田勝頼の最後の真偽】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_19.html

箕輪初心:生方▲真田丸17【真田昌幸:名胡桃城:沼田城攻略までの過程】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_20.html

箕輪初心:生方▲真田丸18【名胡桃事件への過程→秀吉の小田原攻撃】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_21.html

箕輪初心:生方▲真田丸19『2016大河ドラマ用整備後の名胡桃城景観』
http://53922401.at.webry.info/201601/article_22.html

箕輪初心:生方▲真田丸20【関越自動車道付近の城】&
スキー2新潟:神立スキー場
http://53922401.at.webry.info/201601/article_23.html

箕輪初心:生方▲真田丸21沼田城:初詣【真田氏と沼田城】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_24.html

箕輪初心:生方▲真田丸22『第3話:「策謀」のあらすじ』
&登場人物の解説
http://53922401.at.webry.info/201601/article_25.html

箕輪初心:生方▲真田丸23【沼田正覚寺】信之の妻:小松姫の墓
http://53922401.at.webry.info/201601/article_26.html

箕輪初心:生方▲真田丸24【高崎→18号→上信越道の城】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_27.html

箕輪初心:生方▲真田丸25【坂本城2回目&虚空蔵山烽火台】
:武田信玄の築城?
http://53922401.at.webry.info/201601/article_29.html

箕輪初心:生方▲映画『信長協奏曲』面白過ぎのあらすじ
http://53922401.at.webry.info/201601/article_30.html

箕輪初心:生方▲真田丸26【松井田愛宕山城】:真田幸繁の初陣説
http://53922401.at.webry.info/201601/article_31.html

箕輪初心:生方▲真田丸27【倉渕鑰掛(かぎかけ)城】:真田昌幸
の狼煙台?
http://53922401.at.webry.info/201601/article_32.html

箕輪初心:生方▲真田丸28【榛名:鷹留城】真田昌幸の侵攻
http://53922401.at.webry.info/201601/article_33.html

箕輪初心:生方▲真田丸29【TV第4話「真田昌幸VS徳川初対決
〜本能寺】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_1.html

箕輪初心:生方▲真田丸30【真田昌幸と滝川一益との腐れ縁:友情】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_2.html

箕輪初心:生方▲真田丸31【真田幸隆の知恵:徳川家康を利用して
造った上田城】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_3.html

箕輪初心:生方▲真田丸32【真田昌幸:空城の計&第一次上田合戦】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_4.html

箕輪初心:生方▲真田丸33【真田ゆかりの地:上野国編詳細16市町村】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_5.html

箕輪初心:生方◆真田丸34「沼田街道」&2016スキーbT&bU
【岩鞍スキー】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_6.html

箕輪初心:生方▲真田丸35【松尾古城】角間館の詰め城
http://53922401.at.webry.info/201602/article_8.html

箕輪初心:生方▲真田丸36:第5話【織田信長の死→窮地】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_9.html

箕輪初心:生方▲真田丸37【真田天白城】真田昌幸長男
:真田信綱の築城?
http://53922401.at.webry.info/201602/article_10.html

箕輪初心:生方▲真田丸38【矢沢城】&真田昌幸の叔父:矢沢頼綱の生涯
http://53922401.at.webry.info/201602/article_11.html

箕輪初心:生方▲真田丸39【真田:洗馬(せば)城】:横尾氏の詰め城
→真田氏の城
http://53922401.at.webry.info/201602/article_12.html

箕輪初心:生方▲真田丸40【真田根小屋城】:真田氏の支城
http://53922401.at.webry.info/201602/article_14.html

箕輪初心:生方▲真田丸41【米山城・戸石城・本城・枡形城】
真田幸隆乗取&真田兄弟対決
http://53922401.at.webry.info/201602/article_15.html


〜〜〜★真田3代〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心●「滋野一族→海野一族の歴史」
http://53922401.at.webry.info/201111/article_25.html

箕輪初心●真田3代@「実田→真田幸隆の出自
http://53922401.at.webry.info/201111/article_26.html

箕輪初心●真田3代A幸隆の箕輪城居候1541〜旧領奪回1551
http://53922401.at.webry.info/201111/article_27.html

箕輪初心●真田3代B『川中島の戦い&真田の上野国進出』
http://53922401.at.webry.info/201111/article_28.html

箕輪初心●真田3代C『真田信綱→真田昌幸の時代』
http://53922401.at.webry.info/201111/article_29.html

箕輪初心●真田3代D『5回主家を変えた真田昌幸』
http://53922401.at.webry.info/201111/article_30.html

箕輪初心●真田3代E『小田原攻撃〜第2次上田戦争
〜大阪の陣』
http://53922401.at.webry.info/201112/article_1.html



★明日は?

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
箕輪初心:生方▲真田丸43:第6話【迷走】のあらすじ&「森長可の撤退」 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる